15:語り継ぐ者
天正二年(1574年)二月。
大和の国、奈良盆地を見下ろす丘陵の上に、多聞山城がある。
城を守っていた松永久秀が昨年末に織田に降って城を明け渡して後、多聞山城には交代で城番が置かれ、織田による大和支配の拠点となった。
城番は一ヶ月。一月十一日から二月二十日の在番は明智光秀である。
この時、金造もまた光秀に従って多聞山城にきていた。
「これが法性五郎の長太刀でございますか。いや、さすがは天下に名高き太刀。驚目しきりであります。天下の名物ということで方々を探しましたが、大乗院門跡にありましたとは。こうして借覧させていただいたこと、尋憲様に感謝をお伝え願いたい」
「これも縁でございましょう」
額を輝かせて褒める光秀に、大乗院から遣わされた僧が澄まし顔で頭を下げる。
大和の国は京に都が開かれる前から、日本の中心であった。
大陸からの文物と技術はまず大和で花開いた。わけても舶載の炒鋼鉄を加工した数々の名刀は、数百年を経ても変わらぬ美しさを保つ。
法性五郎こと、保昌五郎貞宗は、鎌倉時代末期の大和の刀工だ。
「そんなによいものなのですか?」
使者が饗応のために別室へ下がった後で、金造は長太刀をしげしげと眺めた。
金造に刀剣類の目利きはない。美しさは見てとれても、興奮につながらない。
「よいぞ。眼福だ」
「はあ」
「そして、それはそれとして。大乗院と顔つなぎができたのはよかった。あとで礼状も送ろう」
多聞山城に在番した光秀は、大和の国衆や寺社との顔つなぎに奔走した。
一月末には、里村紹巴を招き連歌の会も開いている。
顔と名前を売るのは、新しい支配者の勤めだ。
金造も光秀の傍に控え、同じ軽輩の武士や僧侶らと顔つなぎをしている。
大和の国となれば、金造と同年代でも教養の深い者が多い。土地に蓄積された書物の数が違うし、八才くらいから、ひたすら書写し、わからぬなりに言葉を頭に叩き込まれて育つのだ。日常会話をしていても、漢籍から引用した言葉がぽろりと出てくる。舐められないため、日々勉強である。
「日之介らはどうしてる?」
「足軽どもを連れて、あちらにこちらに歩きまわっております」
城番には、土地勘を養う意味もある。
戦いになった時に、地形や道がわからなくては、話にならない。
腰に握り飯をつけた足軽たちは、指揮官の武士に連れられて方々を歩き回っている。
「東は山がちで、守るにはよい土地だとか」
「盆地の東と北の出入り口を塞ぐ場所だからな。松永久秀殿らしい、勘所を押さえた築城だ」
「信貴山城の久秀殿からの手紙にも、多聞山城を守るにあたってどこに注意すればいいかの、自慢だか忠告だかわからない文言が並んでいましたしね」
「あの人、自分の仕事を誰かに褒めてもらわないと死ぬ病にかかってるからな。それで金造よ。米と銭の調査はどうだ」
金造は帳簿を開いた。舌先で唇を湿らせる。
「寺社も国衆も、本当の部分を隠してやり過ごそうとしていますから、ざっくりになります。指出も、アテにはなりません」
「かまわん」
「では。どこも相当に蓄えがあります。これだけ戦続きでありながら、どこの蔵も、米と銭に余裕があります。近江や山城とは、まるで違いますね」
「やっぱりか」
「近江や山城では、戦の時に蔵に余裕があると勝手に持ち出されます。乱妨を禁じる制札があっても、負けてる側は後のことを気にせず乗り込んできますから、最後には空になります。ですが、大和は興福寺を中心に寺社を畏れる気持ちが強いので、負け戦があっても、蔵は無事です」
応仁の乱よりこのかた、大和は日本の火薬庫である。
火薬庫に詰まっているのは、米と銭だ。
米と銭がある限り、人はいつでも戦を始められるし、戦い続けることができる。
「なんとかならんかな」
「無理ですね。大和で寺社を敬うことは、日々の生活を通して人々の意識の底に刷り込まれてます。戦場でならためらうことなく親兄弟と戦うことができる武士も、境内に踏み込んで蔵を暴くことには、強い罪悪感を覚えるでしょう」
大和では戦で敵となった親兄弟の首を取る方が、寺社の米を奪うよりも気軽に実行できる。
平然と寺社の米を奪える松永久秀が、大和で忌避される理由でもある。
「となると、人の意識が変わるまでは、大和に深く関わらぬ方がいいか」
「そう思います」
「信長様にも、そうお伝えしよう」
信長、と聞いて金造の顔色がわずかに翳る。
正月に、岐阜で信長と家臣らが集まった宴があったことを思い出したのだ。
宴の肴に三つの首が出された。昨年に討ち取られた朝倉左京大夫義景、浅井下野守久政、そして備前守長政の三人のしなびた首が、漆を塗られ、化粧を施されて飾られたのだという。
「首の件で日之介と喧嘩になったこと、まだ気に病んでおるのか」
「……はい」
