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魔の憑く娘と魔を喚ぶ王子  作者: 相間 爽
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8.悪意潜む花

 草木を掻き分けて道無き道を進んで行くと、それまで微かに聞こえていた水音が徐々に大きくなってくる。

 林全体にほのかに香っていた花の香も奥に進むにつれて、むせ返るほどに強まっていった。

 大方の予想通り、クリスタは昨日も立ち寄っていた水場に向かっているようだった。

 ベリルたちが通り抜けるのに苦労する木立も、前を行く小柄な人影は一切止まることなくすいすいと進んで行く。

 見れば、邪魔な枝やら草やらを周囲を漂う闇の帳が抑えているではないか。

 それだけ見れば、契約によって従えているというのはどうやら間違いないらしい。

 ただ、酒場で見た闇の嵐を考えるとどうにも危うさを感じざるを得ない。

 ふいに漆黒の魔女たちの姿が脳裏に思い起こされて、ベリルは顔を顰めて頭を振った。



 程なくして、水音がすぐ近くに聞こえてくるようになったと思うと、急に視界が開けて、目の前に澄んだ水を湛えた泉が現われた。

 何より印象的だったのは百合に似た薄い橙色の花がその泉をぐるりと囲むようにして咲き誇っていたことだ。

 まるで故意に敷き詰められたように広がる橙色の絨毯は泉を越えてさらに奥まで続いていた。

 辺りに立ち込める華やかな芳香はベリルにもサフィリオスにも直近で嗅いだ覚えのある匂いだった。

 それはまさしく昨晩口にした酒場の看板料理『日追い猪のミルク煮込み』から立ち上っていたものに違いなかった。

 どこか覚えのある匂いだと思っていたら、この雑木林で微かに香っていたものだったのだ。

 ベリルはその場にしゃがみ込み、橙色の花弁に鼻を近付けてみる。

 すると、やはりその匂いは泉の周囲を埋め尽くす花々が発しているものだった。


「これが……ホシワスレグサの花か?」


 訊きつつ頭上に浮かぶ羊皮紙を見上げると、一瞬の間を空けて、かの地図が多分に戸惑いを含んだ声で答えた。


「……え、ええ。間違いありません。しかし、私もこんな風に群生している光景を見るのは初めてです……」


 純粋に景色として見れば、それは紛れもなく美しく雅やかな情景だった。

 しかし、目の前の植物が持つ危険性を考えると、こんな人里近くで大量に群生しているというのは見過ごしてよいものか大きな不安を感じるものでもある。

 ベリルたちが咲き乱れる橙色の軍勢に気圧されている間、先を行くクリスタは泉で立ち止まることなく さらにその奥へと歩を進めていた。

 そこは丸く開けた空間になっており、他より少し盛り上がった地面の上を泉の周り同様橙色の花が覆い尽くしていた。

 呆けたように立ち尽くすベリルたちを黒い獣が自身の鼻で小突く。

 促されて目線を上げると、開けた土地の一番奥まった場所で闇の帳に巻かれた小柄な人影がこちらをじっと見つめているのが視界に入った。

 とりあえず危険な植物について考えるのは後にして、モリオンを先導に、ベリルたちも魔女のそばへと移動することにした。


 泉の奥の土地へ進めば進むほどにむせ返るような花の匂いが強まっていった。

 それもそのはずで、目の前の丸く開けた土地だけ他の場所よりも橙色の花の密集度が数段高くなっていた。

 それはどこか人為的なものを感じる程に不自然な密集度だった。


「ここだ」


 ベリルたちが自身のそばまで近付くと、クリスタは顎で目の前の土地を指し示して口を開いた。


「この場所の持つ強い怨念に姉さま方が反応した」


 また意味のない音節を吐きそうになって、ベリルは慌てて開いていた口を閉じた。

