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見知らぬ空へ  作者: たじま
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2、アムの決断

穏やかに晴れた昼下がり、澄み渡る空の下を一人の少女が駈けて行く。

肩よりも伸びた明るく茶色い髪を風に靡かせ走る少女を、胸に買い物袋を抱いた女性が呼び止めた。


「あら、そんなに急いでどうしたの?これから練兵場?」

「あかりさん、こんにちは!いやぁ、気合い入れて掃除してたら遅れちゃって。あはははは……っと、すみません。私急ぐんで。では!」

「あはは……がんばだよ!」


一瞬立ち止まって挨拶し、すぐさま片手を上げて走り去って行く少女をあかりは微笑みながら見送った。


「ふふ、アムちゃんったらあんなに急いで……転ばなきゃ良いけど」




あれから三ヶ月が経った。

大牙くんが合流してからの道中は何事もなく、翌日の昼前にはアクちゃん達の街に到着する事ができた。

この街の人達はワービーストでない私を別け隔てする事なく、本当に良くしてくれた。

まぁ、珍しかったってのもあるのかな?

アクちゃんの友達は勿論、近所の子供達まで心配してお見舞いに来てくれた。

でも、族長さんが態々来てくれたのには、さすがにびっくりしたけど。あはは……。


色んな人に迷惑かけたけど、お蔭樣で今では傷もすっかり癒え、毎日毎日、アクちゃん達と模擬戦ばっかりしている。

そう、模擬戦。

獣化したアクちゃんや大牙くんを相手に、ASを使っての近接戦闘。

自分で言うのもなんだけど、かなり腕を上げたと思う。

まぁ、五本に一本勝てるどうかってところだけど。

でも、三ヶ月前の私からしたら考えられない程の進歩だ。

やっぱり、こう言うのは習うより慣れろだね。

って、これは私の師匠、シンの言葉。シン曰く、


「ASは筋力は勿論、反射速度も、視力も強化されているんだから、獣化したワービースト相手でも充分戦える」


……だそうだ。

それが出来ないのは、銃に頼って格闘戦をしないからなんだって。

「じゃあ、格闘術を教えて?」って言ったら、「教えてどうこう出来るもんじゃない。習うより慣れろ」だって。

まぁ……実際、毎日模擬戦してると動きに慣れてきたのは確かだから本当の事だね。




「ア~ムちゃ~ん!」

「アクちゃん、もう着替えたんだ?」


見ればアクちゃんは既に模擬戦用のスーツ(と言ってもASスーツ。ちょっとサイズは合ってないけど、汚れを気にする必要がないのが良いらしい。因みに、合ってないのは主に胸と腰の辺り……)に着替え終わっていた。


「もう、アムちゃん遅いじゃないですか。ナニかあったのかと心配しましたよ」

「あはは、ごめんごめん。お布団取り込むの忘れててさ」

「あ、干しといてくれたんですか?」


そんな事を話ながら二人で並んで歩き出す。


「うん、天気も良かったしね。まぁ、掃除のついでだけど」

「いえいえ、助かりますよ。お礼に今日の夕御飯は気合い入れちゃいますね」

「あはは、それは楽しみ。じゃあ私、ちょっと着替えて来るね。先に行ってて」

「はいです。じゃあ後ほど」



私もASスーツに着替え終わり、遅れて練兵場に足を踏み入れると、既にみんなが集まってた。


「来たなアム。早速手合わせしようぜ」

「ごめん、今日はシンにAS戦の手解き受ける約束があって……あれ?シンは……?」

「先生なら、まだだぜ」

「むぅ、人がせっかく急いで来たってのに……」

「と言う訳だ。俺と……」


「「アムちゃ~ん!」」


私を呼ぶ声がしたので振り向くと、女の子三人が並んで歩いて来るところだった。

それを見た大牙くんが、


「げっ!」


と言って、あからさまに嫌な顔をした。

因みに、あっちで手を振ってるポニーテールの娘がサナちゃんで、ちょっと天パーの入ったメガネっ娘がチカちゃん。

で、あの黒髪ロングの落ち着いた人がひめちゃん。

アクちゃんに勝るとも劣らないスラッとした身長に、出るとこがしっかり出てる女の子。……うらやましい(ボソッ)。


この仲良し三人組、実は大牙くんの苦手とする人達なんだけど、その理由がいつも大牙くんネタのBLを妄想してるから。

本当はアクちゃんに倣って、あかりさんに料理の手ほどき受けるんで集ったらしいんだけど、気付けばBLで意気投合しちゃったらしい。

ひめちゃん曰く、


「料理とBLは切っても切れない関係なのよ」


だって。ホントかな?

因みに、


「なんで大牙くんなの?」

って、ひめちゃんに聞いたら、


「弄りやすいからよ(笑)」

だって。あはは……。


そうこうしてると、不機嫌な顔した大牙くんがひめちゃん達に詰めよって行っちゃった。

言っちゃ何だけど、これもいつもの風景。あはは……は……。



「あら大牙くん、いつもお世話になってるわね」

「してねえよ。いきなりなに言ってんだ!」

「あら、お世話になってるわよ?あなたが毎日どんな子とカップリングして、どんなプレイをするのか……よくみんなと一緒の時に妄想させて貰ってるわ」

「本人の同意なく、勝手にみんなでカップリングさせんな」

「あら、失礼。言葉が足りなかったわね。みんなと一緒の時に、私が一人で勝手に妄想してるだけよ。だから安心して」

「ちっとも安心できねえよ。妄想の方をやめろ!」

「いやねぇ、妄想は個人の自由でしょ?いつもあなたを使って、あんな事やこんな事を妄想するのが私の生き甲斐なのよ」

「嫌な生き甲斐だな」

「因みに、私の人生の八割以上を占めてるわね」

「人生ほとんど妄想じゃねえか!」


しかし大牙くんの事はお構いなしに両手を腰に当て「ふふん」と胸を張ってるひめちゃん。胸があるから様になってる。


「あのね、大牙くん。妄想は私の人生そのもと言っても過言ではないの。だから辞められないのよ。あなただってBL辞めたら人生敗けだと思ってるでしょ?」

「思ってねえよ!てかBLですらねえよ。だいたい、なんでどいつもこいつもオレを男とくっつけたがるんだ!」


すると、ひめちゃんは大牙くんの鼻先に右手の人指し指を立て、じっと上目使いで見つめた。その仕草にドキッとする大牙くん。


「それはね……貴方に興味があるからよ?勿論、異性としてね」


と言ってウィンクした。

思わず唾を飲み込んで、


「い、異性として?」

と聞き返す大牙くん。


「そうよ。異性として、……あなたがどの子とカップリングするのか興味があるのよ」

「異性関係ねぇだろ!」

「異性として、自分の恋愛よりあなたのカップリングの方が重要だと思ってるわ」

「だから異性としてって、わざわざ付ける必要ねぇだろ!」


大牙くんが激しくツッコんでた。あはは……。


「だいたい、その価値観おかしいからな。自分より他人の恋愛(?)が重要って、どういう事だよ」

「まぁ、自覚はしてるわよ。私は変わってるわ」

「自信満々に言い切ったな」

「でも、そこまで開き直れると人生拓けてくるわよ。あなたもどう?」

「なんか新手の宗教みたいだな。因みに、開き直るとどんな新たな人生が拓けんだよ?」

「そうね……異性にも興味が出るとか?」

「異性にしか興味ねえよ!なんでオレがBL前提で話し進めてんだっ!」

「分かったわよ。今はそう言う事にしといてあげるわ」

「なに『あなたの事はお見通しよ?』みたいな顔してんだ。ええい、肩に手を掛けるな!くそ、その澄まし顔ムカつくんだよ。おいそこ!勝手にシート広げんな!ホントお前ら、模擬戦しねぇくせになにしに来てんだよ?」

「だから、目の保養……」

「帰れ!」

「あ、チカちゃん。私にもお茶をちょうだい」

「はいです」

「聞けよ!いいか、お前ら。ここは身体を鍛える所であって、目を養う所じゃねぇんだ。分かったら……」

「ひめちゃん、クッキーどうぞ」

「ふふ、ありがとう」

「だから聞けよ!なんでお茶菓子広げてんだ!おい、怪しげな本をバックから出すな!完全に長期戦の構えじゃねぇか!」

「ところで、アレンくんが見当たらないようだけど……?」

「あん?ヤツなら今日は来ねぇよ」

「なぁんだ。つまらないの」

「いいから、とっとと帰れ!!」


と、まぁ……いつもあんな感じでひめちゃんに弄られている。



まぁ、あっちは放っておいて。

えっと……あそこでアクちゃんと一緒にいる、刀を腰に差してるオールバックの人が獣兵衛さん。本名は『野牛 獣兵衛』。

そう牛のワービースト。

前にアクちゃんに、


「虎とかライオンとか狼じゃなくて、なんで牛なんだろう?」

って聞いたら、


「さぁ?食料にでもする為だったんじゃないですか?」

って言ってた。あはは……まさかね。


でも強いよ、獣兵衛さん。剣の達人。

それでその隣の背が高くて天然パンチパーマの人がパンチさん。

猿のワービーストで、例の病気に感染しちゃってる猿族の人らしいんだけど詳しい事は知らない。なんか聞いちゃいけない気がして……。

因みにカンフーの達人。猿だけに……猿拳?あはは……。

とにかくパンチさんも強いね。特にトンファー持ったら手が付けられないくらい強い。



「すまん、遅くなった。みんな集まってるな?」


あ、やっと来たよ。

この男の人がシン。格好いいでしょ?

私のASの師匠で、アクちゃん達に先生と呼ばれる人。

あとアクちゃんと、ひめちゃんと、私が下宿してる家の家主さん。いや、保護者かな?

