28、束の間の休息
「……ふんふん……ふんふふふふんふんふん……ふーふふふふんふんふん……ふーふふふふんふん、ハンバ~グ~~~……ふんふん…………」
アムの笑い声が聞こえる。
いや、これは鼻歌か?
なんだかこっちまで楽しくなってくるようなリズムと歌声。
ずいぶんとご機嫌だな……。
そんな事を思いながら目を開けた。
「あ、起きた。おはよ、シン」
「……おはよ」
目の前にアムがいた。
その笑顔を見るだけで心が満たされ、幸せな気分になる。
「もう……どうしたの?ニヤニヤしちゃって」
アムが問いかける。
どうやら俺の顔はそんな状態らしい。
「アムがいるから……かな?」
「あはは……じゃあ、私と一緒だ」
アムが満面の笑顔で答える。
そうか、アムも俺と同じなのか。
……なるほど、鼻歌の一つも出る訳だ。
「シン……?」
「うん……?」
「大好き……」
「……俺もだ」
互いに見つめ合いながらクスッと笑う。
不思議なものだった。
アムを好きだと自覚するだけで、こんなにも臆面なく好きと言えるようになった。以前の俺からは考えられない事だ。
どうも俺は自制が利かない質らしい。
人前でこれが出ないよう気をつけなきゃな。と、心密かに釘を刺す。
「ところで……」
「なに?」
「これ……」
シンがゆっくりと右手を持ち上げた。
するとアムの右手も一緒に持ち上がる。
シンが持ち上げた腕をススッと振れば、アムの腕も釣られてふるふると揺れた。
アムがシンの手を握って離さないのだ。
「だって、シンが言ったんじゃない。もう離さん!どこにも行くな!って」
「いや……確かに言ったが……」
別にそう言う意味ではないんだが……。
「だがらこの手は離さないの。ずっとね」
「ひょっとして、昨日の夜からか?」
「そうよ。これからは、ずっとこのまま。ご飯の時も……、出掛ける時も……、ベッドで寝る時も、ずっと一緒」
「ずっとか」
「うん」
「じゃあ、風呂はどうすんだ?」
「もちろん一緒。傷が治ったら入ろうね、シン」
こんなやり取りが心から楽しいのだろう。アムがにっこり笑って答えた。
「あ、でも……おトイレは一人が良いかな?」
あはは……と苦笑いを浮かべながらアムが前言を翻す。
その可愛い仕草に、思わずいたずら心が涌いてくる。
「俺は別に構わんぞ?」
「えぇ!?」
シンがからかうとアムの頬が真っ赤に染まった。さすがにトイレは恥ずかしかったのだろう。
だがそこは恋する乙女。
「ま、まぁ……シンがどうしてもって言うなら……いいよ?」
「バカ!? 冗談に決まってるだろ!」
思わぬアムの同意にシンの方が慌てる。
まさか本気にするとは思わなかったのだ。
「うん、知ってた。ちょっとからかっただけ」
そんなシンを見てアムがいたずらっ子のようにクスクス笑う。
どうやらからかったつもりで、逆にからかわれたらしい。
「お前な……」
「あはは……でも、お風呂はいいよ。前にも一緒に入ったしね。今度はタオル外したげる」
「勘弁してくれ。風呂どころじゃなくなる」
「うふふ……」
アムが無邪気に笑いながらシンに覆い被さってきた。
二人の唇が近づく。
「……アム」
「なに……?」
「それで? 本当はいつから握ってたんだ?」
「シンが目覚める直前? だって、それまでアクちゃんいたし……」
アムがシンの手をぎゅっと握って両目を閉じた。
そのまま唇を重ねてくる。
だがアムがアクミの名前を出した途端、シンの心にはチクリと傷みに似た感情が走り抜けていた。
アムの手を握り返し、舌を絡ませながらもアクミの笑顔が瞼の裏に浮かぶ。
「……シン?」
「なんだ?」
「アクちゃんのこと考えてるでしょ?」
スッと唇を離したアムがシンの目をじっと見つめながら尋ねた。
心をズバリ見抜かれシンが狼狽する。
「分かるのか……?」
「だって私とキスしてるのに、心ここに有らずって感じだもん。ならアクちゃんしかいないでしょ?」
「お見通しか……」
「まぁね」
どうやらアムに隠し事は出来ないらしい。
「それで、その……アクミはどうしたんだ?」
「ちょっと前に花瓶の水を替えるって出てったよ?カレンの部屋も寄って来るって言ってたけど、もう直ぐ来るんじゃないかな?」
「そうか……」
シンが黙り込む。
アムの為にも……いや、アクミにとっても、早くこの関係をはっきりさせた方がいいな。
そうシンが決意した時、突然アムがクスッと笑った。
「ねぇ、シン……良いこと教えてあげよっか?」
「良いこと?」
「そ、良いこと。あのね……ワービーストの社会って、一夫多妻もオッケーなんだって」
「は……?」
シンが口を開けたまま固まる。
「いっぷ……たさい?」
「そう。……一夫」
そう言ってアムがシンの鼻先にちょんと人差し指を当てた。
次いでその手を自らの胸に持っていき、
「多妻……」
と言って、にっこり微笑む。
シンは固まったままだ。やがて、
「し、知らなかった…………」
アムの言いたい事を理解したシンが右手で顔を覆い隠した。
二人の気持ちに気づいて早数年……。
どうすれば二人を泣かせずに済むのか?
そう悩んだあの日々はいったい何だったのか……。
「アム……」
「なに?」
「アムはいつから知ってたんだ?」
「うーん……シンが右手を怪我した時だから、一年以上前?」
「俺だけ知らずに、ずっと悩んでた訳か……」
「だって、シンには私達の事を真剣に考えて欲しかったから」
アムが小悪魔のような笑みを浮かべる。
その笑顔に一言言ってやりたい気もするが、今はそれより喜びの方が大きかった。何しろ……、
「じゃあ、俺はアムだけじゃなくアクミも……二人とも好きでいて良いんだな?」
「うん!てか、私もアクちゃんもそれを望んでる」
嬉しそうに答えるアムを見てシンの顔に笑顔が溢れた。
これでどちらか一方だけ泣かせる事は無くなったからだ。
「なら、アム……結婚しよう」
「え……?」
「形だけでもいい。今すぐ。もちろんアクミも一緒に」
……結婚。
その言葉を聞いてアムの目にじわっと涙が滲みでた。
アクミとアム。
二人とも愛して構わないと知った瞬間、迷いもせずに結婚を口にしてくれたのが嬉しかったのだ。
「……うん」
シンが右手を伸ばす。
その手に誘われ、アムが再び身を寄せた。
婚約指輪なんかない。
まだ式も挙げてない。
だが今この瞬間、二人の心は固く結ばれたのだった。
「たっだいま~!って、ちょ!?ナンたる羨ましい事をしてるんですか!!」
唇を重ねて直ぐ、アクミが帰ってきた。
当たり前だが、二人のキスを見て抗議の声を上げる。
「アクミ……」
「話は後です!先ずは私ともチューを……」
「結婚しよう」
「…………はい?」
花瓶を置く為に一歩目を踏み出したアクミが突然の告白に固まった。
首を傾げ、シンを見つめたままピクリとも動かない。思考が追い付かないのだ。
えーと……結婚……?
結婚って、あの…………結婚ッ!?
ガシャン!!
「ちょっと、アクちゃん!?花瓶花瓶!!」
「それどころじゃありません!! せ、先生!……今、ナンと……?」
「好きなんだ。……アクミも……アムも……。これからの人生、ずっと二人と一緒に過ごしたい。だから……結婚してくれ」
聞き間違えなんかじゃない。
ずっと夢見た言葉。
憧れだったプロポーズの言葉を今、シンが確かに口にしたのだ。
アクミが嬉しさのあまり(←?)スッと腰を落として身構えた。そして、
「先生ッ!!」
「あぐッ!?」
獲物に襲い掛かる猫化の動物よろしく一足跳びにシンに飛び付いた。
アムと違って手加減を知らないアクミのダイブに腹の傷が思いっきり痛んだが、そこはぐっと我慢する。
「先生……先生ェ……!!」
シンの胸に頬を埋めてわんわん咽び泣くアクミ。
あまりの嬉しさに感情が爆発し、抑えが利かなくなってしまったのだ。
その髪をシンがそっと撫でた。
「結婚……してくれるな?」
「は、はい……」
アクミが涙をポロポロ溢しながら微笑んだ。
そしてアムと同じように唇を重ねてくる。
そんな二人をアムは嬉しそうに眺めるのだった。
※
ピロリン!
