薬にも毒にも成る子
なんちゃって推理です。
なんちゃって論理もあります。
初めに気づいたのは匂いだった。包丁で指をザックリと切った時に、漂う鉄臭い匂い。それが、何故か開いたままの玄関から入った瞬間、香っていた。
付けっぱなしのテレビの音に導かれて、リビングに入る。
壁に。床に。天井に。カーペットに。カーテンに。テレビに。机に。椅子に。匂いの根源がぶち撒けられていた。
掠れた声が口から漏れた。膝をついた少年は、目を閉じれずにいた。
真ん中に彼女はいた。
部屋の真ん中、匂いの真ん中、血の真ん中。どれだって正解だが、少年には彼女が彼女だという確証が持てない。
彼女はいつも綺麗だった。低い鼻だと嘆いていたが、少年には、彼女にこっそりキスすることに有利だったから大好きだった。
その鼻がわからない。ぐちゃぐちゃになった顔に、パーツというものがない。いくつもの材料が合わさったパエリアみたいだった。
腕と脚だって、そんな方向には曲がらない。腸の色がピンクで、色鮮やかだったとは知りたくもなかった。
「ーー」
掠れて呼んだ名前を否定したい。
もしかしたら、彼女ではないかもしれない。でも、頭が結論を出している。第六感が、少年に告げている。彼女だ。顔が分からないぐらいで、彼女を間違えるなんてないだろう、と。
やがて、少年を呼ぶ声が聞こえた。外で待っていた友人達だろう。ただ本を取りに来ただけなのに、遅いので心配したに違いない。
だが、少年は動けなかった。ドタバタと足音がする。いつの間にか、少年の肩を揺らす友人達が居ても、彼は動けなかった。
「被害者、鶴来 陽奈。年齢、15歳の中学3年生。鶴来家の真横、宮代家で発見される。保護者である兄が仕事だった為、交流ある宮代家に預けられていた模様。死因は外傷性くも膜下出血。検視官、監察医からは、亡くなるまでに、骨折、打撲などの多量の外傷を負っていた可能性が大きいとのこと。死亡推定時刻は、3時間よりも前だと思われる」
「次に、宮代 真子。年齢35歳、化粧品会社勤務の女性。夫とは死別。息子と二人暮らし。発見場所は、宮代家の彼女の自室。死因は首吊りによる自殺。鶴来陽奈よりも後に亡くなったと考えられる。勤務はなく、スーパーで買い物をしているところを監視カメラで確認。彼女が鶴来陽奈を殺害したとは、考えられない」
「次に、亡くなった宮代真子の一人息子。二人の発見者、宮代 律。年齢は15歳。特別士官学校中等部在中。事件の日は、中学の友人たちと職場見学に行っていた。友人から借りた本を忘れた為、帰宅。そこで、二人を発見した模様」
淡々と読み上げられた資料を、湊は穴が開くほど、じっと見つめた。自分を見ている視線が多いことには気づいている。そして、近づいてくる上司にもだ。
「鶴来」
「妹が殺されました。真子さんまで死んだ。捜査から外れる気なんてありません。犯人を見つけ、必ず罪を償わせます」
鶴来湊は怒りの煮詰まった目で、上司である成瀬を見つめた。
昔、彼の顔は、火傷によって凹凸の多いケロイドのような皮膚がある。怖さを感じる顔だが、目は心配そうに湊を見ていた。何かを言いかけた成瀬だが、口をつぐんで肩を叩いた。
「無茶をするなよ」
「分かってます」
「今日は帰れ」
「でもっ」
「宮代律には、祖父母がいない。家はあの有様だ。それにショックも大きいだろう。病院側はもう退院を許している。迎えに行ってやれ」
思い出すのは、母親によく似た優しげな顔立ちと、年齢にそぐわない達観した目つき。それを崩せるのは、妹の陽奈だけだった。
陽奈は昔から活発な性格、というよりも攻撃的な性格だった。親二人が亡くなった時も、10歳上の兄である自分が口を開く前に、二人で暮らすと親戚に言った。当時、湊が16歳、陽奈が6歳である。
口煩く、遺産に唾をかけようとする親戚から離れ、特別士官学校があるこの第1区を選んだ。親が、多くの金を残してくれて良かった。無事、試験を合格し、士官学校に入り、補助金も出たところで出会ったのが、宮代家だ。
二人間で何があったのか。
初めて会った時に、陽奈は、砂を律の顔にぶつけていた。その次は、木の上に律の靴を放置した。優しく話しかけてくる律に対して、凄まじい態度を取り続けていた陽奈だが、気づいた頃には、律を家にまで連れて帰ろうとしていた。
小学校でも、家でも、好きだ好きだと言う陽奈に、律は笑顔で自分もだと返していた。こちら側は、本当にいつの間にって思ってしまう。
「律」
病院のエントランスホールで、ぼーっとした表情で座っている彼の横には、看護が立っていた。気遣わしげに律を見ていた彼女は、湊に気づいた。
「律」
「湊、兄さん」
「帰ろう。ーー、ありがとうございました。手続きは後日で良いですか?」
「大丈夫ですよ。何かあったらすぐに、ご連絡下さい」
助手席に乗せ、車を走らせる。言葉は何もなかった。しかし、何か、何かを言わなければならない。口を開いて閉じてを繰り返す内に、家に着いた。思わず、黄色いテープが貼られた宮代家に目がいく。
「湊兄さん」
手を引っ張ったのは、律だった。彼は湊が握りしめていた鍵を優しく奪うと、鶴来家の玄関まで手を引いた。
暗い暗い玄関。いつもだったら、陽奈が迎えに来てくれた。来てくれない時は、律が遊びに来ていて、二人で料理やゲームをしていた。
記憶はとても輝かしい。なのに、目の前は真っ暗だ。記憶だけが、輝かしい。記憶だけに、陽奈がいる。
「湊兄さん」
「ーーー、ぁ、ぁ、」
上着も鞄も玄関に落ちて、湊も崩れ落ちた。その彼を律は優しく抱きしめていた。
二人はずっと電気もつけずに、記憶を抱きしめ合った。
余った部屋に布団を持ち込んで、律は今日寝ることになった。
「明日、取り調べをしたいんだ。ーーー、断っても良い。学校は、休め」
「ううん、大丈夫。学校は少し休むよ」
当たり前だ。事件から二日しか経ってない。逆にここまでしっかりとしているのは、流石としか言いようがない。
律は、特別士官学校に通っている。ここから、陸空海軍に入れるが、同時に特別機関にも入れる。
