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魔法世界のセデイター 2.異世界人の秘密と魔法省の騒動  作者: 七瀬 ノイド
二章 魔法省二日目(映像、記憶遡行、検査)
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2-1 映像の確認

 昨夜は早めに就寝したことに加え、九課集合は始業の一時間後――すなわち、他部署の始業よりも実質二時間遅れ――という寛容な約束になっているものの、それでもやはり、眠いものは眠い。前日の疲労が尾を引いているのだろう。結局、朝が苦手なリンディの起床チェックとして、サンドラより遣わされたミレットが鳴らした呼び鈴で、三人ともようやく目を覚ました。正確には、呼び鈴で起きたのはナユカと、念のため鳴らした別室のフィリスのみ。リンディは同室のナユカと、彼女によって入室を許可されたミレットの共同作業によって起こされていた。この寝坊助に関しては、呼び鈴程度ではなく、バズーカでもぶっ放さなければ起きなかったかもしれない。

 一方、ひとり別室で目覚めたフィリスはあたふたと着替え、寝起きを誤魔化しつつミレットの応対をした後、向かいの部屋を訪ねる。許可を得て入室すると、ふたりはいまだ着替えに至らず、だらだらムード。あわてて損した彼女は、一緒に食事をする約束を取り付けて、いったん自室に戻ってから、身支度を整える。


 魔法省の食堂でありきたりな朝食を取るなどしてから、三人連れ立って出向いた課内には、当然そこにいるべき二人がいた。課長のサンドラとその秘書のミレット――それ以外には誰もいない。

 九課はもともと「特殊対策課」である性格上、対策すべき問題が設定されていないときには常駐の人員が少なく、必要な場合に他から人員を拝借している――いわば、「特殊対策室」が常設化して課となっているようなものだ。それにしても、たいていはもう一人常駐の事務員がいるはず……。休みでも取っているのだろうか? 課内を見回したリンディは怪訝に思うが、これからやることを考えれば、人が少ないほうが彼女には都合がいいだろう。


「おはよう。みんな朝は弱いようね」

 三人をそれぞれ見たサンドラは、起こしに向かわせたミレットからその点を聞いている。ナユカとフィリスは挨拶を返しながらも、ばつが悪そう……。リンディはいつものことなのでどうということもなく、あくびをしつつ、なにを言っているのかわからない返事をする。

 ともあれ、指定時間までに来たのは結構なこと。すでにやることは秘書を通じて伝えてあるので、課長はさっさと事を進める。

「それじゃ、セッティング……」

「あたしやるよ」

 意外にもリンディが即座に立候補してきた。

「そう? じゃ、お茶入れてきて」

「あ、いや……あたしはセッティングを……」

「セッティングは課の人間のやることだからね。わたしとミレットがやるから、お茶お願い」

「えーと……そお? じゃ、しょうがないか……」

 リンディはなぜか後ろ髪を引かれる様子で、秘書の代わりにしぶしぶとお茶を入れに行く。

「甘いな」給湯室へ向かったセデイターを見送ってつぶやくと、課長はナユカとフィリスを手招きする。「ふたりともこっちへ」


 手狭な九課ではあっても、映像資料などを見るための小部屋は、秘密保持の点から、しっかり備え付けられている。サンドラに導かれた二人がその中へ入ると、すでに暗幕が引かれて投影用のスクリーンは下ろされ、いすや机も並べられていることから、セッティングは完了しているようだ。おそらく、サンドラたちが事前に準備しておいたのだろう。この時間に何をやるかは決まっていたし、始業から一時間ほど経っているわけだから、それも当然。しかし、それならなぜミレットではなくリンディにお茶を頼んだのだろう……。秘書は何がしかの機器の前にいて、簡単なチェックをしているだけだ……。ナユカとフィリスの不思議そうな視線を察し、サンドラは独り言のようにこぼす。

