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第4話「書類整理」後編

「だっ、だだだだ誰だっ!」


 思わず机を大柄な体で隠すようにして振り返ると、扉にはデッキブラシを持ったクラウス士官候補生が驚いたように目を見開いて立っていた。


「マスター、何大きな声を出して……」

「わわわっ! クラウス、お前か」


 シルフィードは咄嗟にクラウスのシャツの襟元を掴んで、副長室の中に引っ張り込んだ。


「なっ、何するんですかっ!」


 シルフィードの行動に驚いたクラウスが叫ぶ。

 シルフィードはクラウスの口に手を当てて小声で言った。


「黙れって! 副長が来たらどうするんだ」

「モガモガモガ(副長が、来たらって)……?」

「これを見ろよ、クラウス」


 シルフィードはクラウスの口を塞いだまま、ジャーヴィスの机の引き出し一杯に入っている手紙の束を見せた。


「うわ、何これ」


 クラウスはちらりと手紙を見て、それからシルフィードを意味ありげに見た。


「手紙?」


 シルフィードはうなずいて、ようやくクラウスの口から手を離した。


「副長の恋人からの手紙だぜ」

「え……」


 クラウスが大きな目を更に見開かせて手紙の束を凝視した。


「すごい。一体何通あるんだろう?」


 クラウスは一番上の封書を手に取った。


「おい。中を見るなんて野暮な事はやめろ」


 シルフィードはちらりと後方の扉に視線を向けた。

 いつジャーヴィスが部屋に戻ってくるかわかったもんじゃない。


「えっ、でもマスター、この手紙変です」

「……変?」


 クラウスの疑問に満ちた声にシルフィードは顔を元に戻した。

 クラウスは封書を手にしてぱたぱたと振った。


「これ、《《開封されていません》》。封蝋もついたままです。ジャーヴィス副長、まだ手紙を読んでないのかな」


 クラウスは封書を机の上に置き、引き出しからまた一通取り出した。


「……あれ? 《《これも》》開いてませんよ?」


 シルフィードの胸中は穏やかではなかった。


「ならいいじゃねえか。クラウス、手紙をさっさとしまって部屋から出ようぜ」


 だがクラウスは引き出しの中の手紙をすべて机の上に広げてしまっていた。


「やっぱり! この手紙、全部《《未開封》》です! おかしいですよ。ひょっとして不幸の手紙か何かかな?」

「不幸の手紙?」


 クラウスは手早く机の上の封書をまとめた。


「だって、ジャーヴィス副長って、厳しい所があるじゃないですか。すごい人だと思うけど、ひょっとしたら、誰かに恨みを買ってるのかも……」

「……」


 クラウスは俯いて床の一点を凝視していた。

 唇をきゅっと結び、軽く握られた両手の拳は小さく震えている。


「クラウス」


 シルフィードは黙りこくった士官候補生の金髪頭を手でこづいた。


「痛い」

「クラウス。お前の気持ちはわかるが、副長はお前だけに厳しいんじゃない。俺なんか、お前の数十倍いじめられてるぞ」

「えっ。そ、それじゃ、この手紙はマスターが……」


 シルフィードはぐりぐりとクラウスの頭を拳で押し付けた。


「馬鹿野郎~! 俺がこんな陰気な嫌がらせをするわけないだろう! 何かあったら相手が副長だろうが艦長だろうが、俺はしかるべき場に出て訴えてやるんだから」

「じゃ、じゃあ……これは一体誰が……」

「おい。人の部屋で何をしている」


 クラウスとシルフィードが互いを見合ったまま体を硬直させた。

 衝撃のあまり息すらも止めた。


「副長室の掃除は結構だが、そこまで細かくしろとは言ってないぞ」


 冷ややかなジャーヴィスの声を聞きながら、シルフィードは何でもっと早くこの部屋から出なかったんだろうかと後悔した。


「ジャーヴィス副長。僕ら、決して手紙を見ようと思ったわけじゃないんです!」


 声を出したのはクラウスだった。

 厳しいジャーヴィスの指導が苦手で、できることならすぐさまこの場から逃げ出したいだろうに、候補生は懸命に顔を上げてジャーヴィスに訴えていた。


「ほう。では何故引き出しが開いている? 手紙を見るつもりがなければ、それを開ける必要もないはずだが」


