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魔法世界のセデイター 2.異世界人の秘密と魔法省の騒動  作者: 七瀬 ノイド
二章 魔法省二日目(映像、記憶遡行、検査)
12/58

2-8 説教、贅肉、呼び名

「あの……ニーナのことですが……」

 食事が来るまでの間に、フィリスにはリンディに言っておくべきことがあった。

「え? あ、うん」

 自分がセデイトした……というかボコられたあの魔導士のことは、正直あまり思い出したくない。

「改めて、この度は本当にありがとうございました。それから、ひどい怪我をさせて申し訳ありませんでした」

 本人に立ち代り、その監視役にして友人のフィリスが謝意を表した。

「あー……まぁ、仕事なので……気にしないで」

「それで……その件でニーナを告訴されるのであれば、わたしに遠慮しないでください。彼女はそれだけのことをしたので」

 傷害罪での告訴――殺人未遂もあり得る。

「……まぁ、遠慮はしないけど……告訴もしない。怪我はフィリスに治してもらったし……面倒だから」

 それにも増して、セデイターとしてみっともないから。あれだけやられたというのは……できれば、記憶から消したいくらい。……もう、あの件には関わりたくない。

「そうですか……。でも、気が変わったときには、遠慮せずお願いします」

「……わかった」

 気遣いはうれしいけど、変わらないと思う……。

「……ところで、リンディさんの体調はどうですか? サンドラさんも心配されていて……」

「ああ、サンディがね。はいはい」

 ここは、適当にあしらおうというセデイター。

「それで……夕食前に言うように頼まれたので、言いますね」

 課長からフィリスへの依頼だ。

「……なにを?」

「では、始めます」医師は息を吸う。「……セデイト後の瘴気処理を終えても、それでいいわけではありません。次まではある程度のインターバルを開けて、十分な休息をとることが必要です。一言でいうなら、無理をしないということです」

 そんなことは医者にまくし立てられなくても、セデイトの専門家として重々わかっている……とはいえ、実際、今回のセデイト二件はほとんどインターバルが空いていないし、二件目など無理もいいところだ。一件目の後処理も問題あり。ばれてないからいいようなものの……。自身の反省もあって、いちおうは聞く。

「うん……まぁ……」

「それから……」

 セデイターの健康管理について、「医師による説明」という、課長依頼のお説教が始まる。夕食待ちの時間を狙い撃ちされたため、逃げ出すこともできない。そして、これはあくまでも説明であり、それをしているのはまだ微妙な距離感のフィリス――そのよどみなく切れ目のない説明には、話を切り上げさせる隙もない。どうやら、この医者は説明好きのようで、若干高揚しているのが見て取れる……。どうやって停止させたらいいのだろう……。

 押され気味に聞いているリンディを傍らで見るにつけ、ナユカに笑いが込み上げてくる……と、そこへ、助けて欲しそうな視線が本人から送られる。その、そこはかとなく憂いを秘めた表情を目にすれば、なんとかしてあげようかという仏心も涌いてきた……。とはいえ、これまでの経緯を思い返すと、ナユカはあえてこの「説教」をこのまま受けさせたほうがいいという考えに至り、用事がある素振りをして流し台のほうへ離れることにした。そのまま誤魔化しながら、ふたりの視線と直接交わらないダイニングテーブルの席に着いて、遠巻きに両者をちらちらと見る。

 やがてフィリスの長々しい「説明」も終わり、ぐったり気味のリンディは、自分のカップを片付けにキッチンシンクへ。無言のまま片付けた後、去り際にナユカの横を「来たら起こして……」とつぶやいて通り過ぎ、ベッドルームへ去っていった。

 そのままセデイターが不貞寝してからしばらくして、デリバリーの夕食が運ばれてきた。これでリンディのご機嫌も直れば……と、フィリスは淡い期待を抱いたが、すでに彼女をよく知るナユカのそれは淡いものではなく、確信であった。食事とくれば、この食道楽の意識は、すぐにそちらに切り替わる……。そのとおりに、呼ばれて顔を見せたときには、すでにご不興の影もない。彼女の食への執心には、すべての鬱憤を無に帰す機能が付いているらしい。


 夕食後、機嫌を直したリンディに先んじて、さきほどの「約束」どおり、ナユカとフィリスは一緒にバスルームへ。

「見てください、なにもないでしょう?」

 脱衣所にて、腹部を出した異世界人は、フィリスへと向ける。

「ないですね……ほんとに」

 医師は、じっと見ている……。

「え? まさか、本当にあると思ってたとか?」

 驚くナユカ。それとも、もしかして冗談?

