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見知らぬ空へ  作者: たじま
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1、チャームライト・ランダース

鬱蒼とした森が大地一杯に広がっていた。

数十年……いや数百年間に渡って伐られる事の無かった木々は伸び伸びと枝を伸ばし、その枝先に青々と葉を付けている。

だがそのお陰で太陽の光りを遮られた地表付近は昼尚薄暗く、時おり射し込む光りがまるでスポットライトのように苔むした地面を幻想的に照らしていた。

そんな、およそ人の手の入っているとは思えない自然剥き出しの森の中なのに鳥の囀ずりは聴こえない。

代わりに聴こえて来るのは静かに響く機械の駆動音。

そして静まり返った木々の間には、あの森林独特の匂いではなく……噎せるような煙硝と、血の臭いが漂っていた。




「301より本部、エリア6ー3制圧完了。損害0」

『本部より301、了解しました。別命あるまで待機願います』

「301了解」


隊長らしき男はインカムに向かって静かに応えると、周りに散らばった隊員達を見回した。

全員揃って西洋の鎧に似たスーツを着用していた。

もっとも全身鋼鉄の鎧ではなく兜もない。

腕や足、身体の一部も露出していて、こちらの方がより洗練され動きやすいようにデザインされている。

装着した人間の各種機能を強化、補助する機械、ASアシストスーツだった。

カラーリングは今いるだけで三色。

機動性を重視した格闘しやすいデザインの白に、大きな楯を装備した青、重火器で武装した赤が見て取れる。

隊長はその中で青いカラーリングの二人を指さした。


「309と310はここで待機だ。他はここを中心にツーマンセルで周囲を確認。ひょっとしたら死体のフリしてるヤツがいるかもしれん。怪しい死体は近付かず、二、三発ぶち込んでやれ」

「「了解」」

「308!お前は俺と来い」

「……はい」


隊長に308と名指しで指命された少女は小さく返事をすると隊長の元へとゆっくり移動して行った。

ASのお陰で倒れる事はないが、その足取りは覚束ない。

見れば軽く肩に掛かる程でカットした明るく茶色い髪とは対称的にその顔色は血色を失っており、本来活発で明るい筈の少女の顔を暗く彩っていた。


隊員達はそんな彼女を横目に手近な者同士で二人一組になると、思い思いの方角へと散って行った。

それ等を見送った隊長が居残りを命じた309に軽く頷く。

そして308を振り返り、「行くぞ」と声を掛けて歩き出した。

そのまま暫く双方無言のままで時間が流れていった。


実は少女は今回が初陣だった。

訓練所での成績は優秀だと聞いていたが、実戦は訓練とは違う。

特に生まれて初めて生きた相手に銃を向けて戦うと言う事は、想像以上に心に負担を掛けるのは事実だ。

しかし殺るしかない。

これは戦争なのだから。


いつまでも俯く少女を眺めて隊長が小さな溜め息をついた。そして、


「その手の銃は飾りか?」


と侮蔑を込めて言った。

瞬間、少女の身体がビクンッと震える。

顔をあげた少女の瞳は今にも泣き出しそうだった。


「……人間でした」

「違う!」


隊長は強い口調で即座に否定すると、少女の正面に立ちその目をじっと見据えた。


「いいか?奴等は獣人……ワービーストだ。人間を捨てた奴等の末裔だ。我々と同じ人間に見えるが、もはや人ではない。手加減するな!」

「でも……」

「でもじゃない!今回は、たまたま獣化する個体がいなかったから一方的な戦いになっただけだ。もし獣化がいたら、こっちが全滅してたかもしれん。12機のASがだぞ?そんな奴等に躊躇はするな。でないと次はお前が……仲間が死ぬ事になる」


「……はい」


「分かったら顔を上げろ。そして戦え。俺達の肩に人類の未来が掛かっているんだ。それを肝に命じて……」


『本部より301』


と、そこで隊長宛に通信が入った。

話の腰を折られた隊長は気を落ち着けるようにふんと鼻息を一つ付き、それからインカムに手を添えた。


「301」

『エリア1ー4で交戦中の第5中隊より支援要請。獣化一体の存在を確認。第3中隊は第6中隊と合流後、この支援に向かわれたし」

「301了解」


獣化の個体がいると知ったからか、横で見ていた少女の目にも隊長が緊張しているのが分かった。

そしてその緊張はそのまま直ぐに少女にも伝わる。


「301より各機、聞いたな?これより支援に向かう。第6中隊のいるエリア2ー8に移動しながら小隊編成へ、全方位警戒しつつエリア1ー4へ向かうぞ。報告にもあったが獣化の個体がいる。気を抜くなよ」

