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魔法世界のセデイター 2.異世界人の秘密と魔法省の騒動  作者: 七瀬 ノイド
三章 魔法省三日目(情報、民間療法、仕事)
19/58

3-7 フィリスの「弱点」

 リンディは足取り軽く、フィリスは重く、ナユカはその間と、縦列になった一行は順々にレストランへ入店する。

「わりといい感じでしょ、ここ。マスターに教えてもらったんだ」

 目前に迫るお食事タイムに浮き立つ食道楽。

「さっきの、あの人ですか?」

 異世界人がざっと見渡したところ、中はなんとなくあっちの世界の中華レストランぽい。スキンヘッドでマッチョな、あのマスターの雰囲気に合わなくもない。

「そう。意外でしょ」

「はあ」

 こっちの世界の人にとって何がどう「意外」なのかナユカにはわからず、生返事を返したところ、すでに食べることに意識が集中している食欲の化身は、応答は特に期待していないようで、店員のほうを向いている。

「三人ね」

 指で示された数を受け、ウエイトレスは三人を席へご案内。

 ちなみに、ここでは、手指による数字のジェスチャーは、小指、人差し指、中指、薬指、親指の順番に立てていく。すなわち、1と2と3があちらの文化とは違っており、ナユカの目には、1と2がかわいらしく映る。まだ見てはいないが、たとえば、あのスキンヘッドマッチョマスターが1を示すときに、小指を一本だけかわいく立てているのを想像すると、笑みがこぼれてしまう。


「何にしようかなー」

 着席したリンディが早速メニューを開いている傍ら、まだ字が読めない異邦人は、最後に席に座ったフィリスにメニューを渡す。いかにも自動的な所作で受け取った彼女は、心ここにあらずの様子でメニューを開き、上の空で見つめる。一方、読めないながらも、いちおうはメニューを開いてみたナユカは、レストランの内装を再度見回す。

「こういう感じのお店って多いんですか?」

「ん? あんまりないよ。ちょっと変わってるし」

 いろいろなレストランに入ったことのある食通にも、そんな印象だ。

「そうなんだ……」

「どうかした?」

「いえ、あっちの世界にはよくある感じなんで」

「へー、いいなぁ。味はどうなの?」

 それが問題である。内装より料理。リンディは、じつを取る女。少なくとも、食事に関しては。

「味は……わたしは好きですけど、ここのものと同じかどうかは……」

「ああ、そうだよね……そっちの料理も食べてみたいなぁ……」よだれをたらす、などということはないものの、口の中で「じゅる」くらいの音はした気がして、念のため口元にさっと触れてみた食いしん坊は、みっともない状態ではないことが確認できたので、ここの料理に再度フォーカス。「あ、メニュー読んであげる」


 食通の解説の下、ナユカは注文決定。結果的にふたりとも本日のスペシャルにする。残り一名にリンディが尋ねる。

「フィリスは決まった?」

 眼前のメニューに意識が向かないフィリスには、目に映ったメニューの内容が頭に入って来ず、まだなにも決まっていない。食道楽が先ほどから食べる気満々なのはわかっており、待たせるのも気が引けるので、こういう場にありがちな答えを返す。

「わたしも同じもので」

「……同じものって?」

 自分を見つめるリンディに、フィリスははっとする。

「……え?」

 実は、ふたりが何を注文したのかもわかっていない。そのことにこの食通は気づいているようだ……。

「ちゃんと自分で決めて」

 食事にこだわっているリンディとの関係性のためには、それをないがしろにするべきではないと気づいたフィリスは、あわててメニューを見直す。

「あ……えーと……」

「あわてないでいいよ」

 そう言いつつも、早くありつきたいので、少しはあわてて欲しい食道楽。

「す、すみません……」

 フィリスが今度こそしっかりと注文を確定したため、リンディがウエイトレスを呼んでオーダー。


「ちょっと上の空になっちゃって……すみません」

 ようやくフィリスが地上に戻ってきた。そこで、ナユカがごく当たり前の建設的意見を述べる。

「いいじゃない、また会いに行けば」

「そうなんだけど、そうじゃなくって……」もはやばればれの原因を誤魔化す必要などないにもかかわらず、フィリスの返答は不明瞭だ。「つまり、わたし自身の問題というか……」

