第10話 (SS) 艦長命令
カカーン!
上甲板で午後一時(二点鐘)を知らせる船鐘の音が聞こえた。
ジャーヴィスは右手に持った銀の盆を気にしながら、ロワールハイネス号の船尾にある艦長室の扉をノックして中の様子をうかがう。
「誰だい?」
「ジャーヴィスです」
「……どうぞ」
入室を許可するシャインの声を聞いて、ジャーヴィスは扉を開いた。
シャインは部屋に籠って今朝から書類仕事をしている。
ジャーヴィスは彼の為の昼食が載った盆を両手に持っていた。
100種類焼けるパンケーキでも、一番得意なふわふわのパンケーキ。
口の中に入れると雪のようにすっと溶けて、バターと蜂蜜の絶妙な甘さに士官候補生のクラウスがメロメロになった代物だ。
「昼食をお持ちしました」
シャインはちらとジャーヴィスを見て、視線を再び書類に戻す。
「ありがとう。《《前》》に置いといてくれ」
「……」
ジャーヴィスは無言で視線を投げた。シャインの言う「前」とは、執務机の前にある、応接用の長机のことだ。
そこには今朝の朝食――丸パンに山羊のチーズと生ハムを挟んだものと玉ねぎのスープが入ったカップ――が手つかずのまま残っている。
「艦長――」
「悪い。15時までに海軍省に提出しないといけない書類を作っているから」
「朝食を食べてないんですか?」
「いや食事はしているよ」
シャインは書類を書く手を止めず、左手を上げて見せた。
スコーン……。
お茶菓子とは別に、シャインが艦長室に隠し持っている「お気に入り」のそれだ。
特にズドール洋菓子店のそれが、彼の好物だというのは知っている。
けれど何かが違う。
ジャーヴィスはスコーンに嫉妬する自分を感じた。
目元が口元がピキピキと引きつる。
なぜだ。
焼きたてのパンケーキよりも、先日買いだめして作り置きのかっちかちでパッサパサなスコーンの方をシャインは選んだのだ?
彼の偏食はわかっていたつもりだったが、これはやはりショックだ。
作った自分で言うのもなんだが、この白い湯気を上げるパンケーキは「今」が一番美味しく食べられる時なのだ。
冷えてしまったら何のために急いでここに持ってきたのか。
それを主張しようとジャーヴィスは口を開きかけた。その時だ。
「ジャーヴィス、君、昼食は」
「えっ? いえ私もこれから食堂に戻って摂るところです」
「もう少しで仕事が終わるから、ここで一緒に食べないか?」
何だこの展開は? いつもなら体よく仕事の邪魔者と言わんばかりに部屋を下がって欲しいと言うのに。
シャインがようやく書類から顔を上げてジャーヴィスを見た。
「やっぱり食事というのは、一人で食べるより、誰かと一緒の方が美味しく感じられないかい?」
「はあ……それは、そうですが。しかし軍規で艦長との会食は夕食時と決められており――」
するとシャインが広角を上げて笑みを浮かべた。青緑の瞳がいたずらっぽい光をたたえている。
「そんな軍規のせいで、俺はいつも一人っきりの食事を強制されるのかい?」
ジャーヴィスははっとした。
「俺に昼食を食べてもらいたければ、君の分もここに運んで来るんだね。これは艦長命令だ」
(終わり)
SS(没)で寝かしていた話。
時々ジャーヴィスを困らせてやりたくなる。
久々の更新がこれですいません。