『『了解』』


「いいか、気を引き締めろよ?」


それははたして少女に言ったのか、それとも自分自身に言い聞かしたのか……。

二人のASは地面から静かに浮き上がると、まるでスケートのように、滑るようにして木々の間に消えて行った。




「はぁ……はぁ……はぁ……くそっ!」

『510!後ろに張り付かれてるぞ!』

「分かってる!振り切れないんだ!誰かなんとかしてくれ!」

『508だ、今行く。なんとか持たせろ』


木々の間を右に左に避けながら高速で移動するAS。

その後ろから迫る一人のワービースト。

このままでは振り切れないどころか追い付かれると悟った510が右手の銃を握り締めて木の幹に左手を伸ばす。

そして左手を起点にくるっとターンし、同時に発砲した。

だがワービーストは既にその場にいない。

ASが発砲した瞬間大きく左前に飛び、着地と同時にジャンプ。

そのまま510と呼ばれた兵士に飛び付くと、組んだ両手を振り上げて脳天に叩き付けた。


「うわぁべぶ!」


弾丸程度では貫通出来ない筈の特殊なエネルギーシールドに守られたASを事も無げに叩き潰す獣化したワービースト。

旧人類との身体能力の差は、ここまで絶望的に開いていた。

やがて頭を陥没させた510がゆっくりと倒れ込む。


「ーーーッ!?」

「バケモノがぁ!」


遅れて救援に駆け付けた508が発砲するがワービーストは慌てない。

倒れた510の腕を右手で掴みながら横にステップすると、着地と同時に510をぶん!と投げつけた。


「うわ!?」


それを避けきれず、510の死体と一緒に縺れるように転倒する508。

即座に立ち上がろうとするが、既にワービーストは508の目の前に立っていた。


「うわぁああああああーーーーーーっ!!」


恐怖に駆られながらも銃を突き付けるが、発砲する前にワービーストに手首を掴まれボキリと握り潰された。


「……あぁ!?……あ……はは……くそがっ!」


508の左手に光の粒子が集まり一本の短剣が現れる。

それを突き出すが、あっさりワービーストの掴まれ同じく握り潰された。


……万事休す。と言う言葉が脳裏を過る。


ワービーストは508の両手首を掴んだままニヤリと笑うと508の胸を踏みつけ、じわじわと両手を上に引っ張り始めた。

ゆっくりと、まるで虫の羽を引き千切るよな気軽さで……。


「いや……やめ……やめ……ぎゃぁああああああーーーーーーーーーっ!!!」


やがてゴキリと肩が外れる鈍い音がした。

次いで両肩の筋肉と皮がブチブチと音を立て、そのまま腕を引き千切られる。

その時には既に508は事切れていた。

引きちぎった両手を放り投げたワービーストがじっと辺りの気配を伺う。

そこには、ただ静寂の世界だけが広がっていた。

だが何かの気配を察知したのだろう。

ワービーストはその場でジャンプすると木の枝に飛び乗り、枝から枝へとジャンプしてそのまま身を隠してしまった。

直後、木々の間を抜いながら12機のASが次々と姿を現わした。



「301より601、そっちはどうだ?」

『601だ。誰もいない。こっちはもう少し先に行ってみる』

「了解、気をつけろよ」


通信を終えた301が隊員達に振り向く。


「よし、俺達ももう少し先へ……」

「隊長! あ、あれをッ!?」


突然、隊員の一人が大声をあげた。

その場の全員が一斉に隊員を見る。

次いでその隊員の指差す先を見て言葉を失った。

そこには地面を真っ赤に染めて二人の仲間が横たわっていたのだ。


「302……確認しろ」

「……了解」

「他は周囲を警戒だ。まだ近くにいるかもしれん。油断するなよ」

「……305、306、援護を頼む」

「「了解」」


手近にいた二人に声を掛けた302が歩き出すと、二人は一方向だけ見ず、絶えず右、左、と警戒しながら銃を構えて302の後ろを付いて行った。

やがて倒れた二人の元に到着した302が、しゃがみもせずに振り返る。そしてゆっくりと首を振った。

既に事切れていると言う事だ。


「301より本部、508と510と思われる二名の遺体を発見した。引き続ぶびゃっ!!」


「えッ?……きゃあ!?」



それは一瞬の出来事だった。

突然、空から黒い影が降ってきたと思ったら何かが潰れる湿った音がした。

それが組んだ拳を隊長の頭に叩き付けた音なのだと理解した時には、槍のように延びた後ろ蹴りの脚が目の前に迫っていた。

胸を狙って蹴り込まれたそれを咄嗟に右腕でもってガードするが、あまりの威力にそのまま蹴り飛ばされ、木の幹に背中から叩き付けられてしまった。

その衝撃で背中のスラスターが破壊され、ASが光の粒子になって消えていく。

薄れゆく意識の中、仲間の叫び声と銃声の音を遠くに聞きながら、308と呼ばれた少女はその場に崩れ落ちた。



突然降って湧いた獣化したワービーストに隊長と取り巻き二名を続けざまに殺られ、戦場は一気にパニックになってしまった。


「隊長ッ!?」

「うぉおおお!!」

「バケモノがぁあああ!!」


満足に狙いも定めず、ただ恐怖心から引き金を引き続ける兵士達。


「落ち着け!無闇に撃たずにチーム毎に距離を取れ!」


302が必死に怒鳴るがその声は届かない。

まったく連携を欠いた攻撃。

その隙を突き、ワービーストが右に左にと左右の手を振るう度に、胸や腹を切り裂かれた兵士達が次々と倒れていく。

それを見かねた302は腰の剣を引き抜くと猛然とワービーストに斬りかかった。しかし当たらない。

剣筋を完全に見切ったワービーストは左右の足を交互に引きながら、二撃、三撃と斬撃をかわす。

そして302が大振りになった瞬間、今度は一歩踏み出して懐に入ると左手で剣を持つ腕を弾き、右手の手刀を腹に突き刺した。


その場の全員の時間が止まり、戦場とは思えない、耳が痛くなる程の静寂が辺りを覆う。


「……あ……あぁ…………」


その静寂を破ったのは302の口から漏れる呻き声だった。

歯をカチカチと鳴らし、小刻みに身体を震わせていた302の腕からポロリと剣が抜け落ちる。

それを見たワービーストが勝ち誇った顔でニヤリと笑った。

302は健気にも相手の腕を引き抜こうと両手で掴むが、その場でガクリと両膝をついてしまった。

その瞬間、勝負の行方を見守っていた兵士達の表情が氷る。

誰もが次の瞬間、302の首が飛ぶ未来を想像したのだ。

そして、次は自分の番だと……。

だがそんな絶望的な状況でも302の顔が不敵に笑った。


「……へへ……へ……捕まえた……」


その時ワービーストの笑みが消え、初めて焦りの表情を見せた。


「呆けてるんじゃねぇ!やれぇえええッ!」


302の雄叫びにハッと我に返った305と306が剣を引き抜き斬り掛かる。

302がワービーストの動きを阻害出来たのは僅か一秒足らずだろう。

だがその一秒の間に二機のASは一気に距離を詰めると、ワービーストの胸に二本の剣を突き刺した。


再び戦場を静寂が覆う。


その静寂を破ったのは、またしても302の声だった。


「へへ……ざまぁ見ろバケモノ……人間様を……なめんな」


地面に倒れたワービーストを見て悪態を付くが、どう見てもこちらも重傷だった。


「おい、大丈夫か?」


そのまま横倒しに崩れ落ちた302に305が駆け寄り傷の手当てを始めた。


「大丈夫じゃないが……大丈夫だ。……てて、腹を触るな。男に優しく触られても気持ち悪いだけだろ。お前じゃ話にならん……女性隊員への交代を要求する」

「はは、それだけ悪態吐けるなら大丈夫だな。ほらよ……」


倒れた302の仮処置を完了した305が立ち上がり、思ったより元気な様子の302に右手を差し出した。

「男と手を繋ぐ趣味もないんだが……」


そう言って笑いながらも差し出された手を掴んだ。その時……、


「……あ!?」

「あ……?」


302が怪訝な顔をして視線を上げる。

すると目の前にある305の胸から……槍の穂先が覗いていた。


「うわぁあああッ!?」


突然なにに怯えたのか?

306は悲鳴をあげると、その場から空中に逃げ出した。

だが5メートルも上昇する前に高速で飛来した二本の槍に胸と腹を貫ぬかれ、そのまま地面に落下する。即死だった。


〈……いったい何が?〉


302は頭の判断が追い付かないまま、ゆっくりと周りを見渡した。

そして状況を理解し……絶望した。


しんと静まり返った森の木々の間に……或いは枝の上に……牙を覗かせた口から涎を垂らし、血走らせた獣のような瞳でこちらを睨み付ける五体の獣化したワービーストがいたのだ。


「……へっ……へへ…………勝てる訳ねぇ……」


直後、302の目の前に立った黒い影が腕を振り上げた。

そこで302の意識は途切れた。……永遠に。





拓けた平原に三隻の艦船が停泊していた。

勿論、ここは海ではないので普通の船舶ではない。

これらは地上数メートルを浮遊して陸地を進む為の船、ランドシップだった。

その内の二隻は全長約50メートル程の冊形で、一般的な海上の船に近い形状をしている。

それよりも一際目につくのがもう一隻の船だ。

全長は200メートルにも及ぶ。

形状は他の二隻と違い、四足の獣がしゃがんだようなフォルムで、その背中からは太陽光発電パネルで出来た可動式の羽根を備えていた。

色は淡いグリーン。

これが今回の遠征軍の旗艦、『グリッツ』だった。

その作戦本部を兼ねた旗艦『グリッツ』のブリッジは今……騒然としていた。



「エリア1ー4に新なワービーストを確認!」

「第3中隊、応戦中。残存3!」

「第6中隊、交戦エリア到着まで約30秒」

「本部より第3中隊各機へ、増援の第6中隊到着まで約25秒」

『そんなに保つ訳ねぇだろ!』

「311、シグナル消失!」

「司令、101から出撃の申請が来ています」

「第3中隊、全ASのシグナル消失しました……」

「第6中隊、交戦エリアに到着。攻撃を開始」


『隊長、獣化の個体が!?』

『くそったれ!話が違うぞ!?』

『うわぁあああっ!』


「第6中隊、陣形が乱れました。戦線を維持出来ない模様。603のシグナル消失!」

『ふざけんな!なんで……なんで獣化が五体もいるんだ……』

『607!?』


「……五体?」


通信を聞いていた司令官が虚ろな表情で呟いた。


『本部、至急救援を!本部!本部!』

「第6中隊、次々シグナル消失していきます」

『止まるな!散開して逃げろ!』

『ぎゃぁああああ!』

『嫌だ!死にたく……』

『うわぁ!たた、助け……』

『とにかく散れ!』


「し……司令、……601が増援を要請してますが?」


通信士がおそるおそるといった表情で司令官に尋ねた。

その司令官はというと、焦点の合っていない目でモニターを見上げ恐怖に震えていた。


「サカマチ司令?」


再び掛けられた言葉にハッと我に返った司令官の口から出たのは、およそ信じられない命令だった。


「……て、撤収する」

「……は?」

「撤収する。ホワイトビット艦長、艦隊を後退させろ!」

「ですが司令、まだAS隊が交戦中です」

「ここで我々が全滅する訳にはいかん。後退だ!」

「し、しかし」

「これは命令だ! 従え!!」

「……了解しました。……『グリッツ』エンジン始動。各護衛艦に通達、後退する」


司令官の命令に艦長は呟くように指示を出した。


『こちら101。本部、早く出撃命令を!』

「司令、101より再度、出撃申請が来ていますが?」

「ダメだ。これ以上ASを投入しても各個撃破されるだけで戦果は期待出来ない。それどころかこちらの戦力をいたずらに消耗するだけだ」


仲間を見捨てる命令に言葉を失う通信士。


「……それに……森の中では奴等に勝てん」


だが続く司令官の言葉に通信士は……いや、その場のすべての兵士が俯いた。

心の中では分かっているのだ。

その通りだと……。


『戦う為じゃない。助ける為だ!今ならまだ間に合う!残った全ASで突っ込めば、こちらの数に奴等も尻込みする。その間に生存者を救出して来ればいい。本部!本部!』


静まり返ったブリッジに101の通信だけが響き渡る。


「……司令、返答はどういたしますか?」

「却下だ。AS隊には艦隊が10キロ後退するまで現エリアに留まるよう伝えろ」

「……了解」

『本部!聞こえてるんだろう?本部!』

「本部より101、及び201、701へ。これより艦隊は撤収を開始する。AS各中隊は艦隊が10キロ後退するまで戦線を維持」



本部からの命令を聞いた101は我が耳を疑った。

だが続けて響くランドシップのエンジン音。

そしてゆっくりと回頭する旗艦『グリッツ』の姿を見て言葉を失った。


「……見殺しにするのか?……あいつらは……まだ生きてるんだぞ……」


そんな101の呟きを打ち消すように、エンジンを大きく唸らせたランドシップが逃げるように後退していく。

結局AS8個中隊、96機を投入した今回の大遠征は、何ら得るもの無く撤退に追い込まれた。

損害はAS4中隊、48機。

いや……まだだ。

第6中隊の連中は生き残る為に今も必死に戦っている。

101はゆっくりと後ろを振り向くと、部下に背を向けたまま身動ぎもせずに遥か彼方の森をじっと睨み続けた。



本部の命令に呆れ、怒りすら覚えたのは101の部下で副隊長を務めるバッカスも同じだった。

だから隊長は本部の命令に腹を立てたが、それを部下に悟られないよう、遥か彼方を睨み付けているのだと思った。

だがそれは違った。

隊長に指示を仰ごうと隣に立ったバッカスが見たのは……泣くまいと、涙は決して流さないと、歯を食い縛りながら必死に堪えるとても悲しみに満ちた顔だった。


「……シャング隊長」


その顔を見た瞬間、感情を抑えきれなくなったバッカスの頬を一筋の涙が伝った。


「……戦場で泣くヤツがあるか」

「……はい。……でも、誰かが泣いてやらないと……アイツ等も浮かばれませんよ……だから俺は、泣けない隊長の代わりに……泣いてるんです……」

「……ふん」


101はそれ以上何も言わず、ただ遠くの森を見つめ続けた。







戦場から遠く離れた山の頂き。

地上から10メートルはあろうかという木の枝の上に一人の少女が立っていた。

周りには梯子らしき物も、よじ登る為の綱もない。

その少女の立つ枝を時折吹く風がいたずらに揺するが、少女は顔色一つ変えず怖がる素振りも見せない。

それは青み掛かった長い銀髪をピンクのリボンで括った活発そうな少女……アクミだった。

アクミがじっと見つめるのは戦いが終わり、静かになった戦場。

そのアクミの頭に気づけば猫耳が這えていた。その耳がピクリと動く。


「レオくんですか?」


小声で呟いた瞬間、木の根元に現れた人影が助走も付けず、一足跳びに少女の立つ枝に飛び上がった。

それはまだ幼さの残る顔つきをした少年だった。

見た目は普通の人間と変わらないが、二人ともワービーストだ。


「どうやら終わったみたいですね」

「やっぱり猿達が?」

「ここから見ただけじゃはっきりとは分かりませんが、まずそうでしょうね。さて……」


そう言って木の上で肩や首を回し始めるアクミ。


「……アクちゃん?」

「私はちょっと様子を見て来ます。レオくんは先に戻って、この事を先生と族長さんに知らせて下さい」

「一人でですか?」

「こう言うのは一人のが良いんですよ。ナニ、私なら心配いりません。ちょろっと戦場後を覗いて来るだけです。ナニか新しい情報や、役に立ちそうな物が落ちてるかも知れませんからね。それだけ確認したら直ぐに追いかけます」