 代わりに、サフィリオスが兄の言葉を代弁する。


「どういうことですか?」


 クリスタは一瞬自身の横で首を傾げる小さな頭を見下ろした。

 その後すぐに視線を元に戻すと何某かの呪文を低く唱え始める。

 そのまましばらくすると、周囲の木々や闇の帳がざわめき始め、服の袖を払うような強さで不穏な風が渦を巻くようにその場に吹き込んできた。

 橙色の花弁が風によって巻き上げられ、目に見えないはずの空気の流れに鮮やかな色が付く。

 次の瞬間には、それは毎度の決まりごとのように人型に形を成した。

 風と光と橙色の花弁で形作られた女性たちはそれぞれに若々しく美しく見えた。

 しかし、その幻想的な光景とはかけ離れた悪寒が不穏な風と共に王子たち一行の背中をざわりと撫でる。

 美しい姿かたちとは裏腹に、宙を舞う彼女たちは残念ながら皆一様に苦悶の表情を浮かべていた。

 どこかからすすり泣く声や長く引き攣るような微かな悲鳴が響いてくる。

 気付くと、小刻みに震えるサフィリオスが兄の上着の裾を押し潰さんとする勢いで掴んでいた。

 ベリルは怯える弟を安心させるために小さな肩を抱き寄せる。


「この娘たちは……? 彼女たちも魔女の霊魂なのか?」


 横でベリルたちと同様に目の前の幻想的な光景を眺める闇の塊に声を掛けると、彼女は顔の向きも変えずそのままの姿勢で質問に答えた。


「違う。これはここで悲惨な死を迎えた報われない魂の残骸。姉さま方のように強い魔力を操る特別な力を持っているのでない限り、人間の魂は普通魂の抜けた身体のそばで霧散していくだけだ」


 クリスタの醜く崩れた横顔からは何の感情も読み取れない。


「……だが、あまりに悲惨で無念な死を迎えると、その負の感情だけ場に残ることもある」


 ただ、静かに言葉を続けるその声には哀悼の響きが滲み出ている気がした。


 宙を舞う橙色の霞は重くたなびき、まるで救いを求めるかのように天に地にその長い影を伸ばしていた。

 魔女の霊魂程の禍々しさはないが、胸に迫るような強い悲しみが地に立つ者たちにのしかかる。

 それは恐怖や嫌悪感よりもずっと辛く苦しい感覚だった。

 ベリルが無意識のうちに弟の肩を掴んでいた手に力を込めると、腕の中の小さな身体がびくりと反応するのが伝わってくる。

 クリスタの話を怯えながら聞いていたサフィリオスは、若干の間を空けつつ、震える声で恐ろしい疑問を口から零した。


「か、身体のそばって……。もしかしてここら辺に女性たちの死体が……?」


 その疑問とも確認とも取れる言葉にクリスタは尚も姿勢を変えずに言葉を返す。


「まあ、普通に考えて、この下に埋まっているのだろう」


 彼女の目線はいつの間にか目前の地面に落ちていた。

 つまり橙色の花の下に若い娘たちの死体が埋まっているのではないかと言っている訳だ。


「……掘り返すか?」


 ベリルが足元の地面を薄気味悪そうに見下ろしながら誰に問い掛けるでもなくそう呟くと、恐怖を必死で抑えるように唾を飲み込んだサフィリオスが拳を握り締めて一歩前へ出た。


「兄さま。僕が〈千里眼〉を使ってみます」


 そう言うと、サフィリオスは目を閉じ瞼の上に両手をそっと被せた。


 〈千里眼〉という魔術は、簡単に言うと、術者に透視能力を与えるものだ。

 障害物を隔てた向こうの景色を覗き見ることができ、高位魔導師ともなるとその名の通り千里先の物事も見通すことが出来ると言う。

 自身の呪いを解くためにベリルもある程度魔導師としての修練を積んではみたのだが、才能に恵まれずに比較的初歩的な魔術の一つであるこの〈千里眼〉という魔術でさえ、正しく呪文を唱えても霧の彼方にぼんやりと何かが見える程度の結果しか出せなかった。

