8-3 怪我と運動
昼前、ナユカはサンドラとフィリスとともに棒術の練習から九課へ戻ってきたが、その手には包帯が巻かれていた。
「ちょっと、どうしたの、それ」
目にしたリンディは、眉をひそめる。こちらで包帯が巻かれるような怪我は、魔法で簡単には治らないほどのかなりの深手だ――あるいは、処置しきれないような毒にやられた場合など。心配そうな顔に向け、ナユカは自分の左手を掲げて、軽く動かしてみせる。
「まぁ、ちょっと……手のひらが擦れちゃって。たいしたことないです」
「そうなの?」
疑わしげなリンディに、フィリスが申し訳なさそうに答える。
「すみません……わたしがついていながら……」
「どうせ、サンディが無茶なことしたんでしょ」
落ち込み気味の医者を見て、引き合いにサンドラへの責任転嫁を試みたところ、期せずしてそれはビンゴだった。
「無茶……ま、そうだよね……うん。そう……少しやりすぎたかも……ね、つい」
この女傑にしては、極めて歯切れが悪い。これでは、場の雰囲気がよくないと思ったナユカは、意図的に軽めの声を出す。
「わたしは、大丈夫ですよぉ」
「本当に?」
もう一度確認してきたリンディに、フィリスがさらにすまなそうに答える。
「五日くらい……だそうです」
「『だそうです』って?」
リンディでなくても怪訝に思うだろう。上級医師なのに伝聞とは……。
「……ごめんなさい」
当の医師からは、それ以上言葉が出てこない。
「あ。つまり……あっちではそのくらいで治っていたので……」これ以上、この程度の怪我で大騒ぎされたくない異世界人は笑顔を向けて、伝わるようにきっぱりと言い切る。「だから、『本当に』、たいしたことないんです」
強調された「本当に」を受け、リンディはその意図を察した。
「なら、よかった」素直に安心し、冗談めかして、「加害者」を斜に見る。「そろそろ、自分が人間凶器のバーサーカーだってこと、自覚したほうがいいよ」
「……そうかも」一息、間を空けて、認めてしまったサンドラさん。結構反省しているのかも。「でも、一瞬、力が入っちゃっただけよ」
「その一瞬が命取り。取られなくてよかったね、ユーカ」
冗談とはいえ、一瞬でも「力が入っちゃった」人間凶器と対峙して軽傷ならよかったと、リンディは思う。
「いえ、あれは……わたしが油断していたから」
ナユカは自分のミスだと考えているようだが、武器の専門家である張本人は違う。
「……そうじゃなくて、逆なんだよね」
「逆?」
聞き返したリンディに、サンドラが神妙に答える。
「油断していたのは、わたし」その瞬間のことは鮮明に覚えている。「……実はあの時、強烈な一撃が来たんだよ、ユーカから……初心者とは思えないようなやつが。それで、反射的に本気で対応しちゃってね」
「『本気』って……マジ? よく生きてたね、ユーカ」
リンディは魔法の効かない異世界人をまじまじと見る……。これは冗談ではなく、本当にやばかったのかもしれない。一歩間違えれば大怪我だ。
「え?」
被害者が驚いているので、加害者は、言い訳……ではなく、説明を加える。
「あ、本気の防御ね、攻撃じゃなくって。だから大丈夫……じゃなかったんだね……ごめん」
この程度の怪我で何度も謝られるのは、スポーツ女子としては心苦しい。
「いえ……それはもう……」
実のところ、達人の腕だから、棒のみを確実に叩き落すことができ、軽傷で済んでいる。下手な使い手だと手までぶっ叩いて重傷を負わせていたかもしれない。しかし、そのことは、サンドラは口にはしない。そもそも自分が油断しなければよかったのだから。
「ともかく、かなり筋がいいよ。ユーカは」
「ふーん、そうなんだ」
リンディが感心しているので少し照れている弟子を、師匠が後押しする。
「だから、もっと練習すれば……」
言いかけたところへ、フィリスが鋭く割り込む。
「それは、控えていただけますか」
「ん?」
発言を中断した上司に、健康管理責任者が詰め寄る。
「怪我させたばかりですよ」
