14:検証、朝倉浅井はなぜ滅んだ
天正一年(1573年)十月。
金造は、坂本城の自分の部屋で帳簿を開いた。日付を確認し、頷く。
「もうすぐ、一年か」
金造は長く京の屋敷と坂本城との間を往復していた。だが、一年前の元亀三年(1572年)十二月からは坂本城に居続けとなった。義昭と光秀の関係が悪化したため、屋敷を吉田神社の兼和(兼見)に預けて閉門していたのだ。
義昭が京から追放されたことで、京の明智屋敷は再び開いたが、金造は動いていない。
明智家の勝手方としての業務に必要な帳簿や連絡網は坂本城に集中している。
光秀はこまめに京屋敷に出向き、公家らと久闊を叙しているが、金造はどうにも足が向かないでいる。
四月に知己の多い上京を織田軍が焼いたことが、罪悪感とまではいかずとも、気まずさとなっているのだ。
織田が京を支配した今となっては、金造が会っても恨み言を聞かされることはあるまい。だが、そうした気遣いを相手にさせることが、金造にとっては気詰まりになる。
丸一日、誰とも会わずに帳簿をながめて数字を見ている方が、金造には気楽なのだ。
「金造様」
重太に呼びかけられ、金造は尻をもぞっ、とさせる。数えで二十才。まだ若造だという自覚があるので、「様」呼ばわりがどうも落ち着かない。
重太を拾ったのは坂本城の築城開始と同時期で、元亀二年(1571年)十月だ。そろそろ丸二年になる。今では仕事の手伝いだけでなく、金造の小姓めいた仕事もこなす。
「何か」
「長浜からお客様です。小一郎秀長様と……」
「おお、こられたか」
「なんか、年上の、知らないおっさんが」
「む? まあいい。お通しせよ」
木下小一郎秀長。数えで三十四才。
明智家と木下家は、永禄11年(1568年)に上洛後、共に京奉行を務めたことから縁ができた。明智家に仕える金造と、秀吉の弟である秀長とは、年は離れているが互いに気のおけない友人である。
浅井家滅亡後、琵琶湖東岸の長浜は秀吉の所領となった。秀吉が光秀の坂本城を前から「あれはすごい城じゃ」「わしも城を作るならああしたい」と褒めちぎっていたこともあり、秀長が調査に来ることになったのである。
「築城に関する資料は、一通りまとめてある。おお、そうだ。重太、紙と墨を追加でもってこい。写しが欲しいものもあるだろう」
ウキウキと重太に命じ、床に築城関係の資料を分類して並べておく。客人を出迎える作法ではないが、相手が秀長であれば、問題ない。むしろ時間の短縮になっていい。
ただし、食事だけは外でしようと、床に茶をぶちまけた記憶を金造は胸に刻んでおく。
「邪魔するぞ、金造。おお、これは」
秀長の声が聞こえ、床に紙を並べていた金造が顔をあげる。
金造の顔がひきつる。
「ほう。なんだこりゃ。面白いな」
見知らぬ顔があった。
正しくは、名前も顔も知っているが、言葉を交わしたことのない相手がいた。
四十代半ば。恰幅のよい男が、ニコニコと金造を見下ろしていた。
「明智家の勝手方を任される若いのというのはお前か」
「はっ……ええ、秦造金造と申します。これはお見苦しいところを……」
「いや、かまわん。訪いも告げずに押しかけてすまんな」
広げた紙の邪魔にならぬよう、部屋の隅っこに、どっこらしょと座る男。
「佐久間信盛だ。よろしく頼む」
織田家筆頭家老は、ペコリと金造に頭を下げた。
「まあ、そう固くなるな。わしなぞ、信長様の下で槍持ってウロウロしてる間に、国が大きくなっちまったんで、エラそうになってるだけだ」
信盛はカラカラと笑うが、金造は光秀から聞いている。
織田家には、綺羅星のごとき家臣が揃っていると。
『智でいえば、断トツに秀吉殿だな。あれほどに頭が回る人をわしは知らん。回りすぎてカラカラすることもあるが、それも愛嬌よ』
『武でいえば、丹羽長秀殿か。戦の駆け引きがな、飛び抜けてうまいのよ。負けた敵にしてみれば、いつ逆転されたかもわからんだろうな』
『仁でいえば、柴田勝家殿だ。顔も声もよいし、誰からも慕われておる。この人と一緒であれば、地獄に行くのも悪くないと思えるお方だ』
