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第三話 反面教師

 

 「……一体どういうことなの」


 自室のソファでクッションを抱きしめ、ヴィヴィアンはやや不機嫌に呟いた。


 「紅茶のスコーンがお気に召しませんでしたか。明日はオレンジマフィンを用意するように申し伝えましょうか」

 「朝食の話をしているのではないわ」


 日よけのカーテンを引きながら、いつもの通り能面のような表情で抑揚なく返して来た侍女を、ヴィヴィアンはキッと睨み付けた。


 「クリストファー様のことよ!」

 「本日も真面目にご出仕されていますが?」


 美貌の主に思い切り睨まれても、まったく動じた様子もなくしれっと聞き流すシェルナ。暖簾に腕押しとはまさにこのことだ。 


 「ええ、そうね、別に毎日ご出勤する必要のないお仕事なのに毎朝きっかり8時には出発されてだいたい夕方6時くらいにお帰りになるわね……ってそうじゃないのよ!彼が仕事熱心なのはどうでも良いことだわ。そうではなくて……いまだに床を共にされないことよ!結婚して3ヶ月も経つのにまだ一度も!」


 そう、クリストファーとヴィヴィアンが婚儀を上げてすでに3ヶ月が経過していた。


 相も変わらずクリストファーは就寝前にヴィヴィアンの寝室を訪ね、一言二言おやすみの挨拶を交わした後、額か頬にキスをして自分の部屋に戻るという生活を繰り返していた。その間たった一度たりとも、クリストファーが男の欲望の片鱗すらちらつかせることはなかった。


 「……大事にされているのでは?」


 興味なさそうに、シェルナは飾り棚の上の置物の間の埃取りをしている。


 「私が拒否している訳でもないのに?正式な夫婦になっているのだから、寝室を分けたままでいる方が不自然だわ」

 「じゃあ男女の営みというものを知らないとか。あの純情な若様ならあり得ますね。赤子はコウノトリが連れて来ると本気で信じているのかも」

 「あっなるほど……ってさすがにそれもないでしょう!!」


 一体なんの漫才を自分はこの不愛想な侍女と繰り広げているのだろうか。その滑稽さにヴィヴィアンはだんだん脱力して来る。


 「……普通、あの年頃の男性ってそういうことで頭がいっぱいなんじゃないの?シェルナ」


 クリストファーの前にヴィヴィアンが恋を仕掛けた男達は、皆簡単に闘牛のように燃え滾る欲望を露わにし、あっさりと態度を翻したヴィヴィアンに踊らされたものだ。


 少し投げやりに言ったヴィヴィアンに、シェルナはガラス玉のような褐色の瞳を向けた。


 「……恐れ入りますが、私は男ではないのでわかりかねます」

 「……あっ」


 ヴィヴィアンは思わず小さく叫んだ。

 

 「……そうね、そうだったわね、ごめんなさい」


 ヴィヴィアンは思わず心の中で舌打ちした。少し考えなしにぽんぽん不満をシェルナにぶつけすぎた。


 大抵のことは聞き流してしまうシェルナだが、時々返答にわずかながら苛立ちが籠ることがある。それは長年、四六時中一緒に過ごしているヴィヴィアンにしか分からないほどの変化だが、彼女も全く感情を持たない訳ではないのだ。


 反省し、ヴィヴィアンは心を落ち着けようと目の前のテーブルにある紅茶のカップを手に取った。そして、一口紅茶を啜って、小さく漏らした。


 「……これでは、本当にクリストファー様が私に夢中になっているのか分からないじゃない。実は他に恋人がいたり、恋愛対象が同性だったりして、私はその隠れ蓑なのかもしれないわ」

