6-2 リンディ「留守番」中
九課課長サンドラは眠っている……爆睡状態である。いびきこそかかないが寝息は結構荒い。どんな環境でもきっちり眠れるのはこの人の長所だと、リンディは思う。自分の場合はそうはいかない……わけだけど、こいつ、ちょっと熟睡しすぎじゃないの。これで、突然起こされたとき、ちゃんと機能するのかな? ……試してみたい……が、なにもないのに起こしたら怒るんだろうなー。それに、ちょっとかわいそうな気もする……こんだけ眠ってると。あたしだったら、ぶち切れるな、たぶん。……でも、なんかいたずらしたくもなるよねぇ……。それって、一種の……本能みたいなもん? 学校とかで、みんなで旅行行ったときとか……先に眠ったほうが負けとか……なにされるかわからない……みたいな。
そんなことを考えつつ、じーっとサンドラを見ていると、なにかをせずにはいられなくなってきた。周囲を見渡せば、ここにはたくさんの紙がある。これは、これでなにかをしろという神の思し召し、いや、悪魔の誘惑……? いずれにせよ、もう我慢できない。リンディはその辺のメモ用紙を一枚取り、ちぎって紙縒りを作ると、それを爆睡中の鼻へ……。
……と、ここでドアの呼び出し音。リンディは、びくっとして紙縒りを落とし、反射的にそちらを振り返って仕切り越しに見やる……が、いまひとつよく見えない。もとよりドアは閉まっている。仕方ないので首を元に戻したところ――紙縒りはサンドラの顔面には落ちなかったのだろう――依然眠ったままだ。ほっとして、静かにドアのほうへ向かう……。
驚かせたのは誰だと思いつつ、扉をゆっくり開けると、見知った「イケメン」セデイターが立っていた……こいつか。
「あ、リンディ君。君も来てたんだね」
名はセルージ=ルーヴェイ。実は、なかなかのやり手だ。
「……まーね」
声を落としてぶっきらぼうに迎えたリンディは、発言内の「も」というのが気になったが、とりあえず、人差し指と中指を唇の前に立てる(指の腹側は唇のほう)という、こちら風の静粛を求めるジェスチャーをする。
「ん? なにか問題でも?」
来訪者の声は普通の大きさ。……気の回らない奴だ。やむを得ず、留守番――正しくは「居留守番」は、小声で制する。
「だから、静かに」
「ああ、そういうことか」今度はルーヴェイも小声で応答し、先ほどのリンディのジェスチャーをしてみせる。「ぼくの出身では、これは問題があるって意味なんだ」
どういう出自……なのかはともかく、小声で話すことは理解したらしい。それでも、居留守番は、入り口の前に立ちふさがったまま、簡単には中に招き入れない。
「で、なんか用?」
「あ、いや……なんか、魔法部長が逮捕されたって聞いてね……どうなってるのか見に」
早朝に、どこからそんな情報を手に入れているのだろう。まぁ、こいつは「ファン」が多いからな……もちろん、女の。そんな不思議でもないか……。勝手に納得するリンディ。
「それは物見高いことで……」
「中でなにかやってるのかい? 事情聴取とか……」
「まだ」
「それじゃ、どうして小声で?」
ふたりの会話はずっと小声。
「寝てるから」
「寝てる……とは?」
「サンディが爆睡中。起こしてもいいなら大声でどうぞ」
「いや、あえてそんな危険を冒すのはやめておくよ」
有能なセデイターだけあって、ルーヴェイにも危機察知能力は備わっているらしい。
「他になんか用?」
「依頼がないか、見たいんだけどな」
「そう? しょうがないな……じゃ、静かに」
居留守番は入り口前から脇に避け、やっと来訪者を課内へ通す。
ようやく中に入れたイケメンセデイターは、辺りを見回す。
「課長はどこに?」
「奥」
間仕切りを指差すと、どういうわけかルーヴェイがそちらへ向かおうとするので、リンディは腕をつかんで止める。
「ちょっと、なにしに行くのさ?」
「せっかくの機会だから、寝顔を見てみようかと」
怖いもの見たさというやつ。ルーヴェイは、特にサンドラの寝顔に興味があるというわけではない。眠れる獅子を見たいようなもの。
「なにそれ。起きるよ」
「音は立てないから大丈夫」
「気配で起きる。匂いで起きる。起きたら怒る」
「そ、そうかな……」
やはりこの人は、そういったもので起きてしまうのだろうか……。さすがに、それは困る……というより、恐怖である。ルーヴェイの腰が引ける。
「あんたのコロン、独特でしょ」
「……あ、気づいてくれたんだ。光栄だな」
さわやかな笑顔をリンディに向けるイケメン。
「まぁね……」
「ぼくのお気に入りなんだ。気に入ってくれたかな?」