湊もこの機関の一員だ。
特別機関は、凶悪な事件。殺人鬼や、大規模な組織、闇社会が色濃く関わった事件を解決する。権限も警察とは比べ物にならない。
「兄さんが、特別機関が関わってるってことは、似たような事件が起きてたの?」
律の目が厳しく湊を見た。
昔から聡明で、飲み込みが早かった。だからこそ、湊を憧れてくれた律を、湊は嬉しく思った。そして、適していると感じていた。
湊の勘は当たっており、中等部で律は常にトップの成績を残している。だからと言って、この件に律を関わらせる気はなかった。
「律、この事件には関わるな。いいな?」
「ーー、うん。おやすみなさい」
湊も今日は早めにベッドに入った。明日も、捜査をする。聞き込みに、現場検証、証拠の見直し、遺体の検証、ーーーー。
早く、早く捕まえないといけない。捕まえて、捕まえて、罪を償わせないと、この怒りは治らない。
湊は、布団を被り直した。
部屋に入る。
ベッドの上に置かれたテディベアを手に取った。欲しいと言ったので、ゲーセンで頑張ってとった景品だ。彼女、陽奈は、よく物を欲しがった。あれが欲しいと言って、こっちを見てきた。とは言っても、直ぐに飽きるのだが。
しかし、律は決して怒らなかった。だって、彼女は絶対に律を捨てやしなかった。欲しい欲しいと言った陽奈は、決して律を飽きたとは言わなかった。
「陽奈。大丈夫だよ」
湊は寝ただろう。それに、この場面を見つかっても大丈夫だ。
「母さんも、大丈夫だから」
テディベアに落ちたソレは、すぐに染み込んでいった。色の変わった毛並に触ると、湿っている。この調子で持っていると、テディベアがまだら模様になってしまうだろう。
それでも、律はテディベアを持ったままだった。
殺した相手の顔を判別出来ないまでに、壊す。それが今回の連続犯のやり方。遺体から見るに、素手で顔を何度も殴打しているのが分かる。
ノーフェイスメーカーと呼ばれ、世間でも話題だ。
すでに、六件。立て続けに起きている。なのに、犯人はまだ捕まらない。よって、特別機関が出ることになった。まさか自分の妹が被害者になるとは、思ってもいなかったが。
魘されていた湊は、朝から律に揺すり起こされた。律が作ってくれたご飯を食べた。
気を遣ってくれる律と共に、特別機関に出勤した。
「それじゃあ、宮代くんの取り調べするから。ゆっくりと話してくれたら良いからね」
「はい」
律は機関に着いて、早々に捜査官に連れられていった。弟同然だと伝えている為、手荒な真似はされないだろう。そもそも、中学生だ。
「何で、宮代真子は自殺したんだ?お兄さん」
「お前に兄さんって呼ばれたくない」
「酷いなぁ。それで?」
横に来て肩を組むのは、同期の和倉だ。パーマのかかったチャラい男であり、女を騙すことが好きな最低な男だ。しかし、能力があるのでチャラになってる。
「真子さんは生真面目な性格だ。それは、同時に責任を感じやすい性格で。時々、失敗するとテンパってることが多かった」
湊の誕生日ケーキを作ってくれた時もあったが、持ってくる最中で転けてしまったことがあった。それでボロボロになったケーキを見て、号泣たりとか、息子と喧嘩をしただけで、家を飛び出したり、と。何事にも真剣な人で、悪くいえば、過剰に反応をし過ぎる人だった。
「預けられていた子供が、殺されていた。自分が居たらと考えてしまったんだろう」
「成る程成る程」
「っうわ」
和倉はうんうんと頷くと、いきなりポケットに手を突っ込んできた。びっくりしたが、怒る前に彼は走って逃げてしまった。
ポケットに違和感を感じて、手を入れるとそこには、クッキーと飴があった。
「和倉、お前」
「どうしたの?そんなに感慨深そうに」
「ーーー、夜明さん」
振り返ると居たのは、夜明という数いる上司の一人だ。背の高いスレンダー体型に、小さな顔が乗っている。短い黒髪に男と勘違いしそうだが、間違えると怒られる。
女ながらに実践での逮捕歴の多さにより、監査長を務めている。
本来なら、機関の中でも忙しい立場の筈だが、何故ここにいるのか。
「事件に何か関係が?」
「ーーーー、ええ。ちょっと、こっちにいらっしゃい」
引き摺られて、入れられたのは資料室。
「ここの監視カメラ、少しだけ奪わせてもらってるから」
彼女はスマホを取り出して、画面を見せてきた。そこに写った文字を見て、湊は顔を硬直する。
犯人は特別機関関係者。テロリストとの繋がりあり。
「というわけだから、よろしくね」
夜明は少し微笑んでから、資料室から出た。湊も戸惑いを顔に出さないように努めて、資料室から出る。
もし、テロリストの敵である特別機関を消すのが犯人の目的だったら?陽奈が死んだのは、湊の妹だったからではないか?
顔の分からなくなった妹を思い出す。思わず、湊は口に手を当てた。
「兄さん?」
「っ、あぁ、律」
「うん、取り調べは終わったよ。大丈夫?」
心配そうに見てくる律の頭を撫でる。そういえば、もう少し身長が欲しいと言っていたか。
「兄さんは、今から仕事何でしょう?ーーー、疲れたのなら、帰った方が」
「いや、そういう訳にはいかない。律は、一人で帰るのはアレだな。誰かに」
「大丈夫だよ。大丈夫。バスぐらい乗ったことあるからね?」
少しムッとした言い方は、昔から変わらない。プライドがない風に見えて、岩のようなプライドがあるのだ。
律は死んでいない。守るべき人間はまだここに居る。
「それじゃあ、兄さん、ご飯作って待ってるから」
「あぁ」
背中を見送って、湊は捜査室に足を向けた。
もし、ノーフェイスメーカーが機関の関係者だとしよう。だとしたら、警察や機関が中々捕まえられない理由にもなる。
特別機関は、監視カメラへのアクセス権限を全員が持つ。それを利用すれば、犯人がカメラに映らないことも納得できる。
しかし、それが事実ならば、
「捕まえられない」
資料をひっくり返す。
テロリストと繋がっていると言われているが、そのような様子はない。
犯人は、テロリストに守ってもらう立場なのか?それとも、奉仕する立場なのか?
