5-1 休日、出かける前
この世界においてもナユカの生活していた元の世界と同様、ある一定のサイクルによって日常の生活が回っている――それは、一週間。奇しくも同じ七日であり、そのうちの一日は「全休日」として、暦の上でも休日だ。セレンディアではそれに加えて、「半休日」が週に二回、週の真ん中と「全休日」の前にある。あちらの世界の曜日になぞらえるなら、「全休日」が日曜日、その前の日「半休日」が土曜日、「全休日」から二日おいた水曜日が「半休日」となる。これら「半休日」は、業態にもよるが、どちらかが半日営業で、もう一方が完全な休日として運用されていることが多い。
魔法省を含む公的機関においては、どちらの「半休日」も業務は行われるものの、窓口に関しては、開いているのは午後のみ。そのうち、週末の「半休日」では、開いている窓口はごく一部となる。これは、両「半休日」には人員がローテーションによって休日を取っているため、出勤している職員の職務負担を軽減するための措置だ。それでも、利用者にとっては一応の利便性があるが、週中日の「半休日」には人員の多く、週末のそれでは人員のほとんどが休んでおり、少し込み入った問題だとその日のうちに解決することは期待できないことが多い。したがって、「半休日」の窓口対応はよろしくないという社会的な認知があり、出向いてくる人も少なめである。
このように、どちらかの「半休日」を休みとすることで週休二日制が確保されており、職務の都合で週末の「半休日」や「全休日」に出勤した場合には、通常、週中日の「半休日」に休みを取ることとなる。なお、両「半休日」とも、業務が終了する時間は平日より一時間早く、火急の用がなければ早めに帰宅するのが通例で、残業をする者もほとんどいない。
さて、本日は、全休日前の半休日。サンドラにはそれを利用したプランがあり、前日に打ち合わせたとおり、夜には魔法研に集まる予定だ。その前にまずは、ナユカとフィリスが滞在するかもしれない臨時宿泊棟の部屋へ、連れ立って下見に行くことになっている。
「休めた? 昨日は疲れてたでしょ、フィリス」
昼下がりにわざわざ部屋まで迎えに来た課長から声をかけられ、鏡の前で髪をとかしている当人が振り返る。
「ええ。昨日はぐったりしちゃって……早く休みました。今日はすっきりしてます」
「わたしも昨日は疲れちゃってね……さっさと家に帰ったよ。……ミレットもね。残業続きだったから」
「無理は利かないよね。もう……」話に割り込んだリンディが言いかけたところで、サンドラの視線に射抜かれ、中断して言い直す。「休みだねぇ、明日は」
にっこり笑う筋肉姉さん。時として、笑いは笑うことを意味しない。
「ユーカはどう? 慣れることが多くて大変でしょ? 前にも聞いたけど」
「いえ、大丈夫です。かえって調子いいくらいで」
元気なナユカに、リンディが今度はきっぱり断言する。
「若いから」
わざわざそう口にされ、少々かちんときたサンドラ。
「ええ、そうね。あなた……もういいわ」
どうせどっちも年下なので、比較級「より」は飲み込み、これ以上触れるのはやめ。
「まぁ、ユーカの場合は、やっぱり神経……」口走りそうになったリンディに、今度はフィリス方面からのにらみが入り、またカーブを切る。「……は……疲れると思うから気をつけてね」
形容詞「太い」を際どく回避した……にもかかわらず、ナユカは……。
「大丈夫です。わたしは神経太いですから」自分で言った……。はたして気分を害してわざとそう言ったのか、あるいはただの天然なのか判別しにくく、顔を見合わている他三名を、本人が見回す。「あれ? どうかしました?」
天然決定。
「え、えーと……準備は……まだかなー?」
ややこしい状況に対処するのが嫌いではないサンドラでも、こういった類の対応が難しい問題は、無難に避けておくのがよいと判断。ゆえに、急かしているのではなく、誤魔化しなのだが、天然は即答する。
「もうできました」
すっぴんでOK。髪をさっと整えただけで、終わっている。
「少々お待ちを……」
フィリスは鏡の前で化粧中だが、塗りたくるわけではないので、もう終わるところ。それを目にしたサンドラが、しつこい寝癖と格闘中のリンディへ、聞こえよがしに声を上げる。
「さあ、行こう」
「ちょ、ちょっと待ってよ。そんなに急がなくても……」
あわてるブロンド美女。
「あれ? あなたも行くの?」
「行くよ、行くってことになったでしょ!」
さらにあわてる。
「わかってるって。焦らないでいよ、別に急いでないから」
さっきのお返しにちょっとからかってみたサンドラだが、リンディのあわてようを見るにつけ、それ以上はやめておくことにした。そこへ、ナユカがヘルプに名乗りを上げる。
「髪、手伝いましょうか?」
