7-1 新魔法部長
リンディがナユカとフィリスの部屋に「お泊り」したため、変わらず同時出勤となったお馴染み三人が九課に入ると、そこには秘書だけがいた。
「おはよう、ミレット。サンディは? 寝坊? ふぁ……」
聞くなりあくびをしているリンディ。
「おはようございます」まずは三人と挨拶を交わしてから、秘書が答える。「……課長は今日も早出です。そろそろ戻ってきます」
サンドラは、一時間遅いという九課の定時による恩恵を受けることなく、魔法部長問題のせいで一時間の早出を強いられている。
「あ、そう。大変だねぇ」
応じたフリーランスは、またあくび。セデイターも本来この時間に稼動していることはなく、いつもより少なくとも一時間以上は早い。ここのところそれが続いていたので、本人も慣れてきたようにも感じていたのだが、どうやらそうはならないらしい。
「……サンドラさんは、もう課長に戻ったのですね」
フィリスは、秘書が「課長」と言ったのを耳ざとく聞いていた。
「ええ、すでに魔法部長臨時代行の任を解かれて、第九課の課長に戻りました」
どことなくほっとしたように見えるミレットに、フィリスが尋ねる。
「ということは、新たな魔法部長が着任されたと」
「誰、誰?」
リンディが、好奇心と共に乗り出してくる。
「それは……ご存知かはわかりませんが……」ミレットは前置きしてから、名前を出す。「ナジェール=ウォルデイン前魔法法務部長です」
「全然知らない」
ここの常連でも、それは当然だと課長秘書は思う。
「魔法省ではないですから」
「なにそれ?」
それではセデイターが知る由もない。もっとも、魔法省でも九課周辺しか知らないが。
「法務省との交換人事です。ご本人同士の希望というのもありまして」
魔法省からも誰かが向こうへ行ったらしい。なぜか本人の希望までこの秘書は知っている。そんなことまで公になっているのだろうか……。リンディはミレットを斜に見る。
「……そんなのあり?」
「今回は特殊なケースです」
秘書の言うように、この地位での交換人事というのも珍しい。そこはフィリスも気になる。
「それにしても……部長レベルで、ですか」
「こちらからは次長です。向こうは内部昇格とのことです」
ミレットの言いようから察するに、こちらから向こうへ行ったどこぞの次長の地位は、そのままなのだろう。不祥事を起こした省から突然来ての昇格はない。よって、そちらはそれでよいとしても、魔法省内で昇格をもくろんでいた者はどうか。正規に雇用されたからには魔法省内の内情を知りたいので、フィリスは、言うまでもないことをあえて口にする。
「不満な方もいらっしゃるのでは?」
対する秘書の反応は、言うまでもない。
「そのあたりは、お答えいたしかねます」
隠すというよりも、個人的な見解を避けているのだろう。
「誰もが満足することはないよねー」
押しなべて、リンディの言うとおり。しかし、そういう一般論は置いておいて、フィリスはもう少しつついてみる。
「魔法省内からの昇格は避けた、ということでしょうか」
「結果的には、そうなりますね」
本当に「結果的に」かはともかく、どうやらそのようだ。答え方から察するに、このお堅い秘書からこの点についての情報を引き出すのは無理そうなので、フィリスはここでやめておく。代わってリンディが肝心なことを聞く。
「で……結局、どんなやつなの? 新部長は」
「わたしは、存じ上げませんので」
本当だろうか? ミレットは、なんだかんだで何でも知っていそうだ。どこかに情報源が必ずある。
「ほんとは知ってるんじゃないのぉ?」
「課長が戻ってらしたら、お聞きになるのがよろしいかと」
こういう、この秘書のはぐらかしにも、リンディはもう慣れた。
「ふーん……ま、いいや。もうすぐでしょ?」
「はい。間もなく」
すると、タイミングよく九課課長のご帰還。どんだけきっちりと状況を把握しているんだ、ミレット――そう突っ込みたいリンディの前へ、連日寝不足のはずのサンドラが、予想よりもすっきりした表情で現れる。
「みんな来てるね。おはよう」
見回して挨拶を交わした課長へ、フリーランスが先陣を切って質問を飛ばす。
「新しい魔法部長ってどんなやつ?」
「……名前は聞いた?」
「聞いた……けど、忘れた。法務省からってのは聞いた」