その光秀の佐久間信盛への評はというと。
『忠。佐久間信盛殿は、この一言に尽きる。わしは牢人であったからよくわかるが、武士とて人よ。欲に目が眩むことも、気が逸って転ぶこともある。その点で信盛殿は別格だ。才が奔りすぎてまとまらぬ信長様の家臣団を──なにせ、信長様御自身が、才気が迸る人だからな──あの方が重しになってまとめてくれている。これで愚鈍な朴念仁であれば、誰もその言葉に重きを置かぬのだが、信盛殿は、表に出さぬだけで、他の宿老方と同じ才を持っておられる。話をしてもな、こちらが口にしなかった部分まで含めて、二歩三歩先を読んだ上で会話をしてくれる。織田家臣団がこれだけ急成長しても瓦解せぬのは、信盛殿がおられるおかげだ』
と、ベタ褒めである。
光秀の評価がこれほどに高ければ、初対面であっても緊張せざるをえない。
「金造。信盛殿は、こたびの朝倉、浅井攻めについて調べておられる。ここにきたのは、全軍の兵站を任されたのが明智殿で、金造が差配をされていたからだ」
「はっ」
「わしの件は後回しでもよいぞ。秀長殿との打ち合わせを先になされよ。そなたも、これだけ準備して楽しみにしていたのだ。早くはじめたいであろう」
「いや、ですが、その」
「それに、わしも海城というものに興味がある。自分で築くことがあるかはわからぬが、いずれ石山本願寺や長島も相手にせんといかんからな。どんなものか、勘所を掴んでおきたい。邪魔にはならぬから、ぜひ聞かせてくれ」
「そういうことでしたら……」
金造は恐る恐る、秀長の打ち合わせに入った。
そして驚くことになる。
信盛は邪魔にならなかった。それどころか、適度な相槌や質問によって、金造と秀長の話を盛り上げ、補完し、驚くほど濃密で実り多い打ち合わせを誘導したのだ。
「そろそろ飯にせんか」
信盛のこの言葉も、時宜を得た発言だった。
金造と秀長の二人だけの打ち合わせでは、盛り上がりすぎて自分たちの空腹に気づかず、だんだんと頭と口が回らなくなっていくからだ。
「隣の部屋に飯を用意させた。そっちで食おう」
「あ、はい」
こうなると、どちらが客かわからないが手回しの良さである。
部屋を移ると、簡単な食事が用意されていた。量は少なめ。味は濃く。
「金造、わしが持参した小豆を、厨房に届けておいた。後で光秀殿とおはぎにでもして食べるとよい」
「はっ」
おはぎが金造の好物というのまで知られている。
「秀長殿。飯を食っていると、長浜の津を確保できたありがたさを思いだすな」
「はい。あれから、飯に困ることがありませんでしたからね」
「金造にも感謝するぞ。長浜には、そなたが光秀殿と組んで建てた計画通りに兵粮が届いた。不足することも、腐ることもなかった。あれは見事であった」
「お役にたてたのであれば、幸いです」
「そなたと光秀殿は、織田家中の信頼を得たのだ。明智に糧道を任せれば、戦で飢えることはない、と。わしら武辺者にとっては命の恩に匹敵することだ」
「そこまで評価していただいては、過分にすぎます」
「正直言うとな。殿が小谷城をまた、また攻めると言い出した時には、やめておいた方が……と、喉元まで出かけたわ。これ絶対に飢えるヤツだとな」
元亀元年(1570年)より、江北は何度も何度も戦場となった。小谷城周辺は田畑が荒れ果てている。収穫された麦と米はすべて小谷城に運ばれ、国衆すら、食うものに困っていたほどだ。
これほどに荒れ果てた土地では、包囲される側よりも、包囲する側の方がつらい。村からの略奪で賄うことすらできないからだ。
「浅井もやりすぎた。ついに我慢しきれなくなった国衆が離反を始めた。焚き付けた秀吉殿も狙いがうまかった」
「月ヶ瀬城と山本山城ですね」
「そうだ。小谷城と目と鼻の先よ。だが、本当の狙いは城ではない」
月ヶ瀬城を確保したことで、南に一里(4km)の距離にある長浜の安全もまた、守られるようになった。
織田軍は、以後、坂本城から長浜に陸揚げされる兵粮を食べて小谷城を囲むことになる。