 ナユカの顔にはてなマークが浮かんだので、リンディが提案。

「なんか複雑っぽいね。それ、食後にしよう。空腹だとネガティブになるし」

 気を回しているのか、あくまでも食事が優先なのか、わからないが……。

「そうします……」

 フィリスが同意したので、興味に任せて話を進めたいナユカは自制するしかない。食事中は面倒な話はしないというリンディのポリシーもあるし……。しかし、そちらの話を断念したところで、とある余計なことを思い出した。

「そういえば、さっき何も買わなかったんだね」

「あ」医師は口の前に手のひらを被せ、視線を落とす。「ああ……」

 異世界人をちらっと横目で見てから、リンディはフィリスを取り成す。

「まぁ、いいじゃない。その前にたくさん買ったし」

「そ……そうですよ。また行けば……あ」

 蒸し返しそうになったナユカを、食道楽がひじで軽く小突く。……そのことには今触れるなということ。今、深刻になられても困る……もうすぐ料理がやってくる。

「ところでさぁ……薬草って意外においしいのあるよね」

 ガラッと無理矢理な話題転換をしたリンディは、フィリスの説明癖を喚起すべく、薬草の味や香りについて質問を浴びせる。最初、ヒーラーはぽつりぽつりと答えていたが、食事が運ばれてくるころには次第に解説に興が乗り、ほぼいつもの状態に戻っていった。食事中は、いつものように、例の話を含めた深刻な話題を避けて雑談に終始し、ゆったりと食事を終えた。


「いいですか? さっきの話」

 食後、一息ついたので、フィリスの恋話を再開したいナユカは、いちおうリンディに許可を求めた。はたして、この手の話をこの「花より団子」は興味を持つのだろうか……。煩わしいと思っているのなら、自分が後でフィリスとふたりで話せばいいとはいえ、早いところこの話をしたい。なんだかんだあって、今は吹っ切れているものの、一週間ほど前には傷心を抱えていた異世界人は、まだこの手の話にはセンシティブだ。

「あたしは、どっちでも」

 お茶を飲みながら、くつろいでいるリンディ。見立てどおり、恋愛脳ではなさそう。

「あの……話してくれる? ここでいやなら後でもいいけど……」

 言葉とは裏腹、すぐ聞きたいナユカに促されたフィリス。

「いえ、話す。今、話すから」

「……うん」

 控えめな相槌を偽装しつつも、心中、ナユカはぐっと食いついた。ばれないように軽く握られた拳はガッツポーズ。一方、リンディは特に反応せず、黙ってお茶を飲んでいるだけ。

 そして、いよいよフィリスが口を割るときが来た……。しかし、下を向いてためらっている。

「実は、わたし……その……」

「なに?」

 待ちきれないナユカ……言いよどむ本人。

「えーと、あの……」

「一気にいこう」

 意外にもリンディからの後押し。興味が出てきたか、単にじれったいのか……。

「その……つまり……」躊躇しつつも意を決し、下を向いたままで、ようやく声を絞り出す。「弱いんです……」

「弱い? 何に?」

 ナユカが耳を傾けて尋ねたところ、フィリスはふっと前を向いて声を張り上げる。

「イケメン!」

 前のめりだったナユカは、仰天してガード体勢。リンディは、目を見開く。周囲の視線はここへ……。少しの沈黙のあと、固化が解けた異世界人はガード解除し、抑えた声で、手のひらを下に向けるジェスチャー。

