2-4 映像見直しと異世界人
おそらく同一の興味深い仮説が立ったと思われる問題について早いところ話したいため、自然と早足になるサンドラ、リンディ、フィリスに、状況がわからないナユカが歩調を合わせる形で、集団は疾風のごとく九課へと舞い戻る。
サンドラがバッとドアを開けると、中に一人いた留守番のミレットが、はっとそちらを向く。風圧とともに入ってきた課長は、早口で秘書に告げる。
「プロジェクターの準備、お願い」
「はい」
一瞬の驚きは一瞬だけで消え、冷静に返事をしたミレットは、いつもの調子で準備を開始。その間、サンドラは棚から「会議中」と書かれた札を出し、リンディにそれを渡す。
「これ、外に出して。出したらドアをロックね」
「ロック?」
この課には外部から他のセデイターが来る。それを締め出してしまっていいものか……ま、いいか。一応聞き返してみたこの場のセデイターだが、状況を鑑みるに、必要な措置だと納得。
「念のため」
答えたサンドラは、昨日映像を見た小部屋の中、レコードクリスタルが保管してある棚へ向かう。民間人ゆえにむやみに手出しするのははばかられので、フィリスは視聴覚ブース内へナユカを導き、共に邪魔にならない場所へ着席して待つ。てきぱきと動いているミレットはいつもどおりの手際よさで、投影機の準備は早々に完了。映像を見る準備が整った。
「それじゃ、早速問題のシーンを見ましょうか」
サンドラはクリスタルをミレットに渡し、秘書はそれを投影機のスロットに装着。そのシーンを見ることばかりに意識が行っている課長が、どのシーンか具体的に指示しなかったため、秘書が先回り。
「フィリスさんがガード魔法を展開するところですね?」
「そうそう。正解」
満足げに微笑むサンドラを目にして、リンディがつぶやく。
「よくわかるな……」
ミレットも午前中に共に映像を見ていたので、医務室での会話に加わらなくても、「問題のシーン」がどこか想像がつかないわけではないだろう。それでも、すぐにわかるのはさすがだ。この課長にはもったいない……と、リンディはちらっと思う。もっとまともな管理職の秘書になればいいのに……。
「では、再生します」
秘書の短い詠唱により、問題のシーンがすぐ再生される。課長の指示で、重要部分のいくつかは事前にマークしてあった。
そして、再生されたその場面を全員が黙ったまま見つめる。見終えたところで、ミレットがいったん再生を停止。
「さて、説明してくれる?」
サンドラがリンディをうながす。
「えーと、どこから……」説明の筋道を立てようとしたものの、やっぱり面倒なので、セデイターは核心から入る。「まあ、結論からいえば……ニーナの魔法を無効化したのはユーカだということ」
「え?」
突然のことに本人が驚いている。リンディはその驚きをスルーして、先に進める。
「シールド魔法については、午前中に話したとおり。つまり、例の『高速多重詠唱』で、火系に混ぜられた暗黒系魔法は、フィリスが展開したエレメンタル・シールドでは防げない。そうだよね?」
件のシールド魔法を展開した当人が答える。
「そうです。で、問題はなぜ無効化されたのかということ。そして、それをしたのは、はたしてユーカさんなのかということ」
「え、え?」
異世界人は、またも話の展開についていけず。そして、フィリスもその反応をスルーして、リンディが最初に示した「結論」に異を唱える。
「でも、記憶遡行魔法がかからなかったことだけで、そう断定するのはちょっと。先ほども指摘したように、記憶にプロテクトがかけられている可能性も排除できません」
「あれって三回目になるんだよね……」
「はい?」リンディに聞き返してすぐ、その意味に気づくフィリス。「あ。そうなりますか」
「一回目についてちゃんと話してくれる? その話、途中だったでしょ?」
課長のリクエスト。午前中は、この話をする前に記憶遡行の話になった。
「バジャバルが戦闘中に魔法を撃ったんだ……氷矢ね。それがユーカへ向かっていって……」
「バジャバルがユーカさんに魔法を撃った?」
サンドラの疑問はもっともだ。セデイターとの戦闘中に、バジャバルがナユカに魔法を撃つ理由がない。そんな余裕はないはず……。
「……それは……その……」リンディとしては、非常に話しにくい。しかし、誤魔化してもいずれ見破りそうな人がそこにいる。ここはさらっと済ませてしまおう……。少しの間が空いて、一言。「避けちゃった」
