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見知らぬ空へ  作者: たじま
31/35

27、会いたくて……

「間違いありません!敵です!!」


それはクラックガーデン基地に遠征隊敗退の知らせが入る直前の事だった。

基地司令室のモニターには第二警戒ラインに設置したカメラからの映像が映し出されている。


「山の木々が邪魔して正確な数は分かりませんが、四、五千人は居ると思われます」

「来る気なのか……?」


基地司令官が信じられんといった顔で呟いた。

クラックガーデン基地が建設されて以来、ここに敵が攻め寄せて来た事は一度もない。

なのに、選りにも選ってヴィンランドから戦力が出払ったのを見澄ましたかのように敵が現れたのだ。動揺するのも無理からぬ事だろう。


「し、司令……どうしますか?」

「取り敢えずヴィンランドに連絡だ!急げ!!」




金色の髪と立派に蓄えた髭、そして右腕の通っていない袖を風に靡かせながら、スフィンクスが遥かな地平を眺めていた。

北から続いた山々が平地と交わる場所。

その視線の先、遥か遠くには旧人類のクラックガーデン基地が見える。

スフィンクスはそこからついっと視線を移すと、今度は隣に立つ金髪の少女……フィーアを慈しみを込めた目で見た。

フィーアがこれから攻めるクラックガーデンを見向きもせず、レオのいる西の方角を見ていたからだ。


「気になるならあっちへ行っても良いのだぞ?」

「え……?」


フィーアが驚いた顔で振り向く。そして恥ずかしそうに微笑んだ。


「ごめんなさい、お父様。つい気になって……でもレオなら大丈夫。だから私はここにいます。お父様のお側に……」

「それはレオより儂の方が危なっかしい。という事かの?」

「そう言う訳ではありません!もう……お父様は意地悪です……」

「ははは……すまんすまん」


口を尖らせてそっぽを向くフィーア。

そのフィーアの頭に、スフィンクスが笑いながらポンと手を置いた。

それだけでフィーアの顔が笑顔に変わる。

こんなありふれた親子のコミュニケーションが心から楽しかったのだ。


「スフィンクス様、兵の配置完了しました」


いつの間に近づいたのか、静かに片膝ついたラルゴが告げた。

それを聞いてスフィンクスが「うむ……」と小さく頷く。

フィーアの表情もキッと引き締まったものに変わっていた。


「では、先ずは挨拶から始めようかの」

「はっ!」







「……そうだ。動けるのはないが、パネルとバッテリーが無事なやつが二隻ある。そこを病院代わりにする。目印の白旗を出しといたんで、動けない怪我人はそこに搬送するよう孔蓮に伝えてくれ。……捕虜?そんな余裕なんかない。食料とコンパスだけ与えてグッバイヒルまで歩いて貰うよ。既に配給の食料とポンチョは集めてある」



戦闘から一夜明けた翌日。

キングバルト、北淋連合軍は戦後処理にてんやわんやだった。

何しろ使用した武器の関係で、あれだけ大きな戦闘を行った割には死傷者が少ない。

その生き残った者達を、勝利者の義務として管理しなければならなかったからだ。

とは言え、シン達はいつまでも此処に留まる訳にはいかない。スフィンクスが単独でクラックガーデン攻略を始めていたからだ。

そこでシンは生き残った兵士達を怪我のない者、或いは怪我はあるが大した事もなく歩ける者と、暫く療養が必要な者とに振り分けた。

そして歩ける者は解放しグッバイヒルへと向かってもらい、それ以外は護衛艦を臨時の病院として身柄を預かる事とした。

それを聞いた兵士達は揃って首を傾げた。なぶり殺されるのではないかと心中覚悟していたからだ。

だが用意された食料と地図、それとワクチンを摂取した猿族の予想外の真摯な対応にその警戒心も薄れ、シンの指図通り、歩ける兵士達は食料を受け取ってグッバイヒルへと旅立って行った。




そうして一段落ついた昼過ぎ。


「……じゃあ、シャング、ギル、夏袁、すまんが後は頼む。『アイリッシュ』は一時間後に出航する」

『分かった』

『俺もシャングの船に乗せて貰うからよ。あっちで会おうぜ』

「あぁ」

『なぁ、シン……本当に『アイリッシュ』単艦でいいのか? 北淋軍もいるんだ、ここは『グリッツ』か『インジェラ』だけ残しておけばいいと思うが?』

「武器や装備品は出来るだけ回収しておきたい。それに先行すると言っても半日差だ。大丈夫だろう」

『それはそうだが……』


「……『パッタイ』か?」


シンが指摘すると、案の定、カルデンバラックが「あぁ……」と頷いた。


『バカラ司令は油断ならないからな。出来れば三艦が常に連携出来る距離を確保しといた方が良いと思う』

『なら、間を取って『グリッツ』は三時間遅れで出航したらどうだ?』


するとシャングが折衷案を出してきた。シャングも心中心配だったのだろう。

それを聞いてシンも考えを改めた。

今後の事があるとは言え、あまり欲張っても仕方ないと思ったのだ。


「じゃあ、そうするか。ホワイトビット艦長、準備は間に合いますか?」

『戦時態勢のままだ、今すぐでも問題ない』

「ではシャングの提案通りで。シャング、ラッセン艦長、すいませんが後を頼みます」

『分かった』

『承知しました』

「では……」


方針も決まり互いの敬礼でもって通信が切れると、シンがひめ子に振り向いた。それにひめ子が小さく頷く。


「サナちゃん、艦内に通達、予定通りイチサンサンマルに出航するわ」

「了解」

「先生、哨戒中のASは帰投させても?」

「ああ、構わんだろう」

「では……えっちゃん、第二中隊に連絡、現時刻をもって哨戒の任は解きます。帰投されたし」

「了解しました」

「それと、この事を『インジェラ』に通知しておいて。警備に齟齬が出るといけないわ」

「はい」


てきぱきと物事を進めていくひめ子。

それを見て、それまで黙って見ていたアクミが感動の眼差しを向けていた。


「凄いです。先々を読んで次々と指示していくあたり、さすがひめちゃんです。BL妄想で培った想像力は伊達ではありませんね」

「そ、そう?……ええと、ありがと……?」


その例えはどうなの?

と思ったが、誉めてはいるようなので苦笑いで流すひめ子。

その横ではシンが可笑しそうにクスクスと笑っていた。


「先生……? なに笑ってるんです?」

「いや……妙に納得してな」

「もう……」

「悪かった。ただ立派な艦長になったと思ったのは俺も同じだ。ところでプラントの件はどうなった?」

「今日中には出航する旨、連絡がありました。ただ牽引する船がないので、到着にはそれなりの日数が掛かるかと……」

「それで構わん」

「へぇ……あのでっかいダンゴ虫、自分でも動けたんですね?」

「足は遅いがな。じゃあ、すまんがひめ子、後は頼む。時間になったら出してくれ」

「了解しました」

「アクミ、用は済んだ。行くぞ」

「はいです!じゃあ皆さん、がんばってくださいね!」


踵を返したシンに続いて、アクミが元気良く手を振りながら去っていく。

それを見送ってから、ひめ子はキッと表情を改めた。

次いでモニターに地形図を表示させる。


「最短距離で行きたいところだけど……どう思います? 恫鼓さん」

「斥候を放ってないですからな。警戒した方がいいのでは?」

「油断は禁物、安全第一に……って事ですね?」

「出来れば山沿いのコースで。それなら此方のテリトリーです……」

「ではそうしましょう。今日のところは100キロ程の移動に留め、早めに夜営の準備。そこで観測気球を先行させ、遅れた分は明日取り戻す。それでどうでしょう?」

「良いのではないですかな?のう、エリック殿」

「そっすね。そのコースなら夜営地の候補も分かってますし、警戒も東と南だけで済みそうだ」

「ではそれで。えっちゃん、その旨、後続の『グリッツ』と『インジェラ』に連絡しておいて」

「了解しました」







そこから遠く離れたグッバイヒル。

時刻は夕方。

仮設基地に寄り添う形で『パッタイ』と護衛艦二隻が静かに佇んでいた。

実は『パッタイ』、一度此処を発って合流予定地点に向かったのだが、ベルトリーニ総司令の一存で置いてきぼりを食らい、その途中で遠征隊の敗北を知って、已む無く此処に舞い戻っていたのだった。