シャングと春麗が並んで歩いていると、ポケットの中でメールの着信音がした。
最近、軍の指揮官クラスに支給されたカード型端末からだ。
名刺サイズに折り畳まれたそれを二人が片手で器用に開ける。
「シンからか……」
「シンからじゃの……」
画面を見たシャングと春麗の言葉が途切れる。
メールのタイトルに『突然だが、結婚した』と、あったのだ。
「犯罪者か!」
メールの内容に目を通すなりシャングが吠えた。
結婚相手がランダースかアクミのどちらか一方ではなく、二人一緒だったからだ。
そんなシャングを見て春麗が首を傾げる。
「なにが犯罪者なのじゃ?」
「なにがって……重婚だろ」
「別におかしな事はあるまい。優秀な者がより多くの遺伝子を遺すのは当たり前じゃ」
「は……?」
春麗の言葉に、今度はシャングが首を傾げた。
春麗がそう言う価値観だとは思わなかったのだ。
「ひょっとしてワービーストって……一夫多妻制なのか?」
「皆が皆そうではないが、少なくとも犯罪者扱いはされんの。でなければ我等は五百年前に滅んでたじゃろうな」
当たり前のような顔で春麗が答える。
なるほど。
今の春麗達ワービーストは半世紀前に地上に残された人類の末裔だ。
当時の地上がどんな状態だったかはシャングも想像がつく。少なくとも人類に優しい環境でなかったのは確かだ。
でなければ地上を捨てて宇宙に逃げ出す筈がない。
そんな環境で人類が子孫を残すには、春麗の言うようにより強い者の血が必要だったのだろう。
「因みに、妾は好きな者は独占しておきたいタイプじゃ」
「安心しろ。俺にそんな甲斐性ないよ」
ぶっきらぼうに答えるシャングを見て、春麗が嬉しそうに「ふふ……」と笑った。
「シャング……?」
「うん?」
「好きじゃ!!」
「お、おい!?」
シャングが慌ててバランスを保つ。
突然シャングの背中に春麗が飛び乗ったのだ。
「シャング……結婚は先を越されたが、赤ちゃんは負けんようにしような」
シャングの首に両手を回して抱き付きながら、春麗が嬉しそうに微笑んだ。
※
拝啓
大牙くんにおかれましては、益々お盛んなことと存じ奉ります。
さて、先生からメールが行ってると思いますが、私ことアクミとアムちゃんは、たった今、先生と結婚いたしました。
結婚式に呼ばない大牙くんには、このメールをもって結婚の挨拶とさせていただきます。
敬具
じゃ、ありません!
ナニ勝手に締めてんですか、私は!
良いですか?ここからが本題です!
私は大牙くんに一言、言っておきたいことがあるんです!
あんた!私の事を好きだ好きだと臆面もなく言うのは結構ですが、少しは自分に向けられた好意と言うモノを察しなさいな!!
具体的には去年のバレンタイン!
……ある人に告白されたでしょう?
いいえ、言い訳は聞きません!
あんたそれを「ナニ企んでんだ?」って流したそうですね!
バカですか!!
ひめちゃん泣いてましたよ?
けっこう勇気出したんだけどなぁ……って。
私はね、あんたのそう言う無駄に鈍感なところが大嫌いナンですよ!!
と言う訳で、私は先生と出会ったその瞬間から先生に恋してました。
私の心にあんたの居場所はうなぎの寝床程の隙間もありません。
それと同じくらい、ひめちゃんはひめちゃんで出会った時からあんたに恋してるんです!少しは察してあげなさい!
別にだからと言ってひめちゃんと付き合えとは言いませんが、これを末期に私の事はズバッ!と忘れて明日に生きなさい!
いいですね!!
敬具 take2
そうそう……あんたは、まぁ……気遣いさえ出来れば、そこそこイケてると思いますよ?
FAINAL 敬具
港のコンテナに腰掛け、暮れ泥む夕陽を眺めながら大牙が「はぁ……」とため息をついた。
手の中には、例の携帯端末がある。
「なんとも、まぁ……ツッコミどころ満載だよな。……アクミらしいけど……」
正直、シンから結婚宣言のメールが来た時は心臓が止まるほど驚いた。
たが直後、アクミから届いたこのメールを見て、大牙はアクミの結婚以上の衝撃を受けた。
ひめ子が自分に好意を寄せてたなんて、これっぽっちも気付いていなかったからだ。
「好きよ」
あの日……夕陽に照らされながらひめ子が口にした言葉……。
食べ掛けのチョコを摘まんで差し出し、大牙がそれをパクンと食べると嬉しそうに微笑んだひめ子。
その笑顔に一瞬ドキリとしたのを大牙は今でもはっきり覚えている。
だが、まさかあの言葉が本気だったとは……。
「てか……いきなり過ぎて分かり辛いんだよ……」
「何が……?」
「ーーーッ!?」
突然の相槌に大牙の肩がビクンッ!と震えた。
驚いて振り向けば、そこにはひめ子が立っていた。
「ひめ!? な、何でここに?」
「これから艦長と大隊長が集まって会議があるのよ。そしたら大牙くんが一人黄昏てたから……」
「別に黄昏てた訳じゃねぇ。てか、会議?こんな表で会議すんのか?」
「まさか。クラックガーデンの元指令部よ」
「街の中じゃねぇか。なんで護衛の一人も居ないんだよ」
「本当はリーディア隊長と行く筈だったんだけど、ちょっと私用で遅れそうだったから先に行って貰ったのよ」
「だからって……いくらなんでも一人は無用心だろ」
「別に平気でしょ?この街の人達だって、そんな事をしたらどうなるかくらい分かってるでしょうし」
「そう言う当たり前の事が分からないバカってのは、どこの街にもいるもんだ。仕方ねぇ、俺が付いてってやるよ」
「そう……?それじゃあ、お言葉に甘えようかしら……」
そう言って微笑むひめ子の仕草にドキリとする。
ひめ子の心情を知った後だと尚更だ。
大牙は照れ隠しから無愛想に前を向くと、そのままひめ子を促して黙って歩き始めた。
港を抜け、城門を守る兵士と敬礼を交わし、基地の内部に入ってからも無言で歩き続ける二人。
その沈黙を破ったのはひめ子だった。
「あの……大牙くん?」
「あん?」
「やっぱり、その……アクちゃんが結婚するって聞いて……ショック?」
「いや……それが、我ながらそれほどショックでもねぇんだ。いつかこうなるのは分かってたしな」
「あら、そうなの? 私、てっきり先生の病室に殴り込むのかと思ってたけど」
「する訳ねぇだろ。アクミは好きだったけど、先生は先生で尊敬してるしな」
「ふぅん……意外……」
「何が?」
「好きだったって……過去形で話すから」
「まぁ……いつまでも引きずってても仕方ねぇしな……」
「ふーん」
そんな相槌を打ってひめ子が前を向く。
だが大牙がアクミの事を忘れようとしている。それが分かったからだろうか?
冷静に無関心を装ってはいるが、どうも嬉しいと思う感情が顔に滲み出ている。
……ように見える。
〈なんか……フェアじゃねぇな……〉
そのひめ子の横顔を見て大牙はチクりと思った。
大牙がひめ子の気持ちに気付いた事をひめ子はまだ知らない。
これがまだ、自分一人の力で得た結論なら良いだろう。
だが実際はひめ子の心情には全く気付かず、アクミに指摘されて始めて知った身としてはたいへん心苦しかった。卑怯と言う感覚すらある。
そう思うと大牙の行動は早かった。
「あぁ……ひめ……?」
「なに?」
「あん時はその……悪かったな」
「あの時……?」
「バレンタインの時……まさか本気とは思わなかったんだよ」
「なーーーッ!?」
何の事か分からずキョトンと首を傾げたひめ子の頬が一瞬で真っ赤に染まった。
いつもは冷静なひめ子が、この時ばかりは珍しく口元をひくひくさせ、あたふたと両手を振って動揺している。
「な、なな……なんで!? なんで急にッ!?」
そんなひめ子の目の前に、大牙が端末の画面を開いて見せた。アクミからのメールの画面を。
それを見て納得がいったのだろう。
「そう言う事……? もう、アクちゃんたら……(小声)」
ひめ子が拗ねたように視線を逸らす。
大牙は大牙でばつが悪そうな顔をしてそっぽを向いていた。
はぁ……。
チラリと大牙を盗み見しながらひめ子が小さくため息をつく。
今思い返してみても、あの頃の自分は可愛くなかったと思う。
夏のキャンプでシンに指摘されてからは控えるようにしたが、それまでは大牙の気を惹くためにBLネタで弄ったり、からかうような言動を敢えてしていた。
まぁ、その時の大牙の反応が面白かったのは確かだが、些か調子に乗りすぎた感はある。
大牙にしてみればそんな相手に突然告白されたって、またからかわれてると思うのが当たり前だ。要は自分が悪いのだ。
だがらひめ子は大牙の前に回り込むと、ペコリと頭を下げた。
「私もその……素直じゃなかったから……ごめんなさい……」
「い、いや……謝るのはこっちの方で……」
俯くひめ子を前にして、今度は大牙が慌てた。
まさかひめ子が謝るとは思わなかったのだ。
「え……えーと……」
大牙が口籠る。
正直、大牙はひめ子の告白に対してどう答えて良いのか、まったく考えていなかった。
ただ単に先の件は謝っておかなければならない。
そう思って口に出したのだが、これでは告白された側として何か返事をしなければならない。
そんな流れになってしまった。
まずい、……何か言わねぇと……。
えーと……こう言う場合は付き合えばいいのか?