 今現在、王位継承権を持つ者の中で最も魔術の適正が高いと言われているのは第三王子である幼いサフィリオスである。

 それはもちろん潜在能力を鑑みての評価ではあるのだが、少なくともベリルよりはまともな魔術を扱うことが出来るのは間違いない。


 宮廷魔導師からの期待も高い弟王子は少しの間小さく素早く正確に呪文を唱えていた。

 必要な言葉を吐き出し終わると、瞼に被せていた両手を外し、それと同時に閉じていた目を開ける。


「……!?」


 サフィリオスは目の前の少し盛り上がった地面を凝視して、声にならない悲鳴を上げた。

 息を思い切り吸い込んだまま過呼吸状態になってしまった弟の身体をベリルは慌てて抱き留めた。


「サフィ! 落ち着け! ゆっくり息を吐くんだ」


 目を白黒させながら必死で呼吸をする小さな背中を乱暴な程強く摩ってやる。

 兄に抱き留められたまま荒い呼吸を繰り返すサフィリオスは息を吸い込む合間に何とか言葉を絞り出していた。


「土の下に、大量の、しゃれこうべが……! 人間の、骸骨が、たくさんあって、まだ肉が付いているものも……!」


 それだけ言うと、大量の汗を掻きながらぐったりと項垂れてしまう。

 サフィリオスが言うのなら間違いない。

 目の前の橙色の絨毯の下には大量の人骨が眠っているのだろう。

 ふと足元の地面で何か布の切れ端が土に埋もれているのが目に入った。

 先に憔悴した様子のサフィリオスを近くの木の根元に寄り掛からせ、その布の切れ端を地面から掘り出して手に取ってみる。

 土を払い除けると、色は掠れてはいたものの、この近辺では見られない珍しい文様が縫い付けられているのが見て取れた。

 それはラステリオン王国とは山脈を隔てた向こう側に存在する北方地域でよく見られる伝統的な文様だった。


「これは……! 北方民族の伝統衣装だ! 彼女たちは大鷲山脈の向こうから来たというのか……?」


「北方か……。魔力への適合性が高い地域だ。だから魔女でもないのにこれだけの怨念が残っていたんだな」


 ベリルの呟きにクリスタが一人で納得したように頷いた。

 先の村人たちとの会話の通り、深淵の森の近くには森を迂回して北の山脈に抜ける街道が通っている。

 その道はすぐ国境に繋がっており、その先には殊更に険しい山道が続いていた。

 この山道を抱える山脈は『大鷲山脈』と呼ばれ、陸を分断するように大陸の端から端まで横たわっているために北方地域と南側諸国を隔てる自然の大障壁の役目を果たしていた。

 物理的または軍事的な事由から山脈を南北に通り抜ける道は整備されておらず、そのため魔術なしに山越えをするのは数週間掛かると言われている。

 実質的な意味でこの山脈が『北の壁』と呼ばれるのはそういう訳だ。

 ラステリオン王国はこの北の山脈を挟んで北方の国々と隣り合う唯一の国であり、彼らにとっての南側諸国への陸の玄関口となっている。

 しかし、交易はそこそこ行われているものの、それは王国から向こう側の国々へ商人が直接出掛けて行って物資の輸送等商談をまとめてくるのに限られ、王国側に北方諸国の人間がやって来るということは滅多にないことだった。

 その事実を鑑みると、もし本当に目前の土の下に埋まっているのが北方民族の女性たちなら大きな疑問が生じることになる。

 手の中の衣装の切れ端を握り締めて考え込んでいると、ベリルと同じことを感じていたらしい魔法の地図が体を捻りながらその疑問を言葉にした。


「しかし、北方地域は自国の法で『自国民の他地域への出入りを禁止』していたはずでは……?」


 全くもって魔法の地図の言う通りだった。

 北方諸国は大陸一閉鎖的な地域として有名で、『物の出入りは許しても人の出入りは許さない』という謎の共通意識を持っていることで知られている。

 実際大鷲山脈の北側の麓には大規模な関所が置かれ、北方諸国の国民がそこを通過するには非常に特別な許可がない限り実現不可能と言われるほど、軍隊が出入国を厳しく監視しているらしい。

 それが事実なら、北方諸国出身の彼女たちが、死体とはいえ、大量にこちら側にいるのは何故なのか。

 何者かに連れて来られたにせよ、厳重に警備された関所をどうやって潜り抜けられたのか。

 挙げれば疑問は尽きないが、最も重要な点に絞って口にする。


「そもそもこの女性たちはこんな何も無い所で何故死んだんだ?」


 ベリルの言葉にクリスタがようやくこちらを向いた。


「殺されたに決まっている。自分で自分を埋葬することは出来ないし、でなきゃ、怨念の残るはずがない」


 低い声で冷静に話す闇の塊はその容姿も相まってまるで死神のようだった。

 さもあらんという答えを前に、ベリルは機械的に疑問を唱え続ける。


「『殺された』って誰に……?」


「姉さま方の反応からして酒場にいた連中だろう」


 事も無げに答えるクリスタからは一切の戸惑いが感じられない。

 ただ事実を淡々と述べている、といった様子だった。


「だが、何のために……?」


 ベリルが質問を続けると、クリスタは一瞬考え込むように空を仰いだが、すぐに視線を元に戻し変わらぬ口調で回答する。


「……臓器摘出のためじゃないか? たぶん」


 近くの木の根元でサフィリオスがひゅっと乾いた空気を飲み込む音が聞こえた。

 一方のクリスタは気に留める様子もなく話を続ける。


「酒場の連中はどう見たって人買いだ。おそらく人身売買や臓器売買で生計を立てているのだろう。あんな辺境の酒場には不釣り合いな程多種多様な言語が飛び交っていたし、やたら屈強な男たちばかりだったし、さらに言えば泊まり客が少人数だったの対して厩には不自然な数の跳ね馬が待機していたからな」


