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17:越前再征

 天正三年(1575年)八月十二日。

 岐阜城から出陣した信長は、各地の軍勢と合流して北へと向かった。

 越前再征である。

 この時、越前は一向宗の支配する「一揆持ちの国」となっていた。

 二年前の天正一年(1573年)八月。

 近江からの敗走中に大敗を喫した朝倉義景は、身内の裏切りによって死亡。

 信長は、統治の準備がまったくない状態で、越前を手に入れてしまう。

 後の時代でいえば、この時期の越前はアメリカ軍がフセインを倒した後のイラク、タリバンを追い散らした後のアフガニスタンである。統治がうまくいくと考える方がおかしい。

 半年もしない天正二年(1574年)一月、雪で閉ざされた越前は反乱祭りとなって織田の支配は瓦解する。代わりに越前を支配したのが石山本願寺の支援を受けた一向一揆だ。

 信長の戦には、尾張統一戦の時代から、ひとつの特徴がある。


 流れが不利であれば、あっさり切り替えて、仕切り直す。

 流れが有利になれば、とことん食らいついて、仕留める。


 ──越前は仕切り直す。


 信長は越前を放置することを決め、伊勢長島の一向一揆と対武田戦に注力した。

 天正二年(1574年)七月。

 長島の一揆勢は、根切りとなった。

 天正三年(1575年)五月。

 長篠城をめぐる戦いで、勝頼の武田勢は大打撃を受けた。


 ──石山本願寺とは、和睦する。


 城攻めで落とすには、石山本願寺は手強すぎた。

 海城であるから、兵で囲んだだけでは、海から兵糧入れされてしまう。


 ──本願寺と和睦するため、越前の一向一揆は根切りとする。


 強敵との戦いでは、まず求心力を低下させる。

 強い敵というのは、内の団結で、外が硬くなっているからだ。

 求心力の源は何か。信長は自身の経験から「頼りになる」だと考えた。


 ──家督を継いだ時、父の信秀に比べ、我が身は「頼りなし」であった。


 信秀も、晩年は、戦の負けが続いて「さほどには」と求心力が低下していた。

 だから信長の家督相続をきっかけに、離反が相次いだ。

 海道一の弓取りと恐れられた今川義元が桶狭間で敗死したことで、今川家も配下の国衆や同盟相手の武田から「頼りなし」と判断された。だから滅びた。

 浅井、朝倉も、家臣や国衆から「頼りなし」と判断されたとたん、あっさり潰れた。

 今は戦乱の世である。

 「頼りなし」に命を賭ける酔狂は流行らない。


 ──一揆を根切りにし、石山本願寺の求心力を下げる。


 一向一揆は、戦って死ねば極楽往生パライソさいくだとお題目をあげてはいるが、門徒を戦わせるための仏の方便だと信長は考えている。ならば、こちらも根切り(ジェノサイド)という武士の方便で立ち向かう。


