2-6 休憩コーナー経由
「ねえ、ちょっと休んでかない? あそこで」ナユカと共に九課へと戻る途中のリンディが指差した先には、セルフサービスの休憩コーナー。「疲れたでしょ?」
「いえ、わたしは特に……。なにもしてませんし」
ほぼ診察台で座ったり寝転んだりしていただけ。魔法をかけられてもかからなかったが、自分が何をしたわけでもなく、何の負担もなかった。
「そう? ま、ちょっと、なんか飲んでこ」
「いいんですか? 先に戻ってなくて」
「いいの、いいの」
リンディは伸びをしながら、休憩コーナーへと舵を切る。ナユカは、いいのかな、と思いながらもついていく。
テーブルが三つほど置いてある小さな休憩所には、お湯用と冷水用のサーバー、そして、容器がいくつかあり、その中には丸い大き目のソフトキャンディのようなものが入っている。
「あたしはセレ茶にする」
この国特産の茶、その正式名は見も蓋もなく「セレンディー茶」を、リンディは好んでよく飲む。鎮静効果があり、セデイターには適した飲み物だ。彼女は、容器からそのキャンディ状のものをトングでつまんでカップに入れ、サーバーのボタンを押してお湯を注ぐ……すると、即席で琥珀色のお茶の出来上がり。魔法によってお茶になったのではなく、その「素」の製造工程で魔法が使われただけ。
「簡単でしょ」自分の分を作った見せたリンディが、カップを持ちながら、逆の手で容器を指差す。「最近、開発されたんだ」
「あ、『インスタント』」
「え?」
「『インスタント』っていう……あっちにも似たようなものがあって」
使われるテクノロジーの質が違っていても、便利さを追求して生み出されるものは似通っている。
「あるんだ? ふーん……」
魔法がなくてもこういったものが作れるというのが、リンディには不思議に感じられる――その製造過程が想像できない。ここのテクノロジーやエンジニアリングは魔法と不可分だからだ。よって、魔法が存在しないと聞かされると、どうしても非文明社会を思い描いてしまう。しかしながら、ナユカがここのテクノロジーやギミックにすぐ慣れるのを見ていると、どうやらそうではなさそうだ……別の原理に基づく文明なのだろう。そこが、この異邦人の主張するように異世界であるかはともかく……。
「えーと、それで……どれが、どんなものなんですか?」
異世界人にはそれぞれがどんな飲み物か、名前だけではわからない。
「あ、そうね」リンディは自分が持っているカップを、前に差し出す。「これは『セレ茶』。知ってるよね?」
「はい。わかります」
その茶をセデイターが飲むのを、何度も見ている。
「あと、ここにあるのは、いろんなフルーツのジュース」それぞれの容器を指差す。「それから、ビナル……、コティン……」
「ビナル? コティン?」
ナユカとしては、気になる名称である。まさか、ビールとコーヒーの名前が変化したものとか? それだと、向こうの世界との関係が……。
「……何か気になる?」
「『ビナル』って、どんなのですか?」
「ビナルは……あ、ちょうどそこに飲みかけがあるよ」
片付けろよと思いつつ、リンディは隣のテーブルを指す。二歩近づいたナユカが、遠目で陶器製の白いタンブラーを除くと、中には真っ青な液体が残っている。
「う」
ビール的なものを予想していたら、まったく違っていた。
「ん?」
「あ、いえ……その、思ったのと全然違うんで」
「そう? あれはすっぱいんだ。悪くはないけど」
味も違うと。
「そうなんだ……。『コティン』……でしたっけ? それは?」
「飲んでみる?」
「あの……どんなのですか?」
出されればなんでも飲んでみるナユカだが、ここでは作る必要があるので、無駄にしないためにも先に知りたい。
「コティンは、色は黒ね」
「ええ」
もしかしたら、コーヒーと同じ?
