2-2 記憶遡行の前に
九課課長のサンドラやその秘書ミレットとは違い、フリーランスのリンディと迷子でしかないナユカは、約束の時間まで特にやることがない。昨日セデイトした友人――魔導士ニーナの様子が気になっているフィリスは、九課を退出する前に彼女との面会が可能かサンドラに聞いたものの、まずは面会許可を申請する必要があるとのこと。お役所的な手続きに課長は肩をすくめていた――しかし、それもやむを得ない。容態が安定しないのにむやみに人に会わせるわけにはいかないというのは、医療資格を持つ彼女には理解できる。
この分野の専門家であるセデイターのリンディによれば、通例、遠巻きに姿を見るくらいなら、今日中には可能だという。ただ、彼女はあまりそれを勧めなかった。言葉を交わすのは許可されないだろうし、おそらく、ニーナはそれができる状態にはない。セデイト後の回復にはそれ相応の時間がかかるもので、あまり急がないようにとだけ告げ、それ以上詳細は語らない。
医師のフィリスには、そのような――ある種、中途半端な説明が何を意味しているのかわかる。自分もかつてそういったあいまいな説明をしたことがあった――親しい人にはそんな姿を見せないという配慮である。とはいえ、フィリスはそれなりの場数を踏んだ医者であり、それで腰が引けるようなことはない。雇い主への報告義務もまだ果たしていないので、その点からも、面会許可が下りたら直ちに自分でニーナの状態を確認する必要がある。それにも増して、友人として気がかりなのはいうまでもない。
さて、当面暇なリンディとナユカは、フィリスの面会許可申請に付き合って、ニーナが収容されている魔法省付属病院へと向かう。正直、セデイターはあまり気乗りしなかったものの、自分があの天才魔導士を避けているように受け取られるのが嫌だったので、仕方なく同行している。
魔法省敷地内、本部建物から大きな庭をはさんで隣接しているこの病院は、人材と魔法医学の粋を集めた、まさに魔法省の面目躍如とでもいうべき大病院であり、さすがにこれを無駄と非難する者はひねくれ者以外にはいない。ここへは、治療の上での必要性がないと簡単には入院できないことを考えれば、セデイターに強制セデイトされたおかげでここでケアを受けられるニーナ、そして、ついでにバジャバルなどは、幸運といえる。退院後にどういう処分を被るかは別として。
フィリスが面会許可を申請したところ、現在ニーナは面会謝絶であり、今日中にそれが解除されることはほぼないだろうとのこと。ただ、管理室からカメラ越しに様子を見るのは許可されるかもしれないので、機を見て夕方にでも来たらどうかという。その際は、近しい関係者なら簡単な申請で通るため、それについての申請を今する必要はない。そのような説明を受け、フィリスら三人は、病院を後にした。
そうこうしているうちに、そろそろ昼食の頃合となったため、フィリスも加えてリンディの部屋に集まり、デリバリーで昼食を注文することにした。少し遅めの朝食だったにもかかわらず、フィリスは昼食になかなかの量の料理を注文。それを見たナユカはそんなに食べられるか疑問だったが、杞憂だった。さらっと完食した本人に、いつもそんなに食べるのか尋ねたところ、どうやら、昨日回復魔法を使うに当たって大量の魔力を消費したため、その回復のためにたくさん食べたという。
「昨晩は疲れてあまり食べられなくって。今朝はあまり時間がなかったですし」
それが当人の説明だが、ナユカの見る限り、今朝はともかく、昨晩はふつうに食べていた。ということは、おそらく、今食べただけの量を、本来は昨晩食べる必要があったということなのだろう。普段から大食というわけではなさそうだ。
一方、普段から食事多めのリンディは、通常通りの多めで、今は取り立ててそれよりも多めに食べはしなかった。戦闘でそれなりに魔力を消費したはずなのに、なぜ通常通りかといえば、ニーナをセデイトしたときに相当の魔法元素も吸引したため、とりたてて魔力回復の必要がないという。その手法が通常のセデイト魔法によるものと違い、特殊なものであった効果だ。付け加えるなら、攻撃もできずにただボコられただけだったため、結果的に魔力を消費する間もなかった――というのもあるが、その点はあまりにも情けないので、セデイターはナユカに説明する際には省いておいた。
食休みを終え、フィリスは自分の好奇心に抗うことなく、ナユカに本人のいう「異世界」について尋ね始める。といっても、一方的に質問攻めにするという趣ではなく、うまいこと話を引き出している。
その辺りは医師という職業柄だろうか、リンディにはできない芸当だ。もちろん、その点が苦手な医者もいるが、フィリスはヒーラーとしての技量のみならず、そういった部分に関しても優れているのだろう。昨日犯した自らの様々なしくじりを思い出すにつけ、人の優秀さに多少のやっかみを感じてしまうセデイターだが、それではいけないと反省し、その手法を我が物とすべく、フィリスをじっと見つめる。
「どうかしました?」
観察対象が自分の方を向いたので、観察者は虚をつかれる。
「へ?」
「いえ、なんか……その……」
言いよどむフィリスに、ナユカが代わる。
「そんなに見ると、穴が開きますよ」
「え!」
この世界の住人が同時に声を上げた。異世界人はそれに反応。
「え?」
「開くの? そっちでは」
真顔で聞いたリンディに、真顔で推測するフィリス。
「だとすると、魔法……ですかねぇ……かなり特殊な」
「あ、いえ……そういうことではなく……」
これが単なる向こうでの慣用表現であることを説明する異世界人だが、セレンディー語の語彙が足りないため、しどろもどろ。どうにか誤解を解いたところ、リンディはがっかりしている。