新年の挨拶で岐阜に行った光秀からの手紙で、首を肴にして盛り上がったことを知った日之介は「わしも是非、見たかった」と悔しがった。
金造は、殷の紂王の故事を引き合いに、日之介を窘めた。度を過ぎた暴虐は、却って身を滅ぼすと。
結果、大喧嘩となった。
「浅井の裏切りで、日之介は足軽を十一人、失った。殺したのは浅井ではないが、恨みが浅井に向かうのは当然だろう」
「……は」
「わしもな。あの戦で迫水を失った。金造や日之介より二つ年上であった。生きていれば、わしの片腕とも頼む立派な武士に育っていたと思うと、今も悔しくてならん」
「はい」
「明智家にいた迫水清彦という若武者の名は、もうわしの他、数人しか知るまい。百年、二百年とたてば、存在したことすら忘れられよう。裏切り者が、裏切ったそのことで百年、二百年先も名を呼ばれ、首を肴にされたことまで語り継がれると思うと、どうにも世の無常が感じられてならんよ」
「それがしには……よくわかりませぬ」
「わからんか」
「はい。それでも、日之介や殿が浅井の裏切りに恨みを抱いておるのはわかります」
「それでよい。人には分がある。己の心に、何もかもを詰め込みすぎるとな。体よりも先に、心が病む」
つるりと撫でた光秀の額は、どこかくすんでいた。
光秀がこうして気にかける相手を、金造は一人しか知らない。
「信長様は、首を肴に気を散じておられたと聞いておりますが」
「そうよ。そこよ。散じる気鬱が何かよ」
「浅井の裏切りでは?」
「少しばかり、違う。信長様は、浅井の裏切りに、あの時点まで気づけなかった己が許せぬのだ」
金造は考える。
近江田中にいた金造が、浅井の裏切りに気づいたのは、馬草だった。
浅井領から敦賀への街道筋の、どこにも馬草が積み上げられていない。
幕府遠征軍の糧道を確保するのが浅井長政に与えられていた役目であったから、馬草の用意がないことは、浅井に二心あってのことではないか。そう思ったのだ。
「それなら、浅井親子の首だけでよいように思えます。朝倉義景は、上洛の後は信長様の敵として首尾一貫されていたかと」
「うむ。左京大夫に罪はない」
「では」
「咎があるのだ」
「罪はないが咎があるとは、いかなる意味でしょう」
「義景は、己の心の弱さゆえ、浅井を救おうとした。浅井など見殺しにして敦賀を守れば今も首はつながっておったろう。国衆の裏切りが相次ぐ浅井が、同盟相手としては救うに値せぬほど弱体化していることを見抜く頭を持っておったのに、義景は決断できなんだ。金ヶ崎の前の信長様と同じ。それを信長様に思い出させたのが、義景の咎よ」
金造は、昨年に佐久間信盛から聞いた話を思い出した。
『義景はな。何もかもがイヤになったのよ。わしはそう思っておる。そして、義景の周囲の諸将も、義景からやる気が失せたのを見抜いた』
『そして、信長様も見抜いた。なぜ見抜けたか。信長様もまた、己の心がくじけそうになるのと戦ってこられたからだ。信秀様から家督を相続してから、今日まで。ずっとな』
修羅の道だ。
金造は思わずにはいられない。
人の心など、弱くていい。簡単にくじけていい。
義弟の裏切りに気づかないのも、同盟相手を見捨てる決断ができないのも、人であれば当然のことではないか。
「納得できぬ、という顔だな」
「心強くあろうとするのは、美徳です。ですが、心の弱さを憎悪しているようでは、それはもう、呪いでしかありません。それがしは、自分に呪いをかけるような考え方に、納得の必要はないと思います」
「そなたは、それでよい」
光秀は手をのばして金造の頭を撫でようとし。
いやもう金造は子供ではないのだと気づいて手を引っ込めようとする。
「ん」
金造が頭で光秀の手を追いかける。
光秀は、ふ、と笑って金造の頭を撫でた。
と、光秀の目が急に鋭くなる。
「……髪の毛、多いな」
「はい。月代を剃るの、大変です」
「嫌味か」
「これだけで嫌味になるんですか。額は広がってないんじゃなかったんですか」
「額は広がっていない。だが、つむじがな」
「おお」
「頭頂が薄くなるとな。髷を結うのもな」
「いたたたっ。わかりました。わかりましたから、グリグリしないでくださいっ」
金造が笑いながら、光秀の手から逃げようとする。
光秀が金造の耳元にささやく。
「金造よ」
「はい」
「わしら武士は、語り継がれてこそ永遠となる。金造よ。わしが儚くなった後、わしの勲しを語ってくれるか」
「御免被ります」
「なぜだ」
金造は、光秀の手を逃れ、帳簿をパン、と叩いた。
「それがしは、明智家の勝手方として日々の記録を残し続けております。銭と米は、決してウソをつきませぬ。これこそが、光秀様の永遠でございます」
光秀は帳簿を受け取り、開いた。
「……なあ、借銭と借米、多くないか?」
「これだけ戦争三昧で、なんでその二つが減ると思ってたんですか」