「成瀬さん。被害者のご遺族に話聞きに行ってきます」
「鶴来。そうか同じ立場のお前なら、いけるかもしれないな。だが、無理をするなよ」
「成瀬さーん。俺もついて行きまーす」
「ーーー。鶴来、和倉の手綱を握れよ」
「それこそ、無理なことです」
肩に手を回してくる和倉を払い除けつつ、湊は足を踏み出した。まず行くのは、初めの被害者だ。
個人経営の楽器屋。
主人は親子連れを相手にしていた。まだ小さい子供だが、母親にバイオリンを買って欲しいと強請っていた。父親が、不満げな顔の母親をする。母親はそれでもと、子供と睨み合ったが、根負けして、小さな頭に手を置いた。
律の横を家族が通り過ぎて行った。父親が子供を、子供がバイオリンのケースを抱えていた。
「どのような御用件で?」
主人が相変わらずの綺麗な微笑みで、律に問いかけた。律は、主人を一瞥してからピアノに目を戻した。黒ではなく、真っ白なグランドピアノだ。汚れなく、そこにある。
「頼みたいことがある」
きっと、誰かに売られた瞬間から、汚れ始めるのだろう。
「ーーー、ーーー、待ってたよ」
主人は店のドアにかけられていたオープンの札をひっくり返した。
「おかえりなさい」
夜遅くに帰った湊を、律は迎えた。眠いのか、半目になった彼は、欠伸を噛み殺した渋い顔をしている。
「起きてたのか。もう寝ろ」
「うん、寝るよ。ご飯を置いてあるから、温めて食べてね」
「ありがとう。おやすみ」
「おやすみなさい」
冷蔵庫を覗くとオムライスと、スープがあった。電子レンジに入れて、温める。律の料理は、妹の陽奈と同じ味だ。二人とも、律の母、真子さんから習ったものだからだ。教え方が細かいのだと、よく唸っていた。
「ふぁ」
食べてお風呂に入っていると、眠くなってきた。思っていたより疲れていたらしい。今日は一件目と二件目の事件の遺族に会ってきた。
考えていたテロリストの影はなく、収穫はなかった。
まだ、仕事は残ってる。考えなければいけない事も、多い。なのに、とても眠くて眠くて、
気づくと、朝が来ていた。
「首が痛い。机はキツいな」
「机の上で寝てたの?ベッドで寝た方がいいよ。はい、サンドイッチ」
律が差し出したサンドイッチを咥えながら、時計を見るといつもより、遅く起きてしまったようだ。
今日は陽奈の事件の六件目を除く、三、四、五件目全てを回るつもりなのに。
「行ってくる」
「兄さん、ボールペン落ちていた。行ってらっしゃい」
ボールペンを胸ポケットに突っ込み、機関に出社する。そこで、和倉と合流だ。
「おっはー」
「おはよう」
「おはよう。二人とも、早いね」
ギリギリとブリキになったように、音を立てて横を向くと笑う女性。夜明監査長のお出ましときた。この人の笑顔は威圧感がある。
「何の御用ですか?」
「いや、偶然だよ。ーーー、ふふふ、頑張ってね」
「ーーー、貴女も頑張って下さいね、本当に」
「え、何?何?」
「行くぞ」
騒ぐ和倉を引っ張って、車に乗せる。
まず、三件目の九重 良鈴の遺族からだ。湊は車を発進させようとすると、和倉が「ちょっと待て」と声を出した。
「たぶん、三件目からが繋がってるな」
「どういうことだ。勘で言ってたら、怒るぞ」
「いや、俺も仕事してるから!」
車の中でガサゴソと資料が出される。
三件目、四件目、五件目と並べた。
三件目、九重 良鈴
第一区出身、在住。有名な九重家の令嬢だ。まずは行方不明になり、それから発見された。殺された場所は、マンションの一室。彼女が殺されてから、ノーフェイスメーカーは有名になり始めた。
四件目、俵藤 伊助
第三区在住。年齢52歳、職業は清掃員。殺されたのは自宅のアパート。昔は個人経営の会社をしていたが息子に譲り、今は清掃員として働いている。
五件目、海崎 蓮
第一区在住。美術大学一年生。殺されたのは、自宅、マンション一室。親は第二区に暮らしている。
「九重家は、宝生株式会社を営む宝生家とも繋がりが深く、良鈴さんは宝生家の坊ちゃんと婚約をしていた」
「それぐらいは知ってるぞ。だが、宝生家は彼女にしか出てこないワードだ」
「四件目、俵藤伊助。清掃員として死ぬ1週間前に担当していたのが、宝生株式会社の本社だ。資料に書いてある会社が違うのは、その後、移動によって別の会社の清掃員になったからだな。五件目、海崎蓮。コイツの親は、宝生株式会社の株主の一人だ。たしかに、大株主ってわけでもない。でも、偶然か?」
和倉が、資料を軽く弾く。湊はそれらが書き込まれたのを見て、考え込んだ。
そして、一番考えたくなかったことに向き合う。
「もし、もしもだ。宝生家に関係があるとしよう。何で陽奈は殺されたんだ」
「鶴来」
「なんで、陽奈は殺されて、真子さんが死ななきゃいけなかったんだよ。ーーー、俺が、捜査官だからか?」
熱くなる鼻と目を手で無理矢理押さえつけて、湊は和倉に聞いた。震える肩に、和倉が触れるのが分かった。
彼は、チャラいが周りをよく見ていて、酷い奴だが逃げない男だ。湊が逃げ出したい時でさえも、和倉はその足を踏んづけで「逃げるな!」と叫んでいた。
それは、学生の時から、社会人になっても変わらない。
「一件目と二件目に繋がりはなかった。六件目の陽奈ちゃんの事件も関係ないのかもしれない。ーーーー、なぁ、湊、犯人を捕まえるんだろう?この先に必ず犯人はいる。泣いてるだけじゃ無理だぞ」
「っ、ああ、捕まえる。捕まえてやる」
「そうだ。さぁ、まずは遺族。その次に宝生家及び、宝生株式会社だ」
涙を拭い、落ち着いて息を吐く。そして、ハンドルを握りしめた。
遺族に話を聞き終わり、帰るとパジャマ姿の律が出迎えた。
「おかえりなさい。遅かったね」
「律も寝る前か。そんなパジャマ持ってたんだな」
「陽奈の趣味だよ。本当にもう」
