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魔法世界のセデイター 2.異世界人の秘密と魔法省の騒動  作者: 七瀬 ノイド
一章 魔法省初日(宿泊)
1/58

1-1 魔法省へ到着

・「魔法世界のセデイター 1」(https://ncode.syosetu.com/n8643fw/)の続き。

・本業を休んでいる主人公はさて置き、異世界人の謎に迫る。


「転送完了です」

 オペレーターのジェイジェイの声が転送ボックス内に響き、間もなく扉が開く。それを出迎えるのはミレット。魔法省魔法部第九課の課長秘書である。

「お疲れ様です」

 出迎え役は、脇に避けて通り道を空ける。

「ああ、ミレット。みんなは?」

 クリスタルの転送ボックスから、漆黒のクロークをまとったブロンドの美女が登場。彼女の名はリンディ=フレヴィンドール。「セデイター」として、瘴気に犯された者をセデイト、すなわち、鎮静化することを稼業としている。

「みなさんはそちらに」

 ミレットは、先に転送された三名を手で指し示す。そこへ視線を向けたリンディは、彼女たちが腰掛けて待機している前へ足早に赴き、その中から、気の抜けたように座っている魔導士を指差す。

「そいつ対象、あと関係者」

 手短な報告を受けた後ろの課長秘書に三人の対応を任せて、セデイター自らは、急いで瘴気の処理室へと向かう。通常ならもう少し余裕があって、多少の説明くらいはしていくのだが、今回はかなり気分が悪い。自分がセデイトした魔導士、ニーナの瘴気はかなりのものだったらしく、その影響が予想以上に早く回ってきている。リンディは気持ちを落ち着かせながらも早足で、処理室へ直行する。


 一方、セデイト後で、呆然と……まるで人形のように座っている魔導士ニーナは、手回しのいいミレットがすでに呼んでおいた医療スタッフによって、病棟へと運ばれてゆく。そして、残された女性二名、「迷子」のナユカとヒーラーのフィリスに、ミレットが話しかける。

「お怪我は治療されたそうですが、念のため医務室へ来ていただけますか?」

 先に転送されていたフィリスは、簡潔な事の次第と、全員の負傷の治療は終わっていることをすでにミレットに知らせてある。事実、ふたりにもう怪我はない。とはいえ、手続きというものがあるということを十分承知しているヒーラーは、課長秘書に連れられてナユカとともに医務室へ。

 入室すると早速、どのような怪我に対してどのような治療をしたかということを担当医が質問してきたので、怪我をした当人であり、それよりも治療をした当人であるフィリスが専門的に答える。たいていのヒーラーは、活躍の場を広げるためにも医療資格を取得しており、彼女もその例外ではない。ゆえに、質問に対する答えも的確で、担当医による状態の把握はすぐに終わった。ナユカに関しては、もとよりまったくの無傷で服すらほとんど汚れておらず、本人とフィリスからも負傷するようなことはなにもしていないという報告を受け、医師の問診はなし。

 以上、ヒーラーによる状況説明は理に適っていて何ら問題はなく、担当医の診察はその問診のみで手短に終了。ナユカとフィリスは、早々に医務室を後にする。


 次に、案内役のミレットに連れられたふたりがやって来たのは、待機室。ここで、リンディを呼びにいった課長秘書の指示に従って待っていると、入れ違いに、破れた服を着替えたセデイターがすっきりした顔で現れた。

「お待たせー」瘴気の処理が終わって、上機嫌。今回は、通常通りに処理したため、眠ってしまうようなことはなかった。「で、お疲れのところ悪いんだけど、ちょっとふたりとも来て」

