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魔法世界のセデイター 2.異世界人の秘密と魔法省の騒動  作者: 七瀬 ノイド
五章 魔法省五日目(住居、実験)
32/58

5-5 実験と練習の続き

 実験責任者のターシャがコンソールで作業している間、お茶の用意をしに向かったミレット以外の九課一同は、実験室の隅にあるテーブルセットにて小休止。

「まだ何かやるの?」

 ストンと腰を下ろしたリンディに、サンドラが答える。

「ま、少しだけ」

「疲れたんだけど……ていうか、疲れたのあたしだけ?」一同を見回して、自己レス。「……そうみたい」

「いいじゃない、練習になってるんだから」

「……はっきり言ったね、練習って」

「もう気づいてるから」

 先刻より、サンドラはもはや隠してはいない。

「仕組んでたんだ」

「いい機会だからね。出力調整の練習にはもってこいでしょ」

「……まぁ、そうだけど」

 そのせいで疲れた。

「今回はそれでギャラまでもらえる。ふつうなら、逆に払うほうだよ。設備利用料とかの練習料金」

「はいはい。そのとおりですぅ」

 リンディの同意は投げやりだ。そこで、九課課長は声のトーンを説得モードに変更。

「まじめな話ね、他の魔法も適切に使えないとまずいと思うんだよね。一部の暗黒魔法とセデイターの能力だけに頼ると、この間みたいなことになる」

「……」

 無言のセデイター。それならばと、サンドラが軽快に声に出すのは……。

「下手すると、また爆発……」

「げほん、げほん!」

 リンディが派手な咳をする。驚くフィリスとナユカを尻目に、課長はにっこりと微笑んで、セデイターに念を押す。

「わかった?」

 憮然としつつも承服。

「……わかりましたよ」

「ご理解どーも」

 会釈するサンドラ。

「ふん」

 あからさまにそっぽを向いたリンディに、これまでふたりの会話を邪魔しないように声を上げずにいたナユカとフィリスが、隣同士でひそひそ話しているのが聞こえてくる。

「爆発?」「さっきも……」「仲間とか……」「なんか……」「やった……」

 ……などというもろもろのフレーズは、当人には聞き過ごせない。ふたりに視線を向けて、強く咳払い。両者はっとして、内緒話をピタッと停止。


「えーと、その……次はなにをするんでしょうか、サンドラさん」

 フィリスは課長に向き直ってリンディの視線を避け、ナユカもそれに便乗して追随。サンドラは口角を上げて応答する。

「さっきの話に関係したことじゃないかな?」

「それは……どの?」

 さっきの話といっても、いろいろある。ただ今、フィリスが興味津々の「爆発」も含めて。

「あー、つまり……直接接触……厳密には直接じゃないのか……ま、いいや。『ほぼ直接』接触による無効化に関連したこととか」

 答えたサンドラではなく、運んできたティーセットを配っている秘書に、リンディが尋ねる。

「……どうせ、事前に決めてあるんでしょ、ミレット」

「それは……」

 秘書が一時停止したため、課長はそれを公開する許可を与える。

「いいよ」

「まだ試していない属性の結界破りに加えて、ものを媒介しての無効化、さらに、魔法無効化を無効化または緩和する方法に関して、実験する予定です」

 できる限り簡潔に表現したミレットは、配膳を再開。説明のない内容を、いち早く把握したのは、科学者のフィリス。

「それ、かなり時間かかりません?」

「最初の項目以外に関しては、本日は、導入部分だけだそうです。それほど時間はかからないと聞いております」

 外している間、秘書は研究主任に確認しておいた。リンディは少しほっとする。

「ならいいんだけど」それでも、自分の出番、つまり練習は多そう……。最悪でも、空腹で活動不能になる前に終わりたい。「それにしても……魔法無効化を無効化ね……ややこしな」

「さっき話してた、触ると自動的に発動してしまうのを防ぐわけですね」

 内容を噛み砕いた医師に、課長がうなずく。

「そういうこと。たとえば、必要な結界を消さないように」

「どんなところにでも侵入できるよねぇ。スパイにでもなる?」

 いつの間にかこちらに来ていたターシャが気楽に冗談を飛ばし、ラフにいすにかける。それをチラッと視界に納め、サンドラはそのジョークに乗る。

「……わたしがやるときは、ユーカについてきてもらおうかな」

「無理でしょ。柄じゃないよ」

 くすっと笑ったリンディを、斜に見る本人。

「ほう」

「だって、スリムじゃないと。これじゃ……」サンドラの筋肉体に目を向ける。「狭いところを通ろうとするとつっかえるよね。で、動けなくなって捕まる。……まぁ、ユーカのほうは、挟まってもするっと抜けるけどね、するっと。つっかえるところがないから」

