6-1 全休日明けの九課
昨日は、全休日。リンディ、ナユカ、フィリスの三人が出会ってから、始めての丸一日の休日。で、なにをしていたかというと、なんのことはない、一日中部屋でぼーっとしていただけ――怠惰を極めた一日であった。ここ数日のうちにいろいろなことをしたため、完全なオーバーホールが必要であり、昨日を含めてあと二泊はこの部屋を使えるなら、せっかくだからその恩恵に与っておくのが得策というわけ。その甲斐あって生気を取り戻した三人は、足取り軽く九課へ向かった。
「おっはよー。いい朝だねー。今日はなにすんのー」
リンディが勢いよくドアを開け、通常の朝には見られないような活気のある挨拶をしたのとは対照的に、課長のサンドラはよどんだ低い声で応対する。
「……ああ、おはよう」
「なんか、ローだなぁ」
「そっちは、いつになくハイだね。よく休めた?」
朝からこんなに元気なリンディは珍しい。
「もうばっちり」
「おはようございます」
ナユカとフィリスがそれぞれ朝の挨拶をしたところ、やはりサンドラのギアはロー。
「おはよう。みんなよく休めたようね……はあ」
「お疲れのようですが……」
ため息混じりの課長を案じた医師の耳元で、リンディがささやく。
「もう、あれだから……」
「違う」年齢に関することを指すであろう伏字をサンドラが否定。そんなことよりも……「昨日の真夜中……知ってる?」
「何を?」
その頃――丑三つ時には、セデイターは爆睡していた。
「聞いてないか……ま、フリーランスには関係ないからね」
「で、なに?」
「うちの魔法部長がさぁ……収賄と横領で逮捕された」
「あらら。魔法部長って……あの……薄い?」
リンディは風体を知っている程度。形容詞一つで表現できるし、それでサンドラにも伝わる。
「そう」
「薄い?」
聞き返したナユカに向け、リンディは自分の頭、つまりは髪に触れる。
「これ」
「ああ、それはそれは……」
その単語で表現されるからには、住職のように剃髪しているのではない。ナユカは、気の毒そうな表情を見せる。
「で、早朝に連絡あってさ、早めの出勤。……もう少し寝させろっての」
サンドラの不調の原因は、魔法部長の逮捕より寝不足のほう。そいつには、なんの思い入れもない。リンディにもそれがありありとわかる。
「早朝にねぇ」
「夜逃げしようとして、そこを捕まったらしい」
ゴシップネタめいた単語が、九課課長の情報に紛れてきた。フィリスとしては、好奇心を禁じえない。ただ、そこに直接突っ込んでいくのは少々下品な気もするので、まじめに話に入ってみる。
「ということは、当局はすでに動いていたわけですか」
「うん。前からなんとなくね。で、逃げようとしたと」
ここでリンディから気の利いた質問が。
「ひとりで?」
「そっれがさー、愛人とだって。夜更けの逃避行だよ? 笑っちゃうじゃない、あのハゲ」
サンドラがゲラゲラ笑い出す。不調のせいかとげとげしい。リンディは肩をすくめる。
「あれが愛人をね……。どういう趣味だ、その愛人」
「貢いでたとか?」
本格的なゴシップ展開に、フィリスが本格参入してきた。寝不足の原因となった人物にお怒りのせいか、課長のコメントはぞんざいだ。
「どうだろうなー。金は渡しただろうけど……まぁ、どうでもいいや」
「それでも、ありえないよ。あの部長だよ」
ようやく、リンディは御仁を鮮明に思い出した……にもかかわらず、イメージが薄ぼんやりしている。つまりは、そういう人物である。
「『さえない』の代名詞だからね。こっちはそれで助かってた面もあるけど」
「そうなの?」
「ボンクラは扱いやすくて」
あくびをしつつも、舌鋒激しいサンドラに、リンディが突っ込む。
「悪だくみする人にはね」
「そうそう」ついつい肯定してしまったせいで、三人の視線が集まったため、乗り突っ込みをする九課課長。「……って誰がさ。わたしのは機略であって、悪だくみではありません」