まぁ、覚えちゃいないだろうな……。そんな細かいことをリンディには期待していないサンドラ。
「覚えなよ。名前は……」ゆっくり唱える。「ナジェール=ウォルデイン」
「名前なんかいいんだよ、どうでも」
聞きようによっては含蓄がありそうな言い回しだが、そんな深い意味合いではなく、自分の生業に影響を与えそうな人物かどうかが、セデイターには重要な点。
「それがよくないんだよ。もうすぐここに来るんだから」
課長の予告に、秘書が声を漏らす。
「え」
「来るの? なん……」
リンディの質問を押しのけるミレット。
「いつ、いらっしゃるんですか?」
そこは把握していなかったようだ……。サンドラが答える。
「今から……半時後くらい」
なかなか急である。ただし、これは九課課長の憶測。魔法部の最後の課だから、一課から回れば、こんなもんかな……というもの。その前に来たら……追っ払えばいいや。まだ準備中とか言って……こっちも打ち合わせがあるし……。魔法部長でも門前払いしようというこの人は、やはりゴリ押しだ。
「では、課内を少々整理します」
あわてる秘書に、課長が声をかける。
「適当でいいよ。見られちゃまずいものさえしまっとけば」
「はい」
心得ているミレットが、急いで片付けに取り掛かるのを見て、リンディは中断された質問を再開する。
「で、なんで来るのさ、その……」名前をしっかり聞いてなかった……。「その人」
「ウォルデイン」結局、サンドラはもう一度教えることとなった――必要な苗字だけ。「顔見せと顔見。今、あちこち回ってる」
「奇特なことで」
いすの背にゆったりともたれるセデイター。魔法部長が来るからといって、特にどうということもない。
「ずいぶん律儀ですね……」
そのとおりなのか、皮肉になるのか……言ったフィリス本人にも判じ難い。
「どうなんだろうね……」サンドラにも何か勘ぐるところがある口ぶり。「それで、ユーカに関して口裏を合わせなきゃならないんだよ……と、その前に、フィリスとユーカの新しいポストについてだけど……承認されました」
「慌ただしいな。まだ暴走してるの?」
茶々を入れたリンディは放っておき、昨日の魔法部長臨時代行は傍らの書類ケースをまさぐって、辞令を取り出す。
「職種は昨日言ったとおり。九課付けのヒーラー兼医療コンサルタントと……」フィリスに辞令を渡し、次はナユカに差し出す。「九課付けの結界士。かっこ、破壊専門」
「破壊、専門……」
本人が決まり悪そうに繰り返したのが、リンディの耳に届く。
「なんか誰かみたいだねぇ」
視線を向けられたサンドラも、魔法が不得手につき結界は作れないが、破壊はできる……ただし、バーサークすることで。安全性を無視した滅茶苦茶なやり方……つまりは邪道の極み。
「たぶん、はっきりと『破壊専門』ってうたうのは前例がないな」
その点では、こちらも邪道かもしれない。ただし、公認されたのだから「正式な」邪道となる。
「やっぱ、そう? そうか……」
リンディは考え始める……。そうすると、ユーカがパイオニアということになる……異世界人が歴史に残ってもいいのか……ま、いいか。今、異世界人だとばれなきゃいいんだし……。考え終わり。
「作るのと破るので、どっちか得意なほうをメインに請け負う結界士はいますけど……」
フィリスも、やはり、そのような「専門」は聞いたことがない。しかし、サンドラは、その点は意に介していないようだ。あるいは、なにか考えがあるのか……。
「とりあえず、『専門』といえるほどの能力なんだから、問題ない」昨日の魔法部長臨時代行がそう決定したのだから、それでいい……文句あっか。で、話を進める。「ふたりとも九課付けだけど、他のところにも出張っていくので、よろしく。ちなみに、フィリスはともかく、ユーカをひとりで行かせることはないから、安心して」
一気にまくし立てた様子から、この課長がなんだか急いでいることに、ナユカは気付いた。不安になっている間もなさそうなので、詳細を質問するのは後回しとする。
「はい。わかりました」
「そんなわけで、ふたりともよろしく」サンドラは、間を空けずに先へ。「で、口裏あわせの話」
