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見知らぬ空へ  作者: たじま
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序章4、襲来

「遅くなりました。兵の召集に手間取りまして……」


そう言ってラルゴが扉を開けて現れた時は、既に日はとっぷりと暮れていた。

部屋の中にはスフィンクス、虎鉄、勘十狼、そして末席にはあかりとシンの姿もあった。


「よい。では虎鉄殿、始めようか」

「はっ。あかり殿、モニターを」


席から立ち上がった虎鉄が促すと、壁に掛かったモニターにリカレスの街とその周辺の地図が表示された。


「現在、猿族は二手に分かれて侵攻しております。一手はリバハン城。明日の朝には到着するでしょう。兵力は約五百で、これは城の抑えと思われます。対するこちらの兵力は二百」


モニターにはリカレスから南西約50キロにあるリバハン城の南方に、赤い矢印が一つ表示された。


「もう一手は直接リバハンに向かわず、進路を東に取っております。こちらの街の所在が割れたとは思えませんが、このまま侵攻されますとちと厄介な事になります。兵力は約千人。人数から言って、こちらが本隊でしょう」


虎鉄の発言に合わせて、敵部隊から別れた矢印が東へと延びた。そのまま侵攻されたとしても何もないのだが、山を幾つか隔てた北方には小さいながらもこちらの街があった。


「確かにこのまま進まれると、リカレスはともかく、アルゼーラの街が捕捉される可能性があるのう……」

「しかも進路を北に取られるだけで、リバハンへの街道も抑えられる事になります」

「合わせて千五百……。今までに無い規模の兵力ですね……」


勘十狼が長い髭を擦りながら、虎鉄とラルゴは沈痛な面持ちで呟いた。


「虎鉄殿。五百を率いてすぐさま城の援軍へ行ってくれぬか。万が一にも彼処を落とされると痛い」

「承知しました、スフィンクス殿」

「儂は残りの八百を率いて明朝、敵本隊に奇襲を掛ける。勘十狼殿、街に残せる兵力は殆ど無くなるが許されい」

「構わんで下され。スフィンクス殿が抜かれたら、どの道リカレスはお終いなのじゃしの」

「すまぬ。ラルゴ、シン。虎鉄殿の部隊が出発後、こちらも出発する。準備を」

「「はい」」

「ラルゴ殿、シン殿、スフィンクス殿を頼みましたぞ」


「は……?」


虎鉄に声を掛けられたシンが思わずすっとんきょうな声をあげた。

虎鉄は今までシンの事は無視するのが常で、仮に呼んでも小僧だったのだ。

それが今、初めて名前で呼んだのだ。しかもシン殿と。

虎鉄を見ると虎鉄はツイッと顔を背け、無言で部屋を出て行ってしまった。


「ふふ、この間の一件で虎鉄殿も認めたようじゃな」

「なんだか面映ゆいですね」


肩に手を置いたスフィンクスにシンが照れた顔で応じた。





部屋を出ると、廊下の壁際に虎鉄が立っていた。

それと察したスフィンクスが


「儂は先に行っておるぞ」


と一声掛けて立ち去る。

シンと虎鉄はスフィンクスに一礼すると、どちらともなく二人並んで歩き出した。


「その、シン殿……家の息子が世話になったようじゃの」

「えッ!? 大牙って、虎鉄殿の息子だったのですか?」


シンが驚いた顔で虎鉄を見、次いで申し訳なさそうな表情を浮かべた。


「……それはその……とんだ失礼を……」

「いや、儂は感謝しとるのだシン殿。見ての通り、大牙のヤツは手の付けられん暴れん坊での。それがどうじゃ、急に大人しくなったと思ったら目の色変えて武芸に打ち込み出したのじゃ。不思議に思って何があったのか尋ねてみれば「勝ちたい奴等がいる」と悔しそうに言うではないか。その時のあ奴の顔ったら無かったわい」

「はは、競う相手がいるのは良いことです。しかし大牙が武芸を身につけたら、さぞかし強くなるでしょうね。暴れたいなら俺が相手になるなんて言ってしまいましたが失敗でした」

「ふふ、それはどうだかの?」


シンが笑うと虎鉄もどこか嬉しそうに笑った。


「さて、儂は行く。出撃前に一言、シン殿に礼を言っておきたくての。では頼むぞ」

「はい。虎鉄殿もお気をつけて」


そう言って二人は別れ、それぞれの部隊に向かって歩き出した。







リカレスから南南西に50キロ余り。リバハンへと続く街道から少し南下した山中にまで猿族の部隊は入り込んでいた。

正直、ここまで敵地に入り込んだ猿族は自分達が初めてだった。

どこに何が有るかも分からない状況で、部隊を預かる孔蓮は慎重に物見を出しながら一歩一歩安全を確かめるようにして部隊を進め、昨夜からここに宿営していた。


その孔蓮の元に駆け足で近付く者がいた。孔蓮の副官を務める徐真だ。

しかも走りながら何やら怒鳴っており、それを聞いた兵達が慌てて立ち上がっている。おそらく偵察隊が敵の動向を掴んだのだろう。


「孔蓮様、いつの間にか前方2キロの山間を抜けた平地に、五百名程の部隊が展開しています」

「……どうやら朝飯は食わせてもらえんようだな」

孔蓮が苦笑いを浮かべる。


「しかもこの先、ちょうど道が折れ曲がりまして、全部隊が一斉に通るのは無理そうです」

「なるほど。頭を出した所を順に叩いて行くつもりか。やはり地の理は向こうにあるな」

「はい。こちらの部隊は隊列が延びきっています。一度、広い所まで後退されますか?」

「ふむ……そうだな。このまま待ち構えている所にわざわざ進んでも仕方あるまい。よし、後方の部隊より……」


そこまで孔蓮が言ったところで、突然前方の部隊で銃声が、続けて歓声が上がった。


「バカが……勝手に始めおったな!」


徐真が前方を睨み付けながら舌打ちをした。

おそらく敵を見て血の昂った味方が突撃を仕掛けたのだろう。

猿族は感染症のお陰で敵を見れば血が昂り、勇敢な兵士となるが、その反面理性が効かなくなるので猪突猛進となる兵士が多い。

それは獣化の出来ない兵程顕著だった。要は精神力が弱いのだ。


「徐真、前軍の指揮を取れ。ここでは迎撃も出来ん。私は3キロ後退した所に陣を敷く。お前は敵を引き付けながら後退しろ。もし逸って飛び出す奴がいたら、見せしめに殺して構わん」

「はっ!」


だが孔蓮の命を承けた徐真が駆け出そうとした矢先、突然本陣廻りの兵達が騒ぎ出した。


「敵だ!」

「なに!?」


兵の指差す方を見て徐真は言葉を失った。

本陣の右翼を守る部隊が、既に酷い混乱状態に陥っていたのだ。最早、突破されるのは時間の問題だろう。


「孔蓮様、獣化隊に斬り込まれたようです! 最早、一般兵による反撃は不可能かと……」

「うむ、仕方あるまい。全軍、示し合わせていた通り山に逃げ込み、思い思いに西を目指せ。引き鐘だ!」

「はっ!」


孔蓮はそれだけ指示すると、周りにいた兵士だけを引き連れて西側の山へと後退して行った。





スフィンクス達が決死の覚悟で本陣に斬り込みを敢行したのに対し、敵は満足に反撃する事なく物の数分で引き鐘を鳴らし、蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。