「リンディの入れるお茶はおいしいんだよ」

 それは嘘だろう。いや、お茶はおいしいのかもしれない。この課長の意図を勘ぐっているフィリスは、リンディの昨晩の様子から、あることにうすうす気づいていた。おそらく、彼女は、セッティングという名目で映像機器に近づき、先に例の映像が記録されたクリスタルを奪おうとしたのではないか。それを先読みした課長がセデイターを後から室内に入れるように仕向けた……。たぶん、このふたりの慣れ親しんだ感じから、しょっちゅうこんなことをやっている……そして、大概は課長の勝ち……。フィリスがそんなことを考えていると、リンディがお茶を運んできた。

「はい、お茶。お待たせ」

「はい。ありがと」お茶を入れたポットやカップがテーブルに置かれ、サンドラはリンディをねぎらってから、ミレットにゴーサインを出す。「それじゃ、始めようか」

「承知しました」

 秘書の返事につなげるかのように、課長はフィリスとナユカにも一声。

「お茶は適当にどうぞ」

 後方に陣取るミレットは、球形のクリスタルから小さなキューブを外し、そこに現れたスロットへ、同型のキューブ状クリスタルをはめ込む――まずはリンディのものから。

「では、始めます」

 ミレットが何がしかの音声コマンドを唱えると、前方のスクリーンに映像が投影され始める……。

 メカニズムは違っても、プロジェクター――ただし、これは光魔法を基礎技術としている。内部構造はわからなくても、クリスタルを使っているのを見れば、こちらのテクノロジーがあちらのそれとまったく違うのは、一目瞭然。転送などの別世界のテクノロジーを体験したナユカも、すでにそれを承知しているとはいえ、やはり驚きは隠せない。水晶玉にしか見えないものとスクリーンを見比べている。


 先に出てきた映像は、順番からして、リンディの懸案のほうではなく、バジャバル。

「あ、そっちだよね」

「バジャバル=、ジャジャバラールですね」

 記録の中でその名前を言わなかったセデイターの代わりに、手元の資料を見ながら秘書がそれを発音したが、名前と苗字の間に少しの間があったことを耳ざといリンディは聞き逃していない。お堅く完璧なミレットですら、これである。あの名前を覚えられないことを誰が責められよう。

 この映像は、リンディが再度名乗り、バジャバルにセデイト魔法をかける直前から完了まで。セデイト時の規定どおりであり、過も不足もない……はずだが、やはりそうでもなかった。

「対象の名前をおっしゃってませんね」

 課長秘書の冷徹な指摘。規定では、確認のため、最初に対象の名前を口にする必要がある。しかし、そこを突いてくるのはもはや非情というべき。なんといっても、この名前だ。

「名前ね……。名前、なんだっけ?」

 リンディの反撃開始。ここを指摘したのは、ミレットの墓穴となるだろう……ふっふっふ。

「……バジャバル、ジャジャバラールです」

 しかし、秘書の発音は正確だ。それならば……。

「資料は見ないで。はいって言ったらすぐ言う。……はい」

「バジャバル、ジャジャ、バラールです」

 口調は遅い。ただ、合ってはいる。さすがはミレット。しかし、リンディはまだ逃さない。

「なんか、遅いよね。それに、変なところで切れてるけど?」

 言いがかりに対して、秘書は律儀に対応する。自分でも発音に納得いかないのかもしれない。

「バジャバル=ジャ、ジャバラール」

「まだ切れてる」

「バジャバル=ジャバラジャバ……」

 ついに間違えた。痛恨のミレット。一瞬、息を飲む。心の中の「ぐぬぬ」という声が聞こえてきそうだ。

「く」笑いをこらえつつ、サンドラが介入。「……まぁ、今回はいいかな。特殊なケースということで」

 間違った名前をコールして、後で言質を取られるよりもましということ。その辺りは現場の判断であり、セデイターの行動は不適切なものではない。また、課長秘書もそういった判断に決して無理解なわけではなく、尊重もしている。ただ、それはそれとして、言い間違いは悔しい……。変わらない表情からは、それをうかがい知ることはできないが……。