「……ふーん」

 筋肉姉さんの鋭い視線に、筋肉スレンダーのそれが加わる。

「するっと……」

 危険を感じたリンディ。

「ま、まぁ……壊して逃げればいいか、挟まったら。ユーカは……すぐ抜けるもんね」悪口を軌道修正できたようで、できていない……ので、ジョークに移行。「そ……それより、強盗とかがいいんじゃない? ユーカが結界破ってくれるなら」

 悪口の続きとみなしたサンドラは、棒読みで対応する。

「あー、おもしろいよね。あっはっはー」

 ナユカのほうからは、低い声が……。

「……わたしは、そういうことはしません」

「あ、冗談ね、冗談」

 少々慌てているリンディを、ターシャがにこにこしながら見つめる。

「大変だねぇ、あはは」

「つっかえるところ……」

 傍らで、フィリスは自分の腹部に手を当てている……。


「あー、話を元に戻すと……」少し間を開けて、その内容を思い出す九課課長。「ユーカが不用意に触ると、破っちゃいけない結界を破ってしまうかもしれない、ってことね」

 そもそも、結界って「破っちゃいけない」ものなのでは――と、心中突っ込みつつ、異世界人は質問。

「……そういうのって、そこらじゅうにあるんですか?」

 答えるのは、リンディ。

「警報結界ならよくあるよ。あ、破ると警報が鳴る結界ね」

 ターシャが眉をひそめる。

「あれ、うるさいんだよね。簡単に破れるから、いたずらするやつがいてさぁ」この発言にギクッとしたリンディを、指差すターシャ。「あ、やったことあるんだ。悪い子」

「こ、子供の頃の話だよ。一度だけ……」

 流れで白状してしまった悪い子に、サンドラがすかさず鎌をかける。

「ばれたのは、ね」

「う」

 犯人は絶句――図星。

「ちなみに、何回やった?」課長がにこやかに聞く。いたずらでも厳密には軽犯罪だが、いまさら罪に問うものではない。「……参考までに」

「……ばれたのは三回目。それが最後」

 かつてのいたずらっ子は正直に白状。……いまさら隠しても仕方がない。嘘の上書きをしても疲れる。

「なんだ。やっぱり不器用だな、三回目でばれるなんて」

 サンドラにいじられ、リンディが問いただす。

「な……なんだよ、もう。自分はどうなのさ、子供の頃とか」

「あ、それはない」

 本人に代わって即答したターシャを、ばれた奴が見つめる。

「なんでさ?」

「なかったから。警報結界」

「え?」

「技術はいちおうあったけど、普及してなかったの。コストが高すぎて」

「そうなんだ……」

 衝撃の事実を受け、リンディはサンドラへとゆっくり視線を向ける。フィリスが小声で独り言。

「サンドラさんて……そんなに……」

「『そんなに』ってなにさ。わりと新しい技術なの、警報結界は」

 イラッとするサンドラ。コストダウンしてからは、公共施設などへの普及はかなり速かった。そのあたりには疎いフィリスは、冷や汗を感じる。

「すみません……その辺には疎くて……」

「まぁ、年代的な事実は翻せないよねぇ」

 リンディにからかわれ、サンドラがそっぽを向く。

「ふん」

 攻守交替となった。ようやく脱線が終わったようなので、本題が気になるナユカが、情報を求める。

「……で、その『ケイホウ……結界』……というのはたくさんあるんですか? わたしが触ると鳴っちゃうんですよね」

「鳴っちゃうよねー」

 質問されたターシャの軽薄なお答えに、コンビのようにリンディも続く。

「わりとたくさんあるしねー」

 そうなると、異世界人には心配が募る。

「……捕まるんでしょうか? 鳴らすと」

「大丈夫。逃げれば」

 この研究員は、あくまでもお気楽。そういう問題ではないとナユカは思うが、でもそこのところは確認したい。

「だって、捕まってるじゃないですか、リンディさん」

「リンディは不器用だし、足遅いから」

 ターシャのけなした前半はともかく……。

「遅くないよっ。あの時はちょっと……ドジっただけ」むきになったドジっ子は、違った方向へ反省する。「……ユーカなら大丈夫だよ。足速いから」

「そういうことじゃなくて……」

 異世界で犯罪を犯して逃走……そういう状況に陥りたくはない。

「足速いんだ? ユーカは」

 今度は、サンドラがそこに興味を持った。