気に入ってないから気になった……。「独特」って表現で気づけよ。……まぁ、そんなことを口にしても仕方がないし、もとよりルーヴェイのコロンなんぞに興味はないので、居留守番はサンドラの状態へ話を戻す。
「アイマスクしてるから、見ても意味ない」
コロンの話を飛ばされたイケメンは拍子抜け。
「あ? ああ、そう……それは残念」
二重の意味で――サンドラの寝顔、並びに、リンディがコロンのことをスルーした点。聞かれない以上、その銘柄も口にできない。これは特別な……。
「『残念』って、そんなに寝顔見たかったの?」
香りのことなどどうでもいいリンディから斜に見られ、コロンのほうに気を取られていたルーヴェイは、はっとして否定する。
「いや、そういうわけでは……」
「人の趣味に口出しする気はないけどさ……」
でも、いい趣味だとはリンディは思わない。
「いや、決してそういうわけでは」再度強めに否定してから、ポーズを決めるイケメンセデイター。「それに、ぼくが興味あるのは君の寝顔だけさ」
その変化球に対し、言われたほうは直球として曲解する。
「……そんなに寝顔が好きなんだ……ふーん」
「いやいや、だからそういう意味ではなく……」これ以上、この話題に拘泥すると誤解を助長しそうなため、ルーヴェイは話題転換で逃げを打つ。「そうそう、依頼を見せてほしいんだけど」
「あ、そうだっけ。じゃ、こっち」
リンディも寝顔の話題に固執する理由はないので、粘ることなく、端末のほうへ。
「あんたはいいよね……ご指名があるから」
席に座った居留守番は、手馴れた様子でデータ端末を操作中。結局、ちょっとだけアクセス権限が増えただけ。残念ながら、操作に戸惑うほどではない。
「はは」誤魔化し笑いをしたイケメンセデイターは、何気なく口走る。「今日は君が出してくれるのかい」
操作中のリンディの手がぴたっと止まり、立っているルーヴェイの顔を見上げる。
「頼まれてるからね……サンディに」
「?」
意味を解さず、来訪者は疑問の表情を浮かべる。
「厳密には……わかるでしょ」本来、魔法省職員ではない者がこういう作業をするべきではないという、ほのめかし。実は、契約を交わしたから問題はない。「ほんとは、知らん振りしててもよかったんだからね」
相手するのが面倒だから、そうしたかった……。
「……あ……そうか」意味を汲み取った。「ありがとう。口外はしないよ」
こいつがこういったことを触れ回るようなタイプだとは、リンディも思っていない。
「ならOK。恩に着るように」
ほのめかしによって、無理にそうさせようとしているのだが、逆にその言葉をチャンスと取ったイケメン。
「今度、食事おごるよ」
「それはいいよ」
即座に遠慮し、端末の操作を再開するリンディ。食事をおごると誘えば、たいていこの食道楽はOKしそうにも思えるが、必ずしもそうではない。リラックスして食事をするというのが、彼女のポリシーであり、この相手ではそうもいかない。別に嫌っているわけではないものの、いちいち口説いてくるので、それに対応するのが面倒だ。その真剣さの如何はともかく、自分に向けられる好意をそのつど拒絶するのは、あまり積極的にやりたいことではないし、それで悦に入るほど、うぶでもナルシストでもドSでもない。
一方の口説き損なったルーヴェイ。……考えてみれば、九課を訪問したこのセデイターには、ここで依頼を閲覧する権利があるわけで、責任者が熟睡していることは彼の関知することではなく、別に恩を着せられる理由はないとはいえ、リンディとの接点が増えれば、借りを返すなどというのを口実にすることで、口説く口実と口説ける可能性が多少なりとも増加し、それはそれで自分にとっては悪くない……。などと、くどくどと口説くための考えを巡らせていると、リンディの声がそれを中断させる。
「あったよ」リンディは、端末のディスプレイ表示を対面のルーヴェイ側に切り替える。「ご指名一件。ほら、これ」
ちなみに、ここのディスプレイは、魔法テクノロジーにより、裏側に表示することもできるため、対面側に見せるには、表示を切り替えてから逆側に少し傾ければよい。ただし、両面表示はできないので、同時に見るには、同じ側からでないと無理である。
「ああ、ありがとう」
ルーヴェイをご指名のオーダーだ。彼にはなぜか、それがよくある。
「ほんといいよねぇ、あんたは……あ! あたし見ちゃったけど、横取りしたりしないからね。その依頼に関しては」
「いや、ぼくは構わないんだけど……」