殆ど死傷者を出す事なく敵を撃退した為、味方の兵達はスフィンクスを称えて沸いている。

大勝利。

結果だけ見ればそうだろう。

だがシンは釈然としない物を感じていた。

それはスフィンクスも同じだったようで、山に消えた敵を眺めながら、


「呆気なさ過ぎるの、シン……」

と呟いた。

「はい。些か……」


シンの同意を得たスフィンクスは暫し考え込むと、今度はラルゴに向き直った。


「ラルゴ、敵の獣化は見たか?」

「……そういえば」


突撃時の状況を思い浮かべたラルゴの顔が見る見る青冷める。


「ふん、やられたの。こっちは囮じゃ」

「じゃあ、本隊は……」

「リバハンじゃ。おそらく物見が見たのとは別に部隊を用意していたのじゃろう。城はもう囲まれとる頃かも知れんの」

「急いで兵を纏めます」


緊迫した顔のラルゴが散らばった兵達の元へと駆け出して行った。







「はっはぁ!見てろよ夏袁!俺が来たからにはあんな小城、ソッコーで落としてやる!!」


リバハン城まで直線距離で約2キロ。

城を西に望む丘の上に本陣を据えた焔秋は、同行させた弟の夏袁を振り返ってそう豪語した。


「焔秋様、ご命令通り城の北側と本陣後方に五百づつ配置完了しました。それと城の東の呼成様。南の滔林様もそれぞれ千人を率いて配置に着いております。ご命令があれば、いつでも前進出来ます」

「まずは獣化隊を集めろ。二十人でいい」

「盾を持たせた前衛を前進させませんので?」

「ちまちまやってられるか。一気に撹乱させて落としてやる」

「ですが焔秋様、冬袁様は勝ちすぎるなと……」

「知るか。兄貴は策を弄し過ぎる。落としちまえば文句も言えまい?」


そう言って焔秋は不敵に笑うのだった。





「虎鉄殿、前面だけでなく、後ろにも大軍が回り込みつつあります」

「ふん、敵は約三千か……完全に孤立させられたな」


城の城壁から眼下を見下ろして虎鉄が呟いた。

人数的にこちらが本隊で、スフィンクスが向かったのは足止めの部隊という事になる。完全に裏をかかれた。


「スフィンクス殿に連絡は?」

「つきません……」

「まぁ、そうだろうな……」


この期に及んで儂は何を期待しとるのか?

虎鉄は自嘲気味に笑うと、直後にはキッと表情を引き締めて周りの部下を見渡した。


「総員戦闘準備だ!初めはミサイルが飛んで来るぞ。敵が近づくまで物陰に隠れてじっとしとれ。敵が近づいて来たら遮蔽物に身を隠しながら銃撃戦じゃ。スフィンクス殿が来るまで持ち堪えるぞ。気張れ!!」