「兵粮が届くようになったことで、調略も進んだ。やせ細った近くの村の子供がな。物欲しそうに近づいてくるのよ。哀れに思って飯をやると、小谷城から見えない場所を通って近づく抜け道とか、全部教えてくれたわ」
「長政にも思うところはあったのでしょうが、足元の民を飢えさせてまで城を守ろうとしたことは、許せません」
温厚な秀長の静かな怒りの言葉と声に、金造は、この人も武士なのだと改めて思う。
信盛が、ぽん、ぽん、と無言で秀長の肩を叩いた。信盛も秀長に同意見であるが、ここで怒りを言葉にして同調してしまうと、互いの怒りが共鳴して感情が昂ぶる。浅井が滅びた今、あえて言葉にせぬ方がよいこともあると考えたのだ。
「小谷城が落ちるのは確実になった。飯もある。道も知れた。城に籠もる兵の士気もどん底だ。よし攻めよう、と思ったら殿から待てとの命よ」
「あれには驚きました。朝倉の後詰を待っておられたとは」
「しかも、朝倉の援軍が大嶽砦に入るまで待っておられた」
越前からきた朝倉軍の数は、一万を上回る数だった。これまで前線に出ることのなかった当主の義景が率いていることといい、朝倉の危機感と覚悟が伺えた。
小谷山の山頂になる大嶽砦は狭い。朝倉は千余りの別働隊を大嶽と、その尾根沿いにある福寿砦、山崎丸に入れた。
そして朝倉の主力は、余呉・木之本に陣を敷いて、織田軍に圧力をかけた。義景の目的は織田軍を撤退に追い込むことで小谷城の安全を確保すること。荒れ果てた江北では、織田側も兵粮の問題で長期の対陣はできないはず、という思惑が朝倉軍にはあった。
「朝倉の思惑は、明智殿と、ここにいる金造の頑張りで覆されたわけですね」
「それと、そなたの兄の知略にな。だが、朝倉の見込み違いは、むしろ浅井についての現状把握にあった」
大嶽砦に上がった朝倉軍別働隊は、かつて姉川で、志賀で、轡を並べた精強な浅井軍が、今や見る影もなく落魄しているのを、目の当たりにしたのである。
国衆から成り上がった浅井家は、国衆の裏切りが相次いだことで、瓦解寸前にあった。
六角との戦いを通し、自分たちは強い、自分たちなら勝てる、という成功体験の積み重ねで生まれた浅井家と国衆の団結は、信長との長く辛い戦いで雲散霧消した。そうなると「本来、同格の国衆である浅井にここまで付き合う義理はない」という思いが強くなる。
「明智殿の功績でいえば、囲い船による襲撃も大きかったな。淡海からの攻撃に浅井が手も足も出せんとわかったことで、国衆の考えが変わった。もはや浅井は頼りにならぬとな」
「朝倉は、浅井の変化に気づいていなかったのでしょうか」
「まったく気づいていなかったかというと、違うだろう。だが、朝倉の上の方……義景は気づきたくなかったのだとわしは思っている」
「気づきたく……なかった?」
「気づいてしまえば、これまでの方針をすべて捨て、新たに外交も戦争も組み直すことになる。一族内から義景への不満も噴出しよう。義景は、そんな状況に耐えられなかった。だから、気づきたくなかったのだと思う」
「それは……」
「信長様は、義景の弱い気持ちを見抜いたのだ」
信盛は重々しく言った。
「本当ですか?」
「おそらくな。でなければ、あそこまで自信満々で追撃を命じられることはない」
八月十二日。織田軍は、大嶽砦を攻め、朝倉軍を追い散らした。
小谷城に籠もる浅井は、牽制攻撃すらろくに行わず、朝倉軍を見殺しにした。
ここはむしろ、牽制攻撃すらろくに行うことができなかった、と言うべきか。
もはや、引き籠もることでしか城を守ることができないほどに、浅井は弱体化していたのだ。
大嶽砦から逃げ散った朝倉軍別働隊は、余呉・木之本の主力と合流した。
浅井軍の不甲斐なさを目の当たりにした義景は、完全に戦意を喪失した。
「朝倉義景は、心は弱いが、頭はよい。自分が心の弱さから大きな間違いをしでかしたことも、この危機を克服するには長い苦難の道のりがあることも、理解しただろう」
余呉・木之本の陣。義景は明晰な頭脳で、最悪の状況に直面した。
ここは越前への撤退しかない。
だが、撤退の動きをみせれば織田の追撃がある。誰に殿が任せられる?
