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魔法世界のセデイター 2.異世界人の秘密と魔法省の騒動  作者: 七瀬 ノイド
六章 魔法省七日目(汚職、素材)
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6-6 結界破りの素材探し

 魔法研に現れたリンディ、ナユカ、フィリスの三人が受付でターシャを呼ぶ頃には、すでに昼休みの時間に入っていた。本日は他の部署では業務が停滞している傾向があるのに、ここではあまり関係なく、それぞれの研究をそれぞれのスケジュールで進めているようだ。

 魔法研では、「お役所」である他のセクションとは違って、タイムテーブルはルーズで、研究の都合で各自適当な時間に休むという傾向が強い。したがって、昼休みとはいえ、いつもと同様、出歩いている人も少なく、閑散とした雰囲気である。

 そして、主任研究員のターシャも御多分に洩れず、現れるなり、昼休みであることは度外視する。

「じゃ、実験室に行くよ」

 これには、当然ながら、食道楽からクレーム。

「もう、お昼なんだけど」

 ちなみに、九課のタイムテーブルは他の部署と比べて一時間ずれているため、九課の面々には、まだ昼休みには早い時間だ。リンディも今空腹でたまらないということではなく、懸念しているのは、流れで食いっぱぐれること。ミレット不在の中、この実験バカが取り仕切るのなら、そうならないとも限らない。

「あ、そう?」そんな食い意地の懸念に気づくことなどまったくなく、ターシャは一同を実験室へ先導し始める。「とにかく来て」

「ちょっと、聞いてる?」

 不満げなリンディを、フィリスが取り成す。

「とりあえず行きましょう。ここで揉めるのもなんですし」

 この実験が「ドサクサ紛れ」ということは、他の者同様、この食い意地姉さんの念頭にもあるため、仕方なく文句を飲み込んでついていく。


 全員がほぼ無言のまま、隠密行動よろしく実験室に着くと、開口一番、リンディが最重要課題を机上に載せる。

「で、お昼は?」

「悪いけど、それは後。状況はわかってるでしょ?」

 素気無いターシャ。黙って膨れる食道楽。フィリスは、再確認。

「『ドサクサ紛れ』ですか」

「そういうこと。だから、さっさとやっちゃいましょ」実験責任者は一同を見回す。「お願いね、みんな」

「わかりました」

「はい」

 フィリスとナユカはそれぞれ素直に同意したものの、無反応のリンディは明らかに不満な表情。それならば……。

「なんだったら、魔法研の食堂で食べてくる?」

 ターシャの対案に食通は眉をひそめ、しぶしぶ承諾。

「……わかったよ、後にするよ」

「ご理解ありがとうございます」わざとらしくうやうやしい礼をしたターシャ。「じゃ、また着替えてもらおうかしら。ふふっ」

 末尾に付属された余計なものにより、リンディはナユカの護衛役でもあることを思い出した。

「だから、そういう……」

 文句をつけようとしたところ、その護衛対象は更衣室を指差す。

「あそこですよね」

「そう。ユーカちゃんはいいよねー、躊躇なくて」妙な言い回しでにっこりと微笑んだ科学者。「じゃ、あたしも着替えに……」

 早々に更衣室へ向かうナユカの後ろから、ついていこうとする。

「は? なんでよっ?」

 護衛役からの当然の疑問は、すでに実験用着を着用している研究者へ。

「なんでって……御召し換えって必要でしょ?」

「必要ない」いや、どうなんだ? セデイターは実験についてはよく知らない。「……必要なの?」

「特に必要ないかな」

 あっさり否定したターシャに、あきれるリンディ。

「……来たら通報するね。今日は捜査員もいることだし」

「すみませんが、急いだほうがいいのでは?」

 フィリスが間に入り、時間を無駄にする実験責任者に御注進。

「あら、ごめんなさい。つい」

「つい?」

 つい、なんなのさ? つい悪事に走る犯罪者もいる……。食事絡みで気分がささくれている護衛役は、警戒を解かない。

「大丈夫よ、行かないから」つい、リンディをからかっただけ。「こっちで準備があるしね」

 いちおう安心させてから、研究主任は踵を返し、足早に自分がすべき準備へと向かう。それを視認した護衛役は、ため息を一息つくと、ひとり先行していたナユカを追い、フィリスとともに更衣室へ。


「それじゃ、始めるよ」

 手早く着替え終えた三人が揃ったので、ターシャはインターカムからコンソールの助手、トレスに指示を出す。先日同様に彼の手際はよく、結界発生装置に、早々と棒状の四種混合結界が出来上がる。

