13:信長は桔梗を愛でる
元亀四年(1573年)七月。
一日。足利義昭は京周辺の山城、近江、摂津、河内、丹波の国衆に決起の文を送った。
三日。続いて義昭は京の武家御城を出て、巨椋池の槇島城に入った。
休戦から三ヶ月。先に痺れを切らしたのは、義昭の方ということになる。
四日。坂本城で報告を聞いた光秀は義昭に同情的だった。
「やはり、兄の義輝様の最期が脳裏をちらつかれるのであろう」
「御所巻をした三好の兵が統制を失い、突入したと聞き及んでおります」
右筆も兼ねる金造の言葉に、光秀は「それな」と相槌をうつ。
「三好では長いこと、政治的に注意が必要な部分の判断を筑前守に預けていた……というか、筑前守が独占していた。その筑前守がおられなくなったとたん、あの不祥事だ」
義輝暗殺に驚いたのは、御所巻を命じた三人衆や松永久秀ら三好幹部だった。
「誰がそこまでやっていいと言った!」と。幹部の全員が口を揃えた。
「なら、現場に丸投げするなよな」と。現場の全員が腹の内で思ったはずだ。
現場の統制が取れなくなった三好の権威は凋落し、織田の台頭を許した。
「三好の何が悪かったのでしょう」
「御所巻という大事を前に、面倒を嫌ったことだ」
「面倒、ですか?」
「面倒なんだよ。現場にいちいち、あれはするなこれはしてもいい、状況が変化した場合、こういう基準で動け、というのを周知徹底するのは」
「それがしは、けっこう好きですが」
「金造は例外だ」
光秀は笑い、それから真面目な顔になる。
織田の部将たちは、義昭の暴発をただ待っていたわけでは、ない。
いつか来るその日に備え、それぞれに準備を整えていた。
京にもっとも近い場所にいる明智家では、情報網の構築と兵粮の準備を行ってきた。
光秀が作り上げた情報網は、十全に機能した。
光秀は、御所を日常的に監視するのは危険が多いと考えた。義昭周辺に伝手はあるが、幕府は中枢に近づくほどに敵味方が入り混じっている。日常的に情報を得ようとすれば、監視者が妨害されたり、最悪、排除される可能性があった。
そこで光秀は、義昭が各地の国衆に文を送るなら、誰を取次役として選ぶかを考えた。中立な立場である公家や僧侶が取次役であれば、普段は御所に近づくことはない。逆に言えば、彼らが一斉に御所に向かえば、それが義昭の決起日であるとわかる。
「東寺の膳殷和尚が」「天野山金剛寺に師僧がおり」
「今出川家に出入りしている地下人が」「摂津から嫁御をもらっており」
「油問屋の躑躅屋の主人が」「丹波の国衆の遠縁にあたり」
「広橋家の女蔵人が」「旦那が大和の春日大社の白衣神人で」
光秀は、義昭が取次役を頼むであろう人を調べ、動きがあれば知らせるよう、人をやって周囲の人間に話をつけた。
内密にする必要はなかった。誰かに危害を加える必要もない。動向を教えてもらい、小遣い銭を握らせるだけだ。
「中には、監視対象の主人に話をして、明智に知らせることに了承を得た下人もいたな。主人にしてみれば、公方様の頼みごとで動くからといって、織田と敵対までする気はないわけだ」
「京周辺は、どこもそうですね。敵と味方は常に曖昧です」
「おかげで、情報は得られたが──金造。兵粮はどうか」
「はっ」
金造が絵図を広げ、帳簿を開く。
「こたびの戦。京周辺の賄いは、我が明智家が差配します。美濃・尾張の兵にとって遠地の戦いゆえ、各自が小荷駄を送っては非効率になるからです」
「うむ」
「策源地は、この坂本城です。それがしは、ここで輸送全体の指揮を取ります。作業量が多いので、重太ら下人も使います」
「任せた」
「後方の物資集積拠点は、大津です。すでに兵粮を寺や庄屋の蔵に確保してあります。ここには、木下家からの応援部隊がおり、各地の兵が到着しだい、蔵を開いて兵粮を分配する手はずとなっております」
「誰に任せた」
「小一郎秀長殿にお任せしました。他に蜂須賀正勝殿と浅野長政殿。揉め事も想定されますので、織田家中でそれなりに顔がきく方が必要であると思いました」