いやでも、アクミに振られた直後にひめに乗り換えるってのも、何かひめに悪いし……第一格好悪いし……いや、確かにひめは可愛いんだけど……やべぇ、がんばれ俺……何か……何か気の効いた一言を
…………って、ある訳ねぇ!
自分で自分にツッコミを入れる。
そもそも、そんな気の効いた一言が言えるような人間が、考えもなしに告白なんて話題を掘り返す訳がなかった。
結局、大牙は考えも纏まらないまま、とにかく何か話さなければ……そんな観念に捕らわて口を開……、
「待って!!」
こうとしたところで、ひめ子にバッ!と口を塞がれた。
ひめ子はひめ子で、今、ここで大牙の返事を聞く勇気が持てなかったのだ。
歪な笑顔を浮かべながらひめ子が大牙を見上げる。
「こ、この事はその……戦いが終わってからにしない?」
「そ、それもそうだな……」
お互いあはは……と笑いあう。
恋愛経験の乏しさから、結論を先延ばしにする二人だった。
※
「夏袁!レオ!」
ヴィンランド侵攻作戦まであと二週間余り。
夏袁とレオが港を見下ろせる高所に陣取り、あれこれ打ち合わせをしていると自分達を呼ぶ声が聞こえた。
振り向けばシンとアクミ、それとアムが近づいてくるところだった。
「よう!もう起きて平気なのか?」
「まだ無理はしないほうが……」
「二週間も寝てたんだ。充分だ」
「……そうは見えねぇけどな」
強がるシンを見て夏袁とレオ、そしてアムが苦笑いを浮かべる。
どう見ても足取りが覚束なく、痛みを我慢しているのが見え見えだったのだ。
そんな事にはお構い無しにシンがアクミと一緒に港を見下ろす。
「これか……」
「うひゃあ!ナンとも強そうな戦艦ですね!」
眼下には真っ赤な船体に燃え上がるオレンジの炎が描かれた、奇抜なデザインのファラフェル級戦艦が一隻。
艦名は『炎龍』。
それは破壊した『グヤーシュ』『フェイジョアーダ』『トルティーヤ』三艦の無傷なブロックを繋ぎ合わせて造った新造艦だった。
「後一週間で本当に終わるのか?」
「モーリスのおっさんの言を信じるならな」
「各ブロックのシンクロは?」
「ここに来るまでに終わらせたそうです。特に問題なく、今は例のヤツを取り付けてます」
そう言って夏袁とレオも『炎龍』を眺める。
この船には他のファラフェル級にはない装備があった。
前後左右のデッキに、横向きにブースターが付けられているのだ。
「船員は?」
「うちとそっちから、獣化は出来ねぇが身体だけは丈夫な奴を集めた。今、必死こいて特訓中だ」
「そうか」
「んで? シンはわざわざこれを見に来たのか?」
「いや、実はサイクロンが30機ロールアウトした。『炎龍』に回す」
ヒュウッ! !
「 俺のもあるんだろうな?」
夏袁が口笛を吹きながらニヤリと笑った。
「もちろんだ。但し、条件がある」
「条件?」
「いや、頼みって言った方がいいかな?」
「分かった。引き受けてやる」
「おい……まだ、なにも言ってないぞ?」
「お前の頼みだ。無条件で引き受けてやんよ」
「ふっ……夏袁らしいな。じゃあ、すまんが頼む」
「おお、任せとけ」
「で?……ここには何人いる?」
「10人だな。後は孔蓮と兄貴に言って回して貰うさ」
「すまんがそうしてくれ。出来れば指揮官クラスが二人欲しい」
「分かった。併せて言っとく」
「頼む。それが済んだら二時間後に第三倉庫に集合だ。騎乗者登録後、アクミと春がサイクロンのレクチャーをしてくれる」
「おう!」
それを聞いて夏袁が嬉しそうに笑った。
その無邪気な顔は、まるで新しい玩具を買って貰った子供のそれだった。
「ところで、レオくん」
「なんです、アムさん?」
「今、気づいたんだけど……背、伸びた?」
「そうですか?」
「ほら……前は私と同じくらいだったけど、今はアクちゃんと同じか、ちょっと高いくらい」
そう言ってアムがレオの前に立つ。
確かにアムの言うように、レオの方が拳一つ分抜きん出ていた。
「おや、ホントですね。いつの間に……」
一緒に並んだアクミが感心したように呟く。
毎日のように顔を合わせているのに……いや、毎日顔を合わせているからこそ、気づかないものなのかも知れない。
「まぁ、スフィンクスのおっさんがあんだけガタイが良いんだ、レオもでっかくなんだろ」
「こりゃ、来年には夏袁さんを上から見下してそうですね」
「「見下ろすだ ! (でしょ)!」」
アクミの呟きに、一同が笑いながらツッコんだ。
「先ずは皆さんにこれを配ります」
騎乗者登録に集まった面々を前にアクミが右手を翳した。
するとその手が光り、ASのアームが現れる。
「おッ!? 例の不思議アイテムだな」
「まぁ、ASの機能限定版みたいなモノですね。知ってると思いますが、これさえあれば数種類の武器を瞬時に呼び出せます」
「サイクロンに乗る時に、武器を背負う訳にはいかんからの」
春麗が捕捉説明しながら用意されたテーブルの前に腰掛ける。
そこには腕輪型のデバイスが十個と皮膚に打ち込むICチップ、それに登録用のパソコンが置かれていた。
「では、テキっと騎乗者登録を済ませて、パキっとドライブに行きましょう!火器管制は明日にして、今日はサイクロンに慣れる事から始めます。あ、そうそう……因みにこのデバイスとサイクロンはセットです。間違って他の人のサイクロンに跨がってもエンジン掛かりませんからね。注意してください」
「それよりよ……俺達もその格好すんのか?」
ICチップを春麗に埋め込んで貰いながら夏袁が尋ねる。
その格好とは、アクミと春麗が着ているスーツのことだ。
それはASスーツを改良したサイクロン専用の全身スーツで、ブーツと手袋、それと今は装着していないがインカムとバイザーがセットになっている。
「そうですが、ナニか?」
首を傾げるアクミと春麗。(←スタイル抜群の美女二人)
「いや、だってよ……このメンバーだぜ?」
夏袁が後ろを振り返る。
そこには燕迅、飛影、パンチ他、鍛えられた肉体の男達が……。(←筋肉マッチョのむさい苦しい(顔の)集団。全身スーツ(タイツ?)はある意味犯罪者)
あぁ……。
なるほどの……。
と、ちょっと納得の二人。
「じゃが汚れは気にならんし、ちょっとやそっとじゃキズも付かない。便利ですぞ?」
「まぁ……こう言うモノだと諦めて貰うしかありませんね」
そう言って苦笑いを浮かべるアクミと春麗だった。
翌日。
サイクロンの保管された第三倉庫。
アクミと春麗が呆気に取られた顔で周りを見回した。
集合場所のそこに無法者の集団がいたのだ。
と言っても、別にならず者達が勝手に入り込んだ訳ではない。
何とそれは夏袁達だった。
全員サイクロン専用スーツを着てはいるが、その上に革ジャンを羽織り、革のベルトに革のブーツ、首にはシルバーのネックレスやチェーンをぶら下げ、中には肩当てを勝手に付けていたり、飾りのバックルや鋲を何個も付けている者までいた。
「ナンともまぁ……」
「それで頭をモヒカンにして、数字のタトゥーを入れたら世紀末に出てきそうな出で立ちですの」
「変か?」
「いえ……それが意外と似合ってるんですよね」
「不思議な事にの……」
「だろ?」
呆れながらも感心する二人に、夏袁達一同が嬉しそうに笑うのだった。
※
ヴィンランド侵攻まで一週間。
カレンの退院に遅れること五日。
この日、ついにシンが退院した。
「こんな時だから安静にしろとは言いませんが、くれぐれも無茶はしない事。いいですね!」
そうミレーに釘を刺されて退院したシンは、早速その足で訓練所にやってきた。
心配するアムを他所にシンが月白を纏う。
身体と勘がどれだけ鈍ったか?