 「その言い分では、まるでお嬢様の方がクリストファー様に恋をしているように聞こえますね」


 一通り室内の整頓を終えたのか、シェルナがヴィヴィアンの腰掛けるソファに歩み寄って来る。ヴィヴィアンはきょとん、と数度目を瞬き、ふっと笑みを漏らした。


 「……そうではないと分かっているでしょう?あの方の心を確実に射止めていると確信が持てなければ、次の行動に移せないから困っているだけだわ」


 低いトーンで呟いたヴィヴィアンの表情を探るように、シェルナはそのすらりとした肢体を屈め覗き込んだ。


 「……本当に?」

 「……ええ」


 自分を覗き込むシェルナの顔は相変わらず無表情で、いやに整っている分、まるで彫刻のようだ。亜麻色の髪の間から差し入れられたヴィヴィアンの首筋に触れた彼女の指先はひんやりとしている。


 「……寂しいのなら、お慰めしましょうか?」


 シェルナの言葉に、ヴィヴィアンは顎を上げ、すっと目を細めた。


 「……勘違いしないで。私が欲しているのは憐憫でも同情でもないわ。力よ。私の目的を達成させるための、ね」


 そして挑むように不敵に笑い、瞳を閉じた。



 

 「―――クリストファー殿!」


 職場である王宮の端に位置する別館の王立図書館へ向かう途中の通路で呼び止められ、クリストファーは、ん?と足を止めた。振り返ると従騎士の格好をした男が二人、駆け寄って来ていた。


 「クリストファー殿!お勤めご苦労様です」


 前を走っていた真面目そうな黒髪の男がクリストファーに敬礼をした。後から追いついて来た赤毛の男の方は黒髪の男の後ろで同じように直立した。


 「……なにか?」


 クリストファーは一度眉を潜め、問いかけた。

 

 「はっ!騎士団長殿が、本日午前中に一度騎士団事務室にお越し頂きたいと仰せです!」

 「騎士団長のユング殿が……?……また稽古をさぼっていることへのお小言だろうな」

  

 熱血漢な騎士団長のキャラクターを思い出して、クリストファーは思わず渋面になった。


 「お越し頂けなかったらご自分がクリストファー殿のところまで行く、と言われてましたよ団長は」


 赤毛の従騎士はなぜかニヤニヤした表情で付け加えた。その面白がる口調に黒髪の男が慌てた。


 「お、おい、変なプレッシャーをクリストファー殿に与えるなよ!もしご都合悪ければ団長には私から伝言致しますが、いかが致しますか?」


 取り繕うように愛想笑いを浮かべる黒髪の従騎士をじーっと見た後、クリストファーは、はあ、とため息を吐いた。


 「……昼前には伺います、と団長には伝えてくれますか」

 「はっ!承知致しました!」


 敬礼して去ろうとする二人の従騎士に、ああ、とクリストファーは付け加えた。


 「そこの赤い髪の方は、少しお話したいことがありますから残って頂けますか?」


 笑顔を浮かべつつ、赤毛の男は一瞬動きを止めた。あああ……と、同情するように黒髪の男は赤毛に視線を向けた後、一礼して自分だけその場を後にした。


 「……あの見習い騎士は、正騎士への昇格はしばらく見合わせるように、とユング殿には言わないといけませんね」


 黒髪の従騎士の姿が完全に見えなくなってから、呆れたようにクリストファーは呟いた。そして、隣で直立している赤毛の従騎士に視線を向けた。


 「……自分が仕える国の王子の姿が分からないなんて」

 