「こんなに、ないなんて……」

 観察者は、眉間にしわを寄せて、さらにじっくり見つめる。

「な……なにか変ですか?」

 異世界人は、逆に不安になる。からかっているのではないようだけど……まさか、生えているのが、こちらの人には普通とか? その疑惑を、フィリスが強化する。

「これは……おかしいです……ふつう、少しはあるものでしょう?」

「そ、そんな……」あせったナユカは、確かめようと、自分とフィリスの腹部を交互に見比べる。「なにもないじゃないですか」

 観察者には、観察対象の視線など目に入ってこない。見ているのは、腹のみ。

「そうなんですよ……どうしてですか? それって不自然です!」

 興奮気味の医者に、異世界人は困惑。

「不自然? どういう意味……」

「だって、わたしなんか、これですよ! ほら!」

 問いを意に介さず、フィリスは自分のウエストをぐっとつかむ。手の中にあるのは……。

「え? はい?」

 なんのことかナユカにはわからない。

「それなのに、どうしてユーカさんは……」

 自分の腹部をつかんだままの医師は、再び異世界人のウエストに視線を向ける。

「あ、あの……」

 当惑している観察対象の腹部中央を、フィリスはおもむろにつかもうとする……が、つかめない。つかむところがない。

「ほら、やっぱり」

 観察者は、ナユカのウエストに手を置いたまま。

「えーと……」

 このお医者さんは、いったい何を調べようとしているのだろう……わけがわからない。まさか、なにかとんでもないことが……。ナユカの脳裏を不安がよぎる――なんといっても異世界だ。自分のまったく知らない何かが……。

「どうすれば、そうなるんですか? 教えてください!」

 意味不明な医師の質問……。異世界人の困惑は続く。

「そうなる? いったいなんのことを……」

「お腹です! こんなに……なくして……」

 フィリスは、ナユカの腹部に置いてあった手をさするように動かす。

「ない……な、なにが?」

「全然ないじゃないですか! 見てください、わたしなんか、こうですよ!」

 再び、フィリスは自分の腹部をつかむ。つかんでいるものは……余分なもの。その姿……あられもない。

「え? あ!」やっと意味がわかった。「それはちょっと……やめたほうが……」

 スレンダーボディのご指摘のとおり。つかんでいる自分でも、その部位を目の当たりにすると情けなくなり、手を離してそれを解放する。

「……失礼しました」

「いえ、そんな……」ナユカはフィリスがつかんでいた部分に目をやる。「普通だと思いますけど……」

 どっぷりと例のものがついているなどということはなく、ナユカの見立てでは、標準レベル。しかし、比較対象が目の前にあるフィリスには、そうは見えない。己が目にはいつもの数割増しに映り、心なしか震える指で、眼前のスレンダーなウエストをゆっくり指差す。

「普通なんかじゃないです。だって……」

 その指の指し示すところには、贅肉などまったくない。

「……これは……その……そうですねぇ……」どう反応すればいい……? 思い返せば、昨夜のリンディも、自分に対してそうだったのだろうか? そして、今夜はナユカの番。「これは……筋肉ですから」

 しかたなく、昨晩同じ場所で発したような単語を、スレンダー娘は再び口にした。ただし、今晩冷静なのは自分のほう。

「ええ、そうですよね……」実際、うっすらと割れているのがわかる。「そうでしょうとも」

 ひがみっぽくなっている贅肉持ちに、シックスパッカーは他意なく素直な直球を投じる。「はい。鍛えた結果です」

 天然の脳筋ともいえる相手から直言されれば、さすがに己の不摂生と鍛錬不足に目を向けざるを得ない……。医師は力を落とす。

「そうですよね……そうでしょう……」

「あの……大丈夫ですか?」

「……やりますよ、わたしは」脱力していたフィリスは力を入れなおし、ひじを腰に付けて両拳を握り締める。「見ててくださいね」

「あ、はい」

 なんか、どっかで見たような聞いたような……。しかし、言わんとしていることは、ナユカにはよくわかった……たとえ、部位は違っていても。


 脱衣所にて下着姿のまま、「約束」を果たしてから、ようやく本来入るべき場所へ入ってすべきことをし終えると、けっこう時間が経っていた。やっとバスルームから出てきたふたりに、リンディが声をかける。