はたして全力で身体を動かせるのか?
それを模擬戦で確認しておきたかったのだ。
「アクミ、相手してくれるか?」
「良いですよ」
アクミが笑いながら右手を翳す。
するとそこに光の粒子が集まり、刃曳きされた小剣が現れた。
それを掴み、20メートル程の距離を取ってシンに相対する。
両手にサーベルを呼び出したシンが、身構えたアクミを見てスッと腰を沈めた。
直後、ブーストを効かせて一気に加速する。
それに合わせてアクミも地を蹴った。
一拍で距離を詰め、アクミが右手の小剣を一閃させるが、右足を引く最小限の動きでかわすシン。
左足でグッと地面を踏み締め、その場で急停止しながらアクミが刀を返すが、ツイッと間合いを外されてシンには届かない。
完全に剣筋を見切られていた。
逆に伸びきった腕目掛け、シンのサーベルが下から迫る。
小剣をパッと手放したアクミが左足を軸に、今度は右足で地面を蹴って強引にその場でくるっと回った。
右回し蹴り。
アクミの体重が乗った渾身のそれをシンが左手でもって受け止める。
そこからは両者得物を捨てての格闘戦になった。
グッと握った拳が迫る。
それを受け流し、肘を撃ち込めば横に払われる。
掌底を受け止め、拳を叩き込み、避けられては避け返す。
そんな事を十秒も続けただろうか?
突然、アクミが地を蹴って距離を取った。
シンがストップとでも言うかのようにスッと左手を上げたのだ。
「アクミ、ここまでにしよう」
そう言って模擬戦を切り上げたシンがアムに向かって歩き出す。
構えを解いたアクミがシンの視線を追えば、そこにはシャングの姿があった。
「どうした?」
「どうしたもこうしたも……退院したって聞いて探して見れば、早速模擬戦とはな」
「身体が動くか確認しときたかったんだ」
「程々にしとけ。痛むんだろ?」
「分かるか?」
「当たり前だ。何年来の付き合いだと思ってる」
「まぁ、痛むのは仕方ない。それでも身体が動けばいいんだ」
「ふーん、痛むんだ?」
「あッ……」
ポツリと呟くアムの一言にシンの肩がピクリと揺れた。
「痛むんだ?」
「いや、その……」
じとっと見つめながら念を推してくるアムから顔を逸らしてシンが口籠る。
痛みはない。
そう言ってアムを強引に納得させて模擬戦を始めたからだ。
「嘘つき……」
アムがツンと口を尖らせてそっぽを向いた。
拗ねたその可愛い仕草がまた愛しい。
「許せ」
「あ……」
アムが小さな声で鳴いた。
シンがアムを引き寄せ、その髪を優しく撫でたのだ。
「身体が動くかどうか、どうしても確認しときたかったんだ。心配してくれて、ありがとうな」
「……ずるいよ……そうやって黙らせるの……」
などと言いながらもアムがシンの胸に頬を埋める。
上手く誤魔化された感はあるが、これはこれで心地良かったのだ。
そのシンの背中にはアクミが張り付いている。
まぁ、新婚ホヤホヤなのだ……多少のイチャイチャは仕方ないだろう。
そんな微笑ましい気持ちでシャングが眺めていると、
「……それで?」
と、シンが尋ねてきた。
「何か用事があったんだろ、シャング」
「あぁ……お前に結婚祝いのプレゼントをやろうと思ってな」
「プレゼント?」
「これだ……」
そう言ってシャングが取り出したのは一本の鍵だった。
それを受け取ってシンが首を傾げる。
「これは?」
「街中に高級官僚が宿泊する施設がある。滞在型のホテルみたいなもんだ。退院したんだろ?今日はもう上がって、明日一日……そこでゆっくり過ごしてこい」
そう言ってシャングが含みのある顔でにやりと笑った。
要は戦いを前に、心残りのないようにしておけと言っているのだ。
そう受け取ったシンがアクミとアムに視線を送ると、二人も気づいたのだろう、アクミは爛々と眼を輝かせ、アムは照れながら頬を赤く染めていた。
「じゃあ……折角だからお言葉に甘えるか」
「ならさっそく部屋を見に行きましょう!滞在型ならキッチンもある筈です!」
「退院祝いも兼ねて、今日はご馳走いっぱい作るね」
シンが誘うと二人が満面の笑顔で答えた。
結婚宣言はしたもののシンが怪我人と言う事もあり、また病室と言う人目のある環境ではそう言う機会がなかったのだ。
「アムちゃん、シャンパンも買いましょうよ!」
「そうね、お偉いさんが泊まるなら眺めも最高だろうし」
「なら夕陽を見ながら三人で乾杯ですね」
「ご飯は何にする?」
「とにかく精の付くのにしましょう!それも二日分!!」
などとアクミとアムが楽しそうに笑いながら会話に花を咲かせる。
初めての夜に、期待を膨らませながら……。
※
そんなこんなで二日後。
宿舎での新婚生活を満喫した三人が基地に戻ると、何やら港に兵士達が集まってザワザワと騒いでいた。
「どうした?」
騒ぎの中にシャングが居たのを幸い、シンが鍵を返却がてら尋ねると、シャングが「あれだ……」と指差した。
そこには輸送車から降り立った猿族の兵士達が……。
どうやらサイクロンに乗り込む獣化隊の面々が到着したらしい。
だが問題なのはそこではない。
騒ぐ兵士達が見るもの……それは増援にやって来た兵達の中心にいる一人の麗若い女性だった。
「うわ……綺麗な人……」
アムが思わず呟くほど、それは燐とした佇まいの女性だった。
「むむ……ここに来て新ヒロインのテコ入れですか?」
「テコ入れって……」
アムが苦笑いを浮かべる。
そんなアムの苦笑いをどう解釈したのか?
