3-6 マッサージ店
リンディ、ナユカ、フィリスの三人が次に向かったマッサージ店は、自然食品店からそう遠くなく、案内人の気分のせいでゆっくり歩いてきたにもかかわらず、十五分とかからず到着できた。ここは、繁華街の端のほう、いわゆる場末に位置している。とはいえ、そういうところにありがちないかがわしい店では、まったくない。むしろ、健全すぎるほどである。
着くまでにリンディが話した情報によれば、マッサージのみならず整体などの各種療法をも手がけており、独自の湿布薬や一風変わった薬草系飲み薬なども販売している。店長はマッチョなスキンヘッドのごつい男で、ヒーラーの能力もあり、本人は特に口に出さないものの、医療資格も持っているらしい。そして、案内人はなぜか気に入られている……明らかに恋愛的な意味ではなく。
三階建ての建物の最上階にある店内に入ると、まずは販売スペースがあり、受付もそこにある。
「こんにちは。マスターいる?」
入店してきた顔見知りのリンディから声をかけられた受付係は、ここのスタンダードともいえるマッチョであり、追加属性としてイケメンでもある。
「いらっしゃいませ、リンディ様」受付台の後ろで礼儀正しくお辞儀をする受付氏。「申し訳ありませんが、ただ今、マスターは治療に当たっております」
「なら、いいや。ちょっと彼女が……」フィリスを指す。「商品を見たいっていうから、適当に見てるね」
「はい、ごゆっくりどうぞ」イケメンマッチョはリンディから視線を移し、ヒーラーをまっすぐ見る。「ご質問がありましたら、何なりとどうぞ。オリジナルのものが多いですので」
「はいっ、ありがとうございます」心なしか上ずった声でフィリスが返事したのを耳にして、くすっと笑ったナユカに、当人が気づく。「な、何?」
「別にぃ」
ナユカはあさっての方向へ目をそらす。そんな仕草をちらっと見たフィリスは、しずしずと陳列棚へ近づき、商品を見始める。そして、その姿を、ナユカは遠巻きに見やる……。一方、そんなふたりのことは気にも留めずに、リンディは適当にその辺のものを手に取っている。
「あの、すみません」
受付の前に戻ってきたフィリスの顔は、上気気味。
「はい。何でしょう」
「あの……あれについてですが……」
商品のある陳列棚を指差している医師……。トーン高め。
「はい、そちらは……」
受付台の後ろから出てきたイケメンマッチョは、フィリスに誘導されて陳列棚の前に立ち、商品の説明を始める。それを聞きながらも、ヒーラーの瞳は受付の横顔に釘付け。すると、ナユカが離れているリンディへ近寄る。
「わかります?」
遠巻きに見ている視線の先をたどっても、ささやかれた方はいまいちピンと来ない。
「……フィリスが、どうかした?」
「ほら、顔が真っ赤」
ナユカの指摘どおり、フィリスの顔面は火を噴いているようだ。
「ほんとだ。何で?」
リンディの鈍さに……焦れる。
「……だ・か・ら」
「は?」
一声発してから、セデイターは無言でじっと観察。病気というわけではなさそうだけど……。
「もう」
異世界人は呆れる。鈍すぎないか、この人は……。フィリスではなく、そんな隣の反応を見て、リンディはようやくわかってきた。
「あー、もしかして……そういうこと?」
「わかりました?」
「うん……まぁ、なんとなく……言いたいことは」色恋沙汰と。「でも、ちょっと早すぎるでしょ」
「そういうこともあるんです」
やけにきっぱりと言い切ったナユカに、懐疑的な視線を向ける。
「そうなの?」
「そうなんです」
異邦人はダメ押しのごとく断言したが……リンディにはよくわからない。わからないから、いちおう納得してみせる。
「……ふーん」
そんな折、張りのある声が店内に響き渡る。
「おお、リンディ君じゃないか」件のスキンヘッドでマッチョなマスターが、奥から登場。「よく来た」
君付けのブロンド美女が、軽く手を挙げる。
「やあ、マスター。治療、終わったの?」
「おう。完璧に終わらせた」
どちらかというと、人ひとりどうにかしたような……。そんな印象を持ったナユカの心情を知る由もなく、リンディはその実力を保証する。
「腕は確かだよ」
「もちろんだ。で、今日はどうした?」
無駄な謙遜はしないマスター。自信あってこその、治療ということか。
「今日は、あたしは付き添い」
「そうか。では、そちらのお嬢さんかな? リンディ君の紹介ならいつでも歓迎だ」
ナユカは半歩後ずさりする。治療で終わらせられてしまったらどうしよう……。
「わたしじゃないです、わたしもそうですけど」
わかりにくい答え方だが……つまりは、自分の用じゃないけど、自分も付き添いだと。
「ちょっと、怖がってるじゃない。見かけ怖いんだから気をつけてよ」
リンディから注意を受け、マスターは言葉と声を和らげる。
「失礼しました。お嬢さん」
「あたしには、お嬢さんなんて言わないくせに」小声でさらっと愚痴ってから、ブロンド美女は商品棚の前にいるフィリスを指差す。「用があるのは、あっち」
マスターはそちらを向く。
「ふむ」
「彼女、医療資格ダブルAの上級医師で凄腕のヒーラーなんだけど、非魔法系の治療もする必要があるので、連れてきたわけ」
「ほう」
離れたところからのリンディの紹介に、マスターは興味を示す。