 ──我が方の勝利は間違いない。


 八月十四日。敦賀に到着した信長は、武藤宗右衛門の館を宿所とした。

 報告を聞き、命令を下し、床につく。

 越前再征の軍事的勝利に、信長は何の不安も抱いていない。

 負ける要素がない。一向一揆は数は多いが、烏合の衆だ。

 拠点を城にして立てこもり、織田勢が諦めて撤退するまで粘る以外の選択肢を、一揆衆は持っていない。


 信長は目を閉じたまま考える。


 一揆衆が籠もるは館か。寺か。それとも古い逃げ穴か。

 今頃は、暗がりの中、村人が総出で収穫した米や麦を運び込んでいよう。

 女衆はかめに水を汲む。わらべは薪を集めている。

 戦がくる。比叡山と京を焼いた、恐ろしい軍勢がやってくる。

 童は大人に聞く。自分たちも焼かれるのかと。

 大人は童に言う。御仏みほとけがお救いしてくれると。

 今は秋(9月18日)だ。冬まで我慢すれば雪が降る。木ノ芽峠の峠道が雪で塞がれる前に、軍勢は南に去ると。

 童の顔が明るくなる。大人と童は、手を合わせ「南無阿弥陀仏」とお祈りする。

 今年ほど、雪の訪れが待ち遠しい年はない。大人も子供も冬がくれば助かると、ただそれだけを御仏に祈る。


 そこまで考えたところで、信長のまなこが大きく見開かれた。

 口から怪鳥のような「ケアアアッ!」という甲高い声が出る。

 なんという愚鈍か。

 現実から目を塞ぎ、耳を閉じ、それで何かが変わると思い込む愚者に、信長は我慢がならない。

 そんな目なら抉り取ってやろう。

 そんな耳なら切り落としてやろう。

 信長は知っている。現実は常に、主観ユメに優越する。

 信長は、その事実を好んでいない。むしろ、憎悪している。

 高い感受性を持つ信長にとり、現実が主観に優越する認識は強いストレスであった。

 だからこそ、主観を現実より大事にする者が許せない。

 単純な主観の世界を生きようとするやからを、現実という深い泥沼に引きずりこんでやりたいと思う。皆、自分のように苦しめばいいのだと。


「誰か! 誰かある」


 昂ぶった心を鎮めるため、信長は起き上がり、文書に目を通す。

 文字を読むと、心が落ち着く。

 定型的な文書ほど、読み取りやすく、気持ちがいい。

 特に信長の心をやわらげる文書があった。

 明智光秀からの書状だ。

 三国湊みくにみなとに、兵糧を届けたという内容だ。


「若狭で集めた米、三千俵を三国湊の森田もりた家の蔵に届けた──であるか」


 米三千俵。一万の兵を二十四日。ほぼ一ヶ月養える米だ。

 水運であろう。船で延べ百隻。二十隻用意したとして、五往復。

 九頭竜くずりゅう川の河口にある三国湊には、国衆であり廻船問屋である森田もりた三郎さぶろう左衛門尉さえもんのじょうがいる。

 明智光秀──先月、惟任これとう日向守ひゅうがのかみの官位を得た──が越前で牢人をしていた時に世話になった商人から、伝手つてを得た人物だ。

 信長の花押で所領を安堵したので、名を覚えている。

 所領安堵の話を信長に持ってきたのは、光秀ではなく柴田勝家だった。


「惟任日向、さりとてはの男よ」


 明智家は、新興武家だ。

 頼りになる係累はおらず、裸一貫でのし上がってきた。

 なのに光秀は、三国湊の廻船問屋という貴重な伝手を、あっさりと柴田勝家に受け渡した。信長が、再征後の越前の統治を勝家に任せると言ったからだ。

 光秀が間に入るより、勝家が森田家の取次とりつぎを担当した方がいい。

 光秀の、強い自信に裏付けられた執着心の無さが、信長にはこころよい。


「今の織田家中に必要なのは、やはり光秀か」


 能力でいえば秀吉も抜群に役立つが、あの男は自分の出世にこだわりすぎる。

 光秀にも出世欲はあるが、それよりは自分の才を存分に振るうことを本分としている。

 だからこそ、才を振るうため絶対に避けるべきこともわきまえている。


 家中からの嫉妬しっと

 主君からの猜疑さいぎ


 家中に足を引っ張られ、主君にうとんじられて身を滅ぼした者は数多い。

 近くは享徳きょうとくの乱、長尾ながお景春かげはるの乱で活躍した太田おおた資長すけなががそうだ。道灌どうかんの書状は兵法を学ぶのに適しているので写しがあちこちに出回っている。信長も読んだが、必要なことには言葉が足らず、言わなくていいことには言葉が多い。才人にありがちだが、馬鹿が嫌いなのだ。主君に殺されて当然である。

 それに比べると、光秀は如才じょさいない。織田家中には気配りが行き届き、与力よりきとした国衆には丁寧に接し、信長が求める先を常に理解している。

 でなければ、三国湊に米三千俵を送るようなことはすまい。

 三国湊に織田勢が到達するのは、越前再征の最後だからだ。後は帰るだけだ。

 つまり、この米は再征が終わった後、越前に残る柴田勝家らの兵が食うための兵糧だ。

 冬になり越前が雪に閉ざされた後、織田の兵が飢えずに行動するための米だ。


よろず、手抜かりのない男よ」


 信長は微笑み、寝所に戻った。

 よい夢が、みられそうだった。

挿絵(By みてみん)

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― 新着の感想 ―
[一言] この先の歴史を知ってると、家中からの嫉妬と主君の猜疑を避けるべく立ち回った光秀と信長の関係がああなるのは歴史の皮肉と言うべきか。
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