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魔法世界のセデイター 2.異世界人の秘密と魔法省の騒動  作者: 七瀬 ノイド
五章 魔法省五日目(住居、実験)
30/58

5-3 魔法研でやること

 借りるべき部屋の下見を終え、時間つぶしに魔法省内の庭などを少しばかりぶらぶらしてから、一行は、昨日リンディが指定していたレストランへと向かう。到着してみれば、夕食にはまだ早い時間ゆえ、客でごった返すようなことはないにしても、それなりの評判を博す店であるからには、休日にはそれなりの人入りである。そのことを予測して、食道楽が念のため予約をしておいたので、すんなりと食事にありつけそう……。食べ物がらみでは、この食い意地はマメであり、手際がいい。


 さて、先日、リンディと交わした約束を踏まえ、今日はサンドラがおごると申し出た。こういう場合、「なんでも注文して」というフレーズが伴っているのがお決まりでも、それがそのものずばりであることは、この世の常として滅多にない。その点をあまり考慮に入れない食道楽は、少しばかりレアなメニューを頼もうとしたが、店員によると手間と時間が掛かりそうということなので、スポンサーからストップがかかる。

「悪いけど、別のにして」

「だって、まだ時間あるじゃん」

 リンディは、そのために予約しておいた。ここに来るならあれと決めていた。

「それは、わからないでしょ。このあと、用事あるんだから、そういうのはもっと暇なときにね」

 サンドラに抗弁を却下され、食い意地は言質を取る。

「さっき『なんでも注文して』って言ったのに」

「それは条件次第だよ。あわてて食べるのもいやでしょ?」

「大人ってずるいよね、ユーカ」

 少し年上が最年少に同意を求めてきた。苦笑するその顔をチラッと見てから、サンドラはリンディに笑みを投げかける。

「ユーカは、大人だよねぇ」

「あーあ。あれ……食べるイメージができてたのにな……」諦め……切れないが、諦める。……断腸。「ま、いいよ。あたしも……大人として振舞ってあげるから」

 仕方なく、食道楽は別のもの、つまりは、まあふつうにあるもの、を注文。サンドラは、こちらの大人が子供によくするOKサイン(片手を開いてから、中指と薬指を親指に二度つける)を出す。

「はい。よくできました」

「今度おごってよね、暇なときに」

 どうやら、今日のおごりをノーカウントにするつもりだ。サンドラは、苦笑いしつつも……。

「はいはい」

 なんだかんだいっても、リンディに甘い……。結局、またおごることになるのだろう。


 食事中、サンドラはナユカにあちらの世界、すなわち、魔法のない世界のことをいろいろと聞き出していた。こちらの世界の住人にとっては、魔法のない文明というのは、いまひとつ把握できない。かつて、魔法技術が体系化される前の文明がそのようなものであったという知識はあっても、はたしてそれと同じなのだろうか? 文明の発達段階という点を考慮すれば、魔法が存在する世界でその活用技術が確立する前の文明と、魔法がもともとない世界での文明を同一に捉えるのは妥当ではない。だからといって、魔法技術なしにどの程度文明が発達できるものなのかを想像するのは、こちらの人間にとって容易なことでもない。それは、あちらの世界の人間にとって、電磁誘導の法則を知らない発達した文明というのが古代史にしかないようなものであることと同じだろう。

 これまで、多忙につき、ナユカの世界について本人から直接聞く暇があまりなかったサンドラは、今になってようやくその機会を得られた。いったいどんな社会なのか、というのが九課課長のもっとも興味を抱いているところではあるものの、異世界人はこちらの社会構造などをまだ把握しているわけではないから、そういったことに関しては向こうと比較しようもないと思われるので、まずは、手始めに身近な生活についての話となる。

 文明の発達段階についてある程度は念頭にあったサンドラも、やはり魔法世界の住人であり、必然的に、魔法のない生活が相応に不便なものであると想像してしまっていたが、聞いているうちに、向こうの科学技術が魔法を除外した形で高度に発展したものであり、こちらと大差ない水準のものだと理解するに至った。むしろ、実際に接したわけではないとはいえ、ナユカの話を聞く限り、比較対象によっては、こちらを凌駕しているように思える。とりわけ、大量輸送に関してはそれが顕著で、それゆえに技術の普及という点ではあちらが圧倒しているようだ。ともあれ、メカニズムの違いはあっても、人間の怠惰を補完し、欲望を充足されるために生み出される技術というものは、似た方向性を示しながら高度化していくのだろう。


