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魔法世界のセデイター 2.異世界人の秘密と魔法省の騒動  作者: 七瀬 ノイド
五章 魔法省五日目(住居、実験)
31/58

5-4 結界の破壊

 着替え終えた三人が実験室内の更衣室から戻って来て間もなく、辛うじて更衣室へは入らず、コンソールにて機器の操作をする助手との打ち合わせをしていたターシャも戻り、準備が整った。

「では、これから『魔法無効化能力が結界へ及ぼす影響とその活用』の実験を始めます。まずは、弱いやつからやるね」

 どことなく適当っぽくも聞こえるタイトルの実験開始を早口で宣言した当該実験担当研究主任のターシャが、コンソールのトレス助手に指示を出す。すると、間もなく左右にある機器から魔法が放出され、その中間に、帯状の結界が数秒で形成される。

「なにこれ」

 結界というよりも、それこそ魔法を細長く固めただけ。それも、氷魔法なので本当に固まった氷でしかない。リンディでなくても突っ込みたくなる。

「実験用だからいいの、手っ取り早いし。早く帰りたいでしょ?」

 ターシャの言い訳どおり、確かに時間はかけていられない――もう夜である。

「そりゃ、ねぇ……」リンディもその点に異議はないが……。「でも、しょぼっ」

「省エネだよ」

 サンドラの短すぎる説明を、ミレットが補足する。

「公式にやっている実験ではないので、ストックしてある魔法元素を使いすぎると目立ちます」

 つまり、魔力をあまり使えないと。

「ああ、まぁ……」そのこと自体よりも、お堅い秘書がそれを自覚しつつ手を貸していることが、リンディには意外だ。「そうだけどさぁ……」

 実験を早く開始したいターシャが、先に進める。

「それでは、まず、ふつうの結界破りをユーカに見せてあげましょう。リンディ、やって」

 実験中は「ちゃん」抜き。

「あ、あたしがやるの? こ、これを?」

 なぜかうろたえる御本人。

「そうよ。はい、どうぞ」

「こ、こんなの……ターシャできるじゃない……やってよ」

 拒否ったリンディをじっと見つめる研究員。

「……ま、いいわ。では、あたしがやります」

 代わりに実験責任者がさっと詠唱し、棒状の結界に弱い火系の魔法を放出すると、ものの数秒で、当てた部分の結界が完全に消失する。

「あ、消えた」

 反応したのは、結界破りを初めて見た異世界人だけ。他の面々には、やはりちょっとしょぼすぎる。

「このように、ふつうは逆属性の魔法を当てることで結界を破ります。この場合は、氷に火を当てて消失させたわけ」

 主任研究員による理科のような説明に、ナユカがうなずく。

「なるほど」

 説明の後半は理解した。魔法はともかく、物理的には納得できる。

「とはいえ、ユーカの場合は、当然ながら、そういうやり方にはなりません」

「ですよねぇ。魔法使えないし」

「で、さっき言ったように、触るだけ」

「触るって……手でいいんですか」

「出せるならどこでも。まぁ、手がいいかな。出てるから」

 どこを出させようとしたのだろうか。ともあれ、手以外の部位は着替えた耐魔法スーツで隠れている。ヘルメットは被っていないので、頭から突っ込むというのも可能だが、さすがにそれはない。

