6-5 サンドラ不在の九課
しばらくして、フィリスとナユカが九課に現れた頃には、「課長代理」となったミレットの体調も万全となっていた。
「では、フィリスさん、ナユカさん、よろしくお願いします」
サンドラから言いつかったとおり、九課の「留守番」についてふたりに頼んだところ、リンディが冗談ぽく割り込んでくる。
「あれぇ? あたしにはぁ?」
「もちろん、リンディさんも……」
「『も』ね。はいはい」
発言の途中に揚げ足を取ろうとしてきたので、お堅い課長代理が副詞を付け足す。
「……ほどほどに、お願いします」
「釘刺されちゃいましたね」
微笑むフィリス。自分がいない間に、何かあったのだろうか……。
「あたしは別に……」
なにもしてない……わけではないな……サンディが爆睡したせいだけど……。てことは、「別に」なんなんだ? 自分でもどう続けるべきかわからなくなったところ、今度はミレットが割り込んで先回り。
「わかっています。失礼しました」
「ま……まぁね」
なにがわかっていて、何が失礼なんだろう……。もうなんだかよくわからなくなった。
そんなリンディとミレットの探り合いめいたやり取りなど理解するべくもなく、留守番として呼び戻されたナユカは、どことなく居心地が悪い。
「あの……わたしはなにをしたらいいんでしょうか。機械の操作もできないし……」
申し訳なさそうにミレットに尋ねた異世界人に加え、ヒーラーも困惑気味。
「わたしも、セデイト関連は専門外ですので……」
「そのあたりは、リンディさんの指示に従ってください」
課長代理に振られたセデイターが胸を張る。
「ほら、あたしがメインじゃない」
「そのように、よろしくお願いします」
課長代理の要望は全員に向けてのものだが、リンディはご満悦。
「つまり、あたしがボスよね。あっはっは」
「……専門分野に関しては、お願いします」冗談っぽく高笑いした「ボス」に再度釘を刺してから、ミレットはフィリスを見る。「それから、端末の操作は権限の点から、フィリスさんにお願いします」
「承知しました」
要請を受けた本人が承諾した一方で、さきほど自分がやった本来は権限外の端末操作がミレットにばれているのだろうかと、リンディは疑心暗鬼。でも、まぁ……契約書類があるからいずれ気付かれるだろうし、自分が悪いんじゃないからいいか……。こんなことで気を病んでも無駄と決定し、わざわざ自白する必要もないので黙っておく。
「それでは、わたしは課長……いえ、その……魔法部長臨時代行……のところへ参りますので、失礼します。問題があったら、ご連絡ください」
ミレット課長代理はそう言い残して九課を去り、サンドラの元へ向かった。
「さて、わたしたちは何をすればいいんでしょうか」
サンドラとミレット不在の今、フィリスは「ボス」のリンディに指示を仰ぐ。
「ま、要するに留守番だから、いればいいの。後は、雑談しようが寝ていようが、かまわないんじゃない?」
「そうですか……」
怠惰を推奨されても、基本的に勤勉なフィリスには、手持ち無沙汰でしかない。何かやることはないだろうかと、課内を見回してみる。
「あ、そうそう。あっちの部屋どう? 整理とかした?」
こちら、基本的に勤勉ではないリンディは、ナユカとの雑談に入った。
「ええ、少し。もともと整理はされていたので、ちょっとだけ、ものの置き場所を変えて、軽く掃除したくらいです」
「備品とかはどう?」
「基本的なものはあるそうです。わたしにはよくわからなくって」
結局、フィリスはすぐにはやることは見つからず、雑談に加わる。
「必要なものはだいたい揃ってましたね。持ち込んだほうがいいものもありますが」
「ふーん、いいなぁ」
うらやましがるリンディには、帰るべき部屋がある……。
「リンディさんは、今日帰るんですよね……」
ナユカは、一緒に寝起きするのも終わりかと、名残惜しげ。
「え? う、うん。そうだよね。帰らないと……ね」
しぶしぶ感がありあり……。依然、同室に泊り込もうという気だ。しかし、そんな思惑は、ナユカには通じていない。
「いいなあ、一度行ってみたいなぁ、リンディさんの部屋」
「あたしの部屋ねぇ……」
「どんな部屋ですか?」
この世界の普通の部屋というのに、ナユカは興味がある。まだ、宿泊施設に類するものにしか泊ったことがない。
「どんなって……たまに帰るだけだからなぁ。特にどうってことない……」
本人が説明を始める前に、することないフィリスが割り込んで茶々を入れる。
「散らかった部屋ですね」