「失礼だよねー。ユーカのこと、未開人かなにかだと思ってたんだよ」

 リンディは、サンドラが魔法抜きの技術水準の高さを理解した後に揶揄したが、それは言った本人も同じである。

「なるほど……そう思ってたんだ」

「あたしはそんなこと……」

 サンドラから切り返されたリンディが否定しかかったところで、フィリスはナユカに白状する。

「ごめん、わたしも最初はそんなふうに思ってた。以前、話を聞くまでだけど……」

「……思ってた、あはは」

 先手を打ってもらったため、リンディもそれに乗って、誤魔化し笑い。

「でも、まあ、話を聞かなければそう思うよね。こっちでは魔法なしの科学って考えにくいから」

 サンドラが自分プラス他二名をフォローした傍ら、異世界人は相槌を打ちつつ、なにかを考えているようだ。

「そうかぁ……そうだなぁ……」

「どうかした? 気を悪くした?」

 気を回したというよりは、冗談ぽく聞いたサンドラ。この程度で気分を害するナユカではないと認識している。

「いえ、そうじゃないです。こっちで魔法が使えないっていうのは、そういうことなのかなって……思って」

 そういうこと――つまりは、「未開人」ということ。「文明社会における未開人」というのは、科学技術のメカニズムを理解せずにその果実を利用する「文明人」を象徴するフレーズだが、ナユカの場合、悪いことに、ここではその文明の機器を使うことすらできない。これまで、複雑でない機器なら使うことができたとはいえ、高度なものは無理っぽい。

「……ま、なにかと不便だとは思うけど、あなたにはあなたにしかできないことがあると思うよ」

 少し間を空けてサンドラが口にしたのは、どことなくありがちなセリフ。しかし、なぐさめ口調ではないし、当てずっぽうに気休めを言うタイプでもない。

「そうなんでしょうか……」

 疑わしげな異世界人に、九課課長は気をもたせた答え方をする。

「たぶんね。そのことは後で……わかるかもしれない」

「これからやることと関係が?」

 先回りして聞いてきたフィリスにも、内容を明かさない。

「詳しくは後でね」

 魔法研に行ってからということだろう。


 ところで、サンドラには、もう一つ非常に気にかかっていることがある。それは――まあ、どうでもいいことではあるが――昨日、例の怪しい店のヒロッコ店長が、どんな服装をしていたか。昨夕、話中途で終わっていたため、気になって仕方がない。そこで、ともかく、切り出してみることにする。一晩空けたのだから、もう大丈夫だろう。

「ところで、昨日……あの店で……」

 口火を切りかけたところで、隣のリンディが割り込む。

「あー、サンディ」

「なに?」

 サンドラの耳元に口を寄せて、続きをささやく。

「……店長の話はNGだからね」

 ささやきでも、語気は強い。またフィリスにパニクられてはたまらない。

「だめなの?」

 勘がいいな、こいつは……。音量を合わせたサンドラを、先回りで正解したリンディがたしなめる。

「当たり前でしょ。少しは気を遣いなよ」

「そうですか……それは、すみませんねぇ」

 素直に承服したとはいえ、サンドラの妙に丁寧な言葉遣いには、そうしたくない気分がありあり。見ているナユカと当のフィリスにも、なにを聞こうとしていたのかだいたい想像がつくものの、ここではやはり触れないほうがいい、まだ触れたくない、というそれぞれの思惑により、聞いていなかったことにする。

 結局、サンドラはヒロッコ店長の「衣装」について、またも詳しく聞くことは叶わず仕舞い。いつかは知ることができるのか、それとも永久に語られることはないのか、それはいまだ知る由もない。


 食道楽的に「準備」も整えた六時少し前、すなわち、入所ができなくなる直前に、サンドラ一行は予定通り、魔法研究所へ入った。この日は、半休日であるため、研究者であっても早めに切り上げて帰宅する人が多いのだろう、入り口付近に守衛以外は誰も見当たらない。もっとも、研究者の多くは、普段から実験室や研究室などの室内にこもっているので、ここはもともと人影のまばらな場所ではある。