「「おおおおおおーーーーーーーーーっ!!」」


こちらの四倍を越える大軍に包囲されたとは言え部下の士気は高かった。

小さいながらも城郭に寄っているのだ。これなら初戦を持ち堪える事さえ出来れば何とかなりそうだ。そう思った矢先だった。


「虎鉄殿、獣化隊です!」

「なんと!せっかちな指揮官じゃのう。一気に決める気のようじゃ。気に入ったわい。城壁の上で迎え撃つ。一般兵は隠れとれ。獣化隊続け!!」

「「おうっ!」」




東西に20キロ、南北に10キロ程の細長い盆地のほぼ中央。北から延びた峰の上にスフィンクス方のリバハン城はあった。

峰と言っても、急峻な山の上にある訳ではない。だが城壁は堅固だった。

ワービーストは元々、優れた身体性能もあって近接戦闘を好む風潮がある。

はっきり言えば飛び道具は卑怯と言う観念があるのだ。

特に獣化した相手に銃火器は役に立たない為、個人の携帯する武器は何百年経った今も殆ど進化していない。

更に人口の激減で街を結ぶ道が整備されていない上、戦う相手も少ない。

また生活の全てを電気で補う今、戦車のような鋼鉄の塊を動かし続ける技術も無ければ必要もない。

だから保有する武器も高が知れたもので、精々エアバイクに銃座を付けたくらいだった。

そう言った意味では、この城壁が早々に破壊される事はない。

但し、獣化したワービーストはその身体性能でもって城壁を乗り越えて来る。

今もそうで、数人の獣化したワービーストが城側の銃弾を避けながら城壁の上にハーケン付きのワイヤーを打ち上げ、ウィンチの力も利用して駆け上がって来る。

仮に城中に入り込まれ直ぐに排除出来ずに乱戦に持ち込まれると、遅れて城壁に近付いた一般兵も迎撃出来ず敵は続々と増えて行く。

そうなるとアウトだった。

いかに早く侵入した獣化隊を排除出来るか。

勝敗はそこに掛かっている。


「うおりゃぁああああああーーーーーーーーーっ!!」

「ぎゃ!!」


猿族の兵士が城壁の上に立った瞬間、槍が飛来して二人同時に串刺しにされた。

そのまま城壁の外へと落下して行く。


「掛かれぇ!!」

「「おおっ!」」


「怯むな!相手は少数だ。押し包んで討ち取れ!」

「「おおっ!」」


部下から新たな槍を受け取った虎鉄を先頭に早くも二人を排除して士気の高まった城方と、自ら前線に立っておめき戦う焔秋に率いられた猿族が激しくぶつかり合った。


19対9。


数の上では城方が不利ではあるのだが、スフィンクス方に居るのは数々の戦いを生き延びた強者のみ。

特に虎鉄は一族の長だっただけに、その戦闘力は桁違いだった。

群がる獣化を物ともせず、二人、三人と瞬く間に葬ってしまった。それを見た焔秋の血が沸いた。


「おもしれぇ!俺が相手だおっさん!!」

「よかろう!来い!」


焔秋は右手に握った刀を構えもせず、身を低くして駆け出すと、槍を構えた虎鉄の間合いに躊躇なく踏み込んだ。

攻めも防御もない。

ただ飛び込む。

その焔秋目掛け、虎鉄は列泊の気合いと共に槍を繰り出した。

虎鉄の槍が煌めき、焔秋の身体に突き刺さる。

そう思えた瞬間、焔秋は身を捻って飛び上がると、槍の上を転がるように一回転した。


「ひゃっはぁ!!」


そして虎鉄の無防備な頭に刀を振り下ろす。

今さら腰の刀を抜いても遅い、必殺の間合いとタイミング。

だが虎鉄は焔秋が跳ね上がったと見るや左足を引き、右腕一本でもって「ふん!」と槍を掬い上げた。


「ーーーなっ!?」


防御などできるものではなかった。

槍に乗せられた焔秋の身体は成す術もなく後方に投げ飛ばされてしまう。

無様に転倒こそしなかったものの、片膝を着かされた焔秋が射殺すような視線で虎鉄を睨み付けた。

その視線を真っ向から跳ね返し虎鉄が吠える。


「甘いわ、小わっぱめが!!」

「この馬鹿力め……ぜってぇぶっ殺す!!」


怒り心頭の焔秋がゆらりと立ち上がった。

その背後に猿族の兵士が一人、スッと近づいた。


「焔秋様……」

「うるせぇ!なんだ!」

「既に半数に討ち減らされました。最早これまで。お引き下さい」

「なに!?」


焔秋の顔がサッと青冷めた。幾ら何でも早すぎる。

だが確かに二十人いた味方が十人にまで減っていた。


「このままおめおめと帰れって言うのか?恫鼓」

「まだ戦いは始まったばかり。獣化隊による攪乱に失敗した今、早期決着は不可能です。ここはご決断を……」


恨みの籠った視線を焔秋に向けられながらも、恫鼓と呼ばれた兵は一歩も引かなかった。

焔秋も分かってはいるのだ。半数が討ち取られた今、敵を混乱に陥れるのは不可能だと。


「シャアアアッ!!」


突然、焔秋が吠えた。

それは昂る感情を鎮めるのに焔秋が良く使う手だった。

そして大きく深呼吸してから虎鉄を睨み付ける。


「しょうがねぇ……今は大人しく引いてやる」

「ふん、未熟者めが。もっと数を揃えて出直せい!」

「言ってろ。どうせ逃げられねぇんだ。覚えとけよ!おい、引き上げだ!」


焔秋はそう叫ぶと、さっさとハーケンを城壁に引っ掻け、ヒラリと飛び降りて行った。





「ちっ……まだ城壁に取り付けねぇのかよ?」


正攻法に切り換えて二時間余り。

城攻めを滔林と呼成に任せ、遅い朝食を済ませてきた焔秋が不機嫌そうに呟いた。


「一度は滔林の部隊が取り付いたけど、敵の反抗にあって結局追い落とされた。不甲斐ねぇ……」


戦場に出して貰えず、こちらも不服そうな夏袁が城を眺めながら答えた。


「あのおっさんだな。やっぱり正攻法じゃ無理か……」

「おっさん?」

「一人、バケモンみたいに妙に強いのが居んだよ」

「兄貴より?」

「かもな。だが夏袁、俺達は戦争やってんだ。個人の勝敗は関係ねぇ。最後に立ってた方が勝者だ。よし、今度は出し惜しみ無しだ。動ける獣化を全員集めろ!」

「全員ですか?」

「そうだ。強いとは言え、敵の獣化は少数だ。城の東と南から同時に攻め込めば対処出来ねぇだろ」


焔秋が城を睨み付けながら獰猛に笑った時、突然部隊の後方から銃声と歓声が続けざまに上がった。

ハッとして後ろを振り向けば、千人程の敵がこちらの後衛に向かって斬り込みを掛けるところだった。


「ちっ……もう来やがったか」

「焔秋様、どういたしますか?」

「ふん、まぁ良い。これも作戦のうちだ。本陣を移動。呼成の部隊に合流する。後方の部隊は本陣が移動するまで持ち堪えさせろ。移動後は北に移動させて部隊の再編成。おい、滔林に伝令だ。城の抑えに半数残して横槍を入れさせろ。行くぞ夏袁、遅れるなよ」