「ん?」まるで「てへっ」がつきそうなその一言から、現場の状況をすぐに推測した課長は、大きくうなずく。「あー、なるほど。それはそれは……」
あきれ気味のサンドラに浮かぶ、にっこりとした笑顔は、笑顔にはならない。やばいと思ったセデイターは、言い訳にはならない言い訳を始める。
「だって、咄嗟のことだったし。いつも単独行動だから、つい……忘れて……」
詳細はともかく、午前中に聞いたことであり、本人も反省しているのがわかるので、もう叱責したりはしない。それよりも……。
「ごめんなさい、ユーカさん。リンディがあなたを危険にさらしてしまって」
代わりに発っせられたサンドラからの謝罪の言葉に、ナユカは戸惑う。
「は? わたしはなにも……」
「あ、あたしの不注意で……その……」
あわてて、避けた本人が異世界人に謝ろうとする。叱られるよりも代わりに謝られるほうが、リンディにはこたえるようだ。課長の謝罪は真摯なものだが、そういった効果も計算に入れているのかもしれない。それはともかく、ナユカには謝られる意味がわからない。
「え? え? ほんとにわたしは……なにもされてませんけど……? ていうか……むしろ、お世話になってばっかりで……」
「それは……あたしも世話になったし……あの時……」
出張所で暴れたときのことを指している。危うく口走りかけているセデイターに気づかれないよう、課長が黙って聞き耳を立てたところ、偶然の助け舟が。
「あの、お取り込み中、すみません。ユーカさんに魔法は当たったんですか」
そう、これが本題だ。フィリスがそこへ戻してくれたおかげで、リンディはサンドラに聞かせなくてもいいさらなる事案を漏らさずに済んだ――話の成り行きというのは恐ろしい。
「後ろにいるユーカのことを思い出して、振り向いたときには、もう……」後の祭り。セデイターは当人を見つめる。「どうだったの?」
「どうって……なんか、突然きらきらしたのが飛んできて……」
「当たった?」
当たるというのは、どういうことだろう……。話の流れは理解しつつも、異世界人は困惑。
「当たる? 当たったんでしょうか? 突然見えたんで、逃げる間もなくて……。でも、何ともなかったし……消えちゃったし。驚いただけで……」
「そうか……当たったんだ、やっぱり……」心底反省し、ナユカに謝罪。「ごめんなさい」
「え、でも、当たった感覚とかなかったですよ。痛くもなかったし……」
「それは結果論だから。あれはあたしのミス。あたしが避けなければ……」
「あれは、やっぱり当たるとまずい……?」
魔法はよくわからなくても、攻撃として発射されたものの直撃を受けるというのがよろしくないことは、非魔法世界の住人にもわかる。
「相当まずい。怪我する……」
答えたリンディには、その事実がこたえる。
「怪我はしなかったですけど……」
そんなナユカにフィリスが再確認する。
「それが問題なわけです。かわしたんじゃないんですか?」
「避けてはいないです。一瞬のことで……」
バジャバル、リンディ、ナユカがちょうど直線上にいたため、ナユカからはリンディの体に隠れて魔法がブラインドになっていた。そのリンディが魔法をかわしたため、ナユカには避ける時間的余裕はない。見えたと思ったら当たったという格好になる。
「それでは、外れたとか?」
当たっちゃやばいものが当たって無事なわけはない……。尋ねたフィリスの思惑はどうあれ、普通はそう考える。つまり、自分が無事だったということは……。
「……そうですよね。たぶん、それです」
と、本人は推測。
「なにか証拠はないの? リンディ」
「証拠ねぇ……」サンドラに促されたところで、セデイターに思い当たるものはない。「あの時は戦闘中だったから……ユーカの無事を確認しただけで……」
念のため、フィリスが尋ねる。
「外れたのなら、後ろの木に氷が刺さっていたとかは? 森ですし」
「バジャバルがすぐに次の魔法を撃ってきたから、調べてる余裕はなかった。セデイト後に調べればよかったんだけど……」
そのときには、そんなこととは思わなかった。悔やむリンディの傍ら、ナユカがいまさらながら驚きの声を上げる。
「刺さるって……あれって氷? 刺さるんですか?」
具体的なイメージが涌いてしまったようだ。
「あれは……氷の矢……」