「どちらへですか?」

 尋ねつつも、フィリスはたぶん医務室だろうと思っている。ナユカはともかく、自分はまた説明のために行く必要があるだろう。

「九課。セデイト担当の課ね。とりあえず報告に」

 医務室には行かないのだろうか……それとももう行ったのか? セデイターの答えに、少し怪訝な表情になるヒーラー。それを見たリンディは、別のことに気を廻す。

「あなたは協力してくれたんだから、悪いようにはしないよ。なにかと手伝ってくれたしね……。感謝してる」

「え? あ、いえ……そんな……」自分のこれからの扱いに関しては、フィリスは特に気になってはいない。「わたしは大したことは……」

「そんなことない。特に、あのときにあの魔法でガードしてくれなかったら、今頃は……」

 リンディとしてはあまり表現したくないような事態に陥っていたはずだ。ただ、その点に関して、防御魔法を展開した本人には、少々気になっていることがある。

「あ、そのことなんですが……あれは……」

 話し始めようとしたところへ、ドアを軽くノックする音。

「失礼します。……あ、リンディさん、こちらに来ていたんですか」ドアを開けたミレットは、探していた相手に少々尖った視線を向けてから、ナユカとフィリスに声をかける。「お二人をお迎えに来ました。九課まで来ていただけますか」

「じゃ、行こっか」

 当人たちを差し置いて答えたリンディが、課長秘書に先行して、ふたりを部屋の外へ誘導する――なぜだか主導権を握ろうとしている。

「では、こちらへ」

 それでも、いつの間にか本来の案内役が先導していた。結局、ミレットのエスコートで三人が九課へ向かう中、リンディが歩きながら伸びをして、エスコート役に並ぶ。

「さっさと済ませてゆっくりしたいな。早くお風呂に入りたい」

「ええ、でもちゃんと医務室に行ってからです」

 ミレットはリンディを診察へ向かわせるために探していたのだが、再訪した医務室にはおらず、担当医からも来なかったと聞いた。

「それなら大丈夫。治してもらったから。それも完璧に。彼女、すご腕だよ」

 うやむやにしたいセデイターは、斜め後ろのヒーラーに目をやる。でも、課長秘書は屈しない。

「それでも医務室には行ってください。通例ですので」

「はいはい。堅いんだから」

「それがわたしの職務です」

「わかってるって」

 ミレットの隣から離れたリンディは、後方のフィリスの横へ退避。おそらく行く気はないというのは、誰の目にもわかる。

「行かなくてもいいんですか?」

 ヒーラーとしては、気になるところ。

「いいよ。ちゃんと治してくれたでしょ。あの医者よりもあなたのほうが明らかに有能だし」

「……恐縮です。ただ、手続き上、必要なのでは?」

「ああ、それはいいの。怪我が問題になるのは、対象者や関係者とかだから……賠償とかの関係でね。セデイター本人は、簡単に治らない怪我があれば、依頼者から見舞金が出ることもあるけど、問題ないなら本人がそう言って終わり」

 フリーランスの賞金稼ぎなんて、そんなもの。相手を傷害で告訴するというのなら別だが、バウンティハンターとしてみっともないから、ふつうはやらない。

「それは、その……なんていうか……いい加減というか……」

 いくら本人がいいと言っても、フィリス自身も正規の医療資格を持つ者ゆえに、職業意識上、引っかかるものがある。

「ヒーラーが信用できなきゃ、あたしだって医務室に行くよ。ま、そういうこと」

 なんとなく説教をされそうな雰囲気を察知したリンディは、この話から逃げるように切り上げ、今度は後ろをぐるっと回って反対側のナユカの隣へ。

「ところで……転送はどうだった?」

「あ……なんか……不思議でした。ドアが開いたら別の場所で……」

 転送初心者と話し始めたリンディを、前方のミレットがちらっと見る。フィリスの目に映ったその表情には、苦笑いが浮かんでいた。医務室スルーは、いつものことなのかもしれない……。

 少し進むと、今度はヒーラーがセデイターの隣に回り込む。

「あの、さっきの話なんですが……」

「さっきの?」

 また医務室の話かと警戒するリンディに、フィリスが「シールド魔法のことです」と話しかけたところで、九課に到着。四人は課の中へ。


 第九課。魔法省魔法部内にあるこの課は、正規には「特殊対策課」と名づけられており、常設の特殊対策室のようなものなのだが、そうそうやたらに特殊な対策の必要なことが起きるわけでもなく、通常は暇である。それゆえ、いまだ担当するセクションの決まっていないセデイト関連の扱いを任されており、俗称として「セデイト課」などと呼ばれている。