「了解、兄貴!」





「敵は約三千!対処させる時間を与えるな!ラルゴ、シン、正面の敵を獣化隊を率いて一気に突き崩せ!!」

「はっ!行くぞ!」


スフィンクスの命を受けたラルゴとシン達が駆け出す。

結果は直ぐに出た。敵の部隊に獣化はそれほどいなかったのだろう。支え切れずに部隊が真っ二つに割れて行く。


「左右に逃げる敵に一斉射撃。敵が崩れたらそのまま斬り込め!纏まらせるな!足を止めるな!囲まれたら終わりぞ。行け!!」





「ちっ、もう崩れやがったか……」


味方の悲鳴を聞いて焔秋が舌打ちを漏らした。

そこに呼成の部隊が到着し、焔秋を守るように展開し始める。


「焔秋様、後方の部隊が見る間に突き崩されたので肝を冷やしました。ご無事で何より」

「ああ、思った以上に手強い。兄貴が言うだけある。だがもうおしまいだ。呼成、ここが正念場だ。一歩も退くな。ここで食い止めるぞ」

「はっ!」





スフィンクスの援軍が到着し、リバハン城の士気は最高潮に達していた。

城壁の上に立った虎鉄の表情も明るい。


「よぉし、スフィンクス殿が来たぞ!機を見てこちらも斬り込む。いつでも城門を開けられるようにしておけ!」

「こ、虎鉄様!」

「なんじゃい?」

「あ、あれを……」


部下の指差す先。遥かな地平線を見て虎鉄は言葉を失った。





「ふむ、中々崩れんの」


敵の頑強な抵抗に逢い部隊は足を止められてしまった。

こんな陣地も構築していない所で敵に包囲されたらお終いだった。

そうなる前に敵を突破し、城壁を背に早急に防御態勢を整えねばならない。


「よし、ラルゴの部隊を一度引かせよ。力を一点に集中させ、次は一気に突き抜けて城方と合流する」


だが、それはもう手遅れだった。


「スフィンクス様!」

「どうした?」

「て、敵の増援です……」

「増援じゃと?して数は?」

「そ、その数……や、約一万!」

「一万じゃと!?」




「ぬぅ、これほどの大軍の接近に気付けんとは……」


次々と現れる敵の大軍を前にスフィンクスは思わず息を飲んだ。

即座に敵を突破するのは無理と判断したスフィンクスは部隊を東に後退させ、山を背に布陣していた。


「これでは虎鉄殿の後詰めどころでは……」

「スフィンクス様! ア、アルゼーラへの退路を絶つ形で新たに敵の部隊が……おそらく、朝方壊走させた部隊かと……」

「なるほど。敵の目的はリバハンではなく、我等全員を誘き寄せ、ここで殲滅させる事か」


北東へと続くアルゼーラへの退き口を抑えられた今、本隊の退路は南方に広がる平原か東の山中のみ。

平原に逃げれば僅か八百程度の人数、一万に囲まれて全滅は必至だった。

仮に山中に逃げても平原を迂回され、結局は包囲殲滅される。結果は一緒だった。


「誰か、伝令用のエアバイクを持て。あかりは居るか?」

「ここに……」

「最早これまでじゃ。今なら間に合う。お主は包囲される前にここを脱け出し、リカレスへ行って勘十狼殿に避難勧告をせよ。それまで我等が敵を支える」

「え……?」

「すまぬが、レオを頼む」


あかりも獣化出来る貴重な戦力だ。伝令なら他に適任者も居よう。

そう言おうとしたのだがスフィンクスにレオを託されては何も言い返せない。

あかりは躊躇しながらも「……はい」としか答えられなかった。


「シン、お主も一緒に行け」

「お断りします」

こちらは即答だった。


「お主はこの戦いには無関係じゃ。お主まで負け戦に付き合う必要はない。行け!」

「負け戦……大いに結構ですね。後先考えずに暴れるだけ暴れてやります」

「……死ぬぞ?」

「族長らしくありませんね。人間いつかは死ぬんです。それが今だろうが明日になろうが、大して違いはありません」

「ふん、知ったような事を」


スフィンクスがニヤリと笑った。


「はは……確かに少々格好付け過ぎましたね」


シンも釣られて笑うが、直ぐに真顔になるとキッとスフィンクスを見据えた。


「最後までお側に。それが俺の望みです、族長」

「ふっ……よかろう。なら一緒に逝こうぞ。お主の最期、儂が見届ける」

「はい」

「シンくん……」

「すみません、あかりさん。ワービーストに比べたら貧弱な旧人類の俺ですが、これでも男なんです。アクミとひめ子をお願いします」





あかりはエアバイクを駆り、ほぼ一直線に平原を、森を突き抜けて行く。追っ手はいない。

リカレスの街への最短ルートは山沿いの街道だが、ここまで敵の部隊の展開が終了している今、街道筋は敵の斥候部隊に待ち伏せされてる可能性がある。

そう判断したあかりは遠回りになるが一旦平地を東に進み、北上するルートを採った。

ひょっとしたらバイクで進むのなら、スピードが出せる分だけこちらの方が速いのかもしれない。

だが気の急いていたあかりは当然配慮すべき周囲への警戒を怠った。


「うそっ!?」


森を抜けて視界が開けた先に突然、あり得ない……いや、あってはならない物が目に入り、あかりは激しく狼狽した。なぜなら、


「ララ、ランドシップ!?ちょ、……ちょっと待ってよ!」


誘導ミサイルを警戒し、すぐさまハンドルを切って森に飛び込む。


「まずい、今のは完全に見つかっちゃったよね。最悪だ……」


早くリカレスに行かなければいけないと言うのに、エアバイクを使っては相手に捕捉され逃げ切れない。

だからと言ってAS相手に追いかけっこはしたくなかった。

相手の数にもよるが大幅に時間を浪費する。

バイクを乗り捨て、獣化して一気に200メートル程移動するとそっと森の外の様子を伺った。

逃げるにしても、せめて敵の数と方向位は知っておきたかった。

だが、待てど暮らせど警報は愚か銃声の一つも鳴り響かない。


「ーーー?」


あかりはそこで初めて気付いた。

目の前のランドシップに蔓草が巻き付いている事に。


「ひょっとして、これ……シンくんが乗ってきたヤツ?」


立ち上がったあかりは物陰に隠れながらランドシップに近づいて行く。

外から見た限り目立った外傷は見当たらなかった。

だが生き残りが居るかもしれない。

あかりは意を決すると、そっと艦内に足を踏み入れ、そして息を飲んだ。


「……そっか。ここまで逃げて来て、猿達にやられちゃったんだね」


一応警戒はしたものの、明らかに人の生活している痕跡は無かった。

もっとも、人の死体と仲良く生活出来る精神の持ち主が居れば別の話だが。

あかりはそのままブリッジに昇って中を見回した。

パッと見、計器類が破壊されてるようには見えない。そこで閃いた。


「これ……使えないかな?」


そう思って計器に飛び付きじっと見つめる。


「……って、私に分かる訳ないよね。あはは……」


顔を上げて苦笑いを浮かべるあかり。そこで再び閃いた。


「そうだ、猫々ちゃんなら!」





二時間後。

臨時の指揮所となっている屋敷に到着したあかりは、出迎えた勘十狼に避難勧告とスフィンクスの決意を伝えるとすぐさまアクミ達の部屋へと駆けだした。


「アクちゃん!」

「おや?あかりさん、いつの間に帰られたんで?」

「今よ。それより猫々ちゃん呼んで!今すぐ!みんなが大変なの!」

「猫々ちゃんなら、そこにいますけど?」


「え……?」


アクミに横を指差されて振り向けば、椅子に座ったひめ子、レオ、それに猫々の三人がキョトンとした目でこちらを見ていた。


「猫々ちゃん!」

「はは、はいぃ!」

「見つけた!見つけたの!あれならきっと!だから……」

「なな、何をですかぁあんあんあん……」


駆け寄ったあかりが猫々の肩を掴んで激しく前後に揺さぶる。


「ちょっとちょっと、あかりさん。猫々ちゃん気絶しちゃいますから、まずは落ち着いて下さい。いったいナニを見つけたって言うんですか?」

「ランドシップよ!」

「ランドシップ?」

「たぶんシンくん達が乗って来たランドシップ。猿達に追撃されて乗組員だけ全滅。それを見つけたのよ!」

「ナンですと!?」

「あれの火力なら不利な局面を打開出来るかも知れない。みんな死ななくて済むかも知れない。だからお願い猫々ちゃん、一緒に来て!」

「ランドシップですかぁ?確かめてみる価値はありそうですねぇ」

「今、バギーを回すから準備しといて!」


「待て!!」


駆け出したあかりが廊下に出ると、一人の少年が立っていた。


「君は?」

あかりが尋ねると、ひょいと顔を覗かせたアクミが、


「私に絡んできた、例の大牙ってヤツですよ」

と小声で教えてくれた。

要はアクミと一悶着あった子だ。

だが正直、今は構ってる暇はなかった。そう思って断ろうとしたのだが、


「俺の親父がリバハン城で戦ってるんだ!頼む!俺も連れてってくれ!」


と言うではないか。

金髪に黒の房の混じった特徴のある髪の毛。

しかも虎族で父親がリバハン城で戦ってる?


「……ひょっとして君、……虎鉄様の息子さん?」

「そうだ」


びっくりだった。

息子さんが居るとは聞いていたが、見るのは初めてだったのだ。


「そう言う事なら良いじゃありませんか、あかりさん。家族が心配なのはあんたも一緒ですもんね」

「アクミ!?……お前ってヤツは……」


つい先日まで敵対していたにも拘わらず、真っ先に同意してくれたアクミについ大牙の目頭が熱くなる。


「仮にも獣化できるんです。いざと言う時にはきっと役に立ちますよ。囮とか弾除けとか」

「お前は一言多いんだよ!俺の感動を返せ!」







「さすがにキツいな、シン……そら」


戦いの合間。

食事をする間もなく塹壕掘りを手伝っていたシンにラルゴが水のボトルを放ってくれた。

それを片手で受け取り一口飲む。

身体の隅々まで水が行き渡り、生き返った気分だった。


「何人残りました?」

「約六百。次は辛いな」

「せめて城を背に戦うか、城方と連携できれば……」


攻撃を仕掛けたものの頑強に抵抗され、陣を組み直す為か、一旦後退した猿族をシンが眺める。次は総攻撃だろう。


「なんじゃラルゴ、シン。もう泣き言か?」


振り向けば族長が近づいて来るところだった。

その手には携帯食糧を握っている。配給の昼食なのだろう。


「なんとか押し返しましたが敵が多すぎます。特にこの陣と城との間を阻むように布陣した部隊が精強です。統制が取れていて懐も深く、ちょっとやそっとの火器ではまったく崩れません」