「妥当だな。新参者のうちがあまり表に出るとかえって揉めるからな」
「はい。それで今回の戦ですが。総計八千の兵を動員する前提で賄いをたててあります」
「うん。うちは二千を用意するが、最初に動かすのは五百。残りの千五百は坂本城において、予備として備える」
「各隊は大津までは腰兵粮で。大津で三日分を新たに配布します」
八千の兵が三日で食べる米の量は三百俵。
現時点で大津の各所の蔵には五百八十俵の米を明智家の名義で確保してある。
美濃尾張の兵が大津に三々五々到着するのが、七月七日から八日。
信長が到着し、各隊が揃い次第、京へと進軍する手はずだ。
「大津にあるのは二回分にちょっと足りぬか。追加の手はずは?」
「淡海各所の津から一両日中に小早船が十艘入る予定です。米俵で二百から三百」
「予定通りにいかなかったら? 大風で船が出せない、到着しないこともあるだろう」
「秀長殿から未着の連絡がありしだい、坂本城の蔵を開けます。備蓄してある五百俵から三百俵を大津まで小早で届けます」
「それもうまくいかなかったらどうする」
「秀長殿に、割符を預けてあります。大津の蔵には、明智の名義でない米がありますから、これを買います」
「値段の交渉が合わずに、売ってくれなかったらどうする」
「……殿のお許しを得た後になりますが、囲い船を出し、大津の港を封鎖します」
「今許可を出す。大津の商人が舐めた真似をしたら、焼いてもかまわん」
「はっ」
光秀が、さらさらと紙に囲い船の出港命令を書く。花押。
「もっておけ。わしがおらんこともあるだろう」
「はい」
金造は命令書を畳んで懐に入れる。
「それで。三百俵が揃ったら、どうする?」
「運びます」
「誰が?」
「服属した湖西の国衆に声をかけ、馬を八十七頭、日吉神社に集めました。上と下の坂本の民に馬草を刈らせ、養わせています」
「あれか。米と交換の布告だしたやつか」
「はい。城では余分の飯を炊く余裕がありませんので。日吉神社に米をわたし、馬草を持ってきた者に配るよう言ってあります。ちょっと多めに配ってるみたいですね」
「しゃあない。功徳だ」
「馬は今日か明日中に、百頭を超えると思います。これで小荷駄を編成します。小荷駄の指揮は日之介に。足軽を百つけます」
「ふうむ……百で足りるか……」
「何か気がかりでもありますか」
小荷駄の足軽には、敵から小荷駄を守る役目と、陣夫が馬や荷を持ち逃げしないか見張る役目のふたつがある。馬百頭に足軽百ならば、見張りには十分だ。
「一乗寺城にな。渡辺宮内少輔と磯谷新右衛門が入っておる。山城の国衆では、山本対馬守の動きも心配だ。打って出るほどの数と戦意はないかもしれんが、こっちが手薄だと、悪心もわこう」
「どのくらいなら、安心でしょうか」
「三百出せ。遠くからでも護衛の数がわかる方がいい。襲われないのが大事だ」
「わかりました。瀧次郎の隊をつけます」
「さて、と」
光秀が、床に両手をついて、広げた絵図をのぞきこむ。
「小荷駄の目的地をどこにするか、だな」
「京では?」
「いや、京の武家御城に義昭様はおられぬ。ここは囲むだけにして、主力は南に──巨椋池の槇島城へ向かう」
「巨椋池ですか。道はいくつかありますが、足軽三百に馬百頭となりますと……」
金造の指が、大津から逢坂関を通り、山科に入る。
さらに西に進めば、清水寺、そして京へと上がる。
「ここで西ではなく、南に向かいます」
金造の指が、巨椋池の入り江で止まる。
伏見の桃山丘陵の麓だ。
大津からの距離は概算で約三里(12km)。小荷駄で一日の距離だ。
「ここですね」
「よし。左馬助に五百を預けて伏見桃山に陣を敷かせる。兵粮はここに運び込め。ここから各隊に配る」
「はっ」
「運び込みが終わったら、小荷駄は大津に戻して追加の兵粮を運ばせる。兵八千のままとして、追加の米はどれだけ大津から出せる?」
