1:足軽百人できるかな
2020年の大河ドラマ『麒麟がくる』では主人公だった明智十兵衛光秀は、出自も前半生もよくわかっておりません。
譜代も郎党もほとんどいない身で、上洛後の短い期間に人を集め、使いこなし、織田家のナンバー2になったのです。
巷間言われるような「人たらし」は秀吉だけではなく、光秀もそうだったのでは、と思いつつ、明智家の勝手方を任された青年を主人公にしてみました。
秦創金造は明智家の財務を担当する勝手方だ。
生まれは越前の国。商人であった金造の父が明智家に出入りしていた関係で、将軍上洛後の明智十兵衛光秀に仕えることと相成った。
金造の得意は、帳簿付けである。金造にとって帳簿は仕事だが、趣味でもある。細かい文字で丁寧に書き記した帳簿を、金造は暇さえあれば、ぼんやり顔で眺めている。
金造の苦手は、荒事だ。武士にはなったが、戦に出たことは一度もない。そもそも他人を殴ることを、嬉しいと思ったことがない。
金造はそれで構わないと思っている。戦において勝手方は後方にいるものだ。銭米を集め、前線へと運ぶ手配をするのが金造の仕事だ。
さりながら。
明智家の銭米を握っているがゆえに、金造には面倒事も舞い込む。
その日の面倒事は、明智家の当主である光秀から押し付けられた。
「明後日までに足軽を集めよ、ですか。何人ほどでしょう」
「百人だ」
「ひゃっ……殿、それは難しゅうございますぞ。十人、廿人ならば、すぐにでも集まりますが、さすがに百人の足軽となりますと……」
「すまぬ、金造。苦労をかける」
「ええ……」
「大事なお役目なのだ。この通り、頼む!」
光秀が金造に頭を下げる。
困ったお人だ、と金造は思う。光秀と金造は親子ほどに年が違う。身分も違う。
なのに、金造のような軽輩者に頭を下げて頼る。なかなかに、できることではない。
「わかりました。なんとかしましょう」
「そうか! 助かる!」
光秀が顔をあげ、笑顔になる。
この笑顔が曲者なのだ、と金造は思う。頼られた側が、なんとかせねばという気にさせられる。一乗谷で牢人暮らしをしていた頃の光秀に、金造の父は何くれとなく世話をしていた。そのことで母によく文句を言われていたが、父はやめなかった。父の気持ちが今の金造にはよくわかる。
金造は、帳簿を懐に入れ、屋敷がある敷地の隅の長屋へと向かった。
長屋には数人の若衆がいて、庭に出て槍や弓の稽古をしていた。
長身で、腕も胸もひときわ分厚い青年に、金造は声をかける。
「日之介。ちょっと手伝ってくれないか」
内畑日之介は近江田中の出身だ。日之介の父親は六角配下の国衆で、義昭の上洛戦では敵に回った。今は織田と誼を結び、人質として日之介を明智家にあずけている。
日之介は若いが腕はたつ。何より上背があって、声が大きい。面倒事が荒事になりそうなとき、金造は日之介を頼る。
百人の足軽を明後日までに集めると聞いて、日之介はまず驚き、そして持ち前の大声で笑った。
「足軽百人とは、大きく出たな」
「こうなるから、賀茂庄を安堵するとき、軍役請状を殿が握っておけばよかったんだ」
義昭の上洛後、光秀は京の奉行衆の一人となった。万揉め事は奉行衆に上がり、審議をして将軍の上意を得る。賀茂庄の知行宛行状もそのひとつ。同僚となった藤吉郎と連判状を下した。ここでは、賀茂庄に将軍のため百人が陣詰めして奉公せよとして定めてある。
「あの方は国衆に慮るところがある。我ら人質の扱いも、しごくゆるい。飯は質素だが、これは家中も全員そうだ。文句はない」
「なんにしても日数が足りない。もう少し早く申し伝えてくれれば、打つ手もいろいろあったのに。まったく殿には困りものだ」
「安請け合いをするお主も、相当な困りものだぞ。それで、心当たりはあるのか?」