「ずいぶんゆっくりだったじゃない?」

 すると、ナユカとフィリスが交互に絶妙なタイミングで話す。

「あ、すいません」

「遅くなっちゃって」

「長かったですか?」

「待ちました?」

 ふたりで一文を完成させたように……妙に息が合っている。入浴前よりも打ち解けた雰囲気だ。

「別にそれはいいんだけど……」

 いったい何があったんだろう……。気になるリンディだが、仲がよくなったのなら問題ないとして、自分も入浴する準備を始めていると、ふたりの会話する声が聞こえてくる。

「ここに意識を集中すればいいんだっけ?」

「そうそう。力を入れたときにね」

 何の話? 魔法の発動法……じゃないよなぁ……教えてるのはユーカだし。黙って耳をそばだてるリンディ。

「これで、ほんとにユーカみたいになるのかなぁ」

「がんばってね、フィリリン」

 フィリリン? なにそれ? リンディの疑問も当然、言われた当人から突込みが入る。

「ちょっとやめて、それ」

「それじゃ、フィリたん」

「……フィリスでいいから」

 どうやら、呼び名の話らしい。そういえば、互いの話し方がいつの間にか砕けている。それで、呼び方も変えようってことなのだろう。それにしても「フィリたん」ねぇ……。どういうネーミング? リンディには異世界のセンスがよくわからない。

「でも、年上の人を呼び捨てにするのは、ちょっと」

 二つほど上だと、ナユカの育った環境では、それ相応に気になる。

「ほとんど変わらないじゃない」

 年上扱い、というのは、やはり気になるフィリス。

「でも、やっぱり……」呼び名なら抵抗のない異邦人は、対案を出す。「それなら、フィリフィリ……フィリぴょん」

 フィリピンか! 自分で言っておいて、心の中で突っ込んだ。

「……あのねぇ。じゃ、こっちもユカぽんって呼ぼうかな」フィリスのみならず、こっちの人には「ぴょん」は発音しにくい。「ナユナユがいいかなぁ……それとも、ユカたんとか」

 半島か! 言われて、心中で突っ込んだ。……言っても通じないし。

「『フィリぽん』と『ユカたん』ね、オッケー」

 にやにやして近づきながら、リンディが脇から口を挟んできた。

「それはちょっと……」

「却下で」

 ナユカとフィリス、両者からの駄目出し。自分たちで言ったくせに。

「ふたりとも、あだ名とかないの?」

 あればそれで手を打つのが一番いい。できれば変なのがいいな……。そしてたいていあだ名は変である。リンディの隠れた意図などわからないフィリスは、質問を建設的な提案と受け取って答える。

「わたしは特にないんですよね……。『フィリス』で十分呼びやすいからでしょうか。あるのは、少し短縮して『フィリ』くらいですね……。でも、そのままのほうがかえって呼びやすいかも」

「わたしは『ユーカ』です。今、呼ばれているとおりです」

 結論が出ました。しかし、面白みはまったくない。

「なんだそうなの……」残念がるリンディ。……まぁ、仕方ないか。投げやり気味に答える。「それなら、それでいいんじゃない?」

「でも、やっぱり……『フィリリン』が……」ナユカはそれがお気に入り。呼び捨てはしたくないし……。ここで、ふと思いついて軽く手を打つ。「あ、そうそう。リンディさんはどうします?」

「あたしは、そのままでいいんだけど」

 気を抜いたら、こっちに回ってきてしまった。現在進行している付け方から推察するに、妙なものになるのは必至。ゆえに、名前そのままが一番。とはいえ、実は、セレンディアにおいては、魔導士の家系であるリンディには隠し名があり、本来は「リンディ」自体が呼び名である。その名は伝統的に公にされるものではなく、公式的にも「リンディ」と登録されている。

「さっきの付け方だと、『リンリン』、『リンたん』、『リンぽん』」短時間で付け方を習得したフィリスから、やばいものがとんとんと出てきた。「もうひとつは繰り返しで……これも『リンリン』」

