9-1 廃れた武器
何かのきっかけによってあの幻影がフラッシュバックするのを危惧したフィリスから、一人で眠るのは避けて、自分たちの部屋にまた泊まるよう勧められたリンディは、積極的にそのお言葉に甘えた。よって、今朝も、またぞろ三人そろっての出勤と相成る。鍵を渡されたフリーランスのセデイターは、気にせず寝ていていいと部屋の主たちに言われていたものの、目が覚めてしまったついでに、やはり一緒に登庁することにした。
さて、この日は、事前に知らされていたように、ナユカのためにオーダーメイドした結界破り用の「棒」が届く予定だ。しかし、それよりもリンディが気になっているのは、昨日サンドラが言っていた、ナユカの役に立つ運動だか訓練だかの類のもの。それを早く知りたいというのが、寝坊助がわざわざ朝早くに九課にやってきた主な理由だ。リンディはせっかちなタイプではないとはいえ、焦らされている状態は好きではない。いつまでも頭のどこかにそういったことが引っかかっていると、物事への集中力が落ち、魔法の発動にも影響するものだ。下手をすると、セデイターとしての業務にも支障が出るかもしれない……。もっとも、ここのところ本職をさぼりっ放しではあるが。
「あれ、リンディも来たの? 早いじゃない」
今日は特に手伝いを頼んだわけではないので、定時の登庁はサンドラには予想外だ。
「来たよ……ふぁ……」お馴染み、リンディの大あくび。「だから、早く教えて」
「教える? なにを?」
たぶん、しらばっくれている……。
「だから、例の……ほら……」まだリンディの頭はよく回らない……言葉が出ない……。「あぁ、もおっ……」
「わかってるよ。怒って目は覚めた?」
「覚めた覚めた。もうばっちり」
ヤケ気味の寝坊助を、サンドラがからかう。
「で、なんだっけ?」
「……っ」
リンディは、無言で相手をにらむ。
「無言はやめなよ、怖いなぁ。道具はあったよ」
「……で?」
眼力で、早く言えと訴える。
「後で練習に行く」道具がなんなのかを明らかにしないまま、課長はその使用者に視線を向ける。「いいよね? ユーカ」
「はい。ぜひ」
なんだかわからなくても、練習なら歓迎のナユカ。一方のリンディは、苛立ちを通り越して、虚しくなってきた……。もう言葉も出ない。
「……」
「あ、あ……今、言う」さすがにまずいと思ったサンドラ。「でも、ね……わかるかなぁ……『弓矢』なんだけど」
「……なにそれ?」
リンディが知らないのも無理はない。この世界において弓と矢など、完全に廃れた武器である。威力、命中率、携帯性、多様性、コストなどに長けた、魔法というものがあるのに、なぜそんなものを使う必要があるだろうか? 向こうの世界でいえば、銃が使われるようになって、弓の実用性がほぼなくなったのと同じ――いや、魔法と対比すれば、さらに無用のものだ。
魔法の使用メソッドが開発され、広く普及してからは、弓は急速に時代遅れとなり、原始的で利用価値のない武器として、使用する者はほぼいなくなった。しかも、その時期は、文明の進捗度と比して、かなり早い。ゆえに、武器としてのみならず、あちらの世界のように競技として一部に定着することもなく、いまや、古代史の学者や物好きな武器の専門家くらいしか、その名を知るものもいない。サンドラは、言わずもがな、後者である。
「……だよね。だから、言わなかったんだよ。見なきゃわかんないでしょ」
「ふーん」
その言い訳には疑わしげな視線を向ける魔導士だが、確かに実物を見なければわからない。
「どういうものですか?」
安全を確保しなければならないフィリスは、やはり事前に知っておく必要がある。危険なものなら許可できない。そこで、言葉での説明が面倒なサンドラは、体で表現する。さすが肉体派。
「こういうもので……こういうものを……こうして……、こう撃つ」
「あ、なんだ。『ユミ』ですね」
ジェスチャーを見て、異世界人はすぐにわかった。単語はあちらのもの。
「わかるの?」
「はい」リンディに聞かれ、ナユカはサンドラから見えるように、弓を弾いて矢を放つジェスチャーをする。「こうですよね?」