 ジャーヴィスは淡々とした口調で言った。

 怒っているのかどうかは傍目ではわからなかった。ただ、真っ青な鋭い瞳だけが研がれた剣のように光っていた。


「それは俺が開けたんです。というか、開いていたから閉めようと思ったんです。その時に手紙が引き出しからはみだしていたので……それで……」


 シルフィードはクラウスの肩に手を置き、ジャーヴィスに状況を説明した。


「……そうか。じゃ、ここはもういい。他の部屋の掃除をしてくれ」


 ジャーヴィスは小さく溜息をついて扉の脇に立った。


「あ、あの。副長」


 ジャーヴィスは目を閉じて首を振った。


「行け」

「は、はい!」


 シルフィードはクラウスの肩を押すようにして、狭い副長室から外に出た。

 ジャーヴィスは把手に手をかけて扉を閉めようとしたが、不意に顔を上げてシルフィードを呼び止めた。


「シルフィード」

「な、ななな、なんですかい!?」


 シルフィードは今度こそジャーヴィスに怒られると思って、こわごわ後ろを振り返った。何時の間にか額に浮いた汗が、つつーっと頬を伝って顎に流れ落ちる。


「……お前は手紙を書くのが得意か?」

「ええっ?」


 ジャーヴィスはばつが悪そうに口元をゆがめ、未開封の手紙が詰められた引き出しを眺めていた。


「私は、苦手なんだ。なんと書けばいいのか、うまく言葉にできなくて」

「……」


 シルフィードはジャーヴィスに訊ねられた事に返事をする事も忘れ、ぽかんとその顔を凝視していた。


 ジャーヴィスが白い手袋をはめたそれを封書へのばす。

 その横顔はシルフィードがジャーヴィスと共にロワールハイネス号に乗って以来、初めてみる優し気な表情だった。


 ひょっとしたら。

 シルフィードはジャーヴィスの物思いに耽る横顔を眺めながら、あれは本当に恋文じゃないだろうかと考えた。


 クラウスが言っていた不幸の手紙の類いとやらなら、ジャーヴィスの性分からいって早々に処分しているはずだ。


 シルフィードはにやりと唇に笑みを浮かべた。

 まったく、《《まぎらわしい》》。


「ジャーヴィス副長。恋文ってやつは、思った事をそのまま書いちまえばいいんですよ。自分の思いを一直線に、どかんと! 変に飾った言葉よりよっぽど相手に気持ちが伝わりますぜ!」

「……何?」


 ジャーヴィスが手紙を持ったまま表情を凍り付かせた。

 なんて事を言い出すんだ。お前は。

 そういいたげにジャーヴィスの眼光は鋭さを増した。


「恋文? はっ、一体お前は何を言っている! この手紙は私の妹からだ」

「……い、妹……?」


 ジャーヴィスは手紙の束を再び引き出しの中に押し込んだ。


「王都にいる妹が手紙をくれるのだが、さっきも言った通り、私は手紙を書くのが苦手だ。だからこれまで一度も返事を書いたことがない」

「えっ」


 ジャーヴィスは目の上にはらりと垂れた茶色の髪を振り払った。


「手紙は二、三ヵ月ごとに一通だったが、四年前から一ヵ月に一通となり、去年から二週間に一通となった」


 シルフィードはまじまじとジャーヴィスの顔を凝視した。


「それって、返事を出さないから、妹さんがあなたのことを心配しているんじゃあ……」


 ジャーヴィスは困ったように顔を上げた。


「その必要はない。私は至って元気だ。私の身に何かが起きれば、海軍省が実家へ連絡してくれる。だからそもそも私に手紙など送ってくる必要がないのだ。そう思うだろう? シルフィード?」

「……」


 シルフィードは唇をひきつらせ、ジャーヴィスに背中を向けた。


「あ、おい。何処へ行く」

「いや、それは俺の問題じゃないですから。さっさと掃除に行ってきます」

「シルフィード、おい。待てよ……!」


 シルフィードはデッキブラシの柄を肩に担ぎ、水の入った桶を手に持った。

 クラウスはとっくの昔にこの場から逃げ去っている。


 要領のいい子供だ。

 俺も見習わなくては。


 シルフィードは口笛を吹きつつ、ジャーヴィスがやってこない場所へ移動した。


「失礼します。掃除したいのでお邪魔していいですか? グラヴェール艦長」



  ―完―

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