すでに、大まかには示し合わせてあるとはいえ、ぼろを出さないためには、新魔法部長が来るまでに、口にすべきこととそうでないことを、もう一度、頭に入れておかなければならない。不要な勘繰りを避けるべく、念を入れておくに越したことはない。
骨子は、ナユカが異世界から来て、魔法が効かないという二点を隠すこと。隠すというのは、聞かれなければ答えない。聞かれたら以下の言い訳を通す。
まず、前者に関しては、リンディに会う前の記憶を、ナユカが部分的に失っていることにする。秘密にするには、記憶喪失ということにしてしまうのが手っ取り早い。それが、異世界から来たことであれ、何であれ。もっとも、彼女自身、幼少の頃の記憶が抜け落ちているわけだから、記憶喪失であることは確かで、その点、必ずしも嘘ではない。フェイクすべき時期がまったく違うとはいえ、要は異世界関連のことを口にしなければいいだけのこと。まじめなナユカも、そのくらいのことはできるだろう。
次に、後者の魔法の無効化に関しては、機器の不具合の可能性を理由として、不明とする。本人と機器との相性による安全性が保証できないため、再検査は中止。すでに本人が「研究対象」から外れたため、今後、検査はしない。ということで、この問題は保留にする。実験データは、「機器の故障が疑われたため破棄」という名目で魔法研からはすでになくなっており、ターシャが個人的に隠し持っている。危惧すべきは、結界破りの異能と魔法無効化の関連性に気づかれること。これについては、そういう運の悪い勘のいい奴を消す――などという物騒な手段は採らず、以下の言い訳を採用する。すなわち、「何らかの秘儀があるようだが、記憶喪失ゆえに本人がその詳細を覚えておらず、やっている本人さえもどうなっているかわからないまま、ただ感覚的にやっている」。事実、ただ触っているだけというナユカの実感に近いので、本人も口にしやすいだろう……必ずしも嘘とはいえないし。
以上、穴だらけの口裏ではあるが、そもそも、突っ込んで聞かれなければ問題はないので、基本的には、知らぬ存ぜぬを貫くのがよい。……それでも、こういったことは、いつかはばれてしまうものかもしれない。しかし、今すぐ公になってしまうのは、やはりまずい。今しばらくは隠しておくのが、誰よりもナユカのためになる。
……と、そんな説明をしたサンドラ。
「ということで、みんなOK? 特にユーカ」
「はぁ……まぁ……なんとか……」
気乗りしていない雰囲気の当人を、フィリスが気遣う。
「難しそう?」
「嘘をつくのは……あまり……」
好きでも得意でもない。ただ、それ以上に、実際に部分的な記憶喪失の自分が、さらに別の時期の記憶を失っているふりをすることに、抵抗感を覚える。たとえ「ふり」であっても、確かでないものの上に築かれた確かなものをないことにしてしまうというのは……。そんなナユカの気分を知ってか知らずか、リンディがよりシンプルな対応を再提示する。
「困ったら『よくわかりません』でいいんじゃない? それは別に嘘じゃないし」
「あと、こちらからいろいろと話さなければ……」
フィリスからのアドバイスも加えて、ナユカは新魔法部長の前では無口キャラになることにした。
「……そうですね……余計なことは言わないようにします」
もとより、口から生まれた傾向ではない。
「それが一番いいかな、当面は」
サンドラもそれに同意。その先は、魔法部長がどう出るかを見てからだ。
「ところで……」名前をもう忘れたリンディは、一般名詞で誤魔化す。「その魔法部長ってどんなやつなの? やり手?」
最初からそれが知りたかった。……こちらにいろいろと質問を浴びせてくるだろうか? それだとナユカが心配だ。無口を通せるかどうか……。
「本人の希望で魔法省に来るんだから、まず、やる気はあるんじゃない」
それは、サンドラに言われるまでもなく、リンディにも想像がつく。そして、やる気は能力を保証しなくても、能力を増進させる――空回りさえしなければ。
「ま、そうだろうね」
「やり手かどうかは……そうだねぇ……向こうでは有能だったらしいね」
向こうとは、法務省。
「そりゃ、面倒だね」
省自体も、お堅い、面倒な省である。セデイターも仕事柄、よく関わる。
「ずっと魔法省への転出希望を出してたみたいなんだけど……降格でもいいってことでね。でも、有能なんで……」肩をすくめた九課課長。「引止めにあっていたと、そういうこと」
