1-2 ホテル?魔法省
ナユカを連れ立ったリンディは、省内の勝手を知っているのか、すいすいと進んでゆく。課を出るときの流れで、腕を組んだままになっており、なんとなく気恥ずかしい気もする異邦人。
目的地へと向かうことにフォーカスしている案内人は、そのことはまったく意識しておらず、「次、あっち」とか「そこを左」とか「このまままっすぐ」などと誘導しながら、この世界での迷子を引っ張り回す。
どこをどう通ったのか……ほどなく、オフィスのそっけないドアに比べれば少しだけゴージャスで堅牢な両開きの扉にたどり着き、その前でリンディはようやく停止した。
「この中」
「……はい?」
ナユカはリンディに捕獲されたまま。
「泊まるところ」
「あ、そうなんですか」
この扉の向こう……。
「牢屋じゃないよ」
ドアの片側には、船室のような丸いガラス窓がついている。そこからナユカが中を覗くと、内部は天井や壁などの造りが今まで通り過ぎてきたオフィスとは違っており、どことなくホテルっぽい通路……と、部屋の扉がいくつか。ここが牢屋ならちょっとくらい監禁されてもいいようなものだ。
「そのようですねぇ……豪華で」
監禁室を基準に考えれば。そうでなくても、外から見通した限り、立派なもの。
「そうなんだよ。ここだけなぜか無駄にお金がかかってる。おかげで助かってるけど」
どうやら、リンディはよく泊まっているらしい。
この一角に設置されているのは宿泊室であり、もともとは魔法省のVIP用に造られたため、ほぼ一流ホテル並みの仕上がりとなっている――すなわち、外から見る以上のものだ。ところが、工事終了間際になって、あまりのオーバースペックに、外部から魔法省幹部たちへの「お手盛り」批判が上がり、完成した頃には計画責任者である幹部一同が責任のなすり合いを開始。出来てしまっても、当初の計画そのままに魔法省の者、ましてやVIP連中が使うなどということが世間的に許されるはずもなく、このエリアは魔法省において重要な「外部」関係者のための宿泊施設にするということでお茶を濁して、幹部たちは辛うじて責任を免れた。もちろん、それは表向きのことで、当の幹部たちは、引責ではなく人事一新などの理由により、現在はその当時の地位にはない。
そんな経移はともかく、今のところセデイターはすべてフリーランスであって、魔法省の仕事に携わる重要な「外部」関係者であるので、セデイト後であれば、ここの「一流」宿泊施設を心置きなく使うことができる。そして、セデイト時の関係者も魔法省の都合で一時的に引き止めておく必要性があることから、ここに宿泊してもらうことになる。魔法省にとっては、省外のホテルなどを用意するよりも勝手がよく、当初の計画外の用途ではあるものの、今となっては利己的な幹部さまさまともいえるだろう。そして、もちろん、セデイターのリンディにとっても。
当時の幹部たちのお調子者加減を証明するかのように、それぞれの宿泊室はこともあろうに簡易的なスイートルームとなっており、応接間まではないにしても、仕切られた寝室にリビング・ダイニングルームがきっちり付属している。基本的に三人部屋であり、ベッドルームにはベッドが三台設置してあるが、詰めてあと一台くらいは横にベッドを並べられる広さがあり、設置方法を工夫すればさらにもう一台くらいはいけるだろう。あるいは、リビングのセットを片付けて、そちらにも折りたたみ式のものを数台設置するという手もある。すなわち、関係者家族全員でも余裕で対応できる広さであり、実に都合がいい。このような部屋が六室あり、奇しくも、いや、当然というべきか、それとも、アホというべきか、計画責任を問われた幹部の数も六名――実にわかりやすい。
現状、この施設をよく使っているのはセデイターからしてみれば、瘴気処理後の休息を必要とする彼らがリラックスするために造ってくれたようなものだ――バカもその意図に反して何かの役に立つこともある。もちろん、セデイターたちから見ての話で、無駄に使われた予算は返ってはこない。
さて、ナユカを引き連れて逃げるようにこの場へ来てしまったリンディだが、本日は利用者がまったくいないようで、片手で両開きの扉を開けようとしてもロックされていて開かない。
「なんだ、閉まってるじゃない。……しょうがない、ミレットを待つかぁ」ここで案内人は、連れと腕を組んだままだったことに今さらながら気づく。「あ。そうだった」
リンディが腕を解こうとしたので、ナユカも腕を緩める。
「あ。はい」
「なんか引っ張りまわしちゃったね」
組んでいた右腕をぐるぐる回す連行者。