本名はシングレア・ロンド。

五年前、アクちゃんとひめちゃんを救った旧人類の人で、当時の遠征軍のたった一人の生き残り。らしい。

こっちも詳しくは聞いてない。

一度シンに聞いたんだけど、どうもその時ひめちゃんのご両親が亡くなったみたいで、あの家では極力話題に挙げないようにしてるみたい。まぁ、だからそれは置いといて。

あと、ここに居ないけどレオくん、次狼くん、猫々ちゃん、時々アレンくんとカレンちゃんを入れたみんなと日々楽しく過ごしてる。

楽しくて楽しくて、もう夢のような日々。えへへ……。


「なにニヤケてんだ。始めるぞ、アム」

「はーい!」


と、まぁ……以上、私の近況報告でした。

誰にだよって? あはは。







アム達のいる街から、およそ1000キロメートル余り。

大陸東岸にある、周囲40キロメートルに渡って高い外壁に囲まれた旧人類だけの街『ニュー・ヴィンランド』。

我こそは正統な人類であると声高々に宣言し、ワービーストを人類の亜種として位置付け、拒絶し、排除しようとする旧人類だけの楽園。

そして人類の、人類による、人類の為の世界を取り戻し、人類を正しく導く事を至上の目的とした、最高意志決定機関『評議会』。

その『評議会』と軍の幹部からなる統合作戦本部では、新たな遠征の気運が高まっていた。




「ポール・パンナボール出頭しました」

「入りたまえ」

「失礼します」


扉を開けて入って来たのは、まだ三十代前半の若い将校だった。


「君の出撃申請が受理された。出撃は三日後だ」

「ありがとうございます、将軍。必ずやご期待にお応えし、奴等を殲滅してご覧に入れます」

「うむ、期待しているぞ。それと君の要望通り、単艦での出撃も許可は取った。しかし良いのかね?護衛の艦艇を付けなくても?」

「はい。今回は奇襲が目的です。脚の遅い護衛艦は却って邪魔になります故」

「うむ、君がそう言うのなら是非もない」

「ありがとうございます」

「但し、一つ条件がある」

「条件ですか……?」

「うむ。AS隊の半分は先の遠征艦『グリッツ』の乗員を使いたまえ」

「そ、それは……」

「これは君の為だ。知っての通り猿共は手強い。先の遠征でもASの半数を失った程だ。そんな相手に、こちらはマップデータも満足に揃っていないのが実情なのだ。その点『グリッツ』の生き残りはある程度土地勘がある。マップデータの不足を補ってくれるだろう」

「ですが、三日後では連携の訓練も満足に出来ません。ここは……」

「パンナボール大佐」

「はっ……」

「……我々は、これ以上兵を失いたくないのだよ。特に南部戦線で勝利を納めた英雄をな。察してくれ」

「……出過ぎた事を申しました。お許し下さい、将軍」

「いや、分かってもらえれば良い」

「はっ。それでは失礼します」


「早く……」

「……?」

「早く迎えたいものだな。人類だけの……平和な世界を……」


敬礼して踵を返したパンナボールの背中に、将軍と呼ばれた老人が静かに語りかけた。

だがパンナボールは振り向くと何も言わずに静かに一礼し、そのまま音も立てずに退室していった。

特に返事を求めていないと思ったのだ。

将軍の部屋を出たパンナボールに、扉の前に立った将軍護衛の兵士が敬礼する。

それに片手を上げて応えたパンナボールは、そのまま難しい顔付きで立ち去るのだった。


〈老いぼれが……余計な事を……〉







良く晴れた昼下がりの午後。

ついこの間までジリジリと照りつけていた太陽もいつの間にやら勢いを緩め、時折吹く風とも相まって肌に心地よい季節がやって来ていた。

そんな陽だまりのテラスで、紅茶片手にチェスに興じるシンとひめ子。

テーブルの上にはアクミの焼いたクッキーもあり、アクミとアムの二人も紅茶を飲みながら勝負の行方を見守っている。

この家では既に見慣れた風景。

訓練や買い物等、これといって用事のない日のありふれた午後の風景。

シンが駒を動かし、ひめ子の反応をチラリと見てから紅茶に手を伸ばす。

その視線を受けたひめ子は顎に手を当てて暫く考えた後、そっと駒を動かした。

すると紅茶を啜っていたシンの頬がピクリと動く。

それを満足気に眺めたあと、両手の上に顎を乗せてニッコリ笑うひめ子。

冷静を装いつつ静かにカップを置き、両手を組んで熟考を始めるシン。

その横ではアクミも一緒になって、うんうんと唸っている。

そんな二人の空になったカップに黙って紅茶を注ぐアム。

誰も言葉を発しない。

それでいて妙に心が満たされた居心地いい時間だけが過ぎていく。


そんな時だった。

……スフィンクスからの使者が訪れたのは。




急いで身支度を済ませたシンが屋敷に駆けつけると、廊下で偶然ラルゴに会った。どうやらシンと同じくスフィンクスに呼び出されたらしい。


「失礼します」

「態々すまんな、ラルゴ。おう、シンも一緒か」 

「シンとはそこで一緒になりました」

「遅れて申し訳ありません族長。虎鉄殿、勘十狼殿もご無沙汰しております」


扉を開けて入って来たシンとラルゴを、長いテーブルの向こうに座ったスフィンクスが笑顔で迎えた。

そのスフィンクスの左には虎鉄が、右側には勘十狼が既に席についている。


「シン殿、いつも愚息が世話になっておるの」

「お世話と言う程の事ではありません、虎鉄殿。それに大牙は愚かではありませんよ」

「はっはっは、何を言う。暴れる事でしか強さを示せんかったひよっこが、最近では礼をわきまえ、皆に気配りも出来るようになったぞ?大した進歩じゃ」

「孫の奴も、無口は相変わらずじゃが、目上の者に対しての気遣いが出来るようになったわい。オモチャ遊びは勘弁じゃがのう」

「うちのレオも腕を上げた。これも全てシンのお陰だ。感謝している」

「痛み入ります。それで族長、今日はどのような?」


シンが単刀直入に尋ねるとスフィンクスの表情が変わった。

既に話の内容を知っている虎鉄と勘十狼も同様に表情を引き締める。


「うむ、例の件だが……どうも雲行きが怪しくなった」

「猿族に感付かれたのですか? ですが、それは想定内だった筈ですが……」

「いや……実はさっき入った報告によると、旧人類の遠征軍が近付きつつある」

「遠征軍が?」

「前回からまだ三ヶ月余り。随分と早いな」

「しかも真っ直ぐ西を目指さず、北寄りの進路を通っておる。まるでこちらが目的であるかのようにの」

「まさか。こちらの街の位置は特定出来てません。族長の考えすぎでは?」

「ふむ、そうかもしれん。だが万一を考え、両面作戦になった時の事を少し検討しておこう」

「両面作戦!?」


シンとラルゴが思わず顔を見合わせる。

キングバルト軍単独で猿族と戦うのですら手一杯なのだ。

そんな状況でランドシップも同時に相手にする。

普通に考えて不可能だった。


「さすがに、それだけの戦力はありません。族長」

「うむ。だがやらねばならんかもしれん。それについて儂に少々考えがある。今日はそれを煮詰めよう」





「はい、シン。お茶どうぞ」

「すまん」


夕食後。

テーブルで休んでいたシンの為にアムがお茶を淹れて持ってきた。

因みにこの二ヶ月余りでアクミが食器を洗い、洗った食器をひめ子が片付け、アムはみんなのお茶を淹れる。

と言う具合に各人の役割分担が自然と決まっていた。

普段ならお茶を淹れ終ったアムはひめ子と一緒に食器を拭いたり棚に仕舞う為にキッチンへ向かうのだが、この日はシンが呼び止めた。


「アム、ちょっといいか? 話がある……」

「はい……?」


最初、シンに呼び止められた時は冗談の一つでも言ってやろうかと思ったアムだが、シンの思い詰めたような表情を見て茶化す雰囲気ではないと悟り、大人しくシンの正面に座った。

緊張した面持ちで見つめてくるアム。

その目をまっすぐ見返してシンが尋ねた。


「一つ、確認しておきたいんだが……アムは今後……どうしたい?」

「……どうって?」


質問の意味が分からず、首を傾げて問い返すアム。そんなアムにシンは、


「ずっとここで俺達と暮らすか、それとも仲間の元に帰りたいかだ」


と、改めて聞いた。


「……それは」

「ちょっと先生!いったい急にどうしたって言うんですか?」


キッチンで聞き耳を立てていたらしい(獣耳を生やしたままの)アクミとひめ子の二人が、これはただ事ではないと思い、洗い物を中断してアムの背後に立った。


「実は、新たな遠征軍が近づきつつある」

「あ!?」

「そうだ。族長が仰るには、もし昔の仲間の所に帰る意志があるのなら、近くに来ている今がチャンスだと……」

「…………」

「勿論、アムがこのままここに居たいと言うなら俺達は大歓迎だ。族長もそう仰ってる。だが少しでも未練や……もしもやり残した事があるっていうなら……戻るのは早い方が良い」

「……私は」


アムはそれ以上答えることができず、真っ直ぐ見つめるシンの目から逃れるように俯いてしまった。


「先生、アムちゃんはずっとここに居ますよ。そうですよね、アムちゃん」

「アクちゃん……」


俯くアムの肩に両手を置いたアクミがアムに変わって答えた。


「アクミ、これはアムが決める事だ」

「でも……」


更にいい募ろうとしたアクミだが、シンの目にじっと見つめられると、「うぅ……」と言って大人しく引き下がった。


「アム、本当にすまんとは思うが……今日、明日中に結論を出してくれ」

「……はい」

「話は以上だ。俺はこの後も族長達と打ち合わせがある。と言うか、アムに話す為に中座させてもらったんだ」

「あの……先生、帰りは遅いんですか?」


黙って話の行方を見守っていたひめ子が打ちひしがれた二人に代わって尋ねた。

今日はアムの側に居てあげて欲しいと思っての事だった。

だが返ってきたのは無情な答えだった。


「今日は屋敷に泊めてもらう事になるだろう。そのつもりでいてくれ」


ひめ子に答えながらもアムにチラリと視線を向けるシン。

シンも本当はアムの側に居てあげたいのだ。

だが、今はそれより優先しなければいけない懸案事項が持ち上がっているのだろう。

永年一緒に暮らしてきたひめ子にはそれが分かった。

だからシンが立ち上がって、


「じゃあ……すまんが行ってくる」

と言った時、


「いってらっしゃい、先生」

と言って優しく微笑むことができた。


〈後の事は、私達に任せて下さい。先生〉

〈……すまんな、ひめ子〉


シンはひめ子の頭を一つポンと軽く叩くと、無言ですがるような目のアムに背を向け、ドアを開けて出て行った。





空は満天の星空だった。

テラスの欄干に腰掛け、じっと夜空を見上げるアムの横顔を月明かりが優しく照らし出す。

肩下まで伸びた髪を静かに揺らす風は少し冷たく、秋の気配を感じさせた。


「アムちゃん?」

「アクちゃん、ひめちゃん……」


心配になって様子を見にきてくれた二人だが、アムは一瞥するとそのまま視線を夜空に戻してしまった。

暫く無言の時間が流れた後、アムが思いつめた顔でポツリと囁いた。


「……私、どうしたら良いと思う?」

「先生はアムちゃんの意志に任せるって言ってましたけど、心の中では一緒にいたいって思ってますよ!私には分かります、これは絶対です!」

「そう……かな?」

「そうですよ」


にっこり笑って自信満々に言い切るアクミ。


「因みに今の私の夢は、先生と、ひめちゃんと、アムちゃんと、みんなでずっと一緒に楽しく暮らす事です。ずっとずっと、一緒にです!」

「アクちゃん……」

「だってそうでしょう?私達、もう家族ですよ!ずっと一緒に居たいと思うじゃないですか!」

「家族……」

「そうですよ!」


アムは両手を握り締めて力説するアクミに力なく微笑むと静かに語り出した。


「アクちゃん……私ね……両親の記憶がないの」

「……え?」

「ちっちゃい時には、もう施設に入ってて。そこで両親はワービーストに殺されたって教えられてた……」

「…………」

「施設には同じ境遇の子が何人もいてね。だから、家族みたいに思ってたんだけど……思おうとしてたんだけど……でも、なにか違ったの……」


なんと言葉を掛けて良いのか分からず、アクミもひめ子も黙ってアムの言葉に耳を傾ける。

そんな二人から視線を外したアムが夜空を見上げる。


「それに比べて……ここでは本当の家族が出来たみたいに思ってた。不思議だよね?ワービーストと旧人類が一緒に住んでたって、違和感どころか、それが普通の事だって思えるんだもん。これは凄い事だよ。私の今までの人生で、ここでの三ヶ月間が一番楽しい日々だった……だから……」