可愛い耳付きフードがあるパジャマを着て、律は半目になった。たしかにシンプルを好む彼の趣味ではなく、女の子らしく可愛いのが好きな陽奈が選んだのがよく分かる。
昨日は着てなかったが、彼も彼で気持ちを落ち着かせようとしているのだろうか。
「俺が帰るまで、待たなくても良いからな」
電子レンジで煮物を温め、ご飯を装ってくれる律に言うと、「分かってる」と返された。
「今日は一歩寝る手前だったんだよ。あと5分遅かったら寝てた。聞いてる?」
パジャマのズボンについた尻尾のせいで、会話が入ってこなかった。危ない。てか、陽奈は彼氏になんてパジャマを送っているのか。
「明日はもっと遅くなると思う」
「分かったけど、それじゃあ、よし」
「何だ?」
「別に」
悪戯を思いついた顔の律に嫌な予感がしつつも、湊は煮物に箸をつけた。
今日も早くに寝てしまった。夢も見ずに寝た。
宝生株式会社。
大手の運輸会社だ。
この国は、第一区〜第六区まであり、主な会社と国の機関、娯楽施設などは第一区、第二区に集まっている。第三区、第四区は一般学校や食料品関係の会社。第五区、第六区は工場であり、最も荒れている場所とも言われている。
その全ての区を繋ぐ運輸会社だ。
「で、追い返されたな」
「あぁ、追い返された。どうする?鶴来」
その大きな会社の前で、二人の捜査員はウロチョロしていた。身分証を掲げたのだが、今は忙しいのでとまたの機会にと言われたのだ。
「成瀬さんに捜査許可貰いたいな。どうした、和倉」
「いや、そう思って成瀬さんに電話をかけてるんだが、通話中で出てくれねぇ」
「どうしようかな」
湊はうーんと唸り考える。会社でこうならば、家に行っても跳ね除けられそうだ。確実に待ち伏せして捕まえないと。そこで、資料に載っていた一人の青年を思い出す。
「宝生家の坊ちゃん」
「高校生だな。私立学校に通ってるな。帰りを待ち伏せするか」
「それまでに一応、宝生家にも行ってみよう」
大きな会社の次に、大きな家の前で、二人はまたウロチョロする羽目になったが、予期できた為に心の傷は浅かった。
一件目、明智 陽子
二件目、瓜生 大輔
三件目、九重 良鈴
四件目、俵藤 伊助
五件目、海崎 蓮
六件目、鶴来 陽奈
宝生株式会社 売り上げ
宝生家の家系図
会社の重役の家系図
株主名簿
特別機関 ノーフェイスメーカー捜査班
捜査員の勤務時間、家系図、昇進降格履歴
テロリストの情報
それらの資料の真ん中で、彼は考え続けた。聞こえてくる声を聞きながら、資料に書き足していく。そこから見えてくる犯人だが、顔を知らない。それは、いけないことだ。
ーーーー、会いに行かないと。
特別士官学校も圧倒的な大きさだったが、さすがお金持ちが通う学校、大きい。
「大きい会社、大きい家と来て、大きい学校ね」
和倉がいくつもある教室の一つを覗き込んだ。
学校には身分証を見せると、すんなり入れてくれた。これで、迎えに来た宝生家のボディーガードとも会わずに済む。黒塗りの高級車に乗る前に、話を聞くのだ。
チャイムが鳴り、ゾロゾロと生徒が出てくる。
資料の写真を手に取り、宝生家の坊ちゃんである、宝生 龍樹を探した。
「あ、居たぜ」
「しかも、こっちに気づいたな」
宝生龍樹は意外なことに、逃げもせず、友達と別れて、こっちに来た。彼は緊張した面持ちで、二人の前に立った。
「特別機関の捜査員です。宝生龍樹さんであってますか?」
「あってます。ーーー、来てくれると思ってました」
湊と和倉は思わず顔を見合わせた。
学校の中庭で、三人はベンチに座った。龍樹は学校の外に待つボディーガードに、「今日部活がある。伝え忘れていたんだ。すまない」と電話をかけていた。
それを和倉がおちょくる。
「良いのか?騙して」
「ーーー、本当は良鈴さんが殺された時に話すべきでした」
「話すべきってことは。龍樹さん、貴方は何か知っているのですか?」
「はい。我々、宝生家は今、テロリストに脅されています」
テロリストとの関係は夜明監査長に聞いていた為、湊は驚かなかった。が、和倉は珍しくその目を大きく見開いた。
そして、驚かない湊を見て「知ってやがったな」と舌打ちをした。
「宝生株式会社は運輸会社として、全ての区を周ります。そこで、テロリスト側が有利に立つように立ってもらいたいと」
テロリストたちは、第五区、第六区の改善が大きな目的になっている。初めは講義だけのレジスタンスだったが、第一区に爆発を仕掛け始めたころから、テロリストになった。
それから、運動はさらに激化している。
「立たなければ、目に物を見せると言っていて。最初は、父さんもお爺様も相手にはしてなかったのですが。ノーフェイスメーカーが僕の婚約者を殺しました」
龍樹はギュッとズボンを握った。
書かなければと手帳を開いたが、ボールペンを取り出した。新しいボールペンにしていたのか、インクの出がいい。
「関係ない、と思ってました。でも、次に俵藤伊助さんが亡くなりました」
「清掃員として、働いてたんだよな?」
「はい。亡くなる1週間前まで、働いていて、父との交流があったようで、父は彼のことをよく覚えていました。それでテレビに殺されたと写り、父はひどく驚いていました」
ノーフェイスメーカーはテロリストとの繋がりがある。そして、テロリストのために動いていることがわかった。
「海崎蓮さんは、株主の息子ですね」
「はい。か、彼は殺される直前に電話をかけました。宝生家に」
「電話を!?」
聞いてもいなかった情報に驚いた。
「蓮さんは何と」
「何かを読まされている感じで。途切れ途切れで、『自分が死ぬのはお前らのせい。これ以上粘るなら、宝生家の身内を殺す』と」
龍樹は唇を強く噛み締めた。
「父さんとお爺様は、テロリストの要求を飲もうと言っています」
宝生家は、ノーフェイスメーカーに、テロリストに屈したのだ。
和倉はスマホを取り出すと電話を掛け始めた。湊は龍樹の震える肩を押さえて、しっかりと声が届くように言った。