「大丈夫なんでしょうか」

 多少は不安げな異世界人を押すような仕草をする、気楽なターシャ。

「あなたなら大丈夫。どーんといっちゃって」

 それに対し、フィリスはナユカの健康管理を担当しているため、もう少し丁寧に情報開示をする。

「触れば、ふつうは手がちょっと凍るけど」

「凍るの?」

 そう言われると、神経が太くても気になる。

「これは弱いから冷たいだけ。ユーカの場合は、ほぼ確実に問題ないはず」

「はず? ま、いいや」ナユカは結界に近づき、ターシャに尋ねる。「こんな感じでやるんですか?」

 予行のつもりで手を振った……途端、手が当たった場所から、左はターシャが消失させた部分まで、右は機器までの結界全体が瞬時に消失する。

「あら。手が早いわね」

 いきなりだったので、実験慣れしているターシャでも、見る準備ができていなかった。……とにかく消滅が速すぎる。

「あ、すみません。当たっちゃったんでしょうか?」

 素振りのつもりだった……。本人には当たった感触がまったくない。

「いいのいいの、データは取れたから。これはユーカには弱すぎたみたい」

 微笑んだターシャが機器を調整する間、フィリスはナユカの手を取り、念のためそこに異常がないか診る。一見して問題はなし。

「気をつけてね」

「はい」

 医師の注意に、本人がうなずく。……さすがに今のは不用意だった。問題がなかったとはいえ、心配をかけるのはよくない。以前、フィリスより、回復魔法が効かないから怪我をしないようにという忠告を受けたことを、改めて念頭に置く。

 一方、後方から離れて見守るサンドラは、結界が消失したとき、ナユカの魔法無効化能力が単なるデータ上ではなく、はっきりと視認できたため、その威力に目を見開いていた。隣のミレットも抑えながらも、同様の表情。先だっての地味な「検査」と違い、その能力がどれほどのものか、明白にわかる。


「次、いってみようか」ターシャがインカムで助手に指示すると、また同様に結界が現れた。「……ユーカの能力を考えて、数段飛ばしてみたわ。それでもまだ弱いけど。今度はリンディが先にやって」

「え……」

 かすかに声を漏らした本人は、そのままフリーズ。

「はあ……しょうがないなぁ。次はやってよね」ため息をついてから、ターシャがまた一部にピンポイントで魔法を当てると、十秒ほどで結界のその部分が消失。「はい、次、ユーカどうぞ」

「では、やります」

 最初と違って不用意に手を当てないよう気をつけてはいるものの、特段、躊躇のないナユカの手が結界を通過したと思ったら全消失という、同様の結果がもたらされた。

「あ、やっぱり? なーんかレベルが違うなぁ」

「ちょっと手を見せて」楽しげな研究員をよそに、医師が異世界人の手を診てみたものの、氷に触ったような痕跡すらなく、冷えてもいない。つまりは、通常なら触れていないのと同じ状態だ。「まったく異常なし。ある意味、異常ともいえるけど……」

「え?」

 ナユカは顔をしかめる。

「あ、ごめん。つまり……普通じゃないというか、変というか、おかしいというか、奇怪というか……」

 これ以上、フィリスの口から類似の好ましからざる表現が出てくるのを、ナユカがさえぎる。

「……もういいよ」

「では、次、いってみましょう」

 学問的な探求心に駆り立てられているターシャは、すぐに助手に結界形成の指示を出す。今度の結界作りは二十秒くらい。時間も前よりかかり、形状そのものはほぼ同じでも、サイズは太くなって、見た目で密度が高くなったのがわかる。