その『パッタイ』のブリッジ。


「司令、ヴィンランドからです」


そう言って、通信士が一枚の命令書をバカラに手渡した。


「ヴィンランドからはなんと?」


暫くしてベンソンが尋ねると、バカラが命令書をヒラヒラ振りながら差し出してきた。自分で見ろと言う事なのだろう。

それを受け取ったベンソンが眉をひそめる。


「クラックガーデンが?」

「核を使った事がバレたんだろ。北淋の猿共は北と結託してるみてぇだしな。おかげでわらわら湧いて来やがった」

「やり過ぎたと?」

「別に奴さんから来てくれるのは構わねぇよ。手間が省けていいくらいだ」

「では、何が心配ですので?」

「心配って訳じゃねぇ。考えてたんだよ」

「何をです?」

「北の連中……北淋も含めてだが、整備された通信網を持ってやがるな。でなけりゃ、こんなジャストなタイミングでクラックガーデンを襲わねぇだろ」

「予め示し合わせていた……ではなく?」

「西がいつ始まり、いつ終わるかも分かんねぇのに、どうやって示し合わせんだよ」

「それは……でも、たまたまと言う事も……」

「あんまナメて掛かんねぇ方がいいな。今までの手際から言って南の猿共とは違う。此方に引けを取らない装備と情報網、それとかなりしっかりした指導者がいると見て、まず間違いねぇ」

「はぁ……」


バカラの言にベンソンが曖昧に返事をする。

正直、そこまで飛躍して考えなくても?

と思ってしまったのだ。


「司令、仮にそうだとしてもクラックガーデン救援には向かわなければなりませんが?」

「そんな急がねぇでも、司令官がよっぽど無能じゃねぇ限りそうそう落ちねぇよ。下手に近づいて山ん中逃げられんのも厄介だしな。それより問題は敵さんの艦隊だ。遠征隊は倒した。そんで別動隊がクラックガーデンを襲ってる。そうなると、次に艦隊はどう動くと思う?」

「そりゃあ、クラックガーデンの応援に……あ!?」

「そう言うこった。のこのこクラックガーデンなんかに向かってみろ。後ろからズドンだ」

「では……」

「逆に此方がそれをやりゃあいい。数も向こうのが多いしな。つー訳だ。夜明けと共に出航、どっかに隠れて網を張んぞ。俺等の敵はランドシップだ」







月明かりが淡く地表を照らしていた。

風はない。

風はないのだが、この季節に相応しく、ヒヤリとする空気が大地を覆っていた。


時刻は夜の11時。

ワービーストの襲来により厳戒態勢のクラックガーデン基地へ、一歩一歩、大地を踏み締めながら近づく一機のドローンがいた。

前方にはクラックガーデンの城壁が、そしてその手前には周囲を警戒に当たるドローンが部隊毎に纏まって静かに待機している。

そのドローン達が一斉にピクリと反応した。

近づいたドローンが、ネットワークを介して侵入してきたのだ。



「ん……?」

最初にその異変に気付いたのは城壁の上に立つ兵士達だった。

突然、外に配置したドローン部隊が起動したのだ。


「敵……じゃないよな?」


兵士達が首を傾げる。

敵なら警報が鳴る筈だった。だがそれはない。では何故?

疑問に思いながらもただ茫然と見守る兵士達。

その目の前でドローン達は隊列を組み、静かに移動を開始するのだった。



次に異変に気付いたのはクラックガーデンの司令部だった。


「なんだ!?」


司令部に詰めていた兵士が突然叫んだ。

そしてモニターを見ながらカーソルを忙しく叩き始める。


「どうした!?状況を説明しろ!」


そのただ事ではない雰囲気に、この場を任されていた士官が問い質した。すると、


「そ、それが……ドローン部隊が突然移動を始めました」

と、狐につままれたような顔で答えた。


「敵か!?」

「い、いえ……敵と言う訳でなく本当に、ただ単に北西に向かって移動を始めたんです。それも隊列を組んで、まるで行進するかのように……」

「プログラムミスか?いったい何番の部隊だ?」

「そ、それが……全部です」

「全部……?全部って……外に配置したドローン、全部か?」

「はい」

「敵だ!それ以外にあるか!急いで警報を鳴らせ!!」


直後、クラックガーデンに警報音か高々と響き渡った。




そんなクラックガーデンから5キロ余り。


「はいは~い、ドロちゃん、いらっしゃいですぅ!」


小高い山間を1キロ程入った所で、ニコニコ笑顔の猫々が両手を広げてドローン達を出迎えていた。


「凄い……敵の機械兵を虜獲したのですか?」


スクヤークのヒョーマが猫々を、次いでスフィンクスを尊敬の眼差しで見つめる。

何せ敵のドローン300機を無傷で奪ったのだ。

結果、敵の兵力は300減り、此方の兵力は300増えた事になる。差し引き600の差は大きい。


「猫々よ、プログラムを書き換えるのにどれ程掛かる?」

「うーん、二時間ってところですかねぇ?」

「なら夜明けと共に出陣じゃ。奴等の度肝を抜いてやろうぞ」

「はぁ~い、了解ですぅ!」



翌朝。

基地周辺を警戒していたドローンの消失により、戦闘配置のまま一夜を明かしたクラックガーデンの兵隊は信じられない物を見る事になる。

味方であった筈の300機にも及ぶドローンが全て敵の手に渡り、敵の先駆けとして攻め寄せて来たのだった。







北淋防衛戦から丸二日。

ヴィンランドの遠征隊を撃破したシン達は北淋軍にその後を任せ、一路クラックガーデンを目指して道を急いでいた。

動向の気になる『パッタイ』を含め、すぐさま出撃可能な戦艦がヴィンランド側にあった場合、クラックガーデンに着くのは向こうの方が早いからだ。



そのクラックガーデン到着を目前に控え、先頭を行く『アイリッシュ』は警戒態勢のまま航行を続けていた。


「艦長、間もなく作戦区域に入ります」

「敵のランドシップは?」

「クラックガーデンを含めて確認出来ません」

「どうやら急いだ甲斐があったみたいね」


サナの報告にひめ子がホッと安堵の溜め息をつく。が、直ぐに表情を改めた。


「じゃあ、始めるわよ。総員、第一種戦闘配置!」

「総員、第一種戦闘配置!」


『アイリッシュ』艦内に警報音が鳴り響く。

遅れ馳せながらクラックガーデン攻略戦に『アイリッシュ』が参戦する。


「AS隊発進準備!『アイリッシュ』は城壁を破壊後、クラックガーデン南側を中心に警戒の任に当たります」

「「了解!」」



『AS隊発進5分前!ハッチ開放します、デッキクルーは注意!』


艦内アナウンスが流れた直後、ASデッキ前方のハッチが静かに上方に開き始めた。


「うは!?さむ!!」


第二デッキに待機していたリーディアがブルッと肌を震わせる。

ハッチが開くと同時に、肌を刺すような冷たい風が吹き込んできたのだ。


『AS各機へ』


その時、インカムからシンの声が響き渡った。各員が耳を澄まして注目する。


『攻撃中の味方と連絡が取れた。現在、味方はクラックガーデンの北壁を攻撃中だ。よって、俺達AS隊は西側から奇襲を掛ける。セオリー通りランドシップで城壁を破壊、侵入し、一気に司令部を落として戦いを終わらすぞ!』