「ありがとう。本当にありがとう。これから宝生家には、警護をつける。親に怒られたら、俺たちのせいだと言え。必ず、この事件は解決する」
「はい、はい。お願いします」
「湊」
静かに和倉が話しかけた。不気味なほどに落ち着いた声に、湊は眉を顰めて振り返った。
テロリストの家系図
テロリストの起こした事件、その被害者、行方不明者
材料は揃った。でも、邪魔なのがいる。
犯人は殺さなくては。殺さないと、捕まえるなんて駄目だ。殺してこそ意味がある。それも、同じ殺し方を。
その為の時間を作らないと。
やはり、邪魔だな捜査官。
法定速度を無視して車を走らせる。その後ろには、宝生龍樹も乗っている。
ボディーガードの方々は物凄く怒っていたが、逆に「うるさいっ!」と龍樹に怒鳴られていた。そして、龍樹を特別機関にまで送ることができた。
だが、二人にはそれどころではない。
直属である成瀬と、目が合った。
「成瀬さん!」
「おう。そちらは?」
「夜明さん!こっちこっち!」
和倉が宝生龍樹を夜明監査長に渡す。特別機関を信頼できない中で、初めに教えてくれた夜明なら信頼できる。龍樹には、自分たちに話してくれたように、話せばいいと教えてある。これで、宝生家関連の警護は、夜明とその部下に任された。
龍樹を見て、怪訝な顔をした成瀬だが、
「夜明に何か任されてたのか。大変だな、お前ら」
と納得した様子だった。夜明は優秀だが、同時に問題児扱いもされているからだ。気を取り直して、捜査室に入り、鍵を閉めた。この部屋には三人だけだ。
「電話で話したが、大政の行方が昨日から途絶えてる。夜に帰って来なかったと奥さんからも連絡があった。何か知ってるか?」
大政は、湊と和倉の先輩にあたり、ノーフェイスメーカーの捜査員の一人でもある。
特別機関の関係者が犯人と思しき事態に、姿を消すなんて、まるで彼が犯人みたいだ。それとも、ノーフェイスメーカーに命を狙われたか。
「ノーフェイスメーカーは、機関の関係者だろうな」
成瀬はぽつりと呟いた。
湊が目を開いて彼を見ると、彼は白髪混じりの頭をかいて、ケロイドの皮膚を歪ませ、疲れたように笑った。
「こうも監視カメラに引っかからないと、気づくさ。お前らも、何か知ってることあるなら話せ。私も話す」
二人は資料を出して、ノーフェイスメーカーとテロリストの関連、宝生家に対する脅しを話した。それを見て、成瀬は余り驚いてはいなかった。この人は宝生家にたどり着いていたのか。
話終わった後、成瀬はチラリと大政の席を見つめた。
「大政は最近、心ここに在らずだった。あいつは、ほら、真面目だろう。この職にも誇りを持ってる。なのに変だと思ってな。だが、あいつが犯人なのかは分からない。なんせ、大政の旧姓は宝生だからな」
「旧姓が宝生!?」
つまり、犯人ではなかったとしたら、これは宝生家に対する脅しの一つ。大政は紛れもなく殺される。
「大政先輩を助けないと!」
「だがな、先のお前らの話を聞いて、少し思った。犯人どもは、宝生家に近い人間が一人いるんじゃないか?その龍樹くんの父親と偶然仲を持った俵藤伊助のことは、見たか聞いたかしないと知り得ない人間だ」
俵藤伊助と、龍樹の父親が会ったのは会社。父親が俵藤について話したとしても、家。龍樹は家で俵藤の話を聞いたのだろう。
宝生家に近い人間、会社か家に出入りできる。さらには、特別機関の関係者であること。
「ノーフェイスメーカーが二人いたら、役割分担できるけどな」
和倉が呟いた言葉に、思わず苦虫を潰した表情になる。
外はもう暗くなってきている。窓ガラスに映った顔は、疲れていたが闘志に燃えてた。
「まずは、大政先輩を見つけることですね。見つけないと話にならない」
「そうだな。犯人だとしても、犯人じゃないとしても、大政を見つけなければ」
「はっはー、今日は帰れないな⭐︎」
その言葉に、律へのメールをしとこうと思った。「帰れない」と送ると、すぐに返信が来た。「見た?」と。意味が分からず首を捻っていると、成瀬に肩を叩かれた。
「すまん。言い忘れてた。宮代律くんが昼過ぎにお弁当を届けに来てくれてな。私が受け取った。それにしても良い子だな」
「え?え!?」
成瀬が指差すのは、湊の机だ。そこに、水筒と風呂敷が置いてあった。風呂敷を開き、平たい弁当箱を開いてみると、ラップに包まれたおにぎりがあった。とてもカラフルでラップには、鮭、梅、明太子など書かれている。
ついていたメモには、「食べやすい方がいいかなと思った」と書かれていて、思わず微笑む。
覗き込んできた和倉も、羨ましそうに声を漏らす。
「めっちゃ、良い子じゃん。一つくれよ」
「駄目だ」
「ご飯の前に、大政を探している奴らと合流するぞ」
お弁当箱を閉じて、湊は成瀬の背中を追った。
後ろ手に縛られた手が痛い。頑丈に括られているから、自力で解くことは無理そうだ。親指の関節を外すことも考えたがその前に、ガムテープで上から固定された。
目隠しもされ、場所もわからず、時間間隔も狂ってきた。その頃に足音は戻ってきた。それも二人分だ。
「大政 弘樹だ。重たかったんだよ?分かる、君」
成人男性、それも若くはない声だ。落ち着いていて聞き取りやすい。もう一人は何も答えなかった。
「はい、これ。削除された分も復元した」
削除?復元?
「おや、電話を掛けるのかい?」
「好きにさせて」
「分かった分かった。ただ、私の役目は君を死なせないことだから」
もう一人は、若い男だ。しかも、何処かで聞いたような気がした。身近にある声ではない、どこでだっただろうか。
プルプル、プルプルと電話の音が聞こえた。
先程のは、スマホの話をしていたのだと分かった。削除、復元。思い当たるのは、メール。メールで削除されたものを復元したのだ。
つまり、あれも見たのか!?