「ある。揉めるかもしれぬので、日之介についてきてほしい」
「あいわかった」
金造と日之介は連れ立って京の町に出た。
埃っぽい路地を南に、伏見へと向かう。ガラの悪い若い男たちの姿が増えてきた。金造と日之介を、値踏みするように見ている。
巨椋池が見えてきた。大勢の人足たちが、荷運びをしている。京の南にある水運の要である巨椋池は物資の集配拠点だ。ここから大和に向かう便も多い。
「荷方の久兵衛はおるか」
金造が何度か声をあげる。誰も足を止めない。金造は声も小さく、背も低い。
金造が情けなさそうな顔で日之介を見る。日之介の胸がぐっ、と膨らむ。
「久兵衛! 荷方の久兵衛じゃ! おらんか! おらんかぁ!」
日之介の胴間声に、近くを通った人足が腰を抜かして尻もちをつく。喧騒としていた周囲が、しん、と静まる。
「おるぞ。なんじゃおまえは」
のっそりと。
人足たちの輪の中にいた中年男が出てきて日之介を睨む。ついで、視線が下り、金造を見つける。
「明智殿のところの金造か」
「久兵衛。頼みがあってきた」
金造の表情を見て、久兵衛は口をヘの字に曲げ、うなずく。
「面倒事のようだな。こっちに来い」
久兵衛に連れられて、小屋に入る。荷を一時的に入れておく倉庫だ。米俵や樽や行李が積み上げられている。
「それで。わしに何の用や」
「足軽がいる。明後日まで。百人集めたい」
「無理やな」
久兵衛はにべもない。
人足であれば、久兵衛が一声かければ簡単に集められるが、足軽はそうはいかない。
人足とて、喧嘩はできる。個人としての武力は足軽と違いはない。
しかし、腕自慢の人足をいくら集めても、戦はできない。
人足は戦に自分の命を賭けられない。武士の命に従う気もない。
国衆が率いる、普段は百姓をしている足軽が戦に命を賭け、武士の命に従うのは、同じ土地に住む共同体の一員としての責務があるからだ。命惜しさに戦から逃げて帰っても、村で爪弾きにされ、家族もろとも「あそこの連中は、いじめていいヤツ」扱いされるだけだ。
「わしは公方様御構の普請で、明智殿に世話になっとる。役に立たんのを人数合わせで出して、迷惑はかけられん」
「その気持ち、ありがたい。殿にもお伝えする」
「なら──」
「ここと摂津の間で、伏せとる足軽連中と話をつけたい。おるやろ」
「むむっ」
久兵衛は低く唸った。
「ここらにおる足軽は、元は三好の衆やぞ。ええんか」
「三好には捨てられた。なら、殿が拾う」
「うううむ」
金造は目を爛々と輝かせ、久兵衛に詰め寄る。
「久兵衛も知っておろう。明智家は幕臣だ奉行だと言っても、譜代はおらん。明智にはいって手柄をたてれば、殿は必ず報いてくださる。それがしがその証拠じゃ」
「……わかった。ここで待っとれ」
久兵衛が小屋の外に出た。
日之介が金造に「おい」と本人としては小声寄りの大声で話しかける。
「このへんで伏せてる足軽って、乱波者だろ」
「うん。摂津と京の間は人も物も多く通る。道々の護衛をしてやると押しかけては銭を巻き上げる乱波者がいるって訴えが殿のところにもきてる」
「三好の残党か」
「たぶん。半年前の本圀寺合戦で攻め込んできた連中が散り散りになったまま、まだこのへんにいるんだろう」
「集団で乱波働きができてるってことは、命には従えるわけか……だがな。銭で百人雇っても、一朝一夕で命まで賭けてはくれんぞ。こういうのは、時間がかかる。なんかあれば、支度でもらった銭と米だけ握って、逃散ぞ」
「わかってる。だから足軽百人は日之介に指揮してもらいたい。やり方は任せるから」
「はあ? 本気か?」
「殿は日之介を高く評価してる。それがしもだ。お願いだよ」
金造は瞳に力をこめ、ひしと日之介を見つめる。
日之介はため息をついた。