改めて本人から質問を受けたことで、避けてしまった罪悪感が再度湧き上がり、リンディの説明が途中で途切れてしまったため、ヒーラーが実も蓋もない表現でつなげる。
「人体に刺さります。直撃すると重傷に至る可能性が高いです。最悪の場合、即死もあります」
まぁ、医者らしい言い方かもしれない。ニーナとの戦闘時にリンディが肩を氷で射抜かれたことを思い出し、ナユカは青ざめる。
「……」
「ちょっと言い方が雑でした。これは……言い換えれば、その……」
刺激を減らすべく、別の遠回しな表現を考えている医師を、課長が制する。
「もういいよ」
どうせ意味は同じである。繰り返してもいいことはない。
「はい」素直にいらないことを口にするのはやめたフィリスは、それに替えて、より重要なことを口に出す。「……それでですね……証拠がないのなら……作りませんか?」
「作る? 作るというと、それはつまり……」
察したと思われるサンドラの先回りをして、魔法科学者でもある医師が提案する。
「ユーカさんの能力について、もっと詳しく調べてみませんか?」
当人が聞き返す。
「能力……?」
「魔法を無効化する能力です。ご自分でも、もうお気づきでしょう?」
気づいていると言われても……。ナユカも、それが話題になっていることはなんとなく承知している。ただ、その話に実感が涌かないのも事実だ。自分がなにをしようとしたわけではないし、そもそも魔法の存在についてようやく受け入れたところに、それを無効化する能力があるだのといわれても、ピンと来ない。要するに、自分にとっては存在しないはずのものを、存在しなくしているわけだ。異世界人には、ナンセンスに思えてしまう。
「そう言われるのなら、そうかもしれませんけど……」
気のない当人の反応に、フィリスは釈然としないものを感じる。魔法無効化のような能力を持っているのなら、ふつうはすでに気づいているはずだ。にもかかわらず、この煮え切らない答え。……これは、なにかを隠しているのか、それとも強力に記憶操作をされているのか、あるいは、リンディから聞いたように――というか、結局のところナユカ本人の弁なのだが、本当に魔法のない異世界から来たのか……まさか、そんなことは……。その考えを振り払うかのように、フィリスはナユカに提案への同意を求める。
「どうします? ちょっとした検査なんですが。もちろん、安全な方法でちゃんと検証できるようなものです」
好奇心が先走り気味の医師を、課長が抑える。
「まぁ、ちょっと待って、フィリスさん。プランがあるのはわかるけど」
「あ。すみません、先走ってしまって」
「調べてみる価値はもちろんあります。本人の許可を得るのが前提で、ね……。ただ、その前に……」サンドラはナユカに正対して、仕切り直す。「あなたについて質問させて」
「はい」
うなずくナユカに、まだリンディから聞いただけで、直接本人からは聞いていない重要事項について、課長が質問を始める。
「異世界から来たってことだけど、それは確か?」
「はい、確かです」
他の人はともかく、本人としては、もう疑う余地はない。
「それはどうしてわかる?」
「どうして……」一瞬考えるも、即座にこのことが浮かぶ。「やっぱり魔法です」
「ないって話だよね。あなたの世界には」
「はい、ありません」
「なるほど……ね」いくら柔軟な思考の持ち主であるサンドラでも、そういう世界はいささか想像しがたい。「なにか、他には? 変わったこととか……ある?」
「他には……とにかく、いろいろなものが違っていて……」
「たとえば?」
「そうですね……そうだ。この国……セレンディアは、大きな国ですよね?」
「ええ、まあ……そうかな……」
サンドラは、わざとぼかして答える。信憑性を見極めるには、情報を少なく与えておくほうが効果的なためだ。そうしておけば、なにか決定的なぼろを出すこともある。必ずしもナユカが嘘をついていると疑っているわけではなく、記憶操作がなされている場合、不完全な部分が往々にしてあるものだ。そこを取っ掛かりにして過去の記憶を呼び戻すこともできないことではない。……などという深謀遠慮は無駄だった。
「あ、セレンディアについては、もう話しちゃった」
と、リンディ。サンドラの意図に気づいたらしい。数日一緒にいたわけだから、そんな話もするだろう……。話してしまったのは仕方がない。
「仕方ないな……えーと……」課長は立て直しを図る。「とりあえず、続けて」