「うん。なんか、競技やってたって。走ったり、跳んだり……」リンディがナユカから聞いたのは、短距離走と走り幅跳び。こちらにもそういった競技会はあるにはあるものの、体系的な競技スポーツとはなっていないし、そもそも魔法抜きではない。そして、この魔導士は無縁。「それに、力も強い」

「へぇ……スピードとパワーね」

 感心するサンドラ。こちら肉体派、パワー系。

「あの時もすごく速かったよね……その……ニーナが魔法を撃ったとき」

 その速さ脱兎の如し。おかげでセデイターは助かった。

「スタートにはわりと自信が……えへ」照れるスポーツ女子だが、すぐに本題から逸れていることに気づいた。「いや、だから……結界の話ですよね……。消えちゃうと困ります」

 ここは、ターシャが応じる。

「要は、触らなきゃいいの。気づかずにちょっと触れて誤作動するなら、そんなところに結界を張るほうが悪い。実際、誤作動多いからね、警報結界は」

 結局は、触るなということ――見も蓋もない。依然、ナユカにはあまり合点がいかない。

「そんなもんでしょうか」

「そんなもんよ。ま、気にしないことね。自分が悪いんじゃないんだから」

 ターシャの気質ならそれでいいのかもしれないが……。

「はあ……」

 合点がいかないという異世界人の表情を見て、さすがにしっかりと納得させたほうがいいと思った主任研究員は、もう少し真っ当な助言を与えることにする。

「それと、まじめに言うなら、破っても逃げないほうがいいね。ユーカの場合、結界が全部消えちゃうから、破った痕跡は残らない。要するに、証拠がないから、誤作動で済みます。逃げると追う人もいるからね」

 いちおうまともな解説のようだが、要は、破ってもほっとけということ。

「わかりました」

 しかし、今度は、ナユカがあっさり納得した。悪いことをしていないのだから、逃げるのはいや――そういう性格だ。これで、曲がりなりにも懸案が解決。切りがいいと見たターシャが立ち上がり、声を張る。

「それじゃ、残りの実験をやるから、みんな向こうに集まって」

 結界発生装置を指差した研究主任は、そちらへ一同を先導。


 装置前に来てすぐ、ターシャがコンソールのトレス助手に指示を飛ばすと、早速、結界が生成され始める。

「もう遅くなってきたから、さっさとやっちゃいましょう。さっきやらなかった神聖系結界と暗黒系結界ね。前者はリンディの担当、後者は……今度はフィリスにやってもらいましょう」

 ターシャのご指名を受けたフィリスは、すごく嫌そうな顔をする。

「暗黒系結界って……もしかして、毒結界ですか……?」

 毒結界は作るのも解体するのも難しい。いずれの際も、毒が飛び散ったりすると事だ。

「毒じゃないものを毒結界の手法で固めます。形はさっきみたいに棒状のやつ」

「……よかった」

 説明を受け、ほっとする医師。それなら安全。

「ってことで、まずはリンディからね。マジックドレインで……」適切な魔法を指定したターシャ。人間には影響がない神聖結界破りなど、実用上、結界の張り直しのときに専門家しかやらないことだ。「思いっきり邪悪に」

「邪悪ってなにさ。言葉が悪いな」

 リンディが抗議。暗黒系だからといって、別に邪悪なわけではなく、属性として神聖系と対立するものでもない。ここではマジックドレインにより、結界を構成している魔法元素を除去することで、結界を除去する手法をとる。実は、これならどんな結界でも破壊できるのだが、魔法使用者が魔力を受容しなければならないので、その分しか壊すことはできない。

 なお、もともと暗黒系魔法は、エレメント系と神聖系に属さない魔法群を十把ひとからげにしたカテゴリーで、当初、その発動メカニズムがわからなかったために、まとめて「暗黒系」と名づけられた。わからないから「暗黒」なのだが、結果的に「邪悪」なイメージがつきまとっている。しかし、行動阻害魔法が多く、相手に怪我を負わさずに行動の自由を奪うという点では、むしろ人道的な面もあり、逮捕、捕縛などには適しているといえよう。ただし、そのような効果を得られるがゆえに、誘拐などの犯罪などにもしばしば使われるという負の側面もある。とはいえ、要は使い方次第という点では、他系統の魔法と本質的に変わらない。