「フィリス、ちょっと来て」声を上げて呼んだものの、当人は受付との会話に夢中で気づかない……。もう一度呼んでみる。「フィリスーぅ」
すると、代わりにイケメン受付マッチョ氏が気づく。
「あの、リンディ様がお呼びですよ」
「え? あ、はい。すみません」
あわてて、やって来るフィリス。
「こちらが今話したヒーラーのフィリス。で、この怖そうなのが、ここのマスターのチェ=グー」まず、相互に紹介し、共にフルネームでの挨拶をし終わってから、リンディが付け足す。「マスターは正規の医師なんだ。あまり言いたがらないけど」
「そうなんですね。薬の種類が絶妙なので、そうではないかと思っていました」
いわゆる「何でも薬」のようなものはなく、適切に症状を分類し、それに対して細やかに薬が用意されている。指摘した医師に、にっと笑いかけるマスター。
「専門の方には、気づかれてしまいますな」
「いえ、わたしはこの分野では専門ではなくて……」
非魔法系医療のことを指している。
「しかし、根本のところでは同じでしょう」
「非魔法系でも、特定の症状には特定の薬ということでしょうか」
「そのとおり。本来の薬効を無視した『何にでも効く薬』は、結局、何に使っても『効かない薬』になってしまう」
「なるほど。ということは、やはり……」
……などと、医師同士が専門分野について語り合っているところへ、近寄ってきた受付氏からお呼びがかかる。
「お話のところ申し訳ありません。次の患者さんがいらっしゃいました、マスター」
声に振り返ったフィリスの目は、イケメン受付にロック。
「はい、わかった」軽く手で合図したチェ=グーは、辞去を申し出る。「申し訳ないが、みなさん、今はこれにて」
遠慮がなさそうに振舞っていたリンディが、それなりに気を遣った言葉を口にする。
「忙しいところ、邪魔しちゃったね」
「いやいや、ゆっくりしていってくれ。お嬢さんたちもごゆるりと」
言い残して、マスターはマッサージ用の個室へ去ってゆく。
「……て、言ってるけど、今日はもう疲れた。そろそろ帰らない?」
リンディの提案に対し、フィリスは歯切れが悪い。
「え? ああ……はい……」
「まだ話し足りない?」
まだ名前も知らない受付氏についてナユカが鎌をかけたところ、上の空で自動的に肯定。
「あ、うん……」
「ふーん、そうなんだ……やっぱり」
ナユカの声をやっと認識した本人は、いまさらあわてる。
「……え? え、そんな」
「また来ればいいでしょ?」
道案内したリンディにとっては、それだけのこと。しかし、フィリスは視線を落としてもじもじする。
「そ、それは……でも……」
「……そんなに話したいわけ?」
呆れ気味のリンディ。
「それはそうで……」
割り込んだナユカが「しょう?」と続ける前に……聞いた本人が答える。
「マスターと」
「は?」
顔を上げたフィリスが、唖然とする。ナユカはがっくり。
「あのねぇ……」
「ま、なんでもいいよ」
リンディが焦れてきているのを察したナユカは、気を取り直してフィリスを諭す。
「また来ようよ。今日はこれから……」
口実を考える間もなく、先のセンテンスを終わらせるのは食道楽。
「ご飯食べにいく」
これが、焦れている理由。まだ夕食には少し早めの時間だが、今日はせっかく街に出てきたので、デリバリーではない夕食をとりたい。昼食は外食だったとはいえ、昼は昼だ。今晩はきっちりとレストランで食べる――これはすでに決定事項。
「そう。だから、今日はこれで……」
乗じたナユカの取り成しで、どうにかフィリスが吹っ切る。
「……わかりました。帰りましょう」
「じゃ、行こう」やっと決断を聞くことができた食い意地は、さっさと出口に向かい、当の受付に一声かけてゆく。「今日はこれで帰るね。マスターによろしく。近いうちまた来るから」
そのまま店を先に出て行ったリンディを追わずに、受付前で立ち止まったフィリスは、名残惜しげにイケメンマッチョ氏をじっと見つめる。
「今日はありがとうございました。また来ますので、あの……」
これは長くなりそうだという予感がしたナユカは、受付に会釈しつつ、停止中の背中を後ろから両手で軽く押す。
「お邪魔しました」
「さようなら……」
受付氏を肩越しに見やって、か細く声を出したフィリスは、しぶしぶ前へ進み……ようやく店の外へ……。
店を出ると、今度はフィリスが、先ほどのリンディのように「はぁ」とため息をつき、脱力。ナユカはそれを見て苦笑する。
「なに食べようか……」前を歩く食道楽の心は、元より食事のほうにある。「昨日はあれ食べたから……そうだ。この近くにいいとこあるんだ。そこ行こう」
「あ、はい」
たいていのものは抵抗なく食べられるこの異邦人に反論はない。一方、そちらの方面に意識が向かっていないフィリスは、ただついて来るのみ。ナユカはリンディの隣に並び、振り返る。しっかり歩いてはいるようだけど……。
「大丈夫でしょうか?」
「疲れたんでしょ? 食べれば治るよ」
食い意地の適当すぎるご意見に対し、当然、ナユカには疑義がある。
「いえ、そういうことではなく……」
「あ。あそこ、あそこ」食通は、前方にある店を指差している。「この時間はスペシャルメニューとかあったかなぁ?」
完全に食事モード。恋話などに意識が向かう余地はない。
「はぁ」
本日、三人目のため息。ナユカの中で、リンディの恋愛音痴は確定した。