アクミが真面目な顔でグッと拳を握りしめた。
「大丈夫ですよ、アムちゃん!例え処女を失っても、私達が主役です!!」
「ちょっと、アクちゃん!?」
驚いたアムが慌ててアクミの口を塞ぐ。
が、既に手遅れ。
処女を失って……。
その一言に反応した兵士達が一斉にアクミとアムを見ていた。
「あ……あは、あはははは…………って、もうやだ!?」
アムが顔を真っ赤にさせてシンの背中に抱きつく。
穴があったら入りたいとはこの事だった。
「そんナニ恥ずかしがる事ないじゃないですか?と言うか、ここは誇りに思うとこですよ?」
「だ、だってぇ……うぅ…………」
アムが益々頬を赤くする。
それは処女を失ったのが恥ずかしいからではなく、シンに抱かれた時の自分を思い出して羞恥に震えていたのだがアクミは知る由もない。
「ほら、アム……みんなやってる事だ、気にするな」
「そ、そうだけど……」
アムが恐る恐ると言った感じでシンの背中から顔を覗かせる。
シャングがニマニマ笑ってアムを見ていた。
「うぅ……シャング隊長の視線が生暖かい……」
「はは……すまんすまん、いつものランダースとはあまりにかけ離れてるんでな。まぁ……夫婦の絆が深まったようで何よりだ」
「嫁さん同士の絆もな。ぜったい同じ日に赤ちゃん産もうって張り切ってたぞ」
「双子みたいなもんか。いいな、それ」
「出来れば男と女が欲しい」
「欲張りな奴だ」
「大丈夫ですよ、先生。ちゃんと私とアムちゃんで産み分けますから」
「そんなの出来るのか?」
「まぁ、出来るって言うか……最初の時、先生、私を気遣ってくれたでしょう?そう言う時は女の子ナンですよ。逆にアムちゃんは間違いなく男の子ですね。お腹の奥ふか~くにいっぱい出されてましたから」
「ねぇ……もうこの話題はやめようよ……」
次々と暴露されていく現実に、アムが蚊の鳴くような声で待ったを掛けた。その時、
「なんだ、人集りが出来てると思ったらシンじゃねぇか」
辺りに夏袁の闊達な声が響き渡った。
燕迅を引き連れたその姿を見てアムがホッと胸を撫で下ろす。
これで弄られないで済む。
そう思ったのだ。
「「よう!」」
「おはようございます、夏袁さん!」
「おはようさん。アクミはいつも元気だな」
「そりゃあ、もう……えへへへへ……」
「はは、幸せそうで何よりだ。で……? アムはそんな所に隠れて何やってんだ?……って、ははん……照れてんのか」
ぶり返された。
どうやら昨日の一件は全兵士に知れ渡ってると見て間違いないようだ。
そんなアムの心情等知る由もない夏袁がニヤニヤ笑ってシンを見る。
「まったく、可愛い嫁さんが眩しく見えるぜ」
「だろ? 昨日なんてアムのやいって!?」
話の途中で突然シンが仰け反った。
抱かれた時の話を出されると思ったアムが、シンの脇腹をキュッ!とつねったのだ。
「この話はもうお終い!」
「はは……すまん。ちょっと浮かれてた……」
アムがツンと口を尖らせる。
だが本気で拗ねてる訳ではない。ちょっとシンに甘えているのだ。
それが分かってるからシンも笑ってるし、アクミも楽しそうに眺めているのだ。
「何だかお前等見てると、結婚も満更じゃねぇのかなって思えてくるな」
そんな三人を見て夏袁が感慨深そうに呟いた。
本気で羨ましいと思ったのだ。
「そう思うんなら結婚したらどうだ?」
「結婚つってもなぁ……相手がいねぇし……」
「夏袁なら選り取り見取りだろに……」
「そんな訳あるか。まぁ、戦が終わったら真面目に考えるさ。それよりこれは?お前等の夫婦漫才で集めたのか?」
「まさか。あれだよ」
シンが説明代わりに先程の集団にクイッと親指を向ける。
するとそれを見た夏袁が「おや……?」と驚いた表情を浮かべた。
「なんだ、玲々じゃねぇか」
「玲々?」
「田家の娘だ。行方不明だって聞いたんだが、無事だったみてぇだな」
そうこうしてると向こうも此方に気づいたのだろう。
と言うか、夏袁に声を掛けて貰えるのを今か今かと待ち望んでいたようだった。
その証拠に夏袁が挨拶がてらサッと手を上げると、ぱぁ!と満面の笑顔になって駆け出したのだ。
ずいぶん活発な娘だな。
そんな事を思いながらシンが眺めていると、玲々は夏袁の目の前で立ち止まり、夏袁の差し出した手を両手で握って元気よく打ち振った。
「お久しぶりです、夏袁様!」
「遠路遥々悪りぃな。疲れたろ?」
「全然。車に乗ってただけですので」
「無理すんな。侵攻までまだ五日あんだ、先ずは疲れを癒してくれ。そんで?来たのは玲々だけか?」
「いえ、呼成殿も一緒です」
「呼成……?呼成なんてどこにも……つーか、人数少なくねぇか?」
「そ、それが……実は途中まで一緒だったんですが、急がせてたら置いて来ちゃったみたいで……もうすぐ着かれると思います」
苦笑いを浮かべながら玲々が答える。
どうやら玲々の一存で先を急がせ、結果、呼成の乗る輸送車を引き離してしまったらしい。
「なんだ遅れてんのか。まぁ、もう一人が呼成の奴なら、取り敢えず指揮官は申し分ねぇのが揃ったな。頼むぜ?」
「はい、お任せください!……ところで夏袁様……」
玲々が夏袁の後ろをひょいと伺った。自己紹介がまだだったのだ。
それに気づいた夏袁が「あぁ……悪りぃ悪りぃ」と言って一歩下がる。
「こいつはシングレア・ロンド。キングバルト軍の将校だ」
「シンで結構だ。よろしく」
「田玲々です。よろしくお願いします」
シンの差し出した手を取って玲々が微笑む。
ワクチンを摂取したのもあるが、元々社交的で気さくな性格なのだろう。
とても八家の姫君とは思えない人当たりの良さだった。
「そんでそっちの二人だが……まぁ、女同士だしアクミとアムでいいだろ。シンの女房だ」
「よろしくです!」
「よろしく、玲々さん」
「はい、こちらこそ」
「んで、そっちがシャング・バスター。春麗の旦那になる男だな」
「えッ!?春麗、結婚するんですか!?」
驚いた玲々がバッと夏袁を振り返った。春麗が結婚するなんて初耳だったのだ。
「ヴィンランドの件が片付いたら式を挙げる予定だ。シャングでいい。よろしく」
「は、はい。よろしくお願いします、シャング殿」
「全員、俺の親友だ。で、後ろのこいつは部下の燕迅。ま、良しなに頼むわ。んで? そっちのは?」
一通りの紹介が済んだところで、夏袁が玲々の後ろに立つ人物に水を向けてやった。
護衛のつもりなのだろう。玲々が駆け出した時、空かさず付いて来た人物だった。
「話の腰を折ってはと思い控えておりました。ご容赦を。玲々様御付きの家臣で、高儀寧と申します。お見知り置きを……」
「おう、儀寧だな。ところでよ……見たとこ田家の部下は三人しかいねぇみたいだが?他は親父さんと南か?」
「え……?」
「それは……」
夏袁の一言に玲々と儀寧が揃って口をつぐんでしまった。
それを見てまずったと思ったのだろう。夏袁がばつが悪そうな顔で頬を掻く。
「その……悪りぃな。……瞬珍殿がサンアローズから撤退したってとこまでは聞いてたんだが……その後の情報が入って来なくてよ……。じゃあ、慶陽で……?」
「はい……小さな街でしたので。……私達だけが生き残ってしまいました……」
「そうか……瞬珍殿も逝っちまったか……」
項垂れながらポツリと漏らす玲々に夏袁が両目を瞑って哀悼の意を示した。
が、それも一瞬。
すぐさま眼を開いて玲々を見据える。
「玲々!!」
「は、はい!?」
突然名前を呼ばれ、玲々がビクンと顔を上げた。
「亡くなった瞬珍殿には気の毒だが、生き残っちまったなんて言い方はすんじゃねぇ。お前が生き残ったのは亡くなった家族の分まで生きろって事だ」
「家族の……分まで……?」
「そうだ。お前は生きてる。結果、田家の血は絶えてねぇ。違うか?」
「でも……慶陽の街は既になく……私にはもう……」
そこで玲々が再び項垂れる。
街もない。
家臣もいない。
それでは家名を残したところで……と思ってしまったのだ。
「行く宛がねぇなら北淋に来い。俺が面倒見てやる」
「え……!?」
驚いた玲々がパッと顔を上げた。
これでは、まるで……。
「そ、それはあの……どう言う……?」
「どうもこうもあるか。街も家も家臣も失くしちまったんだろ?なら俺んとこ(←北淋)に来い。そこで一生暮らしゃあいいだろ。生き残った部下共々面倒見てやるよ」
「い、一生……?」
「当たりめぇだろ。俺が途中で放り出すような事するか。そんでバンバン子供を産んで育てんだな。そうすりゃ田家の血は残る」
「バ、バンバン……」
その一言で今まで消沈していた顔から一転、玲々がぱぁ!と花が咲いたような笑顔になった。
「は、はい!この玲々、不束者ですが必ずや夏袁様に相応しい妻になる事を誓います!! 子供もバンバン産みまする!! きゃあッ!!」
根はよほど純な娘なのだろう。
玲々は恥ずかしさで真っ赤になった頬を両手で隠すと、くるっと回れ右して来た時と同じように全速力で駆け去ってしまった。
それをキョトンした顔の夏袁が呆然と見送る。
「……妻?」
「良かったな、可愛い嫁さんが見つかって」
そんな夏袁にシンが真顔でツッコんだ。
「え……?なんで……?」
「何でって……今、自分でプロポーズしただろう?」
「プロポーズ!? 俺は北淋に来いって誘っただけで……」
「それでバンバン子供を産ませるんだろ?」
「俺の子供って訳じゃねぇ!」
「そう思ってるのはお前だけだ」
「あれは誰がどう聞いてもプロポーズの言葉でしたね」
「とりあえず、婚約おめでとうございます、夏袁さん」
「婚約!?……ちょっと待て!それは誤解……って、おいシャング!お前、どこにメール打ってんだ!?」
「いや……兄貴が結婚するんだ。早く春にも知らせてやらないと」
「まだ早い!」
「早いもんか」
にっこり笑顔の四人を見て夏袁が慌てる。
夏袁はただ、落ち込んでいた玲々を励ましてやりたい一心で北淋に誘ったのだ。
人が生きていくには安心して生活出来る場所が必要だと思ったからだ。
そこに他意はない。
なのにこれでは……。
「だ、だいたいな、こんな誤解で結婚したんじゃ玲々に悪りぃだろ!」
「別に誤解から始まる恋があってもいいだろう」