アムはそこで言葉を切ると、アクミを振り返って微笑んだ。

だが続く言葉はアクミの期待を裏切るものだった。


「だから……私、帰るよ」

「……え?」


てっきりアムが残ってくれるものと思い、安堵から微笑み掛けたアクミの表情が凍り付いた。


「だって……みんなワービーストの事を誤解してるもん。ワービーストは野蛮で、残忍で、旧人類を滅ぼそうとしてる天敵みたいに思ってる。でも実際は、ワービーストも旧人類もなんにも変わらない、同じ人間なんだって教えてあげなきゃ。そしたら……私とアクちゃんや、ひめちゃんや、大牙くん達みたいに、みんな仲良くなれる。きっと友達になれるよ」

「アムちゃん……」

「そしたら私達、殺し会わなくて良くなるんだよ?きっと、これは私にしか出来ないこと。だから……私、帰るね」


アムは二人を心配させないよう、思いきり陽気に答えた。


「うぅ……アムちゃあぁぁぁーーーん!!」


アムの胸に飛びつき、わんわん泣きじゃくるアクミ。

その頭を優しく撫でていたアムの視界が不意に白く霞んだ。


「……ごめんね……アクちゃん」


結局アムも涙を堪えきれず、アクミと一緒になって泣き出してしまった。

そんな二人をそっと抱き締めたひめ子の瞳も涙で一杯だった。







「それでは、旧人類とワービーストの橋渡しを決意したアムちゃんを応援しまして……カンパ~イ!!」

「「「カンパ~イッ!!!」」」


「早速、お肉もらい~です」

「あッ!?チカちゃん、私にもちょうだい!」

「はいはい、ちょと待ってくださいですサナちゃん」

「はいレオくん、ふりかけ買ってきましたよ」

「ホントですか?ありがとうございますアクちゃん」

「あ、レオくんレオく~ん。終わったらぁ、わたしにも下さい~」

「勿論ですよ、猫々ちゃん」

「ふりかけか……俺も貰うかな……」

「次狼くんもですかぁ?じゃあ、ちょっと待って下さいね~」

「チカちゃん、オレらにも肉とソーセージ取ってくれんかね?」

「はいはい、肉とソーセージですね。待ってて下さいですパンチさん」

「はい、猫々ちゃん。お待たせです!」

「ありがとうございますぅ」

「あ、みなさん。じゃがバタはお好みで醤油をかけてくださいね」

「はい、パンチさん。どうぞです!」

「サンキュー。って、おい……随分と寂しいな。もっと入れてくれても……」

「ふふん。早い者勝ちのバイキングに、先輩も友人もないんですよ」

「シン、大根の煮物とサラダ取ったら向こうに回しちゃうんで、お皿ちょうだい」

「あぁ、すまん……アム」

「ドレッシングはどっちにする?」

「ん~……気分的にセパレートかな?」

「オッケー!」

「あ、チカちゃん。私にお魚いただけるかしら?」

「はいです、ひめちゃん」

「むむ……この卵焼き……とってもおいしいですね先生。さすがアクちゃん。女の鑑です」

「なに感心してんだサナ。お前もあかりさんに料理習ってんだろ?これくらい作れなくてどうする」

「ふふん、甘いですね先生。あかりさんの料理見ただけで料理が上手くなると思ったら大間違いですよ」

「分かってるなら努力したらどうだ?」

「はい、シン」

「お、すまん」

「ひめちゃん、はいです」

「ありがとう、チカちゃん」

「いえいえです」

「この肉旨いな。もう無いの?」

「あぁ、大牙さぁん。わたしの分も取っといて下さいよぉ、猫々も食べたいですぅ!」

「ほいよ、猫々。あと先生とアムの分でラストな~」

「ちょっと、大牙くん。ナニ平らげてんですか!?まだ私もひめちゃんも食べてないのに!ちゃんと野菜も食べなきゃダメじゃないですか!」

「えぇ……?」

「えぇ……じゃありません!」

「確か、まだ焼いてないのがありましたね。私が焼いて来ましょう」

「あ、私が行くよ。レオくんは食べてて」

「なにを仰います。アムさんは主役ですよ?猫々ちゃん、私は肉を焼いてきますんで、料理を適当に見繕って持ってきて下さい」

「はぁい、分かりました~」

「ほら、行きますよ。次狼!」

「なに!?俺もか……?」

「当たり前でしょう。こういうのは下端の仕事って相場が決まってんです。だいたい、次狼みたいなのが黙々黙々黙って食べてたら、場の雰囲気が台無しでしょう。いいから行きますよ」

「……ふん、しかたないな」

「…………」

「パンチよ……なんで俺を見る?」

「いや……獣兵衛も大概無口キャラだろ?次狼と被ってんなぁと思ってよ。にひひひ……」

「……別にキャラ付けしてる訳じゃない。……だいたい、俺のが先輩だ(小声)」

「おんやぁ、気にしてたか?いっひっひ……」

「あ、大牙くん!あんた、ナニ勝手にふりかけてんですか!?」

「へっ、俺は誰の指図も受けねぇ」

「ナニ生意気ぶっこいてんです。あんま調子こいてっと、あんたの鼻血と納豆で炊いた赤飯を鼻から食わせますよ!」


「「「ぶっ!?」」」


「あはは……それは嫌だなぁ」

「ちょっとアクちゃん!想像しちゃったじゃないですか!」

「うーん、ちょっと色味が違うかなぁ?それならチキンライスの方が……」

「ちょっとサナちゃん!?」

「あはは……」

「ホント、大牙くんが居るとイメージが刺激されて、次々と色んな料理が閃くわね」

「俺は関係ねぇだろ!」

「そんな事ないです。大牙くんってのが重要なんです。私……今日の大牙くんとアレンくんの模擬戦を見てて、なにか掴めたような気がしますです」

「なんでオレ見て掴むんだよ。そもそも、なにが掴まれたんだ!?」

「いえ……まだ、こうモヤモヤっとしてて……後ちょっとで形になりそうなんですけど。すみませんです」

「焦る事ないわ。じっとり行きましょう」

「じっくりだよな。腰を据えてじっくりって事だよな。いつもみたいにニヤニヤしながら妄想膨らませるって事じゃ無いよな?」

「当たり前じゃない?」

「なんで疑問系なんだよ!」

「は~い、お肉追加です~」

「ちっ、まぁ良い。今は肉が先だ……」

「大牙くん!今度は食べてない人優先ですよ!」

「分かってるよアクミ。ほら、お前とひめの皿よこせ。おい、他にも肉食べる奴は皿よこせ!」

「俺らもくれ~」

「サナちゃんとチカちゃんもでしょ?」

「は~い、今度はお肉とソーセージです~」

「「「いえ~いっ!」」」



猫々ちゃんが肉とソーセージを盛った皿をテーブルに置くと、みんなが一斉にワイワイ盛り上がった。


〈……なんか良いな。お肉でこんなに盛り上がって、みんなで楽しく笑って、楽しく喋って。そこに私も居て……〉


「アム……なんだか孫を見詰めるお婆ちゃんみたいな顔してるぞ?」


なんて幸せを噛み締めてたら、シンが怪訝な顔で私の顔を覗いて来た。


「もう……お婆ちゃんは酷いよ」

「ははは、すまん。でも表現はあれだが、今のアムはそんな顔してたぞ?」

「ホントに?」

「あぁ」

「ふふ……まぁ、楽しかったからね。……余りに楽しくて。ホント……みんなに会えて良かったなって……思ってた」

「…………」


思わず涙が溢れそうになった私の頭をシンが乱暴に撫でてくれた。

髪の毛をぐちゃぐちゃにするようにして、まるで強引に頭を下げさせて、涙を隠してくれるように……。

そんな何気ない気遣いが嬉しくて……。


「あぁ、その……すまん。俺の手、料理で汚れてた。ついでに……言っちゃなんだが、お前の口の周りにソースがベッタリ付いてだぞ。ちょっと洗面所で顔洗ってこい」

「もう、デリカシーないなぁ!ちょっと行ってくる」


私は急いで立ち上がると、逃げるようにして洗面所に駆け込んだ。




洗面所で気持ちを落ち着けてリビングに戻ると、なにやらアクちゃんと大牙くんが騒いでいた。

なんか話が見えないので黙って席に着く。



「だからナンでそうなるんですか?」

「いや……俺はただ、場の雰囲気を盛り上げようとしてだな……」

「そんなので盛り上がるのは大牙くんだけですよ。私はナンかパーティーゲームをしましょうって提案したんです」

「でも、パーティーゲームって言ったら王様ゲームだろ?これ世の中の常識だぜ?」

「どこの世界の常識ですか。だいたい大牙くんが王様になっちゃった日には、ナニを命令されるか分かったもんじゃ無いですよ。パンツ見せろとか、パンツ脱げとか、パンツ被らせろとか」

