16:焔硝と玉薬
天正二年(1574年)八月。
坂本城の蔵のひとつは、火気厳禁となっていた。
昼間はよいが、夜になれば闇に沈む。不用心だ。
「あっちとこっちに、篝火を立てる。これで死角は消えるはずだ」
「ありがとう、日之介」
金造は日之介と一緒に、蔵の周囲を回って篝火の立て方を確認した。夜の見回りに備えてのことである。
「蔵に鉄砲と玉薬は、どれだけ入れてある?」
「蔵にある鉄砲が二百と十二丁。玉薬は約四千と三百放。一丁につき、おおよそ廿放分だ。鉛玉が四千と四百二十四発」
金造は帳簿をめくって答えた。
「放はどのくらいの量だ?」
「玉の重さの半分。ざっくり二匁(約7.5g)。蔵にある玉薬は合計で約九貫目(約34kg)だ。出撃前に、鉄砲組を集め、一人に玉薬を十放と玉を十発ずつ配る」
「およそ半分だな。残りは予備か」
「うん。光秀様から、半分は城に残すようにお達しだ」
「だが、戦場で十発は心もとないな」
「玉もそうだけど、焔硝(硝石)が高いんだよ」
「焔硝というと、玉薬の材料か。どのくらいするんだ?」
「堺から買う。行李一つが十六貫目(約60kg)で、五十貫文(約500万円)だ」
「高いな! えー、ってことは玉薬が九貫目で……いや、出撃で持っていくのは半分だから四貫目で……ややこしいな」
「玉薬は、焔硝の他に硫黄と木炭を混ぜて作るから、銭の計算はもっとややこしくなる。手間と時間もかかるからね」
「ややこしいのは、金造に任せた」
「任せられた」
十六貫目(約60kg)の硝石からは、二十一貫目(約79kg)の玉薬が作られる。鉄砲一万放分だ。
硝石や木炭、硫黄から玉薬を作るのは、在番中の鉄砲足軽の仕事である。
鉛を溶かして鋳型に入れ、玉も作るのも鉄砲組だ。玉の大きさは、鉄砲の口径ごとに違う。玉が大きく重いと、玉薬も増える。
金造の計算では、鉄砲足軽百人に十発ずつの玉と玉薬をもたせて出陣させるたび、概算で七貫文(約70万円)がかかる。
鉄砲の価格が一丁あたり八~十貫文(約80~100万円)であることも考えれば、鉄砲が初期費用だけでなく運用費用の面でも金食い虫であることがわかる。
だが、明智家はまだ恵まれている方だ。
海外との交易で栄える堺がある。
銀の調達が可能なら、南蛮船から硝石や鉛を購入できる。
鉄砲鍛冶のいる国友や日野もある。
材料の鉄さえ鍛冶に届けることができれば、鉄砲の生産数には目処がつく。
「それにしても焔硝の価格、高すぎやせんか。前からそうなのか」
「それがしが明智家にきて帳簿をつけてからだと焔硝の値段は二倍。その前と比較すれば五倍近くになっている」
「値切れんのか」
「焔硝は言い値で買えとの命だ」
「おお、もう……焔硝は、南蛮船がこないとダメなのか?」
「聞くところによると床下や厩の土からも作れるそうだが、難しいらしい」
「土から焔硝が……俄には信じがたいな。南蛮人が崇める切支丹の妖術か」
「殿によれば、本願寺の坊主どももできるそうな。紀伊の根来衆とか。切支丹も念仏衆の一派らしいし、念仏と関係があるのかもしれん」
「念仏かあ……比叡山を焼いたわしらには、そりゃ無理だわ」
硝石、すなわち硝酸カリウムは水溶性だ。
乾燥した土地では自然にも産出する。日本にそうした産地はなく、古い家の床下の土から抽出し、結晶化させて作り出す古土法が用いられる。
日本には鉄砲伝来とほぼ同時期に古土法も伝わったが、国産化が進む鉄砲と違って普及していない。高温多湿の自然条件もあり、かかる労力と比較して、手に入る硝石があまりに少ないためだ。
「信玄と戦った信濃の村上義清が鉄砲を使うた時の話だが。鉄砲は五十丁を集めたが、玉薬が三放分しか手に入らなかったので、鉄砲をもたせた武士に、三回放ったら、刀を抜いて突撃せいと命じたそうな」
「なんとも身につまされる話じゃな。鉄砲は景気づけか」
「音はすごいからな。鉄砲は普段から放っておかないと、命中すら覚束ない。坂本城では鉄砲組の足軽は、城番できた時に、何回か放たせている。城の中から外並べた標的にな。練習して上手になったやつは、城の外で鳥や獣も狙わせる。放ちを重ねるほどに、鉄砲足軽の腕は上がる。銭はかかるが、仕方がない」