「「了解!!」」


シンの檄に周囲から威勢のいい返事が一斉に上がった。


『アレン、リーディアと先に行け。俺の隊は別ルートで向かう」

『了解!』

『リーディア、頼むぞ』

「頼まれまっしょい!」

『カレン、大丈夫だとは思うが『アイリッシュ』を頼む。一個中隊だ、無理はするなよ』

『了解した』

『作戦開始1分前!第二、第三中隊各機は発進位置へ移動願います』


アナウンスに従いリーディアがカタパルトに跨がる。

それに第二中隊の面々が次々と続いた。


『発進待機中の各機へ、左舷から風速7メートル程の橫風があり、時折突風も観測されてます。注意してください』


「はいほー!よーし、ほんじゃみんな、がんばりまっしょい!!」

「「おーーーっ!!」」


妙に軽いノリの返事に背中を押され、リーディアがカタパルトのハンドルを握り、足を開いて発進の体勢を取る。


「リーディア・ブラックコート、FⅡーR、行くよん!」

『進路クリアー、FⅡーR発進、どうぞ!』


直後、リーディアの黒い機体が押し出され、大空へと飛び立って行った。





『アイリッシュ』から次々とAS隊が飛び去って行く。

それをじっと見つめる者達がいた。


「……三個中隊だけですね。出し惜しみでしょうか?」


閉じてしまったハッチを見てベンソンが呟いた。ASの発進が完了したと見たのだ。


「気にしてもしょうがねぇ。それより思ったより遠いな。風が強ぇのもネックだ……当てられるか?」

「やってみない事には……」

「そりゃ、そうか。おい、ASはどこまで行った?」

「最後尾がそろそろ10キロ地点に差し掛かります」

「ちっ……もうちょい待ちてぇとこが、これ以上離れると益々当たんなくなんな。仕方ねぇ、始めんぞ」

「はっ!主砲第一、第二、照準!目標、敵ファラフェル級!」

「敵ファラフェル級、照準よし!」


「総員、耐ショック!撃てぇ!!」




その時、突風が吹いたのは全くの偶然だった。


「おっと……」


艦が流され、一拍遅れてエリックが取り舵を切る。直後、


ドドォーーーッン!!