「これ、強いですね」

 若干の憂慮を示す医師に、研究主任はジェスチャー込みで返す。

「ふつうは凍るよね。手がコキーンと」

「強いじゃないの」

 リンディの言うとおり。実は、なかなかの強度。

「そうだよ。カキーンとかな」

 擬音はどっちでもいい……ように思えるが、この科学者的には、明確な違いがあるのかも……。いずれにしろ、ナユカの護衛役を継続しているリンディの印象は同じ。

「……危ないじゃない」

「大丈夫、任せて。余裕だから」

 いくらターシャが自信を示しても、「任される」のはナユカ。とはいえ、その当人も、責任者にブレがないせいか、心配する風もない。

「わたしは、いいですけど」

「ありがと、ユーカ」微笑んだ研究員は、魔導士であるセデイターに向き直る。「まず、リンディからね。やるでしょ?」

「あ……まぁ……」

 魔法を使う専門家がやるほうに傾きつつあるのを逃さず、ターシャは一気に押す。

「やるよね?」

「や、やるよ」

 もう後には引けないリンディ。とはいえ、彼女の現在の能力を鑑みれば、より強力な結界のほうが実はやりやすい。やらせるほうのターシャも、その点は考慮している。

「OK。強力でも無理にはやらないように。最初は弱めに……」

「う、うん。わかってる」

 わかっちゃいるけど、そこが苦手。

「だんだん強く。場所はここ。少し下向きに」

 ターシャが指差して指示。

「お、おう」

「はい、どうぞ。あ、その前に……」

「なに?」

 水を差され、振り向く魔導士。

「みんな、少しだけ下がって」ターシャが後退を促し、リンディはそれを見て深呼吸。一息待って、責任者はゴーサイン。「はい、いいよ。やっちゃって」

「やるよ」

 指示通り、リンディは弱い魔法をちょろちょろと出し始め、ターシャはその少し後ろからそれを見つめる。実は、これくらい強い結界の切断なら、これほど弱い魔法出力から始める必要はない。それに、ここは実験場であり、魔法事故対策も取ってある……以前とは違って。それでも、今回はこのセデイターに段階を踏んでもらっている。そして、それが、彼女にこの作業をやらせている理由でもある。

「強めて」

「うん」

 うなずくも、なかなか強まらないリンディの魔法。そこへ、ターシャの一声。

「もう少し思い切って」

 そのとおりに思い切ると、ゴッと火が太めに出る。

「わっ」

 驚いて止める。

「あら、止めなくていいのに。絞るの、それを」

「でも、床が……」

 わりと細かいことを気にするリンディ。確かに、結界破りの現場では、気にすべきことではある。気にかけたことに対し、離れて見ているサンドラとしては、丸をあげたい。それはともかく、実験責任者のターシャは、この実験室の安全設計を誇る。

「床、壁、天井などは、強力な耐魔法加工。他の機材も対策済み。すごいでしょ」

 以前起きた別の実験室での事故以降、その点、徹底されている。

「そうなの?」

「人に向けなきゃ大丈夫」

「……まぁ、そう言うなら」

 集中を戻して、再開。魔法を中断したときの出力からそのまま強めることはできずに、最初は同じように太めに火が出たものの、今度はそれを絞り、細めた強い火を所定の場所に当てる。そのまま、どうにかそれを一分ほど維持すると、その場所の結界が安全に消失。設備にダメージを与えることなく作業完了したリンディは、ほっとした表情を見せる。

「はい、ご苦労様。よくできました」

 軽くねぎらったターシャの視界の隅には、最後尾で微笑むサンドラ。リンディは切断された結界をボーっと見つめる。

「はぁ、疲れた……」

 そして、その場を実験対象に譲った。


「それじゃ、ユーカね。今度は、もしも手に今までと違う感覚があったら、すぐやめて」

 ターシャから、それこそ今までとは違う事前警告を聞かされ、さすがのナユカも警戒する。

「そんなに強いんですか?」

「念のためよ。こういうことは、いちおう先に言っておくものなの。でも、あなたの場合は大丈夫。結界の強度は関係なくて、根本的に……ま、いいや」研究主任は、何らかの仮説に至っているようだ。「もし、万が一、仮に、ちょっとだけ怪我しても、そこに最高のお医者さんがいるから」

 仮定の語を並べてから視線を向けられたフィリスからも、ほぼ同様の注意がなされる。

「回復魔法は効きませんが、何とかします。ただ、さっきターシャさんがおっしゃったとおり、触った瞬間に変な感じが少しでもあったら、すぐにやめて」

「……わかった」

 ナユカの気が引き締まる。そこへ、リンディが一言。

「いやなら、やめたほうが……」

 そう言われると、逆にやる気が出る。

「いえ、やります。では、いきますよ」

 間を空けず、躊躇なく始めるナユカ。……こういうのは勢いだ。注射をするときと同じようなもの。あるいは、高飛込みするときとか、バンジージャンプをするときとか……。だらだらしているとどんどん腰が引ける。もとより、やめるつもりは毛頭ないのだから、さっさとやってしまうほうがいい。……警戒するとかえって一気にやってしまう性格なのか……あるいは、ただ単に神経が……。

