18:天王寺砦(前編)
天正四年(1576年)四月末。
旧暦では麦秋である。冬にまいた麦がこの時期に実り、黄金色の景色となる。稲作の前に収穫した麦は、冬を経て備蓄が心もとなくなった村人の貴重な食べ物となる。
かつては湖底であった麦畑から見上げれば、南北に伸びる、少し小高い上町台地。北は寝屋川。東に河内低地。西には難波砂堆。縄文海進の時代には半島として海に浮かんだ微高地は、この時代には平野のただ中にある。
上町台地の北の端には、幾重にも堀と土塀で囲まれた要害がある。
石山本願寺。
世間からは一向宗と呼ばれる浄土真宗本願寺教団の総本山だ。
寺内町には六町二千軒の町屋が立ち並ぶ。
普段は使っていない外郭部分の一角には掘っ建て小屋が並び、不安げな顔をした老若男女がいた。石山周辺の村人たちだ。
「おお……煙が上がっとる……」
「八王子神社の方や」
「せっかくの麦が全部、刈られてしまう」
「織田のやつばらは、鬼じゃ」
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」
麦畑のあちらこちらから、煙が上がる。
常に一万を数える石山の人口が、この時にはさらに倍近くまで膨れ上がっている。
織田勢に追われた村人が逃げ込んできたのだ。
御仏に救いを求め。教団に庇護を求め。
石山本願寺を「頼りにして」集まったのだ。
織田勢の、狙い通りに。
石山から上町台地を南に一里弱(約3.2km)。
ここに織田勢の天王寺砦がある。周囲に空堀を掘り、掘った土を盛り上げて土塀とした、簡素な砦だ。建設したのは塙直政の隊だ。
昼過ぎ。東の街道から、明智勢五百が天王寺砦に着到した。百五十頭の馬匹にのせた三百の米俵と一緒に。
米俵をおろして身軽になった馬は、水を飲まされ体を拭かれた後、二十人ばかりの足軽に警固されて、元きた若江城へと戻っていく。
光秀が命令をくだし終えてところに若武者が竹の水筒を持って駆け寄る。
年齢は二十才前後か。いかつい顔に、愛嬌のある目鼻立ち。光秀は記憶を探り、破顔する。佐久間信盛の息子の信栄だ。
「惟任日向守殿。丹波攻めのさなか、よく来てくださいました。父の信盛に代わり、感謝いたします」
「なんの、信栄殿。ここが踏ん張りどころですからな」
光秀は快活に答えるが、額がくすんでいる。
昨年八月の越前再征のあと、光秀は休む間もなく丹波攻めに乗り出した。越前再征の間も親織田派の国衆に任せて調略と小競り合いを行っていたのだが、いよいよ光秀が乗り込んで指揮したのである。
越前での一向一揆の根切りの効果は大きく、丹波の国衆は表面上は織田と光秀の指揮に従っていた。だが、黒井城を囲んでいる最中に、八上城の波多野秀治の裏切りがあって頓挫する。
一連の戦いで、明智勢には被害がほとんどなかった。光秀は丹波深く踏み込むにあたり、事前に難所には道を普請しておいた。羽多野の裏切で国衆が動揺し、継戦が困難とみるや、即座に兵を退いたのである。
十分な兵糧の確保と、適切な道の普請。この二つがそろえば、負けても兵に損害を被ることなく退却ができる。兵に損害がなければ、いつでも再起できる。仕切り直しが得意な信長が、光秀を高く評価する所以である。
しかしながら、光秀のこうした作戦指導は、本来は参謀本部のような訓練を受けた大勢のスタッフが、命令の山をファイリングして行うものだ。勝手方の金造がいてくれるとはいえ、光秀は数多の決心を矢継ぎ早に下さねばならず、心身の負担が大きい。
信栄が持ってきた竹筒の水は、腹によい湯冷ましだった。こういう気配りは父親譲りかと光秀はありがたく飲み干す。