有能で疎まれ始めている……理不尽。
「なんでこっちに来たがったんだろう。訳あり?」
それほど魔法省が魅力的なのか――リンディにはわからない。サンドラにも、「お堅い」法務省なんぞで部長にまでなった人物が魔法省に来たがるのは、意外だ。
「さあ? その辺は本人に聞いてみないと」
「やる気があって有能ですか……」
どうやら、フィリスも警戒を始めたらしい。ナユカは、三人のそんな様子を見て、少々新任の魔法部長が気の毒になる……。無口キャラとして、自分もその警戒に加わるのだから……。
「それで歓迎されないのって……なんか割に合いませんねぇ……」
「役所の中間管理職なんて、大概そんなもんよ。余計なことされると、新しい仕事が増えるしね」
サンドラの言いようには、どうも色眼鏡で見ている節が感じられる。自分も「有能な」中間管理職なのに……。もしかしたら、だからこそ、そういう扱いを受けており、逆に悲嘆にくれているとか……。そんな妙な気の回し方をナユカがしそうになったところ、それをリンディが見事に否定する。
「サンディは、自分の邪魔をされるのがいやだから」
「そういうこと」
九課課長、まったく否定せず。
「味方になればいんですが、敵になると……困ります」
つまりは、フィリスの言うとおり。サンドラは、兜の緒を締める。
「……てことで、初見は探りあいになるから、心してかからないとね」
新任の魔法部長への対策を一通り終えてからしばらくすると、ついにご本人が登場。
「おはよう、第九課のみなさん。このたび、新しく魔法部長に就任した『ナジェール=ウォルデイン』です。お忙しいところ失礼します」
ごく普通、というよりは、上司となる者としては、丁寧な挨拶――好印象で好感度は上がり、仕事はしやすくなる。やはり有能なのだろう……。対して、無能な奴ほど最初から高圧的になるものだ。それでうまくいく現場ももちろんあるが、ここは役所のオフィスであり、そうはなりにくい。
サンドラとミレットはすでに顔を合わせているので、他の新たな公職二名をそつなく手短に紹介し、それぞれが挨拶を交わす。最後に、「たまたまいた」体のセデイター、リンディが紹介されると、機先を制して、雑談風に言葉をかける。
「わざわざ自分から出向いてくるなんて、律儀だね。まとめて呼びつけるとかすればいいんじゃない?」
フリーランスにとっては上司ではないので、話し方はぞんざいである。それに対するウォルデインの口調は、あくまでも丁寧だ。
「それだと、業務の支障になりますし、わたしはここでは新参者ですので、それぞれの職場を見ておきたいと思いまして」
「……新参者? っていうと?」
すでに法務省から来たことは聞いているが、とりあえず知らないふりのリンディ。
「法務省から参りました」
正直に答えた新魔法部長。隠す必要性はないということだ。
「そうなんだ。それはまた、どうして?」
「それは、こちらのほうが楽しそうだからですよ」
にっこり微笑むウォルデイン……。リンディには予想外の答え。
「楽しい?」
「ええ。あちらは法務省です。これ以上は申しませんが、意味はおわかりでしょう?」
「よく」
うなずいたものの、リンディには、新魔法部長が正直に答えているとは思えない。しかし、何かを隠そうとしているのなら、陳腐な答えだ。あまりにもわかりやすく何かを隠そうとしている……。ということは、逆に正直に答えているとか? それとも、何かを隠そうとしていること自体は、隠すつもりがないのか? 勘ぐり始めると、なんだかよくわからなくなる。そんな、割り込んできて勝手に悩んでいるセデイターとのやり取りを終え、ウォルデインはサンドラへと話を振る。
「ところで、こちらはとても興味深い業務をなさっているようですが」
「興味というのは、人によって違いますね」
聞きようによっては、挑発的にも聞こえる九課課長の応答。しかし、新魔法部長は平静だ。
「そうですね。では、この課の業務について教えていただけますか?」
「現在、常設されているのは、そこにセデイターがいることからおわかりでしょうが……」 サンドラは、ウォルデインの意図を読み損ねたまま凍結中のリンディを一瞥する。「セデイト関連です」
「新しい分野と聞き及んでいます」
「ええ」