「それに相手は感染者だ。こっちの顔を間近に見ると血が昂るんだろう。払っても払っても寄ってくるハエのようだ」


うんざりしたようにラルゴが呟いた。


「愚痴を言っても始まらんぞ。ここを持ち堪えなければ、避難の終わっていないリカレスに敵が殺到する。それだけは阻止せねばならんからの」

「そうですね」


シンは遥か後方……リカレスへと続く空を見上げた。それは雲一つない青空だった。


「死ぬにはもってこいの空だ……」

ラルゴがポツリと呟いた。


確かに死ぬならこんなスッキリとした青空がいい。曇りや雨の日は真っ平だった。


「ふん、もう死ぬ気か?もっと我等の力を見せつけ、思う存分暴れ、我等に手出しした事を思いきり後悔させてから逝ってやろうぞ」


そう言ってスフィンクスが不敵に笑った。







あかりの運転するバギーが山道を疾走する。

横には猫々とひめ子(車酔い×2)が今にも死にそうな顔で座り。後ろの席にはレオ、アクミ、大牙、それと途中で拾ったカバジンが所狭しと並んで座っていた。


「見えた!あれあれ!!」

「ナンと!?ホントにランドシップですね」

「でっけぇな……」

「まずはぁ、ブリッジへ行ってみましょう~」


ランドシップに到着した一行は、すぐさまあかりの案内でブリッジへと昇った。すると、


「みんなはちょっと待っててね?すぐ済ましちゃうから」


そう言ってあかりはにっこり微笑むと、一人扉の向こうへと消えて行った。

いぶかしんだアクミと大牙がそっと中を覗き込む。


「あぁ、そう言う事ですか。私も手伝いますよ、あかりさん」

「行くぞ、カバジン」

「……うす」

「私もお手伝いします。ひめちゃん達は待ってて下さい」


とアクミ、大牙、カバジン、レオの四人も次々ブリッジに消えて行く。

扉の向こうからは、


「ここにみんな寄せちゃおう」とか、

「窓が割れてて良かったぜ」とか、

「足蹴は失礼ですよ?」とか、

「あかりさん、見た目がアレなんでこれでも被しときましょう」


等の会話が時折聞こえてくる。


「猫々ちゃん、私……だんだん入りたくなくなってきたんだけど……」

「あははぁ~、わたしもです~」





「やっぱり、電源は入りませんねぇ」

「もう一年近く前だもんね」


おそるおそると言った感じで掃除(?)の終わったブリッジに足を踏み入れたのだが、当然のようにバッテリーは底をついていた。


「とりあえずぅ、電源室を探しましょ~。悪天候が続いた時の為にぃ、手動で発電出来る設備がある筈ですからぁ」


猫々の提案で電源室に移動する一行。そこには……。


「これはまぁ……ナンと言いますか……」

「いかにもって感じだな……」

「なんとも原始的ですね」


アクミ、大牙、レオが呆れた声で呟いた。

要はスポーツジムにあるような、据え置き型の自転車が数十台並んでいたのだ。

車輪の代わりにベルトが発電機に繋がっている。


「あかりさん。お願いします~」


体格的にあかり一人しか回せる人間はいなかった。だがそこはワービースト。


「任せて!」

と意気揚々とペダルに足を掛けたあかりが獣化する。


「そりゃぁああああああーーーーーーーーーーーーっ!!」

「点いた!」


あかりがペダルを回して物の数秒で艦内の明かりが薄暗く点灯した。


「よ~し、ここは任せて~!じゃんじゃん発電しちゃうからね!」

「お願いします~。さて、わたし達は~、余計な電源を落としてぇ、ブリッジに行きましょう~」







「スフィンクス様、敵の部隊が移動を開始しました!」


報告を受けたスフィンクス、ラルゴ、シンが敵の陣容を見れば、敵はこちらに抑えの部隊を残し、リバハン城から先に攻略する方針に変更したようだった。


「ぬぅ……あれだけの大軍に一度に攻め込まれれば一堪りもないの……」

「戦端が開かれるのは一時間後といったところですか……」


沈痛な面持ちで見つめるスフィンクスとラルゴ。

応援に駆け付けたいのだが、前面の精強な部隊は抑えとして残っている。あれを突破するのは困難だった。

その時、突然シンの目の前にコールサインが点灯した。

それを見てシンが驚く。

何故なら、それは本来ASやランドシップとの通信時に点灯するものなのだ。

スフィンクスと頷きあったシンがインカムに手を伸ばす。


「……誰だ?」

『やった!先生に繋がった!』

「……アクミ?」

『先生、これからぶっ放しますんで、ちょっと待ってて下さいね!』

「ぶっ放す?ちょっと待て、なんの話だ?」

『ナニって、主砲ですよ。ランドシップの!』

「ランドシップ?」

『あかりさんがこっちに来る途中に見つけたんです。濃い青色のランドシップを!』


「なに!?」


それを聞いてシンは衝撃を受けた。


〈『アイリッシュ』だ……。そうか、逃げ切れなかったのか……〉


見つけたと言う事は乗り捨てたのか?それとも……。

仲間達の安否が気になったが、今は時間がない。

シンは一旦、仲間の事を頭の隅に追いやるとインカムに手を添えた。


「それで、起動出来たのか?」

『エンジンは無理ですけど、一般用の電源はなんとか。動力が無いんでミサイルはダメですけど、主砲は手動でも動かせるって、さっき大牙くん達が確認しました。なんで今、猫々ちゃんとひめちゃんで観測気球の準備してます』