 視線の先には、さも愉快と言わんばかりに肩を震わせる男がいた。


 「……くくっ……だよなぁ。さすがに服装だけじゃバレバレだよな。ユングも指示出しながらめっちゃ呆れてたわ」

 「いやいやいや、そもそもあなたが何をしているんですか!王位継承権第二位の王子が見習い騎士の変装をするなんて!」


 うんざりしながらクリストファーは幼馴染であり、悪友のブラン聖王国第二王子、ゼノン・ファラ・ブランシュを一喝した。


 「あ、これはユング発案だぜ。昨日飲み比べに負けちゃってさぁ、罰としてこの格好で今日一日あいつの雑用をこなせって」

 「どこの世界に自分が仕えるべき王子と酒飲み対決をする騎士がいるんだ!しかも勝負の罰に雑用命じるとか、あの人破天荒すぎる……!!」


 クリストファーは頭を抱えて呻いた。


 「まぁまぁ、最近たるんでる部下たちのあぶり出しも兼ねてるようだぜ?俺は楽しけりゃ何でもいーけど」

 「……これだから脳筋は嫌なんだ……!」

 「……おーい、聞こえてるぞー」


 さらっと自分達をディスったクリストファーにゼノンは慣れた様子で突っ込みをいれた。


 「……それよりユングも寂しがってたぞ、お前がもう何ヶ月も稽古に顔出さないって」


 ブラン聖王国では、貴族の男子は有事の際の騎士としての責務を課せられており、一定の訓練を積むことを義務付けられている。通常は一定期間騎士団に入隊したり、現役の騎士から手ほどきを受けることになっているが、父ルドルフの意向でクリストファーは騎士団のトップであるユング直々に指導されていた。それはほぼ王族への待遇と変わらない異例のものだった。


 「……僕は文官ですから、別にそんなに頻繁に訓練する必要もないでしょう。履修科目はすべて修めているんですし」

 「何を言っている。ユングに100年に一度の逸材と言わしめたほどの才能があるくせに。下手な正騎士よりよほど筋がいいとユングが残念がってたぞ。自分の後継にお前を育てたがってた」

 「買いかぶり過ぎです。僕は運動が嫌いなんです」


 はやし立てるゼノンに仏頂面でクリストファーは返す。


 「……それに、今の仕事が僕には天職だと思っていますから」


 クリストファーの言葉にゼノンの猫のような切れ長の目がすっと細められた。


 「王立図書館所属の、機密文書保管官という閑職がか?それは聞き捨てならないな」

 「王国の大事な記録を保存するという栄誉ある職種です。閑職などと僕は思いません」

 「国の政治にも参画出来ず、誰の尊敬も集めない、お飾りの名ばかりの役職がか。それは何とも欲のないことだな」


 挑発するようなゼノンの物言いにクリストファーは僅かに苛立ちを覚える。


 「ええ、そうですよ!父が嫌ったこの職を僕は気に入っているんです!誰の立場も脅かさず、誰の干渉も受けないこの仕事が!!」

 「……そうか、残念だ。お前ほどの男がな」


 クリストファーが完全にへそを曲げた様子を見て、はあ、と一度ため息を吐くもゼノンはこの話題はこれ以上続けても無意味だと悟ったようだ。小さくまあいい、と片手を振った。


 「それはそうと……どうよ?新婚生活は?あっちの方はいい具合か?」


 気を取り直したゼノンは、やや品のないニヤニヤとした目元を下げながら、クリストファーの前で両手を胸の形を示すように動かした。


 「なっ……!!!」


 瞬時に意味を理解したらしいクリストファーは、顔をゆでだこのように真っ赤にした。


 「ぼ、僕の妻のことを侮辱するのはやめて頂きたい!!」

 「……なーんだ、お前、その様子じゃまだネンネのままだな?結婚して3ヶ月は経ってんだろ?一体何してんだ?早速もう拒否されてんのか?」

 「やめろ!!」


 ゼノンの口を塞ぐようにクリストファーが掴み掛るのを面白そうに難なく躱すゼノン。


 「せっかく王国一の美女を嫁に貰ったのにお前ふがいねぇーな。嫌がられても男なら押しの一手だろ。女の嫌よ嫌よは好きなんだぜ?」

 「勝手な話をでっちあげるな!!別に僕は拒否されてない!!」

 「じゃあ何だよ?」


 ゼノンの追及にクリストファーはうっ、と詰まった。しばらくもごもごと口の中で不明瞭な言葉をかみ砕き、


 「……ぼ、僕が、ちゃんと二人の心が通じ合うまではそういうことはしないできちんと段階を踏みましょうと言ったんです」


 と、恥ずかしそうに長い睫毛を伏せた。

 


 「……乙女か!!!」


 