「あなた!今どこにいるの!!?」
妻の声が聞こえた思わず唸ったが、腹に蹴りを入れられる。痛みに悶絶する中で、すぐに電話を切る音がした。
「乱暴は駄目」
本当にこの若い声はどこで。
疑問が頭を苛む中で、顔にヒンヤリとした手が触れた。目隠しがズラされる。
目隠しをされていたからか、暗闇に慣れていた目はすぐにその顔を写した。
その顔は
「大政の奥さんから電話が、かかってきたそうです。でも、すぐに切られて」
捜査官の一人が泣く女を慰めている。すぐに、ということは逆探知も間に合わなかったのだろう。成瀬は強く舌打ちをした。
大政の昨日は早くに帰ったようだ。しかし、家には帰宅出来ずに、そこから姿がない。最後に確認されたのは、特別機関入り口の監視カメラだ。
その後は動向は掴めず、彼の住む第1区のマンションの監視カメラにも写ってない。バスに乗ったかさえも分からず、ノーフェイスメーカーが写ってないのと同じ気がする。
捜査官に支給された方のスマホが震えた。
湊は、スマホの画面を見ると、思わず大声で言った。
「大政先輩です!!」
「何だと!?」
大政からのメールが届いたのだ。そこには、マンションの名前と407号室、書かれていた。そして、鶴来湊が来るようにと。
「ご指名だな。行くか?」
「成瀬さんは」
その時、着信音が聞こえる。成瀬は素早く、スマホを取り出した。
「成瀬さんにもメールが」
「や、違う相手だ。ーーー、部隊を持っていけ。指示はお前ら二人、鶴来と和倉に任せる!」
「「はっ!!」」
二人は部隊を引き連れて動き出した。
書かれたマンションは第一区の端にあるマンションだ。作られたばかりだが、第一区にあるマンションは総じて高いため、入居者は埋まりきってはいない。307号室も、その一つで誰も住んでいないらしい。
管理人に話をして、マンションに住む人たちをゆっくりと外に出るように指示していく。
307号室はカーテンが締め切られた上に、
「ダンボールで、覆われてるな」
湊と和倉は防弾チョッキを着込む。そして、銃を構えると、マンションの中に踏み込んでいった。
非常階段を選び、登っていく。
声もしない、足音も消したマンションの中でやっと、307号室にたどり着いた。
3.2.1.
蹴破ったドアに発光グレネードを投げ込む。少し経ったのちに、警戒しながら、部屋に入った。
「大政先輩!」
椅子に括り付けられ、猿轡を咬まされた口、目を覆われた大政がいた。その他は誰もいない。
監視カメラを調べるように言って湊は、大政の口と目を開放する。大政は気を失っておらず、湊を見ると大きく目を開いた。
「もう大丈夫です、先輩」
口を開いたままの大政に、和倉が手足の紐を解いた。すると、その瞬間、大政は見る見るうちに青ざめていった。
「すまない」
「先輩、事情は聞きますから。まずは機関に帰らないと」
「すまない。すまない、鶴来。何もかも、僕のせいだ。僕が、僕が」
膝をついて、頭を下げ、土下座の姿勢を取った大政が、湊は分からない。拘束されていたと言うことは、ノーフェイスメーカーではないのだろう。
殺されてなくて、よかった訳だし、ーーー、
「殺されてない、?そもそも」
「ーーーー、鶴来?」
「大政先輩、誰が貴方を拉致したのですか?」
何もかもに置いて行かれている気がした。
その家に貼られた黄色のテープを潜る。ドアは開いており、男は二度目の侵入をその家に果たした。
懐かしさを感じるリビングに入る。血はない。それは良いことだ。あの描き方は、下手の極まりだった。
コツと黒い筒を頭に押し当てられた。
「子供が起きてる時間じゃないな。そして、子供が持つものでもない」
男は顔をゆっくりとそっちに向けた。
「お前だったのか」
「あぁ、俺だよ。驚いた?」
「驚いた、本当に驚いたぞ」
舌を湿らせて、柔らかな顔立ちと達観した瞳でこちらを見る男の子の名前を呼んだ。
「宮代 律」
律は、銃を片手で構えるとリビングのドアを閉めた。そして、男にリビングの中心に行くように、銃で合図した。
「聞いてもいいか?どうやって、私だと思った」
「ーーー。表社会はもちろん、裏社会にも詳しい知り合いがいてね。ソイツから色々と情報は仕入れた」
まずは、被害者たちの情報。
「湊兄さんたちは、六件の違いを宝生家との関わりで分かったようだけど。あれは現場、被害者を見て分かる。一件目、二件目はあんなに手の込んだ殺し方なのに、三〜六件目は杜撰だ。つまり、一件目、二件目は、やりたかったんだ。三〜六件目は命令を受けて、しょうがなく動いた」
湊たちは、三〜六件目に注目して動いたが、律は違った。一とニ件目。ノーフェイスメーカーが殺したいと思った二人について調べた。
この二グループの差は、怪我の範囲。
顔をボコボコにされているが、一件目と二件目は顔にしか怪我はない。さらに、部屋に撒き散らされた血も、途切れがなかった。まるで殺害現場の部屋をアートに仕立てたようだった。
他は、血の飛び散り方も規則性がなく、腕や足が折れたりと言わば、集中力がない。
だから、一件目と二件目は犯人に密接していると考えた。ならば、その人たちの遺族の話を聞きたかった。それについては、
「兄さんたちが調べてくれるからね。聞けば良いだけだし」
「鶴来が教えてくれるとは思わないが」
「ああ、ボールペンに盗聴器仕込んでるから、全部筒抜け」
夜ご飯に軽く睡眠薬を仕込んでいるため、兄の持つ手帳も簡単に見ることが出来た。朝に忘れているとボールペンを渡すだけでいい。
「もうすぐ、大政さんを見つけるかな」
盗聴器から聞こえる声に耳を傾けながら、銃は揺らさない。
明智陽子、瓜生大輔。二人とも、整形手術を過去に受けていた。そして、テロリストの事件に巻き込まれた彼らは、顔に傷を負ったのだ。
次に宝生家についてだ。
「陽奈と宝生家の繋がりがあまり出なくて。だから、兄さんの職場の人たちについて調べた。するとびっくり、宝生家の身内の男が出てきた」
「それで、拉致したと?手が早いな」
「拉致したのは、兄さんたちを引き離す餌にするため。まさか、ノーフェイスメーカーがこんなヘマをしてるなんて、知らなかったよ」