 このような暗黒魔法の来歴や特徴は、もちろん、魔法科学者であるターシャの知るところだ。そして……。

「セデイターは得意でしょ、暗黒」

 暗黒魔法には、ドレイン系の応用であるセデイト魔法も含まれており、当然ながら、これはセデイターには必須である。さらに、行動阻害魔法やステイタス弱化魔法ともども、出力調整を特に気にすることもないので、それが苦手なリンディには、多くの暗黒魔法は都合がよく、愛着もある。

「そうだけど、暗黒魔法は……」

 と、釈迦に説法のごとき擁護をしようとしたところ、ターシャが出来上がった結界を指す。

「さ、どうぞ。いい出来でしょ」

「……やっぱ、しょぼい」

 残念ながら、見るからに、リンディの指摘どおり。植物由来のため、いわば、細い緑の棒。神聖結界は自然界の生命力を活用して生成されており、手間がかかることに加えて、その密度を濃くするのは難しい。生成した研究者として、その辺を理解してもらいたい。

「あのねぇ。この密度、見たことある?」

「……それはないけど」

 リンディの知る限り、神聖結界が使われることはまれで、滅多に目にすることはない。生命力を忌避する系統の魔を祓うには、破邪効果のあるとされる植物を植えるほうが効果的だからだ。それはできないがどうしても必要なところにしか、神聖結界は設置されない。

「でしょ? これは、今回の実験用に、特殊な技術を使った特別な仕様なんだからね」

 確かにそうだろう……。わかりやすく、はっきり緑色をしている。

「……わかったよ。でも、これなら一発でやってやる」

 まだ例の「邪悪」という表現が引っかかっているのか、リンディが場違いな気合を入れたため、サンドラが釘を刺してくる。

「リンディ、練習」

「はいはい」

 仕方なく低出力で始めようとしてみたものの、セデイターとしての能力値が高いせいだろう、のっけから思った以上に出力、というか、入力――つまりは、吸引力が強い。そもそも、この魔法で出力調整などする必要性はなく、普段からそんなことはしない。慣れないことにもかかわらず、いちおう威力を調整したが、結構なスピードで結界を切断完了。この手法では通常よりも時間がかかるはずなのだが、リンディの場合、そうでもなかった。

「速いな」

 先駆けて口にした研究員に続いて、セデイターが宣言。

「はい、終わり」

「どーもお疲れ様。今日はもうお役御免かな」

 ターシャの労いにも、素っ気ないリンディ。

「あーそう。よかった」


 ご機嫌斜めのセデイターにちょっかいをかけたくなるのをぐぐっとこらえ、ターシャは本旨であるナユカに声をかける。

「で、ユーカだけど、今度はあれを使うね」研究主任は少し離れたカートに載せてあるものを指差し、自ら押してくる。「はい、これ。わかる? これ」

 分厚く、大きく、重そうで、平べったいものがひっくり返してある。取っ手がついており、どうやらそこを持つようだ。異世界人が察するにこれは……。

「盾でしょうか」

「当たり。第一級対物理耐魔法盾ね。ここを持って……結界にこう当ててみて」上面を向いている持ち手を指差し、エアで盾を横にしてその片端を結界に当てる仕草を、ターシャがしてみせる。「重いから気をつけて」

 やり方はわかったので、その持ち手をつかみ、ナユカは盾を持ち上げようとする。

「おもっ」

 力のあるスポーツ女子でも、かなり重い。そもそも、盾によるバリケードを作るときに使うようなものなので、常時持ち歩くものではない。だから、常人の筋肉しかない研究員は、カートに載せてきた。