 ベリルはクリスタの言葉を聞いて強く悔恨の念を抱いた。

 酒場に着いた時、彼はそれまでの数日間の疲れでくたくたになっていた。

 だから、細部の違和感に気付かなかった。

 いや、気付いていてもおかしくないのに自分のことで精一杯で周囲の状況に気を配ることすら放棄していた。

 それは民を危険から守る騎士としてあるまじき失態だった。

 ラステリオン王国では人身売買も違法な臓器取引も固く禁じられている。

 もちろん人買いなどという職業は見つかれば即極刑に処せられる。

 目の前にそんな罪深い連中がいたのなら、自分のことはさておき、王族として、騎士として、即座に捕らえて王国兵に引き渡さなければならなかったのだ。

 それなのに、酒場にいる間は食事のことばかりに気を取られていたし、厩では妙に跳ね馬がたくさんいるなと認識してもその理由については深く考えなかった。

 吐き気がする程の自責の念に駆られてベリルは頭を抱えるしかない。

 それにしても、よくもまあそんな話を平然と出来るものだと八つ当たり半分に視線の先の醜い顔を睨め付ける。


「つまり、この女性たちは商業目的で誘拐されてきて、ここで殺され埋められたと?」


「ここで殺されたかどうかは知らないが、たぶんこの近くでだろう」


 ベリルの厳しい目線をものともしないクリスタは表情も変えずにそんなことを言う。

 目の前の非道を前になぜそこまで冷静でいられるのかと、正義感の強い第二王子は段々と腹が立ってきた。

 そのせいで、ついつい吐き出す言葉も感情的になってくる。


「気付いていたなら、なぜ一言私たちに言わなかったんだ!」


 視線の先の人物はひょいっと肩を竦めてそれに答えた。


「外の世界の勝手が分からないと言ったはずだ。この国で人身売買が違法なのかどうか知らなかったし、そもそも騒ぎを起こしたくなかったのだろう?」


 そんな風に至極尤もなことを言われれば返す言葉もない。

 一方的に詰め寄られている本人は「ま、姉さま方の暴走で努力も水の泡だが。」と気を悪くした様子もなく言葉を続けていた。


 ベリルたちが話を続けている間、宙を漂う橙色の娘たちは変わらず何か訴えかけるような表情で悲しみに満ちた嗚咽を漏らし続けている。

 クリスタの推測が全て真実なら王国内で国際問題に発展しかねない重大な犯罪が今現在も行われていることになる。

 知らない土地に無理矢理連れて来られた上、売り払われ殺されるなど、どれ程の恐怖と苦痛だったことか計り知れない。

 彼女たちの怨念がこの場に留まるのも無理からぬものに思えた。

 自分たちの身も危険だったのかもしれない。

 辺境の村に宿泊するような客は基本的に余所者だ。

 旅人なら途中で消えてもすぐには騒ぎにならないし、足も付かない可能性が高い。

 そこまで考えて、ベリルはおやっと思った。

 クリスタは煮込み料理に薬物が混入されていることを知った上で、モリオンのことはともかく、自分は確実に意識を失うと分かっていてその料理を完食している。

 つまり、一晩気を失っていても自分たちの身に危険はないと知っていたということなのか。


「結局なぜ宿泊客だけに煮込み料理が振舞われたのか、あなたには分かっているのか?」


 考え込むことで冷静さを取り戻したベリルは最初の疑問に立ち返ってクリスタに問い掛ける。

 これに対し、彼女は迷いなく即答した。


「十中八九、目撃者を作らせないためだろう。たぶん私たちは間が悪かったのだ。昨晩新しい荷物をどこかへ運び出す予定だったのだと思う」


 そう言われればその通りだという気がした。商品の輸送のためであれば、あの厩に繋がれていた跳ね馬の数の多さにも納得がいく。

 しかし、もし今までの全ての推測が当たっているとすると、これは計画的で組織的な犯行であることが浮き彫りになる。

 ベリルの顔からは徐々に血の気が引いていった。

 これはもう自分たちの手には負えない事件かもしれないと思った。

 ちらりと横に視線を移すと、真っ青な顔をしたサフィリオスと宙に浮かんだまま微動だにしない魔法の地図の姿が視界に入る。