「そうそう、散らかった……って、失礼だな」
乗り突っ込みしたリンディに、暇人が確認開始。
「散らかってないんですか?」
「いないときは散らかってないよ」
「……ということは、いるときは散らかってるわけですね」
「今、いないんだから散らかってないじゃない」
「いるときに散らかっているのなら、『散らかった部屋』というのは妥当な表現ではないでしょうか?」
無聊を持て余しているせいか、食い下がってくるフィリスに、リンディが対抗。
「でも、足を踏み入れる前には散らかってないんだから、散らかってないじゃないの」
「それでも、結局すぐ散らかるのなら、総じて散らかっている時間のほうが長いわけで、すなわち、それは押しなべて『散らかった』といえるのでは?」
「それなら、部屋を空けている時間のほうが長いんだから、散らかってないでしょ」
「しかし、部屋が部屋として機能しているのは、そこにいる間なのだから、その点を考慮すれば、散らかっているとみなすべきではないでしょうか。実際、リンディさんは、部屋にいる間は散らかってるという印象をお持ちではないですか?」
間を空けてリンディが認める。
「……いないときよりは、そうだけど」
「それなら、やはり……」
フィリスが駄目を押す前に、リンディが落ちる。
「はいはい、散らかってますぅ。あたしの部屋はゴミ溜めですぅ」
横を向いて膨れるその部屋の住人。案ずるナユカが、フィリスの耳元で語気強くささやく。
「ちょっと、なにやってるの?」実際、セレンディー語の複雑なやり取りはよくわからない。「リンディさん、怒っちゃったじゃない」
「そうだね……なんとかする」ナユカにささやき返してから、ぶすっとしているブロンド美女に声をかける。「ちゃんと片付けて出てくるんですね、リンディさんは。すばらしいです」
なんのことはない、ただのヨイショ。
「片付けるよ、いちおう……出てくる前にはね。いるときは『散らかってる』けど」
皮肉めいて一部強調しながらも、答えてはくれたリンディに対し、挑発者がおどける。
「わたしなんか、片付けが面倒で、部屋ごと片付けちゃいましたよ……あはは」
「……それ、どういう意味?」
仏頂面は、まだ冷ややか。
「あ、つまり……部屋を引き払ってきたんです」
「なに、その冗談? 笑えないよ」
言葉と裏腹、リンディの表情が和らぐ。
「いえ、本当なんです。なにかと……長くなりそうだったから……」
フィリスが言及しているのは、もちろんニーナの件。すると、ナユカから声が漏れる。
「あぁ……」
額に軽く片手を当てて、視線を落としている……。その姿に、健康管理者が目を向ける。
「……どうしたの?」
「わたしの部屋……ほったらかしてあるんだ……」
低いトーンで答えたナユカが、向こうの世界で大学の近くに部屋を借りていると話していたのを、リンディとフィリスはそれぞれ思い出した。
「あ。あっちの……」
「そうだよね……」
こちらに来て、まだ十日ほど。部屋自体はひどいことにはなっていないだろうが、部屋のことを切っ掛けに、異世界人のいろいろな気掛かりが頭をもたげてきた。
「今、どうなってるんだろう……」
表情に影が差すのを目にし、医師はあえて冗談めかす。
「散らかってはないよね?」
「……わたしも準備してから来たかったなぁ、あはは」
異邦人は苦笑い。……それができれば苦労も気がかりもない。いや、なくはないだろうけど、かなり減ったはず。そんなことが脳内をよぎるナユカに、リンディが遠慮がちに聞く。
「……帰りたくなった?」
「それは……そうですねぇ……行き来できればいいなあ、とは思いますけど。こっちの生活も楽しいから」
あくまでもポジティブなナユカ。それに、まだこちらでやることがある。
「わたしも、そっちに行ってみたいかも……」フィリスは単に話を合わせているわけではない。「そこの非魔法系医療に興味があるし」
「ほんとに? 行けたら、あちこち案内してあげるよ」部屋がらみの心配はひとまず置いておいて、異世界人は明るく応じる。でも、医療関係は、よくわからない。「あー、できるだけ」
「リンディさんはどうですか、あっちの世界。行ってみたくありません?」
フィリスに尋ねられ、少し考えてからリンディは答える。
「……そうだな……帰ってこれたら……あ」ナユカが現在帰れないことに思い至り、そちらを見る。「ごめん」
「あ、いいんです。それはそうですから。行き来できればって話で」
このようにポジティブなナユカ、そしてフィリスに比べ、リンディは……。