「分かった。位置情報はこっちで何とかする。猫々とひめ子にブリッジを任せて、アクミは主砲の準備を頼む」

『了解でっす!』


「どうしたのじゃシン?ランドシップがどうとか言っていたが?」


シンが通信を終えると、待ちきれぬとばかりスフィンクスが尋ねてきた。

会話の中に不穏な単語が混ざっていたのだ。当然だろう。


「あかりさんが、俺が乗艦していたランドシップを見つけたようで、今アクミや猫々達と一緒に行ってます」

「なんと!?」

「後はここの位置情報が分かれば、主砲の砲撃支援が可能になるかもしれません」

「ぬぅ、確かにあれが突然降ってくれば敵は大混乱じゃろう。運良く指揮官を倒せれば戦況を引っくり返せるかもしれん」

「問題は敵の本陣がどこにあるかだな。初弾を本陣に撃ち込めなければ、敵は冷静に散開してしまう。チャンスは一回だけだ」

「ラルゴ殿、戦場を見渡せる絶好の場所があるじゃないですか?あそこなら一目で分かります」


シンが遠く、リバハン城を望むのを見てスフィンクスが顔色を変えた。


「待て、それは危険じゃ。ASなら空を飛べるとはいえ、上空高く上がればミサイルが飛んで来るぞ」

「はい。ですから地上付近を高速で突っ切ります。ミサイルが使えず、それでいて飛び掛かっても回避出来るギリギリの高さを……」

「それでも危険過ぎる。せめて陽動を掛けるから少し待て、シン!」

「そんな時間はありません。止めても無駄。行きます!」


シンはそう言って敵の陣地をキッと睨み、直後に飛び立った。





「あん?いったい何を騒いでやがるんだ?」


テントの外がざわめいている。

焔秋が顔をしかめたのを見て、すぐさま呼成が確認に出た。


「焔秋様、低空で包囲網を突破する動甲冑がいるようです。こっちに向かって来ます」

「動甲冑?成り損ないのか?」


呼成の報告を聞いた焔秋と夏袁がテントの外に出る。

確かに白い動甲冑が一機、猛スピードでこちらに向かって来るのが見えた。


「俺が仕留めてやる。槍を寄越せ!」

焔秋はそう言って獣化すると、槍を肩に担いで動甲冑が近づくのを待った。




敵兵の真上を月白を纏ったシンのASが飛んで行く。

時折、下から銃弾が飛んで来るがそれは気にしなかった。シールドに任せておけばいい。

問題は獣化だった。

あんなのに飛び掛かられては地上に落下してしまう。敵のまっただ中にだ。そうなったらお終いだった。

だからシンは敵が飛び上がるのを見た瞬間、回避行動をしながら両手に持った散弾銃を撃ち込んだ。

そうやって狙いを逸らし、ギリギリのところで凌ぎながら飛行を続けていた。

そんな時、偶然赤毛の男と目が合った。

その瞬間ゾクリと背筋が凍る。

それはただの勘だった。

咄嗟に首を傾けると同時に、顔の真横を何かが通過して行った。

それが槍だったのだと遅れて気づく。


「ちっ、避けやがった」

焔秋が忌々しそうに呟いた。


敵陣を抜けたところで後ろから携帯ミサイルが数発飛んで来たが、それはシンも予想済みだった。

すぐさま地上スレスレまで高度を落とすと林の中に飛び込んだ。

ワービーストが保有するミサイルの誘導装置は旧人類のそれに遥かに劣る。

空中なら兎も角、林の中では木々を避けられず次々と激突していった。

これでとりあえずの危地は脱した。


シンはリバハン城の城壁の上に無事到着すると、そのまま座り込んで天を仰いだ。

口を開けて大きく息を吸い込む。

心臓がバクバクと激しく鳴っている。

今になって恐怖を感じた。良くもまぁ、生きていたものだ。

血相を変えた虎鉄が階段を駆け上がって来る。

それに気付いたシンが笑いながら右手を上げた。


「いやぁ、虎鉄殿。死ぬかと思いました」

「ふっ、無茶をしおって」

シンの右手を掴んで引き起こしてやりながら、虎鉄も釣られて笑った。


「でもこれで勝機ができました。虎鉄殿、戦場を見渡せる場所はありますか?」




「はは、これは壮観ですね」

虎鉄が連れて行ったのは南側に立つ塔の上だった。

確かに見張らしはいい。敵の布陣が一目で分かった。


「虎鉄殿、敵の大将はどこだと思われます?」

「恐らくあそこじゃな」


そう言って虎鉄が遥か南に布陣している部隊を指差した。冬の旗が翻っている。

それを確認してからシンがインカムに手を添えた。


「猫々、どうだ?」

『バッチリですぅ。月白の位置情報確認しました~』

「敵本陣はここから南に2220メートル、東に310メートル、高低差は30メートルだ」

『了解でぇす。気象情報ないんでぇ、着弾誤差は三十メートルってところですかねぇ?』

「構わん。準備ができ次第やってくれ」

『了解ですぅ』


通信を終えたシンに、いまいち状況を飲み込めていない虎鉄が尋ねた。


「シン殿、いったいこれから何が始まるのじゃ?」

「砲撃支援です」

「砲撃支援?」

「さぁ、虎鉄殿。反撃です」





「何を騒いでいた?」


テーブルに広げた地図から顔を上げて冬袁が尋ねた。

先程、焔秋の部隊から銃声が上がっていたので確認に人をやったのだった。


「どうやら敵の陣地から動甲冑が一機、城に向かったと騒いでいたようです」

「待て!何で成り損ないの動甲冑が敵にいる!!」

「それは……」


血相を変えた冬袁に問い詰められ部下が返答に詰まった。答えようがないのだ。


「敵方と動甲冑が一緒にいるのも気になるが、さっきの行動……何か意図がある筈だ。だが何だ?」

そう言って冬袁は考え込んでしまった。


「冬袁様?」

「どうも胸騒ぎがする。全軍に通達。総攻撃を二十分切り上げる。準備を急がせろ!」





「シンは無事に着いたようですね」

遥か遠く、リバハン城の南にある塔に上がっていくシンの姿が見える。


「ふん、ヒヤヒヤさせおって。ラルゴ、こちらの準備は?」

「いつでも」


スフィンクスはラルゴの返事に無言で頷くと、なだらかな山の斜面を利用した自陣を見渡した。その先2キロには敵の陣地が見える。


「本当に大丈夫なんだろうな?」

「子供が砲撃支援なんて、こっちに飛んできたら、堪ったもんじゃないぞ」

と事情を聞かされた兵士の囁きがここまで聞こえてくる。


「スフィンクス様……」

「どの道、このままではお終いなのじゃ。今は信じよう」


旧人類の戦艦を子供が扱おうと言うのだ。スフィンクスとて不安がない訳ではない。だが今は信じるしかなかった。


「来たぞ!」


獣化して後方を警戒していた兵士が叫んだ。

直後、頭上を砲弾が通過し、城の南方2キロ辺りに見事着弾した。

着弾後すぐに衝撃波が、遅れて「ドンッ!!」と言う落雷のような凄まじい轟音が鳴り響き、三つの爆煙が高々と舞い上がった。


「「やったぁああああああーーーーーーーーーっ!!」」


喜色を浮かべた兵士達から大きな歓声が上がる。


「鬨の声を上げよ、叫べ! 行くぞ!!」

「「おうっ!!」」

反撃の開始だった。





敵の本陣は蜂の巣をつついたような騒ぎだった。

それはそうだろう。突然あんなのが降って来たのだ。パニックにならない方がおかしい。

訳も分からず逃げ惑う敵に次弾が飛来する。

恐怖心を煽る凄まじい轟音と爆煙が再び辺りを覆った。

さすがにランドシップの艦砲射撃は桁外れだ。


「はは、心踊るわい!」

「猫々、本陣はもういい。次を頼む」

『了解ですぅ』

「さて……そろそろ儂等も行くか、シン殿」

「はい。お供します」


二人並んで城内の広場を見下ろす。

そこには籠城する兵士が全員集合していた。

「全軍、これより東の陣を攻撃。そのままスフィンクス殿の本隊と合流するぞ!殿はギリギリまで城に留まり、敵が追撃を始めたら石垣を崩してやれ。行くぞ!!」

「「おうっ!!」」




「なんだ今のは!?」

今、物凄いスピードで上空を何かが通過した。

直後に衝撃波を腹に感じ、凄まじい轟音が響き渡った。

テントを飛び出した焔秋が辺りを見回し、そしてぎょっとした。

冬袁の居る本陣に爆煙が三つ上がっていたのだ。


「いきなり本陣を狙いやがったのか!?くそ、奴等に長距離砲があるとは思わなかった」

「しかし焔秋様、なんで奴等があんな物を?」

「そんなの知るか!それより兄貴が心配だ。誰か本陣に……」


そこで再び上空を砲弾が通過して行った。

慌てて目をやれば、救助を始めていた味方が吹き飛ぶのがここからでも見えた。


「そうか、さっきの動甲冑……やつか。あん時殺してれば……」


歯噛みして悔しがったが後の祭りだった。


「焔秋様! 前面の敵が一斉に山を下って来ます! それに城の奴等も呼応する形で……」

「くそっ!陣形を整えろ!勢いを止めれば多勢に無勢だ。全員落ち着いて……」


そこまで言って焔秋の顔からサッと血の気が引いた。


〈待て……多勢に無勢は変わらん。なのに陣地を捨てて攻撃を仕掛ける?〉


腹は立つが敵の指揮官は優秀だ。無謀な攻撃を仕掛ける訳がない。

なら理由がある筈だった。


「まずい、次は此処だ!総員退避!散らばれ!急げ!!」


言うが早いか、獣化した焔秋が側にいた夏袁を担ぎ上げた。

直後だった。『アイリッシュ』の砲弾が飛来したのは。







ランドシップ『アイリッシュ』の砲塔内ではアクミ達が大忙しだった。


「レオ!お前はそこ開けて排莢すればいい!火傷に気をつけろよ!カバジン、行くぞ!」

「うすっ!」

「アクミ、こっちは俺とカバジンでやる!お前は砲塔回す準備しとけ!」

「ナンであんたが仕切ってんですか!」


砲弾の装填を手伝おうとしたアクミだったが大牙に止められ、文句を言いながらも慌ててハンドルに飛び付く。

「そんなの気にしてる場合か。それ回せ!」

「指図すんじゃ、ねぇです……よぉおおおーーーーーーっ!!」


手動旋回用のハンドルを獣化したアクミがグルグルと凄い勢いで回していく。

するとインカムにひめ子からの通信が入った。


『ちょっとアクちゃん、回し過ぎ!三度戻して!』

「おっとっと……大牙くんみたいに調子に乗っちゃいました。反省反省」

「誰が調子に乗ってるだ!誰が!」


大牙が吠えた。







無人の野を行くように虎鉄率いる城兵達が進んで行く。

城と本隊の間に隙間もない程部隊が犇めいていたのだが、今は櫛の歯が抜けたようにスカスカだった。

密集隊形でいた所に艦砲射撃を受け、陣形がめちゃくちゃになった所に前後から攻撃を受けたのだ。それも当然だろう。

時折、行く手を阻むように敵兵と遭遇するが、こちらを見ると逆に動転し、満足に反撃もせずに逃げ散って行く。感染症の兵士とは思えない呆気なさだった。

それほどランドシップの砲撃は猿族に恐怖心を植え付けたのだ。


「よし、抜けた。皆はこのままスフィンクス殿と合流せよ。獣化隊は儂と一緒に踏み留まって……」

「ダメです、虎鉄殿!このまま一気に後退します!」


立ち止まった虎鉄にシンが叫びながらホバリングで近づく。


「なに、後退!?逃げるのか?」

「虎鉄殿、このままでは消耗戦になります。感染者は敵を目の前にするから血が昂るのです。だから距離を置いて一度冷静にさせます」

「そんなんで冷静になるかの?」

「させます。今、長距離砲を使いました。そしてこのままこちらは後退。一度距離を取って空白地帯を儲け、考える時間を与えます。そうすれば敵は必ずランドシップの存在を考慮するでしょう。相手には頭の切れる奴がいます。リスクを考慮し、ここが潮時と考えるでしょう」