「きゃあ!?」


激しい振動と轟音が突然『アイリッシュ』を襲った。


「砲撃!? 総員、対艦戦用意! サナちゃん、敵は!?」

「後方8時!これは……『パッタイ』です!『パッタイ』が山間に潜んで」

「やられた……でも当たらなかったのは幸いね。最大船速!向こうの速度が出る前に距離を離すわ。えっちゃん、AS隊と連絡は付く?」

「ダメです!」

「恫鼓さん、当たらなくても構いません。一発だけクラックガーデンに撃ってください。それで気付いてくれるのを祈りましょう」

「了解!」

「敵AS、発艦を確認!四中隊!」

「第四中隊、緊急発進!チカちゃん!」

「はいです!迎撃システム起動しますです!」


チカが慌ただしくコンソールを操作する。

すると『アイリッシュ』に設置された多数の銃座が一斉に起動した。

隔壁も閉鎖され、ドローンが通路に配置される。


「場合によってはクマバチも使用するわ。準備しておいて」

「了解です」


それは対AS用に開発された新型のミサイルだった。

対象レンジは最大30機。

敵の上空や真っ只中に撃ち込み、追尾機能を備えた小型ミサイルを一斉にバラ蒔く。

ランドシップ周辺という周囲に遮蔽物のない限られた環境では、余程の機動性や反射神経でもない限り逃れる事は不可能だった。

ひめ子はそれを指示すると、次いで受話器を取り上げた。


「カレンちゃん、敵の数が多いわ。各デッキに陣取って防戦して」


すると、

『それじゃダメ。寄って集って数に押されるだけ』

と、すぐさまカレンから返事が返ってきた。


『数は少ないけど機動性は此方の方が断然上。だから討って出て敵を掻き乱す。抜かれた敵は……こめんなさい。よろしく』

「分かったわ。でも注意して」

『了解した。ところでシングレア隊長は?』

「まだ連絡は取れないわ」

『……そう。でも大丈夫。きっと来る。だからそれまで、がんばろう』

「そうね……じゃあカレンちゃん、よろしく!」

『うむ』


短い返事を最後にカレンとの通信が切れた。

直後、カレンのシュバルツ・ローゼがカタパルトで射出される。

第四中隊各機はそのまま進路を右に取り、敵のAS隊へと向かって行った。





「お……?一個中隊向かって来るな」

それを見て、連隊長のマッケンジーがにやりと笑った。


「各機、迎撃するぞ!零番隊、ASは俺達に任せろ。お前達はランドシップをやれ!」


『……了解』


マッケンジーの命令に一拍遅れてアインスから返事が返る。

暫くすると零番隊は隊列を離れ、戦闘区域を迂回するように進路を変えて行った。


「よし、俺達の力を見せてやれ! 第二、第三中隊、行け! 第四中隊は俺が指示に専念出来るよう、周囲を固めろ!」




「各機ツーマンセル。動きを読まれないよう、ランダムに旋回しながら撃ち続けて。時間を稼げばシングレア隊長が来る。それまでの我慢」

「「了解!」」


その時、四機のASが敵の隊列から離れて行くのが見えた。

カレンがスッと目を細める。

色から判断するに、フィーアの言っていた零番隊。

そう思った直後、カレンがドキリと息を詰まらせた。


「うそッ!?」


離れて行く零番隊の中に、見慣れた碧い機体を見掛けたのだ。

だが、それに構っている暇はなかった。


〃ピーーーッ!!〃


警報音が鳴り響き、目の前にアラートメッセージが表示される。

敵のAS隊が発砲してきたのだ。


「ちッ……!?」


舌打ちとともにカレンが機体を旋回させる。

さっきの機体は気になるが、それは心の片隅に追いやり、取り敢えず目の前の敵に専念するカレンだった。







一方、その頃……、


「シンちゃん!!」


先頭を行くリーディアが叫んだ。

直後、頭上を一発の砲弾が通過してクラックガーデンの城壁に着弾した。『アイリッシュ』が砲撃したのだ。

それはいい。

それはいいのだが、撃たれた砲弾は一発だけ。

しかもタイミングがおかしかった。打ち合わせより早いのだ。

これではAS隊がクラックガーデンに着く頃には迎撃態勢が取られてしまう。

そんな初歩的なミスをひめ子がする筈がなかった。

なら考えられる理由は一つ。


「何かあったな……。リーディア、アレン、クラックガーデンを頼む。俺は『アイリッシュ』に戻る」

『『了解!』』

「ロンド隊、引き返すぞ!続け!!」







高度を落とし、『アイリッシュ』から見えないよう森や林を縫うようにして飛行する零番隊。

その零番隊のツヴァイが「はぁ……」と溜め息をついた。


「あいつはバカなのか?俺達は格闘戦がメインだってのに……」

「ASは俺達に任せろ!だってさ……4対1でなに意気がってんだろうね」


ツヴァイとノインが愚痴を溢す。

適材適所を知らない。

自身の身の安全を第一に考える。

そんな上官を持つと部下は苦労する。

と言う典型的な例だった。


「で……? どうするアインス?さすがに四機じゃ、弾幕を潜って接近するのも難しいぞ?」

「撃沈は『パッタイ』がやる。俺達の役目は敵の足を止める、もしくは鈍らせる事だ。遠くからバズーカでも撃ってればいいだろう」

「ランダース、碧瑠璃のミサイルはどうだ?」

「撃ってみてもいいが、撃ち落とされるだけだろうな」

「まぁ、そりゃそうか」

「無駄話は終わりだ。この森を抜けたら見えるぞ。準備しろ」


アインスの右手が光り、バズーカが現れた。

それを肩に担いで前方を睨み付ける。

『アイリッシュ』は目の前だった。




〃ビーーーッ!!〃


『パッタイ』からの砲撃を右に左にと回避しながら航行を続ける『アイリッシュ』。

その『アイリッシュ』のブリッジに突然警報音が鳴り響いた。


「4時の方角からAS四機!これは……零番隊です!」

「くっ……選りにも選って零番隊とは……チカちゃん、迎撃!」

「了解です!」


チカの操作で『アイリッシュ』に設置された銃座が零番隊に銃撃を加える。

直後、


ドドォーーーッン!!


舷側に高々と爆炎が上がった。

『アイリッシュ』が激しく振動する。

また『パッタイ』が砲撃してきたのだ。


「被害は!?」

「直撃ではありません、損害軽微!」

「恫鼓さん、威嚇で構いません、間を置かず『パッタイ』に撃ち続けて下さい。エリックさん、その間に一気に面舵を。艦首を『パッタイ』に向けない事にはやられっぱなしだわ」

「了解!」


エリックの返事と共に左舷の主砲が火を吹いた。

同時に『アイリッシュ』がぐぐっと旋回する。

だが次の瞬間、『ドンッ!』という爆発音とともに『アイリッシュ』が揺れた。


「第四デッキに被弾!ASからです!」

「エンジンは!?」

「無事です」


サナの報告にひめ子がホッと安堵の息を吐く。ここでエンジンをやられていたら『アイリッシュ』はお終いだった。


「零番隊が邪魔ね。チカちゃん、クマバチ!」

「了解です!」


たった四機に大人気ないが、背に腹は代えられない。

ひめ子が零番隊をキッと睨む。

だが次の瞬間、そのひめ子の表情が驚きに変わった。


「右舷発射口、クマバチ装填!発射し……」


「待って!!!」


発射釦を押そうとしたチカがビクリと震えた。突然、ひめ子が大声で叫んだのだ。


「サナちゃん、あの碧いASを映して!早く!!」

「碧いASですか……?」


サナがコンソールを操作する。

そしてモニターに映し出されたそれを見て誰もが息を飲んだ。

見間違える筈がない。

それは碧瑠璃を纏ったアムだった。


「うそ……」

「アムちゃん……?」

「なんでアムちゃんが……きゃあ!?」


呆気に取られるひめ子達の呟きが悲鳴に変わる。

零番隊の放ったバズーカが、再び『アイリッシュ』を襲ったのだ。


「艦長! 今は指示に専念されい!!」


恫鼓が大声で一括する。

その恫鼓の叱咤でひめ子も動揺から立ち直った。

そうだ。今は戦闘の最中なのだ。それもあの『パッタイ』と。

艦長の責務として『アイリッシュ』を沈めさせる訳にはいかない。


「チカちゃん、クマバチ!……ただし、直撃は避けてね」

「そんな無茶なです」


ひめ子の難易度の高い注文に、祈りながら発射釦を押すチカ。

そんなチカの祈りを乗せて、クマバチが『アイリッシュ』から発射された。




「 距離を取れ!!」


たった一発だけ発射されたミサイル。

しかも自分達ではなく、上空に向かって。

それを見た瞬間、アインスの勘が告げた。


あれはヤバイ……と。


アインスの警告に全員が『アイリッシュ』から距離を取る。

直後、クマバチから一斉に小型ミサイルが放たれた。


「「ーーーッ!? 」」


即座に反応したのはアムだった。

急降下しながらバズーカを放り投げ、代わりに右手に狙撃銃を、左肩に六連装のミサイルランチャーを呼び出す。

そして地表スレスレを飛行しながら上空を振り向いた。

碧瑠璃に向かって来るミサイルは7つ。

そこにアンチミサイルを撃ち込む。

ミサイル同士が衝突し、小規模の爆発が一斉に起こった。

そこを抜けて残りの一発が迫る。


ドンッ!


ミサイルランチャーをも放り捨てたアムが、狙い澄ましたようにミサイルを狙撃した。更に、


ドンッ! ドンッ! ドンッ!