「ご理解どーも」

 リンディは、座ったままうやうやしく頭を下げる。ミレットの心境やいかに。

「それじゃ、次に移りましょう。ミレット、お願い」

 言い終えてから、頬に手をやるサンドラ。なにをしているかは、笑っている目を見ればわかる。

「承知しました」

 一方、秘書は何事もなかったかのようにキューブ状のデータクリスタルを交換し、次の映像を映し出すための音声コマンドを淡々と唱える。

 そして、スクリーンに映し出されるのは……フィリスの撮った映像。つまり、リンディにとって望ましくないほう。こちらは、いわばフルバージョンなので、これを見るようだ。始まるのは、草原でリンディが魔導士ニーナのパーティを呼び止めたすぐ後から。これより、スクリーンの前の五人は、特に会話もせずにじっと映像に見入ることになる。


 超小型ドローンのようなものでフィリスが自動空撮していた映像は、記録対象をニーナにロックしてあり、スクリーンには上方からの彼女周辺の様子が映し出されている。投影されるシーンは、もちろん、昨夕経験したもの。

 リンディがいたぶられる場面では、ナユカは見ていられないらしく、目を背ける。フィリスの表情には憂いが見られ、サンドラにはイラつきが見て取れる。ミレットは一見いつものような無表情……に近いが、顔の筋肉の動きからそれを装っているのがわかる。自分のことであるリンディですら「うわ……」と小声を漏らす。そのときは夢中でも、後から客観的に見ると、相当ひどいものだ。

 それから、ここにいる二人によるそれぞれの手助けを得て、リンディは魔導士ニーナを特殊な方法でセデイトし、フィリスによるすべての治療後、転送スポットまで移動。転送順一番目のニーナが転送ボックスに入ったところで、転送作業中のリンディや自分の転送のことで頭が一杯のナユカには気づかれないまま、ドローンは持ち主に回収され、そこで記録は終了。


 全員、しばし沈黙。まず、最初に声を上げるのは、「セデイト課」の責任者サンドラ。

「さて、なにか申し開きすることはある? リンディ」

「よ……よかったよね、みんな無事で」

 苦し紛れなセデイターの返事に、課長の深ーいため息。

「他には?」

「全部撮ったんだ……。よく、撮れてるよ……ね? あは……は……」

 リンディの小さな誤魔化し笑いはすぐに途絶える。少し間を空けて、サンドラから意外な言葉が届く。

「わたしは怒ったりしないよ、リンディ」

「え? そうなの? え?」

 小言覚悟のセデイターは驚いている。

「もちろん」サンドラはにっこり。そして、一気に言い切る。「こんなにわかりやすく無様な姿を見せられて、怒れるわけないでしょう?」

「う」

 リンディ絶句。

「だってほんとに情けないじゃない、こんなにやられて。けっちょんけちょんに、ずたぼろに」

 にこやかに話す課長に、反論できないセデイター。

「くっ」

「まさにフルボッコってやつ? 実力、天地の差。まさに蛇と蛙。ヴィーガーとウィーガー」

 笑顔で追い討ちをかけたサンドラの最後の表現は、ナユカにはよくわからない。この世界独特のものだろう。リンディはただ、うめくのみ。

「うう……」

「これを見て何も考えないあなたじゃないから、わたしは何も言わないよ、リンディ」

「も……もう十分」

 何も言わない、からはほど遠く、こっぴどくけなされた。結局、怒られたのと同じこと。

「とにかく、みんな無事でよかった」ナユカとフィリスへ交互に視線を送った後、九課課長は、セデイターに視線を戻す。「最低限、人を巻き込まないように。このことだけは、はっきりさせておきます」

「わかった……」

 リンディにしては素直な返事。けっこうこたえているようだ。

「それにしても、フィリスさん。あなたのおかげで助かりました。わたしからもお礼を言います」

「え?」

 聞き返したヒーラーに、サンドラが感謝している内容を列挙する。

「協力してくれたり、治療してくれたりね。それに、ガードもしてくれたよね」

「エレメンタル・シールドね。あれのおかげで助かった。あれがなかったら……」

 最後の点に言及したリンディの謝辞を、向けられた対象がさえぎる。

「それなんです」不意に上げた声で、一同は注目。フィリスが続ける。「おかしいんです。あれだけでは、ガードできないはず」

 一夜明けてようやく提示できた疑問点は、それ。

「あれだけって……撃たれたの、火系でしょ? だったら……」

 リンディの質問に、ガードした本人が答える。

「それだけではありません。暗黒系も撃っています」

「『も』? 『も』ってどういうこと? そんな時間……あ。高速詠唱? まさか……」

 通常ではありえないが、戦闘した当人としては、それしか……。その推測は、元パーティーメンバーによって肯定される。

「そうです。先にエレメント系魔法を詠唱して、魔法が発動する前に高速詠唱で暗黒系を混ぜる……彼女の得意技……『高速多重詠唱』。常人ならできませんが、ニーナはそれが可能なんです」