「なーんだ。目からなにか出すわけじゃないんだ」
目からビームか。異世界人の突っ込み。
「出しません。出たら怖いでしょ。人間じゃないでしょ」
「人間じゃないの?」
にやっと笑うフィリス。これは、はたして冗談か……それとも鎌をかけているのか……。判断に迷ったナユカは、まじめに答える。
「……わたしは人間ですよ」
こんなことを真顔で口にする日がまさか来るとは……。軽い目眩を感じた異世界人の素性をリンディが保証する。
「それはわかってるって。昨日、確認したし」
「は?」
視線を向けたナユカに、確認した張本人が答える。
「お風呂で」
「あ……」顔を赤らめるスレンダー娘。「あれ……」
「ちゃんと人間の女性だった」
うなずくリンディを、チェックされた側が横目で見る。
「もしかして、あれもわざと……」
「あれ?」
フィリスは両者を交互に見る。セクハラ犯は弁明を開始。
「いや、あれはたまたまだって……なんとなく……するっと……」
「あ、もういいです」続けられると、また落ち込む。「これから成長するので」
拳を握るスレンダーボディ。
「成長って?」
医者が小声で聞いてきたが、リンディは小首を傾げる。
「……あたしにも、よくわからない」
傍らではナユカがまだ気合を入れていた。
こうして、平和な昼下がりを過ごしているうち、集合時間が近づいてきたので、リンディたち三人は、連れ立って第九課のオフィスへ向かう。
「来たね」
全員が来たことを視認したサンドラは、ミレットを見る。
「記憶遡行魔法の使用許可申請は受理されました。説明は法務部の第三会議室にて行いますので、そちらへいらしてください」
秘書からお堅い言葉で不意に指示され、当事者の異邦人は難しすぎてわからない。
「あ……えーと……」
「ま、とにかく移動するってことね」
ざっくりし過ぎたリンディの説明に、とりあえずナユカはうなずく。
「あ、はい」
「じゃ、そういうことだから、行きましょうか」
席を立った課長の先、リンディは先陣を切って出口へ。ナユカとフィリス、その後ろにサンドラが続き、秘書は九課にて留守を預かる。
場所を知らないフリーランスに代わって先頭に立った九課課長の案内で、小ぶりの会議室へたどり着くと、中には法務担当官と記憶遡行魔法をかける医師がいた。昨日、医務室にいた担当医である。
まずは、前者によって、魔法の効果とリスクについての一般的な説明が始まった……のだが、その説明対象となる本人が理解しているかどうかは気にも留めず、事務的に決められた文言をただひたすらに発声し続けるという、典型的なお役所仕事が展開される。
もとより役人にそれ以上のことを期待していない、自身も役人であるはずのサンドラとフリーランスのリンディは、傍らからナユカに用語などを噛み砕いてわかりやすく説明。それを聞いて、本人もようやく、大まかにではあるものの、内容を理解したようだ。一方、ただの役人でしかない法務担当官はそれを見ていただけで、特に付け加えたり、繰り返したりすることはない。通常、こんな態度をとられたら、サンドラ自身なら文句の一つや二つのみならず、十や二十もくれてやるところだが、今は当局にあまり関わって欲しくない状況にあるので、そういった不親切さは、それはそれで好都合として放っておく。
次に、担当の医師から記憶遡行魔法についての説明が始まる。彼は魔法省本部医務室付けのドクターであり、診察嫌いのリンディは顔見知り。サンドラの命により、不承不承ながら診てもらうこともあるが、そんな患者にも丁寧に接するような、わりと親切な医者で、今もそれなりにわかりやすい説明をしてくれる。言語的にわからない部分は異邦人の表情に出るため、それを読んで、そこは同様に医師のフィリスが注釈をはさむ。
「説明は以上で終わりだけど、理解できた?」
一通り説明も終わったので、サンドラがナユカに確認。
「……だいたいはわかりました。あっちにも似たようなものはありますから……魔法じゃないですけど」
催眠術のこと。あくまでも、前世退行とか、そういう怪しいのを除外した専門的なやつ。ここで使われるのは、魔法ではあっても、真っ当なもののようだ……。異邦人が心理学者が使う催眠術を思い浮かべていると、リンディが傍らに来て目配せをし、声を出さずに自分の口に手を当てた。
「え?」ジェスチャーが向こうと違うのでわかりにくい……が、異世界人はすぐに気づいた。「あ」
たぶん「あっち」とか「魔法じゃない」とかは、言わないほうがいいということだ……。「で、やってみる? いやならもちろん拒否していいよ。強要はしないから」
答えを少し待とうと思ったサンドラが待つまでもなく、ナユカは即答。
「やります。ちょっと、興味があるんで」
「そうなの? ふーん。わりと肝が据わってるんだねぇ」課長は、少し感心。「リンディは嫌がるんだよ」
「え?」
ナユカ、ちょっと不安げに引く。
「大丈夫。さっき説明があったように、安全だから」言ってから、サンドラはリンディに視線を向ける。「安全なんだけどねぇ……」
続きをさえぎる張本人。
「はいはい。あたしだってわかってるよ、安全だって」
「それは私が保証します」
その担当医に、フィリスという保証が加わる。
「わたしもしっかり見ているから」
これで、ナユカは安心を取り戻した様子。
「そうですか、それなら……やります」
「では、記憶遡行魔法の使用を承諾されたということで、よろしいでしょうか?」
これが法務担当官による最終確認。
「はい、お願いします」
被術者が承諾したので、担当医に主導権が移る。
「では、医務室に来ていただけますか? そちらで行いますので」
法務担当官はここでお役御免となって立ち去り、一同は速やかに医務室へと向かう。