「しねぇよ!どこの変態だよ!」

「だって大牙くんですよ……?」

「俺をなんだと思ってんだ!俺がそんな、エロ丸出しの命令する訳ねぇだろ。見損なうな!俺の命令はな、もっとこう……ピュアな命令だ!」

「じゃあ、エロ要素は一切無いんですね?」

「あ、当たり前だろ!」

「例えば?」

「例え……?えっと……ひ、膝枕とか?」


「けだもの!!」


「全然、エロくねぇだろ!」

「エロいですよ!良いですか? 例えばレオくんを膝枕してる所を想像してご覧なさい。気持ち良さそ~にお昼寝してる、ほのぼのとした情景しか浮かばないでしょうが?」


「あぁ、まぁ……確かに……」

「そうね。私だったら思わず頭を撫で撫でしちゃうかも」

「ふふ……日溜まりで、回りに蝶々が飛んでる風景まで浮かぶわね」


シン、アム、ひめ子の三人が膝枕されてるレオを想像して率直な感想を述べた。


「でしょ? じゃあ今度は、大牙くんを膝枕してる所を想像してみて下さい!」


「……あのぉ……鼻の下がぁ、伸びてますぅ」

「うわっ、最低! 太ももに顔をすりすりしながら匂いを嗅いでますよ!」

「お尻触ってます。不潔です……」

「大体『大牙を膝枕』って字面自体が既にやぁらしいしもんな。何の罰ゲームだよって感じ?いひひ……」

「くそ、なんだよこのアウェー感……」


猫々、サナ、チカ、パンチの容赦ない感想に落ち込む大牙。

ひめ子はそんな大牙の姿をおかしそうに眺めた後、笑いながらアクミを振り返った。


「まぁ、それはさておき。アクちゃん、アムちゃん帰ってきたし、例のプレゼント渡したらどうかしら?」

「おぉ、それもそうですね」


いじける大牙を無視してアムの正面に回り込んだアクミがにっこり笑う。

そして胸の谷間から綺麗に包装された細長い箱を取り出した。


「はい、アムちゃん。これ、みんなからのプレゼントです!」

「プレゼント……?」

「はいです! ささ、開けてみて下さいアムちゃん!」

「……うん」


アクミに促されたアムがリボンをほどき、包装紙を剥がして箱を開けると、そこには綺麗な青い宝石の嵌め込まれたペンダントが入っていた。


「綺麗な青……」

「碧瑠璃って言うそうです」

「碧瑠璃……」

「みんなでお金を出し合って買った青い石を、先生が用意したペンダントに嵌め込みました。加工したのは猫々ちゃんです。素敵でしょ?」

「うん……ありがとう、みんな」

「さっそく付けてみて下さい。ほらほら先生の出番ですよ。こう言うのは先生が付けてあげなきゃ」

「ん?あ、あぁ……」


指名されたシンが立ち上がると、アクミはその背中を押してアムと向かい合って立たせた。

アムからペンダントを受け取ったシンがアムの首に手を回す。

まるでシンの胸に抱き締められているような感覚……更に鼻をくすぐる柑橘系のような香りとシンの吐息を間近に感じて、アムの頬がほんのりと赤く染まった。

やがてペンダントを付け終わったシンが離れると、アムは染まった頬を隠すように下を向き、首から下がったペンダントを握り締めた。


「お守りだ。それを俺達だと思って肌身離さずに持っていろ」

「……うん、大切にするね」


アムはそう言って顔を上げると、にっこりと微笑んだ。







翌日の昼過ぎ。

シンとアムとアクミの三人は、ランドシップが居ると思われる地点より、およそ50キロメートル離れた地点に到着した。

街の人達の見送りを受けて出発したのが早朝。

エアバイクを使っての移動にしては時間が掛かったのは、観測気球に見つかり、街の位置を特定されてしまわないよう大きく北から東に迂回した為だった。


ずっとシンのバイクの後ろに乗っていたアムがシートから飛び降り、「うーーーんっ!」と言って大きく伸びをする。

続いてシンもゆっくりとバイクから降りると、タブレットの地図と地形を見比べて現在位置を確認していく。

見渡せば遥かに続く草原。

所々に森はあるが、ほぼ地平線まで広がった大地がどこまでも続いていた。

そんな景色に見とれるアムをよそに、シンが西の方角を指差した。


「ここから西に一時間も行けばランドシップが居る筈だ」

「うん。送ってくれてありがとう。シン、アクちゃん」

「気をつけて下さいねアムちゃん。ランドシップに収容されるまで、気を抜いちゃダメですよ?」

「あはは……ここまで来れば大丈夫だって。こっち側にまで猿族が来てるとも思えないしね」

「それはそうですが……」

「あはは……もう、アクちゃんったら心配し過ぎだよ」


不安そうなアクミに笑って答えると、アムはシンの側に歩み寄って二人が乗っていたエアバイクを受け取った。

そしてバイクに跨がろうとしたところで思い止まり、なにやら言い辛そうな表情でシンの顔をチラチラ見上げる。


「どうした?」

「いや……その、お願いがあるんだけど……いいかな?」

「なんだ?」

「最後に、その……ギュッてしてくれない?」

「こうか?」


シンがアムの肩をそっと引き寄せて抱き締めると、アムは嬉しいような悲しいような表情をしたあと、そっと胸に顔を埋めて目を閉じた。

静かに抱き合う二人の側を爽やかな風が吹き抜けていく。

その姿はまるで、別れを惜しんでいる恋人同士のようだった。

どれくらいそうしていただろう?

やがてゆっくりと目を開けたアムがシンから離れて微笑んだ。


「うん、もう大丈夫。元気が出たよ。ありがと」

「……あぁ」

「じゃあ、行くね」


アムはそう言うと、全てを吹っ切るような勢いでバイクに飛び乗った。


「今までありがとう、シン。みんなにもよろしく伝えて」

「……あぁ」

「ふふ……もう、シンったらさっきから「あぁ」しか言ってないよ?」


バイクのエンジンを掛けながらアムが呆れたように笑った。


「アムちゃん、お元気で!」

「うん。アクちゃんも……いつか、また会えるのを楽しみにしてるね!」

「はいです。私も楽しみにしてます!」

「うん。それじゃあね!バイバーーーイ!」

「バイバーーーイ!」


シンとアクミが見守る中、アムのエアバイクが走り去って行く。

まるで、その場から逃げ出すかのように。

だんだんと遠ざかるアムの背中。

アクミの目には、その背中が泣いているようにしか見えなかった。



「……行っちゃいましたね、先生」

「……あぁ、行っちゃったな」

「あれで、本当に良かったんですか?」

「良いも悪いも……アムが自分の意思で決めた事だ……」

「それはそうですが。……アムちゃん、きっと先生に止めて欲しかったんですよ?」

「……あぁ……でも、帰れる場所があるなら、帰った方が良いんだ」

「……先生?」

「なんだ?」

「先生って……意外と女心が分かってませんね?」

「そうか?」

「そうですよ。女はね、どこで生きるかじゃないんです。誰と生きるかナンです。場所ナンかどこだって良いんですよ?」

「……そう言うもんか?」

「そう言うもんです……」


それっきり、二人は無言でアムのエアバイクを見送った。

地平線の彼方に見えなくなるまで、ずっと……。







遠征艦『インジェラ』のブリッジでは、苛立たしげなパンナボールが窓の外に広がる景色を睨み付けていた。

それもその筈。

この場所にランドシップを停止させ、周囲を捜索し出して早くも二日が経過していた。

当初はワービーストの住処等、直ぐに見つけ出せるものと高を括っていたパンナボールの思惑は、ここに来て修正を余儀なくされつつあった。


「まったく、いつになったらワービースト共の住処が特定出来るんだ?」

「申し訳ありません、司令。ですが南部戦線と違い、この先は山間部でして……」

「そんな事は分かっている。それより観測気球での探索はどうなった?」

「それも行ってはいますが、如何せん探索で使い捨てにする訳にも行かず、回収を考えますと自ずと捜索範囲が限られまして……」

「言い訳は良い。観測気球を通信範囲ギリギリまで飛ばせ。回収は考えなくて良い。とにかく早く見つけ出せ。何日もここから動かんと、西のワービースト共が気づいて動き出すやもしれん」

「了解しました。直ちに捜索範囲を広げます」

「司令、白旗を挙げたエアバイクが一台、東からこちらに近付いて来ますがどういたしますか?」

「白旗を挙げたエアバイクだと? 距離は?」

「約5000、通信回線を開くよう要請してます」

「モニターに出せるか?」

「はっ」


ブリッジ上部のモニターに写し出されたアムの映像を見た瞬間、パンナボールとAS隊を纏めるブルックハルト連隊長の二人が怪訝な顔をした。

それはそうだろう。

どうやら戦闘の意志は無いようだが、こんな草原のど真ん中で、しかも事もあろうに戦闘艦であるランドシップに好き好んで近づいて来る意味が分からなかったのだ。


「司令、どうやらASスーツを着ている女のようですが」

「獣化してないワービーストかも知れんがな。だが、まぁ良い。通信回線を開いてやれ」

「はっ」


『聞こえていますか? 私は第六艦隊旗艦『グリッツ』所属、AS第3中隊のチャームライト・ランダースです。貴艦に保護を求めます。繰り返します。私は……』


アムの通信を聞いたパンナボールが驚愕の表情を浮かべた。


「『グリッツ』の生き残りだと!?こんなワービーストのテリトリーで、良く三ヶ月以上も生き延びていられたものだ……」

「司令、あのエアバイク……我々が製造した物ではありません」

「なに?では……」

「はい。おそらくワービーストの保護下にあったものかと……。当然、感染してない方の……」

「ほう、それは好都合だ。よし、保護する旨、伝えてやれ」

「はっ」

「ブルックハルト、あの女を迎えに行け。まだ『グリッツ』の連中とは接触させるなよ。あの女がなにを知っているかも分からんのだ。余計な事を言われては、後々面倒だ」

「了解しました。では……」


敬礼とともに踵を返すブルックハルト。

それを見届けた後、窓の外に目をやったパンナボールは一人ほくそ笑むのだった。




「……以上が、私が生き残り、ここに帰って来れた経緯と、この三ヶ月間で経験した事の全容です」


人払いをした司令官の執務室。

正面に座ったパンナボールと、その横に立つブルックハルトを前に、ワービーストに匿われた事実と感染していないワービーストの安全性を語り終えたアムが二人の反応をじっと待った。

シンの事は語っていない。それはシンに口止めされての事だった。

二人は難しい顔をしながら何やら小声で話している。

話の内容自体はアムには聞き取れないが、衝撃を受けているだろう事は想像出来た。

やがて話を終えたパンナボールは、机の上で両手の指を組んでアムを見据えた。


「良く分かった。君は健康診断を受診後、宛がわれた部屋で休みたまえ。あぁ、それと……感染したワービーストの件に関しては他言無用だ。君は三ヶ月間、無人の家に潜伏していた事にでもしておきたまえ。以上だ。下がってよし」

「え?……あの、それだけですか?」

「なにかね?」

「もう、我々がワービーストと戦う必要性は……」

「ランダース君。……この件は、私の権限を遥かに越える大きな問題なんだよ。よって、この件は今回の遠征が終了次第、私が責任を持って統合作戦本部に提出する。それまでは保留だ。分かったら下がって休みたまえ。ご苦労だった」