「やっぱ、重いよねぇ。ま、がんばってね」

「はい。じゃ、やります」


 筋力のあるナユカは重い盾をどうにか片手で持ち上げ、それをじわじわ結界に近づけて、ゆっくり当ててみた……。しかし、結界には変化なし。つぶやくターシャ。

「なるほどね……」

 結界が消えないのを目にして、異世界人は重い盾を結界の位置、すなわち腰の位置で静止させたまま、ターシャを呼ぶ。

「き、消えないみたいです」

「うん」

 科学者はうなずいただけで、五秒ほど無言。

「あ、あの、ターシャさん」

 盾の重みが筋肉にずっしり。もう片方の手を添える。

「もう少し」

 また五秒ほどターシャは沈黙。さすがに耐え切れず、ナユカはヘルプコール。

「あ、あの……」

「あとちょっとね」さらに五秒ほどして、研究者が尋ねる。「もう無理?」

 力を入れっぱなしのナユカに代わり、フィリスが答える。

「無理です」

「じゃ、いいわ」

 ようやく解放された筋肉スレンダーは、盾の前面を下にしてゆっくり床に置き、手を離す。そこから、手を戻そうとしたとき、その手が結界に触れた。当然のごとく、結界は即刻消滅。ナユカが声を漏らす。

「あ」

「お疲れさま……」

 労う言葉を発している最中のターシャを掻き分け、フィリスがナユカに駆け寄る。

「大丈夫?」

「大丈夫だけど、消えちゃった」

 ナユカは結界のあった場所を見ながら、フィリスに手を見せる。医者はその手を診るが、気になっているのはそこではない。

「腕のほうは?」

「明日筋肉痛だよ」

 両腕を互いに揉みながら、筋力女子が微笑む。ヒーラーが代わって、その腕をマッサージしつつ、ターシャに抗議。

「無理させないでください」

「必要な実験だったから。それに、力持ちだって知ってたし」

 悪かったと思ってはいても、科学者ゆえに実験優先だ。それに、ナユカの筋力については、先日の検査でそれとなく調べてあったし、休憩中のリンディの発言にもあった。対するフィリスは、ターシャにまっすぐ視線を向け、ぴしゃっとはねつける。

「限度があります」

「耐魔法盾なら、もっと軽いの出しなよ」

 リンディが補足。あれは対物理も第一級の設置型なので、大きくて重い。

「あったんだけど、今、修理中」主任研究員は、誰ともなくねだる。「だから、新品が欲しい。予算ちょーだい」

「……予算はともかく、安全性は確保してください」

 健康管理者は追求し、実験責任者は抗弁する。

「してるけど、ユーカがその結界を即時消滅させるのは高確率で予測済みだし。それに、神聖結界だよ」

 神聖結界は人間には無害だ。ただ、フィリスが言いたいのはそこではない。

「結界ではなく、筋肉の問題です。それでも問題がないとおっしゃるなら……」盾を指差す。「ご自分で持ち上げて、支えてみてください。さあ、どうぞ」

「あー、それは……」

 ついに、ターシャがたじろぎ始める。……それは、無理。

「どうしました、さあ」

「あたしは……」研究員は屈する。筋肉痛はいやだし、無理だとすでにわかっている。「以後、気をつけます。すみません」

「お願いします」

 念を押されて、ターシャは素直にうなずいたものの、フィリスが視線をナユカに向けた隙に、隣にいるリンディにささやく。

「怒られちゃった」

 リンディは黙ってにやっと笑う。


「それでは、今度は暗黒結界でやりましょう。慎重に……ね」じっと監視するフィリスの視線を意識するターシャ。「で……あ、そうだ。今度はフィリスに切ってもらうんだっけ」

「それって……わたしがやる意味あります?」

 リンディの練習だったはず。それに、いくら「無毒の」毒結界とはいえ、どちらかといえば、健康管理責任者は実験の安全性確保に集中したい。

「ちょっと結界の出来が知りたくてね」一瞬で消滅させるナユカだけでは、設計者にはまったくわからない。「邪悪なリンディよりも、清らかなフィリスちゃんにやってもらおうかと」

 ターシャをリンディがにらむ。

「誰が邪悪だよ」

「そうですか、わかりました」

 あっさり納得したフィリスへ、リンディは視線を向ける。

「……なんか失礼だな。すごく」

「い、いえ、別に他意はないです。ただ、わたしがやるほうが効率的かな……と」

 やばっという表情をして、もっともな意見を述べたヒーラーから、セデイターは視線を切り、横を向いてぼそっとつぶやく。

「……そうだけどさ」

 無毒とはいえ、この結界は毒結界の手法で作成され、その特性を有するため、それに有効な神聖系魔法がほぼ使えないリンディでは、破るのは相当に困難だ。時間がいくらあっても足りない……。暗黒魔法使いがいじける前に、ターシャはそそくさとコンソールのトレスに指示。