「なに知ったような事言ってんだ!」
「夏袁様!!」
そんな慌てる夏袁を見て、それまで黙って事の成り行きを見守っていた儀寧が一歩歩み出た。
「この儀寧……余計な事とは思いますが、敢えて言わせていただきます。実は玲々様、冬袁様のご婚儀の折りに夏袁様をお見掛けして以来、ずっと夏袁様にご執心であります」
「え……?いや、だからって……」
「此度の増援の話があった際、真っ先に名乗りを挙げたのもそう言う事であります。また、血筋の上でも田家は申し分のない家柄。亡くなった皇袁様も反対どころか、必ずやお喜びになる事でしょう。どうか……どうか玲々様をよろしくお願いいたします!!」
「いや……よろしくって……」
バッと頭を下げる儀寧にどう答えて良いのか夏袁が躊躇する。
するとその沈黙に焦れた儀寧が睨むように顔を上げた。
その雰囲気に一瞬気圧される。
「夏袁様……まさか玲々様に何かご不満な点でも?」
「いやいや!?不満は全くねぇんだが、その……突然過ぎると言うか……」
「夏袁、いい加減諦めろ。シャング!」
「おう」
シンがスッと掌を差し出すと、シャングがその掌に先程の鍵を手渡した。
それを掴み、今度は夏袁の手にグッと握らせてやる。
「これはプレゼントだ。ヴィンランドのお偉いさんが泊まる施設だけに窓から見える景色もいい。新婚には最高のロケーションだな。今日一日、そこで玲々と過ごしてこい」
「ちょっと待て!?」
「待たん。儀寧、下の部屋が通常の部屋になってる。お前達も今日一日、そこで旅の疲れを癒せ。その方がお前達も安心だろう」
「はっ! お心遣い感謝いたします、ロンド様」
「燕迅!」
「はっ!」
「今日の夏袁の予定は全てキャンセルだ。お前が代わりに仕切れ!」
「承知しました。この燕迅、お世継ぎの為に身を粉にして働く所存!」
「世継ぎって……」
あれよあれよと言う間に話が纏まっていく。
何だかもう後には引けない状況に追い込まれてしまう夏袁であった。
※
晴れ渡った空の元、地上5メートルの高さを保ったまま、AS二個中隊が猛スピードで突き進む。
『インジェラ』所属のAS隊、ヘンケルリンクとオールの部隊だ。
そしてその前方にはサイクロンが10機、ASに追い立てられるようにして疾走していた。
「ヘンケルリンクだ。予定通りサイクロンを追い込んだ。これで追い駆けっこは終わりだ。オール、左から回り込んでくれ。一気に叩くぞ」
『分かった』
「各機、サイクロンが反転して突破を図るかも知れん。気を抜くなよ!」
『『了解!!』』
ヘンケルリンクの指示にAS各機が油断なくバズーカを構える。
そのバズーカにはレーザー式の照準器が取り付けられていた。これで二秒以上サイクロンを照準し続ければ、そのサイクロンは撃破判定された事になるのだ。
AS対サイクロン。
それは新たに編成されたサイクロン隊の卒業試験的な意味合いの模擬戦だった。
そしてその前方を行くサイクロン。
バイザーに表示された地形図を見て、元焔秋の護衛役、唐逍がちっと舌打ちを漏らした。崖があったのだ。
「玲々様、やられました。この先行き止まりです」
『分かっています、唐逍殿。腕の見せ所ですね』
「腕のって……まさか!?」
『全機に告ぐ!崖と言っても絶壁ではない。恐れるな!飛び降りるぞ、私に続け!』
『『おう!!』』
玲々の檄に部下達が一斉に吠えた。
顔見せが終わってから三日。
元々が田家の姫君と言うのもあるが、それを差っ引いても不思議なカリスマに満ちた女性だった。
この姫君の為なら命も惜しくはないと思えるのだ。
個の力はおそらく春麗の方が強いだろう。
その代わり、玲々は部隊の指揮に長けていた。
それはサイクロン隊の隊長に適しているとも言える。
〈やるしかないか……〉
唐逍がふっと笑った。
隊長自ら先陣切って崖を飛び降りるのだ。腹を括るしかなかった。
その唐逍の目の前に崖が迫る。
直後、先頭を行く玲々が一気にハンドルを切ってサイクロンをドリフトさせた。
そのまま速度も落とさず崖の向こうに飛び出す。
視界が開け、眼下に大地が広がった。
一拍遅れてサイクロンが落下を始める。
胃が競り上がるような独特の浮遊感が襲い掛かる。
それを気合いでもって捩じ伏せ、落ちる機体を腕力でもって強引に抑え付けながら玲々は一気に斜面を滑り降りた。
「嘘だろ!?」
ヘンケルリンクが叫ぶ。
まさかエアバイクがこの崖を飛び降りるとは思わなかったのだ。
崖の向こうに消えたサイクロンを追ってヘンケルリンク隊が、少し離れてオール隊それぞれ崖の縁を越えた。そして空中に静止して下を伺う。
それは半ばサイクロン隊の安否を気付かっての行動だったのだが、その無防備な行動が勝敗を決めた。
無事に降り立ったサイクロンが一斉に光り、機体の左右にミサイルポッドが現れたのだ。
「しまった!?」
ヘンケルリンクが再び叫ぶが時既に遅し。
今まではミサイルを警戒して低空で飛行していたが今は崖の上。周りに遮蔽物は一切なかった。
目の前にロックオンの警告が表示され、〃ビーーーッ!!〃とブザーが鳴り響く。
撃墜判定されたのだ。
「うげ、全滅かよ……こりゃ、シャング隊長にどやされそうだな……」
ヘンケルリンクが苦笑いを浮かべる。
崖下では玲々が満面の笑顔で手を振っていた。
「やるな、玲々の奴。呼成の方も損害はねぇし、取り敢えず全員及第点か」
新造艦『炎龍』のブリッジ。
観測気球からの映像を見ながら夏袁が満足気に笑った。
その横にはシンとアクミにアム、他にも艦長に就任した煉鳴や操舵手に抜擢されたカバジンの姿もある。
「手加減してるんだ、損害なんて出ないだろ。だがまぁ、三日であれだけ乗りこなせれば充分だ。ヘンケルリンク、オール、すまなかったな。上がっていいぞ」
『『はっ!』』
「玲々もいいぞ、戻って来い」
『はい、夏袁様』
夏袁に声を掛けられ、玲々が嬉しそうに答えながら通信を終えた。
それを見てシンがふっと笑う。
「いい娘じゃないか」
「ん?まぁ……」
そのシンの笑顔を受けて夏袁が照れ臭そうに笑った。
寝食を共にし始めて丸三日。
玲々の行き届いた気配りに夏袁も満更でもない様子だった。
「私とアムちゃんの他に、春ちゃんとフィーちゃんと玲ちゃん。来年は赤ちゃんがいっぱい産まれて来ますね。英語で言うとレッド・アタック!」
「いや、ベビーラッシュでしょ」
と真顔でツッコむアムだが、直後にはクスッと顔を綻ばせた。
赤ん坊を抱いて集まる自分達をつい想像したのだ。
「でもまぁ……みんな一緒だと楽しそうね」
「ですよね!」
アクミとアムが幸せそうに笑い合う。
そんな二人をシンと夏袁が慈しみを込めた目で眺める。
これから産まれて来る子供達の為にも、こんな戦争は絶対終わらせなきゃな。
家族を得た事で、改めてそう決意する二人だった。
「集計出ました」
解析官の報告にシンが笑顔を納めて振り返る。
それを見てアクミ達も雑談は終わりと顔を引き締めた。
「二秒以上もたついたのは?」
「呼成隊で三機、玲々隊で二機です」
「そいつ等はシャワーはお預けだ。帰ったらシミュレータで火器管制の特訓。一秒切るまで飯は食わせんと言っとけ」
「了解」
「俺もあの、目で押す感覚掴むの手こずったからなぁ」
「習うより慣れろだな。本番で手こずって死ぬよりいいだろ」
「だな」
夏袁が言う目で押すとはマルチロックの決定入力の事だった。
ミサイルのターゲット決定にはバイザーに表示された敵で小さく円を描くように一瞬だけ視線を固定する必要がある。
するとその視線をセンサーが感知してロックオンするのだ。
慣れれば視線を走らせるだけでマルチロックが完了するのだが、慣れてないと必要以上にターゲットを睨む事になる。
こればっかりはシンの言うように慣れるしかなかった。
それも早急に。
何故なら明日、いよいよ作戦が開始されるのだから。
『ヴィンランド侵攻作戦』
ワービーストと旧人類の最後の戦い。
この一ヶ月で守りを固めたヴィンランドに対し、此方はランドシップを主体とした機動部隊が北から攻め込む。
此方がファラフェル級戦艦のみで編成されている以上、射程も足もない護衛艦は出て来ないだろう。
そうなると戦艦同士の艦隊戦になる。
数は相手の方が多いが、ほぼ互角に戦えるだろう。
問題はASの数だった。
「南の総数は一万五千を越えるらしいな」
シンが思い出したように呟いた。
北に呼応する形で南からはキングバルト軍と北淋軍、そして猿族の残党が攻め込む手筈になっていた。
「数は少ねぇが、その分足は揃ったし獣化の数もそれなりにいる。後は城壁を越えられるかだな」
「俺達次第って事か……」
「なんだ? 自分で立てた作戦なのに自信無さ気だな?」
「自信なんかあるか。ただこうでもしないとヴィンランドは落とせないし、ミサイルも温存される。だからやろうと思っただけだ」
「安心しろ。作戦は成功させるし、誰も死なねぇよ。お前は産まれる子供の名前でも考えてんだな」
「流石にそれは早いだろう」
「早ぇもんか」
思わずぷっと吹き出しそうになったシンを見て再びブリッジに笑顔が溢れた。
ちょうど戻って来た呼成や玲々が皆の笑顔を見て自然と頬を綻ばせる。
決戦前日だと言うのに、ここには悲壮感はおろか、緊張の色すら見られなかった。そんな時、
「ロンド様、クラックガーデンのヒョーマ殿からです」
と、通信士の声が和んだ空気を断ち切った。
「ヒョーマ殿が……?分かった、モニターに出してくれ」
「はっ!」
シンが指示して程なく、ブリッジ上部のモニターにヒョーマの顔が映し出された。それも何やら緊張した面持ちで。
『忙しいところ申し訳ありません、シン殿』
「いえ、それで? 何かあったのですか?」
『それが……ヴィンランドから通信が入ってるんです。それも、シン殿を名指しで……』
「俺を名指し?……誰からです?」
『ブライアン・グリーンウッド。……敵の大将です』
「グリーンウッド将軍が?」
その名を聞いてシンが眉根を寄せた。
ヴィンランドが此方の主要メンバーをほぼ把握しているのはアムから聞いて知っていた。
が、シン自身はグリーンウッドとは直接面識はない。
なのに自分宛に通信が入っている?