 たまらずゼノンは突っ込んだ。


 「てか結婚してて段階もクソもねーだろ!!気持ちが通じてよーが通じてまいがヤることはヤるんだよ!!夫婦の義務だろーが!!!」

 「僕はそんな事務的な関係は嫌だ。本当に心から信頼し合って愛し合いたい。体の関係は、心が伴ってこそだと思うんです」


 真っ赤な顔で大真面目に表明するクリストファーの純情オーラに、ゼノンはそれ以上何も言えなくなった。


 「……お前昔から、夢は幸せな家庭だったもんなぁ。ええと、なんだっけか?愛する妻と可愛い娘と息子が一人ずつと白い犬一匹、古エルシド建築の小さな郊外の屋敷で家族水入らずで生活して休みの日にはピクニックするのが理想なんだっけ?」

 「……よくそんな細かいところまで覚えていますね」


 小さい頃から抱いている幸せな家族計画を引っ張り出されて、クリストファーはさらに耳の端まで赤くする。ゼノンは呆れ顔でクリストファーの肩を軽くポンっと叩いた。


 「……お前、知ってるか?子供ってのはコウノトリが運んでくるんじゃないんだぞ?」

 「……分かってますよ!!!」


 クリストファーとて健全な思春期の男子だ。そういう知識ないわけでも、ましてや性欲が全くないわけでもない。


 ただ、長年思い描いた譲れない理想があるのだ。


 「……まあ、よその夫婦のことを外野がとやかく言うもんじゃないしな。……やっぱりお前の両親のことが引っかかってんのか?貴族の家ならどこも似たようなもんだと思うがな……」


 呆れたように片手を首の後ろに当てながらぼやくゼノンに、クリストファーは押し黙った。


 「……。分かってます。でも、僕は嫌だ。愛する人を大切に出来ないのは」


 


 ―――父親のようにはなりたくない。


 それが、クリストファーの信念だった。


 現クロイツ公爵家当主、ルドルフはクリストファーにとって常に反面教師だった。


 高慢で常に他者を見下し、自分の利益のためなら人を騙し弱者を陥れることも厭わない。


 数百年前、クロイツ家は王家から派生して生まれた。王位継承で敗れた王族が、臣籍降下する形でクロイツの名と公爵の地位を下賜された。


 父ルドルフに言わせれば、その臣籍降下した先祖こそ正当な王位継承者だった。本来の王家の血筋はクロイツ家の方なのだと。


 そのために自らの結婚相手は並の貴族ではよしとせず、やはり過去に王家から分家になった由緒ある侯爵家の令嬢エレノアを妻に迎えた。もちろんそこに愛情などは存在しない。


 エレノアがなかなか子供を授からないために、父は妻を役立たずと罵り、愛人を何人も作りそのうちの一人が娘を産んだ。


父はその娘を、クロイツ家の長子として『公式』に発表した。


 宗教上の理由から、正式な夫婦の間以外に子供を儲けることは、ブラン聖王国では固く禁止されている。公然の秘密として貴族が愛人を囲うことは珍しいことではない。しかし婚外子の存在を明らかにすることは極めて少ない。なぜなら愛人が身籠った時、無理に堕胎をさせるか、もしくは表向き正妻の子供であるとするからだ。ブラン聖王国での女性の地位は低い。嫁いだ先の当主の命令は絶対なのだ。


 クロイツ公爵夫妻に最初の子、ロザリンデが誕生しその6年後、ようやく跡継ぎとなる男子クリストファーが産まれた。


 母エレノアは嫡男を産んで公爵夫人としての責務は果たしたと、クリストファーの乳離れが済むと同時に公爵領に引っ込んでしまい、以来一度も王都には戻ってこない。


 異母姉ロザリンデを父は可愛がることも無く、年頃になるとさっさと政略結婚をさせて家から追い出してしまった。


 クリストファーが物心つく前から、家族はバラバラだった。ただの一度も家族の誰かと食卓を囲んだことがなかった。クロイツ家の殺伐とした環境は、すべて父ルドルフの人間性が生み出したものだ。ならば、自分はその逆になればいい。


 幼い頃の孤独な記憶はクリストファーに温かな家庭への憧れを募らせた。


 


 自分は絶対に、父のようにはならない。


 愛情をもって家庭を作り、命を懸けてそれを守って行く。



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