「はい。えーと……つまり……この国は大きな国と聞きましたが、わたしはこの国を知りませんでした。……というか、わたしの世界にはこの国は存在しません」
そんな異世界人に、いちおうサンドラが月並みな疑念を挟んでみる。
「それは単に知らないだけ……ってことは……」まあ、ないだろう。自己完結。「ないか」
「そうでしょうね。大学にも通っているということでしたので」
それなら大国セレンディアを知らないわけがない。補足したフィリスでなくても、そう思う。
「でも、セレンディー語が話せる。知らない国の言葉なのに」
指摘したサンドラは言うに及ばず、ナユカにとっても大きな疑問だ。発音は少々違いがあるが……。
「そうなんです。それが不思議で……」
「午前中に聞いたけど、夢の中でとか?」
確認したフィリスは、そのときは魔法学習の副作用である可能性を指摘したが、まだそう決め付けるわけにはいかない。ここが非常に重要な取っ掛かりに思える。
「はい。夢の中で話していた言葉……夢ではわたしはまだ小さくて……」
「ということは、子供の頃、この国にいたの?」
普通は簡単に戯言と切り捨ててしまうところ、課長は突っ込んでいく。
「それが……実は……わたし、小さい頃の記憶がないんです」
ナユカの突然の告白に驚くリンディ。
「えっ?」
この点については、まだ聞いていない。
「そうなの? それはどういうこと?」
サンドラが淡々と話を進めようとすると、リンディが止めにかかる。
「あのさ、そういうことは……」
こういったデリケートな案件に立ち入るべきかは判断が難しいが、課長は先を促す。
「話してくれる? 大切なことだから」
「はい」ナユカはちらっとリンディを気にしたものの、そのまま話を続ける。「わたし、子供の頃、山の……」セレンディー語の「祠」という単語がわからないから飛ばす。「山で見つかったんです。そのとき、病気だったみたいで……。そのせいか、それ以前の記憶がなくって……」
神妙にしながらも、サンドラは尋ねる。
「……それでも、後から自分のことを教えてもらわなかった? たとえば、ご両親からとか?」
「その……両親とはそれ以来、会えてないんです。自分の名前も住所もわからないんですから、当然ですよね」
冷静に話している本人とは対照的に、落ち着かないリンディ。
「……もういいんじゃない?」
「そうだね」今度はサンドラも同調。「ごめんなさいね。悪いことを聞いて」
「いえ、でも、別に不幸だったわけじゃないですよ。そこで、『和尚さん』に助けていただいて……それからずっと家族として一緒に……」
「『オショー、サン』って?」
サンドラが質問。そこは、異世界人はこちらの言葉を使わなかった。……というか、使えなかった。
「あ、それは……えーと、そこはお寺で……」
その山の中腹にある寺の住職に助けられ、それ以来、彼の家族が自分の家族となった。彼女は住職を「和尚さん」と呼ぶ。新たな家族において、記憶のないナユカ自身は別の呼称で呼びたがったそうだが、本当の親がいるのだからと、住職はその呼称を固辞。そして、ずっとそのままで来ている。
「聖職者のことですか?」
セレンディー語の寺という単語から、フィリスがその意味を推測。
「セイショク、シャ? 祭司……でしょうか?」
ナユカは、セレンディー語の前者は知らなくても、後者は知っている……。そこが少々気になるサンドラだが、ここではあえて突っ込まず、受け流しておく。
「そう、それ」
「えーと、そんなわけで、このとおり元気に育ってます」
両腕を上げての力こぶのポーズとともに、ナユカはこの話を打ち切ろうとする。子供の頃はともかく、今では聞かれていやなことはさほどないものの、自分から積極的に話すことでもない。やたら深刻に受け取られて変に同情されたりすると、かえっていい気持ちはしないし、相手の気遣いを考えると心苦しい面もある。
「ふふ、そのようだね」
そんな彼女の心情を汲んだのか、そういったことにこちらから踏み込んでもいいことはないという経験則からか、サンドラは微笑んでこの話題をここでいったん終わりにする。
さて、ここまで自称異世界人の話を聞いた九課課長の印象は、彼女が嘘をついている、ないしは、記憶操作を受けているとしたら、もう少しもっともらしい話をするだろうというもの。本人の嘘、もしくは、誰かの注入した嘘にしては不可解すぎる。境遇のくだりなど明らかに不要だろう。……というわけで、ナユカの話を信用に足るものとみなしたサンドラは、次に話すべきことへと進む。