ウォルデインへ特に情報を与えたいと思っていないので、サンドラは短い返事のみ。魔法部長も、セデイト関連について取り立てて質問してくることはない。
「ずいぶん、人員が少ないようですね」
「少数精鋭ですので」
そのサンドラが言うところの「少数精鋭」を、ウォルデインは、右から左へすっと流し見る。
「他にあと二名いますが、情報収集のため、常時、外を回っています。ひとり、庶務課からよく来ていた事務員は、わたしの監督不行き届きで残念なことになりました」
いちおうサンドラは、例の逃避行をしたジョシュアについてアリバイ的に先に言及しておいた。人手が必要なときに庶務課から送られてきていた事務員は、サンドラが指名して九課に呼んだわけではなく、所属も九課ではない。不正行為をここで行った形跡はなく、ここから前魔法部長と秘かに連絡を取ったことがある程度だ。したがって、サンドラに監督責任はない。すでに知っているであろうそれらの事実に対し、この魔法部長がどういうリアクションをするのかが見ものだ……。そう思いきや、それについて、ウォルデインは、なんらコメントをすることもなく、少し間を持たせてから口を開く。
「……人員の追加は必要ですか?」
ジョシュアの件についてコメントしなかったということは、すでに承知しているということだろう。どう承知しているかはわからないが、そんなことはサンドラの知ったことではない。この分なら、おそらく「ドサクサ紛れに」人員追加したことをウォルデインがすでに知っているか、知らなくてもすぐばれるだろうとは思う。この質問も、鎌をかけているのかもしれない。
「これ以上は不要です。職務の再編成を考えているので、現在の陣容で対応したいと思います」
「そうですか。わかりました」
「九課の場合、必要に応じて他の部署から人を借りてくることもありますから、そのときはご了承をお願いします」
要請にうなずいた魔法部長は、また少し間を空ける。
「……やはり、特殊な課のようですね」
いい加減、サンドラは、腹の探りあいが面倒になってきた。
「もうお調べになったのでしょう?」
「そうですね……一通りは」
素直に認めたウォルデイン。
「どうされます?」
「もちろん、今までどおりにしますよ。興味深いですから」新参部長は、再び微笑む。「あちらは退屈でしたので」
「それはそれは」
こちらもにっこりの九課課長。もちろん、作り笑顔。
「では、今日はこれで退散します。お仕事の邪魔でしょうから」
辞去しようとする魔法部長に、思考の迷宮から復帰したリンディが久々に声をかける。
「もうお帰り?」
「ええ」笑みを見せたウォルデインは、一同に向き直る。「では、みなさん、以後よろしくお願いします」
全員を見回した後、先回りしてドアを開けたミレットに謝辞を述べて、新任の魔法部長は退出していった。
ウォルデイン魔法部長の来訪中、何を質問されるのかと終始身構えていたナユカは、重圧から開放されてほっとすると同時に、拍子抜けもしている。
「何も聞かれなかったですね……」
結局、挨拶しただけで、それ以外に言葉を交わしていない。会話をほぼ一手に担ったサンドラは、あごに手を当てて考えを巡らせている。
「あえて聞かないってことね……」
「もう調べてあるんでしょ」
少しだけやり取りをしたリンディは、頭の後ろで手を組む。
「たぶん、調べられる分に関してはね。それよりは……」九課課長は一息、間を置く。「信用を得て、こちらから話させるためかな」
こちらも話をしなかったフィリスが、口を開く。
「……だとしたら、侮れないですね」
「有能っていうから、どう有能かと思ったけど……切れ者ってやつかもね」
警戒を深めているサンドラに対し、ナユカが屈託ない感想を述べる。
「でも、『楽しそう』とか『興味深い』とか、わりと気さくな人ですよね」
「甘いなぁ、ユーカは。わざとじゃない」
リンディは左右に首を振る。フィリスも同意。
「おそらく……」
「だろうね」
賛同した課長に続き、秘書も無言のままわずかにうなずく。全員がそんな調子なのにもかかわらず、異世界人ひとりが新任の魔法部長に好意的だ。
「……なんか、みんな……ひねくれてません?」
「まぁ、これからだよ、ユーカは。そういうのがわかるのは」
にこっと笑うリンディ。それに、フィリスもまた同意。