「そうだね……。あたしは……そっちで役に立つかなぁ……」
「え?」
見つめる異世界人に、セデイターがネガティブ解放。
「魔法のない世界では、あたしはなにもできない……たぶん」
「そんなこと……」
否定しようにも、ナユカはまだリンディのことをそれほど知っているわけではない。嘘の気休めなど口にしてもすぐばれる。
「ユーカはさ、よくやってると思うよ……この世界で。全然違うはずなのに」
「まだ……わからないことばかりですけど」
褒められた本人も否定はしない。実際、自分でもこの異世界でよくやっていると思う。その最大の要因として、初めからここの言葉が理解できるという幸運がある。その点では、あちらの世界のまったく言葉が通じない外国に突然放り出されるよりも、まだましなのかもしれない。
「あたしはさ、今やってること、セデイター以外のことって……うまくできそうな気がしないんだよね」
少しだけしみじみと口にしたリンディに、フィリスが対応する。
「構わないと思いますよ、それは。つまり、天職ってことでしょう?」
「そうなのかな……」
「わたしも病院勤めはやめても、ヒーラーやってますから……結局……」少しだけ、フィリスは思いに浸る。「セデイターをやめたいわけではないですよね?」
「あ、それはない。好きでやってるから」
セデイターは、即否定。
「なら、問題ないですね」
「まぁ……そうかな……」
まだ引っかかるところはありそうだが、リンディのネガティブな気分が収束したようなので、九課の健康管理者はほっとする。
「……でも、まぁ……ユーカを見てると、なにか新しいことを始めたくはなりますね」
「そうなの?」
不思議そうなナユカに、フィリスが尋ねる。
「新しい世界で新しいこと。毎日が新鮮でしょう?」
「……それはそうかな」
「大変だとは思うけど」
配慮を示したフィリスの言葉に、リンディが余計なことを補足する。
「いくら、ユーカでもね」
「わたしでも、って?」
「あ、いや……つまり……その……」他意なく素で質問してきたナユカに、リンディは、しどろもどろ。神経の太さに関する言及は、健康管理責任者から禁じられているのを忘れていた。「あ、そうだ。言葉が通じても……ってこと」
出口はあった。これで、どうにか先のようなフィリスからの物理攻撃を受けずに済み、視線が突き刺さるだけに留まった。
時間の流れるに任せて、雑談をしながら待機していても、まったく人が来ることはない……。それなら課内の片付けでもしようかもと思ったフィリスだが、何をどこへ動かしたらいいのか悪いのかわからず、勝手なことをして後でミレットからお小言を食らっても割が合わないので、やめておくのが賢明という判断に至った。結局、無聊を持て余し、そのまま三人でだらっとしていると、ついにナユカが大あくびを発動。
「ふぁーーあぁぁ。……来ませんねー、誰も」
目にしたリンディは、口の大きさの割にはすごい開くなと思ったせいか、出そうになったあくびが止まった。
「……もともとセデイターの数って多くないからね。続々と来るなんてことはないよ」
「そうみたいですね。ここで会ったセデイターの方といえば、あの……」フィリスは顔を少し上気させる。「ちょっと素敵な……」
大あくびのダメージか、あごの関節に手を当てているナユカが聞き返す。
「素敵な?」
「いたじゃない。数日前に……男の人」
イケメン中毒と違い、「素敵」さだけでは脳内に鮮明には登録されていない。
「ああ、あの人……」
ナユカの記憶では、初めてリンディ以外に会ったセデイターという属性が優先されている。イケメンだということに同意はしても、好みはまた別だ。
「素敵かどうかはともかく、そいつならさっき来てたけど」
不意の報告をセデイターから受け、フィリスが驚いて声を上げる。
「ええ!」
「っ!」その声に驚いたリンディは、息を呑んだ。「き……来てたよ。ちょっといて……帰ったけど」
「いつですか? 何しに? 何の用で?」
興奮したイケメン中毒が、前のめりで畳み掛けてきた。セデイターは半歩後ずさる。
「いつって……さっきだけど。なんか、様子見とか……。依頼も見てったな」
「ど、どうして教えてくれないんですかっ」
フィリスの言いがかりに、たじろぐリンディ。
「どうして……って言われても……」
「あーあ」
イケメン中毒は天を仰ぐ。……非難めいたイントネーションが感じられ、なんで自分が責められなきゃいけないんだろうとリンディが思っていると、ナユカがフィリスをたしなめる。
「そんなにがっかりしちゃ……悪いよ」