「ところで、重要なことなんだけど……」一拍置いて切り出す。「あなたは、元の世界に戻りたいの?」
普通なら、聞くまでもない質問だろう。しかし、この異世界人は、これまでのところ、そういう素振りを見せていない。すでに数日が経って慣れたとか、言葉にさして不自由しないとかいう理由があるにしても、彼女にどうしても早く帰りたいという焦りが感じられない。その点がサンドラは気になっている。
「帰りたいとは思っています。みんな心配しているだろうし……。でも……知りたいんです。今、自分になにが起きているのか……それと、小さい頃のこと……。たぶん、この世界と、何か関係があるはずで……。だから、それがわかるまでは……ここに留まりたいと……」
慣れない言語でとつとつと話しながらも、はっきりと示されたナユカの探究心に、九課課長は興味を引かれた様子。
「ふーん……そうなんだ……」
「でも……わたしの都合だけでは決められないので……できれば、ですが」
現実的な問題がある。とりわけ、現状、異邦人は無一文。もちろん、いったん戻って準備してくるというわけにはいかない。
「それなら、私が全面的に協力する。もちろん、戻るときにはその方法についてもね。今はまったくわからないけど……まぁ、なんとかなると思いましょう」
この課長の協力は、ナユカにとっては渡りに船。ここはもう遠慮などせずに、この船に乗ってしまおう。
「はい、よろしくお願いします」
「よろしく。わたしもこういうのは楽しくてね」
イレギュラー好きのサンドラは上機嫌。ナユカのことが気に入ったというのもあるとはいえ、ある意味、人の「不幸」に乗っかって喜んでいる……。不謹慎といえなくもない。リンディが隣でため息をつく。
「あのねぇ」
時に、この課長よりも常識人かもしれない。
「あの、わたしも協力したいんですが……許可していただけませんか」
ここまで来て、自分だけ抜けるなどというのは、好奇心が許さない。フィリスから強い視線を送られ、サンドラは微笑む。
「もちろん。というか、もう抜けさせないよ。ここまで知ったからにはね。ただし、しばらくは非公式ということに……」非公式という単語にぴくっと反応したミレットが、サンドラの視界に入る。「まぁ……仕方ないじゃない」
内密でやることに「公式」はない。課長秘書もそこは承知しているので、飲み込んではいる。お堅い彼女には飲み下し難くはあっても……。この課ではこんなことばかりなので、ミレットも、慣れて……慣れて……慣れて……こない。「ぐぬぬ」と声に出したいところだ……。
「はい。ありがとうございます」
秘書が黙って耐えているうちに、言葉だけなら脅しにも聞こえる課長の歓迎を、フィリスは素直に受けていた。非公式すなわち原則ノーギャラなのだが、好奇心が勝っている彼女自身には、どうでもいい。
「でも、便宜は図るから」
サンドラからフィリスへのオファーに、リンディが食いつく。
「そうなの? それじゃ、あたしにも図って」
「はいはい」軽い相槌を打ってから、課長はさっさと当面の行動指針を示す。「まず、再確認しておくけど、この件はここにいる五人だけの秘密にすること。『魔法が効かない異世界人』なんて、大騒ぎになるからね」
「まだ確定ではありませんが」
医者も魔法科学者であるので、その辺りは厳密だ。課長もそれは否定しない。
「そう。だから、こちらが先に正確な情報をつかんで、準備しておく必要がある。それからどうするかは、そのあとで」
「行き当たりばったりってことじゃん」
平たく言えば、リンディの言うとおり。サンドラは開き直る。
「まだ情報が不十分なんだから、それでいいでしょ?」
「なんか、いっつもそんな感じ」
「そう?」九課常連の指摘を軽く受け流し、課長はすぐ本題へ。「では、これから医務室へ魔法無効化の検査に行きましょう。名目は、ナユカさんへの記憶操作を解除するということで」
「あそこの医者はどうするのさ」
リンディの言う「医者」とは、さっき記憶遡行に「失敗」したオイシャノ医師。
「それが問題だよね……どっちにするか……」
引き込むか、排除するか……。サンドラが思案を始めると、セデイターがいつになく積極的に動く。
「とりあえず、あたしが先に医務室へ行ってくるよ。患者がいるか見てくる」
「ん? ああ、そうだね……」ふだん、あそこへは行きたがらないくせに……と、心中突っ込みつつ、課長は考える。「いると……そうだな……」