「いえいえ」
「先に来ちゃったけど、意味なかったなぁ」
「そうでもないですよ」
腕を組んで歩き回るのは、なんだか楽しかった。
「え? なんで?」
「えーと……まぁ、ちょっと……」
理由を答えずに、にこにこするナユカ。
「……変なの」
なんかわからないけど、機嫌が良さそうだからいいか。それにしても、疲れているはずなのに、ほんとタフだな、この娘は……。リンディから笑みがこぼれる。やっぱり異世界人だからなのだろうか、それともただ単に純粋に体力があるだけ? まぁ、ぐったりされているよりは何倍もいいや。
そのリンディはといえば、肉体的には疲れているものの、セデイト時に特殊な方法を採ったため、魔力、すなわち魔法元素も大量に摂取しており、その影響で疲弊した精神力は通常レベルにまで回復している。瘴気のほうはすでに体内から除去してしまったため、セデイト直後のような両要素によるアップダウンのようなものはなく、気力の面は極めて良好。ただ、こういったときは逆に体に負担がかかるため、自重が必要だ――その点は、セデイターも自覚している。気持ちを落ち着けて後続を待つことにしよう……。
と、冷静な判断を下したところ、待つというほどもなく、ミレットとフィリスが現れた。
「遅いじゃない、ミレット」
「やはりこちらでしたか」先に来た人間なら誰でも言いそうな、お決まりの非難を向けてきたリンディに、冷静に対応する課長秘書。「今、お開けします」
認証キーによってドアのロックを外したミレットは自ら扉を開き、自分が先に入って利用者たちを割り当てられた部屋へと先導する。ドアを開けたまま先に宿泊客を通したりしないのは、さすがに役所の人間であって、ホテルのスタッフとは役割の違うところ。
「リンディさんとユーカさんはこちら、フィリスさんはこちらの部屋になります」
ミレットは、最奥の向かい合わせの部屋を指し示してから、両部屋のロックを外し、それぞれのドアを開ける。最奥なので、やはり、他に誰も宿泊していない。
何度も利用して勝手知ったるセデイターは、指示された部屋にさっさと入り、ナユカを招き入れる。予想以上に立派な部屋に異邦人が驚いているのを尻目に、フィリスはミレットの許可を得てから自分に割り当てられた部屋へ。それは、ナユカの反応も当然と思われるような部屋であり、贅沢さとは一線を引いているヒーラーには、文句の付けようもない。逆に、この立派な二人部屋にひとりで泊まるということに、そこはかとない寂寥感を感じてしまう。
「あの、ミレットさんはどちらに泊るんですか?」
秘書も今日は魔法省にて一夜をすごすと聞いていたフィリスの――できれば一緒に泊ってほしいという願望を込めた質問には、お堅いミレットなら当然のものが返ってくる。
「わたしは宿直室のほうにおりますので、御用があったらお呼びください」
「あの……できれば……」
「はい」
「いえ、なんでもありません」
すでに、この秘書のそのような特性を見て取っているフィリスは、自分の願望を直接伝えることは控えた。おそらくミレットは決して同室に泊ることはないだろうし、彼女の職業意識を尊重するなら、そのようなことは言わぬが花である。
「そうですか。では、お食事についてですが……」
ミレットの説明によれば、食事は外食か、魔法省内にある食堂か、いくつかある魔法省との契約店からのデリバリーということだ。いくら設備が豪華でも、この辺りは一流ホテルのようにはいかない。フィリスがどうしようか考えていると、リンディからお誘いがかかる。
「うちらはデリバリーにするけど、こっちで一緒に食べない?」
「はい。喜んで」
一も二もなくそれに乗っかるフィリス。今は、ひとりで食事するよりも何百倍もいい。
デリバリー用のメニューは各部屋に備え付けてあるので、三人はひとまずリンディたちの部屋に入ってメニューから注文するものを決め、ミレットに伝える。何度か魔法省契約店のデリバリーを利用したことのある食道楽は、メニューの読めない異邦人のみならず、初利用のはずのフィリスにも、料理の説明やお勧めの料理を教えていた。他のことはいざ知らず、こと食事に関しては明らかに面倒見がいい。
全員の注文を承ったミレットがいつごろ食事を持ってくるべきか聞くと、「お風呂入ってからだから、一時間後くらい」というリンディの答え。
「承知しました。では、ごゆっくりどうぞ」
簡潔な言葉とともに秘書は部屋を退出し、宿泊室のエリアからオフィスのほうへと戻ってゆく。
「では、後ほど……食事のときに来ますので……」
自分も入浴するので、フィリスは自室へと名残惜しげに去っていった。