「味はやたら甘い。甘すぎ」
「あー」
ナユカ、がっくり。でも、そういうお酒はあったかな……。
「どしたの?」
「いえ、名前が似てても全然違うんだなと……」。
コーヒーを想起させる名称は、偶然の近似値でしかないようで、そう思うと特に似てもいない――ここは、遥か異世界だ。それにしても、ビールはともかく、コーヒーは飲みたかった。ただ、最後に飲んだときのことは……あまり思い出したくない……。そんなナユカに、リンディが別の飲み物を勧める。
「飲まないの? じゃ、こっちの……ガランギランとか、おもしろいけど、どう?」
なんかいかにも怪しげな名前に反して、「素」の見た目はトロピカル。
「そ、それはまたの機会に」
スルーして、今はふつうの果物系ジュースにしよう……。こちらにもあちらと同じような果物があり、ナユカはそれらの単語をいくつかは知っているので、とりあえずグレープジュースの素がどれかをリンディに尋ねたところ、幸運にもそれは存在した。さきほど見たように、作り方は簡単――冷水を注ぐだけ……。手を掛けると、後ろから声が……。
「お湯入れて飲むんだ?」
「っと」
ナユカは急停止。お湯と水くらいの文字はもうわかるが、意識せずにお手本の真似をしてしまった。
「なんだ、やっぱり水か……。言わなきゃよかった」
いたずらっぽく笑いつつ、リンディはナユカの手元をじっと見つめる……。
水をこのサーバーの「お湯」と「冷水」たらしめているのは、魔法テクノロジーなのだが、この異世界人がそれらを常温の「水」に戻してしまうことはない。それは、これまで利用してきた施設において問題がなかった――たとえば、昨晩、シャワーのお湯が水にはならなかったことからも明らかだ。
そのことから、動作進行中の魔法を無効化するのだと推察される。したがって、先ほどの検査のように、魔法によって直接的に「お湯」や「冷水」を生成した場合は、それらが存在する限りは魔法が動作中なので、それらは「無効化」されて消滅してしまう。睡眠魔法などについても同様だ。一方、存在している水の温度を変えるような魔法は、必要な温度に到達すれば魔法は動作しなくなるため、魔法無効化能力は影響しなくなるのではないだろうか……。
魔導士としての短い考察をしているうちに、ナユカが飲み物を作り終えたので、ふたりはサーバーから離れて席に着き、一息つく。異世界人が「インスタント」のグレープジュースを一口飲むと、魔法技術の賜物か、これがなかなかの味。どっかの世界のインスタントとは一味違うみずみずしさが、喉を潤す。
「おいしいですね、これ」
「そう? それはよかった」しっかりジュースができてると。「……今度はガランギランとか……試す?」
なぜか再びそれを勧めてきた。なにか裏でもあるのだろうか? ナユカはタンブラーを少し持ち上げる。
「今は、これがありますから……」
「それじゃ、この次ね」
次にされてしまった……。それをなんとか避けるべく言い訳を考えていると、少しの間をおいてリンディが切り出す。
「あのさぁ」
「はいっ」
身構えて、返事に少し力が入った。やっぱり、ガランギランを飲ませたいとか……?
「ユーカって、見かけよりたくましいよね」
「そうで……も、ないですよ」
体力には自信があるのだが、途中から否定に転じた。わざわざそんなことを確認するなんて……そんなにやばい飲み物……?
「全然知らないところに来てるのに、わりと適応してるというか」
「そうでしょうか」
それはそうかもしれない……。何を飲み食いしても胃腸の状態は、いたって良好。
「最初はか弱そうと思ったけど、その逆で……」
「確かにか弱くはないですけど……。それでも、ガランギランはちょっと……」
避けたほうがよさそう……。そんなナユカをさえぎって、リンディが不思議そうに聞き返す。
「ガランギラン? 何のこと?」
「え? 飲ませようとしているのでは?」
「なに? 飲みたいの?」
異世界人は言下に否定する。
「いえ、まったく」双方、顔を見合わせ、いったん停止。どうやら、話がかみ合っていないらしい。ナユカは、話の本意を尋ねる。「すみません、なんか勘違いしてたみたいで……。何の話だったんですか?」
「それは……」ちょっとした賛辞をもう一度始めるのは、決まりが悪い。リンディは、今はキャンセルしておくことにした。「ま、いいや。また今度で」
「そうなんですか?」
話し出された話を引っ込められると非常に気になるのは世の常。ナユカとて例外ではない。とはいえ、結果的に自分が話の腰を折ったわけだから、続きをリクエストするのも気が引ける。でも、「たくましい」とか言ってたっけ……ということは……筋肉関係? 筋肉スレンダーは、前のめりになる。
「そろそろ戻らないとまずいかなぁ」
「あ……」
筋肉談義が……。
「なに?」
「いえ、なんでも……」考えてみれば、この人がいきなり筋肉話を始めるとは思えない……ので、誤魔化す筋肉好き。「ちょっと、その……このジュース……そう……冷たいですね」
我ながら……当たり前すぎる……。しかし、聞き手にはそうでもない。
「……そうでしょ」ふつうに冷えてるよね……。リンディはそのタンブラーを見る。「それって、保温効果があるんだってさ。だから、こっちも冷めにくい」