患者がいると非常にやりにくい。こちらはある意味、隠密行動である。ただ、いれば医者をそこに釘付けにしておけるかもしれない。やはり、出たとこ勝負か……。などと、ちゃんと考えているんだか考えていないんだかわからない考えに食いついている隙に、ブースのドアの音が聞こえた。
「あれ?」ドアを見るサンドラ。ブース内にリンディはいない。「仕方ないな……ミレット」
呼ばれた秘書は、「魔法を無効化する異世界人」的な話には口を挟む余地がなかったため、口を開くのは久しぶり。
「追いますか?」
「先に行って、リンディに『私たちも少ししてから行く』って伝えて」
「はい。止めなくてもいいんですか?」
リンディの暴走をというニュアンスもある。
「うん。急いで追いつく必要はないからね。目立たないように」
「承知しました」
ミレットは特にあわてることなく、しかし、迅速に部屋を出る。
「私たちは少し時間をおいて行きましょう。ぞろぞろ行くと目立つから」
課長にうなずく、残された二人。少し間を空けて、フィリスがやんわりと水を向ける。
「ところで、さっきリンディさん、少しナーバスでしたね……」
ナユカの過去について聞いているときのこと。
「ああ、そうね。あいつは……」サンドラは一拍置く。「あれはあれで気が回るってことかな」
それ以上は特に話さない。なにか事情がありそうな気もするフィリスだが、個人的なことへ、好奇心にまかせて突っ込んでゆくのはさすがにはばかられるので、話の向きを少し変える。
「ところで……サンドラさんは、リンディさんのことをよくご存知のようですが……」
「リンディのお姉さんと友達でね。あいつが子供の頃からの付き合い」
サンドラとリンディの姉は同学年。
「それで仲いいんですね」
微笑むナユカ。サンドラの目が少し遠くを見る。いろいろ思い出したようだ。
「昔はかわいかったなぁ、素直で。今と違って」
最後の一節はおそらく決まり文句みたいなものだろう。話の流れ上、いちおうフィリスが疑義をはさむ。
「今と違います?」
「最近は、人の揚げ足取ろうとするんだよね。ま、そう簡単にはさせないけど」
笑みを浮かべているサンドラが、今もリンディをかわいがっているというのがよくわかる。
「あ、そういえば……リンディさんが森を突っ切ろうとしたのは、サンドラさんの……えーと……」
異世界人は「アドバイス」のようなことを言おうとしているのだが、単語が出てこない。察した本人が、先を加える。
「ああ、わたしが近道って教えたからね」
「はい。それで……そのおかげで、リンディさんに助けてもらえました。ありがとうございます」
「あ、そっか。そうなるのか」
結果的に。
「もしもリンディさんが迷っていなかったら、どうなっていたことか……」
「迷ったんだ。あー……それはよかった」
我ながら馬鹿なこと言ってるな……。自分に自分で突っ込みたくなるサンドラ。
「ええ。……まぁ、わたしもですけど」
お互い迷ったことで出会えた。なにが効を奏するかわからない。
「それで、文句……っていうか、わたしの悪口言ってた?」
「いえ、特には……。逆に『あの筋肉』とは言ってましたけど……」
「逆に?」
聞き返したフィリスに、筋肉リスペクトのナユカが答える。
「だって、褒め言葉でしょう?」
「いや、えーと……」その言葉の対象へ視線を向ける医師。筋肉体を見るにつけ、どちらかわからなくなった。「どうでしょう?」
「……まぁ、そういうことにしておくかな」……別に悪い気はしないし。筋肉は、立ち上がって伸びをする。「……さて、そろそろ行こうか」
リンディを肴に打ち解けたせいか、サンドラの言葉使いや態度は前よりも砕けている。もともと堅苦しいわけではないものの、これまで彼女なりに多少は気を遣っていたのかもしれない。
三人が退出すると、今回は秘書も不在の課内ががら空きになるので、課長はドアに「準備中」の札をかけ、外からロックする。役所にしてはこの課はずいぶんルーズだとフィリスは思うが、この課長のキャラクターならそうなるのもわかる気がする。その分、秘書のミレットがお堅くなるのも、無理からぬことだろう。
移動中の廊下ではナユカ絡みの案件には触れられないため、話題の選択に少々白々しさを感じつつも、この建物の話などの無難な雑談をしながら、一同はリンディとミレットが待つ医務室へと向かった。