「アムは顔を出さない方がいいな……」
シンの呟きを聞いたアムがアクミと顔を見合わせる。
そして黙って頷くと、アクミ共々カメラの視角へと移動した。
「通信を繋ぐ前に、この事を他の艦にも知らせて下さい」
『分かりました。少々お待ち下さい』
程なくしてモニターの隅に『アイリッシュ』、『インジェラ』、『グリッツ』の各ブリッジの映像が分割して映し出された。
皆、緊張した面持ちで此方を見ている。
「ではヒョーマ殿、お願いします」
『承知しました』
ヒョーマが頷いて直ぐ、モニターにはグリーンウッドの姿が映し出された。側にはルーファスの姿もある。
「お待たせしました、将軍」
『私は君と話がしたかったんだがね?』
「ここに居るのは俺と一心同体の者達だけです。なので俺と思って貰って結構です。それとも何か不都合でも?」
『いや、そういう事なら構わんよ。儂も何人か侍らしている事だしの』
「恐れいります。それで?どう言ったご用向きでしょうか?」
『そろそろ来る頃だと思ってね。だから君の真意を確かめておきたかったのさ』
「真意?」
『その前に一つ確認しておきたい。君が生きてそこにいると言う事は、彼女は死んだのかね?』
スッと目を細めたグリーンウッドがシンを見つめながら尋ねた。すると、
「……俺の心を逆撫でするのが目的でしたら、俺はこれで失礼します」
と、その目を真っ向から睨み返してシンが答えた。
『まぁ、待ちたまえ……』
シンの硬化した態度を見てグリーンウッドが表情を崩す。
まったく……若者はせっかちで困るの。
そんな顔だった。
『今のはただの確認だ。儂は彼女を心配していてね』
「将軍の口からそう言ってもらい、アムも本望でしょう。それで……?」
『ふむ……では単刀直入に問おう。我々と同じ人類の君が、ワービーストに荷担して人類を滅ぼす。本当にそんな事をするつもりなのかね?』
「貴殿方と一緒にしないで下さい、将軍。俺達はヴィンランドの人達を皆殺しにするつもりは毛頭ありません。こちらの目的はただ一つ。ワービーストを人類と認めぬ旧人類至上主義の撤廃と、侵略行為の即事停止です。そうして頂くだけで旧人類とワービーストは共に手を取り、共存する事が出来ます」
『共存と言ったかね?』
「はい」
『青いな』
「青いですか?」
『青い。そんな理想ばかり追っておると、いつか現実に裏切られて失望するぞ?……儂のようにな』
儂のように……。
その一言でシンは黙り込んでしまった。
グリーンウッドの娘がワービーストに暴行を受け、それが元で自殺したと言う噂を聞いた事があったからだ。
「君はワービーストの本質を理解しておらんのだ。奴等はにこやかに握手を交わしながらも、その実、心の中では身体能力の劣る我々を嘲笑っている。それを知らんからそんな理想論を堂々と言える」
「……そうかも知れませんね。……少なくとも俺の周りにそんな輩はいませんが、確かに俺は俺の知る範囲のワービーストしか知りません」
『そうであろうの。その若さだ』
「ですが……少なくとも、壁の中に隠る将軍よりは多くのワービーストの人達を知っていますよ」
そう言ってシンはふっと笑った。
今度は将軍の方が黙る番だった。
戸籍の上ではシンが行方不明になってから六年余り。
その間、ワービーストの社会で生きて来たのを考えると、確かにグリーンウッドよりも遥かに多くのワービーストを知っていておかしくなかった。
「将軍はワービーストに蔓延する感染症はご存知ですね?」
『知っておる。知っていて、今の政策を押し進めておる。これからもその考えは変わらんよ』
「……そうですか。……残念です」
『さて……そうなると話は終わりだ。後は戦場で語るとしよう。武器を手にな……』
「将軍、俺達は勝ちますよ。そして必ず手に入れます。全てのワービーストと旧人類が共に手を取りあえる、そんな未来を」
『……そんな未来は来ないと儂が教えてやろう。ヴィンランドでの』
シンを睨み付けながらもグリーンウッドの右腕がゆっくりと持ち上がる。
シンが敬礼してきたので儀礼上返したのだ。
その両者の敬礼をもって通信は向こうから切られてしまった。
※
通信を終えて真っ黒になったスクリーン。
そのスクリーンを睨み付けていたグリーンウッドが突然ふっと笑みを溢した。
「シングレア・ロンドか……」
「どうされました? 将軍」
それを見て訝しんだルーファスが尋ねる。
するとグリーンウッドは背凭れに身体を預け、首だけ曲げてついっとルーファスを見た。
「今の若者……どう見るかね?」
「どう……と申されますと?」
「ワービーストと共存しようなんて事を考えとる、頭の狂った男に見えたかね?」
「それは……」
ルーファスが口籠る。
頭が狂っているどころか、若いくせに理知的で、将軍相手でも物怖じしない腹の座った男だと感じていたのだ。
「構わん。思った通りに答えてよい」
「……はっきり申し上げて、ノーです」
「……だろうな」
ルーファスの返事を聞いたグリーンウッドが自嘲気味に笑う。
「……将軍?」
「いや……彼のような前途ある若者を彼方に追い込むような今の政策は、本当は時代遅れの、間違った考えなのかもしれんなと、ふとそう思ってな」
自戒とも取れるその言を聞いて、ルーファスが言葉なくグリーンウッドを見つめた。
こんな弱々しいグリーンウッドの姿を見るのは初めてだったのだ。
「まぁ、今更愚直っても始まらんの。儂は儂の考えで今の方針を決め邁進してきた。どちらが正しいかは後の世の人々が勝手に決めるだろう」
「はい。それと……世情がどう変わろうと、私はいつまでも将軍の味方です。それをお忘れなきよう」
「ふん、貧乏くじを引いたかもしれんぞ?」
「望むところですよ」
グリーンウッドの言葉に、ルーファスはニヤリと笑って答えるのだった。
※
「な、なんだ?」
シーンと静まり反ったブリッジの中、敬礼を解いたシンが驚いた顔で左右を見た。
アクミとアムがニコニコ笑いながら歩み寄り、シンの両腕にギュッと抱き付いてきたのだ。
気付けば『炎龍』のブリッジは勿論、モニターの向こうでも皆が満ち足りた顔でシンを見ている。
『ふふ、先生……とっても格好良かったですよ?』
「格好良い?」
『俺達は勝ちますって、啖呵切ってたじゃないですか?」
ひめ子がクスッと笑いながら指摘した。
ワービーストも旧人類もない。全ての人類の共存。
それを青いと言われた。
理想論だとも言われた。
それでもその理想に向かって突き進む。そして勝って見せる。
そう声高々に宣言してくれた。
皆、それが嬉しかったのだ。
「お前があまりに自然な口調で勝つなんて言うもんだから、奴さんの表情変わってたぜ?」
「いや……負けられないと思っただけで……」
「それを当たり前のように言ったから格好良かったんですよ、先生」
「そう言うこと。さすがシン」
アクミとアムが腕に抱き付きながらシンに微笑み掛ける。
それは嬉しいからというより、自慢の旦那は絶対に離さない。そんな心境からだった。
『しかし、お前の言った通りだな、シン』
「なにがだ、シャング?」
『前に言ってたろ?ヴィンランドの上層部は人の話を聞かない、我が儘いっぱいに育ったガキみたいなもんだって』