「でも……」

「もう、大丈夫ですって。無理はしません。私も死にたくないですからね。ほら、心配せずに行った行った!」

「……分かりました。じゃあアクちゃん、くれぐれも無理はしないで下さいね?」

「分かってますよ。レオくんも油断しちゃダメですからね?」


アクミに促され、樹から飛び降りたレオが森の中に駆け出す。

それを見送るアクミの瞳はまるで弟を見守る姉のようだった。

やがてレオの姿が木々の向こうに見えなくなると、アクミは腰に手を当てて暫し考えた。


「ふむ……とは言えランドシップも後退して、戦場もだいぶ移動しちゃいましたからねぇ。まぁ、ここで考えててもしかたないか……。とりま鬼の居ぬ間にテキッと行って、パキッと様子を見て、スルッと帰るとしますか」


そう呟くと樹から飛び降り、まるで獣のように草木を掻き分けながら山を降って行った。

とても人間とは思えないスピードで……。



猫耳をピクつかせ、鼻をヒクヒクさせて辺りを警戒しながら森の中をさ迷っていたアクミがピタリと立ち止まった。血の臭いを嗅ぎ当てたのだ。

そして臭いを頼りに歩く事数分。

血の臭いが一際強い場所に出た。間違いなく戦闘があったのだろう。

立ち止まってぐるりと辺りを見渡せば、そこは死体だらけだった。

ぱっと見ただけでも十人は死んでる。それも旧人類の。


「こりゃまた……派手に殺られてますね……」


首から上が無い死体は綺麗な方で、頭を陥没させた死体、両手を引き千切られた死体、胸に大穴開けられた死体、腸を引きずり出された死体まである。


「うーん、さすがにこれは……お土産になりそうなのは、ナニも無さそうですね……」


アクミが頬を掻きながら呟きこの場を去ろうかと踵を返しかけたその時、ふいに猫耳がピクリと動いた。

眼を細め、腰を低く落とす。

右手は腰の後ろに挿した短刀の柄を握り、左手には腰袋から取り出した中指程の大きさのクナイを三本、指の間に挟んでいた。

そしていつでもその場から跳べるよう警戒体勢で辺りの様子を伺っていると、後ろで小さな呻き声が聞こえた。

見れば先程、胸を抉られていたと思った女性兵士が目を覚まし、身を捩って上体を起こしたところだった。

アクミは知るよしもないが、それは308と呼ばれていた少女だった。


「おや……? 良く見れば鼻血ですか。派手にぶちまけてるから、てっきり胸に大穴開いてるのかと思いました」

「ひっ!?」


突然、少女が驚愕の表情で悲鳴をあげた。

それはそうだろう。

目を覚ましたら死の象徴であるワービーストが目の前にいて、少女をまじまじと見下ろしていたのだから。


「……い、い……いや……来ないで……お願い……こ、殺さないで……」


あまりの恐怖に見開いた両目から涙を流し、懇願しながら少しでも距離を取ろうと後ず去る。

しかし左手を地面に付いたところで身体中に激痛が走り、その場に倒れ込んでしまった。


「別に捕って食やしませんから安心しなさい」


歯の根も合わず、ただただ怯え続ける少女がだんだんと憐れに思えてきたアクミが、呆れながらも優しく声を掛ける。


「ほら、怪我してるじゃないですか。ちょっと見せてみなさい」


そう言って少女の側にしゃがみこむと有無を言わさず少女の腕、肩、胸、背中、腹、足と次々に触っていく。

途中、右腕と胸を触られた時に少女が小さく呻き声をあげた。


「ふむ……あばらが数本と右腕の骨折ってとこですか。中身をやっちゃってないのは不幸中の幸いですね。取り合えず手当ては後です。とっととここから移動しちゃいましょう」

「……え?」


少女が驚きの声をあげる。

およそ信じられない言葉がワービーストの少女から発せられたからだ。


「……あの……助けて……くれるの?」

「困ってる人がいたら助けるのは当たり前でしょう?」

「違う……ワービーストが……なんでワービーストが、人間を助けるの?」

「私からしたら、私等もあんたら旧人類も同じ人間って括りなんですけどね。まぁ、ちょっと貧弱な部類ではありますが」

「同じ……人間?」

「そりゃあ、そうでしょうが?ほら、ご託は後です。うかうかしてると猿共に見つかりますよ?それともここで死にたいですか?」

「……死にたく、ない」

「うん、良い答えです。とりあえずこれでも飲んで下さい。痛み止めです。まぁ……気休め程度ですが」


そう言って腰の袋から取り出したのは、なんと見覚えのある頭痛薬だった。

その薬を摘まんで少女の口に放り、背中を支えながら水を飲ませてやるアクミ。


「飲みましたか?じゃあ行きますよ?」


アクミはそう言うと、少女の身体を軽々と背中におぶった。

途端に胸と右腕を痛みが走り抜け、思わず「うっ」と呻き声が漏れる。


「本当は安静にしてなきゃいけないんでしょうが、そうも言ってられませんからね。揺れますが我慢して下さい」


そう背中に声を掛けると、少女の返事を待たずに走り出した。







アクミ達が走り去ってから、二時間程経過しただろうか?

陽は傾き、西の空は赤く染まり、夜の帳が森の中を一足先に覆い始めた頃……三人のワービーストの男達が戦場跡を徘徊していた。

その内の一人は先程から地面にしゃがみ込んでは立ち上がり、じっと同じ方向を見据えていたかと思うと再びしゃがみ込んでを繰り返していた。


「どうだ?」


リーダー格の男が地面の男に問いかける。

すると問われた男はスッと立ち上がり、西の方角を指差した。


「西から来て北へ抜けてる。足跡からして女。この歩幅はワービースト、しかも獣化ができるヤツだな。ここから地面のめり込み方が大きい。おそらく誰かを担いだんだろう。土の乾き具合からして二時間前ってところか」

「ふん。北へ抜けたとなると……あの頭の狂った連中か。人の戦場をウロチョロしおって。忌々しい」

「直ぐ追いかけて殺そう」

「陽が落ちるのは構わんが、一雨来そうだ。追跡が困難になる前に距離を詰めよう」

「まぁ、待て。人を担いでるなら、そうそうスピードも出せんだろう。燕迅はこの事をご兄弟の誰かに伝えて指示を……」

「わかった。恫鼓は?」

「北に向かう道はそうそう無い。俺達は最短ルートを逃げたと仮定して先回りする。夜が明けても見つからなければ他を当たろう。お前はそれまでに合流しろ。行くぞ」


こうして最凶、最悪な連中による狩りが始まったのだった。







その頃、アクミは森の中の道なき道を進んでいた。

二時間以上経った今でもその速度は衰えず、依然として小走りで走り続けられる体力は旧人類には不可能な事だ。

しかも既に陽は落ち、森の中は一面の暗闇だというのに地面を踏み締める足に一切の迷いはない。

一方、背中の少女の顔は疲労の色濃く、虚ろな表情で、もはや背中にしがみついていると言うより力なく覆い被さっているだけな状態だった。

最初は走る振動に呻き声をあげていたが、今は大人しく静かにその身を預けている。

痛みが引いたと言うより、痛みで声も出ないのだ。


「あのぉ、一応聞きますけど……生きてますよね?」

そんな少女がだんだん心配になったアクミがそっと尋ねると、


「……うん」

と、小さな返事が返ってきた。


「良かったです。さすがに背中で死なれちゃった日には寝覚めが悪過ぎですからね。あっはっはっ……」

「……猫耳が……なくなってる」

「コレですか?」


返事と共に頭の上にピョコンと猫耳が生えた。

「……ふふ……出し入れ……出来るんだ」


ピコピコ動く耳がなんだかコミカルでおかしく、痛みを忘れて思わず笑みが溢れた。


「……ねぇ……聞いても良い?」

「ナンです?」

「あなたの……名前……」

「あぁ、そういえば自己紹介がまだでしたね。私の名前はアクミリス・ヴァレンタインです。まぁ、見ての通り猫のワービーストです。気軽にアクちゃんで良いですよ」

「アクちゃん……私は……チャームライト・ランダース」

「えーと、チャームちゃん……で、良いんですかね?」

「……アムで良い」

「ではアムちゃんで」

「うん。……ねぇ、アクちゃん?」

「はい?」

「アクちゃんは……なんで、普通のワービーストと違うの?」

「違うとは?」

「私の知ってるワービーストは……充血した、真っ赤な目をしてて……口から、泡を吹きながら、涎を垂らして……」

「あぁ……」

「それに……目が合ったら……どっちか死ぬまで……戦かって……こんな、普通に話が出来るなんて……考えもしなかった……」

「あんな頭のイカれた猿達と一緒にしないで下さい」

「……ねぇ、どうして?」

「まぁ、あながち間違ってませんよ。ただし、それは病気に掛かったワービーストだけです。私達は違いますよ」

「……病気?」

「ええ、病気です。これに侵されたワービーストは同族意識が極端に強くなるんです。それこそ、他の種族を見たら息の根止めるまで追い掛けて来ます。ホント、頭のイカれちゃった連中なんですよ」