大政のスマホは二つある。それは、捜査員なら誰でものこと。その内の一つ、支給されたスマホの方を、律は男に向けた。
「送り主は分からなくなってるけど。支給された方でやる?普通、個人のスマホでしょう。慌ててたのか?」
「ああ、そうだな。慌ててたさ、あまりにも彼らが頑固でな。テロリストの一人が宝生家に忍び込んでいたが、ソイツにさっさとしろと脅されたんだ。自分は早々に、宝生家から撤退してるくせに。酷い話だ」
大政に脅しのメールを送りつけ、その後に後輩の妹である鶴来陽奈を殺害したのだ。
「それで、その送り主に返信する形で、私を脅したのか」
律は、大政が恐怖して消してしまったメールを復元して、男に返信した。
ーーーー、証拠は持ってるぞと。
ご丁寧に男の名前もつけて、送ってやったのだ。来ないなら、衆目の面前で殺すのもアリだと思った。
「どうやって、私だと?」
「それは、勤務時間とか、テロリスト共の詳細とかだよ。絶妙にズラしている上に、監視カメラの映像はないけど、足跡は消える訳じゃない。それと、宝生株式会社に兄さんたちが行った時、お前は電話に出れなかった」
「お兄さんに盗聴器つけるなんて、な。良い子だと思っていたが、悪い子だったとは」
「宝生家に捜査官が近づいたことについて、上にお叱りでも受けたんだろ。兄さんが会社に行った時に、テロリストも気づいたんだ」
悪い子はお前じゃないかと、律は相手をせせ笑った。男も歪に頬を歪めた。今この状況が楽しくて仕方ないと。
「それで、電話に出れなかった私が犯人だと」
「それもあるけど遅れて、やっとテロリストの関係者の情報が流れてきてな。それで確定だ」
律は銃の安全装置を外してるのを目で確認した。
楽器屋の主人からもらった銃だ。誤差はないはず。さらに、主人からもらった資料を思い出す。莫大な数のテロ事件の被害者一覧を。
「お前は、かつて小さい時にテロリストによる爆破事件によって、顔に大きい火傷を負った。今でも分かるな。命も危うい大怪我だったが、お前は助かったんだ。誰のおかげか?テロリストだ。お前はテロリストに助けられたんだ」
テロリストによって負った傷を、テロリストによって治された。そこから男はテロリストから離れられなくなった。
男は、凹凸の多い顔を撫でた。
「明智陽子、瓜生大輔もテロリストの爆破事件で、顔に怪我を負った。だが二人とも、警察にちゃんと保護された。憎いのか?自分と同じ目にあったくせに、自分と同じにならなかったやつが」
律は男の顔をじっと見つめた。男はテロリストの元から帰ってこれた。現に特別機関にまで入ることが出来たのだ。しかし、帰ってこれたのは肉体だけ。心は、テロリストの元にあった。
「違う?」
怪我で変わってしまった顔と、同じように心も変わってしまった。
「成瀬 綾斗」
大きな拍手の音がリビングに響いた。成瀬は称賛するように、律に笑いかけた。
「素晴らしい。兄より早く、さらには兄まで利用して、私に辿りつきたかったのか」
「腕の良い情報屋のおかげだよ。大政さんもね。囮役とメールの証拠でお前を釣れたし」
「お弁当を持ってきたのは、私の顔を見るため、か」
「うん」
再び拍手した成瀬は楽しげに笑っていた。腹を抱えて笑っていた。そんな彼を冷めた目で、律は見ていた。その銃口は、しっかりと敵の頭を狙っていた。
「なぜ、兄より先に会いたかったんだ?」
「湊兄さんは優しい。それにやってはいけないことってのが、しっかり頭に入ってる。たぶん腹の中に居た頃から知ってたんだよ。俺とは違う。俺は捕まえるなんて、しない。絶対、してやらない」
「成る程、成る程。つまり、お前は私を殺したいのか」
ポケットから鈍い光を放つ鉄が出された。メリケンサックだ。それを手に嵌めて、成瀬は、ボクシングの構えを取り、距離を詰めた。
それを見ても、律は顔色を変えない。それに不機嫌そうに、成瀬は溜息をついた。
「怯えろよ。他の六人は怯えてくれたぞ」
「銃が見えない?」
「撃つのは、初めてのはずだ。肩に当たりはするだろうが、こっちが勝つ」
「あっそ」
その答えが合図だった。
踏み込む成瀬の剛腕が、律に襲いかかった。顔をぐちゃぐちゃに崩壊させる威力を持ったパンチが、迫り、
つまり、実家の宝生家に対する脅しが、婿に出た大政の方にも来た。その内容は、要求を呑まないと仲間の身内を殺す等のもの。そして、鶴来湊の妹である、鶴来陽奈は殺された。
心を防衛するためか、湧き上がる衝動を抑えるためか、湊は座ったまま、頭を抱え込んだ。
それを見て、和倉は堪らず声を上げた。
「湊が、湊の妹が殺されたのは、お前のせいかよ!!お前が、お前が脅された時に、なんで!そのメールのことを言わなかったんだよ!!」
「言えるわけないじゃないか。機関用のスマホに来たってことは、こっちに敵がいるってこと。誰に相談すれば良かったんだよ」
情けなく泣いている大政を和倉が掴み上げてるが、湊には止める気力がなかった。
そこに光が刺すように、一人を思い出す。
「律」
律が、大政を、拉致した。
律が先に犯人に気づいた。きっと、犯人が誰なのかも分かっている。
「宮代律のことは本当なのか!?お前の見間違いってことは!」
「ない。それはない。丁寧に自己紹介までされたよ」
彼女を亡くし、母を亡くし、それでも気丈に振る舞っていたと思っていた。違うのか?それが違って、怒りを殺意を抱えて、暮らしていたのか。律は、犯人を殺したいのか。
「っ!!だめだ。それは、駄目だ」
「湊っ!」
「律を人殺しにはさせない!!」
走り出した湊は、マンションの一階まで降りると、車に乗り込んだ。すると、当たり前ように和倉が乗り込んできた。
「お前は残れ」と言おうとしたが、彼の指は湊に伸びた。
「ちょっと、気になってたんだよ」
湊のボールペンを取った。そして、ボールペンを分解し始めた。車を出せと指で合図されるので、車を出す。開きかけた口は、和倉に睨まれ閉じた。
「静かに」
出てきた盗聴器に、逆探知を仕掛ける。盗聴器がバレたことに気づいてないのか、途切れることはなく、宮代家にいることがわかった。