腰を捻って強引に向きを変えながらアムが続けざまに三発放つ。

ノインに迫っていたミサイルを撃ち落としたのだ。


「アインスとツヴァイは……無事か……」


離脱に成功した二人を見てアムがホッと胸を撫で下ろす。

咄嗟の事であり、ノインのミサイルを狙撃するので手一杯だったのだ。


「ありがと……」

「気にするな」


身を寄せたノインにアムがぶっきらぼうに答える。そこにアインスから連絡が入った。


『ノイン、ランダース、無事か?』

「平気だ」


アムとノインが『アイリッシュ』から逃れるように森の死角に入ると二人が合流してきた。


「どうするアインス?あんなのがあったら、そうそう近付けないぞ?」

「俺達は今まで通りバズーカで攻撃しよう。ランダース、お前は距離を取って援護だ。あれが発射されたら、ミサイルをバラ撒く前に落とせ」

「……保証は出来ないぞ?」

「謙遜するな。お前の腕なら大丈夫だろう?」


ツヴァイがにやりと笑う。


「絶対はない。そんな危険な目に合わせられるか」

「なんだ、俺達の心配をしてるのか?」

「お前じゃない!アインスとノインが心配なんだ!」

「へいへい……」

「ランダース、だからと言ってやらない訳にはいかないだろう。皆の先陣に立つ。それが俺達零番隊だ」

「だからって……」

「心配するな。俺達はやられ……なに!?」


話しの途中でアインスの言葉が途切れた。

暫くして「……了解」とインカムに向かって呟く。

それを見てツヴァイとノイン、アムが呆れた顔を浮かべた。

マッケンジー連隊長から至急戻って来いとの要請があったのだ。


「行くぞ……」


四倍の兵力で何やってんだか。

その言葉を飲み込み、零番隊は進路を変えるのだった。







「何隻だ!?」


騒然とする『パッタイ』のブリッジでバカラが叫んだ。

気は進まねぇけど、やるしかねぇか……。

回頭を終えた『アイリッシュ』を見てバカラが腹を決めた時、後方5キロに爆炎が六つ上がったのだ。


威嚇射撃。


それは『アイリッシュ』以外のランドシップが接近している事を意味した。


「木々が邪魔して視認出来ませんが、おそらく一隻だと思われます」

「司令、どうします?」


ベンソンが尋ねる。

戦うにしろ、逃げるにしろ、直ぐに手を打たないとどちらも手遅れになる。


「二対一だ。逃げろ」

「よろしいので?」

「一発目を外した時点で流れはあっちに傾いちまった。これ以上ここにいても良いことねぇだろ。クラックガーデンは、まぁ……諦めるしかねぇな」

「分かりました。では撤収で……」

「おう」

「面舵30!『アイリッシュ』を威嚇しながら撤退する!後退信号を上げろ!」







「シュバルツ・ランチェーーーッ!!」

「痛てぇ!」


マッケンジーが悲鳴を上げる。

肘から先にビリッと痛みが走り、長剣が溢れ落ちた。

カレンの攻撃を受け損ね、右手が光る槍先に触れてしまったのだ。


「くそ、零番隊はまだか!?何やってんだ!!」


マッケンジーが距離を取りながら叫ぶ。

周囲に味方は誰もいない。


始めは楽勝だと思った。

何せ四対一の戦力差だったのだ。

だが、いざ戦闘を始めてみるとその思いはどこかに吹っ飛んだ。

敵のASの機動力に、味方のASが付いて行けないのだ。

剣で斬り掛かればスルリとかわす。

銃で狙おうとすればクンッと旋回して視界から消える。

その消えた敵を求めて動きを止めれば、他のASに背後から攻撃される。

包囲して殲滅するどころか、そんな敵を追って味方は散り散り。

気付けばマッケンジーの周囲には数機しか残っていなかった。

その味方も皆、あの光る槍に殺られてしまった。


「貰ったぁあああ!!」

「ひっ!?」


反射的にマッケンジーが顔面を庇った。

そのがら空きの腹にカレンが槍が迫る。直後、


「ーーーッ!?」


カレンが仰け反りながら急制動を掛けた。

目の前を弾丸が掠めたのだ。

そのままスラスターを吹かせて一気に後退する。

マッケンジーから引き離すように銃弾が次々と襲ってきたのだ。


「零番隊……」


距離を取ったカレンが油断なく槍を構える。

グレーのASを纏った男が三人、さっきの連隊長と思しき男を守るように周囲を固めたのだ。


「何、遊んでたんだ!!」

「連隊長、後退を……」


顔を見るなり罵るマッケンジーを無視してアインスが促す。

するとマッケンジーが訳が分からないといった顔で首を傾げた。


「後退……? 何で?」

「此処に来る途中、接近するAS隊が見えました。クラックガーデン攻撃隊が戻ってきたのでしょう。間もなく到着します」


「何だと!?ちょ、ちょっと待ってろ!」


それを聞いてマッケンジーが顔色を変えた。

そして慌ててインカムに手を添える。

いくら敵の増援が接近しているとはいえ、やられっぱなしで逃げ帰る訳にはいかなかった。それでは全責任が自分に降り掛かる。

だがら司令の命令で仕方なく後退した。そんな形を取っておきたかったのだ。

その時、


ドドンッ!……パラパラパラ……。


大空に高々と信号弾が上がった。


「後退信号……?」


マッケンジーが呟く。そしてその顔が見る見る歓喜に変わった。

これぞ天の助け。


「後退するぞ!全機、俺に続け!零番隊は殿だ!」


喜色を露にしたマッケンジーがくるりと向きを変えて飛び去る。

それを見届けたアインス達はカレンを一瞥し、それから何もせず、黙って飛び去って行った。

カレンがホッとした表情で構えを解く。

正直、見逃して貰えて助かった。

零番隊三人を相手にしていたら瞬殺は確実だったからだ。


「カレン隊長!」


自分を呼ぶ声に振り向けば、味方が続々とカレンの周囲に集まって来ていた。

さっきの会話が確かなら、味方のAS隊も間もなく到着する。

これで取り敢えずの危急は去った。……なら!


「お前達は先に帰還してて!」

「隊長!?」


驚く部下達を横目にカレンが身を翻して飛び去る。

逃げ行く敵を……碧いASを追って。







「ランダース、上だッ!!」

「なにっ!?」


それは完全な不意打ちだった。

殿を行く零番隊。

敵のランドシップの視界から逃れるように低空で飛行していたのが仇になった。

森を抜けた瞬間、死角になっていた上空から黒いASが飛び掛かって来たのだ。


「アム!やっぱりアムだ!!」


喜色を浮かべ、涙を流しながら抱きつく藍色の髪の女。

その手から逃れようとアムが身を捩る。


「放せ!誰がアムだ!私の名前は、チャームライト……ランダースだ!!」


ごんッ!!

「きゃあ!?」


アムがカレンのおでこに頭突きを咬ます。

そして怯んだ隙に拘束から抜け出し、その腹に思いきり蹴りを入れた。

堪らず吹き飛び、地面に盛大に叩き付けられるカレン。


「いった……」


頭を左右に振りながら身を起こす。

そして、ハッ!と息を飲んだ。

起き上がったカレンの鳩尾に、アムが狙撃銃の銃口をピタリと向けていたのだ。


「ア……アム?」


「さっきも言ったが、私の名前はチャームライト・ランダースだ」

「アム、私を……覚えてないの?」

「知るか。ワービーストに知り合いなんかいない。死ね!!」


そう吐き捨てながら、アムがごりっと銃口を押し付けた。

すがるように手を伸ばした、カレンの鳩尾に。

そして、躊躇なくその引き金を引い……


〈ダメーーーーーーッ!!!〉

「ーーーッ!?」



ドンッ!!



辺りに銃声が響き渡った。

トサッ……と音を立て、目の前の女の腕が地面に落ちた。


「……ア……ム…………」


虚ろな瞳で自分を見上げる女。

その女の瞼がゆっくりと閉じた。

それを見た瞬間、突然キーンと耳鳴りがした。


思考が纏まらない。

頭が真っ白になる。

私は今……なにを?


「終わったか?」


霞の掛かったような視界の中、アインスの声が遠くに聞こえた。


終わった?

なにが?


