勇者がいれば心配ない
「ねえ」
「……どした?」
「北東の森に、魔物が出たって」
「あぁ……」
二段ベッドの上で寝そべっていた施療師のマヤが、大きな欠伸をした。
「じゃあケンスケ、行って来たら?」
「…………」
部屋にやって来た勇者は、無言で扉の前に突っ立ったままだった。ケンスケは何だか苦々しい顔をして、窓のそばでの果物の皮を剥いていた聖騎士を見た。
「なあ……。そう言うことじゃないんだよ」
聖騎士のヨシダは、ケンスケの方を見ることもなく、せっせと皮むきに夢中になっている。突然、真ん中のテーブルでババ抜きに夢中になっていた弓使いと魔法使いが大声を上げた。
「はい上がり〜! 残念〜! そっちがババでした〜!!」
「は!? 待てって。いやいやいや……は? 嘘やん……」
「ハッハァ! ザマァ〜! じゃあ、今晩の回復薬はお前の奢りな!」
「聞けって!」
ケンスケが怒鳴り声を上げた。楽しそうに騒いでいた弓使いと魔法使いも、一瞬静まり返った。宿屋の一室で休んでいたパーティメンバーの全員が、勇者に視線を集めた。
「……んだよ?」
「どうしたの? 急に大声出して」
「なぁみんな……最近ちょっと変じゃないか?」
勇者の口ぶりは焦りを滲ませていたが、メンバーたちの顔はまだまだ冴えなかった。
「変って??」
「だってホラ、全然魔物退治にも参加しなくなったし……今だってそうだ。確かに僕ら、この街に着いたばっかりだよ? でも実際魔物が出てるんだってば。このままじゃ街が襲われちゃうよ。なのに毎回、昼間っからダラダラして……」
「だって、貴方一人いれば事足りるじゃないの」
マヤが寝っ転がったまま、白い目でケンスケを見た。
「貴方がこの異世界の主人公、選ばれし勇者ですもの。どんな魔物が出て来たって、勝てるんじゃない?」
「そんな無責任な! 僕だって色々……」
「そう心配すんなって。今回も、なんか『チート』的な奴で勝てるんじゃないの? いつもみたいに」
「むしろ行ってやることあるか? 俺たち」
「うぅ……」
弓使いのカエデが、おつまみを口の中に放り込みながら笑った。室内を、気まずい沈黙が包む。見かねて聖騎士が立ち上がった。
「いいよ。じゃ、俺一緒に行くわ」
「ヨシダ……」
「ちょうど手も空いたしな。たまには良いんじゃねーの」
ヨシダは、剥いた果物を魔法使いのタクロウに預けながら、ケンスケの肩をポンと叩いた。
□□□
「違うんだよな、なんか……。こう言うのがやりたかった訳じゃないんだよ、僕は」
北東の森へ向かう途中、ケンスケはずっとブツクサ言っていた。
「みんな僕が倒すもんだとばかり思って、全然戦闘に参加しなくなったし。なんだかな。僕が子供の頃夢見てた異世界ってのは……」
「頼られるのは嫌いか?」
後ろをついて歩いていたヨシダが苦笑した。
「みんながお前を、本物の勇者だって認めてる証拠だよ。だからこそ……」
「そうじゃなくて、僕が言いたいのはさ」
「シッ!」
ヨシダは唇に指を立て、急いで木陰に隠れた。前方に、スライムの群れがゆっくりとあぜ道を横断しているのが見えた。半透明のブルースライムを先頭に、赤、黄、緑……とカラフルな絨毯が道に出来上がっている。
「……雑魚っぽいな」
ヨシダはホッと胸を撫でおろした。
ケンスケと違い、Level上げも碌にしていないヨシダたちでは、強い魔物が出てきたら誰も対処しきれない。だって、勇者一人いれば勝てるのだ。事実ケンスケは、一瞬で魔物の前まで飛んでいき、Level99の究極奥義で敵の群れを一掃した。ヨシダが木陰から顔を覗かせ、拍手した。
「……はぁ」
「なんだよ?」
頭上から鳴り響く、荘厳なファンファーレとは対照的に、しかし勇者の顔は何故か曇っていた。
「本当にこれで良かったのかな……?」
「何言ってんだ。魔物をほっとけば街の脅威になるって、お前も言ってただろ。それが俺たちの役目じゃないか」
ヨシダには、ケンスケが何を悩んでいるのか、いまいち分からなかった。ケンスケの足元で、散り散りになった橙と紫がくっついて再生した。それから、混合スライムは勇者に体当たりしたが、もちろんLevel99の彼にダメージなどほとんど入らない。そんな色違いを眺めながら、勇者はしみじみと呟いた。
「『命に偽物はない』……か」
「何か言ったか?」
「いや……何も。それにしても、お前たちは健気だなあ。どうして勝てないって分かってるのに、わざわざ向かってくるんだ? これじゃどっちが悪役なんだか……」
「俺、帰るぞ」
遠くから見守っていたヨシダが大きく伸びをして、踵を返した。
きっと残党も、ケンスケが楽に倒すだろうと思っていたのだ。
だけどいつまで経っても、ヨシダの後ろからファンファーレは鳴り響かなかった。
□□□
「なんかさー……最近」
「ンン??」
二段ベッドの上に寝っ転がったまま、施療師が顔だけ上げて、ぼんやりと部屋の中を見渡した。
「勇者いなくない?」
「……あぁ。魔物でも狩りにいってんじゃねーの」
魔法使いがテーブルに顔を突っ伏したまま、素っ気なく返事した。どうやら昨日の晩飲みすぎて、まだ二日酔いが治らないらしい。ここのところ御一行は宿に篭ったまま、夜中は派手に宴会を行い、昼間まで寝て過ごすことが多くなっていた。もう二週間もこんな調子だった。ヨシダはふと、果物を剥く手を止めた。
「そういや最近、また北東の森で魔物が暴れてるらしいぞ」
「誰が言ってたの?」
「昨日踊り子と飲んでて……」
弓使いが笑った。
「だ〜い丈夫だよ。アイツに勝てる奴なんていないんだから。たとえラスボスが目の前に現れても、多分何とか勝っちまうんだって。それが勇者ってもんだろ」
「そっか」
それっきり、施療師は再び横になって何も言わなかった。
「きっとケンスケ、そいつらと戦ってんだろ。ほらアイツ、割と真面目なとこあっから……」
「大変だァ!!」
すると大きな物音を立てて、御一行の部屋に、宿屋の主人が慌てて飛び込んできた。
「大変です! 街で魔物が暴れてるんです!」
「へえ……」
弓使いと魔法使いが、ちょっと驚いたように顔を見合わせた。
「それで?」
「それで、って……アンタたち、勇者御一行でしょう!?」
宿屋の主人が唾を飛ばした。
「あぁ……うん」
「そうだよ。一応、勇者御一行だ」
「だから今回も、倒すんじゃないのォ? その勇者様が」
「何かあったのか?」
主人のただならぬ気配を感じて、ヨシダが立ち上がった。主人は目を丸くして怒鳴った。
「とんでもない奴らだな! 何があったか知らんが、魔物を率いてるのはその勇者なんだよ!」