これで、中毒患者が我に返る。
「あ」我に返った中毒患者が、リンディに向き直る。「……すみません」
「別にいいけど……」
謝罪は受け入れるものの、勝手に期待を裏切ったと責められるのは……苦手だ。
「リンディさんにそういうのを期待しても、無理なんだから……」
ナユカはフィリスに近づいてささやいたのだが、少しばかりナーバスになっているリンディには筒抜け。期待されないのも……。
「なんか、失礼だな……」
ボソッとつぶやいたのが耳に届き、ナユカはあたふたする。
「あ。いえ、その……そこまで気の回る人はどこにもいませんよね……あはは」
そんな誤魔化し笑いなど捨て置き、フィリスがリンディに一歩踏み出す。
「あの、それで……名前だけ……教えてもらえませんか? あの人の」
本人は名乗らなかったし、不覚にも、まだ名前を聞いていなかった……。
「名前ねぇ。ま、いいけどさ」それが、はたしてこのイケメン好きのためになるのか気にかかるが、リンディには迫り来る中毒患者に抵抗する意味も気力も筋肉もない。それに、ルーヴェイにもフィリスを紹介すると口走ってしまっていたので、実際にそうするかはともかく、名前くらいはここで教えるのもやむを得ないだろう。「奴の名前は、えーと……」
「はい」
こうがっちり食いつかれたら、どうあっても、こうボケるしか選択肢はない。
「……なんだっけ?」
「……」
無言の圧を感じて、早々にリリースする。
「あ、『セルージ=ルーヴェイ』ね」
「……素敵な名前ですねぇ」
にっこり微笑むイケメン中毒。……たとえそれが「セルージ」ではなく「権左衛門」でも、フィリスは同様に答えたに違いないと、ナユカは思う。「権左衛門」でも、ところ変われば品変わる。別の世界では別の響きもあるのかもしれない――同じ世界でも、時代が違えば、響きも違うのだから。それにしても、「権左衛門」って名前の歴史上の人物って知らないなぁ……。確か、「左衛門」が、なにか意味があるんだっけ? 遠山の金さんのミドルネームにもそんなようなのが……。あ、そういえば「近松門左衛門」にも「左衛門」が……。
などと、ナユカが思考トリップをし、フィリスが上向き加減でうっとりとしている間に、リンディがなにかを思い出したようだ。
「そういえば……」
「なんですか」
イケメン中毒の食いつきが素早すぎる。なんかめんどくさいことになりそうな予感がしたリンディは、ルーヴェイのほうもフィリスを気にかけていた、などと口にするのはやめる。
「……なんでもない」
出鼻をくじかれたフィリスは、話者をじっと見つめたものの、それ以上、食い下がりはせず……自己抑制すべく、下を向いて大きく息を吐く。
「はーーぁ」
この話題にいったんけりをつけたいリンディは、軽く締めることにする。
「ま、そのうち会うこともあるんじゃない?」
「セデイターですもんね」
この課にはよく来るはず……。同意したナユカに、イケメン好きが応じる。
「そう、ね……」
「なに? 納得いかないの?」
リンディが、蒸し返す危険を冒してあえて聞いてみたところ、フィリス曰く……。
「……いえ、大丈夫です……マッチョじゃないんで」
この三重中毒患者に説教をしたい気分がナユカに涌いてきたが、昼日中に男女関係の込み入った話もなんなので、それは改めて夜にでもしようと思う。
しばらくして、ようやくミレットが九課に戻ってきた。心なしか、若干の憔悴が見て取れる。
「これから、みなさん魔法研のほうへ行っていただけますか? 急遽、実験を行うことになりましたので」
「実験? 今から?」
聞き返したリンディは、ナユカとフィリスに視線を向ける。その反応から、どうやら、今回はどちらも聞かされていなかったようだ。課長代理が続ける。
「おとといの続きで、また結界破り関係です。担当はターシャさんです」
「またか……。でも、突然だね」
続きがあることは前回の実験後に聞かされていたし、リンディの好みはともかく、担当者も当然同じとなる。それにしても、日時の予告くらいはあってもいいはず。
「ええ……現在、サンドラ課長が魔法部長臨時代行ですので、その……いろいろと……」
ミレットの割には歯切れが悪い……。訝しんだリンディが発言を促す。
「なんなの?」
「……『ドサクサ紛れになんでも許可が出せる』ということです」
うっすらと苦渋の色を浮かばせて、ミレットは早口で一気に言い切った。こういうフレーズは、口の中で噛み締めたくないのかもしれない……。
「ああ、なるほど。やりたい放題なわけだ」