「あぁ、言ったな……」
『それで、そういうガキに話を聞かせるには一発ぶん殴るに限る。そうすれば嫌でもこっちを見るし、話も聞くだろうって』
「まぁ……言ったかな……」
「ぷっ!?」
それを聞いたアムが、何故か突然吹き出した。
そのままシンの腕に掴まってふるふると震えている。
「どうしたんです? アムちゃん」
「だ、だって……今回の作戦とシンの姿が急に重なって見えちゃって……」
「重なる?」
「今回の作戦って、ランドシップを全部破壊して、城壁も破壊して、その上で和平に持ち込むって腹なんでしょ?」
「そうなりますね」
「じゃあ、想像して。戦力も防御も失ったヴィンランドにシンが握手を迫まりながら、無言で左の拳を振り上げてるとこ」
「先生がヴィンランドに?…………ぶふっ!?」
「ぷっ!? あははははははっ……!!」
『炎龍』のブリッジに突然、皆の笑い声が木霊した。
籠城も出来ないほど無惨に破壊されたヴィンランド。
そのヴィンランドを上から見下ろすほど巨大になったシンが有無を言わさず握手を迫る。
言う事聞かなけりゃもう一発ぶん殴ると左の拳を振り上げながら……。
そんな姿をつい想像してしまったのだ。
それは『炎龍』のブリッジだけではない。
モニターの向こうではリーディアに大牙にカレンにアレン、シャングと春麗に、カルデンバラック達までもが可笑しそうに声を出して笑っていた。
厳格なラッセンやホワイトビット、レオまでもがクスクスと声を殺して笑い、ひめ子に至っては声も出ないほど腹を抱えてぷるぷる震えている。
「お前等……」
「だ、だってよ……今回の作戦って、まんまシンの性格だったんだなって思ったら、つい……」
『た、確かに……いかにもシンらしい作戦だ……』
『い、嫌ならもう一発ぶん殴るよって辺り……シンちゃんらしい』
「「あははははは……!!」」
「おい!言っとくが作戦方針考えたのは族長だし、今回の司令官は俺じゃない、レオだからな!!」
「しょ、しょうがねぇだろ……もう作戦が擬人化されて、シンの姿になっちまったんだから……」
『もういっそ、今回の作戦名『進撃のシンちゃん』で、良くない?』
「ふざけんな!どいつもこいつも言いたい事言いやがって……おいアム、お前のせいだぞ、なんとかしてくれ」
「だ、だってぇ……も、もう一発ってのがいかにもシンらし……あはははは、ダメ……もうダメ……」
どうやらツボに嵌まったらしく、シンの腕に掴まりながらアムがくすくすと笑い続ける。
アクミはアクミで、反対の腕に抱き付きながら困った顔のシンを楽しそうに眺めていた。
「まったく……お前等、緊張感無さ過ぎだ。レオ、司令官として一発締めてくれ」
『えっ!?私がですか!?』
「明日には作戦が開始されるんだ。レオが締めないでどうする」
これはこれで皆の緊張が解れて良いんですけどね……と内心思ったが、そこは真面目なレオ。
シンに促され、モニターに向かってスッと姿勢を正した。
それを見た一同が笑いを納め、同じく姿勢を正す。
皆、口元には笑みを残したままだが……。
『それでは皆さん、息抜きはここまで。各自、明日の作戦に備えて準備を怠りなく、油断せず行きましょう!』
「「おう!!」」
(おまけあとがき)
ヴィンランドの高級官僚が宿泊する施設。
時刻は夕方。
滞在型のリゾートホテル(スイートクラス)のような作りのそこで、今、アクミとアムが楽しそうに笑いながらシンの為の食事を準備していた。
「アクちゃん、海老とジャガイモも焼き終わったよ」
「いんげんとブロッコリーも茹でましたし……じゃあ、お皿に盛り付けちゃいましょうか。アムちゃんはレタスをお願いします。私はゆで卵剥いちゃいますんで」
「オッケー!」
返事とともにアムが冷蔵庫からレタスを取り出す。
それを小さく千切って水に曝し、水気を切ってから大きめの深皿に敷き詰めていく。
そうしながらチラリと横に立つアクミに視線を送った。
ドレッシングを作り終わったアクミが冷水で冷ましたゆで卵を手に取り、割れ目も入れずに両手で拝むようにしてそっと包み込んだからだ。
「美食神拳奥義……殻破解脱!卵身転生、菩薩掌!!」
ポンッ!!
「うん、ちょっと待って!」
思わず手を止めたアムがアクミに向き直る。
どう言う理屈なのか?両手で包み込んだ指の先から剥き身の卵がポンッ!と飛び出し、水を張ったボールの中にポチャン!と着水したのだ。
「今、なにやったの?」
「ナニって……こう、ゆで卵を両手で挟んで……」
「うん、挟んで?」
「ポンッ!と……」
再びアクミの指先から剥き身の卵が飛び出し、水を張ったボールの中にポチャン!と収まる。
「…………」
「…………」
「……それって?」
「卵身転生、菩薩掌の事ですか?これは卵からひよこが生まれ、やがて成長し、再び卵を産んでひよこが孵る。その輪廻の輪から救い上げてゆで卵に産まれ換わらせると言う、美食神拳の究極奥義です」
「無精卵って時点で輪廻の輪からは外れてそうだけどね。それより、どう言う理屈か分からないんだけど?」
「どうと言われましても……こんなの慣れれば誰でも出来ると思いますよ?」
〈究極奥義なのに誰でも出来るんだ……〉
と言う言葉が喉まで出掛かったが、そこは敢えてツッコまない大人のアム。
「じゃあ、私でも出来る?コツとかあるの?」
「やってみます?先ずはこう、両手でゆで卵を優しく挟んで」
「うん、挟んで?」
「あとは赤子の手を捻るように、キュ!と一瞬だけ力を込めるのがコツです」
「いや、捻っちゃダメでしょ」
ツッコミながらもアムが真剣な顔で掌に力を込める。
が、中身が飛び出すどころか殻すら割れない。
更に力を込めれば掌からパキッ!と小さな音が響いた。
アムがゆっくりと掌を開けば、殻に無数の小さなヒビが入っていた。
「まぁ、そうなるわよね……」
やはり美食神拳は一朝一夕には使いこなせないようだった。
「まぁ、そうなっちゃったら仕方ありませんね。カリカリ剥いていきましょう」
「……うん」
「そんナニ落ち込まないで。私がこれから毎日教えてあげますから。美食の道も一歩から。匙は既に投げられたです!」
「匙じゃなくて賽ね」
アムがツッコミながらクスッと笑う。
それはアクミの間違いが可笑しいからではなく、アクミとまたこうして一緒にご飯を作れる。その現実が無性に嬉しかったのだ。
アムが剥き終わった卵を水で洗いながらチラリとリビングに視線を移せば、そこにはコーヒー片手に寛ぐシンの姿がある。
〈帰ってきたんだなぁ……〉
隣に立つアクミ。
そしてリビングのシン。
二人の姿を見てアムは安堵と共に染々と実感するのだった。
「ところでアクちゃん?」
「ナンです?」
「アクちゃんよく、お魚とか野菜を冷蔵庫にしまう時、両手の指先で一回持ち上げてるじゃない?あれも何かの技だったりするの?」
「あれは指先一つで食材の鮮度を長持ちさせる延命孔って秘孔を衝いてるだけです。技って程じゃありませんよ」
「いや、充分技でしょ……」
〈てか、切り身の魚や野菜にも秘孔ってあるんだ?〉
まさに神の手による美食の為の拳ね。
サラダを盛り付けながら染々と思うアムだった。