「ふむ……それはスフィンクス殿の考えか?」

「そうです」

「分かった。逃げるのは性に合わないが、スフィンクス殿の考えなら是否もない」





戦場を覆っていた煙が晴れると、敵の姿は一人もいなくなっていた。

いっそ清々しい程の逃げっぷりに思わず笑みが溢れる。

冬袁は丘の上に仮の本陣を置き戦場を見渡していた。

周りでは何を勘違いしたのか、勝った勝ったと歓声まで上げているバカがいる。

その時、突然怪鳥のような鳴き声と共に城が吹き飛んだ。歓声を上げていた味方がビクリと身体を震わせる。

地盤ごと破壊された城郭がガラガラと音を立てて崩れていく。

こちらが利用出来ないよう例の砲撃で破壊したのだろう。


「兄貴!」


懐かしい声に振り向けば、焔秋と夏袁が揃って歩いて来るところだった。


「無事だったか焔秋、夏袁……」

「ああ、なんとかな。敵は?」

「物見の報告だと、5キロ程東の山に陣を敷いたらしい。それと孔蓮の報告だが、後退する直前、夥しい数の増援の接近を見たとの事だ」

「なんだと!?敵にまだそんな余力が?」

「私は正直、あそこから逃げられるとは思っていなかった。敵の戦力を完全に読み違えたな。少し急ぎすぎた……」

「くそ、あの砲撃さえなければ……」


焔秋が歯噛みして悔しがった。それを横目で見ながら冬袁が尋ねる。


「焔秋、アレをどう思う?」

「どうって、奴等が成り損ない共の艦を持っているとしか……」

「それもどうなのだろうな。持っていればもっと早くに使ってそうだし、第一、ミサイルを雨霰のように降らせたと思うが……」

「温存してるだけかも知れねぇ」

「ふむ、そうなると益々厄介だな……」


こればっかりは当たってみなければ分からなかった。

掛け金はこちらの兵士の命だ。

そんな賭けに乗る訳にはいかなかった。

敵が逃げた後、緩やかな丘の頂きに槍が二本、バッテンの形に刺さっていた。

ここから先に踏み込むな。そう言っているようだった。

いや、実際そう言うメッセージなのだろう。

その向こうには青地に赤の縁取りの旗が風にたなびいていた。意匠は金色の獅子と剣だ。

冬袁達は知る由もないが、それはキングバルト家の紋章だった。

再び怪鳥のような鳴き声が聞こえた。

すると砲弾が槍に命中し、土砂が高々と舞い上がった。


「ふっ……大したものだな……」


敵の技量に冬袁は賛辞を込めて呟いた。


「焔秋、撤収する。ここを境界にまずは北淋を固める。奴等はその後だ」

「良いのか?」

「仕方あるまい。これから成り損ない共と南で本格的な戦争になる。ここで無理をする訳にもいくまい」


そう言い残すと、冬袁は踵を返し、再び張られたテントの中に消えるのだった。







新たに敷いた山の陣にはスフィンクス、虎鉄の他に勘十狼の姿もあった。

街の住民の大半は逃げる事を良しとせず、武器を持って参陣した結果だった。


「スフィンクス様、敵は撤収を始めました」

「ふむ、どうやらこちらの意図を理解してくれたようじゃな」


物見の報告を聞いてスフィンクスが穏やかな表情を浮かべた。それを見て、つい虎鉄が質問する。


「スフィンクス殿、もし敵が撤収しなかったらどうするつもりでしたので?」

「決まっておろう、虎鉄殿。その時は徹底交戦じゃ」


スフィンクスがニヤリと笑った。


「ははは、それでこそスフィンクス殿ですな」


虎鉄を始め、勘十狼にラルゴ、シン達も揃って笑いあった。


「さて、こちらも帰るとしようかの」

それは戦争終了の宣言だった。







四ヶ月後。


「シン、ちょっと出掛けんか?」


そう言われてスフィンクスに連れて来られたのがこの山の頂きだった。

山頂だけあって見張らしは良い。

北に連なる山々。南は平原が広がっている。


「族長、態々この景色を見せる為に?」


そう聞こうとしてシンが固まった。

ランドシップの艦隊が見えてきたのだ。

艦隊は遥かな南の大地を西に向かっている。おそらく猿族と交戦する為の遠征軍だろう。

中には『アイリッシュ』と同型艦も見えた。

遠征軍の旗艦なのだろう。ワインレッドの船体は『シュニッチェル』だ。

後ろを振り向くとスフィンクスが静かに頷いた。

好きにせよ。

そう言っているのだ。

視線を戻しランドシップの艦隊を見つめるシン。

山頂を心地よい風が渡って行く。

そうして暫く眺めてから、シンはスフィンクスに向き直った。そして静かに首を振る。


「良いのか?」


今度はシンが無言で頷いた。

再びランドシップに視線を戻す。

それは仲間との、……いや、生まれ育った旧人類の社会との決別だった。

だがシンの顔に悲しみの表情は見えない。

艦隊が速度を上げる。

始めに護衛艦が、続けて『シュニッチェル』が地平の彼方に消えて行った。

シンは遠く、遥かな地平を眺めたままだ。


「……俺は……リカレスが好きです……」

シンがポツリと呟いた。


「俺は、あの街を見て衝撃を受けました。族長が善政を敷いたあの街には、我々が忘れていた、人間が人間らしく暮らしている、ありふれた世界があったんです」


そこで話を切ったシンが再びスフィンクスと向き直った。それは何かを決意した男の顔だった。


「俺はあの街を守りたい。……猿族はもちろん、旧人類の手からも。……だから、帰りません」

「……そうか」


シンの決意を聞いたスフィンクスが静かに頷く。だが直後にニヤリと笑った。


「だがこれだけは言っておくぞ、シン。儂は猿族はおろか、旧人類とも手を携えて生きて行ければ良いと思っておる」

「それは!?……いえ、そうなったら素晴らしい事ですね」

「ふっ、何を他人事のように言っておるシン。お主も手伝うのじゃ」

「俺も?……出来るでしょうか?」

「シンよ。事を成そうとする者が己を信じんでどうするのじゃ?現にお主はここにおる。後はそれを二人、三人と増やしていけばいいだけの話じゃ」

「それはそうですが……でも族長、どうやって?」

「はっはっは、まだそこまでは考えておらん。これから共に考えていこうぞ、シン。何せ時間はたっぷりとある」

「ふふ、それもそうですね」


シンは笑って北の空を見上げた。

リカレスに続く青い空。

何度も見上げた、リカレスの青い空を。







「ひめちゃん、洗濯物これだけですよね?」


リビングの扉の向こうからアクミが顔だけ出して尋ねた。

その顔には既に少女の面影はなく、キリリと引き締まったボディーとも相まって野生の女豹を思わせた。


「お風呂のタオル入れたんならおしまいかな」


キッチンで食器を洗っていたひめ子も同様で、こちらも立派な女性に成長していた。


「了解でっす。じゃあ先生のシーツも洗っちゃいますね?って、アレ?ひめちゃん、先生は?」

「さっき街の方に出掛けたわよ。たぶんアクちゃんの誕生日プレゼントじゃないかな?」

「ナンですとぉおおおおおおーーーーーーーーーっ!?ちょっとちょっと、ひめちゃん!本人の私を差し置いてプレゼントって、いったいどう言う了見ですか!?」

「いや……私に言われても……」


詰め寄るアクミにひめ子が苦笑いを浮かべた。


「こうしちゃいられません。ひめちゃん!」

「はいはい。洗濯物はやっておくから、行ってらっしゃいな」

「恩に、斬ります!」


ビシッ!