 両者ともベリル同様今までの話を受け止め切れていないのだろう。

 ただし、ただ一人その場の空気に染まらないクリスタはベリルたちの苦悩を余所に呑気な言葉を口にしていた。


「どうだ? 姉さま方は悪党を懲らしめただけだ。それなら別に構わないだろう」


 ベリルは無言で頭を振るしかなかった。

 今はもうそれどころの話ではない。

 ベリルもサフィリオスも魔法の地図も事態の深刻さにすぐには次の行動を起こせそうになかった。

 静まり返る場にクリスタだけが不思議そうに首を傾げている。

 しばらく経ってもその場の誰も動き出さないので、痺れを切らしたのか、小柄な闇の塊はその見た目のまま死神の如くおもむろに片手を鎌のように振り上げた。

 すると、宙を漂っていた橙色の花びらが一瞬空中に停止し、次の瞬間には一斉に地上へと降り注いだ。

 色を失った不穏な風は形も失い、橙色の女性たちの姿は舞い散る花びらと共に消えていった。

 ただ、悲哀に満ちた泣き声だけがその場に微かに残されていた。


「ところで、一旦酒場に戻った方がいい」

 舞い散る橙色の花弁が地面に落ち着く頃、クリスタは沈黙を守り続ける面々に軽い口調で声を掛けた。

 ベリルは口は動かさずに「なぜ?」と問い掛ける目線だけ声の主へと向ける。

 意図を理解した彼女は、やはり出掛けた先に忘れ物でもして来たかのような気軽さでその目線に答えた。


「荷物は置きっぱなしだし、それに、おそらく今日中に宿の部屋に閉じ込められていた女性たちは殺されるだろう」


 二人の王子はばっと勢いよくクリスタの方に顔を向けた。

 魔法の地図は勢い余ってその場で宙返りしてしまった。


「宿屋に女性たちが閉じ込められていただと……!? 部屋に上がってきてもいないくせに何故そんなことが分かる?」


 クリスタはベリルの強い口調にまたしても肩をひょいっと竦めた。


「宿屋の外から二階の窓を見ていたら、明かりも点いていない部屋に複数の人影が見えたから」


 ベリルは痕が残りそうな位強く自身の額を片手で打った。

 あの時、酒場に入る前に、確かにクリスタは傍から見て明らかに挙動不審に思える程じろじろと周囲を見回していた。

 あの時点で彼女はこの村に秘められた悪行のおおよそを推測出来ていたに違いない。

 もちろんまだ証拠らしい証拠は目の前の地面に埋められた異国の女性たちの亡骸しかないが、状況証拠だけでもクリスタの推測は十分辻褄が合っていた。

 村人たちがこの一件に関与していないとすれば、あれだけの騒ぎが起きた後に攫ってきた女性たちを余所へ移すのは危険過ぎる。

 かと言って、いつまでも留めておく訳にもいくまい。

 悪事の発覚を恐れるならば、クリスタの言う通り殺して埋めてしまうのが一番だろう。


「た、大変だ、兄さま! 一刻も早く戻って女性たちを救い出さないと!」


 慌てて身を起こすサフィリオスをベリルは冷静に手で制止した。

 そのまま闇の帳に包まれた表情の乏しい魔女を見つめて問い掛ける。


「酒場に戻って、どうするつもりだ? 大分時間が経ったし、店主の回復具合から鑑みて、もう酒場の男たちも復活している頃合だろう。そもそも村人たちにも一方的に敵意を向けられている現状で密かに女性たちを救い出すことなど不可能だ。それとも村ごと全員を相手取るつもりか?」


 まるで尋問のような口調で問い詰められても、クリスタの態度には一切の変化が見られなかった。

 声の温度も変わらず、ただ突っ立ったまま静かに話していた。


「私に考えがある。ひとまずお前たちだけ先に戻って欲しい。こうしている間にも女性たちの身に危険が迫っている」


 クリスタの言葉にベリルとサフィリオスはそこはかとなく視線を合わせる。

 続いて魔法の地図にも視線を送ると、宙に浮かぶ古の遺物はゆっくりと頷くように体を折り曲げた。

 場に溢れ返る甘い花の香が悪意に立ち向かおうとする者たちを勇気付けるように包み込み、微かに吹く風はその地に眠る女性たちの悲痛な魂を慰めるかの如く大地を優しく撫でていた。



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