「終わったなら戻るぞ、ランダース」


再び声がした。

アインスが呼んでる。

なら……行かなきゃ。

なにが終わったのか分からないけど……行かなきゃ……。

そう思って踵を返す。

目の前に、不思議な顔をしたアインスが立っていた。


「……泣いてるのか?」

「泣いてる……? 私が?」


アインスに指摘され、そっと自分の頬に触れた。

指先にはさっきの女の返り血と、そして確かに涙がついていた。


「知り合いだったのか?」


アインスが尋ねてきた。

途端にドキリとし、同時に意識がはっきりしてきた。


「私にワービーストの知り合いなんかいない!これは返り血が目に入っただけだ!」


何が気に入らなかったのだろう。

とにかく不機嫌丸出しで怒鳴っていた。

そして、まだ何か言いた気なアインスを残し、振り返りもせず無言で飛び立った。

まるで悪戯がバレて逃げ出す子供のように。

一刻も早く、その場から逃げ出すように……。







「カレンは?」


廊下の壁に寄り掛かり、腕を組んで黙り込むリーディアにシンが尋ねた。


「脇腹に一発。弾は抜けてるし、命に別状はないってさ。でもま、重症だけど。それより……」

「アムの事か?」


リーディアがうんと頷く。


「私は入れ替わりだったんで会ったことないけど……」

「今、ブリッジで映像を見てきた。確かにアムだ。薬物でも使ってるのか、顔中の血管が浮き出てたがな」

「……そうなんだ」


それっきりリーディアが黙り込む。

アムって娘と面識はないが、皆の大切な仲間だった。

特にシンとは恋人のような関係だったと人伝に聞いていた為、なんと声を掛ければ良いのか分からなかったのだ。


無言で佇む二人。

暫くそうしていると、病室の扉がスーッと開いた。


「隊長……」


顔を出したアレンが小声でシンを呼ぶ。

目を覚ましたカレンが、シンと話がしたいと言い出したのだ。

小さく頷いたシンがアレンと入れ替わりに病室に入る。


「シングレア隊長……」


するとカレンが蚊の鳴くような声で手を伸ばしてきた

その手をそっと握る。


「傷に障る。じっとしてろ」


そう言ってカレンの手をベッドに戻し、優しく布団を掛けてやった。


「……アムだった」

暫くすると、カレンがポツリと呟いた。


「でも、私の事……覚えてなかった」

「……そうか」


それで合点がいった。

でなければ、アムがカレンに怪我を負わせる訳がない。


「シングレア隊長……私、死んでない」

「当たり前だ。脇腹を撃たれただけだ。死んでたまるか」

「違う。本当は死んでた。でも死ななかった。アムが助けてくれたから」

「アムが……?」

「最初は鳩尾に銃口を当ててた。でも、引き金を引く瞬間……銃口を逸らした。きっと、心のどこかに記憶が残ってる証拠」

「…………」

「意識を失う時、確かに見た。アム……泣いてた」

「泣いてた……?」

「うん。……お願い、シングレア隊長。アムを助けて……でないと……でないと、私……」


カレンの言葉が途切れる。

まだアムが行方不明になった時の事を……アムを置いて逃げた事を気にしているのだろう。

カレンが声を殺して泣き始めた。

そのカレンの涙をそっと拭う。

そっと頬を撫でる。


「アムは必ず連れ戻す。だから待ってろ」

「……うん。待ってる」


カレンが微笑みながらコクンと頷いた。




病室を出たシンが驚いた顔で周りを見渡した。

アクミがいた。

いや、アクミだけではない。

春麗がいた。

大牙もいた。

シャングにギル、獣兵衛に次狼、レオにフィーア、夏袁にパンチに燕迅、飛影の姿まである。

きっとひめ子が連絡したのだろう。そこには見知った顔がいくつもいた。

勿論、リーディアにアレンの姿もある。

皆、既にアムの事は知っているのだろう。思い詰めた顔でシンを見ていた。皆、シンの言葉を待っているのだ。

シンがアクミの顔を見る。

アクミがコクンと頷いた。


「アムを連れ戻す。みんな、手を貸してくれ」

「「おう!!」」







「どうでした? 司令」


執務室に籠り、ヴィンランドと今後の事についての協議をしていたバカラがブリッジに戻ると、早速ベンソンが尋ねてきた。


「取り敢えず、情報の収集に努めろだとよ」


そう答えながら司令官専用の椅子に腰かける。そして右手をひょいと上げた。

コーヒー持ってこいの合図だ。


「クラックガーデンはもう落ちました。敵の規模も把握してます。これ以上何を収集しろと?」


駆け出す部下を横目にベンソンが苦笑いを浮かべる。

昨日の戦闘から丸一日。

『アイリッシュ』と『グリッツ』に続いて『インジェラ』まで到着した事により、クラックガーデンは陥落、完全に敵の勢力圏となった。

対して、此方は護衛艦の一隻すら増援がない。

まぁ、南部戦線に次ぐ戦闘であり、ヴィンランドの防衛を考えると、出したくても出せないのが実情なのだろうが。

やはり、西部遠征隊が『パッタイ』を残して全滅したのが大きい。


「まさか私等を囮に足止めして、そこに核を撃ち込む……なんて事はありませんよね?」

「南に続いて北もってか?向こう40年、ヴィンランドから一歩も出ねぇ覚悟があんならやるかもな」

「それじゃあ……」

「先ずねぇよ。安心しろ。上もそこまでバカじゃねぇ。それより見つかってねぇだろうな?」


差し出されたコーヒーを一口飲んでバカラが尋ねる。


「半径10キロ圏内をASが常に哨戒してます。観測気球も確認されてませんので、そこはご安心を」


ベンソンが自信を持って答えた。



だがこの時、遠く『パッタイ』を睨み付ける男達がいたのを二人は知る由もない。

それはASの哨戒網を越えて侵入した燕迅とパンチだった。







アム……アム……。


暗闇の中、誰かが誰かを呼んでいる。


アムって、誰だろ……?


口に出してからブルッと震えた。

ここは妙に寒い。

自らの両手で自分を抱きしめ目を瞑る。

私は一人ぼっちだ。


寒い……。


ここは夢の中。

なんとなくそれは分かった。

でも、あの人がいない。

いつも温かく抱きしめてくれる、あの人がいない。

きっと……私が悪い子だからだ。


なにやったの?

自分の声がする。


……分からない。

自分が答える。


でも、いけない事した。

そんな感覚はあった。

だから……一人ぼっちになっちゃったんだと。


遠くで笑い声が聞こえた。

たくさんの人の笑い声が。

楽しそうに笑う、みんなの声が……。


そっと目を開ける。

すると、私に気づいたみんなが一人、また一人と暗闇に消えていった。


待って、行かないで!


泣きながら叫んだ。

仲間外れにされた子供のように。

それでも消えていく。

私を残して、みんな消えていく。

涙で目が霞んだ。


なんでよ……。


悲しくて俯いた。


なんで私……一人ぼっちなの……?


涙が頬を溢れ落ちる。

心が潰れそうなくらい苦しい。

このまま……消えて無くなっちゃえばいいのに……。


そう思った瞬間、ぎゅっと誰かに抱き締められた。

ううん、誰かじゃない。

この温もりはあの人だ。

あの人の胸に顔を埋める。

泣き顔を擦り付けるように埋める。

あの人は何も言わず、私を抱き締めてくれた。

消えてしまいそうな心を、両手で掬って暖めるように。

私の髪を優しく撫でてくれた。

ひび割れた心を優しく取り繕うように。


でも分かる。

顔を見なくても分かる。

あの人……笑ってない。

きっと、悲しそうな顔してる。


あの人がすっと私を引き離す。

ううん、やっぱり離れたのは私の方から?

あの人が消えていく。

いつもみたいに消えていく。


やだ!!


悲しくて……寂しくて……切なくて……涙がボロボロ溢れた。


待って! 置いてかないで! 私も連れてってよ! お願い、一緒にいたいの! もう一人にしないで! ◯△!!




瞼を開くと飲み掛けのドリンクが目に入った。

どうやらテーブルに突っ伏して寝ていたらしい。


「いっつ……」


いつもの筋肉痛を圧して、ゆっくりと身体を起こす。


「すぅ……はぁ……」


大きく息を吸い、ゆっくりと吐き出した。

身体が少しずつ覚醒していく。

そうしてから頬に溢れた涙を拭った。


「また……あの夢か……」


椅子に座ったまま膝を抱えて踞る。

また涙が溢れてきた。


「会いたい……」


記憶を消されたせいで名前も思い出せない。

顔の記憶もない。

どんな声だったかも分からない。

でも会いたい。

会って、ぎゅっと抱き締めてもらいたい。

その胸に顔を埋めたい。


アム!!

「ーーーッ!?」


突然、女の声が頭に響いた。

昨日の戦闘以来、ずっとこうだ。

あのワービーストの女の声が耳の奥にまとわりついて離れないのだ。

お陰でこの寝不足だった。


「何がアムだ!!」


だんだん自分に腹が立ってきた。

ワービーストの戯言に心を乱され、寝不足になるなんて、ほんとどうかしてる。


「だ、だいたい、私の名前のどこにアムがつくってのよ!」


文句を垂れながらドリンクを手に取り一口啜る。


「まったく……私は名前はチャームライトだっ……ての……」


口に出してハッと気づく。


〈チャ……アム……?〉



ガンッ!!



