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第9話「シスリアル号奇談」(3)

 ジャーヴィスは黙ったまま、アビゲイルの寝台のそばにある椅子に腰掛けていた。

 アビゲイルはクッションに顔を伏せたまま何も言わない。

 ただ、ほっそりとした肩が始めは小刻みに震えていたが、時が経つにつれて徐々に収まってきた。

 その様子をみながら、ジャーヴィスはアビゲイルが怖がらないように、口調に気をつけて話しかけた。


「大丈夫だ。何がこわいのか、よかったら私に話してくれないか。君の力になりたいんだ」

「……」


 アビゲイルは答えない。

 どうしたものか。

 自分も一旦部屋から出て、彼女の気持ちが落ち着くのを待つべきだろうか。


 ジャーヴィスはふと、七つ年が離れた妹ファルーナの子供の頃を思い出していた。

 妹はジャーヴィスのしかめっ面が嫌いでよく泣いていた。

 女性をなだめるのはシャインのような物腰柔らかな男の方がいい。

 ジャーヴィスは密かにそう思っていた。

 シャインの容姿に魅入られる者は多いが、彼をあれほど強く拒絶した女性は彼女が初めてだ。

 そういえば、アビゲイルが取り乱したのはシャインを紹介した時だった。


「ジャーヴィス、あなた、……あの人の味方なの?」


 アビゲイルの声でジャーヴィスは思索から覚めた。

 少し落ち着きを取り戻したのか、寝台から起き上がったアビゲイルがジャーヴィスの様子を窺うように見つめている。その眼の光には恐れと不信が感じられる。


 ジャーヴィスの返答次第で彼女は心を閉ざしてしまうかもしれない。

 だがジャーヴィスは敢えて自分のやり方を貫くことにした。

 下手な小細工は苦手だし言い訳も嫌いなのだ。


「何を恐れている? アビゲイル? グラヴェール艦長は私の上官だが、君が思っているような人ではない。寧ろ、私より女性の気持ちを察することができ、紳士的に振るまう方だ。君が艦長を嫌いでも、私は、私はエルシーア海軍の軍人として、何が起きても君を必ず守ってみせる」


「……」


 睫毛を伏せ、しばしアビゲイルは俯いていた。


「私の父は……殺されたの……」

「殺された?」


 うなずくアビゲイル。


「船が襲撃された時に父が呟いたの。『グラヴェールめ。やはり来たか』って」




 ◇◇◇




 ジャーヴィスは艦長室を出て、目の前の階段を上がると後部甲板へと出た。

 開口部(ハッチの扉を開けると午後の日差しが降り注ぐ甲板で、シャインはロワールと共に左舷側の船縁で佇んでいた。


「なによあの子。シャインが一体何をしたっていうの? 全く信じられない!」


 アビゲイルとのやりとりを知ったロワールが、水色の瞳を大きく見開いて叫んだ。

 シャインは寂しそうに微笑し首を振った。


「事情が何かあるんだろう。俺を誰かと間違えたか、それとも……」

「あ、ジャーヴィス副長が来たわ。じゃ、私は邪魔しないようにちょっと消えとくわ」


 ロワールがジャーヴィスをちらりと見た。


「レイディがいらっしゃったのですね。すみません」

「いや。君と話をしなくてはならないからと言っておいたから、席を外してくれたんだ」


 シャインの視線は『それで、彼女は?』とジャーヴィスにたずねている。


「報告が遅くなってすみません。彼女は何かに酷く怯えていて、落ち着かせる必要がありましたので。それで、シスリアル号に何があったのか、すべてではないですが事情を聞いてきました」

「そうか」


 ジャーヴィスはシャインの隣に並び、声を潜めて報告した。


「アビゲイルはエルシーアを離れるという父親の置手紙をみてアスラトルの港へ走り、なんとか出港するシスリアル号へ乗り込むことができたそうです。

 だが一週間後、船倉にいるのがみつかって、父親はどうしてもアビゲイルを連れていけないからと、アノリアへ針路を変えたそうです。どうやらシスリアル号は南方――リュニス方面へ向かっていたのでしょう。

 その翌日、シスリアル号は国籍不明の武装船に襲撃された。アビゲイルは船首の倉庫に隠れていたから詳細は知らないが、襲撃者はエルシーア語を話していたそうです」


「……武装船……」


 シャインが眉間をしかめながら呟く。


「情報不足だな。他に襲撃者に関することを彼女は知らないだろうか?」

「あ、はい……」


 ジャーヴィスは険しくなったシャインの横顔を見つめながら、もう一つ知っていることを口にできなかった。

 アビゲイルの父親が呟いたという言葉を。

 襲撃されたときに呟いた、シャインに関係するその言葉を。


『グラヴェールめ。やはりきたか』


 アビゲイルの父親が何故グラヴェールの名を出したのか、まだその理由を彼女から聞いていない。


「すみません。彼女が疲れた様子をみせたので、今日はここまでしか話を聞きだすことができませんでした」


 ジャーヴィスは自ら話を打ち切った。


「そうか……そうだね。まだそんなことを話せる心境じゃないだろうね」


 シャインは取り乱したアビゲイルの様子を思い出したのか腕組みをして空を仰いだ。


「そうそうグラヴェール艦長。前話していた今回の任務のことについてですが――」


 ジャーヴィスはシャインにシスリアル号はただの商船ではなかったのかもと話した。


「今回の命令はアスラトルの発令部から出ているんですよね? ということは、海軍省は――いや、お父上が長である参謀部は、シスリアル号をなんらかの理由で保護したかった、或いは、保護すべきものがあの船にあったと考えるのが自然ですよね?」