 いまさらながら、件の魔導士のすごさにセデイターは唖然とする。

「そんな……」そんなのを単独で相手にしていたとは……。いまさらながら、己の無鉄砲さに呆れる。「そんなこと……」

 その先を聞かずして、フィリス言い切る。

「天才ですから」


 この両者のやりとりを聞いていたサンドラは、問題のシーンの再チェックを提案。ミレットの操作によって、その場面が拡大され、スクリーンに映し出される。角度が正面からではないのでわかりにくいものの、ニーナから放たれた燃え盛る火に包まれている中心部分に、黒い渦があるのがちらちらと見える。「暗黒系」魔法だからといって、その魔法の色が必ずしも黒いわけではないが、これは黒。おそらく、混合毒系の魔法かと思われる――どういう毒かは判別不能。

「もう一度、スローでお願い」

 課長の指示により、秘書が今度はスローで再生。こちらのテクノロジーではハイスピードカメラほどにスローになるわけではないものの、今度はリンディにもはっきりと漆黒の渦の存在が見て取れる。

「本当なんだ……」

「なるほどね。でも、それならこの暗黒魔法は、効力を発揮しなかったことになるんじゃない?」それが理に適っているが……自分で言いながらも、サンドラには疑義がある。「ただ……あれほどはっきりと見えていたものが不発というのは……」

 使用魔法の性質上、セデイターは暗黒魔法に通じている。現場では横に倒れていて、魔法から視線が切れた状態だったが、この映像を見る限り不発はないと断言できる。

「ないよね」

 この期に及んで不手際を責める気は、課長にはない。しかし、この点ははっきりさせておかなければならない。

「リンディは防御しなかった?」

「あたしは……見てのとおり……倒れていて……」

 なにもできなかった。魔法を見てもいなかった。情けないから口に出して言いたくない……。リンディが言わんとすることはわかるのでそこは追求せず、サンドラはその魔法について知っている者に確認する。

「実際にニーナの、その『高速多重詠唱』による複合魔法が発動したのを見たことある?」

「ええ……魔獣狩りで……何度か……」

 伏し目がちに、フィリスは課長に告白。魔獣狩りは、いまだ禁じられてはいないものの、無益な虐待そして殺生であり、一般に好ましくない行為だ。魔獣の絶対数が低下しつつある現在、動物保護の見地、並びに資源管理の面などから、それは各所より非難を浴びている。知的で温和かつ命を預かるヒーラーでもある彼女が、自分からそのようなことをするとは思えず、おそらく瘴気にやられたニーナに引きずられてのことだろう。本人が罪悪感を抱いているのが、態度でわかる。

「そう」その点は、今は追及しない九課課長。「ともかく、暗黒魔法のほうも発動した可能性が高いわけね。でも、そうすると……おかしいよね」

「はい……わたしの防御魔法は効きません……」

 フィリスは魔獣狩りのことに恥じ入っていて、まだ目線を上げられない。

「もう一度スロー再生してくれる、ミレット」

 サンドラの指示により、再びその部分をスロー再生。見えてくるものはやはり同じ。赤い炎、黒い渦、シールド、そして消滅。

「なぜか魔法が完全に無効化されたわけか……。そう見えるよね、ミレット」

 課長は映像操作している秘書にも確認。

「はい、そのように見えます。一瞬で完全に消えているようです」

「そうだよねぇ。スローでも一瞬だよね……何が起きたんだろう……」

 考えるサンドラ。すると、しばらくの間沈黙していたリンディが、久々に口を開く。

「とすると……やっぱり……」迷子の異邦人を見つめる。「もしかしたら、ユーカには……」

 いきなり注視された本人は、きょとんとしている。実のところ、異世界人にはここまでの会話がまるで理解できていない。魔法に関する知識はなく、その用語もわからないため、話の内容についていくのは困難だ。