「おうおう、荒れてるな。生理か?」


ツヴァイが顔をしかめる。

何か吠えていたと思ったら、突然壁に物を叩き付けたような音が響いてきたのだ。


「帰ってからずっと不機嫌だよね。何かあったの?」

「さぁな……」


ノインの質問にアインスが曖昧に答える。

アムが泣いていた事は二人には伏せてあった。

特に理由はない。

ただ、何となく秘密にしておいてやろう。そう思ったのだ。


「ところでアインス」

「なんだ?」

「敵のAS……どう思う?」


昨日の戦闘後、緊急ミーティングが開かれた。

未帰還者は21名。

実に半数近くがやられた訳だ。

その時流れた映像。

それを見て誰もが言葉を失った。

此方とは比べ物にならない程の機動性と強力な武器。

連隊長の下手な指示を差っ引いても味方が4対1で圧倒される訳だった。


「対ASに特化してるな。かなり早い時期から準備してたんだろう」

「僕達でも食らうと一撃なのかな?」

「さあな。今度やって、感想聞かせてくれ」

「やだよ」


ツヴァイの冗談にノインが笑って答える。その時、


〃ビーーーッ! ビーーーッ!〃


突然、艦内に警報音が鳴り響いた。

ガタッと腰を浮かせたアインス達がアナウンスに耳を傾ける。


『第二次警戒ラインに接近する艦影あり。総員第一種戦闘配置!繰り返す、第二次警戒ラインに……』


バタンッ!


慌ただしく扉が開き、アムが顔を出した。

それを見てアインスがふっと笑う。

悩みはどうあれ、いつものアムに戻っていたのだ。


「行くぞ!」


掛け声と共に駆け出すアインスに、全員が一斉に続いた。







「『パッタイ』を確認。情報通りです」

「これより作戦を開始する。総員、第一種戦闘配置!対艦戦、用意!」

「了解!総員、第一種戦闘配置!AS及びサイクロン隊、発進準備!」

「出来れば『パッタイ』の足を止めて戦場を固定する。行くわよ!」





「艦識照合、『アイリッシュ』です。急速接近中」

「一隻だけ? 哨戒中でしょうか?」

「んな訳あるか!見つかってんに決まってんだろ!船を出せ!」


バカラの指示で艦内に警報が鳴り響き、『パッタイ』が始動する。


「発進したら加速しながら取り舵だ!撃ってくんぞ!森と窪地を選んで、身を隠しながら逃げろ!」

「いきなり逃げるんですので?」

「ここで戦う意味なんかねぇだろ!急げ!」

「あッ!? 『アイリッシュ』よりAS隊の発進を確認!」


それを聞いてバカラが「ちっ……」と舌打ちを漏らした。

こっちにその気はなくても、向こうは違うらしい。


「マッケンジー!護衛に一個中隊残して全部出せ!編成は任せる!」

『101、了解!』







「各機、密集隊形! 作戦通り、私等は敵を突破したら右に引き離すんで、そこんとこよろしこ!」

『『了解!』』

「ギルちゃん、アレンちゃん、そっちお願いねん!」

『分かってる』

『了解』

「そんじゃあ、行くよ!!」


自らの第二中隊の他に、カレンの第四中隊をも指揮下に収めたリーディアがニヤリと笑った。





「ねぇ……何で連隊長が留守番してるんだろうね?」


昨日の戦闘で懲りたとは言え、マッケンジー自らが『パッタイ』に残ったのを見てノインが首を傾げた。


「仕事が忙しいんだろ」

「戦いよりも大事な仕事?……何だろ?」

「職印押しだ」

「なるほど。そりゃ戦いどころじゃないね」


ツヴァイとノインが呆れながら冗談を言い合う。その時、


『501より各機』


突然インカムから流れた通信に二人が冗談を収めて耳を澄ます。指揮を任された第五中隊隊長からだったのだ。


『敵は二手に分かれて進行中だ。よって、此方も二手に別れる。第七中隊は俺と左だ』

『701、了解』

『601、第八中隊と一緒に右へ掛かれ』

『了解』

『空中戦では分が悪いが、それを嘆いても始まらない。とにかく足を止めないでいこう。当たらなければどうということはない。零番隊、乱戦になるからお前達は自由に動いてくれ。その方が良いだろう』

「了解した」


『行くぞ!』


隊長の掛け声と共に部隊が一斉に左右に分かれる。

零番隊はその中央にポツンと残された形になった。


「話の分かる指揮官で助かるが……さて、どうする?」

「あれをやる」


アインスがクイッと顎をしゃくる。

今まで敵のAS隊に隠れていて分からなかったが、戦闘バイクを主体とした小部隊が、AS隊を囮にするかのように真っ直ぐ突っ込んで来るのが見えた。

恐らくここを抜けて、一気に『パッタイ』へ向かうつもりなのだろう。


「戦闘バイクか!? 足は速そうだな」

「高度を下げろ。ミサイルが厄介そうだ」

「「了解」」


アインスに続いてツヴァイが、そしてノインとアムが急降下し地表に沿って前進する。

その目の前には森が広がっていた。





「た、隊長!?あれって……」


第五、第七中隊の面々が驚愕の表情を浮かべた。

真っ直ぐ向かって来る敵の先頭に、見慣れた黒いASを纏った、赤いツインテの女がいたのだ。


「嘘だろ……」

「特攻隊長……?」

「おい!リーディア隊長が突っ込んで来るぞ!!」


元『パッタイ』のエース、只でさえ強いリーディアが、あの機動性を得ている?

そう思うだけで全員の戦意が急速に衰えた。


「散開だ!!」


リーディアの進路にポッカリと穴が開く。

そこを密集隊形の『アイリッシュ』隊が、なんの反撃も受けずに突き抜けて行った。


「えっ!? 何で!?」


リーディアが驚いた顔で後ろを振り返る。敵が付いて来ないのだ。

普通なら『パッタイ』にAS隊が向かわないよう、慌てて追尾する筈だ。

なのに一機も反転して来ない。

これでは「『パッタイ』? どうぞご自由に……」と言ってるようなものだ。

本来であれば、これ幸いと『パッタイ』に向かうところだが、今回はシンとアムが二人きりになる機会を作るのが目的だ。

その為にAS隊を分断して引き離し、交戦区域を広げて二人の邪魔をしないようにする。

それがリーディア達AS隊に与えられた役割だったので、これでは非常に困った事になる。


「顔見知り……なんですよね?」

「リーディア隊長の武勇が知られてるから……」

「それで怖がって追いかけて来ないんじゃないですか?」

「明らかに怯えてましたしね」


「ナンテコッター!!」


リーディアが頭を抱えて悶絶する。

訓練でいい気になって苛めるんじゃなかった!

と、昔を顧みて後悔するが後の祭りだった。


「どうします?」

部下の一人が尋ねる。

するとリーディアは敵のAS隊をビシッ!と指差した。


「しかたない、全機Uターン!!ぐちゃぐちゃにしちゃえ!!」


あっちが来ないなら、こっちから行ってやれ。

要はシンちゃん達に構う暇を与えなければいいんでしょ?