ルーヴェイ指名なのを知らずに、同じ対象者をセデイトしたことがリンディには数度あるが、それはあくまでも結果的にであり、法的な問題はまったくない。彼に対してのセデイト指名とその対象者の情報提供は、特定の人物よりもたらされるが、どういう事情なのかは不明であり、ルーヴェイもその点に関して語ることはない。ともあれ、いまだセデイト対象の情報が入ってきにくい状況の中で、九課としてはその人物のもたらす情報を活用すべく、ルーヴェイへの情報提供を最初の段階で優先しているだけで、決して厳格な指名ではないし、本人も指名を受けることで情報収集に協力しているともいえる。それに、彼はそれなりに有能なセデイターであり、能力の範囲内において確実な仕事をするため、九課としても効率の面から悪くはないと考えている。
「あとはEランクが二件だけ。……なんか少ないなぁ」
リンディの指摘どおり、表示される依頼が少ない。現在、魔法省へ捜査の手が入っているせいだろうか? 改ざん防止のため、大幅にアクセス制限をしているとか……。対面の居留守番にうなずき、イケメンセデイターはそれらの依頼を閲覧する。
「……君はやらないのかい?」
「あたしはちょっと……」忙しいと答えて、なにかと勘ぐられるのも面倒だ。「休息中。こないだAランクをやってね」
「Aランク! さすがだね。ぼくには無理だ」
ルーヴェイが驚くのも無理はない。事実、Aランク対象者のセデイトは単独では難しく、当初、一人でやろうとしたリンディは無謀といえる――いや、明らかに無謀だった。
「まぁ……なんとか。協力者もいたし」
「協力者……というと、もしかして数日前にここにいた女性?」
「よく覚えてるな……」聞こえないように小声でつぶやいてから、特に隠すことのないフィリスのほうに言及。「有能なヒーラーでね、彼女」
「えーと……どちらが?」
二人いたことを、このイケメンはきっちり覚えている。
「……髪が長いほう」
「で、もうひとりの……」
ナユカについて尋ねようとしたところへ、リンディは音量を上げて割り込む。
「あ、そういえば……」思わせぶりに、ささやく。「そのヒーラーの彼女、あんたのこと気に入ってたみたいだよ」
「え? そう?」
唐突な暴露にイケメンが反応。リンディは、ここはフィリスに泣いてもらうことにする。……本人も初対面時にイケメンとか口走ってたから、泣くことはないな……ていうか、喜ぶか。
「……かっこいいってさ」
「それは……」ルーヴェイは襟を正す。「光栄だな」
見た目平静を保っているものの、まんざらでもないらしい。こいつ気が多いな、と思いつつ、イケメン好きを売るリンディ。
「紹介してあげようか」
「それは……」斜めに見上げてくる口説き相手の視線を意識して、イケメンは微笑みをきっちり決める。「ぼくは君一筋だから」
きらっと、さわやかに歯が光った……風。決まったつもりのようだし、実際、外見上は決まっている。
「それはどうも」幾分、冷ややかに答えたリンディは、付け加える。「でも、まぁ……紹介はしてあげるよ。機会があったらね」
「……君がそう言うなら……お受けするよ」
感情を抑えた口調ではある。でも、頬がわずかに緩んでいるような……。はたして、フィリスに紹介してもいいものかとも思ったリンディだが、あとでうやむやにすればいいやと思い直し、とりあえずナユカのことを誤魔化せたのでよしとして、これ以上の質問をされる前にお帰りを促す。
「……で、もう用ないでしょ。依頼もチェックしたし」
「今日は暇でね……」
ふたりだけ――といっても、睡眠中のサンドラもそこにいる――なのを好機とし、しぶとく居座ろうとするルーヴェイ。
「依頼があるじゃない、例のご指名の」
「まぁ、そう急ぐ必要もないし……」
粘る。リンディが京都人なら、ぶぶ漬けでも、と言い出すかもしれない。しかし、ここには茶漬けはないので、代わりを出す。
「そういえば、そろそろミレットが……」リンディの選んだ引き合いは、お堅い秘書。「戻ってくると思うんだけど、そんときあんたがいると面倒なことになるからさ……」
「面倒?」
鈍いのだろうか……それともしらばっくれているのだろうか? 口で嘘を繰り返したくないので、端末を指差すリンディ。
「わかるでしょ、これ」
「ああ、なるほど」
端末操作のこととようやく気づいたイケメンは、男女間の面倒のことを想定していた。ありもしないことを勘ぐられるとか、そういった類。
「そんなわけだから……」
さっさと帰れと言いたいのを、居留守番はぐっとこらえる。急いで帰らせようとして妙な疑いをもたれては、本当に面倒になる。
「そうだね……君が困ったことになるのはぼくの本意ではないし……お暇するかな」
やっと帰る気にさせることに成功。
「そう。それじゃ、また」
「では、失礼。また近いうちにくるよ」
近日中の再訪を宣言して、やっとルーヴェイが九課を退出。解放されたリンディは、はぁと息をつく。
「……疲れた。めんどくさいから、しばらく来ないで欲しいな」