「え? あの……すみません、話がわからなくって」

「ああ、そうだよね……」少し間をおくセデイター。「これからユーカについてみんなに話す。だからちょっと待ってて」

「なに? どうかした?」

 考察を中断したサンドラが二人に視線を向けると、リンディがナユカの肩に軽く触れる。

「ちょっと、このについて話すね。まだ説明してなかったから」

「ん? そう? それは……」ガードの件はすぐにはわからないし……。唐突な話題の転換に怪訝な表情を見せつつも、課長は承諾。「まぁ、いいけど」

 しかし、切り出すのは別の話ではない。

「魔法が消滅したことと関係あるかもしれない」

「そうなんですか?」

 いち早く声を上げたのは、フィリス。防御魔法を展開した本人は、もしかしたらナユカが魔法消滅と何らかの関係があるのではないかという仮説を立てていた。魔法を撃とうとしているところへ突然飛び出すなどという無謀な行為を、何の備えもなくやるなんていうのはありえない――助かるという確信があったはずだ。でなければ、ただの無鉄砲でしかない。ここまでの彼女の見立てでは、ナユカには天然っぽい印象があるので、どのような判断でああいった行動をとったのか、まだわからない。ただ、リンディとともになにかを隠しているようにも感じており、きっかけを待ってその点に触れてみようと思っていた。そして、向こうから話してくれるという今が、その機会だ。好奇心の強いフィリスは、内心、胸が躍ってきた。

「まぁ、聞いて」リンディが話し出す。「ユーカは、バジャバルをセデイトする直前に、森でごろつき……盗賊かな? とにかく、悪党に絡まれてた娘なんだけど、その点はいいよね?」

「よくないよ」

 サンドラの声。聞き返すセデイター。

「はい?」

「ちゃんと聞いてないよ」

 ごろつきの話は聞いていない。サンドラは、バジャバルから助けたと思っていた。

「そうだっけ? 助けたって言ったよね?」

 しらばっくれたセデイターから視線を外し、課長は秘書を見る。

「まだ詳しい説明は受けておりません」

 ミレットの記憶イコール記録では、バジャバル関連と聞かされただけ。ゆえに、課長の追求が続く。

「……だとさ。だいたい、その盗賊みたいなのはどうしたのさ」

「逃げた」

 リンディのあっさりとした答えに、肩をすくめるサンドラ。

「あらら」

「バジャバルをセデイトしてる間にね。麻痺が解けちゃって……。ひとりでそれ以上どうしろっての? そもそも、盗賊はあたしの担当じゃないよ」

「別に責めてないよ。報告をしなさいと言っているだけ。荷物を盗まれちゃったわけでしょ? だったら……」

 ここでナユカから訂正が入る。

「いえ、荷物はなくしてしまって……その……迷ったときに……」

「そう……災難だったよね。遺失物担当へは、ミレットから……」

 課長の助言の途中、あまり気乗りしない雰囲気で異世界人が返事をする。

「はい……」

 もちろん、見つかることはないと確信しているから。落としたのはこちらではなく、あちらである。サンドラにも、ナユカ本人がもう落としたものは見つからないと思っていることがわかり、付け加える。ただし、その理由は違う。

「まぁ、森の中だと難しいよね……迷ったんでしょ? それだと、どこかわからないけど……逆に誰も見つけないから、まだあるかもね」

 本題になかなか入れないリンディが焦れて割り込む。

「それは、後で申告するとして……悪いけど、今は話進めていい?」

 サンドラはナユカに目配せしてから、リンディにうなずく。

「どうぞ」

「で、最初に話しかけたとき、現地の言葉が通じなくてね。後になってセレンディー語が通じるってわかって話をした。そしたら、転送を嫌がって……右も左もわからないから、あたしについてくると。で、結局、ここまで同行したわけね」黙って聞いている課長をちらっと見て、話者が続ける。「それで、ここからが重要なんだけど……彼女が言うには、気がついたら森の中にいたってこと」