「どうぞ」

「えい」ターシャの許可が下りるか下りないかの内に、軽い掛け声を伴って、ナユカの手が結界を素通りする。たぶん触れたのだろう……そして、またも一瞬で結界全体が消失。今回だけ違うということなどまったくなく、事前の警戒は杞憂に終わる。「あれ?」

 拍子抜けした異世界人が振り向くまで、観察者たちは瞬きをしただけだった。


「ないじゃん」

 リンディはがっくり。自分のあの苦労はなんだったんだ……。一方、ターシャには予想どうりだったのか、数度うなずく。

「じゃ、次、いっちゃおうかー」

 一人盛り上がって片腕を突き上げ、逆の手でインカムをオン。その傍ら、フィリスは念のため、ナユカの手を診ている。

「異常なし。何の痕跡もなし」

「あはは」

 照れ笑いする異世界人に、医師が尋ねる。

「感触とかないの? 触ったときに」

「うーん」当人は、いちおう思い返してみる。「特に何もないなぁ。スカッって感じ。空気を切ってるというか」

「手ごたえ、ないんだ?」

「全然ない」

 そのやりとりを耳にしながらも、ターシャはトレスへの指示を終え、新たな結界が作られ始める。今度は形成に一分ほどかかり、やはり棒状ではあるものの、丸太並みに太く、濃くなった色彩から密度も高くなっているのがわかる。見るからに手ごわそうだ。


 科学者は、結界の出来映えに満足げ。

「なかなかでしょ。リンディ、どうぞ」

「やっぱ、やるんだ?」

 ナユカの「技」を目にした後では、自分が地道にやるのが馬鹿らしく感じられる魔導士を、ターシャが励ます。

「そう。がんばってね」

 拒否権はないのかと疑問を持ちながらも、とりあえずやることにする。

「こんな形だとよくわかんないけど、けっこう強めでいいよね?」

 棒状だけど、結界そのものは強靭そうだ……というリンディの見立て。それに、設備の魔法対策もしてあると、さっき聞いた。しかし……。

「あ、最小から始めて」

 ターシャは許可せず。

「なんで? めんどくさいんだけど」

「それは……」一瞬、間が空く。「そう、結界の調子を見たいから」

「あ、やっぱ出来損ないなんだ」

「あたしが作ったんだから、完璧に決まってるでしょ」反論せずにはいられない研究員。……当然、調子を見るまでもない。「とにかく練習なんだから、始めて」

「練習?」

 耳ざとく聞き返したリンディ。

「つまり……ユーカのね。全部消えちゃったら、また張り直さなきゃならないでしょ?」苦しい誤魔化しを早口で終え、ターシャは作業を促す。「はい、やってやって」

「ユーカは『実験』でしょうが」

 いちおう突っ込んでから、作業を始めるセデイター。今度は、さっきよりはうまく調節し、出力する魔法の形状を太くし過ぎずに、火力をどんどん上げていく。

「うまいうまい。そんな感じ」

「さすがあたし」

「やればできる子ね」

 ターシャの言い回しが引っかかってリンディの気が散り、太さと出力が不安定に。

「はい、集中」

「わかってるよ」

 誰のせいだよと思いつつも集中を取り戻し、出力を立て直して作業を継続するが、それでもそれなりに時間がかかる。術者がだんだん焦れてきているのか、時折、魔法の出力が乱れる。

「なんかすごい」

 簡単にやってしまったナユカがじっと見つめる。回復魔法以外の魔法を放出し続けているのを見るのは初めて。ものが火だけに、見た目に勇壮である。これが風系魔法だと、扇風機でしかない。