「……そうですよ……ねぇ」
フィリスがナユカを見る。
「も、もちろんですよ……ね?」
ナユカがリンディを見る。
「……と、思うよ」
リンディはフィリスを見る。視線を送りあう三人に向け、サンドラがクレーム。
「あーもう。わたしは悪いことはしてないの。ったく、これから事情聴取を受けなきゃならないのに……その前にこれ?」
「え? やっぱり……」
表情が固まったリンディに、課長はイラッとする。
「やっぱり、じゃないよ。ここの管理職はみんな受けるの。……まったくもう」
「冗談だよ。サンディは悪事はやらないよ、悪だくみはしても」
「それはどうも。……ん? なんか後半納得いかないけど……もういいわ。面倒だから」
投げやり――突っ込む気力もない。それを見て取ったリンディは、これ以上のからかいは控えることにする。
「……ところで、ミレットは?」
「ああ、今、わたしがここに釘付けなので、代わりに動いてもらってる」
「釘付け? あ。事情聴取待ちか」
「そう。いつになるかわからないって。だから、ここでじーっと待ってるわけ……バカみたいに」
眠気でささくれているサンドラへ、リンディから建設的な怠惰の提案。
「寝てたら?」
寝不足は、少し考えて同意する。
「……そうね。そうしよう」
「マジに?」
「代わりに、ここで番しててよ」
こんな頼みをするのは、魔法省の課長。
「……はぁ? あたしがぁ?」
公務員じゃないのに……。フリーランスにも、その辺りの常識はある。
「セデイターの対応だけだよ。他はスルーしていいから。いちおう正式にギャラも出る。じゃ、それ限定のアクセス権限を……」拒否する間を与えず、サンドラは端末をささっと操作する。「えーと、書類は……」
アクセス権限が絡むため、短時間でも契約が必要……なので、棚から書類を引っ張り出し、速攻で記述する管理職。
「……拒否権ないわけ?」
言いつつも、リンディは拒否せずにサイン。限定的でも、アクセス権限に興味が湧いた。
「よかったじゃない、早起きが無駄にならずに。……あ、そうそう。フィリスとユーカは部屋移るよね? まずは、臨時宿泊棟のほうへ行ってきて。話は通してあるから。リンディは留守番ね。それじゃ、わたしは寝ます。あとよろしく」
有無を言わさない速度で一気に指示を出した九課課長は、デスクの引き出しからアイマスクと耳栓を取り出すと、さっさとオフィスの奥へ向かい、屏風状の間仕切りを立ててから、ソファへと倒れ込む。
「しょーがないな、まったく」
苦笑いするリンディ。
「いいんでしょうか?」
フィリスは、仕切りで見えない上司へ視線を向けている。
「後でご飯でもおごらせるからいいよ」
食事をおごらせる回数がまた増えた食道楽は、課長のデスクを占拠。フィリスが気にしていたのは、九課の業務のことなのだが、リンディは自分のことと受け取ったらしい。彼女にとって、セデイト関連業務なら専門であるし、九課本来の「特殊業務」が来たら、そのときはサンドラを起こすだろう――そして、それは滅多に来ない。
「えーと、それでは……」このセデイターを信用して楽観的に考えることにしたフィリスは、自分が指示された行動を取るべく、ナユカを誘う。「わたしたちは、臨時宿泊棟のほうへ行ってみましょうか」
「そうだね。ここはリンディさんに任せて……」
ナユカが言い切る前に、留守番は気楽に手を振る。
「はーい。いってらっしゃい」
寝ているとはいえ、サンドラもいることだし、この人事に関してフィリスが責任を持つことはないものの、やはり少々不安を抱いてしまう……。
「あの……では、よろしくお願いします……ね」
後ろ髪を引かれつつも、フィリスは九課を退出する。先行したナユカはまったく気にしていないようだし、ひとりで取り越し苦労をしても仕方がない。そのうち、ミレットも戻ってくるだろう……。自分を納得させつつ、フィリスはナユカと共に、指示された場所へと向かった。