「まあ……ね」
サンドラが気まずそうにすると、ナユカがフィリスに向けて左手を結んで開く。
「こんなのすぐ治るよ」
「それは、ね」少し眉をひそめ、医師は異世界人の手に視線を向ける。「でもね、今日以上に激しい練習をすると、もっとひどい怪我をするかもしれない」
「それはそうだよ。でも、練習には怪我がつきものでしょ」
怪我を恐れて練習をしないなどというのは、スポ根女子には考えられない。しかし、フィリスも健康管理責任者として退くわけにはいかない。
「そのとおり。そして、わたしには……実質、魔法しか治す手段がない。たとえ、骨折しても」
「それは……」
抗弁しようとする練習好きに、医師はダメ押しの駄目出し。
「あなたの世界には治す方法があるのでしょうね……。でも、ここには……基本的に魔法以外にはない」
「……」
そう言われてしまうと、ナユカには反論のしようもない。異世界人である自分の体質がうらめしい……。異世界人はみんなそうなのだろうか? 他に異世界人がいれば、だけど……。
「残念だけど……」
その先、「あきらめて」という言葉を、フィリスは飲み込む。
「筋がよくても、まったく無駄なんだね……」スポーツ女子は、目線を落とす。「まるで……病人みたい」
この扱いは、確かにそうともいえる……。それは少しどうかと思ったリンディが、水を向ける。
「あー、でも……少しはできたほうがいいんじゃない? 棒術。だから、もうちょっと練習したら?」
それに反応して、フィリスが鋭く返す。
「お言葉ですが、棒術が何か役に立ちますか。今回は、結界無効化のための棒に慣れるという趣旨でしょう。それとも、前衛に立たせて戦わせるんですか?」
「あ、えーと……護身用とか」
気圧された魔導士による苦し紛れの言い分は、ヒーラーから即座に切り返される。
「棒術が有効ですか? いつも棒持ってるわけじゃないでしょう?」
「まぁ……」同意せざるを得ないリンディ。「そうだよねぇ」
フィリスはうなずき、今度はナユカに確認する。以前、廊下でリンディからの「攻撃」を軽くかわしたのを見た。
「確か、護身術はできるんだよね」
「ちょっとだけなら」
返答を得た医師は、全員に向けて断定する。
「つまり、棒術は不要です」
しかし、それでナユカが納得するわけではない。
「でも……わたしだって、何かがしたい」
「結界破りができるじゃない。それも、天才的に」
フィリスがなだめようとしても、その天才には通じない。
「そうだけど、それはただできるだけ。わたしは何もしてない」
「努力なしにできるんだから、すごいよ」
「そんなの意味ない」
どうやら、このスポーツウーマンは、フィジカルなプロセスのない結果では、満足が得られないらしい。
「なるほどね」肉体派のサンドラは、ナユカの言い分から、その気持ちがわかる。そこで、健康管理者の懸念も考慮した上で、さっとまとめてみる。「……つまり、怪我のリスクを最小限にした上で、身体を使って練習し、役に立つことができるようになればいいんだね」
「そんなのあるの?」
ありそうもないな、とでも言いたげなリンディに、サンドラが即答。
「あるよ」
「あるんですか?」
即座にナユカが食いついた。
「でも、戦闘系じゃないの? サンディが思いつくんだから」
リンディの予想を受け、フィリスが駄目出しを開始。
「それだと危険です」
「なにやったって危険度ゼロってことはないよ。走れば転ぶかもしれないでしょ」
サンドラも、そうそう駄目出しされたままではいない。
「それは……そうですが……」
さすがの健康管理者も、そう指摘されてしまうと反論しにくい。それに、どういうものかわからなければ、なんともいえない。代わって、リンディが尋ねる。
「で、何なのさ」
「あー、それは……道具があるか確認してから。先に教えて、ないからできません……だと、がっかりするからね」
武器万能のサンドラが持っていないかもしれないということは、武器ではないのだろうか。「道具」と言ったのもリンディは、気になる。
