12:上京炎上
元亀四年(1573年)三月。
義昭との交渉を担当していた織田家奉行の島田秀満が、調停を打ち切って岐阜城に戻った。
両者の間はついに手切れとなり、織田勢は各地で動員を開始。
坂本城の明智家も、陣触れとなった。
兵を集めるのは、当主である光秀の力量。
兵を指揮するのは、日之介ら武士の仕事。
兵が食う米とかかる銭の用意は、金造の出番である。
「こたびの出陣、兵は二千でいく……いけるか?」
「何日でしょうか」
「ひとまずは、十日」
「行き先は」
「ひとまずは、京」
光秀の指示を受け、金造は帳簿を開いた。
坂本城の蔵に入っている米の量。
各地の寺や庄屋の蔵に預けてある米の量。
淡海を通して船で坂本城に届く予定の米の量。
「二千であれば、日に二十五俵。十日で二百五十俵。現時点で城の蔵には三百二十二俵あります。京までの輸送にかかる馬方と馬草の準備も足りております。対陣が長引いた場合の手配りは、今からでも間に合いましょう。が……」
「信長様と馬廻り衆、他の宿老方の分がどうなるか、だな」
「総兵力は、概算でどのくらいの数になりましょうか」
「一万かな」
「米を運ぶ手立ては?」
「腰兵粮と、一回分くらいの小荷駄は準備しておるだろう」
「美濃からですと腰兵粮は、京までの道程で使い切ります。小荷駄が追いかけてくるのであれば、京で陣を敷くまではもちます。その後の予定は?」
「そこは……公方様次第だな」
光秀がため息をつく。
金造もため息をついて終わらせたかったが、そうはいかない。
「京では戦に備え、数日前から馬も船も止まっております。地方からの米の流れがなくなれば、在陣した万の軍勢を養うことはできません」
「わかっておる。そうでなくとも、京は人が多いからな」
「坂本城の備蓄は、二千の手勢分で手一杯です。淡海周辺の他の城の備蓄分は、アテにできるのでしょうか?」
「いや。出撃前に各城で腰兵粮を揃えたら、それでなくなるだろう。坂本城が一番マシだと想定してくれ」
「どうして、どこもそんなにカツカツなんですか」
「そりゃ、どこも山城だからな。山の上まで米を運び上げるの、手間なんだよ」
「なるほど」
「山城は、守るにはいいんだがな」
坂本城は船着き場を持つ海城で、船から即座に荷揚げができる。
小早一艘で、米三十俵は運べる。毎月のように陣触れがあっても、城内の蔵に米を蓄えておけるのは、そのためだ。
山城ではこうはいかない。馬一頭に米二俵をくくりつけて山の上まで運ぶのだ。時間もかかり、すぐには補充できない。
金造は瓜生山の勝軍山城に入った五百の明智勢への兵粮入れに苦労していたことを思い出す。
「公方様も、そのへんは理解されてますよね」
「ああ。還俗されるまでは一乗院門跡だ」
中世の寺社はどこも物流と金融を担う。
特に大勢の人を養う必要がある古刹の経営は、米と銭の流れを理解していなければ成り立たない。
「公方様は織田が一万の軍勢で押し寄せても、交渉に時間をかけて粘れば、米が尽きた織田を撤退に追い込めると計算しているだろう」
「信長様は、どう対応されるおつもりでしょうか」
「……焼く、だろうな」
光秀の表情と額が、昏くなる。
金造は驚いて確認する。
「公方様がおられる武家御城を焼かれると? まさか、そこまでは……」
「いや。焼くのは京の町だ」
金造はまたも驚き、それから納得して頷く。
狙いは、京烏の風聞だ。
公方は武をもって成り立つ。京の町衆も公家も、そう考えている。
京を戦から守れぬ公方であれば、追い払われて当然だと。
「上京と下京、どちらでしょうか」
「上だろう」
「あらかじめ、伝えても?」
「許す」
「では、神祇大副様を通して町衆に。あくまで、それがしが耳にした噂として」
「頼む。あと、兼和殿には、信長様が町衆の様子を知りたがると思うから、と」
「了解しました」
信長が喜ぶ言葉を選ぶよう心づもりを、ということか。
金造は、これも戦を早く終わらせるため、と自分に言い聞かせた。
懸念もあった。
「信長様は、公方様をどうなさるのでしょう」
「京から追放だろう」
「その後の京は?」
「直接統治だな。義輝様が追放されていた頃の筑前守と同じだ」
「可能でしょうか」
京の町衆に、今の公方は好かれていない。これは事実だ。
では、前の公方や、三好長慶は好かれていたかというと、もちろん好かれていない。
それどころか、京の町衆は誰も好いてはいない。坊主も帝も、心の中では忌避している。町衆同士の間でも、嫉妬や憎悪が渦巻いている。庶民は弱者だが、清廉ではない。弱者であるほど、泥を啜って生きている。
そんな町衆がうようよしている京を、潔癖なところのある信長が直接支配できるのか。
「難しいだろうな」
「それがしも同じ意見です」
「当分は公方様がおられた時と同じように、奉行衆で政務を回していくしかなかろう」
「わかりました」
光秀は出陣に備えて寝所に向かった。大将は寝るのも仕事だ。
金造は出陣に備えて仕事を続ける。米も銭も、事前の手立てこそ本番だ。
金造は一心不乱に筆を動かす。
夜が更ける。灯火に誘われた虫がくるくると油壺の上で舞い踊る。