「そう、それ」武器専門家も、再度弓を弾くポーズ。「向こうにもあるんだ?」
「ええ、いちおう。競技として」
流鏑馬などの伝統芸能も含め、競技以外では、ナユカは見たことがない。未開の地などでは、実際に武器として使われているのかもしれないが……。
「競技ね……」ということは、やはり廃れているのか、とサンドラは思う。「やったことある?」
「いえ、ないです」
「いちおうこっちにも、競技として残ってはいるんだよね……細々と」
物好きな武器専門家の言うように、完全になくなったわけではない。ごく一部の好事家の間で競技化されている。だからこそ、まだ使える道具があるわけだ――それも自宅に。
「あ、そういえば……これ」リンディも、ぎこちなく弓を弾くまね。「……どっかの神話にあったな」
「わたしも今、思い出しました」呼応したフィリスが、記憶を手繰る。「……確か、神々に反逆した巨人たちが使った武器ですよね?」
「そうそう。それで、神々の魔法によって打ち負かされるという……」
弓が廃れた歴史を象徴するようなエピソードだ。
「まぁ、そうだけど……古セレンディアの神話ね。魔導士のわりには、覚えてないんだねぇ」
サンドラが、どこの神話かはっきり覚えていなかったリンディに突っ込みを入れたところ、代わりにその巨人たちが魔導士とヒーラーからディスられる。
「あれは、巨人が弱すぎるんで、魔法イメージの役に立たないんだよ」
「実際の魔法戦では、あんな簡単にはいきませんからね」
「だから、たいていはちらっと読んでスルー」
「神々に被害がないから、回復魔法も出てきませんし」
巨人、ひどい言われようである。魔導士が神話を読むのは、魔法イメージの参考にするためで、その役に立たなければこんなものだ。ましてや、惨敗した巨人の武器なんぞに興味を持ってしまうのは、魔導士崩れの武器オタクのみ。
「……もういいよ、わかったから」それに該当する人は、敗北して先に進める。「……で、その競技を練習するわけ。わかった?」
はたして、健康管理責任者の判断は……?
「そうですねぇ……見てみないとわかりませんが……」
判断保留。だから、サンドラは最初からそう言っている……地団太を踏みたい気分だ。とはいえ、フィリスがわからないと答えたのは、安全性に関してで、弓矢自体は概ね把握している。
「練習、いつからですか?」
こちら、弓道もしくはアーチェリーだとわかって、早くも練習のほうへ気が向かっているナユカ。できればすぐにでも始めたい……。そんな様子に、教える側もやる気が満ちてくる。
「すぐやりたいところだけど……午後からね。魔法練習場のほうで」
「……武器練習場じゃないの?」
リンディの疑問は、当然。弓矢は物理攻撃だ。
「あっちは飛び道具用にはできてないから……」
サンドラは、健康管理責任者を刺激しないために、「危ない」という言葉を飲み込む。この世界では、ほぼ、遠隔攻撃イコール魔法のため、一般的な武器練習場には弓の練習に適したスペースがなく、近接武器同士の手合わせに特化してある。安全対策もそれに向けたもので、的などない。一方、魔法練習場のほうには、スペースも標的もある。そして、それを有効活用するためのプランが、この武器専門家にはある。
まず考えるべきは、サンドラのような魔法攻撃の苦手な武器使いはどうやって遠隔攻撃をするか。それは、自分の武器にエンチャント魔法をかけ、それを振ることでその魔法をターゲットへ飛ばすのである。いわば、「剣圧で飛ばす」ようなものだ。通常の魔法とは違った形の魔法攻撃となるため、熟練しなければ狙いはつけ難いものの、練習が必要なのはどちらも同じ。エンチャント魔法がかけられることが必須条件となるが、それは通常の魔法攻撃ほど難しくはない。純粋な魔導士ではないサンドラでも可能で、彼女のような存在は、ひっくるめて「魔導戦士」と呼ばれる。そして、そのようなエンチャント魔法射出攻撃の練習は、必ず魔法練習場で行う。今回、それに類することを魔法練習場でやろうというのが、サンドラの思惑だ。