「はっ!失礼します」


敬礼したアムが退室した後、ブルックハルトは難しい顔でパンナボールを振り返った。


「やはり感染症の件……知られましたな。如何いたします?事故にでも見せ掛けて殺しますか?」

「ふん、放っておけ。たかが小娘の戯言、誰も信じんよ。それより彼女のASは?」

「オーバーホールと言って回収してあります。今、位置情報を解析させてますので、奴等の住処はじきに判明するかと……」

「よし。判明次第、直ぐに知らせろ」

「了解しました」

「ふふ、この辺のワービースト共は今まで手付かずだ。さぞかし財宝を溜め込んでいる事だろう。今から楽しみだ」





「ランダース!」

「シャング隊長!バッカス副隊長も!こちらにいらしたんですか?」


執務室を出るとシャングとバッカスが待ち構えていた。その懐かしい顔触れにアムも思わず笑顔になる。


「あぁ、今回は応援でな。しかし驚いたぞ。さっきバッカスがお前を見掛けたって言った時は、とても信じられなかったが……」

「酷いだろ?シャング隊長ったら、全然信じてくれなくてな」

「それを言うな。それより本当に良く生き残っていてくれた。嬉しいぞ」

「今、この艦のAS隊の半分は『グリッツ』の奴等だ。みんな喜ぶぞ。早速……」

「あ、すみませんバッカス副隊長。私この後、健康診断を受けなくちゃいけないんで……」


直ぐにでも仲間の所に連れて行こうとするバッカスにアムが申し訳なさそうな顔を浮かべたとき、メガネを掛けた白衣の女性が現れた。


「あなたがチャームライト・ランダース?」

「あ、はい」

「あなたを診察します。一緒に来てちょうだい」

「はい。ではシャング隊長、バッカス副隊長……後程」

「あぁ。終わる頃に誰か迎えを行かせる」

「はい。それでは失礼します」


アムはシャングとバッカスに敬礼すると、踵を返して白衣の女性の後に続いた。



女性に案内されたのは診察室だった。

恐らくこの女性専用の診察室なのだろう。女性らしい趣味のペンや小物が机の上に置かれてあった。

アムがかわいい猫の置物に見とれていると、女性が衣類を入れる籠を持って来てベットの横にとんっと置いた。

次いで戸棚から小さな毛布を取り出すとアムを手招きする。


「取り合えず、脱いだスーツはここに入れてちょうだい」

「あの……裸になるんですか?」

「そうよ。そこに上衣があるでしょ?それだけ着たら、そこのベッドに仰向けで寝て、足を開いてちょうだい」

「は……?」

「は?じゃないでしょ。あなたがワービーストの子供なんて孕んでるって知られたら、気持ち悪がって誰も寄り付かないわよ?」

「は、……孕んで?」

「大丈夫よ。安心しなさい。あなたは一人で潜伏していた事になってるんでしょ?妊娠してたってバレなければ、きっとやり直せるわ。あなたはまだ若いんですもの」


そう言ってにっこり微笑む女医。


「いえ……あの、なにか誤解をされて……」

「分かってるわよ。だからみんなに誤解される前にチャッチャと堕ろしちゃいましょ。さぁ、始めるわよ」


メガネを光らせながら迫り来る女医の迫力に負けて、じりじりと後退するアム。気付けば壁際に追い込まれていた。


「いや、先生が誤解をですね?……あの、だから先生?……私の話を聞いてって、……な、なんですかその器具!?ちょっと待って!あの……いやぁーーーーーーっ!!」




「ありがとうございました」

愛想笑いを浮かべながら診察室を退室するアム。

だが扉を閉めた途端、口を尖らせた不機嫌なものに変わった。


「まったく、失礼しちゃうわ……」


それでも本人の前で不機嫌な顔をしなかったのはアムなりの誠意だった。

女医の行動がアムの身を心配しての事だったからだ。

あれから女医の説得を試み、なんとか納得させたアムが診察室を解放されたのは一時間後の事だった。

アムからしたら呆れて物も言えないとはこの事だ。


「だいたい……キスだって……したことないのに(小声)……」

そう呟きながらそっと唇に触れる。


「……あの……アム?」

「きゃあ!?」


まさか人がいるとは思ってなかったアムが、びっくりして悲鳴をあげた。そして声を掛けた女性を見て更に驚く。


「ジェシカさん!」

「はは……久しぶり、アム。とりあえず元気そうでなによりだわ」







翌朝。

アムは二段ベッドの上段で目覚めた。

見慣れぬ天井。

いや、二ヶ月前までは当たり前だった天井。

手を伸ばせば届いてしまう程に目の前に迫った天井。

視線を横に向ければ、ベッドを隠すように引かれたカーテンがある。

それ一枚で外界と遮断し、プライベート空間に変えてくれる便利な布切れ。

アムはそっと上体を起こすと静かにカーテンを開けた。

すると向こう側にも同じようにカーテンで仕切られたベッドが見える。

ここには毎朝交わしたアクミやひめ子との挨拶もなければ、言葉少なに「おはよ」と言ってくれたシンの笑顔もない。

……帰ってきてしまったんだ。

アムはその事を否応なく実感して暗い気持ちになる。

慣れていた温もりのある毎日。

自分はそれを手放してでも、旧人類とワービーストの誤解を解いて橋渡しをする。そう決意していた筈だったのに、事態は想像以上に難航しそうだった。


〈ちょっと急ぎ過ぎたのかな……。それとも私と違って、戦場が長い人の意識を変えるのは難しいのかな……〉


アムは暗たんとした気持ちで、昨日の夜に開かれた『グリッツ』のAS隊員による帰参祝賀会を思い出していた。

アムはそこで、何気なくを装ってジェシカにワービーストについての質問をしたのだ。


「ねぇ、ジェシカさん。もしもの話なんだけど……私達を襲わないワービーストが居たとしたら、どうします?」

「私達を襲わないワービースト?」


果たしてジェシカはどんな反応を示すのか?

襲ってこないなら殺し会う必要がない。そう思ってくれるだろうか?

ワービーストが何を考えているのか話してみたいと興味を持ってくれるだろうか?

真剣な表情でジェシカを見つめ返事を待つアム。だがジェシカの反応はアムの思っていたのとまったく違った。


「なにつまらない事言ってるの」


ジェシカは、まったく取り合ってくれなかったのだ。

それどころか、いつもアムには優しい姉のようなジェシカが不機嫌な空気すら漂わせていた。


「ねぇ、ジェシカさん。私達を襲わない……ちゃんと話が出来るワービーストがいたら素敵だと思わない?」

「はは、そんなワービーストがいるわけ無いだろ。もし本当にいるなら、俺達戦争なんてやってないって」


少し大きな声を出してしまったせいで周りの隊員達が気づき会話に割り込んできた。それも茶化す形で……。


「まったくだ。もしそんなワービーストがいるなら、俺がダンスでも申し込んでやるよ」

「ダンスって顔かよ。お前に出来るのはフォークダンスくらいだ」

「ははは、違いねぇ」

「襲わないってんなら、鎖でも付けて家の番犬として飼うってのはどうだ?最強だぜ」

「あはははは……そりゃ良いや。飼い主には忠実で、泥棒さんには容赦しませんってか?どんなセキュリティよりも安全だな」

「だろ?あはははは……」

「いや、飯代掛かりすぎだろ」

「散歩に連れてくのも大変そうだしな」

「要らねえだろそんなの。便所に行きたきゃ勝手にトイレに行くんだろうし」

「じゃあ、外にワービースト用のトイレ作んなきゃな」

「あはは、そんなの必要ないって。無きゃ無いで、勝手に穴でも掘って用を足すだろ」

「それもそうだな。ははははは……」

「もう、止めてよ。食事が不味くなるじゃないの」


アムは目の前が真っ暗になるのを感じた。

それどころか、アクミやひめ子や大牙を……街のみんなを……まるでペットのように扱う隊員達の態度に怒りすら覚えた。


でも我慢しなくちゃ……。

みんなは本当のワービーストを知らないだけなんだから……。

急がず……少しづつ誤解を解いていけば……。


「そうだぞ。だいたい考えてもみろ。裸のワービーストが玄関先で穴掘って屈んでたら体裁悪すぎだぞ?」

「あはははは……そりゃそうか。やっぱりワービーストなんて使い道ねぇな」

「まったくだ。あはははは……」


でも、我慢出来なかった。


「真面目に考えてよ!!」


アムは大声を張り上げてからハッとなったがもう遅い。

あまりの剣幕に笑いながら談笑していた隊員達が……いや、会場全体がしんと静まり返り、じっとアムを見つめていた。

誰も彼もが、アムがなにに対してキレ、なぜ大声を出したのか?その理由が皆目分からなかったからだ。

アムは隊員達の表情からそれを即座に理解した。

そして、あまりの認識の違いに泣きたくなってしまった。

無言で俯くアム。

そんなアムを見てジェシカは溜め息を一つ付くと、仕方ないといった顔でアムの正面に回り、そして両肩に手を置いた。


「アム?」

「……ジェシカさん」

「そんなワービーストはいないわ。私達が何十年戦って来たと思ってるの?もしアムの言う通りそんなワービーストがいたとして、今まで誰も知らなかったのはなぜ?」

「でも、もしも……」

「アム……冗談でもそんな話はもう止めなさい」

「そんな……」


そう呟いて周りに視線を向けたアムは愕然とした。

みんながみんな、アムを冷めた目で見ていたのだ。


「良い?ワービーストはみんな敵なの。手を取り合う事など到底不可能な相手。殺し会う事しか出来ない敵なのよ。分かったわね?」

「…………」


無言で俯くアムを了承の合図と受け取ったジェシカが、苦笑いを浮かべながらアムの頭に手を乗せた。


「ごめんね、みんな。アムも疲れてるのよ。だから許してあげて」


そう言ってアムの代わりに謝罪し、場を取り成すジェシカ。


「はは、別に気にしてねぇよ。ギャグのセンスは今一だったがな。ははは……」

「そう言うなって、本人も落ち込んでるだろうが」

「あはははは……」


〈……本当にいるのに。……みんな、私達と同じ人間なのに……なんでよ……なんで誰も……話すら聞いてくれないのよ……〉


長く続いた旧人類とワービーストの闘争の歴史。

幾多と行われた戦争の数々が、両者の確執をここまで深いものにしていたのだった。







「司令、ランダースが保護されていたと言う街の位置が特定出来ました」


パンナボールに面会を求めたブルックハルトは開口一番そう言うと、モニターに地図を映し出した。


「ほう、どこだ?」

「ここからですと、直線距離でおよそ西北西に約150キロの山中です」

「なに!?それでは猿共のテリトリーに近いではないか?」

「はい。思いの外、西寄りでした。しかしギリギリ奴等のテリトリー外でもあります。それと地形から見るに、街と言うより集落に近いのかと」

「なんだそれは!?では大して金目の物は無いと言う事か?まったく……期待外れも良い所だな」

「はい。ですが規模が小さい分、獣化の個体もそうそう居ないと思われます。ですからまどろっこしい策略等用いる事なく、一気に奇襲を掛ければ殲滅が可能かと思われます」

「ふむ……電撃作戦か。しかし、それでは宝探しにあまり時間を割けんな」

「ですから、今回の作戦では山間部近くまでランドシップで近付きます。そこから輸送機を往復させれば時間の短縮になるかと」

「だがそうなると、猿共が心配だな」

「心配はいりません。『グリッツ』の連中に街を襲撃させ、あらかた片付けさせたところで後退させます。そのまま山中で防衛ラインを築かせて待機をさせれば良いのです。そうすれば、万一猿共か来てもそこで足止め出来ます。ランドシップはその間に後退。司令の安全は充分確保できます」