「……アクちゃんは……大丈夫なの?」

「私らはワクチンを摂取してますからね。掛かる事はありません」

「……そっか……病気なんだ。……治して、あげられないの?」

「そりゃあ、ワクチンを摂取さえすれば治せますよ」

「……じゃあ……出来るんだ?」

「でも、どうやって摂取させるんです?街ごと病気に掛かってて、おまけに目が合った瞬間、問答無用で死闘を始めるような連中ですよ?そんなの相手に「あなた達は病気に掛かってますから、この注射をしましょう」ナンて言っても、聞く訳ないでしょ?」

「……そっか……そうね」


その時、少女の頬に一粒の水滴が落ちた。


「……雨」


少女が虚ろな表情のままで呟く。

言われてアクミが空を見上げれば、確かにポツポツと雨が降り始めていた。


「これはツイてますね。雨が私達の匂いも痕跡も消してくれます。本降りになったら少し休憩しましょう。もう少しの辛抱ですよ?」


そう言ってアクミは身体を上下に揺すってアムを担ぎ直すと、速度を上げて走り出すのだった。




アクミがアムを降ろしたのは、森の中の窪地に突き出すように枝を広げた大きな木の根元だった。

頭の上に覆い被さった木の幹が雨粒を遮り、それでいて根元付近は窪地なので風も凌げる。一晩明かすには最適な場所だった。


「ちょっと、待ってて下さいね」


アムの身体を木の幹に預けたアクミは、まだ濡れていない枯れ葉を集めて簡素な寝床を作った。

そして短刀を鞘ごと外すと、木に立て掛け、腰を降ろしてアムを手招きした。


「さすがに火を炊く訳にいきませんからね。ちょっと寒いけど我慢して下さい」


よろめきながらも座ったアムの身体をアクミは後ろから抱きしめ、両手で優しく包み込んだ。その温もりが気持ちよく、また、ここまで逃げられた事による安堵から緊張が緩んだのだろう。アムのお腹がくーっと小さく鳴った。


「あはは、お腹が減りましたね。ご飯にしましょうか」


そう言って取り出したのは、これまた見慣れたブロック状のレーションだった。

先の頭痛薬といい、どうやら軍の物資を虜獲したらしい。


「さぁ、どうぞ。結構いけますよ?」


手慣れた様子のアクミの言葉に思わず笑みが溢れる。


「あぁ、賞味期限をちょろっと一年程過ぎてますが、大丈夫ですからね」


続く一言に思わず笑みが固まった。





食事後。

疲労で直ぐに眠ってしまったアムの寝顔を見つめながら、アクミは頭の中で今後の事を考えていた。


〈さて……レオくんが夜明け前に着いたとして、そこから捜索隊が出るのが昼ちょっと前……となると、明日の夜までが勝負ですかね……〉


アムから視線をあげ、雨の上がった森の中を見る。

そこには木々の間から差し込んだ月の光が草木や地面の苔むした岩を照らし、とても幻想的な景色が広がっていた。


〈本当は森の中にトラップの一つでも仕掛けたいところナンですが、昨日も寝てないですからね。さすがの私もクタクタです。……正直、ここで来られたらアウトですね……〉


アムを抱き締めながらアクミが力なく笑った。

だが次の瞬間、キッと表情を改めると空を見上げる。


〈な、ナニ弱気になってんですか、私は!絶対に生きて帰りますからね。だから先生、ひめちゃん、待ってて下さい!〉


アクミは瞼の奥に二人の姿を思い描くと、固く心に誓うのだった。







アクミ達が休んでいる場所から山を四つ程挟んだ岩場の影にその男はいた。

その男が街道を見下ろしながら、後ろも振り返らずに呟く。


「来たか……」


直後、闇の中から一人の男が音もなく現れた。


「すまん。街道を避けて山の中を来たら遅くなった。あっちもまだのようだな?」

「あぁ。普通なら最短距離を一目散に逃げそうなもんなんだが……意外に頭が回るようだな。で……? ご兄弟はなんと?」

「さっさと追いかけて息の根止めろと」

「それだけか?随分と大雑把だな。夏袁様だろう?」

「分かるか? そら、暴れようと思ってたら敵さんに肩透かし喰らったろ?それで不機嫌でな。色々と指示を仰ごうとしたんだが、とっとと行けと怒鳴られてな……」

「ふっ、相変わらずだな」


二人揃ってくくっと苦笑いを浮かべる。


「で、どうする?」

「そうだな……奴等のテリトリーまで追う。期限は二日」

「まぁ、妥当だな。こちらも昨日からの戦で寝る暇も無かったからな」

「今のうちに寝ておけ。夜が明けるまで待って、来なければもう一本の道だ。ここから山の中を追い立てるように移動すれば、崖沿いの道に自然と追い込めるだろう」


そう言って男は不敵に笑うのだった。







翌朝。

日の昇る前に起き出したアクミ達は軽く食事を済ませると(と言っても、例のレーションだが……)直ぐに出発した。

一晩ぐっすりと寝たおかげでアクミの体力は完全復活していた。


結局、昨夜は予想された襲撃もなくアクミの心配は杞憂に終わった訳だが、それで追撃の手が伸びていないと思う程アクミは楽天家ではなかった。

一方のアムも痛みの方は相変わらずだが、一晩寝れたおかげで昨日のような、今にも死にそうな顔色ではなくなっていた。


「ねぇ、アクちゃん……?」

「ナンです?」

「猫耳……」

「これがナニか?」


アムが猫耳と言った瞬間、アクミの頭にピョコンと一瞬で生えたが、直ぐに髪の中に消えてしまった。


「なんでいちいち仕舞うの?」

「と言うか、こっちがデフォルトですよ」

「そうなんだ?」

「そうなんです。まぁ、興奮したりすると勝手に生えたりしますけどね」

「ふぅん」


そこで会話が途切れ暫し沈黙が続いた。

どれくらい経っただろう、再びアムが尋ねた。


「ねぇ、アクちゃん。聞いていい?」

「ナンです?」

「……どうして、私を助けてくれたの?」

「どうしてって言われても……人が人を助けるのに理由がいるんですか?」

「……だって……種族も違うのに……」


するとアクミは遠い昔を懐かしむように声もなく笑うと、穏やかな表情のまま静かに語りだした。


「……実はですね、私も助けられた事があるんですよ。アムちゃんと同じ、旧人類の人に……」

「ウソ!?」

「本当ですよ。五年前の……まだ十一才の頃のお話です」

「えッ!?……アクちゃん、今……十六?」

「そうなります」

「私と一緒だったんだ……」

「へっ!?…………へ……へぇ……」

「…………」

「…………」

「……アクちゃん?」

「……ナンでしょう?」

「……年の割りに、幼いとか思ってない?特に胸が」

「いえいえ、そんな失礼な事を私が思う訳が……ねぇ?……あは、……あはははは……」

「ふふ……良いよ。私もね、実はアクちゃんの事歳上だと思ってたから。…………胸も大きいし(ボソッ)」

「ちょっとアムちゃん。人の背中で落ち込まないで下さい。大丈夫ですって。まだ花の十六才!もっと未来に希望を持ってですね……」

「……未来……未来かぁ……私にも、こんな大きな未来が来るかなぁ?」

「ちょ……ナニまさぐってサイズ確認してんです。気持ち良くなるから止めなさい!ちょ……そ、そうですよ。諺でも言うじゃありませんか、『良く練る娘共こどもの胸は育つ!』って。だから今からでもですね……」

「……言わないよ」

「とにかく!私も昔、助けられたんです」

「ふふ……ごめん。それで?」

「五年前のこの辺りには、まだいくつかの小さな部族毎の集落がありましてね。勿論、病気に冒されてない、正常なワービーストのですよ?で、それらは対立するような事もなく、他の集落ともちゃんと交流があって、裕福じゃなかったですが平和な所でした」

「……そうだったんだ」

「ですがある日突然、南から来た猿達に襲撃されたんですよ」

「あのワービースト?」

「そうです。で、みんなで今の街に避難する途中、小さかった私とひめちゃん達が群からはぐれたちゃったんです。猿達に追われてる最中にですよ?当然、追いつかれて殺されるとこだったんですが……」

「そこで?」

「そうです。小さかったし……正直、怖くて目を瞑っちゃってて良く覚えてませんが、颯爽と現れた一機のASが、獣化したワービースト三人を相手に、私達を庇いながら、一歩も引かずに撃退したんです」

「AS一機で……? それも獣化したワービースト三人を?信じられない……」

「ええ。でも事実です。勿論、無傷じゃありませんよ?傷だらけで……血をいっぱい流して……今にも死にそうでした。でも、その死にそうな人が笑って言ったんです。私が『どうして?』って聞いたら……、『人を助けるのに理由なんてないだろ?』って。はっきり言って信じられませんでした。私達の常識では、旧人類は病気のワービーストと同じで、見つかったら殺される恐い敵でしたからね」

「……そっか。……私も会ってみたかったな。その人に……」

「あはは……もうすぐ会えますよ」

「え?……生きてるの?」

「そりゃあ、そうでしょうが。勝手に殺さないで下さい」

「……ごめん。話の流れ的に、てっきり……」

「いいですよ。今はですね、私とひめちゃんと……一緒に…………」


話の途中でアクミが突然立ち止まった。

まるで遠くの音を聞くかのようにピンッ!と猫耳を立てたアクミをいぶかしんで、おそるおそるとアムが尋ねる。


「……アクちゃん?」

「まずい、見つかりました!逃げますよアムちゃん。しっかり掴まってて下さいね!」

「う、うん!」

「うにゃ!?な、な、ナンで胸を掴むんですか!?」

「いや……つい、踏ん張りが効きそうだったんで……」

「ナンですか、その踏ん張りが効く胸ってのは!っと、今はツッコんでる場合じゃありませんね。飛ばしますよ!」


アクミはそう言うと、その場から一目散に逃げ出した。

本気を出したワービーストの全力疾走は凄まじく、もの凄いスピードで景色が流れていく。

木々の間を左右にステップしながら器用にかわし、突き出た岩を飛び越え、張り出した枝の下を潜ると同時に地面を踏みつけて加速する。

とても障害物の多い森の中とは思えない桁外れな速度。

そんなアクミの背中でアムは苦痛に呻いていた。

今までも小走りだったとはいえ足でショックを和らげる余裕があった。しかし今はそれがない。

それはそうだ。追い付かれたら確実に殺されるのだから。

それが分かっているからアムも泣き言を言わず必死にしがみ付いているのだ。

そのままどれくらい耐えていただろう?