「気がついたら?」

 聞き返したのは、当初より興味津々のフィリス。

「そう言ってる。なんか……霧の中を抜けたら、気を失っていて……目が覚めたら森の中。大変だよね」

「それは大変ですよ」医者としては、健康も気になる。「で、どこから来たんですか?」

「そう。そこが問題」

 唐突に席を立ったリンディは小部屋の出入り口へと向かい、扉を開けて首を出すと、左右を見回してからドアをロックして、元いた場所へと戻ってくる。一連のその動作を、全員がずっと目で追っていた。

「どうしたんですか?」

「ちょっと確認ね」尋ねたフィリスに答えてから、リンディは全員を見回す。「ここからは内密ってことで」

「内密ね。聞くとまずい話?」

 サンドラの言った「聞くとまずい」は、「聞かれるとまずい」とは似ているようで違う。前者のほうが後者に増してやばい。後者であることはすでにリンディの行動で承知しており、質問は上乗せがあるかの確認だ。

「それなりにね」

「おもしろいじゃない」課長が目配せし、秘書はうなずく。ここはアイコンタクトで了承完了。あとは直接には関係のないフィリスに聞くだけ。「フィリスさん、そういうことだから……聞きたくなければ、いったん席を外してもらうけど?」

「わたしは残ります。口外はいたしません」

 医師なので、患者の秘密などに慣れているからだろうか? 動じるところはない。

「あ、ユーカには、このことは話さないように言ってあるから」

 リンディの言葉に黙ってうなずく本人。それを見て、課長は宣言する。

「では、この先はここだけの話ということで」

「OK」話し手は了承。「えーと……どこから話そうかな……」

 遠まわしに話すのをリンディが得意としていないのは、サンドラの知るところ。

「核心からでいいよ」それに、回りくどいのは好きじゃない。「ユーカさんはどこから来たかってやつ」

「あ、そう? じゃ、そこから」それならと、ためらいなくあっさりと口走る。「ユーカは異世界から来たみたい」

「え?」

 まず聞き返したのはフィリス。次に、ふだん自分からはあまり意見を述べないミレットが、口の中だけで何事かつぶやく。声は聞こえないが、ありえないというニュアンスがかすかに表情に浮かぶ。そして、にやっと笑うのはサンドラ。

「それは……おもしろいねぇ。で、根拠は?」

「本人がそう思ってる。自分がいた世界とは全然違うって」

 根拠としては薄すぎ。秘書は黙ったまま、浮かび上がりそうになる何らかの表情を抑えている。当然、課長は続きを促す。

「全然違う? 具体的には?」

「そうだね……一番重要なのは、ユーカが魔法を見たことないってこと」

「『見たことない』というのは?」

 その言葉からはいろいろな状況が考えられ、フィリスの疑問も当然だ。説明している本人の数日前と同じよう。

「言葉どおり。だから……ないってことね。存在しない」

「存在しない? それは、見てないというだけなのでは?」

 フィリスのみならず、あるのが当たり前のものが存在しないというのは、そう簡単には受け入れられない。ここでの魔法は物理である。

「あたしもそう思ったんだけどね……最初は。たとえば……どっか、すっごい辺境に住んでるとかで。……でもそうじゃないみたい。人がたくさんいて……大学まであるって。本人が通ってるらしい」

「大学……それなら、大きな街ですね」そうフィリスが認識しているように、こちらにはあちらほどやたらに大学はない。「ちなみに、どんな学問を?」

 自称異世界人に目をやる。

「あ、えーと……外国語です」

 まだ専攻には入っていないナユカは言語学志望なのだが、その単語がわからず、そういう表現に。

「外国語? ああ、それでセレンディー語が話せるんですね。でも、それなら……」

 異世界ではない。異世界の大学でセレンディー語を教えるわけがない。

「いえ、そうではなく……つまり、習ったのではなく……夢の中で使っていて……」

 ナユカの妙な返答にもかかわらず、フィリスは意外にあっさりと聞き返す。

「夢の中?」

「ええ。夢の中で、この言葉……セレンディー語で話していたんです」

「どういうこと?」

 代わって、サンドラが本人に詳しい説明を要求。

「それは……このセレンディー語がどこの言葉か知らなかったんです。でも、たまに夢の中だけで話していて……」それが、ナユカが言語学専攻を志望している動機になっている。どこの言語か調べてもわからないこの言葉を、なんとか解き明かしたい……。「それが、ここで……リンディさんが話しているのを聞いて、驚きました」