 そんな中、サンドラを先頭にした四人は、事前に打ち合わせた所定の実験室へと直行する。その実験室はけっこう大きく、上部にコンソールがついており、むしろ屋内実験場といってもいいような雰囲気だ。九課課長がインターカムで扉越しに会話すると、ドアがアンロックされて開かれ、見知った二人の姿が現れた――魔法研主任研究員のターシャと九課課長秘書のミレットである。


 先に秘書が、課長一行に歩み寄る。

「こんばんは、みなさん。よろしくお願いします」

 後方のターシャは、サンドラ越しにお気に入りの面々へと手を振り、それが目に入ったリンディは歩みを止める。

「げ、やっぱり」

 眉をひそめたリンディとは対照的に、ナユカはターシャの存在に安心したようで、にこやかに首を傾け、もう慣れてきたこちら風の会釈をする。

「あ、ターシャさん。こんばんは」

「こんばんは。よろしくお願いします」

 フィリスは研究員に挨拶してすぐ、サンドラに視線を送る――そろそろ今晩やることを教えてほしいということ。課長は、わかったというように目配せを返してから、近づいてきて隣に位置したターシャを見る。

「じゃ、これからやることを説明するね。その前に確認しておくけど、この場にいるのはあと誰?」

「ここにいる六人と私の助手。中のコンソールのところにいる、トレスね」

 ターシャが実験場への厚い扉をゆっくりと開け、高い位置にあるコンソールを指差すと、その中の当人は、遠いながらもこちらに軽く手を上げる。サンドラは、ドアのところに立ち、その姿を視認。

「彼ね」

「信用できるから安心して。秘密厳守って、きっちり言い聞かせてあるからね。それに、ここの会話はあそこまでは届かない」

「そう。ならいい」サンドラは振り返って実験室を背にし、すでに記録を始めているミレットを見てから、リンディたちに向き直る。「それから……ターシャにはもう、ユーカが異世界から来たとか、魔法が効かないとかを話してあるんで、その点は気を使わないで会話していいから」

「言っちゃったんだ」

 不満げなリンディに、ターシャは自分の耳元に手をやって開いたり閉じたりしながら、おどけてみせる。

「聞いちゃったよー」

 いまいちつかみどころがないこの研究員は、内密にしてある事柄を話すほどに、九課課長からの信頼は厚いようだ。


 そのサンドラは、横に並ぶターシャと共に、実験室内の簡易テーブルセットへ全員を引き連れ、そこで今夜することについての話を始める。

「では、本題。これからやるのはユーカの能力に関しての実験。まあ、それはわかってると思うけど、具体的には……」一息置く。「結界破り」

「あ、なるほど」いち早く反応したリンディ。「それはいいかも」

 フィリスがうなずく。

「確かにそうですね。ただ、彼女の場合、ふつうと違うメカニズムなので、やってみないことには……」

「でも、いけると思うよ。確実に」

 サンドラから太鼓判を押されても、当のナユカはピンとこない様子。そこで、ターシャが説明に入る。

「説明するわね、ユーカちゃん」

「はい」

 普通に返事したナユカではなく、「ちゃん」付けに眉をひそめたのはリンディのほう。また「セクハラ」が始まるのかと、黙って目を光らせる。

「『結界』ってのはわかる?」

 主任研究員はお構いなしに続けて、異世界人に質問。

「そうですねぇ……人とか魔物とかを通さないための……魔法のような……」

「結界」というセレンディ語の単語は、こちらに来てから何度か耳にしている。そして、以前にも聞いていた。夢の中で……。

「主旨はそういうことね」

「向こうでもありますよ。物語の中とか」

「物語ねぇ……」

 つぶやいたリンディは、以前、自分が結界という語を口にしたとき、異世界人がそれを知っていたことを、不思議に思っていた……魔法のない世界から来たはずなのに。それに、物語にあるのなら、実際ありそうなものだ……。しかし、それはナユカにきっぱりと否定される。

「現実にはないので」

「あ、ないんだね。やっぱ」

 魔法がないなら当然だ。リンディに続き、フィリスも納得。

「そうでしょうねぇ……」

「あるって人もいるけど……」

 寺にもいた。ナユカの親代わりの住職である。向こうでは、説法の方便だと思っていた。今は……わからない。

「科学的にはっきりした効果はないわけね。魔法がない世界の科学で」それがどういうものなのか、魔法研の研究員として興味はあるが、今はそれを考えるときではないので、本題の詳細に入る。「……で、結界というのは、要するにシールド系防御魔法を固定化したものね。こっちでは効果ははっきりしていて、それが張られている内部へは、それを破らなければ無事に進入できず、また、外側から内部に魔法でダメージを与えることができないわけ」