やがて森は山の尾根を越え急峻な下りに差し掛かった。

アクミはそんな斜面を速度を落とす事なく、木の根を跳ぶようにして駆け降りて行く。

すると暫くして前方の視界が開けてきた。崖沿いの道に出たのだ。

だがそこでアクミの足が不意に止まった。

前方の森から一人の男が道に躍り出して来たのだ。

気付けば後ろにも二人、男達が道を塞ぐようにして睨みつけている。


「ふん、手間取らせおって」


その内の一人が牙を覗かせながら背中の短槍を引き抜いた。そしてゆっくりと距離を詰めて来る。


「どうやら、やるしかないようですね……」

「……アクちゃん」

「心配しなくても大丈夫ですよ。だからアムちゃん……振り落とされるんじゃありませんよ?」


アクミは左手でアムを背負ったまま、右手で腰の短刀を引き抜いた。

それを合図に短槍の男が獣化しながら飛び掛かる。


「いきなり全開ですか!来なさい!!」


そう言って自らも獣化しながら距離を詰めるアクミ。

そのアクミの胸目掛けて男の短槍が繰り出された。

だがアクミは冷静に、その穂先を振り降ろした短刀で弾いて懐に飛び込む。

短槍とはいえ柄の長さは1メートル強ある。

女と思って油断した男が慌てて下がろうとするが、アクミがその右足を踏みつけた。

バランスを崩され、それでも下がろうとする男。

その男の額目掛けてアクミが刀を一閃させる。


「くっ!?」


それを上体を反らせる事でなんとかかわすと、後ろに跳んで距離を取る。

一方のアクミも敢えて追撃する事なく、同じように距離を取って油断なく構えた。


「……ちっ」


男が舌打ちする。

見れば男の額には横一線の赤い筋が出来ていた。かわし切れなかったのだ。

そこからプツプツと溢れだした血がやがて玉となり、留まりきれずに鼻筋を通って流れ出す。


「今ので仕留められなかったのは痛いですね」


アクミが不敵に笑うと額の血を拭った男が忌々し気に睨み付けた。


「こいつ意外とやる。全員で一斉に掛かるぞ。囲め!」

「「おう!」」


短槍の後ろの男が抜刀し、素早く移動して森への退路を絶った。

もう一人の男も背中から鎖鎌を取り出し、分銅の先を頭上で回転させながらジリジリと距離を詰めてくる。

包囲されたら終わりだ。

そう思ったアクミが突破を試みるが、油断なく構えた男達はその隙を与えてくれない。気づけば崖際に追い込まれていた。


「さすがに……これはまずいですね」


この期に及んでも不敵に笑い続けるアクミの頬を冷や汗が伝う。

アムが後ろを覗き込めば、そこは谷底の見えない崖だった。とてもじゃ無いが飛び降りられる高さではない。

正面と左右を獣化したワービースト三人に囲まれ後ろは切り立った崖。


「アクちゃん……」


絶望的な状況に死を覚悟したアムがすがるように抱き付く腕に力を込めた。その時、


「こうなったら……一か八かですね」

「……え?」


直後、右手側の男が分銅投げつけた。それを後ろに跳んでかわすアクミ。

そう……後ろに。

自ら空中に身を投げ出し、そのまま声も立てず真っ逆さまになって落ちて行った。



まさかこの高さから飛び降りるとは思いもしなかった男達。

完全に意表を突かれ慌てて崖下を覗き込むが既に後の祭りだった。


「いくらなんでもこの高さだ。生きてはいまい」

「いや……あの女、身を投げ出した時も笑っていやがった。恐らく生きてる」

「まさか」

「とにかく確認するぞ」


リーダー格の男はそう言うと自ら先陣を切って崖を降り始めた。それを見た部下達もしかたなく後に続く。

そのまま男達は崖から生えた木々を伝って慎重に下へと向かって降りて行くのだった。




アクミがアムに囁いた時、右手のワービーストが腕を振るって分銅を投げ付けたのが見えた。

その直後、アクミの背中に押し付けられるような感覚と一瞬の浮遊感を感じ、次いで胃の中が競り上がって来るような感触に襲われた。

それが崖から飛び降りた為だと理解した途端、落下の恐怖にアムは声も出せず、ただ目を瞑ってアクミの背中にしっかりとしがみ付いた。

一方のアクミは落下の恐怖を気合いで圧し殺しながら右手を前に翳す。

するとそこに光の粒子が集まり、なんとASのアームが出現した。

そこから射出されたハーケン付きのワイヤーが、間一髪のところで木の枝に巻き付く。

谷底まで残り10メートルも無かった。


「ふぅ……ナンとかなるもんですね。大丈夫でしたか?アムちゃん」

「……う……ん」


だがアムは満足に返事も出来ず、歯を食い縛って痛みに耐えていた。

ASのアームに内蔵されたクラッチのおかげで急停止はしなかったものの、落下の衝撃は怪我した身体には堪えたのだ。


「ちょっと待ってて下さいね。今、ワイヤーを延ばして下に降りますからね」


そう言ってASのアームに命令を伝えようとしたその時……二人の体重に耐えられなくなった木の枝が突然ボキリと折れた。


「……え?」

「ちょ……ノオォォォォォォーーーーーーッ!!」


哀れ、そのまま二人はドボーン!と盛大な音を立てて川に転落してしまった。



川の幅は15メートルといったところか。

川岸の両側には清流に洗われた大きな岩が所狭しと並んでいる。

渓谷を流れる川だけあって水の流れは早いが水深が深いのか、所々に流れに取り残されたようにゆっくりと渦を巻く緩やかな淵もあった。

その淵の一つに青み掛かった銀髪と明るい茶色い髪が浮かび上がった。アクミとアムだ。


「ぷはぁ!」

「けほっ……けほっ……し、死ぬかと……はぁ……思った……けほっ!……ッ!?……いったぁ……」


アムは川に落ちた衝撃と痛みでアクミの背中から手を放してしまった。

結果、川の流れに翻弄され、危うく溺れるところをアクミに助け出されたのだった。


「まったく、乙女二人の羽毛のような体重が支えられないとは、ナンたる失礼な枝でしょうね」


左手でアムの腰を抱くようにして支えながらアクミが口を尖らせる。

だが今はそれどころじゃないと覚ったのか、直ぐに真面目な顔をするとアムを促して岸に向かって歩き出した。

そして陸に上がろうと2メートル程の岩に手を伸ばした時、突然振り向いてアムの口を右手で塞ぎ、左手の人指し指を立てるジェスチャーをした。

そのままアムを後ろから抱き締め、鼻から上だけ出した状態で静かに水中に隠れる。

それから程なくすると頭上で男達の話す声が聞こえてきた。


「どうだ?(死体は)あったか?」

「いや、ない。やはり生きてるようだな」


アクミは男達が崖を降りて来るのを逸早く察知すると、大胆にもその足元の水中に隠れたのだ。

いくら頭上の岩が競り出しているとはいえ岩の高さは2メートルあまり。

男達の一人がちょっと下を覗き込んだだけで見つかる距離だ。

咳はおろか、身動きして水面を揺らせただけで感付かれる。

いや、相手はワービースト。

ひょとしたら呼吸の音を……いや、緊張で激しく高鳴る心臓の鼓動すら聞き取るかもしれない。

とにかく動けば見つかる。

アムは恐怖から息を吸うこともできず、泣きたくなるのを必死に堪え続けた。

まるで永遠とも思える時間がゆっくりと流れていく。

心臓は高鳴り、痛みで押し潰されそうになる。

もうダメだ。

そう心が折れそうになった時、


「お前達は上流と下流を探せ。俺は対岸を探す。一時間経ったらここに集合だ」


と言う男の声が聞こえた。


「よし」

「分かった」


短く返事をした二人が上流と下流に別れて走り去る。

それを見送った男は暫く水面を睨んだあと、対岸の岩まで一気に跳躍してそのまま山の斜面を駆け上がって行ってしまった。



対岸に渡った男が見えなくなるとアクミはすぐさまアムに背中を向けた。


「チャンスです!今のうちに崖を登ってトンズラしちゃいましょう。さぁ早く!」


だがいつまで経ってもアムがおぶさってこない。

アクミが不審に思って後ろを振り向くと、アムは泣きそうな顔で左右に首を振った。


「……もう……良いよ」

「は? ナニ言ってんです?」

「アクちゃんだけ逃げて。……私を連れてたら逃げられないよ。……だから……アクちゃんだけ……」


そこで堪えきれなくなったのか、アムの両目から堰を切ったように涙が溢れだした。


「私……アクちゃんに……死んでほしくない……」


そう言ってアムは俯い……、


パチンッ!