「声、声」

「あ……」

 赤面したフィリスは、両手で顔を覆う。その正面、実はその「専門用語」の意味を知らない異邦人が、小声でリンディに尋ねる。

「『イケメン』ってなんですか?」

「……顔がいい」つぶやいてから、リンディはフィリスに……確認。「えーと……そうなの?」

「はい……。それから、実は……」フィリスは、今度も視線を落としたまま、小さな声でもごもごと告白。「……にも……弱いんです」

「え? 何?」

 聞き取れなかったリンディに、フィリスが向き直る。

「筋肉!」つい大声が出てしまった告白者の目に、声を抑えろというナユカのジェスチャーが映り、「……です」は小声に。

 リアクションに困ったリンディは、無表情な声を出すだけ。

「それはそれは……」

「そうなんだ……」

 二度ほどうなずいたスポーツ女子。そこへ告白の追加が。

「あともう一つ……」

「まだあるの?」

 さすがに、リンディも呆れ気味。対する当人は、今度は多少視線は下向きでも、落ち着いて言葉にする。

「礼儀正しい人に弱くって……」

「あ、普通だ」ナユカは胸を撫で下ろす。「一時はどうなることかと……」

「まぁ、そうだね」

 どことなくがっかりしているリンディ。

「……つまり、全部当てはまると」

 ナユカの指摘に、リンディは納得。

「ああ、そういうことね」

「そうなんです……。もう、どうしたらいいか……」

 憔悴するフィリスに、お手上げのセデイター。

「どうしたら、ね」

 異世界人は、とりあえず常套策を提案。

「……まずは食事に誘うとか」

「ああ、それはいいね」

 食道楽の同意は……おそらく、意味が違う。

「無理です」

 即時却下したフィリスを、ナユカが諭す。

「でも、それじゃ始まらないよ」

「いいの」

 受け流す当事者。

「そりゃ、一目惚れだから難しいけど……」異邦人は、なおも諭そうとする。「なにかしないと恋は……」

 言いかけたところで、当人がぼそっと割り込む。

「わかってない」

「ん?」

 気が散り始めていたリンディが改めてフィリスを見ると、視線の対象は声を低くして口走る。

「これは恋なんかじゃない」

「え? でも……」

 ナユカは戸惑いを隠せない。いきなり何を……? それを否定するなんて……ここまでの話ではそれしかないはず……。すると、ついにフィリスが決定的なワードを発動する。

「これはただの……」ためて、一気に声を放つ。「欲情です!」

「おっと」

 リンディは声には驚いたものの、その単語についてはそれほどではない。むしろ、なにか合点が行ったような……。普通の女子は口にしないだろうが、メンタルヘルスも手がけている医者だけに、ある意味冷静な分析なのかもしれない。

 一方、フィリスによる三度目のシャウトに唖然としている異邦人には、「欲情」の意味がわからない。ただ、その前の二度から察するに、大声で放たれるべき単語ではないことはわかる。そして、フィリスはナユカの前提を再度はっきり否定する。

「言ったでしょ、『弱い』って。……単純に弱いんです。恋じゃない」

「なるほど」

 その説明は、リンディには受け入れられるもの。しかし、ナユカには意味不明につき、飲み込み不能。

「だって……」

「一つでも弱いのに、今回は三つです。三倍です。トリプルです」

 フィリスは「3」を三回唱えると、頭をテーブルに突っ伏す。脳内が恋という前提だったため、思考の土台を失ってしまったナユカは、テーブル上の当事者を見ながら、再度、元の脳内前提に基づいて立て直しを図り、なんとか言葉にしてみる。

「そ、そんな恋もあるんじゃないかなー」

 頭の上から耳に入ってきたナユカの声で、頭だけを起こしたフィリスは、発言者を上目使いで見る。あり合わせの発言、というのがばればれだ。

「ありません」言下に否定。「わたしは、よく知らない相手の外側に反応しただけ。だから『欲情』」

 対して、リンディは実も蓋もない。

「別に欲情でいいじゃない。それで問題あるの」

「あります。恋愛じゃないとステディな関係にはなれません」

 いまだテーブルに伏せたままのフィリスの発言により、ナユカには、なんとなくその本意がわかってきたような気がした。いまだクリティカルな単語は理解していないものの、それでも、どうにか、恋愛観の崩壊は免れたようだ。一方、リンディにはそんな「観」がないようで……。

「順番が逆だからって、そうならないわけじゃないでしょ?」

「あ」いままでの会話から、異邦人はなんとなく「ヨクジョウ」の意味が推測できた。それが正しいなら、自分の恋愛観を守るためにも、ここは反論しなければならない。そんな使命感に燃えたナユカが、フィリスに代わって断言する。「その順番が重要なんです」

「わざわざ遠回りしなくてもねぇ……。手間かかるし」

「そういう問題では……。ていうか、リンディさんは……」手間をかけないタイプなのか……と思ったが、どうもただの恋愛音痴のように思えるので、追求するのはやめておく。「まぁ……いいです」

「とにかく、先に進めたいと思うなら、あいつに対してアクションを起こすことだね。進めたくなければ……フィリスは、あそこには行かないほうがいい」

 リンディからの意外にも適切なアドバイスが耳に届き、当事者は突っ伏した頭をゆっくり上げて、居住まいを正す。

「はい。そうですね、そのとおりです」

 ナユカのように「恋愛相談」には乗らず、そこをほぼ無視して、単に本人の意思確認を促したことが効を奏したということだろう。


 こうして、結局はリンディがフィリスを納得させたので、ナユカの中に、もしかするとこのブロンド美女は恋愛音痴などではなく、恋愛についてすごくわかっているのかもしれないという可能性が浮上してきた。どうあっても、そうは思えないのに……。でも、考えてみれば、そもそも自分の恋愛観なんて……。この世界に来る直前の出来事を思い出すと、やはり少しだけ胸がちくちく痛む。なんだか自信がなくなった……。