「おまえな。そういうところ、明智殿とそっくりだぞ」
「主従は似るってことか。ちょっと嬉しいな」
「あのな……まあいい。引き受けた」
久兵衛が、男を連れ帰った。顔に大きな傷がある。肋の浮いた体躯だが、元は鍛えた体であったとわかる。
日之介が、金造を守るように一歩前に出た。
男が鼻を鳴らした。
「子供じゃないか。話が違うぞ、久兵衛」
「違わん。ちっこいのが明智殿の勝手方や」
「チッ」
男が舌打ちする。日之介が拳を握る。太い腕に筋が浮かぶ。
金造は墨のついた指で、日之介の前腕をそっと撫でた。
「それがしは秦創金造だ。勝手方を任されておる。我が殿、明智十兵衛光秀の使いできた。足軽百人を雇いたい」
「銭と米は」
金造は懐から帳簿を取り出し、指の感触だけで目当ての箇所を開く。
「義円寺に米を百六俵、預けてある。運び込んだのはそこの久兵衛じゃ。当座の米はここから出す。銭は、ここにおる日之介が見分してから、まずは支度に必要な分を出す」
「そいつが大将か」
「近江田中の内畑日之介だ。見知りおけ」
「河内若江の瀧次郎。足軽のまとめをしておる」
瀧次郎が居ずまいを正した。今は乱波に落魄していても、身についた所作が伸びた背筋から伺えた。
「明日、百人を連れてこよう。明智の屋敷か?」
「義円寺に頼む。あそこなら米もある。すぐに配れる」
「かたじけない。では」
瀧次郎が頭を下げた。久兵衛と話ながら、足早に立ち去る。
金造は矢立から筆を取り出し、付箋に書き留める。
「たき次郎、河内若江、足軽、百、義円寺……」
書いた付箋を金造は帳簿に挟む。あとで清書するのだ。
金造は腕っぷしはさっぱりだが、たいした男だと日之介は改めて感心する。
あれよあれよと足軽百人の手はずを整えてしまった。
日之介は、己を顔の広い、面倒見のよい男だと自負している。それでも、日之介では洛中を二日間駆け回っても、十人集められるかどうか。
金造が即座に百人を集められたのは、米を握っているからだ。普段は人足か、あるいは盗人まがいの仕事をしている足軽はいつも腹を空かせている。空腹時の米は銭より強い。
久兵衛から話を通したのも、米俵を寺に運び込んだことを、すぐ確認できるように考えてのことだろう。瀧次郎が手下に「明智の米が寺に運び込まれたことは、巨椋池の久兵衛に裏をとってある」と説明すれば、足軽どもも「さすがは親分」と納得付くで来てくれる。不安は人を疑心暗鬼という鬼にする。だから自分たちの不安を消してくれる相手に、足軽はついていく。
そこまで考えて、「む」と日之介は眉間にしわを寄せた。
帳簿を懐にしまった金造が日之介を見上げる。
「どうした、日之介?」
「足軽百人の面倒をわしが見るということは、あの瀧次郎も含めてのことか」
「もちろんだよ」
「ありゃ、元は国衆だぞ。立ち居振る舞いが、うちの親父より立派だ」
「うちの殿は、一乗谷にいたころは牢人だったよ。でも今は将軍様奉行衆のひとりだ」
「そりゃそうだが」
「日之介」
金造は、日之介に笑顔をみせる。久兵衛にも、瀧次郎にも見せなかった、年相応の顔だ。
「それがしは、日之介はいずれ国衆より上。一廉の大名になれる器だと思う。だから、瀧次郎の上に立つことを悩まなくても大丈夫だ」
「そうか」
「もちろん、その頃には殿はもっと上だ」
「……そうか」
「さあ、まずは屋敷に戻って殿にご報告をせねば。日之介も一緒にきてくれ」
「ああ」
「どうした、元気がないな。足軽を百人集めたとはいえ、戦場でちゃんと使えるかどうかは、日之介にかかってるのだ。頼むぞ」
「うむ、もちろんだ。ただ、目指すところは遠いと思っただけだ」
駆け出しそうなほどに軽い足取りの金造を、日之介は苦笑しつつ追いかけた。
永禄十二年(西暦1569年)夏のことである。