「またあれだ」

 この結界へのリンディの眼差しは常に厳しい――初見のときから不評だ。ターシャとしては、その低評価を一掃したいところだが、今はぐぐっとこらえ、本日の作業の説明を始める。

「今日やるのは、ユーカが結界破りをする際に、能力を媒介する素材を探す実験です。そこにざっと……」それらの入った箱を指す。「用意してあるんで、適当にどれかから始めましょう。来て、ユーカ」

 手招きされ、近づいたナユカが箱の中を覗くと、各種エモノが山積み。

「こ、こわ……」

 こんなに大量の武器が無造作に入っているのを、異世界人は始めて目にする……。本物の武器なんか博物館で見たことがあるくらいなので、いくら物怖じしないナユカといえども、腰が引けてしまう……。その傍ら、ゆっくりと近づいてきたリンディが箱を覗き込んだところ、ターシャが照れ笑い。

「あわてて引っかき集めたら、こんな感じになっちゃった」

 てへっとでも言いたげである。

「あのねぇ……」

 あきれるリンディの隣、いつの間にかいたフィリスは、眉をひそめてダメ出し。

「駄目です。これは、許可できません」

「そう? やっぱりね。……だろうと思った」

 用意したターシャ本人ですら不許可に同意せざるを得ない代物たち……。あまりにも無造作に武器を放り込んだため、取り出すだけでも怪我をしそうだ。あのトゲトゲのブツなど、どこをつかめばいいのか……。

「どうすんのさ?」

 これでは武器万能のサンドラ以外には扱えないと、リンディは思う。

「せっかく集めたから、いちおう見せただけ。実際に使うのは別のもの」ターシャは実験室の隅に向かい、そこに置いてあったワゴンを押して戻ってくる。「はい、これ」

 ワゴンの上には、手の長さよりも少し長い板状の棒が多数、きちんと整頓されて入っているケースがある。

「これって要するに……えーと……」

 板とも棒ともつかないこいつの専門用語がすっと出てこなかったリンディに、フィリスが取って代わる。

「素材サンプル板ですね」

 そのとおり、正式には「板」だ。ターシャがうなずく。

「そう」

「これでやれと?」

 苦笑するリンディに、実験責任者がほほ笑む。

「安全でしょ?」

「そうだけど、なんだかなぁ……」

「問題ある? ちなみに、そのケースには危険な物質は入ってないよ。直接触れます」

 ターシャがケースのふたを開けたので、フィリスが覗き込む。

「いちおう、チェックしますね」素材のラベルを一つ一つ確認してから、健康管理者はゴーサインを出す。「すべて、問題ありません」

「では、始めましょう」研究主任はそのうちの一つを手でつかみ、早速ナユカに差し向ける。「端っこをつかんで、先っぽをゆっくり……って、なんかエロくない?」

「エロくない!」護衛役が反射のように否定。「だいたい、どこがさ?」

「さあ?」

 ボケといて呆けるターシャの技。リンディはイラつきを通り越して虚しくなった。

「……」

「はいはい、ごめん」無言のリンディに短く謝って、研究主任はサンプル素材をナユカに渡す。「じゃ、これね。先端を結界に当ててみてね」

「あ、はい」

 素材サンプル棒を受け取り、結界に近づいて指示通りにしたところ、意外なことに、結界には反応が見られない。

「はい、じゃ、次ね」

 ターシャはその素材では駄目だとすぐに判断し、ケースの元の場所に戻してから、別のサンプルを実験対象に渡す……。このような作業を延々と繰り返し、一ケース二十サンプル程度をすべて試してみたものの、反応があったものは一つとしてない。


「ちょっと休憩ね」

 実験責任者の休憩宣言に間髪を入れず、リンディは大あくび。

「……あたし、やることないんだけど」

「そうだねぇ。お昼食べててもよかったね、食堂で」

「外でなんか買っとけばよかった……」ターシャの言及した魔法研の食堂を利用するのは避けたい食い意地は、後悔しきり。ついにはここでの存在意義さえ疑い出した。「……ていうか、あたしやることあるの? これから」