と手刀で空を斬ったアクミが踵を返して駆け出す。

そんなアクミをひめ子が笑って見送った。


「もう……斬っちゃダメでしょうに……」





あの日、シンがリカレスに留まる決意をしてから四年の歳月が流れていた。

シンは21歳。そしてアクミは今日、16才の誕生日を迎えた。


「先生!!」


街へと続く坂道の向こうにシンを見つけた瞬間、アクミは右手を振りながらぐんと加速した。

その頭に猫耳を見た瞬間、シンがぎょっと身構え、次いで身体に光の粒子が集まった。ASを緊急装着したのだ。

その直後だった。

シンの胸にアクミがダイブしたのは。


「……ったく、無茶するな。ASが間に合わなかったら、バイクに撥ね飛ばされた哀れな歩行者みたいに全身骨折たぞ?」

「あはん。その時は私が優しく介抱してあげますから安心して下さい、先生」

「当の加害者に優しく介抱されるのか。なんとも複雑な気分だな……」


にっこり笑うアクミにASを解除しながらシンが苦笑いを浮かべる。


「そんな事より先生!酷いじゃないですか。ナンで私のプレゼント買うのに私を置いて行くんです?この日の為に計画した私の第二回プレミアム・バースデー・イケイケ・ムーディー・サプライズスペシャルが台無しじゃないですか!!」

「いや、プレゼントは決まってて、それを受け取りに行っただけ……って、第一回ってあったか?」

「そんな事はどうでもいいんです。デート出来るかどうかが問題なんです!」


そう言って詰め寄るアクミ。


「じゃあ……このまま二人で街でも行くか?」

「マジっすか!?はいはい!もちろん、はいです!」


二人で……と聞いた途端にぱあっと満面の笑顔になり、右手を高々と上げるアクミ。

そのままシンの左手に飛び付いて腕を組んで歩き出す。


「ふふん。……ところで先生、プレゼントってナンです?」

「ああ、これだ」


思い出したようにアクミが尋ねると、シンはポケットから淡いピンクの石が嵌まったブレスレットを取り出して掌に乗せて見せた。

それを見てアクミの表情が輝く。


「うわぁ!?綺麗なブレスレットですね!」

「AS、灰桜だ」

「AS!?」

「と言っても壊れてて、右手のアームしか無いがな」


満面の笑顔から一転、アクミの表情がガッカリした物に変わった。


「あの……先生?ソレって只のガラクタでは?」

「だが登録した30種類のアイテムが瞬時に呼び出せる。便利だろ?」

「なんと!?それは便利ですね。ふふん、ありがとうございます」


そう言ってアクミは嬉しそうにブレスレットを受け取ると早速右手に嵌めた。そしてにっこり笑ってシンを見上げる。

その幸せそうな顔を見てシンの顔にも自然と笑顔が溢れた。


「ふっ……あのアクミがもう16歳か……」


シンは感慨深気に呟くとリカレスの街並みへと視線を移した。

きっと出会った頃の事でも思い出しているのだろう。

シンに倣ってアクミもリカレスへと視線を移す。


「ふふ……早いもんですよね。今では先生もすっかりこの街の住人ですし……」

「そうだな……」


そうしてどれくらい二人で街を見つめていただろう。不意にアクミがシンの腕をギュッと抱き締めた。

シンの左腕がアクミの豊かな膨らみに触れる。


「……先生?」

「なんだ?」

「……帰ったら……赤ちゃん作りましょうか?」

「バカ!?」

「うふふ……」


照れるシンと幸せ一杯な笑顔のアクミ。

リカレスには今日も、抜けるような青空が広がっていた。

おまけあとがき


夜更け。

いつものように、一つのベッドでシンを挟んで仲良くおやすみしたのだが、ひめ子がふとした気配に目を覚ますと……アクミがシンの顔に覆い被さっていた。


〈……?〉


アクミはシンの頭の両脇に手を付き、両目を綴じて、そっと顔を近づけていくところだった。やがて……、


ちゅ!


アクミの唇が、シンの頬っぺたにチョンと触れた。シンは寝たままだ。

そのままゆっくりと顔を離したアクミの顔がニコリと笑う。

それはもう、幸せそうな笑顔で。

ひめ子が黙って観察を続けていると、やがてアクミの表情が真剣なものに変わった。

そしてシンの唇を、小さい指先でチョンとつつく。


にやり。


熟睡していて目を覚まさないシン。

そんなシンを見下ろすアクミ。

窓から射し込む月の光に照らされたその顔は、お世辞にも可愛らしい子供のそれではなかった。

はっきり言えば、なにか企んでる時の悪人のそれだった。

そして再び顔を近づけるアクミ。


ちゅ!!


アクミの唇が、今度は寝ているシンの唇に触れた。シンは相変わらず目を覚まさない。

そのままゆっくりと顔を離したアクミの顔が、再びニコリと笑う。

シンと(勝手に)口づけ交わし、悦びのあまり、両手を胸の前で合わせてクネクネと身を捩らせるアクミ。

それはもう、満面の笑顔で。

その時、ふとシンから視線を外したアクミと、


「…………」

と、無言でアクミを見つめ続けるひめ子の視線が交錯した。


「…………」

「…………」


やがてアクミは、何事もなかったかのようにノロノロとシンの身体から降りると、そのまま布団を被って寝てしまった。

すぐさま「…………すぅ…………すぅ…………」と寝息が聞こえてくる。

狸寝入りなのは明らかだった。

ひめ子はベッドから一旦降りると、トコトコと歩いてベッドの向こう側に移動し、アクミの布団に潜り込んだ。

そのひめ子を、布団の中でじっと見つめるアクミ。


「…………」

「…………」

「……アクちゃん?(小声)」

「……ナンでしょう?(小声)」

「……ひょっとして……毎晩あんなことしてたの?(小声)」

「……ええと……その……(小声)」

「……してたんだ?(小声)」

「……まぁ(小声)」


誤魔化しようがないと悟ったのか、アクミが鼻の頭をポリポリと掻きながら白状した。


「アクちゃん……お兄さんの事が好きなの?(小声)」

「……ッ!?」


ストレートに聞かれ、アクミの頬が紅く染まる。


「好きなんだ?」

「……ええ……まぁ?(小声)」


照れているのだろう、小声で話すアクミの声が、さらに小さく尻萎みになっていく。

それを見て、ひめ子はクスリと笑ってしまった。


「あの……やっぱり、ああいうのはダメですかね?(小声)」

「別に、いいんじゃない?(小声)」

「え? いいんですか?(小声)」


思わぬひめ子の同意に、アクミの方が驚いてしまった。


「だって、お兄さんが好きなんでしょう?ならしょうがないもんね?(小声)」

「ですよね!好きならしょうがないですもんね!(小声)」


にっこり笑ったひめ子の手を取り、アクミが(小声で)歓喜の声を上げる。

我が意を得たとは、このことだった。





翌朝。

いつもより早くひめ子が目を覚ますと、アクミがシンの顔に覆い被さっていた。

そのまま黙って観察を続けていると、やがてアクミはツンと唇を尖らせ、そっとシンの顔に近づき……はじめたところで、


「…………」

と、無言でアクミを見つめ続けるひめ子の視線と交錯した。


「…………」

「…………」


アクミはノロノロと上体を起こすと、ひめ子の視線から逃れるようにそっぽを向いて、紅く染まった頬をポリポリと掻きはじめた。


「……アクちゃん?(小声)」

「……ナンでしょう?(小声)」

「……ひょっとして……朝もしてたんだ?(小声)」

「……ええ……まぁ?(小声)」


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