「え? あ、それは……」トゥステの出張所での、ナユカの寝ぐせ爆発頭を思い出したリンディ。「それじゃ、チェックだけして。後ろ、見にくいから」
魔法器具に慣れていない異世界人にやってもらうのは、リスキーと判断。
「あ、はい……」
ナユカは少し残念そう。いちおう魔法ブラシを使う練習はしたので、実際に試してみたかった。試される側が嫌がるのはわかるけど……。
今、リンディが使っているその魔法ブラシは、効果的にウェーブをつけたりできる優れもの。とはいえ、使用者が魔法を使うわけではなく、設定された動作しかしないので、効果はそれほど強くはない。これの専門家向けのものは、使用者の魔法によって作動する本当の魔法器具であり、素人が扱うとあまりにもアヴァンギャルドなヘアスタイルになること請け合いである。魔法が使えず、魔法を無効化する異世界人でも、前者なら、魔法が作用しているその場所に直接触れなければ、動作はする。ただ、それだと自分の髪をとかすことは不可能なので、人の頭を当たるしかない。
「じゃ、見ててね」
リンディが寝ぐせ直しを再開すると、化粧を終えたフィリスがチェック役に話しかけてくる。
「ユーカって、いつもすっぴんだね。化粧は嫌い?」
「そうでもないけど……なんか面倒で。向こうでも特にしなかったし」
特別なときに、薄いルージュを引く程度。そういえば、あの時もそうだったな……。今はどうでもよくなったあのデートのことが、一瞬フラッシュバックする。
「こっちにも、非魔法系の化粧品ってあるけど、ちょっと面倒だもんね」
技能があれば、非魔法系のほうがより微細に仕上げられる。一方、魔法系の化粧品は、慣れさえすれば、それこそ魔法のように簡単に終わる。フィリスの化粧が早かったのもそのためだ。残念ながらこの異世界人には効果を発揮しないことは、一度試して、わかっている。
「いちおうあるんだ、そういうの。そういえば、リンディさんも化粧しないけど……」
「どうしても必要なときだけ。面倒だから」
たとえ簡単にできる化粧品があっても、リンディにとっては、面倒なことに変わりはない。ナユカとフィリスに出会ってから、まだそういう機会がなかったため、両者ともこのブロンド美女の化粧姿は未見だ。当人を見るにつけ、ふだん必要がないのはわかるが、抜群な素材を料理してみたらどんな感じになるのか、このふたりならずとも興味が湧くというもの。すると、いつの間にか寄ってきていたサンドラが、ため息混じりに漏らす。
「面倒で済むうちが花。そのうち、常にどうしても必要になるんだから」
「……わたしがそうだと?」
フィリスが眉をひそめる。
「いや、そんなことはない……でしょ?」
サンドラは否定したが、当人が勝手にひがみ始める。
「わたしはいつも化粧してますし……」
「まぁ、してるよね」
濃くはないが、している。
「ほら、やっぱりわたしのことだ」
こうなると、この女子はめんどくさい。
「いや、だから……特にフィリスのことじゃなく、一般論で……」
「でも、わたしを見て言いましたよね?」
もはや絡んでいると言っていい。
「それは単に、目の前にいる会話相手だから」
「……そうでしょうか?」
どうすればいいんだ、こいつは……。仕方ない。
「ていうか、わたしだって、いつも少しは化粧してるんだから」
共感を得るため、自らのことを持ち出したサンドラを、フィリスがじっと見る。
「まぁ……そうですよね」
なんか、逆に失礼だな。かちんときたので、一部を強調。
「『少しは』、ね」
「……わたしだって、そんなに濃くないですから」
「まぁ、そう思うよ」
「……ですよね。だから、そんなに『どうしても必要』なわけじゃないですよね?」
「そうだね」
ていうか、最初からそんなことは言っていない。
「なら、いいです。少し安心しました」
「そう、それはよかった。わたしも安心した」
やっと終わった……疲れた。サンドラは内心ぐったり。
「あ、そこだけ……」ちょうどスタイリングを終えようとしているリンディの頭を、傍らのナユカが指差す。「まだ、ちょっと跳ねてます」
「あ、ほんとだ。ありがと」
それを手早く処理して、ヘアスタイリングは終了。寝癖のきれいに消滅したブロンド美女は、鏡の前でぐるっと見回してみて……ご満悦。
「でも、髪にはこだわってるんだ……」フィリスは、ナチュラルにセットされたブロンドの髪を注視してつぶやくと、すかさず、リンディに進言する。「あ、口紅だけつけませんか? わたしがやりますから」
しかし、当人は、素気無く拒否。
「いいよ、別に……。どうせ、しばらくしたらご飯食べるんだし」
きっぱりと、色気より食い気である。飯優先。
「ご飯……」がっくりするフィリス。「ま、まぁ……いいです。いつか必ず……」
リンディに化粧をさせることに、なぜか闘志を燃やすフィリスであった。