 セクハラが懸念されたターシャもまじめに実験を遂行しており、ナユカの護衛としての意味がない――もとより、過剰反応でしかないのだが。

「あるよ」

 研究主任がきっぱりと言い切ったため、ほんの少しだけ、リンディはレーゾンデートルを見出した。

「そう? なに?」

「ユーカとやることは同じ。あなたの場合は、『結界破りの媒介素材耐性実験』。破り方と趣旨が違うだけ」

 説明を受け、魔導士はサンプルケースを指差す。

「てことは、それでやるわけ?」

「あ、違う違う。あなたのはあっち」

 ターシャは、離れたところにある、武器群が入った例の箱を指差す。

「はぁ?」

 マジかよ、という表情のリンディを尻目に、平然と言い放つ。

「実は、あれはリンディ様用。あなたなら怪我しても問題ない」

「問題なくない」

 今度も反射的に否定。

「フィリスがいるでしょ。それに、少しは使えるじゃない」

 確かにナユカと違って回復魔法は効くし、得意ではないながらも、戦闘職のセデイターとして、一部の武器なら少しは扱える。ただし、限定的にであり、サンドラのように「武器なら何でも」なんてことはまったくない。

「そうだけどさぁ……」自分に対する扱いがよくないとリンディは思う。ただ、危ないからといってあまり渋るのもかっこ悪いので、核心部分だけを問いただす。「でも、なんであれなのさ」

「それは、こっちの実験の詳細をまだ隠しておきたいからよ」

 なにゆえにああいったエモノを使うかには答えず、一段飛ばしてその意図自体を答えたターシャに、フィリスが解説のごとき質問をする。

「……表向きは、リンディさんのほうがメインというわけですか」

「よくわかったね。本筋と並行してできればいいんだけど、そうもいかなくてね……危険だから」

「そうですね」科学者同士で勝手に納得したフィリスが、リンディを置いてきぼりにして実験の内容についての話に切り替える。「ところで、今まで試したのは、耐魔法素材ですが……」

「そう。あと一ケースあるよ」

「そうですか……」

 フィリスの考えを、ターシャは推測できる。……おそらく、自分と同じだろう。

「耐魔法じゃ駄目かもね。ただ、結論を出すにはいちおうやってみないと」

「そうですよね……」

「まぁ、ここまでくると、エンチャント素材のほうがよさそうだけどね」

 両者の考えに齟齬はなく、引っかかることなく話が進む。自分の質問には直接返答が得られず、突っかかるのはリンディ。

「なら、先にそっちやればいいじゃん」

「検証には手順がありますから」

 科学的検証のための実験手順を踏まなければならないという科学的思考のフィリスに対し、そこからは幾分かけ離れた、実践的魔導士が一言。

「堅い。ミレットか」

「後から見つかったほうが、ありがたみが増すでしょ」

 こういう非科学的一般人――というか、一般リンディ――には、こう言っときゃいいや、というターシャ。

「……なにそれ。さっさと見つけて、ご飯食べたい」

 科学云々ということではなく、やはりそれが本音か……。だったら愚痴が増える前にさっさと飯を食わせたほうがいい……。厄介払いというわけではなくとも、空腹の食い意地を近場に放置すると、なにかと気が削がれてしまう。なによりも、研究者は実験に集中したい。

「先、食べてきなよ、本当に。まだかかるし、この後、そっちの実験もあるんだから」

「それは……いいよ」

 その遠慮の言葉とは裏腹、よくはない……。食道楽の遠慮の理由は、魔法研の食堂だ。腹がそう言っている。

「じゃ、控え室の戸棚にお菓子があるから、それ食べてなさいな」ターシャのありがたい提案に対し、リンディにも多少は見栄ってものがあり、考慮中を装って無言。そこで、もう一押し。「出番になったら呼ぶよ」

