8-2 リンディの発見
こちら、三人が訓練場へと去った後のリンディは、暇そのもの。もとより、人がやたらに来る課でもなく、加えて事務のバックアップである。ほぼ全面的にミレットに任せ、自分は奥の方に引っ込んでいるので、どうしても眠気に誘われる……。そのまま眠りに落ちても実務上の害はないだろうが、同室しているのはお堅い秘書だ――プレッシャーがそうはさせない。リンディとしても、眠るためにわざわざ通常より早く起きてきたとなると本末転倒で、せっかくの睡眠時間を削ったのが無駄になる。ここは意地でも起きて何か身になることでもしないと、自分自身、納得がいかない。
そこで、データベースでナユカに関する何か有意義な情報を探してみようと思い立ち、魔法省内の一般データベースにアクセスしてみる。これまで、サンドラたちに任せて、自身ではそれらの情報を得るために検索などをかけたことがなかったため、自分こそがなにか見つけてやると意気込んで始めてはみたものの、やってみればそう簡単に結果が得られるものでもない。魔法の無効化に関しては、装備関連やガード魔法のほかには、以前に医務室で見せられたよりも数段不十分な医療記録だけ。一時的にでも正式に公務についているとはいえ、その末端のアクセス権限で閲覧できるのは、やはり一般公開された部分程度である。異世界に関しては、その記述が見られるものは多くがフィクションで、そうでないものもあるにはあっても、その信憑性は低く、ましてや、科学的に扱ったものは見当たらない。
「何にも見つからないなー」
いすに座ったまま思いっきり伸びをしているリンディを、離れたところからミレットが見やる。
「どうしました?」
「ユーカ関連の情報が、さ」
「ずいぶん根を詰めてましたが、それを探してたんですね」
ミレットが感心しているのが感じられる……。リンディには稀なこと。
「やっぱり、一般データベースじゃだめなのかなぁ」
「魔法省内データベースのA級管理職権限や上級医師権限でも、有用な情報は見つかりませんでした」
「ああ、もうそんなので探したんだ。A級ってことは……サンディが臨時で部長やってたときか……」
A級管理職権限は部長、局長級で、その上はS級、下は課長級などのB級、それ以下の管理職のC級、そして非管理職向けのD級があり、さらに下のE級が一時的な被雇用者である現在のリンディの権限である――完全に一般向けであるF級とほとんど変わらない。上級医師権限は、医師の権限としては最上位のもので、フィリスがすでに情報を検索したのだろう。
「はい……ドサクサに紛れて……」
あまりこういう物言いはしたくないのか、お堅い秘書のトーンは落ち気味。
「じゃあ、あたしがいまさら省内データ漁っても無駄だよねぇ……」
A級権限で何もないなら、自分では完全に無理。
「探すなら……なにか別のところからとか、あるいは別の切り口で探すとか……でしょうか」
ミレットの口にしたそれが、サンドラのやり方なのかもしれない。いつも、その権限で得られる以上の情報を、どこからか非公式に仕入れてくる……。
「別のところ……別の切り口……あ、そうだ」
リンディが思い出したのは、例の「怪しい店」で店長のヒロッコが漏らした地名である。「シャル……バリ……」とかいう……。ただ、問題は、どこでそれを探すか……。加えて、地名そのものがはっきりしない――さらっと一度口にしただけで誤魔化されてしまった。それでもそれが意識に引っかかったのは、どこかで聞いたことがあるような気がしたから。問題は、それがどこなのかである。
リンディは、どうにか思い出そうと試みたものの、そうはいかないのが世の常。早急にあきらめて、とりあえず闇雲に地名の検索をしてみる……が、こんなにあいまいなものを絞り込むのは困難だ。クリスタルのモニター上に、ばっと羅列された地名を呆然と見送るしかない。そもそも、あいまいな発音以外の手がかりなしに、特定できるわけがない。たとえば何かおいしい名物があるとか、料理があるとか……。
そんなことを考えていると、口の中に本能的な反応がわき上がる。それを押し留めるものは、とりあえず飲み物だろう。
「ミレット、お茶飲む?」
「お茶ですか? はい」
秘書がお茶を入れに向かうべく立ち上がろうとしたところ、リンディがそれをさえぎる。
「あ。あたしが入れるから」
「そうですか? では、お言葉に甘えて」
ミレットは半分上がった腰を下ろし、リンディはお茶を入れに向かう。
給湯室でお茶を一口含み、口中の本能を飲み下して落ち着くと、ナユカ関連の手がかりが食べ物であるわけがないという、当たり前の推測に食道楽はたどり着く。改めてナユカといえば……神経が太い……は、この際関係なく、魔法無効化と異世界だろう。