見回せば、不信と不満を秘めた諸将の顔。「言わんこっちゃない」という言葉にならない恨み節が聞こえそうだ。
「義景はな。何もかもがイヤになったのよ。わしはそう思っておる。そして、義景の周囲の諸将も、義景からやる気が失せたのを見抜いた」
信盛は、ふう、とため息をつく。
「そして、信長様も見抜いた。なぜ見抜けたか。信長様もまた、己の心がくじけそうになるのと戦ってこられたからだ。信秀様から家督を相続してから、今日まで。ずっとな」
信長も、頭がよい分、自分の前にある苦労の山と向き合い続ける人生だった。
信秀の成功で急成長した織田弾正忠家の持つ、中途半端な権力構造。
織田弾正忠家は、信秀の成功に裏付けられた能力主義の家だ。この世に能力を計る物差しなど存在しないから、実績だけが能力を保証する。
若い信長に実績などなく、他者にとっては無能と同じである。
家督を継いだ信長は、自分のこれからの人生に待ち受ける苦労が見えていた。
尾張の他の織田家や、形式上の国主である斯波家とは間違いなく争いになる。あちらからすれば、信秀が強いから預けていた権力だ。実績のない信長から返してもらうのは当然という感覚だろう。
一族の中でも争うことになる。自分より気性が大人しい弟を担ぐ者が必ず出る。
美濃方面は義父に気に入られてるからしばらくは大丈夫だろう。義兄はダメだ。
三河方面は確実に炎上する。今川家は三河を安定させるためにも尾張を殴りにくる。
(信長様は尾張を統一し、美濃を併合し、義昭様を奉じて上洛した。その後も戦いを続けて今日まできている。だが、決して戦が好きな方ではない。戦い続けたのも、勝てたのも、イヤな現実から目を逸すことができぬ、不器用なお方だからだ。わしはずっと信長様に仕え、信長様のために戦ってきた。主君であるからというより、己の心をすり減らして戦い続ける信長様を、助けたいと願ったからだ)
目を炯々と輝かせ、撤退する朝倉軍を追撃するよう命じる信長に、信盛はあえて進言した。
──ここらで見逃しても、いいのでは。
今、追撃すれば勝てるだろう。
義景の首も、取れるかもしれない。
だが、織田家と信長にとって、それが本当によいとは信盛には思えなかった。
ここで逃げ帰った義景は残る一生を、混乱する越前での戦いに使い潰すだろう。越前と朝倉家が織田家の脅威になることはもはやない。
浅井を倒して江北を確保できれば、織田家の支配は安定する。北陸のように遠く、冬場は雪に閉ざされる土地にまで手を出すことは、織田家の利益にならない。
北は放置して、人と兵と銭を、南の平定に回した方がいい。
──ならぬ。ここで潰す。
信長の返事は簡潔で、躊躇いはなかった。
だからこそ、信盛は心を痛めた。
八月十三日。追撃戦を開始。逃げる朝倉軍に戦意はなく、鎧袖一触となった。名のある武士の多くが討ち死にし、首となって晒された。
快勝に沸き返る織田軍の中で、信長の目が暗くなっていることを信盛は見逃さなかった。
織田軍が勝ちすぎたことに、信長と信盛だけは気づいていた。朝倉軍主力は壊滅した。義景が立ち直ることは、もうない。一族の中で内紛が起きるか。一向宗に飲み込まれるか。
いずれにせよ、織田は越前という泥沼から足を引き抜く機会を失ってしまった。
「……なんにしても。こうなると、大事なのは旧浅井領の安定だ。秀長殿。秀吉殿をようと支えなされよ」
「もちろんです。何しろ、兄はあの通りのお調子者ですから」
「だな。何もなくても転ぶわな」
信盛と秀長は顔を見合わせて笑った。
「わしはまず六角。続いて三好と石山本願寺だ。じっくり腰を据えてやる。先程の、金造とそなたの話で海城を攻める難しさがようと見えたわ。制海権を手に入れるまでは兵粮が断てぬ。攻める側の兵粮が先に尽きてもまずいしな」
「いかがしますか」
「目処がつくまで、兵の数は抑える。手持ちの米で食わせられる数を上限とし、なんとか敵の動きを封じる」
「それは苦労しそうですね。お察しいたします」
「仕方あるまい。これも信長様のためじゃ」
信盛が、唇に含羞を浮かべて言う。
「信盛様は、信長様が本当にお好きなのですね」
金造の言葉に、信盛は少し驚いて目を開き、続いてしっとりと頷いた。