 それに対し、医学的見地から、専門家が意見を述べる。

「……それなら、もしかしたら、魔法学習の副作用では?」

「……魔法学習かぁ」

 復唱したリンディの目は、少し遠くを見ている……。


 魔法学習とは、ある特定の学習をする際、魔法により脳を一定時間だけ活性化させる魔法を連続的に使用することで、学習効果を飛躍的に高めるというもの。とりわけ、外国語の学習において効果が絶大であり、活用されることが多い。とはいえ、この方法は脳に負担をかけることでもあり、最大でも一年に一回、一週間までと決められている。それでも、外国語の学習なら、その期間内にそれなりに話せる程度までなら習得できてしまう便利なものだ。ただ、その間ずっと学習し続けなければならないので、なかなかに過酷ではある。

 フィリスによって提示された「副作用」とは、規定を越えて使用してしまった場合に生じる一種のオーバーロードであり、学習内容が定着しないまま睡眠学習をし続けているような状態に陥って、現実と夢の記憶が混濁するケースもままある。ゆえに、使用の際には医師による監督が常時必要とされている。それに加えて、当然ながら、活性化魔法をかける人員、並びに、外国語教師なども調達しなければならないので、相応のコストがかかる手法でもある。


 以上、確認のためフィリスが説明した内容のすべてを理解したわけではないが、言語学を志す者には興味深い。

「そんな魔法があるんだ……いいなぁ」

 通常の学習による外国語の習得の難しさを考えれば、こんなに楽なものはない。ただ、今、問題になっているのは副作用のほう。感心しているナユカを尻目に、医者が専門家としての見解を述べる。

「……そんなわけで、記憶に何らかの障害が発生した可能性もあります」

「要するに、『異世界』というのも、それが原因による誤認であると」

 自分が言いたかったことをいち早く代弁したサンドラに、フィリスがうなずく。ついでにミレットも納得した表情をしている。

「でも、それだと……」リンディがその仮説に水を差す。「説明できないことがあるんだよね」

「そう?」

 課長は、あまり意外そうではない。

「変わった服とか、それに書いてある見たことない字とか、ユーカの他の発言とか……いろいろあるんだけど……なによりも不思議なことがあってね」

「それはなに?」

「そこがさっき見た映像につながるわけ」どことなくいたずらっぽく微笑み、セデイターは思わせぶりに聞く。「知りたい?」

 そんなじらしもさして効果なく、サンドラには何のことか察しがついた。もともと、ナユカの話を始める契機となったことだ。

「……でも、それだとどっちも証明できないだけでしょ」

 魔法の消滅と異世界人。眉唾二件。

「なんだ……何のことかわかっちゃったんだ……」口に出さずとも、わかったことがわかった。残念がりつつ、リンディは一言付け加える。「一回だけならね」

「なに? まだあんなことがあったわけ?」

 課長は詰問調だ。一般の人を何度も危険にさらしているとあっては、管理責任者としてそうならざるを得ない。

「ま、ちょっと……ね」

 リンディには自爆でも、認めないわけにはいかない。サンドラの立場は理解している。

「……ま、自己申告したから、今はよしとしましょう」

 もうすでに怒って、というより、言葉でいじめている。それを短時間に二度もやるような粘着性はサンドラにはない。追い討ちのようなしつこい行為は、リンディにはよい効果をもたらさないこともわかっている。この問題はスルーして、少し神妙になっているセデイターに課長が質問する。