「ユーカのようにはいかないけど」

 フィリスのつぶやきは、張り詰めて耳が鋭敏になっているリンディに届いてしまい、またも魔法が乱れる。余計なことを漏らした当人は、それを見て咄嗟に口を押さえる。

「あと少し」

 声を抑えたターシャの励ましが効を奏してか、術者の集中力が戻り、魔法は安定化。そして間もなく、切断完了。締めて五分ほど。

「ほんっと、疲れた……」

 ふうっと息を吐き、発言どおりの状態の魔導士を、研究員が労う。

「お疲れ。さすが、早いね」

「そう?」

「出力だけはあるよねー。あたしじゃ、こうはいかないよ」

「どうせ『だけ』だよ」

 むすっと答えたリンディに、後ろからサンドラが声をかける。

「でも、うまくできたじゃない」

 振り向いてその声の主をじっと見つめたセデイターが、低めの声を発する。

「……謀ったね」

「……なんのこと?」

 わざとらしく視線をそらすサンドラ。本気でしらばっくれるならそんなことはしないはずなので、ばれてもいいと思っているようだ。

「さ、ユーカの番だから、リンディはどいてね」

 しれっとして進行しようとするターシャに、リンディは視線を短く留めたものの、そのまま何も言わず、場所を開けた。


「さて、ユーカだけど、一瞬でしょ」

 主任研究員からの予告にも、魔法の専門家があれだけ苦労していたのを目にした後では、異世界人も簡単に肯定はできない。

「そうでしょうか?」

「間違いなく」

 研究主任の保証に反し、ナユカの表情がぱっとしない。

「そうですか……」

「もしかして……物足りない?」

 ターシャの見立ては、正解。

「少し……」

 何の努力もしていないのにできてしまうというのは、スポーツ女子のナユカには、面白味がない。科学者という畑違いのターシャにも、その辺りがわかる――いわば、実験や検証なしに科学の法則がわかってしまうようなものだ。