「調整が必要ですが、三回は確実に。それ以上になると、借米の比率が増えます」
「長引くなら、淀から巨椋池に上がってくる商人からの買い付けも必要になるな」
「今のうちに文を淀の商人に出しておきます」
「頼む……さて。信長様に報告せねばな」
光秀は文面を考える。
報告というのは、報告される側の視点が必要だ。
この報告書が届く時に。
──信長は、どこにいるのか。
──信長には、何が見えているのか。
──信長は、何を知りたいと思っているのか。
──信長の抱く、懸念は何なのか。
義昭決起の報は、今日中に岐阜城の信長にも届く。
信長は神速を好む。足軽の動員完了を待たず、即座に動かせる数百の馬廻り衆だけを率いて近江に向かうだろう。
岐阜城から大津までは約三十里(120km)だ。信長と馬廻り衆だけならば、一日に十里(40km)は駆けてくる。急げば二日。遅くとも三日後には大津に入る。
(信長様のご気性からして、二日だな。七日か。すでに兵が二千かそこらは集まっていよう。主力は近場の柴田勝家殿か)
義昭が京から退去している今、二千でも即座に動ける。
本隊は山科まで進軍。槇島城ににらみをきかせる。
支隊はさらに京まで進み、武家御城の開城工作を行う。
後続が合流してから、本隊を南下させて槇島城を囲む。
(槇島城に入っている兵は、千未満。これから公方様に御味方する国衆が増えたとしても、二千には届くまい。湿地に囲まれているが、守兵が少ない。力攻めで落とせる城だ)
最大の懸念事項は味方の兵が想定外に増えることだ。
近隣の国衆は、織田側優勢とみれば押取り刀で集まってこよう。
御味方の軍勢が一万を越えては、金造が建てた補給計画が破綻しかねない。
(腰兵粮だけで集まってくる国衆、飯が足りなくなったら、そこらで乱妨して集めればいいと考えてるだろうしな。信長様には、国衆を労った上で、さっさとお帰りいただくよう、諭してもらわないと)
地方の裕福な家の惣領として不自由なく育った信長は、根っこのところで朗らかで人好きのする性格だ。国衆が加勢にくれば、大喜びで出迎え、褒めちぎるだろう。
戦続きの時代であるから、国衆は誰もが計算高く狷介なところを持つ。
されど、武士である。
桶狭間や上洛戦の武威に輝く信長が、目を潤潤して手を握ってくれば。これに感動しないほど心が冷えている武士など、もはや武士ではない。
(かくいうわしも、それで絆されて信長様にお仕えしている身だしな)
光秀は苦笑して文をまとめ、大津に向かっているであろう信長に渡すよう命じて使いを送り出した。
六日。
信長が佐和山から船で坂本城に直接入ってきて、光秀は大いに慌てる。
信長が光秀の囲い船に感動して建造した黒塗りの大型船である。坂本城の船着場のずいぶん手前で砂に乗り上げて座礁する。信長は、そこから小舟で坂本城に入った。
「威風堂々、大津に入るつもりだったがな」
「はい」
「いざ動かしてみると浸水が激しい。喫水が思ったより深くなって、大津に乗り上げたらもう動かせんと聞いて、こっちに回った」
「後で引き揚げられるかやってみましょう」
「無理はせんでいい。手間なら解体しろ。優先順位だ」
「はっ」
とっとこ足早で歩く信長の後ろを、光秀が追いかける。
「報告」
「公方様は京の武家御城を出て宇治の槇島城へ。武家御城は三淵殿ら留守居が数百。槇島城には千未満」
「増えるか?」
「増えません。ここで合力すれば破滅であることを、国衆は誰もが知っています」
「渡辺。磯谷。山本」
「彼らは今さらに旗幟を逆しまにすれば、身内に切られる立場です。あくまで身内をまとめるための反織田であり、槇島城にも武家御城にも入っておりません」
「武家御城は権六に任せる。開城だ」
「はっ」
「槇島城は潰す。力押しだ」
「はっ」
「次は北だ。年内に潰す」
「浅井と朝倉。どちらでしょうか」
信長がピタリ、と足を止めた。
振り返りニタリ、と笑う。
「両方」
光秀は、黙って頭を下げた。
額がキラリ、と光った。