「はぁ……」

「どうしたの?」

 もしかしたら恋愛マスターと崇めなければならない人が、弟子入りしなければならないかもしれない異邦人を見る。

「いえ、ちょっと……」そういえば、はっきりさせるべきことがあった。……なにもかも、この言葉のせいだ。「あの……『ヨクジョウ』ってどういう意味ですか?」

「……それを、あたしが説明するわけ? あー」少し間が空く。「……フィリスどうぞ」

「今、わたしにそれを説明させないでください」

 そりゃ、当事者としてはそうだろうな……。

「じゃ、まぁ……後でね」とはいえ、リンディ自身で説明する気はない。やっぱり本人にやってもらおう……。「それにしても、よくあいつに対してそんなもの抱いたね……。ちょっと考えられない」

「はぁ? どうしてですか?」当人としては、なんか失礼に感じる。「あれだけ三拍子揃ってるんですよ」

「考えられなくはないですよね……」

 受付氏を思い浮かべるにつけ、ナユカにとってもそれなりに魅力的な三点を、リンディが確認のため列挙する。

「確かに揃ってるけどさ……『イケメン』、『マッチョ』、『紳士』だっけ?」

「ええ……」

 改めて人に言われると、我ながら恥ずかしい……。しかし、そんなフィリスの気持ちはリンディに吹き飛ばされる。

「でも、あれだよ、あれ。ごつくて、スキンヘッドで、ひげも生えてて……」

「はい?」

 なにを言っているか認識できない当人……そして、驚くナユカ。

「…えっ? 本当にそっちなの?」

 あの店で言っていた「話し足りない」相手って……。異世界の美意識はわからない……。

「そっち?」もうひとりは、リンディの認識にはない。「だから、マスターでしょ?」

「……なんのことですか?」

 自分の感性を遥かに超えていて、フィリスには意味がわからない。

「いや、だから……」こういう表現を「あれ」に対してあまりしたくないが、聞かれたからには言わずばなるまい。「欲情の対象」

「誰の?」

 それでもまだ、フィリスは認識できない。

「誰って……それはもちろん……」

 リンディは質問した本人を指差す。そして、しばしの沈黙……。

「はあっ? なに言ってんのっ?」

 ようやく理解したフィリスは、驚きと怒りでため口になった。その矛先は気圧される。

「……だって……イケメンマッチョ紳士……」

「受付! 受付のケイル! ケイル様!」

 シャウトした名前はケイルだ。

「あ、あー……」リンディは名前を……どうにか思い出した。「それなー」

「だよねー」ほっとするナユカ――二つの点で。フィリスの趣味がまとも、かつ、リンディがやっぱり恋愛音痴で……。「よかった」

「まったくもう……なんでわたしがあんなの……」

 フィリスは、ぶつぶつつぶやいて文句たらたら。それに対し、リンディもぼそぼそと反論。

「条件にあってると思うけどなー。マッチョだし、あれはあれで礼儀正しいし、顔もそれなりで……」

「確かに、顔自体はきりっとしてますよね……頭とひげの印象が勝ってますけど……」

 ナユカからある程度の同意を得て、リンディが水を得る。

「そうだよね! ほら、あたしの見立ては間違ってない」

「あー、そうですか」フィリスは、若干けんか腰。「それなら、わたしも条件を増やします。『スキンヘッドとひげは除く』」

「……最初からそう言ってくれれば、誤解はなかったんだよね……うん」

 これ見よがしにうなずく恋愛音痴。そういう問題でもないと思うナユカだが、これ以上こじれると面倒なので余計なことは言わずに、収拾を図る。

「……とにかく、いろいろとはっきりしたし……この話はまた今度ということで……」

 両者とも、うなずいて同意。一時的にでもこの話のけりはついたため、しばらくおとなしくして気持ちを静めてから、三人はレストランを後にし、本部への帰途についた。店内の客に「イケメン」、「マッチョ」、「欲情」という三つの強力な単語を残して。




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