「だんだん、わかるようになるから」
「わたしは、このままでいいような気もする。素直で」
サンドラが慈しむようにナユカを見つめると、ミレットは無言で再び静かにうなずく。……言われたほうは不満だ。
「なんとなく……子ども扱いされてるような気がする」
「あ、そういうんじゃなくて……サンディが言ったように……」
フォローを始めたリンディに、フィリスが続く。
「そうそう。そのままでもいいの」
「それが一番だね」
大きくうなずくサンドラに加えて、ミレットも黙したまま三度目のうなずき。子ども扱いされ続けるナユカは、膨れたまま、ぼそっとつぶやく。
「……もう、いいです」
「あー、ところで……」このままだと素直な異世界人のご機嫌がどんどん傾いていきそうなので、リンディは話題の強制転換を図る。「今日はこれからどうするの?」
「あ? えーと……」唐突に指示を振られ、課長は脳内を手繰る。「ユーカは……結界破り用の道具をターシャのところへ取りに行って、その扱いの練習ね。フィリスは、医療コンサルタントとしてドクターたちと打ち合わせ。リンディは……」
ピタッと停止したので、当人がその先を促す。
「あたしは?」
「ま、適当に」
特に役割を振っていなかった。
「なに、それ」
「だって、あなたはフリーランスでしょう」
「そうだけど……」
ここ数日、まるで魔法省職員のよう。
「そして、数少ないセデイターのひとり」
「うん」
「やることはあるよね」
「……やることって……なに?」
セデイターであることがナユカの件とどう関係する?
「本業だよ。忘れた?」
「……」
リンディが黙り込んだので、サンドラは憶測を巡らせる。もしかして、また外されたと思ってる? 魔法部長が変わったせいで、これまでのようにドサクサ紛れに公務を割り振るわけにもいかないから、自主協力ということにしようと思っているだけなのだが……。いちおう、本業の邪魔をするのも気が引けるというのもある。とりあえず、ここはちゃんと説明したほうがいいか……こいつは変なところで繊細だから。
「もちろん、ユーカについていてくれれば安心だけど……手当てが出せるかというと……難しいね。今度の魔法部長は、簡単じゃないし」
これで、リンディの凍結が解除。
「……もう影響が出た」
ぼやいたわりには不満そうでもない表情を見て、少しは気を遣った甲斐があったと、サンドラは思う。
「今までのようなこじつけが、効きそうにないんだよね」
「こじつけ……」
フィリスが小声で言葉をなぞったのを耳にし、ミレットは無言のまま軽く目を閉じる……本当は耳を塞ぎたいのだろう。
「ま、しょうがないか」
肩をすくめるリンディの傍らで、ナユカは考える。……ということは、自分ひとりで動くのかな? 魔法省内を単独で移動するのは初めてになる……けど、行くところは……。
「わたしなら、なんとかなります。ターシャさんのところですし」
「付いてってあげるよ」
にこやかに付き添いを申し出たフリーランスに、単独行動する気になっていた異世界人が聞き返す。
「え?」
「あたしも、あっちに用あるし」
「いいんですか? 手当ては出ないんでしょう?」
同行してくれるのはありがたいとはいえ、ひとりで行動するのも悪くないとナユカは思う。省内のみならず、この世界を自分だけで歩き回るのに慣れるためにも。
「それはいいんだ。どうせたいした額じゃないから」
ボランティア的な厚意は拒否しにくい。もとより、一緒に行動するのが嫌なわけでもない。
「そうなんですか? もちろん、一緒に来てもらえればうれしいですけど」
「じゃ、決まりね」
自分が面倒を見ているつもりのリンディが、突然こんな風に面倒見がよくなったことは、サンドラにはちょっとした驚きだ。
「……何にせよ、いずれの業務も午後からね。まだ事件の影響があって落ち着かないから、午前中はそれぞれの部署で待機ってことになってる」
というわけで、昼休みまでは、課長と秘書からナユカとフィリスへの業務上の説明や、今後についての全員での打ち合わせ、そして、他愛もない雑談に時間を費やした。その間、女性のセデイターがひとり、九課の前に現れたが、入室する前にドアののぞき窓を通してリンディの姿を目にすると、中に入ることなく、そのまま立ち去っていった。