「塙直政殿は?」
「直政殿は物見に出ておられます。留守の間の砦の指揮は私が」
待つほどもなく、直政が戻ってきた。すぐに打ち合わせとなる。
塙直政は、元は信長直属の赤母衣衆だ。光秀とは同年代。背が高く、顔が怖く、視線が鋭い。愛想がないのに、なぜか女性にはよくモテる。
「木津湊を見てきた。守兵は百。多くても二百」
直政は絵図面を広げ、偵察内容を報告しつつ、兵に見立てた小石を並べる。
光秀が聞く。
「桟橋に船は?」
「小舟のみ数艘。関船はなし」
「手薄だな」
「手薄だ」
石山本願寺の周辺は、織田の砦が幾重にも付城となって封鎖されている。陸路からの兵糧入れは不可能だ。
海から兵糧と援軍を受け取れる木津湊は本願寺にとっては籠城の要だ。
「麦畑は刈った。本願寺に二万近い数が入っているのも確認できた。兵の数は二千から三千といったところか。そのうち千が、楼ノ岸砦に入っている」
「兵糧は?」
「本願寺に逃げ込んだ村人が村の蔵から持ち込んでる分もある。現状で半年はもつ」
「持ち込んだのは種籾だろう」
「種籾だろうが、食わねば死ぬとなれば、食う」
直政が眉をあげて「何を今更」という顔で光秀を見る。
光秀はくすんだ額を撫でて「すまん」と目で直政に謝る。
疲れているせいか、心の棚の建て付けが悪い。棚上げしているものがこぼれ落ちる。
目標が何を考えているか。頭の中は詳細に読み取る。
目標がどう感じているか。心の中には寄り添わない。
猟師も、武芸者も、軍将も、衆に優れた者はこの二つを自分の中で両立させる。
光秀の謝罪に、直政が小さく頷いて言葉を続ける。
「木津湊を占拠すれば、籠城は長くは続かん。やる価値はある」
「守兵が百なら襲撃はできる。維持は難しいぞ。焼くだけでよいのでは」
「道理ではある。守るのによい場所ではない。手薄なのもそれが理由だろう。されど、焼くだけではすぐ再建される」
「同意する」
寺内町には、建設や細工の匠が暮らす。周辺の農民が避難していて人手も多い。
焼かれたのが掘っ建て小屋や桟橋であれば、一日とかからず再建される。
「まずは木津湊を占拠し、本願寺側の反応をみよう。顕如の心が折れれば、戦はこれで終わる」
「ふむ……」
直政の提案を、光秀は思案する。
本願寺側の兵力は合計で二千から三千。
木津湊を奪還するため、すぐに動けるのは、楼ノ岸砦の千だ。
天王寺砦には、塙直政の八百に光秀の五百、佐久間信栄の二百で千五百の兵がいる。
兵糧は、明智隊が運んできた三百俵と合わせて五百俵。千五百の兵の約一ヶ月分だ。
天王寺砦から木津湊までは、一里(約4km)もない。下り道で、遮るものもない。
攻めるのも退くのも、簡単だ。
「では、わしと直政殿の兵で攻めよう。信栄殿の佐久間隊二百を残し、夜半に出撃。道筋に松明の兵を残して進み、木津湊に進む」
「黎明に襲撃か。いいぞ。他の砦に使いを出そう」
本願寺の周囲には、天王寺砦以外にも、織田方の砦が二十近くある。ただし、ほとんどの砦は監視のために数人から十数人の兵が入っているだけだ。本願寺の東にある森河内の砦には長岡(細川)藤孝ら三百あまりが入っているが、麦を刈るための寄せ集め足軽で、直接の戦力にはならない。
明智勢が天王寺砦に入ったことは、本願寺側にもすでに知られていよう。千あまりに増強した織田勢の襲撃が近いことも、狙われるのが木津湊であることも、予想されているはずだ。その他の砦からの襲撃は、恐れるに足りないことも。
だが、どの砦にも鉄砲は何丁かおいてあるし、夜中に胴間声をあげて脅すのは、足軽たちの得意とする戦法だ。周囲で騒がしくして警戒させ、本願寺側が自由に手持ち戦力を動かせなくなればそれでよい。