「あ、そうだ」あることに思い当たった。「そうだ、そうだ」
二人分の茶を盆に載せ、リンディは秘書のもとへ急ぐ……といっても、何分にもお茶を持ったままだ。こういう場合、ドジっ娘メイドなら思いっきり転ばなければならないが、彼女にそういう資質はなく、見かけよりも慎重である。慌てつつも、しずしずとお茶を運んでゆく。
「ミレット!」
気が急いているため、呼び声はしとやかではないが、続いての盆を置く所作はそうでもない。
「あ。ありがとうございます」
秘書はティーポットに手を伸ばす。
「神話!」
「はい?」
つかむ前に停止。
「あの神話どうした? ほら、サンディが見せた……」
見つけたのは、課長の姉――国立図書館主任司書だ。
「ああ、それなら……」ポットへ向かった手を引っ込めて、秘書は机の中からクリスタルの小型ストレージディバイスを取り出す。「この中です」
不意に閲覧されることのないようにするため、端末のストレージには保存していない。データ自体は神話でしかないので、あくまでも念のため――自分たちが何に関わっているか知られないように。
「ちょっと、いい?」
小型ストレージを受け取ろうと手を出すリンディの顔を見上げてから、ミレットは一間置いてそれを渡す。
「はい、どうぞ」
「ありがと」
受け取ったリンディは、自分が使う端末へと赴き、ストレージを差し込む。そして、ざっと「神話」を閲覧すると、冒頭より少し先、すぐにそれは見つかった。
「あ、やっぱり。ここで見たんだ」
店長が口を滑らしたとき、なんだか聞いたことがあると思ったのは、そのためだ。これで手がかりがつながった。やった……と思って秘書のほうを向こうとしたところ……。
「何か見つかりました?」
不意に側方から声が。
「おわっ」横を向いたら物体が近接していたので……見上げる。「びっくりした」
「お茶をお忘れになったので」
ミレットが、カップを机上に置く。
「あ、そっか。どうも……」お茶を一口飲んで、一息つく。「ふう……」
「……あの、それで?」
「あ、そうそう」落ち着きすぎて、一瞬、気が抜けた。「これなんだけど……」
その部分を秘書に見せる。
「これは……地名のようですね」
文脈からいって、そうだろう……。この資料は、ミレットも何度か読み返した。
「うん。で、この地名『シャル=バリィヤ』ってやつ。これはなんだと思う?」
「そうですねぇ……」そのくだりを、秘書はもう一度さっと読み直す。「月並みな言い方をすれば、聖地でしょうか……おそらく、この物語において重要な……」
「やっぱり……そう読めるよねぇ……」資料全体を読んだのは一度だけなので、まだそれほど理解していないけど。「ところで、これ、どこにあると思う?」
それが本題だ。どこかわかれば、ナユカに関係しているかわかるかも。さほど遠くなければ、連れ立って行ってみるのもいいかもしれない。
「どこ……そうですねぇ……」ミレットは少し考える。この文書の出所を特定しない限り、場所は見当が付かない。出所については、課長はすでに姉から聞かされているのだろうが、自分は教えてもらっていない。それはともかく……。「まず、前提として、存在するかどうかが問題ですね」
なんといっても、神話の地名だ。それこそ、異世界かもしれない。
「あると思う?」
「さあ、どうでしょう。この資料の信憑性からして、まったくのフィクションかもしれないですし……。存在するとすれば、まだ発掘されてない遺跡とかでしょうか?」
「遺跡かぁ。……だと関係ないのかなぁ」
「どういうことですか?」
まだ、この地名の意義についてミレットは聞かされていない。
「実は……」
リンディは、例の怪しい店でナユカの出身に関してヒロッコ店長がその地名を口にしたことを話す。
「なるほど……。その店長さんが信用に値するかどうかはわかりませんが、興味深いですね」
「まぁ、関係あるかはわからないけどね」
一度口を滑らせただけなので、おぼつかない話だ……。ただ、隠したのが気になる。ミレットも、その点には同感だ。
「この『神話』との関係について、まだ、みなさんに話してないですよね?」
「うん。今、見つけたからね」
「では、課長たちが戻ってくるのを待ちましょう。わたしは、もう一度この資料全体を読み返してみます」
もう幾度となく読んでいるとはいえ、手がかりを探すため、再度すべてを読み返そうというのは、いかにも真面目なミレットらしい。
「それじゃ、あたしももう一度読んでみるよ」
これまで眉唾すぎて真剣に読みはしなかったリンディも、ようやくきっちり目を通す気になった。襲ってくる眠気によって目を閉ざさない限りは……。