温かいお茶が入ったカップに、自分の手を添える。
「あ、そうなんですね」
「なんか、二重になってて……作るのが難しいんで、まだ魔法省にしか置いてないとか」
二重構造のカップやタンブラー……つまり、魔法による保温効果ではない。陶器なので、あちらで多く出回っているステンレス製のものほどの効果はない。
「ふーん……」
ナユカは、自分のタンブラーに視線を落とす。
「ここは、魔法研……」リンディは一瞬だけ眉をひそめる。「魔法研究所があるから、最先端のものがすぐ出回るんだよ。ま、試作品だけど」
「そうなんだ……」
製造工程で魔法を使っているのだろう。こちらの陶器製二重タンブラーは出来がよく、向こうの一般的なものよりも容量が多く入るし、割れにくい。
「悪くいえば、うちらは実験台だね……まぁ、大丈夫だとは思うけど。あっちで十分検査してる……よな、たぶん」なんだか不安を駆り立てるようなことを口走った魔法省常連は、時計を見る。「やばっ。早く戻らないと」
リンディは残り少ないお茶を飲み干し、ナユカもそれに続く。あわただしく立ち上がった二人は容器を片付け、おそらく全員戻っていると思われる九課へと急ぐ。
戻ってみれば、課内にいるのは課長だけ。
「あれ? ひとり? 他の二人は?」
リンディの質問には答えず、質問で返すサンドラ。
「寄り道?」
「ちょっと飲み物を飲んだだけ。直行で行ったり来たりじゃ怪しいでしょ?」
あらかじめ用意しておいたリンディの言い訳。とはいえ、必ずしもただの言い訳ではなく、そういう意図もあった――休憩場所本来の機能を活用するためというのが本旨ではあったが。
「ま、そうね。いい判断としておきましょう」
それも間違いではないので、とりあえずサンドラは受け入れた。たとえ、休憩そのものが目的だと見抜いていても。
「で、他は?」
「フィリスさんは例の『友だち』の様子を見に。ミレットはその付き添い。担当医はもちろん医務室」
昼に病院で、フィリスはもう一度来るように勧められていた。リンディの意識にはなかったドクターにわざわざ言及したということは、「一味」化したということか……。
「ひとりでさみしかった?」
「ええ、とっても」からかおうとするリンディに、サンドラはわざとらしい言い方をしてから、お達しを告げる。「ふたりとも、今日はもうやることないから休んでていいよ」
「なぁーんだ、そうなんだ?」
それなら戻ってこなければよかった……とでも言いたげなリンディ。
「あ、そうか。休憩所で休んだんだよね? それなら、資料探しでも……」
「あ、なんか……」課長をさえぎり、額に手を当てたセデイターは、伏し目がちに。「やっぱ疲れてるみたい」
「演技はともかく、ふたりとも今日は終わりでいいよ。フィリスさんも今日は上がり。後は、ありがたくも、わたしとミレットが資料に当たります」
「はいはい、それはどうも」
いつもサンドラと丁々発止のリンディとは違い、ナユカはまじめに感謝する。
「すみません、サンドラさん」
「いいのいいの、こっちも興味があってやることだから。気にしないで、ユーカさん」
逆に気を遣った課長に対し、本人ではなくリンディが答える。
「うん。気にしない」
「あなたは気にしなさい」
「遠慮しとく」
「奥ゆかしいねぇ」
「それは、だって……」皮肉に応じようとしたところ、ナユカが目に入り、その先を飲み込む。「そういうこと」
言いそうになったことはだいたい予想できるが、言いたくなさそうなので、サンドラは話を変える。
「そうそう、あの担当医……オイシャノ医師ね。もう少し協力してもらうことになった」
言葉を飲み込んだ余韻が残っているリンディは、反応に少し間が空く。
「……そう?」
「意外に骨がありそうなんでね。面倒だから巻き込む」
「……ふつうと逆だな」
たいていは、面倒だったら外すが、面倒「だから」巻き込まれる場合、いい加減に扱われるのは明らかだ。オイシャノ医師……お気の毒。
「それから、ユーカさんは体調がいまいちってことになってるから、あまり出歩かないようにね」
課長の指示に、ナユカの眉間が寄る。
「……え?」
「医務室へ二回行った理由がそれってことで」
先に二人が医務室を出た後に、課長は残った三者で話し合った。
「あ、なるほど」当人が設定を理解。それなら、元気だとちょっとまずいかな? もしかして……そういう芝居をする必要があるとか。演技はあまり得意じゃないけど……。「で、その……具合が悪いふりとかは……?」
まじめそうだから、ふりとかは苦手だろうな……。サンドラは、にっこりと微笑む。
「まぁ、暴れなければいいよ」
「誰かじゃあるまいし……」
そこへ、リンディがナユカだけに聞こえるようにつぶやいた……はずが、サンドラの耳にもきっちり届く。
「そうだよねぇ……ユーカさんは無茶はしないよねぇ」
同意した地獄耳が想定している人物は、最近、セデイトで無茶した人。両者、互いに目を合わせて、にやにや笑う。
「あ、あの……」
困り顔のナユカ。
「失礼」課長は表情を引き締める。「じゃ、そういうことで……ふたりともお疲れさま。明日の予定については、あとでミレットが連絡に行くからよろしく」
これにて、ふたりは、本日はお役御免となった。