「……じゃあ……わかった」

 ここで食欲に屈した食い意地は、もごもごと承諾し、すぐさま控え室へ向かい始めたので、実験責任者が後ろから注意事項を叫ぶ。

「食べるときはエプロンかけてね。ハンガーにかかってるから。それから、食べ終わったら服をちゃんとはたいてから来るように」

「はいはい」

 お菓子方面を向いたまま手を振ったリンディは、控え室へ。


「じゃ、そろそろ始めよっか」

 欠食グルメが十分離れたのを確認した科学者が、実験を再開すべく振り向くと、ナユカがくすくす笑っている。

「おかあさんみたいですね」

「ちょ……あたしはそんなに……まだ若いんだけどっ」

 不意の一撃に取り乱すターシャ。「お姉さん」でしょ、そこは。

「あ、すみません。そういう意味ではなく……リンディさんに子供っぽいところがあるので……」

 ナユカの言い訳としては、リンディが幼児ならターシャがその母親ということ。それなら、年齢的にもOKだろう。しかし、当人には不満が残る。

「そうだけど……それでも『お姉さん』にしてほしいなぁ」

「あ、はい。そうですね……失礼しました。『お姉さん』」

「うっ」その言葉と微笑みに、「お姉さん」のハートは射抜かれた。「ね、ねぇ……」

「はい?」

 見つめ返すナユカ……。ターシャがそちらへ手を伸ばす。

「す、少しだけ……」

 近づこうとしたところに、咳払い。

「こほん」

 そちらを見れば、フィリスから視線で射抜かれている……。お姉さんは哀願の声。

「ハグするだけだから……」

「リンディさんに怒られますよ」

「怒られる……? もしかしてジェラシー?」

 もちろん、違う。本人もわかっているのでそれには応じず、フィリスはハードルを一段上げる。

「……二度と相手にされないでしょうね」

「くっ……わかった……」

 ターシャは、ぎりぎりで踏みとどまった。

「どうかしました?」

 なんのことかわからないナユカへ、医師から虚偽の説明が。

「あ、ちょっとした発作で……もう大丈夫だから」

「え? 『ホッサ』って?」

 単語の意味がわからず、眉をひそめる異邦人。その表情を驚きと捉えたフィリスが言い直す。

「あー、少しお疲れのようで……」ターシャに視線を送る。「ですよね?」

「え? あ、うん」ナユカを見るターシャ。「もう問題ない。元気」

「そう……ですか……」気遣わしげに見つめ返すナユカ。「無理しないでくださいね、お姉さん」

「くぅっ……」

 またも射抜かれた……。小悪魔か。

「自制してください」

 フィリスの冷たい声を受けた研究主任は、自分の太ももをつねる。

「ぐ……よし、OK」雰囲気が元に戻った。「さあ、続きをやろう」


 実験の続きとして、もう一ケースある耐魔法素材にて同一の実験を始めたものの、相変わらず結界には何の反応もなく、そのまま無為に残されるのみ。そして、ほぼ半分のサンプル素材を消化したところで、ついにターシャは方針転換をする。

「ここで耐魔法素材の検証はいったん打ち切ろう。さっきリンディにああ言った手前、ここまでやったけど、正直、これ以上は無駄だと思うし……もう飽きた」

 それに時間もない。もとよりドサクサ紛れの実験である。そう悠長にやってもいられない。「ああ言った」当の本人フィリスもその辺の都合は理解しており、すんなり同意する。

「そうですね……そうしましょう」

「というわけで、エンチャント素材でやってみよう」

 先ほども言及したように、ターシャはそちらに可能性があると考えている。これまでの結果を見る限り、フィリスも同様に考えてはいるが、ひとつ気がかりなことがある。

「それには同意しますが……どのような手法で実験を進めますか?」

「今までどおりでいいじゃない」

 特に別の実験方法を考えていない研究主任に、健康管理責任者として、フィリスは指摘しておかねばなるまい。

「それだと、危険性があります」

「ふつうの人の場合は、ね。でも、やるのはユーカだよ。魔法が流れ込んできても無効化するよ」

 エンチャント素材は、一言でいえば、魔法を乗せる素材である。したがって、それを素手で持って魔法に触れれば、魔法がその素材を伝って人体に流れてくる。ゆえに、たとえば、火を乗せやすい素材を剣の刃にコーティングすれば、エンチャント魔法をかけることでその剣はファイアー・ブレイドとして機能するわけだが、そのままでは火の魔法が柄の部分へと流れ込んでくるため、それを阻止するために、火に対する強力な魔法耐性をもった素材を柄の素材として採用する。

「そう予想はできますが、確実ではないです」

「あたしの予測では確実。今までのデータからの結論ね」

 実験責任者にそう言われても……安全面に関しては、医師は食い下がる。

「しかし、不測の事態というのも考えられますし……」

「そのためにも、あなたがいるんじゃない。それに、他に実験方法ってある?」

 そもそも、エンチャント素材を使うということは、魔法をナユカの体へと流れ込ませる意図があるわけで、それを阻害してしまっては、実験が成立しない。エンチャント素材の使用そのものには反対していない以上、フィリスは承諾せざるを得ない。

「……そうですね……やらないわけにもいきませんし」

「ご理解ありがとう。念のため、結界はもう少し弱めることにするよ」


 いままでの結界は手っ取り早くナユカに素手で消去してもらい、これから改めて最弱レベルの結界を作り直すことにする。安全性が確認できれば徐々に強めていけばよい。本人にはこれからエンチャント素材での実験を行うことを改めて告げ、それについてターシャが手短に説明する。