「あ」

 目を丸くするナユカ。

「これはまるで『リンリン』にしろというお告げのような……」

 フィリスによる好ましからざるご託宣に、リンディとしては全力で抗いたい。この呼び名はちょっと訳あり……。

「やめてくれる?」

「……うーん……リンディさんは、やっぱり『リンディさん』が一番合っているような……」

 最初に矛先を向けてきたナユカから意外な助け舟が来たが、本人は肩透かしを食らった気がする。

「そう?」

「そう……ですね。それがしっくりきます」

 同意したフィリスに、リンディはなんとなく不満げ。

「ふーん」

 妙なのはいやだが、何もつかないのもなんだか……。

「あ、つまり……リンディさんはお姉さんなので、そう呼ぶのがいいかなと」

 フィリスが苦し紛れに言い訳をしたところ、少しだけ年上の当人は、ふいに目を輝かせる。

「お姉さん?」

「え? ええ」意外なリアクションに驚き、うなずいてから、ナユカに振る。「……だよね?」

「そう。だからリンディさんは、『リンディさん』で」

 言いだしっぺであるナユカの、当初よりの言い分……それを聞いているのかいないのか、リンディにじわじわと微笑が浮かぶ。

「お姉さん……」小声でその響きに浸りつつ、あっさり承諾。「なら、いい……それで。……じゃ、お風呂入ってくるね」

 なぜか上機嫌で、バスルームへ消えていった。


 リンディを目で見送ってから、フィリスが指摘する。

「なんか、『お姉さん』って言葉に反応してた」

「……そういえば、お姉さんがいるって」

 昨日、ナユカは入浴前に本人から聞いた。

「ふーん。そうなんだ……なるほどね……」

 なにか合点がいったかのようなフィリスに、ナユカが尋ねる。

「なんのこと?」

「あ。その……なんか……実際は、妹っぽいと思って」

「ふーん。そうなのかなぁ」姉妹のいない異邦人には、その「ぼさ」がいまいちよくわからない。「フィリたんには妹いるの?」

「わたしには……あ!」気づいた。「今、『フィリたん』って言ったでしょ」

「なんのこと?」

「言ったよね?」

「……言った」

 一度はしらばっくれたナユカだが、フィリたんの追求に屈した。

「それとなく繰り返せば、いつの間にか慣れるっていう作戦でしょ」

「さすが、フィリたんは鋭いね」

「そうかなぁ……まぁ……よくある手だから」おだてられて少々照れつつも、また、なにか引っかかるものを感じる。「あれ、今……言った?」

「なんのこと?」

「言ったよね?」

「……言った」

 再度しらばっくれたナユカだが、再び追求に敗北。

「……そんなに『フィリたん』にしたい?」

「よくない?」

「せめて他のにしてくれる? フィリ……」ためらいながらも付け加える。「リンとか」

「わかった、それにする。『フィリリン』ね。決まり」

 間髪を入れず、命名者は勢いで決定を下した。

「別に、それにしてほしいわけじゃないんだけど……」そうつぶやいてはみたものの、それほどいやという感じはしない。「ま、いっか」

 というわけで、「フィリリン」に決まってしまった。

「あ、いいんだ。やった」

 ナユカは手を軽くポンと打つ。最初に嫌がられそうなのを出して、次にもう少しマイルドな対案を飲ませるという、心理学的によくある手だ。なかなかの策士……ただの天然ではなさそう……。

「……やられた」

 策にはまったフィリスに、新しい呼び名がついた。ナユカへの見方に、若干の修正を加えて。


 その頃、バスルームのリンディは、いまだ「お姉さん」という言葉の余韻に浸っていた。ニヤニヤしながら満足げに「お姉さんかぁ」などと口にしつつ、「うふふ」といつもは決してしないような、しとやかな笑い声を作る……。知っている人が耳にすれば、少々不気味に思うことだろう……。

 そうして、しばらく浴槽につかっていたリンディは、ふとナユカとフィリスの会話を思い出した。

「そういえば……なんで突然、接近してたんだろう」

 そのふたりの関係のこと。互いの間でのみ、口調も変わっていた。いわゆる「ため口」なのだが、それぞれ、どことなく妙なイントネーションである。フィリスもセレンディア出身ではないと聞いているので、双方ともセレンディー語のくだけた会話に慣れていないのだろう。

 彼女たちの距離が縮まったのは、バスルームで何かあったからだということは、リンディにも推測できるが、それ以上のことは、想像がつかない。それも、「腹」がきっかけという、しょうもないものなら、なおさらだろう。

「ま、あたしは『お姉さん』だから……うふふ」

 また、作ったような笑い声を発し、にやける「お姉さん」。その言葉が強力に作用して、疎外されたような気分など、生じる余地もない。細かいことは気にしないモードである。

 手足を伸ばして完全にリラックスしたセデイターは終始上機嫌で、心身ともにリフレッシュし、ゆったりと入浴を終えた。




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