てしまうところで、アクミの両手に頬を挟まれた。

そのまま強引に顔を起こされる。


「アムちゃん!」

「は、はい!」

「……それは悪い答えです。私が友達を見棄てると思ってるんですか?」

「……友達?」

「そりゃそうでしょうが。それともアムちゃんは違うと思ってるんですか?」

「……ううん。……私も……勝手だけど友達みたいに思ってた」

「勝手じゃないですよ。これで二人は相思相愛、大親友です!」

「……う、うん」


ちょっと違うと思ったが黙っておくアム。


「そして私は友達を見捨てるような事はしません。これは絶対です!」

「……うん」

「さぁ、私の選択肢に友達を見棄てるってのが無いと分かったら、とっとと行きますよ」

「うん。……ごめんね、アクちゃん」

「それも悪い答えです」

「……ありがと、アクちゃん」

「はいです!」



アクミはASのワイヤーを使って崖を登りながら、街道に出たらそのまま一目散にひた走ろうかと考えていた。

今の敵は分散している。しかもリカレス(アクミの住む街)がある上流方向には一人だけ。

崖を登るのに要する時間は約四十分。

そろそろ奴等も気付く頃だろう。あの河原で行き違いになった事を。

そしてこの崖を登って来る。

何故なら逃げ道はここしかないのだから。

身軽な猿達なら二十分もあればこの崖を登るだろう。

だがここから全力疾走すれば二時間で自分達のテリトリーに逃げ込める。おそらく逃げ切れる。

そうすれば、いくらなんでもたった三人で追い掛けては来るまい。

そんな事をすれば狩人と獲物の立場が逆転するのは分かっている筈だ。

だがアクミは途中で考えを変えざるを得なかった。アムの容態が悪化したのだ。

それはそうだろう。

肋と右腕を骨折した状態で獣化したワービーストの全力疾走に耐え、更には50メートルの落下の衝撃、直後には水面に叩き付けられたのだ。悪化しない方がおかしい。

崖を登りきったアクミは焦る気持ちを抑え、街とは反対の下流に向かって小走りに駈けて行った。足跡を残さないよう、小石の上を慎重に選びながら。

そのまま谷を左手に見ながら100メートル程進むと道が緩やかに右に曲がった。

そこがさっき登った崖から死角になっているのを確認すると、ASのワイヤーを使って再び崖を降りて行く。

始めは適当な木の枝を見つけてそこに隠れようとしたのだが、ちょうど大きな岩の下に広さ3メートル程の岩棚があった。

しかも左右には崖に張り出すように木々が枝を延ばしている。隠れるにはおあつらえ向きな場所だった。

アクミはそっとアム寝かせると、その顔を覗き込んだ。


「……ありがと……アクちゃん」


礼を言うアムの顔はどう見ても限界だった。

それを見て自分の判断は正しかったのだと確信する。

後は賭けだ。

自分達が上流に向かったと思ってくれるのを祈るばかり。


「お腹が減りましたね。ちょっと早いですが、ご飯にしましょうか」


アクミはそう言って腰の袋から例のレーションを取り出すとにっこり笑った。





五時間後。

アクミ達は森の中を歩いていた。

その歩みは常人の早歩き程度で、アクミにしてはかなりゆっくりな速度で歩いているのは一つはアムの容態を慮っての事だ。

本当はあそこで一晩明かす事も考慮したのだが、それは諦めざるを得なかった。

谷から吹き上げる風が意外に強く、ワービーストのアクミはともかく、骨折の痛みに加えて身体を強く打ち付けた事により微熱も発してしまったアムが一晩持つとは思えなかったのだ。

今も背中のアムは痛み止めを飲んだとはいえ、言葉も発せない程弱りきっていた。


アクミが速度を落としたもう一つの理由。それは待ち伏せを警戒しての事だった。

結局、休んでいる間に上の道を駈けて行く足音は聞こえなかった。おそらく上流に向かったと騙せ通せたのだろう。

念のため、アムが眠っている間にそっと上の様子を見に行ったが見張られてる気配は無かった。

そうなると敵は全員上流のどこかにいる事になる。

そしてこちらを見失ったとなると相手の取る行動は一つしかない。

アクミは速度を落とした分、ワービーストの鋭敏な感覚を頼りに周囲の気配を探り、周りの景色には常に目を光らせ、耳はどんな些細な音も聞き当てられるよう、より警戒しながら進んでいた。


〈やっぱり、待ち伏せしてるとしたらあの橋でしょうかね。分かってますが通らない訳に行きませんし……。こうなったら、いっそ引き返して……いやいや、でも……そうですよ、それならいっそ……〉


なにやら決意したアクミが突然立ち止まり周囲の地形を吟味しだした。

そして斜面を少し下がった先のある一点で視線を止めると、そちらに向かって歩き出した。

そこは風の吹き溜まりなのか、大量の枯れ葉が堆積していて、ちょうどベッドのようになっていた。

その枯れ葉の上にアムをそっと寝かせてやる。


「……アクちゃん?」


アムが心細気な声で尋ねてきた。

アクミは不安げなアムを慈しみを込めた瞳で見つめると、そっとおでこに手を添える。


「アムちゃんはここに隠れててください」

「え……?」

「私はちょっと先の様子を見て来ます。アムちゃんは私が戻って来るまで、ここでじっとしてるんですよ?」


そう言うと周りの枯れ葉を集めてアムの足を、腕を、身体をと、集めた枯れ葉で次々と覆っていく。


「いや……アクちゃん……置いてかないで……」

「そんナニ心配しなくても大丈夫ですよ。私は必ず帰って来ます。これは絶対です。約束しますよ」


アクミはにっこり笑うと、心細気に見上げるアムの目と鼻を残して全て枯れ葉で覆ってしまった。

一見すると遮蔽物の無いおよそ隠れるには不向きな地形に思えるが、向こうが見渡せる分、枯れ葉の中に埋もれてしまえば注意して見ない限り誰も気にも掛けない場所だった。


「では行ってきます。アムちゃん、良いですか?絶対……絶対に出てきちゃダメですよ。約束ですからね!」


そう言い残すと、身軽になったアクミは姿勢を低くして風のように走り去って行った。




〈やっぱり待ち伏せしてましたか……〉


橋に差し掛かる道を見下ろせる森の中にその男はいた。背中に鎖鎌を背負った男だ。

山の斜面に四肢を投げ出すような格好で寝そべり枯れ葉を被せた男。

それを発見出来たのは偶然からだった。ちょうど顔の周りの小虫を手で払ったのが目の端に止まったのだ。

距離はおよそ50メートル。まだ遠い。

アクミは周囲に誰も居ないのを確認すると、相手に気付かれないよう少しずつ近づいて行った。

そして20メートルまで近付くと、音を立てないよう注意しながらクナイを三本、腰の袋から取り出した。そのままゆっくりと片膝を立てていく。


〈残りの二人が気になりますが……先ずは一人です〉


鎖鎌の男の背に狙いを定め、水平打ちでクナイを放とうとしたその瞬間……、


「キェエエエーーーーーーッ!!」


突然、横合いから躍り出た黒い影が奇声を発しながら斬りかかってきた。


「ちっ!?」


それを横に跳んで避けながら慌ててクナイを放ったが、大きく目標を外して木や地面に突き刺さった。

狙われていると覚った鎖鎌の男が即座に身を隠す。

だがアクミにそっちを構ってる余裕はなかった。

刀を振るう男の斬撃は激しく、避けるのが精一杯で腰の短刀を抜く隙もない。

それに例え刀を抜いても簡単に倒せる相手でないのは明らかだった。


〈時間を掛ければまた囲まれますね……では!〉


アクミは一際大きく後ろに跳躍すると右手を前に翳した。そこに光の粒子が集まり、小銃を握ったASのアームが現れる。


「そんなの喰らうか!」


男が構わず斬りかかる。

刀と違って銃は構える、狙いを付ける、引き金を引く、と三つの動作がいる。

それを見極められる獣化したワービーストは銃を恐れない。

目でしっかり見ていれば発射の瞬間身体を捻って避ければいいのだから。だが、


「そんなの分かってますよ!」


そう言いながらアクミが左手で何かを放った。

ゆっくりと放物線を描く筒のような物。

それが何かを見極める前にアクミがそれを撃ち抜いた。


バンッ!!