「ま、そうかもね。やりがいがないかな」

「でも、気を抜かないでね。さっき言ったように、変だと感じたらすぐやめて」

「わかってる」再び注意喚起した医師にうなずき、再集中したナユカは、ゆっくりと手を結界へ。「では、いきます」

 さっと手が下りた瞬間、結界は消滅。何の感触もなく、空を切っただけ。

「あれ?」

 今回、横から見ていたフィリスは何かに気づいた模様。その前で、やった本人からは、がっかり感が漏れる。

「……あぁ」

「……はぁ」

 時間をかけて一生懸命結界を切断したリンディからは、ため息。一方、科学者でもあるフィリスは、なにか納得した様子でつぶやく。

「そうか、だからか……」

 すでに同じことに気づいているのだろう、ターシャは医師を見て、にっこり笑う。さすがに今回の結果は全員に予想がついたことであり、もはや驚く者はここにはいない。

「また同じ結果だね。もっと強い結界でも同じだと思うよ」

 宣言する研究主任に、課長が説明を求める。

「結局、どういうこと?」

「そうだねぇ、データをよく見てみないとなんともいえないんだけど……魔法を本当に消しちゃってるってことかな」

 その説明に不満なのは、リンディ。

「見たまんまじゃない」

「中和してるんじゃないってことよ。分解しているのか、破壊しているのか……それはまだわからないけど」

 そこは研究者がこれから調査分析する部分だ。

「実験はどうする?」

 時計を見たサンドラ。まだ時間がたっぷりある。もちろん、これで終わりではないという科学者。

「他の属性の結界でもやってみないとね」

 そうなると、今度は逆に時間が足りない。課長はまた時計を見る。

「全部やると、けっこう手間かかりそうだな……」

「どーせ同じでしょ」

 投げやりに放ったリンディの言葉どおりだとしても、科学的に検証するには、実験をしないわけにはいかない。すると、主任研究員がにやっと笑う。

「だから、面白いものを見せてあげる」

「面白いもの?」

 リンディが食いついた。

「ここでしか見られないものよ。四種混合結界。ま、くっつけただけだけど……。今、出してあげる」


 ターシャがコンソールのトレスに指示を送ると、機器が稼動し、結界を作り始める。

「なんかろくでもないもののような気が……」

 疑念を挟んだ魔導士をよそに、研究員は形成されつつある結界を見つめる。

「よし、出てきた……」少し待って結界が完成すると、片腕を広げ、そいつをご紹介。「はい、こちら……出来上がりましたぁ」

 見て発した、リンディ、フィリス、サンドラのそれぞれのコメントは以下のとおり。

「……くっつけただけ?」

「……そうみたいですねぇ」

「……まぁ、そう言ってたもんね」

 あまりの反応の薄さに、ターシャは弁明を始める。他のことはともかく、専門分野へのこの反応は、開発者としてさすがに気になる……。

「それは……そうだけど……新技術よ、これ」

「なんか、意味あんの? これ」

 リンディからの疑問に、開発者からは見も蓋もない答えが。

「それは……だから……今、使えるじゃない」

「実用には、使えないよね。脆いでしょ? 単一の結界をきっちり張ったほうが強度高いことは周知の事実だし」

 ごもっともなサンドラの指摘に、科学者として……どうにか利点をひねり出そうとする。

「だって……いいでしょ、これはこれで。これは……」

 ひねっても出てこないでいるところへ、じっと結界を見ていたナユカが口を開く。

「なんか、きれいですね……これ」

「え?」

 振り向くターシャ。

「四色がきらきらして」

「そ、そうよ。さすがユーカ、そのとおり。きれいでしょ。そういうことよ」

 発言に便乗した開発者は、わが意を得たりという風。

「なにがそういうことさ」

 その場しのぎだということは、リンディにもばればれ。

「わっかんないかなぁ。芸術よ、芸術。ま、リンディには、ちょーっとわかんないかもねー、あっはっは」

 ターシャは腰に手を当てて、とりあえず高笑い。

「なーにが芸術だよ、まったく」

「いつだって先駆者は理解されないものよ」

「あーそうですか。はいはい」

 魔導士から軽くあしらわれても、自画自賛するしかない開発者。

「というわけで、このすぱらしい技術で作られた芸術的結界を、ユーカに破ってもらいましょう。……あ、その前にリンディやってみる?」

「やだよ、めんどくさい。一部分ずつやらなきゃなんないじゃない」

 それを耳にし、ターシャが、はっとする。

「そ、それよ。それ。それがこの結界の意味あるところ。コンパクトなわりに破るのに手間がかかる。……使えるじゃないの。すばらしいわ」

 ついに当為を得た。今度は、苦し紛れではなく、満足げな主任。人の尻馬だが。

「そうだねぇ……まぁ、何かに使えるかもしれない。……今、すぐには思いつかないけど」

 まずは九課課長から、辛うじて同意らしきものを得た。それにフィリスが加わる。

「狭くて厚い結界が張れないところ、とか……ですかねぇ……他には……」リンディを見る。「なんかあります?」

「そんなの、ないない。それに、狭くたって単一の結界のほうが強度が高い」真っ向否定。四色結界をあごで指す。「こいつはただ単に面倒なだけ」

 思いっきりディスられた結界くんは、サンドラの目には心なしか小さくなったよう……。無用の長物は小さく見えるもの。

「とりあえず、技術があるのはいいことよ」傷ついたかもしれない哀れな結界くんをなだめてから、魔導士に目を向ける。「それより、リンディ。先に破ってみて」

「だから、めんどくさいって」

 謀られたこともあって、拒否ったセデイターに、課長はきっぱりと言い切る。

「今日はそのために来てるんだよ。ギャラまで出てるんだからね」

 もう、はめたことを隠す気はない。

「……わかったよ。やればいいんでしょ、やれば」仕方なく了承したリンディは、愚痴りながら結界の前へ。「……ったく、めんどくさいなぁ」

「じゃ、がんばって」場所を譲ったターシャが、なぜか付け足す。「……速めにね」

「速め? なんで?」

「い……いいじゃない、別に」

 誤魔化す開発者を、サンドラは黙って見つめる……。実験である以上、理由がわからないのはよくない。しかし、だいたい想像はつく。おそらく、この結界はもろいのだろう。相対する魔法を対面に組み込んで、接触しないように作ってはあるが、たとえ仕切られていても線で接する部分はあるはずで、そこから互いの魔法が染み出せば、互いに打ち消し合う。つまり、「傷ついた結界」は、次第に「小さく」なってゆくことになる。気のせいでもサンドラの目にそう映ったのは、あながち間違いではなかった……。やっぱり哀れな結界くんである。