「……そんなわけで、ユーカの場合は大丈夫だから、素材板に魔法が流れ込んできても慌てて手を放さないでね」

 そこで手を放しては実験にならない。ただし……。

「でも、もしも痛みとか違和感を感じたら、すぐに手を放して」

 そんなフィリスの警告を受け、ナユカが気にしたのは、サンプル素材を壊してしまうこと。

「落としちゃってもいいの?」

「ええ。そこは躊躇しないで」

「わかった」

 医師と異世界人による安全確保の打ち合わせも終わり、実験責任者は本人にいちおう再確認する。

「それじゃ、始めるけど、いいかな?」

「はい。OKです」


 ナユカの承諾を受け、ターシャがインターカムで毎度おなじみトレス助手に指示をすると、作られたのは四種混合結界ではなく、まずは無難に氷系の弱い結界から。これはエンチャント素材を使うのと、安全性を考慮してのこと。土系も危険性は低いが、失敗すると床が汚れやすいので後回し。

 ともあれ、最初の結界は氷系のため、使うエンチャント素材も氷系となる。それを先ほど同様、ナユカが素手で持ち、結界にゆっくり接触させる。さっそくやってみると、氷が素材を伝うか伝わないかというその瞬間に、結界全体が即時消滅。

「あれ?」

「あら」肩透かしを食らったかような表情のナユカにつられ、一瞬、ターシャは機器の不具合を疑う。「……あ、いいんだっけ」

 しばらく何事も起きない実験が続いていたので、感覚がエアポケットに入っていた。この結果は、研究主任が予測した、あるべき結果である。そして、さきほどの四種混合結界を片付けるときにナユカが見たもの。

「いいんですか?」

「いいのいいの。大成功」

 ターシャがこちら流の成功のサインで答えたのを見て、フィリスがナユカに近寄る。

「手は大丈夫?」

「うん、大丈夫」

 何の問題もなさそうだが、念のため、医師は異世界人の手を取る。

「なにか感じた? 違和感とか」

「何もないよ」

「そうだね……問題ない、というか、なんの痕跡もなし。いつもと同じだね」

 診察したフィリスは、ほっとして手を離す。

「おそらく、流れてきた魔法を素材が媒介して結界を消滅させたということね。ま、予想してたけどね」結界の消滅時に自分でも一瞬戸惑ったわりには、ターシャは自慢げ。ノリノリになる。「よし、どんどんやっちゃおうか」


 そこへ、リンディが戻ってきた。

「お菓子食べ過ぎちゃったよ、まったくもう。……あれ? 調子良さそうじゃない。うまくいってるの?」

「あ、リンディ。実験成功だよ。あとはガンガンやるだけ」

 踊りだしそうな勢いの研究者。でも、リンディがほめるのは、結界破りのほう。

「できたんだね。さすがユーカ」

「いえ、わたしは別に……ただ触っただけで……。ターシャさんのおかげです」

 ナユカは謙虚さを表したように見えるが、実際のところ、渡されたマテリアルで結界に触れただけで、特に何をしたわけでもなく、それでほめられるのはどうにも居心地が悪いというのが本意だ。一方のターシャは、さらっと自画自賛。

「さすが天才科学者」

 すると、リンディが水を差す。

「素材棒を渡しただけじゃないの?」

「……実験にはいろいろな要素があるの」

 作るべき結界の指示は出した。

「あ、そ」

 無粋な魔導士は放っておき、気分の乗っているターシャは実験を進めたい。結界を消滅させる方向性が見えたからには、結界生成に取られる時間を考慮すると、実験を急いだほうがいい。

「それじゃ、どんどんやるよ」

 掛け声の下、各種エンチャント素材で次々と同様の実験をし、結界の出力も様子を見ながら上げてゆく。その結果、適切な素材を伝って結界から魔法を逆流させ、ナユカの手に触れさえすれば、どの系統の高密度の結界でも即座に消滅させられることがわかった。その際、逆流してくる魔法の種類や出力には関係なく、ナユカの身体と結界との間にある種のルートができればいいようで、ゆえに、無属性エンチャント素材が最も使い勝手がよいという結論に達した。

 理由はこうだ。それぞれの魔法にはその魔法を乗せやすいエンチャント素材があり、適切な素材を使えば特定の魔法を高出力で剣などにエンチャントさせることができる。しかし、たとえば、火属性のエンチャント素材に氷属性の魔法を乗せることはできない。一方、無属性エンチャント素材はどんな魔法でも乗せることができるが、その反面、魔法出力は下がる。ナユカによる結界破りの場合は、上述した理由により、出力は関係なしに魔法がそこを伝いさえすればいいので、無属性が便利だということになる。

 こうして、理論的にはまだわからないことが多いものの、実用上は限定的な結論を得ることができ、「ドサクサ紛れ」に実行したナユカの結界破り素材実験は、その目的を達して終了した。




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