「……うむ……よかろう、もう検討済みのようだしな。では今日のうちに観測気球を飛ばしてマッピングを済ませておけ。ランドシップは明朝、夜明けを待って出発する。ブリーフィングは八時。お前はそれまでに作戦を練っておけ」

「了解しました」







翌日。

ブリーフィングルームには各中隊長を始め、副隊長も全員勢揃いしていた。

その中にあってなぜかただ一人、アムだけが特別に出席するよう司令から指示を受けていた。

そのアムの背中に興味の視線が注がれている。

実は一昨日の祝賀会の騒ぎの後、艦内にはアムが三ヶ月間に渡ってワービーストに監禁されていたのではないか?という噂が、どこからともなく広まっていたのだ。

だがアムはそれでもいいと思っていた。

自分は生きてここにいる。

それは必ずしもワービーストが人間を殺す事はない。その証拠になるのだから。

そうみんなが思ってくれるのなら、それでいい。そう考えていた。


「気にするな。堂々としていろ」

「シャング隊長……」

「そうそう、気にすんなって。そのうち飽きて、みんな噂なんかしなくなる」

「はい。ありがとうございます、バッカス副隊長」


そこにブルックハルトを伴ったパンナボールが扉を開けて入って来た。

全員が起立し、敬礼でもって迎える。


「全員揃っているな。これより作戦を説明する。ブルックハルト」

「はっ!」


パンナボールに代わり、ブルックハルトが前に進み出た。


「今回は山間に籠るワービースト共に奇襲を掛け、殲滅するのが目的だ。AS部隊は二つに分ける。先鋒はシャング隊長を頭にグリッツ隊に任せよう。君達はこの辺の地理に慣れてるのだろう?」

「了解しました」

「第二陣は私が率いる。尚、今回はワービースト共の殲滅が目的である。奴等の住居等については、極力破壊するな。後程、調査部門が色々と調べるそうだ。それではモニターを……」


ブルックハルトが指示をすると、背後のモニターに地形図が表示された。


「これって……まさか……」


地理に詳しくないアムには、それがどこなのかまでは正確には分からない。しかし、およその方角なら分かる。

そして間違いなく、この攻撃ポイントはリカレスの方角だ。

シンやアクミやひめ子のいる……あの街。


「これが今回の目標だ。奇襲部隊は、このポイントで……」


「待って下さい!!」


「……なんだね?ランダース」

話の腰を折られて不機嫌そうなブルックハルトを無視して、アムはパンナボールに向き合った。


「司令、この位置はどうやって特定したのですか?」

「君のASの位置情報を元に、ブルックハルトが割り出した」

「……な!?」

「だから君の意見も聞きたく思い、ブリーフィングに参加させたのだ」

「司令にはご報告した筈です。あの街の人達は悪い人達じゃありません。傷ついた私を助け、手当してくれた上に送り届けてまでしてくれました。それをなぜ?」


アムの供述に後ろの隊員達が一斉にざわめいた。

中には「じゃあ、本当にワービーストに監禁されてたのか?」と声に出す者もいたが、アムには構っている暇はなかった。

一方、パンナボールは呆れた顔でアムを見ると、大人が子供に諭すような口調で語り出した。


「やれやれ……その情報は未確認故、他言無用だと言っておいた筈だが……。まぁ、こうなっては仕方がないか。良いかねランダース君、ワービーストは我々人類の敵だ。殺すか殺されるかの関係なのだ。例えこちらが手出ししなくても向こうは襲って来る。なら殺られる前に殺る。当然の事ではないかね?」

「そんな事はありません。彼等はこちらが手出しさえしなければ決して危害を加えません。そう言う人達なんです!」

「そんな戯言を誰が信じるね?」

「本当なんです。襲ってくるのは病気にかかったワービーストだけです。あの街の人達は感染してません。だから大丈夫なんです」

「では証拠はあるのかね?」

「証拠……?」

「そうだ。仮に君の言う事が正しいとしてだ、あの街のワービーストが絶対に安全だと言う証拠はあるのかと聞いているんだ」

「証拠は……ありません。でも会えば分かります」

「証拠も無いのに君の言う事を信じろと?それを鵜呑みにしてだ、こちらが武器も持たず、にこやかに近付いた途端に襲われたのでは話にならんぞ。違うかね?」

「でも、本当なんです……」


パンナボールは聞き分けのない子供を見るような目でアムを見ると、溜め息混じりにこう言った。


「……これは言いたくなかったのだが……君は奴等に監禁されてる間に心と身体に傷を負ったね?」

「は?」

「それで奴等は良いワービーストだ。私はなんの危害も加えられませんでしたとアピールしたい気持ちは分からんでもないが、これ以上は君の立場を悪くするだけだ。控えたまえ」


まるで事実であるかのように話すパンナボールに、怒りと恥ずかしさで顔を真っ赤にしたアムがふるふると震えた。

そのアムに追い討ちを掛けるようにブルックハルトが嘲笑混じりの顔を浮かべる。


「なんだそう言う事か。まったく呆れて物も言えんな。それとも慰謝料取るまでパパに死なれては困るからそんなに必死なのかね?ははは……」

「なにを!」


我慢の限界だった。

二人の挑発に腹を立てたアムが立ち上がりブルックハルトに詰め寄ろうとした。

だがそれより先に警護の兵士に前を塞がれ、そのまま周りの隊員達に両腕を拘束されてしまった。

そんな身動きの出来ないアムにブルックハルトは憐れむような視線を向けた後、厳かに告げた。


「まったく、なにを熱くなっているんだか。お前は敵を間違えてるぞ、ランダース。いいか?これは人間とワービーストの、謂わば種の生存を賭けた戦争なのだ。奴等人間の亜種共は根絶やしにしなければならん。お前も我等と同じ人間なら大人しく従え。そして奴等を皆殺しにしろ。それが正義だ!」

「なにが正義だ! そんな事させるもんか! 放せ! 殺らせない! あの街は……みんなは……」


尚もブルックハルトに噛みつく勢いで暴れるアム。

その目の前にシャングがゆっくりと歩み出た。

そして右手を振り上げると、頭に血が昇ったアムの頬を目掛けて勢いよく降り下ろした。

パチンッ!という音が響き渡り、ブリーフィングルーム全体がしんと静まり返る。


「……シャング隊長」


頬を叩かれ、まるで憑き物が取れたかのように大人しくなったアムが虚ろな瞳でシャングを見つめる。


「頭を冷やせ、ランダース」

「でも……」

「ここで暴れてもどうにもならんぞ。射殺されたくなければ黙って言う事を聞け」


シャングに言われてアムは初めて気づいた。

アムに対して警備の兵士達が銃を突き付けていた事実に……。

それを見て冷静さを取り戻したアムが力なく頭を垂れる。


「……申し訳……ありませんでした……」


シャングがアムを拘束する隊員達に頷くと、隊員達は大人しくアムの拘束を解き自分の席へと戻っていった。

それを見たブルックハルトがじろりとシャングを見る。


「シャング隊長、その女をどうするつもりだね?」

「ランダースは作戦から外します。ランダース、大人しく自室で謹慎していろ」

「……はい」

「それだけかね?その女は秩序を乱しただけでなく、私に危害を加えようとしたのだぞ?それを……」

「連隊長、部下の非礼はこの通りお詫びします」


そこでブルックハルトの言葉を遮り、シャングが深々と頭を下げた。

だが直ぐに顔を上げると、今度は一歩も退かぬ強い眼差しでブルックハルトを睨み付けた。


「ですが連隊長、あなたの言動にも些か問題がおありでした。ここはこれでお納め下さい。よろしいですね?司令」


アムに冷静さを取り戻させ、その部下の為にブルックハルトに頭を下げたシャング。

そのシャングの毅然とした態度に、その場の全隊員達が好意の目を向けていた。


「……まぁ、よかろう」

「……ふん」


パンナボールとブルックハルトの二人はそれ以上なにも言えない空気に、不承不承と言った表情で了承するのだった。





自室の椅子に座ったアムが振動を感じた直後、ランドシップは滑るように大地を移動し始めた。いよいよ作戦が開始されたのだ。

アムは自室での謹慎を言い渡されてから今まで、ずっと作戦を妨害する事だけを考えていた。

シンやアクミ達が心配なのは勿論だが、シンやアクミ達が奇襲を受けたくらいでむざむざ殺されるとも思えなかった。

そうなれば当然反撃する。

シンやアクミ達が、シャングやバッカスやジェシカ達と殺し合うのだ。

それだけは絶対に阻止しなければならなかった。

アムは首から下げたペンダントを取り出すと、そこに嵌め込まれた青い石をじっと見つめた。


「絶対にそんな事はさせない。だからみんな……私に力を貸して……」


アムはネックレスに願いを込めると、決意した眼差しで立ち上がり自室の扉へと向かった。

扉を開けたアムがそっと外を伺う。

見張りの兵士は一人もいなかった。

シャングの計らいで軍規違反者ではなく、自主的に謹慎した形を取ったからだ。

そのまま堂々とした態度で通路を歩き出す。

アムの考えた作戦はオーソドックスだ。

司令の自室のコンピューターを借用して『インジェラ』の戦術コンピューターにアクセスし、作戦データとマップデータを全て消去しようというのだ。

当然、作戦は中止になる。

リカレスの在処は勿論、現在位置からニュー・ヴィンランドまでの膨大な地図を全て消去してしまうのだ。戦闘どころか、無事に帰る為にも後退せざるを得なくなるだろう。

そうなれば当然アムは罪に問われる。

だが事が公になればアムは法廷で声高々に事実を告げてやるつもりだった。

もっとも反逆罪でその場で射殺される可能性もあったが、そうなったらそうなっただと覚悟を決めていた。



通路の角からそっと顔を出して覗き込むと、司令の自室前には兵士が一人立っていた。


〈さすがに見張りくらい居るわよね。なら……〉


アムは自嘲気味に笑うとASを呼び出した。

本来、作戦行動中でもないアムが艦内でASを展開する事事態が違反行為なのだが、もう怖いものなしだった。

角から躍り出たアムはホバリングで一気に距離を詰めると、驚愕の表情を浮かべた兵士に当て身を喰わせて気絶させた。

そのまま部屋の中に引き摺り込んで扉を閉める。

そこはアムが『インジェラ』に保護された際にパンナボールとブルックハルトに報告を行った、あの執務室だった。

壁には勲章や楯、賞状等が飾ってある。

それも一つや二つではない。

いくつもいくつも、これ見よがしに飾ってあった。

初めて見た時はなんとも思わなかったそれ等だが、今はそれ一つ一つが妙に白々しく、不愉快な物に映るから心境の変化とは不思議なものだった。

だがその時、アムの脳裏をなにかが過った。

何かは分からないが、何かが引っかかる。妙な違和感と言ってもいい。

しかし、それが何なのか思いつく前に目的のコンピュータを見つけたアムはその疑問を頭の隅へと追いやってしまった。


「ラッキー、電源が入れっぱなしになってる。これなら……」


アムは司令のアカウントを使い『インジェラ』の戦術コンピュータに難なくアクセスした。


「えっと、作戦名なんだっけ? あれ? 言ってなかったかな? えーい、作戦履歴を探せば今回の作戦も……」


そして作戦履歴の日付を辿って行くうちに気づいた。

作戦と作戦の間隔が異様に短い事に……。そして再び脳裏を何かが過る。


待って……なんであんなに勲章があるの?