「それで、木津湊を落とした後だが、明智殿はどう考える?」
「木津湊は守るのに向いていない。手強い反撃がきた場合には、天王寺砦に戻ろう」
「同意する。殿は、我らが受け持とう」
打ち合わせが終わると、光秀と直政は出された握り飯をほうばり、よしなごとを話した。
「息子がどうもな。覇気がなくてな。あれは戦には向いておらんかもしれん」
「まだ二十才だろう。これからこれから」
「明智殿のところは、男の子はまだ小さかったな。女の子には信長様が婿の世話をしたい言ってきたとか」
「仲人とか、夫婦喧嘩の仲裁とかが好きな方だからなぁ」
食事と話を終えると、その場で二人とも横になり、すぐに鼾をかく。
深夜。遠くから雷のような鉄砲の響き。二度。三度。
光秀と直政は、暗闇の中で同時に目を覚ます。
「行くか」
「よし」
二人とも戦慣れした武辺者である。
暗闇の中で装具を身に着け、身支度を整えるのに時間はかからない。
小屋の外に出る。大声で怒鳴り散らさずとも、千五百の兵は戦支度を始めている。
元亀から天正にかけて、武士も足軽も、数え切れぬほど戦を繰り返してきた。
空を見る。暗闇に星が見える。旧暦の晦日である。太陽と月はほぼ同時に昇る。
戦の準備が整った。暗がりの中を、砦の篝火を頼りに出撃する。
矢倉の上から、居残りの信栄が見送る。
緩やかな下り道。前方から波の音が聞こえてきた。
この時代、木津湊から向こうは砂州が列する遠浅の海である。
細長い軍列の後方に位置していた光秀と直政は、ここでそれぞれの隊に戻った。
前を行く塙隊が横に広がる。直政が真ん中に入る。
後ろを行く明智隊が見晴らしのよい微高地へと進む。火縄を準備する。
木津湊から、ざわついた空気が流れてくる。
「鉄砲~っ、かまあーえ~~~っ」
光秀の割れ声を背に、直政は足を早める。
「はなーてー」
パンパンパン。背中から破裂音が響く。
闇の中で敵兵が動揺したのを感じる。直政は、すうっ、と息を吸う。
生駒山地に太陽が登る。
「者共っ! 突っ込めやーっ!」
輝く陽光を背に、塙直政隊八百が、木津湊に突入した。
「うおおおーっ!」
「死ねやーっ!」
「極楽逝かせたらあっ!」
木津湊を守る百余りの守兵は、抵抗らしい抵抗もできぬまま、逃げ散った。
木の柵や矢倉は一応あるが、忍びの夜襲に備えたものだ。正面から戦う戦力も、防備も、揃ってはいなかった。
「わしは、矢倉に登る! 鉄砲を持ってこい!」
直政は大声で宣言し、梯子を登った。鉄砲を背負った近習が後に続く。
矢倉の上に、若い僧の死体があった。ここは見晴らしがよい分、周囲から狙われる。盾はあるが薄い木の板で、穴が空いていた。直政は舌打ちした。守りに向かない上に、手も抜かれている。進者往生極楽が標語とはいえ、本願寺は命が安すぎる。
北東を見る。直線距離でおよそ一里半(約6km)に石山本願寺。その西に楼ノ岸砦。どちらも静かだ。
──木津湊を見捨てたか。いや、逆襲の準備中か。どのくらいで来るか。
平坦な木津湊は守るに難い。
直政の足軽たちは、制圧直後から湊の小屋を壊して柵を作り、土を掘って簡易的な野戦陣地を構築しようとしている。
半日の余裕があれば、まずまずの防備ができるだろう。楼ノ岸砦から、今すぐ本願寺兵が出撃したとしても、そのくらいの時間は……
直政の目が、異変を感じとって眇められる。石山本願寺だ。門のあたりの濃淡が変化している。軍兵の持つ規則性がない。人の群れだ。多い。三千か。四千か。
──なんだ? 門徒たちか?
胸騒ぎがした。
人の群れが、ゆるゆると、南下してくる。