フリーランスからの不吉な予言を、課長代理がギクッとしながらも断固として否定する。
「そ、そんな恐ろしいことはさせません」
この人からこんなに強い意志を示す表現を聞いたのは、リンディは初めて。
「……させないんだ」
「そ……その……大丈夫……なはずです」自ら断言しておきながらも、早くも課長秘書は揺らぎつつある。「あれでも良識的な方ですから」
まるで自分に言い聞かせているよう……。それならばと、その人物を長く知る者は、試しに追い討ちをかけてみる。
「そうなんだ……初めて知った」
ミレットの顔色がみるみる青ざめる。
「大丈夫です……今日は業務が停滞しているので、やることは少ないですし、さっきも暇そうでしたし、ちゃんと釘を刺しておいたし、今日だけだし、記録に残るから無茶苦茶はできないし、それに、それに……」
己を納得させるべく、念仏を唱えるかのごとき課長代理……。
「おーい」
リンディに呼ばれたミレットは、俗世に戻った。
「は、はい」
「それで……ここの業務はどうするの」
セデイターの実務的な質問が、課長代理を目の前の業務遂行へと引き戻す。
「……あ。それはわたしが代行いたします」
「まぁ、そうだよね。どうせ人来ないけど」
居留守番ではなく留守番として公式に九課を任されてから、まだ誰も来ていない。
「ああ、それは、今日は受付で入省を制限しているからです。急ぎとか、重要な案件でない場合は後日にということで、お願いしているようです」
「さっきひとり来たけど? どうってことない用で」
居留守番をしていたとき――つまりはルーヴェイのこと。フィリスの目は輝き、調子の戻ったミレットは問いただす。
「そうですか? それはいつのことですか」
「それは……サンディが寝……いたとき」
また口走りそうになったが、かろうじてセーフ。どうせもう感づかれてはいるだろうな……。いちいちほじくり返したりはしないとは思うけど、精神的に面倒だ……。無駄にナーバスなリンディの思惑とは関係なく、推量する課長代理。
「それは制限前のことですね。それ以後は来てないようですし、今後もしばらくは誰も来ないでしょう」
「制限するほど波及するんですか、今回の件は」
誤魔化したい誰かには都合よく、フィリスが入ってきた。入省制限は、捜査のための隔離なのだろうか……。魔法省の総合魔法局魔法部というのは、魔法関連事務の中核をなす部署であり、そのトップが魔法部長なのだから、その人物の汚職は、能力はどうあれ、それなりに大事である。そして、汚職が省内に広く波及していたとなれば、間違いなく、魔法省にはかなりの痛手となる……。彼女がほのめかしたそのような懸念を、ミレットが否定する。
「それは、そうではないと思われます。おそらく、ほぼ前魔法部長個人の犯罪ではないかというのが、有力な見方です。入省制限は、通常どおりの対応ができないため、混乱防止ということで施行しているようです」
「お役所的発想ってやつね」
くさすリンディだが、そのおかげで無聊を堪能できているわけだ。
「『ほぼ』ということは、他にも関係している人がいるんでしょうか」
フィリスがミレットの発言内にあった微妙な部分を取り上げて尋ねたところ、彼女の顔色が再び、しかし、今度は違う方向へ悪化。眉間にしわを寄せて、口元へ手を近づける。
「それは……また後ほどということで……」
リンディが思うに、さきほどサンドラがほのめかした「気持ち悪い噂」が「ほぼ」の部分に関係しているのだろう。こう何度もネタをちらつかせられては、こっちにストレスが溜まる……。とはいえ、またミレットに体調を崩されても困るので、ここはぐぐっと我慢……できない。好奇心が大人の対応を捨て、事情通に質問しようと乗り出すと、ナユカのささやき声が耳元へ。
「今日のミレットさん、ちょっと変ですね……」
「え? あ、そうだね」指摘されてしまうと、リンディも気を遣わざるを得ない。「……じゃ、まぁ……ここはミレットに任せて、あたしたちは魔法研に行こうか」
ナユカがまた耳元でささやく。さっきからささやいてばかり。
「いいんですか? 一人にして」
再びささやいてきたナユカに、リンディが今度はささやき返す。
「一人にしたほうがいいの」そして、まだ質問したげなフィリスに声をかける。「行くよ」
「あ。はい……」
後ろ髪を引かれるようにフィリスが動き出す。まだ得たい情報があるとはいえ、彼女も医者だ。ミレットの具合が悪そうな表情から、現状では口にできない事情もあるのだろうと斟酌し、先に出口へ向かったリンディとナユカに続く。