……それは、それだけワービーストの人達を殺したから……。


違う、そこじゃない!なんで、そんなにワービーストを殺せたの?


アムはキーボードを叩く指を停め、自問自答を繰り返した。


勲章を貰うって事は、少なくとも街単位で殲滅したって事よね?

でも街って事は必ず獣化出来る人がいた筈。しかも複数人。

そしてその人達は戦いになれば当然反撃する。

AS一個中隊をたった一人で相手に出来る、あの獣化したワービースト数人を相手にして……街ごと殲滅?

……しかも……私の記憶では南部戦線に大規模な増援が送られた事はここ数年なかった筈……。

と言う事は、自分の隊に損害は出ていない。

出ても補充を求める程の損害を受けなかった?

しかも、たった半年の間に四つの大規模な作戦を行ってる……。


「……絶対にあり得ない」


何かある。

絶対に何か理由がある。

でなければ不可能なのだ。


「そうだ、作戦概要を見れば……」


それはすぐ見つかった。

そして読み進むうちにアムは言葉を失った。

そこには食料と交換に旧人類の進んだ医療を提供、信用を得たところで交易を行い、そして相手が油断した頃を見計らって飲料水や食料に毒物を混入。蔓延し、弱ったところで殲滅……そして……。


アムは執務室の奥の扉を見た。司令の私室へと続く扉を……。

そして部屋の中を横切って近づいて行く。

アムはノブに手を掛けると、ゆっくりと開けていった。

外から差し込む光に一瞬目がくらむが構わず足を踏み入れる。

そこでアムの足がピタリと止まった。


「これって……」


そこは豪奢な……いや、たかが司令官には不釣り合いな程の豪華な部屋だった。

部屋いっぱいに敷き詰められた毛足の長い絨毯の上には大きな壺や彫刻がいくつも立ち並び、色鮮やかな織物や絵画の数々が壁を埋め尽くしている。

部屋の隅には高価そうなアンティーク家具がある。

いや、実際に高価で年代物なのだろう。

但し、明らかにヴィンランドの物ではなかった。

おそらくどこぞのワービーストの屋敷から運び込んだ物なのだろう。

そして部屋の中央には将軍でも使っていないような黒光りするテーブルがあり、その上には金のカップと燭台が置いてあった。

軍艦には不釣り合いな天涯付きのベッドの脇には同じくアンティークな机がある。

アムはその机に近付くと、鍵の掛かった引き出しに手を掛け、ASの力でもって強引にこじ開けた。

中には数々の宝石と貴金属。そして……裸に剥かれ、凌辱される女性達の写真が入っていた。


「……司令は知ってたんだ。感染してないワービーストの存在を……。知ってて利用したんだ……。軍の物資で交易して、信用を得てから殺して……財宝を奪う為に……。これを暴露してやれば……」


「動くな!!」

「ーーーッ!?」


突然、数人の兵士が部屋に乱入してアムに銃を突きつけた。

その兵士達の中からブルックハルトがゆっくりと歩み出る。


「ランダース!……貴様、ここでなにをしている?」

「あんた達、知ってたのね?感染してない正常なワービーストの存在を!」

「……なんの事だ?」

「しらばっくれないで。司令の端末で作戦概要を見たわ。言い訳はさせないわよ!」

「ちっ……」

「なんでそれを報告しないの?そうすればワービーストと友好関係を結ぼうと思う人達だって……戦争を止めようとする人達だって絶対に出てくる筈よ!」

「ふぅ……君は本当にバカだな?そんな事をすれば、他の部隊の奴等も真似をするだろうが?我等が充分に稼ぎ、そして社会で地位と名誉を得るまで、この事は絶対に秘密にしなければならん」