 その特性にリンディも気づたらしく、ターシャをなだめるように返事する。

「……ああ、はいはい」

 ふうっと一息吐いて集中し、直ちに始める――結界が自壊する前に。


 この結界が四種類の結合したものだということは、それぞれに対応する魔法で四分の一ずつ破壊しなければならないという、確かに面倒な作業となる。加えて、それぞれは弱い結界であるゆえに、一つ一つを全壊させずに残すには、リンディが得意でない魔法出力の調整に神経を注がなければならない。その点、彼女にとっては、いい練習である。四回やったうち、三回目に出力を出しすぎて、その部分だけ結界が消えすぎてしまったが、この後のナユカの実験に支障があるほどではなく、なんとか結界の一角を切断した。

「よし、残った」

 ターシャは後方でガッツポーズ。やはり、この結界のもろさを認識していた。

「はぁー疲れた。まじに」

 同じ体勢で魔法を照射し続けたことで、ギシギシする腕や腰を回しているお疲れの魔導士に、サンドラが声をかける。

「ご苦労様。……けっこう時間かかるね。てことは、使いようによっては使えるかな、この結界」

「まぁ、そうかもね。こんだけ面倒なら」

 課長同様、リンディも気を遣っているのか、それとも本心か。ふたりのポジティブなコメントを耳にし、高揚する開発者。

「でしょ、でしょ。やっとわかってきたようね」

 自画自賛が始まる前に、フィリスが思いっきり水を差す。

「……時間制限付きですけど」

 結局、使い道がわからない……。そして、開発者にもわからない。

「ま、まぁ……そうね……」結界が当初より脆くなっているので、使い方を考えるのは今はやめておく。「では、ユーカにやってもらいましょう」

「なんかいやな予感が……」

 不吉なつぶやきを漏らしたリンディを、ナユカが見る。

「いやな予感?」

「……虚しい気分になるようなことが起きるってこと」

「え?」

 異邦人がその意味を理解しないため、フィリスがそれを噛み砕く。

「つまり、リンディさんの努力が、非効率で無駄な行為になるってこと」

「……ま、そうなんだけどさぁ」

 言い方――苦労した当人としては、それを選んでほしい。しかし、その不満は、異世界人の健康管理に意識が向かっている医師には気付かれない。

「それじゃ、ユーカ。十分注意してね、念のため」

「わかった」と、答えつつも、もうほとんど警戒していない。「じゃ、やりますよ」

「あ、待って」結界に手を向けるナユカをいったん止めたターシャが、フィリスに対し、横へ動くように手でサインを送る。「できるだけ、ゆっくりやってくれる?」

 フィリスが真横に移動し、結界をそこから見る姿勢になったのを待って、ナユカが結界へ近づく。

「ゆっくり……こんな感じでしょうか」

 ゆっくり結界へ手を動かしていく異世界人の動作にも、結局は何の意味もなく、手が結界の一部分に触れた途端に全体が消滅。

「あらら。もしかしたら、部分ごとに消えるかも、と思ったんだけどな」

 この生成の難しい結界を開発したターシャの希望的観測としては、そう。でも、結果は、希望的ではないほうの、客観的予測どおりだった。研究主任がこの結界の存在意義を擁護しようとしていたのは、魔法がまだよくわかっていなくても見て取れたため、ナユカは恐縮する。