 実は、魔法部には第七、八課が存在していないのだが、それにもかかわらず、なぜ「第九課」なのかといえば、部のやたらな拡大を防ぐべく、部内には九課までしか置かないという上からのお達しにのっとり、その末席に据え置かれているため。常駐する人員は少なく、あてがわれている部屋も小さいこの課は、そこが指定席と定められていることから、他の部署からの見方も推し量れるというもので、窓際課などと揶揄されることもある。とはいえ、セデイト関連を扱っている唯一の部署であり、それを専業とする者にとっては、なくては困る場所だ。

 そのセデイターたちには、現状、フリーランスしか存在せず、彼らは外部の人間なので、狭い中にもわざわざ窓口が設置されている。簡易的ながらいちおう内部と仕切ってあり、原則的にそこで依頼の受付や報酬の支払いなどを行うことになってはいるものの、常連のリンディは平然と中に入ってくつろいでいたりする。もちろん、勝手に書類を荒らしたりしないことが前提で、課の主に信用されているからではある……とはいえ、そういう余計なことをすれば、確実に張り倒されることだろう。


「ヤッホー、サンディ」

 自分で扉を開けて真っ先に課内に入ったリンディが声をかけたのは、奥のデスクに鎮座する、見るからに筋肉質の女性。四人が入ってきたのを、向き合っていた端末越しに視認すると、彼女は立ち上がって出迎える。

「早かったね、リンディ」

「そう? そうでもないんじゃない?」

 こいつは、いつもながら医務室に寄らなかったことを誤魔化そうとしている……妙に陽気な声がけをしてきたのも、そのためだろう……と、そこは彼女もお見通しだが、「早かった」というのは、その話ではない。

「早かったじゃない。一週間かかってないよ」

「ああ、それね」本題のことか。確かに、ここを出てから数日……何日だっけ? 「ま、ラッキーだったかな」

「詳しくは、あっちで」サンディと呼ばれた女性は、応接用のセットを指差し、自分もそちらへ向かいながら、ナユカとフィリスにも声をかける。「お二人もあちらへどうぞ」

 その声に反応したミレットがふたりを導き、ソファへと着席を促す。

「どうぞこちらへおかけください」

 いつものように適当な席に着いたリンディを加え、お茶を入れに外れた課長秘書以外の一同が会した。


「まず、自己紹介ね」筋肉質の女性が切り出した。「わたしはここ第九課の課長、サンドラ=クロスウェルドです」

 課長のサンドラが話し始めたところ、当初より親しげなリンディが間に入って、まずはヒーラーを紹介。

「彼女はセデイト対象の魔導士、『ニーナ』に同行していたフィリス。ヒーラーで、いろいろ助けてもらった」

「はじめまして」

 フィリスが自分でフルネームを名乗る前に、リンディはナユカの紹介を始める。

「で、こっちはユーカ。ジャババ……バジャジャ……えーと……」やはり名前がわからない。「たまたま出くわした魔導士ね。そいつをセデイトしたときに現場にいた迷子。まぁ、なにかと……あー……手伝ってもらった。説明はあとで」

 触れたくないのは、出張所での一件。そんなセデイターがなにかを隠そうとしていることに気づかない九課課長ではないが、ここはいったんスルーしておく。

 紹介を受けたフィリスとナユカは、それぞれその順番にフルネームを名乗る。後者は、苗字が前だということも付け加えておく――このことにはもう慣れた。それから、リンディを筆頭に、こちらの人は「ナユカ」を発音しにくそうに感じられるため、「ユーカ」と呼んでもらうように頼む。あちらの世界では、親しい人たちからはそう呼ばれるので、むしろ、そちらのほうがしっくりくる。

 挨拶は、フィリスはもちろんこちら風の会釈。一方のナユカは腰掛けたままでも、相変わらず丁寧にお辞儀をする。なかなか習慣は抜けないというだけではなく、首を横に傾ける会釈というのには、なんとなく気恥ずかしさを感じてしまい、とっさにすることができない。形が決まらないと恥ずかしいし、少し練習する必要があるかも……と、ある種の「練習好き」なナユカは、まじめに考える。