「ーーーッ!?」


それは激しい音と光を伴いながら炸裂するスタングレネードだった。

目を逸らさなかったのが仇になった。

薄暗い森の中で光に網膜を焼かれ、それでも咄嗟に横に跳んで避けたものの、脇腹と腿に数発の弾丸を浴びて倒れ込んでしまった。

しかも、今度はそこに手榴弾まで放ってきた。


「くそっ!」


なんとか爆発する前に逃げ出す事は出来たが、手榴弾の破片を更に喰らってはもう戦闘続行は不可能だった。


「ふっ、見ましたか。先生直伝、対獣化コンボ!……って、ノオォ!?」


だがアクミのドヤ顔を引き裂くように横から分銅が殺到する。

気づくのが遅れ、慌てて前屈みになったところを遅れて分銅が通過していく。

アクミはそのままの格好でカサコソと四つん這いで暫く進むと、距離を取って振り返った。


「まったく危ないですね。そんな飛び道具紛いの邪道な武器ナンか使って、あんたにはワービーストの戦士としての誇りがないんですか!!」


真面目な顔でこちらを指さすアクミ。


〈お前が言うな!!〉


と男は心で思ったが、口に吐いたのは別の言葉だった。


「……殺す」

「あれ? ツッコミはなしですか?相変わらず、お馬鹿なお猿はユーモアが通じませんね」

「…………」


絶対殺すと、固く心に誓う男だった。





その頃、アムの心は心配と不安で張り裂けそうだった。

アクミが一人で様子を見に行くと言ってここを離れてから、もうかれこれ一時間あまり。

陽も傾き、山間の斜面は薄暗くなり始めていた。


「アクちゃん……」


思わず呟いたその時、山間の森に何かの爆発音が木霊した。

その音を聞いた瞬間、アムの心配は最高潮に達した。

居ても立ってもいられなくなり、枯れ葉を押し退けよろよろと立ち上がると、痛む右手を上に翳した。

すると右手のデバイスが光り、そこから広がった光の環がアムの全身を上から下へと通過していく。

それが収まると、そこには青いASを装備したアムが立っていた。

だが背中と左足のスラスターは破損しており、空を飛ぶのはおろかホバリングも出来ない有り様だった。

それでもアムは左手にライフルを呼び出すと、それを杖代わりにして爆発のあった方に向かってゆっくりと歩き出すのだった。




一方、森の中ではアクミがピンチに立たされていた。

戦いの音を聞きつけた短槍の男が争いに加わったのだ。

正面に立った鎖鎌の男は左手に鎌を構えながら右手で分銅を振り回し威嚇を続けている。

アクミの気を引こうというのだろう。

そして右手の斜面を少し下がった所には短槍の男が右手で槍の柄を握り、右手と右足を前に出した半身の構えで睨んでいる。

後ろに引いた左手に何かを隠し持ってるのは明らかだった。

二人の男は約10メートルの距離を保ったままアクミの隙を窺う。

対するアクミは右手に刃渡り50センチ程の短刀を握り、左手の指の間には中指程の大きさのクナイを三本、指の間に挟んでいる。

このままではじり貧になる。

そう覚ったアクミが先手必勝!と鎖鎌の男の顔面目掛けて三本のクナイを一斉に放ち、即座に頭を下げた。

直後、後頭部を刃渡り15センチ程の鉈が通過して行く。

短槍の男が放ったのだ。

アクミはそれに構わず、クナイを避けて頭の下がった男目掛けて、今度は右手に握った短刀を投げつけた。


「ーーーなッ!?」


まさか得物を捨てるとは思わなかった鎖鎌の男が慌てて真横に跳び退く。

だが短刀はアクミの手を離れた瞬間に光の粒子となって消え、直後にアクミの右手に現れた。この短刀もASの装備品だったのだ。

これにはさすがの男達も意表を突かれた。

その隙を逃さず、アクミは立ち上がれていない鎖鎌の男に一気に肉薄すると右手の短刀を降り下ろした。

だが寸での所で左手の鎌に防がれる。

ならば!と今度はその鎌を左足で大きく蹴り飛ばし、そのまま踵落としの体勢に入った。

それを見た男が両腕を頭上で交差させて防御姿勢を取る。

刹那……アクミの両目が怪しく光った。


「そのタマ……貰ったぁ!!」

「ーーーッ!?」


アクミは右足を強く踏み締めると防御を固めた男の頭を目掛け…………ずに無防備な股間目掛けて渾身の踵落としを叩き込む。だが、


「ナンと!?」


狙いが股間と分かった瞬間、男は上体を強引に前に傾け、アクミの踵落としを両腕で受けて致命傷を避けた。

だが勢いは完全に殺しきれず後頭部に一撃を喰らい、その場に倒れ込んでしまう。


仲間がピンチと駆けつけた短槍の男が、アクミの脇腹目掛けて槍を突き入れてきた。

それを身体を捻ってなんとかかわすが、瞬時に槍を引いた男は、二撃、三撃と体勢の崩れた肩や足を執拗に攻撃し反撃の隙を与えてくれない。

そのままじりじりと後退を余儀なくされ、気づけば左右と後ろを枝を伸ばした木々に囲まれていた。

隙間がまったく無いわけではないが、こちらの動きはかなり制限される。

木々の下を潜るのに背中を見せるのは論外だろう。

死地に追い込まれたのだ。


「もう逃がさんぞ!」

「そうですか?」


だがアクミはにっこり笑うと左手を男に差し出した。その掌が光り、直後には手榴弾が現れる。

アクミは躊躇することなくピンを引き抜くと、そのまま空中にポンと放って、相手が怯んだ隙にさっさと後ろの枝を潜って逃げ出した。

一瞬遅れて男が跳び退く。

直後に手榴弾が爆発した。

地に伏せた男の背中を爆発の衝撃が駆け抜ける。

それが過ぎるとアクミの反撃を警戒してすぐさま起き上がった。

だが男の目に映ったのは……山の斜面を一目散に逃げて行くアクミの後ろ姿だった。


「おのれ、次から次へとおちょくりおって!もう許さんぞ!!」


怒り心頭の男が槍を片手にアクミを追い掛ける。

だが、アクミは別に逃げ出した訳ではなかった。

鎖鎌の男を倒した今、遮蔽物の多い森の中にいるより身軽に動ける広い場所に出た方が有利だと思っただけだった。

その証拠に、道に出た所で振り返って男を待ち受けた。

遅れて森から踊り出た男はアクミの姿を認めると、およそ10メートルの距離で対峙する。


「もう逃げんのか?」

「別に逃げてた訳じゃありませんよ」


アクミはそう答えると、短刀を持った右手を後ろに引き、腰を落としていつでも飛び掛かれるよう身構えた。

男も右半身の構えで油断なくアクミに相対する。

だが、戦いは互いに相手の出方を窺うような地味な睨み合いに発展する事はなかった。

堪え性のないアクミが仕掛けたのだ。


男の右手が揺れ、迫り来るアクミの胸を目掛けて槍が突き出される。

その槍の軌道の上に被せるように、右手の短刀を渾身の力でもって降り下ろすアクミ。

両者の得物が交錯し、男の槍が手からこぼれ落ちた。

武器を無くした男の胸を目掛け右手の短刀を突き上げる。


〈決まる!〉


その時……ふと男と目が合った。

それはこの期に及んでも落ち着いた、静かな目だった。

その瞬間、アクミは失策を覚った。


〈コイツ、油断させる為にわざと……〉


危険を察知してすぐさま身を引こうとするアクミ。

男はそのアクミの顔目掛け、口から2センチ程の石を勢いよく吹き出した。地面に伏せた時に口に含んでいたのだ。

意表を突かれながらも咄嗟に短刀で弾くアクミ。

だが、今度はがら空きになった股間目掛けて男の右足が唸りを上げて襲い掛かった。

避けられないと判断したアクミが即座に短刀を投げ捨て両手でガードする。

だが蹴り上げる勢いは殺し切れず、身体が空中に浮き上がってしまった。


「死ねぇ!!」


そこにASのシールドを刺し貫く程の破壊力を秘めた必殺の手刀が突き出された。

最早、避ける事など不可能な完璧なタイミング。

男は勝利を確信した。

それでも迫り来る抜き手に抗う為なのか?両手を前に突き出して抵抗を試みるアクミ。


だが違う。


アクミは男の突き出した手首を両手で掴むと身体を捻って腕に飛びつき、そのまま両足を掛けて腕ひしぎ十字堅めを極めた。

堪えきれずに男が倒れ込む。

そして……躊躇なくへし折った。


「あがぁああああああああああああっ!!!」


あまりの激痛に男が堪らず悲鳴をあげる。

一方、アクミは反撃を警戒してすぐさま距離を取ったが、男が痛みにのたうち回るのを見ると気を弛めゆっくりと構えを解いた。


「ふふん、詰めが甘いんですよ。まるでバームクーヘンを黒糖を混ぜた黒蜜にトップリ浸し、表面にブラウンシュガーをたっぷりまぶして練乳とミルクでふっくら焼き上げた朝のフレンチトーストみたいに甘々です」