「なんか……すみません」

「別に謝らなくてもいいんだけど……」

 ターシャの言葉を受け、今度はリンディをちらっと見るナユカ。

「なにかと申し訳ないような気が……」

「ほんと……こう簡単にやられると、あたしの立場がないよねぇ」

 冗談めかす努力の破壊者。片や、一瞬の破壊者は苦笑。

「あはは……」

「まぁ、とにかく……」すでに結界の跡形もない両結界発生装置の間へ、リンディは改めて目をやる。「すごいね」

「間違いなく世界一の結界破りですね」

 フィリスの形容に、サンドラは強く同意。

「そういうこと」もとより、それを証明するためにこの実験を企画していた。ただ、一言付け加える。「少々問題もあるけどね……」

 その点は、フィリスもわかっている。

「そうですよねぇ、やっぱり」

「問題?」

 尋ねたリンディに、サンドラが答える。

「直接触ると発動することが、ね」

「つまり、直接触らないとだめってことか」

 リンディの解釈に加え、もう一点をフィリスが示す。

「それだけではなく、逆に、直接触ると発動してしまうことです」

「それは……」すぐに思いつき、具体的に言い直すリンディ。「消しちゃいけないものまで消しちゃうと。そんなとこ?」

「はい」うなずいてから、フィリスが重要なことを付け足す。「まぁ、正確には触る前なんですが……たぶん」

「……ああ、そのこと」

 魔導士はすでに気付いていたようだが、今度はサンドラにはわからない。

「ちょっと待って。触る前ってなに?」

「それは、触る前にすでに無効化が発動してるってこと」

 ターシャの説明を受け、無効化した本人に確かめる課長。

「じゃ、触ってないの?」

「えーと、感触がないので……そうなのかな?」

 自問するしかないナユカの代わりに、フィリスが答える。

「横から見た限りでは、触る直前から消滅が始まっているようです」

 観察する前、秘かに視力強化の魔法を自分にかけていた――そうでなければ、到底わからないほどの、微妙なものだ。ところが、リンディから見も蓋もない指摘が……。

「そりゃそうだよね。服が大丈夫なんだから」

「は?」

 虚を突かれたサンドラ。

「ユーカが実戦で魔法を無効化したときだよ。そうじゃなかったら、服ぼろぼろ」

 これは、バジャバルが放った氷系の魔法をナユカが受けたときのことだろう。最初にリンディが撃ったパラライズは服に影響しないし、ニーナの暗黒系魔法は火系の内側に仕込まれていたため、本人に聞かなければ何を撃ったかわからない。

「あ」

 いまさらながら気付かされ、手を口に当てる医師。妙な想像でもよぎったのか、ターシャが突っ込みの必要なことを口走る。

「あら、服着てたのね」

「ずっと気付いてたの? リンディ」

 サンドラが魔導士を斜に見る。なら、早く言えよと、視線が語る。

「とーぜん」

 胸を張る完璧ボディの頭に、ターシャが両手で軽く触れる。

「さっすが、リンディちゃん」

「ちょ、ちょっと……やめてよ」ここでは、頭を撫でるのと同義のジェスチャーだ。その手から、すり抜ける。「もう……やめてよね、そういうの」

 言葉ほどには嫌がってはおらず、むしろ照れている。

「じゃ、あたしはちょっと次の準備をしてくるから、みんなはちょっと休んでて」

 ふふっと笑って、ターシャはコンソールのほうへ去っていった。


「もう……あのセクハラ変態科学者」

 照れ隠しか、みんなの前でとりあえず毒づいたリンディにばれないよう、ナユカはサンドラに小声で話す。

「仲いいですよね、あのふたり」

「ちょっとした爆発仲間だから」

 課長から興味深いフレーズが出た。それほど会っていないらしいのに気が合っているように見えるのは、それが関係あるのだろうか? 傍らで小耳に挟んだフィリスがつぶやく。

「やっぱり、なにかあったんだ……」

「……どういう意味ですか?」

 異世界人は、直接的な表現を逆に深読みし、セレンディ語の特別な言い回しなのかと思っている。その隣、フィリスは耳をそばだてる。

「それは……」サンドラが詳細を話そうとしたところ、筒抜けになっているリンディから咳払いが聞こえ、やむを得ず中断。「まぁ、そのうち……ね」




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