「東国ではそうはいかんか」
「東国では、猟師の方が鉄砲はうまいらしい。戦では銭払って雇うこともあるとか」
「それも身につまされるのう」
鉄砲はなんとかなっても、玉薬の原料となる硝石はそうはいかない。
古土法で産出される量では、猟師が狩猟に使う分がせいぜいだ。
後にフランスでは硝石丘法が実用化した。革命騒ぎで海外からの輸入が止まった後も、硝石丘はナポレオンの征服戦争の火薬需要を支えた。硝石が析出するまで五年ほどかかるが、手間と時間に見合う量が採取できる。
「焔硝も炒鋼鉄も、南蛮船から手に入る。南蛮船にきてもらうためには、払いに使う銀がいる」
「永楽銭ではダメか」
「ダメだ。あれはもともと明の銭だ」
「なら、明船から買うことはできんのか」
「堺の魚屋から聞いたが、明には硝石も鉄も売らん国法があるそうな。戦に使われるからな。南蛮人はなんでも買うし、なんでも売る。銀さえ用意できれば」
「なんで銀なんじゃ」
「わからん。石見から銀が採れると知ったとたん、花にまとわりつく蝶のごとく、日本にも南蛮船が寄り付くようになったそうじゃ」
大航海時代となり、船と航海術が発達したヨーロッパから、多くの南蛮船がインド洋を経てアジアにやってきた。輸送力に優れた南蛮船はアジア諸国を結んで交易品を運び、利益を得た。アジア屈指の生産力と市場を持つ明国は海禁志向が強く、洋上交易を制限していた。代わりに貿易品を運ぶ南蛮船の需要は高かった。
数年かけて港から港へ荷を運び荒稼ぎした南蛮船は、稼いだ銀を使って明の茶や陶磁器を満載し、途中の東南アジアでついでに香辛料を買いつつヨーロッパへと帰還する。
「信長様から、焔硝は、あればあるだけ買い付けておくよう命じられている。かかる銭に糸目はつけないそうだ」
「豪気だな」
「織田の鉄砲は、増える一方だからな」
金造は帳簿をペラペラとめくって、鉄砲の数について考える。
坂本城の蔵にある二百十二丁は、鉄砲足軽のものだ。光秀をはじめ、鉄砲を自弁して装備する武士もいる。与力の国衆と合わせて五百丁ほどになるか。
織田家全体ではどうだろう。
秀吉は鉄砲を好む。国友の鉄砲鍛冶とも親しい。明智と同数として五百丁。
佐久間、丹羽、柴田、滝川も与力分を合わせれば二百から三百丁ほどは用立てられよう。合計で千丁ほどか。
信長直轄の鉄砲衆はどうか。鉄砲足軽も多い。見聞きした玉薬の購入と消費量から推測し、千丁と金造はみた。
「正確な数はわからんが、織田家全体で、鉄砲はおよそ三千丁か」
「たいした数だな」
「必要な玉薬の量を考えると頭が痛いよ」
「弓の矢とて、戦のたびに使うぞ」
「矢は自分たちだけで作れる。玉薬には焔硝がいるんだぞ」
「焔硝の条件は誰もが同じだろ」
「それはそうかも──」
金造は言いかけた口を止めた。
信長が、どこまで考えてのことか、金造にはわからない。
しかし、諸国で鉄砲が増え続ける今。
堺で織田が南蛮の焔硝を買い占めれば、どうなるか。
「荷留だ」
「あん? 荷留?」
「今や鉄砲の威力は皆が知ってる。諸国で鉄砲鍛冶が鉄砲を作っている。そして鉄砲が増えた分だけ、玉薬は需要が高止まりだ。ここで織田が堺から言い値で買って市場から払底すれば、荷留と同じになる」
「玉薬が手にはいらぬでは、鉄砲もただの棒か」
「いざという時のため二、三放分は残しておくだろうが、普段使いができねば、うるさいだけで当たりはせん」
九州など、南蛮船が勝手に港にやってくる西国には、荷留の効果は薄いだろう。
しかし、堺から東はどうか。敦賀より東はどうか。
武田、上杉、北条。さらに東北の伊達や最上。
有力な東国の大名たちは、時が経つほどに玉薬の不足に悩まされるのではないか。
そうなれば、どうなる。
「これはひょっとして……なるか……」
「ん? 何がなるんだ?」
「天下静謐」
金造は、幕府や朝廷のお題目としか思っていなかったその言葉を。
念仏衆が「南無阿弥陀仏」と唱える時のように、畏れをもって口にした。