「何かマイナーっぽいな」
「まぁ……廃れてるから」ずばり、その推測どおり。サンドラも認めざるを得ない。「でも、ユーカには、きっと役に立つ」
「そうなんですか?」
自分に役に立つとなると、俄然興味がわく。
「そう。他の人はともかくね」それだけ答えた武器専門家は、これ以上のほのめかしはやめ、ここで保留する。「ま、この件は道具の確認をしてからということで」
やはり、ここで後回しというのはない……というリンディが食らいつく。
「……気になるんだけど」
サンドラは、これ見よがしににっこりと微笑む。
「でしょ?」
「今、教えなよ」
「だから、後で」
また引っ張るのかよ……。焦らすサンドラを指差し、リンディはあえてミレットに振る。
「教えてくれないと、気になって仕事ができないんだけど」
答えずに苦笑する秘書をちらっと見つつ、課長は臨時事務員をからかう。
「あれ、ちゃんと事務やってくれるんだ? 事務員さん」
「ああ、さっきもやってたけど」
予想外の答えを返された……。こういうときは、反射的にこう返してしまう。
「……ほんとに?」
「へえ……」
フィリスも同様の反応。
「あ、そうそう。それで、おもしろいものが見つかったんだ。ね、ミレット」
失礼な二名を意に介さず、リンディは話題転換。……こちらのほうが重要だ。
「ええ、そうなんです」功績を知る秘書の口元が、少し緩む。「リンディさんがデータベースで見つけました」
「リンディが? へぇ……」驚きと感心が入り混じった風の課長は、臨時事務員に視線を向けてから、興味津々で秘書に聞く。「で、なに」
「それは……」
ミレットが話し始めようとしたところ、リンディがさえぎる。
「それ、後にしよう。もうお昼だし」
「そうですか?」時間を確認すると、間もなくお昼休みである。時間厳守の秘書は、ためらいなく同意。「では、そうしましょう」
これには、課長が異を唱える。
「ちょ、ちょっと、いいじゃない。まだ少し時間あるんだから」
「簡単な話じゃないから、後で」
これ見よがしににっこりと微笑む情報源に、サンドラが食らいつく。
「少しオーバーしてもいいでしょ」
「駄目だよ、時間は守らないと。ね、ミレット」
リンディからは滅多に聞けそうもない発言を受けたお堅い秘書が、目を見開いてうなずく。
「ええ」
「だから、後で」
さっきとは逆に、リンディからお預けを食らったサンドラ。
「これじゃ、気になって食事ができないんだけど」
苦し紛れで、健康管理者にサポートを求めたが……。
「……本当ですか?」
フィリスから返ってきたのは、やっかみの視線。なぜなら、その食事とは……旦那が作った弁当――食べないわけがない。道場からの帰りに、話の流れでつい口走ってしまったのは、本人だ。
「あ、いや……」
言葉に詰まる……。これで、先ほどの焦らしへの意趣返しが成り、満足したリンディは、ナユカとフィリスを誘う。
「じゃ、お昼食べに行こうか」いちおう、秘書に尋ねる。「ミレットはどうする? いつもどおり?」
「はい」
この秘書は、休憩時間は完全プライベートを貫いている。同僚などの近しい業務関係者と過ごすと、業務のことが頭にちらついて休まらないからだと、リンディはサンドラから聞いている。それなら、「おもしろいもの」について、昼休みに課長が秘書から聞き出すことはないだろう。せっかくだから、発見者は自分からこの話をご開帳したい――この際、相応に焦らしてから。
こうして、リンディたちが九課を退出すべくドアへ向かったところ、本日、例の弁当持参のサンドラが後ろから声をかける。さすがに追いかけはせず、オフィスで食事を済ませるつもりだ。
「後で教えなよ」
すると、リンディは、全員を先にドアの外へ促してから、半開きのドアから顔を出してサンドラを見る。
「そっちもね」
一言残してドアを閉め、九課を後にした。ひとり残された弁当持ちは、静まった課内でひとり苦笑い。
「ったくもう……」