「よろしく。フィリスさんと……」それぞれに会釈。堅苦しいのが嫌なので、ナユカにも会釈で返す。「ユーカさんね。わたしもサンドラでいいよ」

 ふたりともそれを了承。普段はしない慣習でも、初対面の年長者をいきなり名前のほうで呼ぶことには、迷子もそろそろ慣れてきた。

 お互いに名乗り終わったところで、ミレットがお茶を持って戻ってきた。フルネームは、ミレット=ロウ=ミナール。魔法省魔法部第九課、課長付けの秘書であり、課長補佐でもある。彼女の自己紹介はリンディの転送が完了する前に、すでに終えている。


「セデイト、一気に二件ね。ずいぶんとご活躍じゃない」

 無茶しすぎというサンドラの皮肉は、リンディに……。

「まーね。……さすが、あたし」

 ……通じたのかもしれないが、無視して胸を張る。

「ま……そうだね」課長は苦笑い。「今日はもう遅いから、詳しい報告は明日でいいよ。疲れたでしょ」

「え? いいの? なんか悪いもんでも食べた?」

 リンディは意外そう。

「誰かじゃあるまいし」

「誰さ」

 もちろん、この食道楽のこと。

「あなたはともかく、そっちのふたりに休んでもらおうってこと」サンドラは、置きっ放しのナユカとフィリスへ視線を向ける。「というわけで、今晩は魔法省に泊まってもらって、明日のリンディの報告に付き合ってほしいんだけど……いい?」

「やだって言っても無駄だよ。拉致されるから」

 リンディから横槍が。単語がわからず、異邦人は聞き返す。

「『ラチ』……?」

「しません」

 本気で疑われているのかと思い、課長は言下に否定。

「ご協力します」

 微笑んでいるフィリスのほうは、もちろん冗談だとわかっている。ともあれ、もう一人の分は、リンディが代わりに承諾をする。

「ユーカもOKね」

 拒否する理由はないし、実際問題として、行くところも泊まるところもない。うなずく迷子。

「はい」

「……じゃ、そういうことで、今日は解散かな」

 勝手に進行するリンディを、本来の進行役が妨げる。

「ちょっと待った。クリスタルを出して」

「はいはい……あ!」

 そうだった……。やばいことを思い出したセデイター。


 クリスタル――すなわち「コンパクト・レコード・クリスタル」は、文字通り小型の記録用クリスタル媒体であり、セデイターがセデイト時に使う左目のスコープによって録画した映像を記録しておくものである。瘴気を視認できるモードで使用すると自動的に録画され、スコープ内に差し込まれている交換可能なそのクリスタルに保存される。そして、セデイトが正当な対象に対して適切に行われたことを証明するものとして、それを提出しなければならない。今回リンディが行ったセデイト行為は適正なものであり、その点では何の問題もない。ただ……。

「えーと、どこいっちゃったかなー」

 ポケットやかばんを探すふりをしながら、リンディはどうやって誤魔化すかを考える。隠したいのは、ニーナをセデイトしたやり方がかなり特殊であったこと、並びにそのときの自分がかなりぼろぼろだったことの二点。自分のかけていたスコープゆえに己の全身は映らないものの、前者については、相手の顔の近さがあまりに不自然だし、後者に関しては、左脚と右肩の怪我を自分で見てしまっているため、ばっちり録れていることだろう。これら二点は、法律的に問題はなくても、サンドラからきっちりお小言を食らうことは明白だ。どう言い訳をしよう……。それよりも、どうにか見せないようにして……。


 そうこうしているうちに、クリスタルをセデイターが紛失したのかもしれないと思って、気を利かせたフィリスが、その当人にとっては迷惑なことを口走る。

「あの……実は、わたしも録ってあるんですが……」

 さっと振り向くリンディ。サンドラがフィリスに話を促す。

「というと?」

「ニーナのセデイトに関して、一部始終を記録していて……」

 驚いたセデイターが聞き返す。

「え? 一部始終って……?」

 もちろん、単語の意味がわからないのではなく……それは、まさか……。リンディの挙動から空気を読んだフィリスは、言いにくそう。

「その……戦闘開始から、ニーナの転送まで……です」

「そんな……」

 リンディは絶句。あの、決して流麗とはいえない……というか、それからは程遠い……要するに、不手際で無様なプロセスを全部撮られていたなんて……。いったいどういうこと? 