ボールペン全部を上着で包み、後ろの座席に放り投げた和倉は苦笑いを浮かべた。
「特別士官学校中等部、一位の実力って訳か?」
「盗聴器については誰にも言うな。ーーー、ああ、くそっ、もしかして」
「まだ、あるのか?」
「毎晩、夕飯の後、すぐ眠たくなったんだよ」
「盗聴器ときて、睡眠薬か。凄いな。薬にも薬にも成りそうな子だ」
薬にも毒にも成りそうな子。
その表現を不思議と懐かしく思った。誰かが昔、律に向かって言っていた。そして、それについて湊にも話されたのだ。
宮代真子だ。
彼女は攻撃的で気分屋の陽奈をひどく叱ることはなかった。だが、律には厳しく躾をしていた。
「駄目なことは、駄目なの!!!」願うように怒鳴っていた母に対して、律はしっかりと聞いてるけど、よく分からないという顔をしていた。
「駄目なことでも、したから出来ることがある」と言っていた気がする。それは恐ろしい結果論だ。
『陽奈ちゃん、お願い。律と一緒に居てあげて。なんでも出来ちゃう子なの。本当に、なんでも。でも、陽奈ちゃんが嫌だと言ったことは、きっとしない。律は陽奈ちゃんのことが大好きだから。分かるの。陽奈ちゃんの側にいたら、律は大丈夫だわ』
その陽奈が死んだ。
陽奈という指針を失った律は何処に行くのか。
『湊くん、お願いね。律を叱ってあげて。あの子は見た目と雰囲気を裏切って、過激なところがあるの。私が過剰な反応して、周りから同情を買うのが好きなようにね。私が叱って、まだ聞いてくれるけど。あの子はいつまでも私の側にいるわけじゃない。だから、湊くん叱ってあげて。貴方の声はきっと届くわ』
テープが貼られた宮代家についた。そこには、車が一台止まっている。
「この車、成瀬さんのか!?」
疑問に固まる前に、湊は宮代家に駆け出した。玄関を通り抜け、リビングを一直線に目指し、そして、
「なんだ、存外早かったね」
真っ赤に染まった手から、メリケンサックが滑り落ちた。その足元には、律の手と同じように赤く染まった顔の成瀬がいる。その額は、銃で撃ち抜かれていた。
「律」
「湊兄さん、いや、湊さんにしようか。貴方とは金輪際会うことはないだろうし」
「律!!!」
怒鳴ると律の身体が、大きく揺れた。驚いたように目を丸くする彼に近づく。
パシュっと小さな音が聞こえた。鋭い痛みに頬を触ると、血が付着した。撃たれたのだ。
「君、早くしてくれ。ああ、鶴来湊、お連れの和倉隆は気絶してる。後で連れ帰ってやれ」
「やめろ。撃つな。外で待ってろって言っただろう」
険しい顔をして発した律の声に、構わず一歩踏み出す。そして、大きく腕を振りかぶり、
「、っ!忘れたの兄さん。僕は実技でも一位だけど?」
「お前に、格闘技を教え込んだのは俺だ。成瀬には勝てたようだが、俺には勝てないぞ」
腕で防いだ律を、逆に腕を掴み、腹を蹴り上げる。腕を捩じり上げたまま、振り返った時に、銃を構えた中年の男が見えた。
その男に、銃を向ける。
「下ろせ」
「君。いいや、律くん。私は承った仕事を完遂させたいんだが」
「撃つな!絶対に撃つな!」
「熱々のお風呂があるみたいに言わないでくれよ。君のために結構動いたせいで、情報屋業は終わりだ。君には出世してもらわないと」
私は君の片腕になるんだから。
素早く、男は銃を下に向け、引き金を引いた。それは湊が反応できないスピードで、しかも、威嚇射撃だと思ったものだった。
湊の足だけを貫いた弾丸により、湊は崩れる。その間に律が湊から離れた。
「っぅ〜!り、つ!律!待て!!」
倒れながらも、銃を律に向ける。それを見て、律は少しだけ笑った。
「さようなら」
引き金は、引けなかった。
成瀬 綾斗は死亡していたが、ノーフェイスメーカーとして逮捕された。宝生家に潜んでいたテロリストは、まだ追ってる最中だ。
人が少ないノーフェイスメーカーの捜査室で湊は、窓から外を見ていた。
成瀬は、頭と、あの時は分からなかったが胸を撃たれていた。さらに打撲により顔はひどく崩壊していた。律の格闘術は、中等部の領域ではない。小さい頃から、湊と何度も組み手をしてきたのだ。
「足は大丈夫?」
足は痛いし、歩きにくいが、何と見事血管は避けていたのだ。あの律の協力者、恐ろしい腕の持ち主としか言いようがない。
「夜明さん。成瀬さんのこと、知ってたんですか?」
「いいや。宮代律の作った資料を読んだよ。よく出来てるし、よく調べてる。欲しい戦力だったな」
あれから、鶴来家で使っていた律の部屋から、分厚い資料が見つかった。何処から手に入れたかは分からない資料には、成瀬綾斗のことや、一件目二件目についてがあった。
律は捕まってない。捜査員が追いかけているが、もうあれから1週間だ。
「薬にも毒にも成りそうな子と、宮代律を例えてたな」
「彼の母親の表現ですよ。ーーー、何ですか」
「欲しいなと思っただけだ」
取り調べで言った言葉を復唱した夜明を、遠慮なく湊は睨みつけた。
「律、ーーー、弟に変なことをしないで下さい」
「欲しいものは手に入れる主義だ。監査はイライラ、イライラする所だからな」
「嫌な所ですね」
「嫌な所にお前は来るんだぞ?」
「ーーー、は?」
それは、つまり監査に移動するということで、つまり夜明の部下になるということだ。
監査という上級役職につけて嬉しいのか、夜明の部下という絶妙な位置に悲しんだ方がいいのか。
「和倉もだ。嫌がっていたが、拒否権はないからね。鶴来も嫌がっておけよ。嫌がるのは自由だ」
「無駄な嫌がりを見て、笑いたいだけでしょう」
「よく分かったな!お前、監査に向いてるぞ」
ため息を吐いて、空を見る。
この空の下の見える所に、律がいて欲しい。頼むから闇に、裏社会に行かないで欲しい。
毒にならないで欲しい。
今回の件は、完璧に湊に非がある。
守るべき者に、気づいてあげられなかった。思えば涙さえも見ていない。自分の涙は、あれ程見たというのに。
「絶対に捕まえるからな」
空の下、特別機関の中で、鶴来湊は小さく誓った。
なんちゃってだらけでしたが、読んでくださり、ありがとうございます。
もう少し続けるつもりでしたが、限界でやめた作品です。
感想、評価、よろしくお願いします。