「呆れた。なにが正義よ。まったくの私利私欲じゃないの」

「なんとでも言え。だが知った以上はお前も仲間になってもらうぞ」

「お断りよ!そんな事の為に、あの街の人達は殺させないわ!」

「ほう……ではここで死んでもらう事になるぞ。それでも良いのか?」

「それも……お断りよ!」


先手必勝とばかり、アムがブルックハルトに飛びかかる。

しかし一歩目を踏み出したところで突然、アムのASが光の粒子になって消えてしまった。


「……な!?」


あまりに突然の事でアムはその場に倒れ込んでしまい、そのままあえなく兵士達に取り押さえられてしまった。

両腕を抑えられ強引に立たされてもアムは訳の分からないと言った顔をしている。

そんなアムのもとに勝ち誇った顔のブルックハルトがゆっくりと歩み寄った。


「君のIDはたった今、私の権限で剥奪した。もうASは呼び出せんぞ?はっはっは」

「卑怯者!くそっ、放して!!」

「ふん、威勢は衰えんか。お前は作戦が終わり次第、薬漬にして死ぬまで可愛がってやろう。楽しみにしていろ」


ニヤリと笑ったブルックハルトがアムのスーツのジッパーに手を掛け一気に引き下げた。


「きゃあ!?」


開いた胸元で皆から貰ったペンダントがキラリと光る。


「ほう……?瑠璃ではないか。お前には勿体ない代物だな」

「それに触るな!!」


ペンダントを……みんなを汚されたような気分になったアムがブルックハルトの脛を思いきり蹴飛ばす。


「貴様!!」


だが怒ったブルックハルトに頬を殴られ、そのまま勢い余って床に倒れ込んでしまった。


「ふん、私はこれから忙しい。お前が助けようとした、あの街の連中を皆殺しにしなくてはならんのでな。お前は私が帰るまで指をくわえて大人しくしているがいい」


アムにそう言い残すと、ブルックハルトは部下の一人に「逃げ出せんよう拘束して、私の部屋に監禁しておけ」と命じて踵を返した。

このままではブルックハルトが行ってしまう。

作戦が始まってしまう。

だがASを取り上げられたアムには、もはやどうする事も出来なかった。

ペンダントを強く握り締めたアムの両目から涙が溢れる。


〈…………ごめん、シン……アクちゃん……みんな……ごめんね…………〉


成す術もなくなったアムが全てを諦めかけたその時……突然、手の中のペンダントが柔らかく光り出した。

それは打ちひしがれたアムを慰めるように……決して一人じゃないと励ますように……まるでペンダントが意思を持っていて、アムを勇気付けているかのようだった。

その時になってアムは初めて気づいた。


〈……これ……ASだったんだ〉


『お守りだ。それを俺達だと思って肌身離さずに持っていろ』


シンの言葉を思い出したアムが思わずくすりと笑う。


〈最初っから言っといてよ……バカ〉

そして心の中で強く叫んだ。


〈おいで、碧瑠璃!!〉


直後、アムの全身が光に包まれた。

何事かと振り向いたブルックハルトが驚愕の表情を浮かべる。


「バカなッ!? ASだぐおッ!?」


ブルックハルトの驚きが悲鳴にかわる。

ASの展開が終ると同時に起き上がったアムが、驚くブルックハルトの股間を目掛けて思い切り右足を蹴りあげたのだ。

だがブルックハルトもAS隊の隊長を務める程の男だ。

アムが足を振り上げる直前にASを展開した。

しかし衝撃までは殺し切れず、股間から頭の頂点に向かって身体の芯を痛みが突き抜けていき、その場に踞ってしまった。

慌てふためく兵士達を尻目にアムが窓を叩き割って外へと飛び出す。

そこには燦然と輝く太陽と、抜けるような青空がどこまでも広がっていた。



「くそがっ!……司令、申し訳ありません。あの女に秘密を知られた上……逃げられました」

「バカ者!とっとと追い掛けて殺せ!」

「はっ!」



「今ならまだ間に合う。直ぐにみんなに知らせなきゃ……」


『インジェラ』から逃げ出したアムは一直線にリカレスの街を目指した。

だが幾らも離れる前に碧瑠璃が追っ手を察知した。まだ距離は離れているが早い。しかも三機だった。


「げっ!?機動性重視のF型!?」


碧瑠璃の計算では約90秒で敵の射程に入る。


「ここは戦うしか……いや、ダメだ。時間を取られると作戦が始まっちゃう。そしたら終わりだ。ここはなんとか逃げ切ってやる!」


アムはそう判断するとマップデータを呼び出した。

そして森を抜ける最短距離を登録すると、続けて碧瑠璃の装備を素早く確認する。


「銃弾に関しては碧瑠璃の防御シールドが自動で対応してくれそうね。じゃあミサイルだけ気をつければ……」


その時、ふとシンやアクミ達の笑顔が思い浮かんだ。

アムも思わず笑顔になって街の方角の空を見つめる。


「ふふ、絶対に帰るからね。じゃあ……頼むわよ、碧瑠璃!」


直後、返事をするように碧瑠璃のアラートが鳴った。『敵機発砲』の合図だ。

少し間を置いて大口径の銃弾が近くを掠める。

数発直撃コースがあったが、碧瑠璃の防御シールドが完璧に防いだ。

これでは埒があかないと悟った追っ手がミサイル攻撃に切り替える。


「来たわね、ミサイル。でも……させないわよ!」


アムは高度を落とすと森の中に飛び込んだ。

そして木々の間を右に左にと避けながら高速で飛び続ける。

だが追尾機能を備えたミサイルもまた、同じようにそれ等を避けて碧瑠璃へと迫まった。

やがて前方に川が見えてくる。

アムはそこで急旋回すると川沿いに進路を変えた。

そして両岸を木々に挟まれ、一本の道のようになった川の水面ギリギリを飛行しながら両手にレバーアクション式の散弾銃を呼び出した。

程なくミサイルの軌道が後ろの一点に固まる。

アムはその瞬間を逃さず、両手に持った散弾銃の引き金を引いた。

銃弾に撃ち抜かれた先頭のミサイルが爆発する。

さらに指を掛けたまま銃身を一回転させて素早くリロードすると、すぐさま二射目、三射目を行い、ミサイルを全弾撃ち落とすのに成功した。


「へへん、どんなもんよ!」


アムが一人喜びの声を上げる。

だがそれのも束の間。

碧瑠璃のセンサーが、今度は敵機が接近した事を知らせた。


「げっ!?被せられた!?」


アムが調子に乗ってミサイルを迎撃してる隙に、三機のASが上空に迫っていたのだ。

大剣を振りかぶって急接近するブルックハルト。

その顔目掛けてアムが両手の散弾銃を放り投げた。


「ふん!」


それを剣の一閃で切り裂くブルックハルト。

たが防がれるのは計算のうちだった。その隙に森の中に逃げ込むのが目的だったのだから。

しかし、一度距離を詰められた碧瑠璃に機動性重視のF型を振り切るのは困難だった。

二機のASの銃撃で姿勢を崩され、更にはミサイルで牽制されて、気づけば遮蔽物の多い森の中から追いたてられていた。

そして、ついに接近したブルックハルトの一撃を浴びてしまい、バランスを崩してそのまま地面に叩き付けられてしまった。


「いたたたた……」


ASのエネルギーシールドのお陰で怪我はしなかったものの、アムが起き上がろうとした時にはブルックハルトが目の前に立っていた。

そして大剣を高く振り上げてる。


「手こずらせおって!死ねぇえええ!」

「ーーーッ!?」


特殊なエネルギーシールドに守られているASとは言え相手もAS。

その大剣の一撃を一点に受けて無傷でいられる程強力ではない。

それを知っているアムが思わず身を固くした時、


「バンッ!」


ブルックハルトの顔面が音を立てて爆ぜた。ASのエネルギーシールドが何かを防いだのだ。

だが衝撃までは消しきれず、ブルックハルトは思いきり顔面を殴られたかのように吹き飛ばされてしまった。


「くっ、狙撃だと!?いったいど……」

「ハイヤァァァアアアアアアーーーーーーーーーッ!!」

「ぎャ△?×?っ!!」


それは刹那の出来事だった。

突然、空から荒ぶる鷹のポーズで舞い降りた少女の右足が、起き上がろうとしたブルックハルトの股間目掛けて襲い掛かったのだ。

その時、その場の全員は確かに聞いた……。

まるでスイカ割りでクリティカルが発生したかのような、明らかに聞こえてはいけない、くぐもった音を……。


哀れ……少女の全体重を股間の一点に受けたブルックハルトは、突き抜ける激痛に悲鳴も上げられず、口から泡を吹きながら白目を剥いて気絶してしまった。


「とうッ!」


それを見届けた少女が空中高く飛び上がり、くるりと後方宙返りをしながら華麗に着地する。


「見ましたか、先生の実践諺。『将を射んとするなら、まずはタマから射よ』です!」

〈〈……馬だろ!〉〉


思わず心でツッコむブルックハルトの部下達。

そして訪れる静寂。


その静寂を破ったのはアムの小さな声だった。


「…………アクちゃん?」

「はいです!」


アクミがにっこり笑って振り返る。

そして状況判断が追い付かないまま途方に暮れているブルックハルトの部下達にも凄く良い笑顔を向けた。


「あぁ、コイツですか?ふっ……安心しなさい。峰打ちですよ」

〈〈峰打ち!?〉〉


いや、お前ドヤ顔でなに言ってんだ?

と思わずツッコミを入れそうになった部下達だが、そこではたと気づいた。アクミの頭の猫耳に。


「こいつ、ワービーストだぞ!」

「なに!?なんでワービーストが!?」

「ふふん、私だけじゃありませんよ?」


アクミの台詞を聞いたブルックハルトの部下達が、びくりと肩を震わせた。そして後ろを振り向く。

そこには……地面に倒れたアムを庇うようにして、白いASを纏った男が立ち塞がっていた。


「……シン?」


自分を庇うその背中を見上げ、震える声で尋ねると、シンがゆっくりと振り向いた。


「一人でよくがんばったな」


その顔を見た途端、瞼が熱くなるのが自分でも分かった。

そしてシンの労るような優しい声を聞いた瞬間、溢れ出した涙が頬を伝って流れていく。


「……うん」


涙を流すアムの頭を優しく撫でながら、シンが鋭い目付きでブルックハルトの部下達を睨んだ。


「ちょっと待ってろ。直ぐに片付ける」

「「ーーーッ!?」」


危険を感じた部下達が身構えるよりも早く、その懐に入り込んだシンがボディブローを打ち込んで部下の一人を悶絶させた。

地面に崩れ落ちた部下のASが光の粒子となって消える。

それを見たもう一人の部下が右手に小銃を呼び出し即座に発砲した。

だがシンは、まるでスケートで氷の上を滑るように、右に、左にとターンをしながら銃弾を避けて離れていく。

それならと背中から大剣を引き抜き地を蹴れば、今度は軌道を変えて一直線に向かってきた。

その頭を目掛けて大剣を振り下ろす。

しかし目の前でターンでかわされ、右に回り込まれてしまった。

ガラ空きになった相手の脇腹目掛け、シンがすり抜け様に短刀を叩き込む。


「がっ!?」


一拍の間を置いてシンが振り向くと、相手はガクンと両膝を付き、そのままドサッと地面に崩れ落ちてしまった。


「……AS相手に小銃は足留めにしかならんぞ?」


まるで教え子に諭すように呟きながら短刀を鞘に納める。

瞬殺だった。


そこにエンジン音を響かせながらエアバイクに跨がった次狼がやって来た。

先程、ブルックハルトにヘッドショットを決めたのは次狼の狙撃だったのだ。

それを見たアムが「次狼くん!」と叫ぶと、次狼がニヤリと笑って右手をサムズアップしてきた。

その次狼のエアバイクの後席にアクミが飛び乗る。

すると次狼はアクセルを噴かしながらその場でターンし、すぐさま走り出してしまった。


「アム、話は移動しながらだ。一緒に来い!」


シンはそう言い残すと、エアバイクを追いかけるように飛び立った。慌ててアムも後に続く。

そしてシンに追いついたところでアムがさっそく疑問を投げかけた。


「ねぇ、シン。いったいどうしてここに?」

「まずそちらの状況は、アムのASにアクセス出来るようにしておいた碧瑠璃を介して逐一把握してたんだ」

「……え?」

「更に言えば、アムちゃんのASが整備に出された時、戦術コンピュータに接続されたんです。その隙に猫々ちゃんが碧瑠璃を介して侵入。以後は偽のアカウントを使って中身は覗き放題でした」

「……は? じゃあ、こっちの立てたクソみたいな作戦も?」

「そうだ、知ってた」

「知ってたって……じゃあ私の苦労はいったい……」

「はは……まぁ、そう言うな。族長始め、みんな感動してたぞ。だからこうして作戦を変更してまで俺達が出張って来たんだ」


肩を落として落ち込むアムをシンが笑って励ました。


「はぁ……まぁ、良いわ。ところで作戦って?」

「実は今……リカレスは引っ越しの最中でな」

「引っ越し?」

「そうです。引っ越し自体は数年前から計画されてたんですよ。猿達と旧人類が近くで度々戦闘をするようになったんで。まぁ……とばっちりを恐れてってのが一番ですね。北北西に約100キロ離れたリンデンパークって街に住民総出で移動するんですよ」

「じゃあ、リカレスの街は?」

「廃棄する。戦場が近くなったんでな」

「……そうなんだ」


朝……目を覚ましてからアクミやひめ子と朝の挨拶をした、あの部屋の風景。

そして窓を開けた時の清々しい空気と、そこから広がる街の景色と青い空。

山と緑に囲まれ、街を流れる清流でシンやアクミやひめ子達と釣りや川遊びをしたのを思い浮かべて少し寂しい気持ちになる。

だがシンの話の途中だったのを思い出すと、すぐさま頭を切り替えた。


「そこで問題になったのが猿達だ。当然こちらの動きを察知すれば……いや、実際に察知され、かなりの部隊を出して来た。そんなのに追撃されたら住民に被害が出るのは確実だ」

「まぁ、そうよね」

「追撃させない為には、猿達の気を逸らす必要がある。そこでそちらが立てた作戦だ」

「あの?」

「そうだ。仮に奇襲を掛けようとした街で、ワービースト同士が戦ってたらどうすると思う?ワービーストを憎み、皆殺しにするのに躊躇しない連中がだ」

「様子見かしら?両者の共倒れ。もしくは片方がやられるのを待ってからの武力介入が一番効果的ですもの」

「そうだ。そして今がその状況だ」

「もともと、猿達が出てきた時に時間を稼ぐ為の砦がありました。リカレスから南西20キロのアルゼーラって街にある砦なんですが、そこに大牙くんが籠って猿達と交戦してます」

「でもこっちが狙ってるのはリカレスの方よ?私のASから位置情報を読み出したんですもの」

「ところがアムちゃんのASの位置情報は猫々ちゃんが書き換えてます。大牙くんのいる街の方に……」

「じゃあ……」

「そうだ。アルゼーラをリカレスと勘違いさせ、観測気球を送ったてみらワービースト同士が戦ってたって状況を作り出した。後は大牙を後退させ、気が熟したと勘違いした奴等がミサイルをぶち込めば……」

「猿達の矛先が変わる?」

「まぁ……そう簡単にはいかんから、猿達を誘導する必要があるがな」

「おっと、先生。私達はこれで!」

「あぁ……頼むぞアクミ、次狼」

「はいです。ではアムちゃん、また後で!」


左手でサムズアップした次狼と、楽しそうに手を振るアクミが乗ったエアバイクが進路を変えて離れて行く。

それを見送ったアムが、「私達は?」とシンに尋ねた。


「とりあえずアムを安全な場所に届ける。そしたら俺は一仕事だ」

「一仕事?」

「せっかく猿達を誘導してやっても、相手が逃げたら再び俺達に矛先が変わるかもしれん。そうさせない為にランドシップに奇襲を掛ける。エンジンを破壊し、逃げられないようにして戦場を固定する為にな」

「一人で?」

「いや、猫々とドローンも一緒だ」

「随分心もとないわね。いいわ、私も行く」

「止めとけ。さっきまで仲間だったんだぞ?殺すつもりは毛頭ないが戦いに行くんだ。なにが起こるか分からん」

「ふふ、もう吹っ切れたわよ。あんな目にあったのよ?私の仲間はここ。私が守りたい場所もここ。だから連れてって!」


そう言って見つめるアムの真剣な眼差しに、シンにはそれ以上言い返す言葉が見当たらなかった。


「……わかった。じゃあ手を貸してくれ、アム」

「オッケー! じゃあ、このまま引き返す?」

「ふっ……そう慌てるな。先ずは準備をしてからだ。アムも行くなら碧瑠璃の装備も換えないとな」

「装備を換える?でも、どこで……?」

「あそこだ」


そこはちょうど山を越え、リカレスの街外れに差し掛かった所だった。

その街側の森に紛れるようにして濃い青色の人工物が鎮座していた。

それを見たアムが驚きの表情を浮かべる。


「……ウソ!?あれって……」

「艦名は『アイリッシュ』……俺達のランドシップだ」


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