 当惑するセデイターをよそに、切り出した当人は、サンドラの視線を感じている。特に厳しい目つきではないにもかかわらず、一方的に眼圧に負けたフィリスは、おもむろに話し出す。もとより、自分から口火を切ったのだから、仕方がない。それに、話しておきたいというのもある。

「これは、できればここだけの話ということで……」撮影者による、いちおうの前置き。課長がうなずくのを見て、その先を話し出す。「わたしは……ニーナの監視役でした。それで……定期的に彼女の映像を依頼主へ送っていて……」

「なるほど」

 相槌を打った課長は、特に表情を変えないままセデイターをちら見して、視線をまた話者へ戻す。

「ニーナはわたしの友人で……わたしが彼女の家族から……頼まれて……」

 隠していた感情がこみ上げてきたようで、フィリスは言葉に詰まる。

「ふーん。ま、いいわ、その点は」無理に話させようとはしないサンドラ。プライベートなことよりも、今、気になっているのは、映像を隠そうとしていた誰かのこと。「……ともかく、映像はあると」

「あー、それは見る必要ない」リンディは、探すふりをしていたクリスタルをサンドラに見せる。「あるから」

 あんな戦闘の全貌など見られてはたまらない。こっちだけなら小言で済む。全部見られたら、何を言われるか……。

「あら、そう」さっと出されたものを、さらっと受け取る課長。「じゃ、詳細は明日ね」

「てことで、終わりだね」

 リンディは、このままフィリスの映像はうやむやにして、ここで簡易的な報告は終了にしたい。明らかに、サンドラはそれを見たがっているし……。しかし、そう簡単に終わりにはならない。まだ正式にやることがあり、ここには秘書のミレットがいる――彼女は堅い。

「その前に、セデイト完了した対象者の名前と、データの照合をお願いします」

「名前……はぁ」

 名前といえば……また……。セデイターは、深いため息を止められない。てきぱきしている秘書は、次に、ナユカとフィリスに尋ねる。

「それから、お二人の身元確認は可能でしょうか?」

「わたしは、ID登録してあります。セレンディアの医療資格があるので」

 即答したフィリスと違って、ナユカは、当然、わからないという表情。よって、リンディが代わりに答える。

「ユーカは無理。セレンディアの人じゃないから」

「そうですか。では、なにか身分を証明するものはありますか?」

 迷子がセレンディア人ではないことは、彼女の名前のみならず、話し方や仕草などからも、すでに敏腕秘書は推察している。

「それは……」

 困り顔の異邦人……。その理由を、またリンディが答える。

「荷物を全部なくしてね、証明は無理。その辺り、配慮してよ」

 秘書がそれに反応する前に、課長がナユカを気遣う。

「ごめんなさい、気が回らなくて。大変な目にあったね」

 逆に、見かけよりも気が回る人だと思った迷子が口を開こうとすると、またもセデイターが対応する。

「そうなんだよ、大変なんだって。だから、今日はこれで……」

 発言を終える前に、ミレットが配慮のなさをわびる。

「大変失礼いたしました、クスノキさん。ご事情を存じ上げなかったもので」

「いえ……」逆に恐縮する異邦人。なんだか、ここでは、苗字で呼ばれるとなんとなく突き放された感じがする。とりわけ、ここまで一貫して事務的なこの秘書からだと。今のところ、知り合ったほぼ全員と名前で呼び合っているからだろうか……。そこで、サンドラへの自己紹介のときには席を外していたミレットに、恐る恐る提案してみる。「あの……ユーカ……でいいです」

「はい、わかりました。わたしもミレットとお呼びください、ユーカさん」

 堅そうなわりには、意外に柔軟だ。どちらが本質なのだろうか? 