「はあ」

 非魔法世界の出身者には、言葉が難しいことも相まって、イメージが沸かない。わかったような、わからないような。

「要するに、魔法を固めたもの」

 リンディによる簡略化が功を奏し、ナユカは手を打つ。

「あ、なるほど」

 それでも、具体的にどんなものかわからないのは、仕方がない。

「ありがと、リンディちゃん」ちゃん付けした対象からの視線が刺さるが、気にする風もない。「それで、これからユーカに結界を破ってもらおうというわけ」

 それでも、実験にフォーカスするため、自主的に「ちゃん」は外したターシャ。その要求に、異世界人は当然抱くべき質問をする。

「破る……ってどうやるんですか」

「触ればいいの」

 あまりにも簡単な答えが研究員から返ってきた。当人はわけがわからない。

「……は?」

「あなたの場合は、触れば結界が無効化するはず」

「触るだけで?」

「そう。ただ、ユーカの魔法無効化能力が数値化できないほど強いレベルだから、破れる結界の強度や範囲、破る速度といった点は、やってみないとわからないけどね」

 それに、サンドラが付け足す。

「魔法全般への無効化自体が、出合ったことのない能力だからね」

「というわけで、実験してみたいんだけどいいかな? もちろん、安全性は任せてよ」

 自信を持ってそう保証する主任研究員だが、リンディには異議があるようだ。

「……任せられない」

「だーいじょうぶ。あれ以来、事故は起こしてないんだから……」いかにもいわくありげな言い回しがターシャの口から気軽にこぼれた。すると、ギクッとしたセデイターが視線をそらしたので、その隙に研究員は早口で付け足す。「大きいのは」

「……!」

 リンディがきっと視線を向けてきたため、ターシャはそれをかわすようにナユカを見る。

「で、どう? ま、あたしが暴走してもフィリスがちゃんと止めてくれるよ、あはは」

 陽気に笑うマッド……かもしれないサイエンティストを見て、フィリスが釘を刺す。

「止めますけど、暴走はやめてください」

「冗談、冗談。あたしはこれでも丁寧なんだよ」

 上機嫌なターシャに、不機嫌そうなリンディ。

「どこが」

 一方、このやり取りを聞いていたナユカは、すでに結界破りに興味を抱いてきており、進行させるべく、おずおずと手を挙げる。

「あ、あの……やってみたいんですけど」

「あ、やってくれる?」

 ターシャの瞳が輝く。

「ええ、是非。面白そうなので」

「さすがだよね、やっぱり」

 うんうんとうなずく研究員。なにが「さすが」かといえば、やはり、ナユカの神経のこと。比較対象として、検査嫌いのリンディをチラッと見る……。

「……」

 無言でそっぽを向いた。

「それじゃあ、まず実験用着に着替えてもらおうかなー」ナユカに向き直って、胸の前で手を軽く叩くようにポンと合わせたターシャは、次に、もう一人に視線を向ける。「あなたもね。リンディ」

「……はあ? なに言ってるの?」

 またセクハラかよ……。指名対象はあきれるが、そうではない。サンドラが横からその肩に手を置く。

「まだ言ってなかったけど、あなたもやるの。結界破り」

 首をねじって、置かれた手の向こうを見る。

「……なんであたしが」

「チェックのためよ。そのためにいるんだから。……他にいる意味ないでしょ?」

「……まぁ……いいけど」

 そう言われては、そうするしかない。そもそも、最初はこの場に呼ばれていなかったわけだから。

「じゃ、着替えに行きましょ。ふふっ」

「その『ふふっ』は、なに」わざとなのか、ターシャが妙な笑いを付け足してきたので、リンディは一歩退く。「フィリスも来てよ」

 監視役として。

「ええ、もちろん」

 医師は当然のごとく承諾――自分も医療用の作業着に着替えるためで、別にターシャ監視の目的ではない。とはいえ、結界破り実験のために着替えの必要な三人に、すでに着替えてあるターシャも、案内の名目で実験場内の更衣室へ同行してきたので、そういう目的も加わる……のかもしれない。




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