そんな考えがあるとは思わないリンディは、物騒な物言いをする。
「ま、いいけど。あたしがぶっ壊すわけじゃないし」
「ぶっ壊す?」
これは、フィリスは無視できない。……そんなことをナユカがやるのは危険だ。鋭い視線を送られたサンドラは、リンディに向かってその視線を反射。
「ぶっ壊さないよ。ちゃんと考えてあるんだから」
「だってさ、ユーカ。よかったね」
リンディがサンドラの視線を避けてナユカへ視線を送ると、異邦人はよくわからないままフィリスへ視線を向ける。
「……なんか、そうなんだって」
「そう?」順送りされて戻ってきた視線を受け、フィリスはサンドラに再度、視線を送る。「具体的にはどういう?」
「それは……あ、そうそう。リンディに手伝ってもらおうかな」
都合よく朝から来ているので、今、了承を取っておこうという課長。
「あたし?」その視線を受けたリンディは、練習する本人に視線を向ける。「ま、ユーカにはあたしの練習につきあってもらったから、いいけど」
「お願いします、リンディさん」よくわからないので、ナユカはフィリスに視線を送る。「なんか、そうみたい」
「……そう?」視線を戻されても、健康管理者はまだ内容を聞いていない。武器専門家へと視線をやる。「それで、具体的なやり方ですが……?」
「競技でもやることがあるんだけど、矢尻にエンチャント素材を巻いて……」
「エンチャントね、なるほど」割り込んだリンディはサンドラからの視線を受け、隣のナユカに視線を送る。「……だって」
「あの……わたしはよくわからないんですが……」
異世界人の視線を感じ、フィリスは再びサンドラへ視線を向ける。
「続けていただけますか?」
「どこまで話したっけ?」武器専門家は、リンディに視線をやる。「あなたのせいでわからなくなったんだけど」
「わかる? ユーカ」
「いえ、わたしは……よくわからないので……」
魔導士から視線を送られても、ナユカはフィリスに視線を戻すのみ。
「矢尻にエンチャント素材を巻くというところからです」
健康管理者の視線を受けたサンドラ。
「ああ……あとは、エンチャントして的を射る。そういうこと」リンディの最初の疑問へ返答するため、視線をそちらへ。「だから、魔法練習場なのさ」
「だってさ」
「はあ……そうですか……」魔導士の視線を受け、ナユカはフィリスに視線を送る。「そうだって」
「うん、わかった」医師は、もう少し質問するべく、課長に視線をやる。「それで……」
「もう、この伝言ゲームみたいなの、やめにしない?」
サンドラの視線を受けたリンディの視線はナユカへ。
「そんなことしてた?」
「まぁ……」
また異世界人から送られた視線を受けたフィリス。
「してた……みたいですね」
サンドラに視線をやる。
「まだしてるよね」
指摘した当人のみならず、意識した全員が次に視線をどこへ向けるべきか思案していると、席を空けていたミレットが課に戻ってきた。よって、全員の視線が一斉に向かう。
「……どうしました?」
意味ありげな視線を一身に浴びて居心地悪そうな秘書に、課長が声をかける。
「あー……別になんでもない。気にしないで」
「そうですか?」雰囲気に飲まれず、ミレットは職務を優先する。「もうしばらくしたら、ユーカさんの棒が届くそうです」
「そう。それじゃ……」妙に視線が気になってしまっているので、リセットも兼ねて、サンドラはナユカに声をかける。「魔法研で受け取ってくれる?」
「はい。わかりました」
本人が答えて、これでようやく視線循環サイクルが収まった。そこへ、ナユカを単身でターシャのもとへ送るわけにはいかないというリンディが加わり、両者は魔法研へ。
一方、サンドラと弓矢の安全な練習法についての確認作業があるとのことで、珍しくフィリスは異世界人に同行しない。あまりにもへばりつくことで鬱陶しく思われると、肝心なときに同道を嫌がられるかもしれない……。今回は信頼できる……できそうな……ターシャとリンディがおり、おそらく危険な目に会うことはないだろう……ないはず……たぶん――そう願って。