「あ、わたしもフィリスでお願いします」

 フィリスがそれに便乗する。彼女としては、苗字で呼ばれるのは極力避けたい。フィリファルディア……呼ばれるだけでもまどろっこしい。というのも、呼ぶほうがたいてい間違えるので、訂正するのが面倒だから。今まで、この有能な課長秘書は間違えてはいなかったが、そもそも「フィリファルディア」と苗字で呼ぶこともほとんどなかった。ナユカと合わせて「お二人」と呼んでいたのは、間違えるのを避けていたからかもしれない……。

「わかりました、フィリスさん」もちろん、ミレットは「ユーカ」と同様に承諾。「……それでは、みなさん、こちらの端末へいらしてください」

 さきほど言及したフィリスのID確認、並びに、リンディによるセデイト済み対象者のデータ照合のため、課長秘書はバジャバルに関与したナユカを含めて、データ端末へと導く。

「あ、やっぱり?」

 名前の確認でややこしいことになるのをセデイターは覚悟した。


 フィリスのID確認は即時終了し、とうとうリンディの番。またあの不毛な名前の言い合いが始まるかと思うと、心底げんなりする。

 ところが、これが意外に早く終了した。すでにリンディがオペレーターのジェイジェイに伝えていた名前「バジャジャル=ジャバラジャール、かっこ仮」から、ミレットが対象のデータを事前に見つけていたからである。考えてみれば、あんなややこしい名前――返す返すも、正しくは「バジャバル=ジャジャバラール」――の対象者は二人といないだろう。近似値がわかれば、見つけるのは難しくはない。

 ……と、そのときのリンディは思っていたのだが、後日、バジャバル以下略の出身地には似た名前が多数あると判明。つまり、あのときに対象者がバジャバルだけだったのは、たまたまだったわけだ。これがもしも二人や三人、ましてやダース単位でいたとしたら……考えるだけでもぞっとする。幸いにもまだセデイトが一般的ではなく――セデイターにとってそれは幸いではないが――対象となるべき者がまだ十分にリストアップされることがないので、今回は一人で済んでいたようだ。

 それにしても、かの地方では毎日、リンディとバジャバルとの間でなされたような掛け合いがなされているのだろうか。それとも、慣れきっていて、近似値であっても確実な区別ができているのか、あるいは、もはや名前などにはこだわらないレベルに至っているのか……。まともに考えると疲れるが、暇なときに状況を想像してみると、しばらく楽しめるかもしれない。

 バジャバルの出身地のことはさて置き、ここ第九課では、ミレットが端末の画面に出した、その名の持ち主のデータをリンディが確認し、照合はさっさと完了。なお、ナユカは、まだ文字が読めないため、データの人相を確認したのみ。そして、ニーナの照合のほうもつつがなく終え、当初の懸念は杞憂に終わった。


「ID確認とデータの照合を完了しました」

 作業を終了した秘書から、ソファでゆったりと待っていた課長が報告を受けた。

「ご苦労さま。今日は、これで終わりだね」サンドラは立ち上がり、遅れて自分のほうへ歩いてくるリンディたち三人を迎える。「お疲れさま」

「あー、疲れた。もういいんでしょ」

「もういいよ。詳細は明日の午前中ね」セデイターに答えた課長は、ゲスト二名を交互に見る。「フィリスさんとユーカさんも、お願いします」

 素直に「はい」とうなずいた両者に、課長が微笑む。

「部屋は確保してあります。ミレットが案内するから、そこに泊まってね」

「拉致だね」

 茶々を入れたリンディには、反撃する。

「一名は拉致で」

 サンドラは、冷徹な口調でミレットに指示。

「承知しました。ご用意いたします」

 この秘書は本当になにかを「用意」しそうで、怖い。

「あっ、あたしはユーカと泊まるから。じゃ、そういうことで」

 あわてたリンディはナユカの隣へ瞬間移動し、腕をロック。その勢いで一緒に出口へ……。腕を組まれて挨拶をすることもできず、迷子はブロンド美女に連行される。

「連絡はミレットにね」

 後方からの課長の声へ、振り向かずに手を振ったセデイターは、異邦人とともに九課を退出。その間、ナユカは二度ほど後方を振り返って慣れない会釈を試みたが、それが伝わったかわからないまま、リンディに連れ去られていった。




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