 シャインは腕組みをしたまま答えない。

 左舷の舷側に背中を預け、腕を抱えたシャインは何か考え事をしていたのか遠い目をしている。


「グラヴェール艦長?」


 呼びかけるとシャインは気まずそうに前髪に手をやり、「ああ」と言葉少なく呟いた。

 ほんの数秒であったが、その沈黙にジャーヴィスは違和感を覚えた。

 何か自分に彼は隠していることがある。

 ふっと、そう思った。

 だがジャーヴィスの疑惑を見抜くかのように、シャインは腕を解くと青緑の瞳を細めて柔らかに微笑した。


「ジャーヴィス副長。あの人の目的はなんだったのか。そう問われれば俺にもわからないよ。兎に角任務は完了したから、アビゲイルのことは君に任せる。彼女は俺と会うのが嫌なようだから、アスラトルに戻るまで後四日だし、それまで面倒をみてあげてくれると非常にありがたいな」


「なっ……!」


「じゃ、君は持ち場に戻りつつ、アビゲイルのことにも気を配ってくれ」


 シャインはジャーヴィスに背を向け、船首の方にある海図室へと歩きだした。


「グラヴェール艦長! 待って下さい」


 ジャーヴィスは駆けた。

 シャインは確かに『あの人』と言った。

 それを差す人物はただ一人。

 アスラトルの海軍省本部で参謀司令官を務めている彼の父親、アドビス・グラヴェールに他ならない。

 今回のシスリアル号の探索命令は、グラヴェール中将直々のものか。


「わわ! ジャーヴィス副長」


 シャインの背中を追いかけようとしていたジャーヴィスの視界を、あの大男シルフィードがメインマストの影から不意に姿を現して遮った。

 あまりにも突然だったので、ジャーヴィスは怒り八割、八つ当たり二割という、ほぼ怒りの形相で叫んだ。


「馬鹿! 邪魔だ、どけ!!」

「あ、す、すいません。でもジャーヴィス副長」

「なんだ! 私は忙しい! そこをどいてくれ。私はまだ艦長と話が――」

「一人にして欲しいと仰ってました」

「え?」


 ジャーヴィスは我ながら間抜けな顔しているに違いないと思いつつシルフィードを見上げた。

 シャインに突き放されたような気がしたのだ。

 これでは、まるで自分と関わるな――そう、言わんばかりではないか。

 シルフィードは人の良い垂れた緑の瞳を細めつつ、ジャーヴィスをなだめるように穏やかに口を開いた。


「グラヴェール艦長からの伝言です。報告書をまとめなくてはならないから、一人にして欲しいと」

「――くそっ!」


 シルフィードが驚いたようにジャーヴィスを見る。


「ど、どどどうしたんですかい? なんか副長、荒れてるんですかい?」


 ジャーヴィスはシルフィードを睨みつけた。

 そのあまりの剣幕にシルフィードがさらに表情を凍り付かせる。

 ジャーヴィスはシルフィードが額に冷汗を浮かべたのを見て、自らの苛立ちがすっとひいていくのを感じた。


「……」

「……」


 こわごわとシルフィードがジャーヴィスの顔色をうかがっている。

 ああもう。

 何であの人は私をこんなに苛立たせるのだ。

 シルフィードにあたるべきではない。ようやくジャーヴィスは苛立ちの原因を思い出して大きく息を吐いた。


「……私は……副長に向いてないのかもしれないな」


 唇の端を引きつらせるシルフィード。


「いやいやそんなことないですって。あなたが船内を監督してるから、上手く回ってるじゃねぇですか!」

「違う。そういうことじゃない」


 ジャーヴィスはシルフィードを無視して甲板を歩き、舵輪のある後部甲板まで戻った。

 舵は現在クラウスがとっている。

 クラウスはジャーヴィスが近づいたことに一瞬体をすくませたが、ジャーヴィスには彼の姿が視界に入っていなかった。

 

 アビゲイルの父親の言葉が気になる。

「船が襲撃された時に父が呟いたの。『グラヴェールめ。やはり来たか』って」


 あの船はただの商船ではなかった。

 それをグラヴェール艦長は知っていた…?

 

 ジャーヴィスは考え事に耽りながら、彼の瞳と同じ青緑色の海をじっと見つめていた。



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