「ふぅ……ふぅ……ふぅ……ふぅ……」


男は口から涎を垂らし、痛む右腕を押さえながら怨みの籠った目でアクミを睨みつけている。

それを両手を腰に当て、勝ち誇ったドヤ顔で見下ろすアクミ。


「ふん、ぐうの音も出ませんか?どうやら勝負ありえすば!?」


だがその時、突如アクミの足に鎖が巻き付いた。

そのまま、びたん!と横倒しに倒される。先程の鎖鎌の男がダウン復帰したのだ。


「ノオォォォォォォーーーーーーッ!!」


アクミはすぐさま鎖をほどこうと腰を上げるが、手を掛けた所で足を引かれ再び横倒しにされる。

それならと右手に小銃を呼び出し、鎖を断ち切る事に何とか成功するが、目の前には既に左手で槍を構えた男が立っていた。


「終わりだぁあああ!!!」


叫ぶと同時に男が槍を突き出す。

避けられないと思ったアクミは、咄嗟に銃を持ったままの右腕で受け止め一撃を凌いだ。

たが突きの威力に耐え切れず右手のアームは破壊され、そのまま光の粒子になって消えてしまった。


「これでもう、おかしな術は使えまい!」

「さぁ、どうでしょうね?」


立ち上がったアクミの頬を冷や汗が伝う。


〈さて、ホントに困りましたね。もうクナイもないですし……。まさに災い転じて万事休す!〉


アクミの背後には切れた鎖を棄て、鎌を右手に持った男が隙を窺っている。

どうやらダメージは完全に抜けたようだった。

正面の男も腕一本折ったとはいえ、先程の突きはなかなかだった。こちらも油断ならない。


〈仕方ないですね、左腕一本くれてやりますか……〉


アクミは不敵に笑うと、鎌を持った男に飛び掛かるタイミングを図った。

そしてスッと腰を沈めたその時、


「うぅおりゃぁああああああーーーーーーーーーっ!!!」

「「「ーーーッ!」」」


突然、槍を振りかぶった少年が雄叫びとともに空から降って来た。


「ふん」


だが短槍の男に難なくかわされてしまう。

それでも着地した少年は然して気にする事もなく、格好を付けるようにして態々頭上で槍を旋回させると、


「俺様……参上ッ!!」


と言って槍をピタリと構えて決めポーズを取った。


「大牙くん!?」

「おうよ!!」


驚くアクミに満面の笑顔で振り向く大牙。

歯がキラリと光っていた。

そんな大牙を……アクミが侮蔑を込めた眼で睨みつける。


「あんた……バカですか?」

「あん? ピンチを救った恩人に何ほざいてんだ?」

「あんたねぇ、ナンでいちいち雄叫び上げながら斬りかかるんです?そんなの避けられるに決まってんでしょうが?子供のチャンバラですか?もうちょい頭使いなさいよ、頭!」

「うっせぇな!んな卑怯な真似が出来っかよ。男なら……」


そこで大牙はニヤリと笑うと、槍の柄をりゅうりゅうと扱き、短槍を持った男の胸に向かって槍の穂先をピタリと付けた。


「正々堂々、ぶっ殺す!!」

「ーーーッ!」


その瞬間、男の顔から血の気が引いた。そして咄嗟に後ろに下がって距離を取る。

覚ったのだ。勝てないと。

その男に寄り添うように鎖鎌の男が近づき、なにやら小声で囁いた。

それに短槍の男が小さく頷く。

直後、二人は左右に別れ素早く森の中に駆け出した。


「うおい!逃げんのかよ!?」


慌てて大牙が叫ぶが、男達は振り向かずそのまま走り去ってしまった。


「…………」


あまりに見事な逃げっぷりに言葉もなく途方に暮れる大牙。


「まぁ、良い引き際でしたね。森の中の手負いも回収しなきゃいけないでしょうし。感染してる割りにいたく冷静だったのがちょと意外ですが」


そう言うとアクミは投げたクナイを回収する為、警戒しつつも森の中に向かって歩き出した。


「ふん……まぁ、いっか。アクミのピンチには間に合ったんだしな」


今一物足りなそうな大牙も渋々アクミの後について行く。

自分の記憶を頼りにそこら辺を徘徊するアクミ。

そんなアクミの背中に向かって大牙が尋ねた。


「それよりさ……どうだった?」

「どうだったとは?」

「いや……ほら俺、アクミのピンチに颯爽と現れただろ?それを見てさ……こう……なにか想うところがあったんじゃねぇかな?と……」

「あぁ、確かに。ナンで現れたのが先生じゃなくて、よりにもよってあんたナンだ?ってのは思いましたね」

「失礼なヤツだな」


等と文句を言いながらもアクミと一緒になってクナイを拾ってやる大牙。

だがその時、アクミの耳がピクリと動いた。

手の動きを止め、まるでなにかの気配を探るようにして目を細め、じっと耳を澄ます。そして、


「ナンですかぁ、あれは!?」

「あん?なにが……って、うおぉ!!」


突然大声を出してあらぬ方向を指さすアクミ。

思わず釣られてそちらを振り向いた瞬間……大牙の鼻先をボッ!と唸りを上げて弾丸が掠めた。

想定外の不意討ちに、弾丸が過ぎてから遅れて仰け反り、たたらを踏んでそのまま尻餅をつく大牙。


「……ちっ(小声)」

「おいっ!今、ちって言ったな、ちって!」

「嫌ですねぇ、つい心の声が漏れ……じゃなかった。願望が……いやいや違いますね。そうそう、ただの聞き間違い。聞き間違いですよ。心の底から、おもっっっクソ心配しましたよ?いや、ホント。……それで?……えっと、大丈夫でしたか?大牙くん」

「説得力ねぇんだよ!だいたい、さっきもピンチを救ってもらっといて、なんで礼のひとつも言えねぇんだ!」

「……タマの小さい男は心も狭いですね(小声)」

「聞こえてんだよ!っていうか、なんでお前が俺のサイズ知って……」

「そんな事より……」

「聞けよ!」

「アムちゃん、ナンで出て来たんですか?大人しく隠れろって言ったでしょ?」


アクミが30メートル程先の茂みに向かって声を掛けると、その茂みの中から、ひょこっとアムが顔を出した。


「え?……アクちゃん?……え?」

「あぁ、コイツですか?悪人面してますが、一応味方です」


そう言って腰に手を当て、親指で後ろを指差すアクミ。


「悪人面はねぇだろ、悪人面は……」


ゆっくりと立ち上がった大牙が、服に付いた汚れを払いながらぶつくさ言っていた。

そんな二人を見てアムが驚きの声を上げる。


「ウソッ!? 味方なの!?……ご、ごめんなさい、てっきり敵だと思って……私ったら、とんだ早とちりを……」

「こんな誤解を招くような顔してんのが悪いんですよ。だからそんナニ気にしないでください」

「いや、そこは気にしろよ!」


ソッコーでツッコむ大牙にアムが申し訳なさそうな顔を向ける。


「あの……今更ですけど……大丈夫でした?私ったら、思いっきり頭を狙っちゃって……」

「……ホント、今更だな」

「そんナニ心配しなくても大丈夫ですよ。大牙くんはね、見た目通り面の皮が厚いんで、あんな弾丸の一発や二発どうってこたぁありません」

「んな訳ねぇだろ!いくら俺だって、あんなの喰らったら……」

「それより、ほら……立てますか?まったく、肋が折れてるのに無茶しちゃって……」

「だから聞けよ!って……ん?その女……ワービーストじゃねぇな?」


なにかを嗅ぐように、ふんふんと鼻をひくつかせる大牙。


「その女じゃありません。アムちゃんです。たった一人生き残ってたので保護しました」

「ふぅん。旧人類の女は……じゃなかった。えーと、アムで良いのか?とにかく初めて見たわ」

「はい。よろしくお願いしま……あの、なにか?」

「いや、あんた良い匂いがするなぁ……って思ってさ」

「……い、良い匂いですか?」

「あぁ、アクミとは違う……なんて言うのかな?甘ったるいような……とにかく良い匂いが……」


「ふんッ!」

「ぐはッ!」


アムの首筋の匂いをくんくん嗅いでいた大牙の瞼に、アクミの情け容赦ないサミングが炸裂した。


「あんた!ナニ乙女の純真な香りをくんすかくんすか嗅いでんですか!? 失礼なヤツですね。そういう事が許されるのは、お互いに愛を誓いあった殿方か、自分の赤ちゃんだけです。あんま失礼な事してると、アムちゃんの怒りに充てられた私の目潰し喰らって失明しますよ?」

「いててて……なんだよアクミ、嫉妬か?」


「は?……嫉妬?(小声)」ピクリ


「まぁ、お前も所詮は恋する乙女って事か?だが安心しろ。俺はお前一筋だ!」


そう言って爽やかに笑いながら、然り気無く思いを告げる大牙。


「恋する……乙女?……安心しろ?(更に小声)」ピクピク


「なんだ黙り込んで?ははぁ……さては、やっと自分の心に気付いたのか?はっはっはっ……バカだなお前は」


「……恋?……恋ですと?……私が?あんたごときに?恋ですと?ーーーはッ!?……もしや、この心の奥底から沸々と沸き上がる殺意!……これが、恋?」

「落ち着け、それは正真正銘殺意だ。からかった俺が悪かったからクナイを出すな」


クナイを握り締めたまま、隙を見て飛び掛かろうとするアクミ。

そうはさせじと腰を落として身構える大牙。

二人は緊張した面持ちで向かい合ったまま、ジリジリとその場で回り始めた。

そんな二人を見て、ついクスリとアムが笑う。


「ふふ……仲が良いんだね、二人とも」

「はぁ? ナニ言ってんですかアムちゃん。コイツはただの腐れ縁ですよ、腐れ縁。それに私には先生という心に決めた殿方がいるんです!」

「そ、そうなんだ?」

「ちぇ……そりゃ先生は尊敬するけど、こればっかりは譲れないって言うか、そもそも先生はワービーストじゃねえじゃんか。俺のがよっぽど……」

「そう言うのは模擬戦で先生に勝ってから言うもんですよ」

「先生はAS使ってんじゃねぇか」

「あんたは獣化までしてるじゃないですか」

「いや、そりゃ……ハンデって言うヤツ?」

「普通、ハンデの立場が逆ですよ」

「あの……今、ASって……」

「詳しい話は後です。とりあえず行きましょう。ひょっとしたら、さっきの奴等が応援連れて来るかも知れませんからね」


そう言うとアクミはアムに背中を見せてしゃがみ込んだ。


「あん? アクミ、おぶるんなら俺が……」

「冗談でしょ?大牙くんにおぶらせて、万一アムちゃんが妊娠しちゃったらどうするんです?」

「しねぇよ!!」

「だいたい、人間と大牙くんのハーフなんて……あんたは生まれる子供にどんな業を背負わせる気ですか?」

「妊娠なんかしねぇし、俺も人間だよ!」


アクミは大牙の抗議を無視すると、アムの傷に障らないよう、ゆっくりとした足取りで歩き出した。

口では散々悪態を突いているが、大牙が来てくれた事により、とりあえず危険は去ったと無意識に分かっているのだ。

それはアムも一緒だった。

アクミと二人だけで逃げていた時の、あのピリピリしたあの緊張感がいつの間にか消えていた。


戦場で仲間を殺したのはワービースト。

そのワービーストに助けられ、今また新たなワービーストが現れても、安心こそすれ恐怖はまったくなかった。


『人が困ってたら、助けるのは当たり前でしょう?』


『私からしたら、私等ワービーストも、あんたら旧人類も、同じ人間って括りなんですがね』


アクミが言った台詞が脳裏を過る。


〈確かに、同じ人間だなぁ……〉


楽しく笑いあって、冗談を言いあって、助けあって、……生きてる。


〈私達と、全然変わらないや……〉


アクミの背中におぶられながら、アムはそんな事を考えていた。

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