「それで、どんな状況だった?」

「……あたしにも、確証はないんだよね。自分の後方で……見てないから」

「そっか。それは残念」

 リンディとサンドラの両名が伏字のまま話を進めていた間、黙って聞いていたフィリスは、ここで口を開く。

「ナユカさんの記憶をたどってみたらどうでしょう」

「それはつまり、記憶遡行の魔法をかけるってこと?」

 言いつつも、リンディとしてはなんだか引っかかるものを感じる。

「ええ。そうすれば、どちらに転んでもなにかがわかります」

 フィリスは伏字の会話を理解していたようだ。まったくわかっていない当事者のナユカや、わかっているかわからないミレットは発言しないまま、サンドラが即決で承認。

「そうしましょう。手間が省けていい」

「そのことなんだけど、いいの? 彼女、魔法をまったく理解してないんだけど。この場合、本人への説明と同意なしにはかけられないでしょ? てことは……」

 フリーランスのセデイターが課長秘書のような指摘をしたところ、課長は食い気味に進める。

「ユーカさん、記憶遡行……あー、記憶をたどる魔法をかけてみるってことで、いい?」

「え? えーと……」

 突然そんなことを言われても……異世界人は戸惑う。魔法がわからなければ、警戒するのは当然だ。あっちの世界の催眠術のようなものなのだろうが、それにしたって、「かけてかけて」という気分にはなりにくい。

「後で詳しく説明するから、いやならそのときに拒否していいよ」

 どうもせっかちと思える課長に、当人は生返事を返すのみ。

「はぁ……」

 両者を尻目に、リンディは先ほど言い損ねたことを付け加える。

「いや、だからさ……許可申請しなきゃなんないじゃん」

「するよ」

 やけにあっさり答えたサンドラに、リンディは訝しげ。

「理由はどうすんのさ」

 異世界から来たかどうか調べるなんてのは無理。だいたい、この件は秘密だ。

「ああ、そのこと。記憶遡行なら、何とでもなるよ。セデイト時の状況を詳しく知りたいとかなんとか……。ま、適当に誤魔化して魔法使用許可を取るから、任せときな」

 出た、この課長の得意技「適当に誤魔化す」……常習犯といってもいい。よって、なんだかんだでうまくやるということを、セデイターは知っている。

「……ならいいけど」

 いや、よくない……と、それに歯止めをかけるのは、通常ミレットのはず。しかし、そのお堅い秘書さんは異世界の話が出てから、ずっと寡黙だ。こういう常識外の話は自分の守備範囲外としているのかもしれない。

「じゃ、そんなわけで、この場はここまでにして、続きは午後からにしましょう。その頃には申請が通ってるから」

 サンドラの提案にリンディがうなずく。

「わかった」

 現状、すぐにわかることはない。ならば、ナユカに記憶遡行魔法をかけるのが先だ。話を聞くとしてもその後のほうが効率がいいし、混乱を招かないで済む。もちろん、本人の同意が前提で。

「フィリスさんはどうする? この件は、あなたには直接関わりのない話だよね」

 先ほども課長が確認したこと。

「いえ、この話を聞いてしまった以上、関係ないとはいえません。それに、記憶遡行を提案したのはわたしですから」

 表情を崩さずに、少し距離を取っているかのような言い回しで答えたフィリスだが、実のところ、好奇心が抑えられない。サンドラはその様子を見る。

「無理に関わることはないよ」

「いえ、無理などでは……」

 もちろんない。むしろ積極的だ。

「これ以上踏み込むと、途中で簡単には抜けられなくなるけど」

「大丈夫です」

 こんな興味深い話を途中から放棄するわけがない。結末を読まずにミステリーを閉じるのと同じだ。

「いろいろと不都合もあるんじゃないの?」

「都合はつけます」

 さすがにイラッとしたか、フィリスは食い気味の返事。表情には出していなくても、それがわかり、しつこく確認し続けていたサンドラは、くすくす笑い出す。どうやら、からかっていたようだ。

「それじゃ、後で来てね。そうだな……午後二時くらい」

 課長が笑いをかみ殺して出した指示に、フィリスは短く返事をする。

「はい」

「リンディもね。ナユカさんと一緒に」

 その二人を交互に見るサンドラ。

「二時ね。OK」

「わかりました」

 それぞれの承諾を得て、この密談は一時解散となり、リンディ、ナユカ、フィリスの三人は、九課を退出。真相の究明は午後へと持ち越された。




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