「金造。夜食ぞ」
「ありがとう」
日之介が、篝火で焼いた餅を持ってきた。
日之介の表情は明るい。父の信之進とは物別れに終わったが、会って踏ん切りがついたらしい。堅田攻めの後に父や兄を含む湖西の国衆が、自分たちの一揆で織田と敵対する意志がないという起請文を出したことも、日之介の心を軽くしていた。
「なんぞあったか」
「いや……?」
「顔色が悪いぞ」
「疲れておるのかもしれん」
「そうか」
金造は隣に座った日之介と、むしむしと餅をかじる。
餅は贅沢だが、夜の警固では足軽含めて全員に配るのが明智家の習いだ。
己が報われていると思えばこそ、人は苦労にも耐える。
報いが苦労に見合わぬと思えば、人はこっそり手を抜くし、銭も抜く。
餅ひとつで足軽のやる気が出るなら安いものだと光秀は考えるし、金造も同意見だ。
明智の餅役は、織田家中ですら、眉をひそめるものがいる。足軽に贅沢を覚えさせたことで舐められたらどうする、と考えているのだ。
(愚かしい……足軽に厳しくしたところで、見ておらぬところで勝手するだけ。それこそ、足軽に舐められておるのと同じだろう)
餅役の効果を理解し、自分たちも習っているのは木下家くらいだ。秀吉は周囲に吹聴して面白がらせているほどには下層の出ではないが、若い頃に実家から飛び出して悪所に入り浸った経験から、人というものを理解している。
(今回の出兵も、終わりがいつかわからぬ遠征だというのに、小荷駄の手当ては一回のみ。米が不足したらそこらで乱妨して奪えばよいという体たらく。雑だ。あまりに雑すぎる)
累代の武家ほど、米が足りなければ奪えばいいという考えが浸透しすぎている。米の不足が常態になりすぎ、兵を動かす時の前提条件になっている。
それが長期の対陣を避けるため京の町を焼くという考えにつながる。
明智家は、牢人だった光秀が上洛して一から作り上げた新興武家だ。米の不足は当たり前のことではなく、兵を動かす上で解決すべき問題と考えている。
「……金造。おい、金造!」
「んん?」
「呼んでおるのに気づかぬとは、いよいよだぞ。休め」
「いや、これは……」
「休め。目を閉じて横になるだけでも違うものだ」
日之介は太い腕で金造の肩を掴み、横にさせた。
金造の頭の下で、硬いが弾力と温かみのある膝が枕となる。
「すまぬ」
「相身互いよ。ここでお前が倒れると、戦場でわしらの米がなくなる。見張りの足軽どもには、わしがここにおることは伝えてあるゆえ、安心して横になっておれ」
「ありがとう」
金造が目を閉じると、驚くほどに素早く、睡魔が襲ってきた。
金造は指先で、枕にしている日之介の膝頭をかり、とかく。
「日之介……」
「なんぞ」
「皆が餅を喰えるようにするには……どうすればいいかのう」
「心配せんでも、足軽どもにも配ったぞ」
「いや、違う。皆じゃ……皆が腹いっぱいに餅を……」
「そりゃお前……そうだな、明智の殿が天下人になれば、皆に配れよう」
「殿が……そうか。そうだな……そうなれば……」
金造は唇を微笑みの形にし、眠りについた。
三月二十五日。織田勢は動員を終えた隊から近江に入る。諸隊は逢坂で合流。
二十九日。鴨川の西岸、知恩院に信長は本陣を構える。諸隊は南北に広がり、在々所々に陣取る。後方から追いかけてきたそれぞれの小荷駄が、陣に米や塩、味噌を届ける。
互いに距離を置いた陣の配置から、信長の目的が城攻めではなく、威圧であることは明らかだった。大掛かりだが、あくまで御所巻である。
武家御城にいる義昭は、鴨川の向こうに万の軍勢が居並ぶ中でも強気だった。すでに南からの舟運による米の流れは絶ってある。近江南の織田支配圏も、先月の合戦で備蓄米は消耗していよう。遠い美濃からの小荷駄はそう何度も繰り返せるものではない。
義昭は時間をかけた交渉によって、織田勢を補給切れで撤退に追い込めると考えていた。
四月一日。吉田神社の吉田兼和が、知恩院を訪れる。兼和は信長長男の信忠への陣中見舞いという形式を取り、そこで信長に呼ばれる。将軍に対する天皇と公家の評判を聞かれた兼和は、こう答えた。
「天皇、公家はもとより、万民から評判がよくありません」
あらかじめ考えていた言葉で答えた兼和は、うっすらと微笑む信長を、満足そうであったと日記に記している。
翌二日、三日と信長は洛外のあちらこちらに放火した。京の町を支配する旦那衆は、信長が京の町に火をかけると聞いて人と財とをすでに避難させていた。その上で庶民に「最善を尽くした」と言い訳するため織田本陣のある知恩院に銭を持っていき、予定通りに追い払われた。信長の無道と、京の町衆が被害者であるという形式はこれで整った。
四日。上京に火がかけられ、京の町は炎上した。
時の帝である正親町天皇は事態を“憂慮”して、信長と義昭の双方に使いをだし、和議を成立させる。
信長が退去した後、なおも義昭は京に残ったが、もはや将軍を「頼みにする」者がいなくなったことは明白だった。
権力は空白を許さない。
必ず、何かが空白を埋める。
上京が炎上した日を境に、織田が京の新たな、そして唯一の権力となったのである。