「それじゃ、始めましょう」一分ほどでできた暗黒結界は、これに関してはその名のとおり、どよーんとした黒い結界で、たとえ棒状かつ無害でも見るからに不気味だ。「ほら、邪悪でしょ」

 邪悪呼ばわりされた魔導士が揶揄する。

「作った人と同じ」

「あら、作ったのはあたしじゃなくてトレスだけど」

 ターシャは、コンソールを指差して出来栄えがいいというサインを出し、にこやかに手を振る。結界を設計しているのは主任研究員であって、助手は機器を操作しているだけなので、「作った人」は、やはりターシャということになる。

「感じいい人ですよね……」

 コンソールから同じく親指を上げてこちらに微笑んだ助手を、フィリスが注視している。結界が無害ということで多少余裕ができたせいか、ついにイケメンセンサー発動。一方、リンディは、性格的な「感じ」のほうに言及する。

「ターシャの助手やるくらいだから、たぶん悟りきった人じゃない?」

「あたしの下僕。そして、あたしにぞっこん」

 研究主任の告白に、イケメン好きが即反応。

「え……本当ですか?」

「ありえない」いったん言下に否定したリンディだが、思い直す。「……いや、でも……ふつう、こんなやつの助手なんて無理だし……」

「冗談よ」

 ターシャがきっぱりと否定したため、フィリスが胸を撫で下ろす。それを目にしたナユカは、放っておけない。

「……もしかして、また?」

「い、いえー、なんでーもないですよー」

 イケメン好きのイントネーションが妙だ。あきれる異世界人の傍らで、研究員は目を輝かせる。

「なになに?」

「いえ、別に……」

 こほこほと咳払いするフィリスに、ターシャが迫る。

「教えてよ、ねぇ?」

 答えない本人ではなく、リンディに聞こうとそちらに振り向いたところ、今度はサンドラが咳払い。その心中をミレットが代弁する。

「申し訳ありませんが、今日はもう遅いので、早く進めていただけますか」

「そういうこと」

 こういう催促はお堅い秘書任せの課長。

「残念」一言放っただけで、ターシャの切り替えは速い。「じゃ、フィリス、やっちゃって」

「では、やります」

 こちらも切り替え速く、一度、深呼吸をしてから始めたヒーラーは、最初から的確な出力の魔法を放出し、無駄なくきれいに結界を切断。その手際をサンドラが賞賛する。

「お見事」

「誰かとは違うね」

 ターシャの当てつけが自分をからかっているだけとわかってはいるものの、自分の手際と比べると、どうしてもかちんとくるリンディ。

「あーそう」

「さて、ユーカの番だけど」研究員はテーブルの上に置いてあったものを手に取って、異世界人に渡す。「これを手につけてやってもらいましょう。耐魔法手袋ね」

「『ゴム』手袋みたいですねぇ」

 はめてみたところ、ナユカの印象はそんな感じ。それに、ゴム手袋も地水火風対応といえなくもない……電気にも対応するし。ただ、異邦人の発した「ゴム」という語がセレンディ語ではないので、ターシャから聞き返される。

「なに手袋?」

「あ、向こうにある……作業用の手袋です」

「ふーん」素材に対する興味が湧いたターシャだが、時間がない――今さっき、せっつかれたばかりだ。それに、また後日、時間が取れるはず。「……ま、ともかく……それで触ってみて。ゆっくりね」

「はい、じゃ、やりますね」

 慣れた手つきのナユカがゆっくり結界に触ると、何度となく見たのと同じ結果がもたらされた。それでも、科学者は納得したようだ。

「はい、消えました。まったく効果なしと」

「そのようで……」

 やったほうには、もはや見慣れた光景。やるほうも、やらせるほうも、見るほうも、もう飽きたし、疲れた。ここが終わりどころ。予定していた実験はすべてこなした。

「とりあえず、必要なデータは取れたので、今日はここまでにしましょう。もう遅いしね。次回、いろいろな素材を用意してまたやるから、またお願いね」

 実験責任者に異存のある者はなく、サンドラはお開きを宣言する。

「それでは、今日はこれで終わり。遅くまでみんなお疲れ様。明日は全休なので、続きはあさって以降ね」

 ようやく、本日の実験はすべて終了。続きがあるというのは、当初よりの決定事項らしい。ともあれ、今後のことは後で通知するということで、全休日前の一日は、やっと終わりを告げた。




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