そう開き直ったリーディアを先頭に、AS隊が再び敵に突撃して行った。





「来るぞ!!」


アインスが叫ぶ。

直後、森から飛び出したアクミ、春麗、次狼のサイクロンからガトリング砲が放たれた。


「いきなりか!!」


アインスとノインが右に、ツヴァイとアムが左に銃弾を回避する。

その空いた空間を三人のサイクロンが脇目もくれずに突き抜けて行った。


「月白ッ!?」


その突破した戦闘バイクを見てアムが目を見開いた。

先頭を行くバイクの後ろに、白いASが一機掴まっていたのだ。


見間違える筈がない。

記憶を戻し、罪を帳消しにし、自分のせいで捕まっている大切な人を釈放してくれる為の絶対条件。

何度も夢見た敵、シングレア・ロンド。



「行け、ランダース!碧瑠璃なら!!」



ツヴァイが叫びながら剣を抜き地を蹴る。

滑るように接近したシャングが斬り掛かってきたのだ。

それを受け、そのまま斬撃を交わしながら二人は空中に飛び上がると森の上へと戦場を移してしまった。


「アインスは!?」


アムがチラリと見ると、アインスは既に獣化の一人と剣を交えていた。

ノインの姿はない。

レオの後ろに乗ったフィーアがハーケンで絡め取り、この場から離脱していたのだ。



「行け!お前の敵だろう!ここは任せろ!!」



アインスの言葉に背中を押され、アムがキッと逃げ去ったバイクを睨む。

上手く分断された感はあるが、それが何だ。あいつ等は零番隊だ。


「頼む!」


碧瑠璃が光り、背中にF型用の大型スラスターが現れた。

そのまま地を蹴り飛び上がると、アムはスラスターを全開にして月白を追うのだった。





「先生……ほんとにアムちゃんです……」


追尾して来る碧瑠璃を見て、アクミの頬を涙がポロリと溢れ落ちた。

やっぱり生きてた。

よかった……その喜びとともに、なんであっちにいる?なんで自分達の側にいない?

その残酷で皮肉な現実が、無性に悲しかったのだ。

シンがアクミの頭をポンと撫でる。

するとアクミはその手を取り、自分の頬に当てて頬擦りした。


「先生……アムちゃんをお願いしますね」

「任せろ」


言葉と共に月白がサイクロンから飛び降りる。

そのままスラスターを吹かせて浮き上がると、シンはアムを誘うように飛び去って行った。

それをアムの碧瑠璃が一直線に追いかける。

アクミの不安を余所に、やがて二人のASは森の向こうへと消えて行った。







鋼鉄製の棍をトンと肩に担いだ男を見て、アインスがスッと両目を細めた。

ただ者でないのは最初の一合で分かったが、なんと北淋の孫夏袁だったのだ。

しかもその横にはもう一人、槍を無造作に構えた男がいる。


「悪いな、二対一でよ」

「気にすんな。戦いに卑怯も糞もねぇだろ」


すまなそうな顔の大牙と獰猛に笑う夏袁。

それを見て、アインスが油断なく、腰を落として両手の小剣を構えた。







「そんな!?」


足に絡まったワイヤーを断ち切ったノインが驚愕の表情を浮かべる。

バイクから飛び降りた黄色いAS。

それを纏っていたのが、死んだ筈のフィーアだったのだ。


「フィーア……本当にフィーアなの?」

「久しぶり……ノイン……」







「くっ!?」


ツヴァイの斬撃を受けたシャングがスラスターを使って距離を取る。その目には焦りが滲み出ていた。

ツヴァイを足止めするのがシャングの役目だが、正直、腕の差は歴然だった。


「腕はそこそこみたいだが……相手が悪かったな」


刀を肩に担いだツヴァイが一足跳びに距離を詰め真っ向から斬り下ろす。

速く、そして重い一撃。

シャングはそれを渾身の力でもって受けたが、受けるのが精一杯だった。


「そら!」


無防備になったシャングの脇腹にツヴァイの蹴りが炸裂する。


「ぐッ!?」


咄嗟に反応し辛うじて肘で受けはしたものの、そのまま吹き飛ばされてしまった。


「死ね!!」


そこにツヴァイの刃が再び迫る。

シャングはまだ体勢を崩したままだ。

シャングの首を斬り飛ばす。そんな未来をツヴァイが垣間見た刹那……、



ガキンッ!!



突如、割って入った影がツヴァイの刃を易々と受け止めた。

それどころか、ツヴァイの刀を力任せに押し返すではないか。


「ーーーッ!?」


危険を察知したツヴァイが慌てて距離を取ると同時に胸元を刀が一閃した。

引くのが遅れていたら手傷を負っていただろう。

ツヴァイが乱入者を睨み付ける。

獣化した猿族の男を。


「飛影……」

「出過ぎだ、シャング。三人で掛かる手筈だろう」

「すまん」


起き上がったシャングが剣を構えながらツヴァイの右手に移動する。

それを見てツヴァイが「ちっ……」と舌打ちしながら腰を落とした。

いつの間にかシャング、飛影、そして獣兵衛の三人に取り囲まれていたのだ。







「会いたかったぞ!シングレア・ロンド!!」


くるっと振り向いたシン目掛け、アムが直ぐさま狙撃銃の引き金を引いた。

威嚇ではない。何故ならヘッドショットだったのだ。

それをスッと交わして再び逃げる。



「よせ、アム!」

「その名で呼ぶな!私はチャームライトだ!!」

「俺だ!本当に分からないのか!?」

「知ってるとも、シングレア・ロンド!私の敵だ!!」

「違う!俺は……」

「違わない!!」



まさか反撃する訳にもいかず、シンが訴えるように叫ぶが、アムはまったく聞く耳を持たない。

それどころか、ドンッ!ドンッ!ドンッ!と続けざまに三発放ってきた。

だが月白を捕らえる事は出来ない。動きが速いもあるが、シンがアムの呼吸を把握しているからだ。



「ぴょんぴょんぴょんぴょん、ウサギか!!」



これでは埒が明かないと判断したアムが左手に小銃を呼び出した。

そして、タタタッ!タタタッ!と威嚇しながら下へ下へと追い詰める。眼下には森が広がっていた。



「そこだ!!」



小銃を放り捨てたアムが狙撃銃を構える。

動きを制限されたシンが左に進路を変えたのだ。

その行く手を遮るように一発。

続けてシンの頭部目掛けて二発と、続けざまに発砲した。だが、



「避けた!?」



目の前を銃弾に遮られたシンが、その場でくるっとターンした。

それはまるで、二発目が来るのが分かっていたかのような動きだった。

再び加速したシンが森へと逃げ込む。



「逃がすか!」



それを見たアムの手から狙撃銃が消え、今度は二丁の散弾銃が現れた。

それを握り締めてシンを追いかける。

ガサガサッ!と木々を揺らしながら森に飛び込んだアムがスッと目を細めた。

光が遮られ、思いの外薄暗かったのだ。


〈どこだ……?〉


ホバリングしながらじっと周りの気配を探る。

シンの姿はどこにも見えない。


〈……見失ったか?〉


ここに留まっていても仕様がない。仕方なく当たりをつけて追おうとした矢先……突然、頭上でカサッと葉の擦れる音がした。



「上かッ!?」



右腕を振り上げ様、狙いも定めずに散弾銃を放つ。

だが、遅かった。

着地したシンに両手を掴まれ、そのまま足を掛けられ組伏せられてしまう。


「放せ!?」


アムがシンの下から抜け出そうと必死に身を捩るが、両手を押さえ付けられてはそれも叶わなかった。



「アム、落ち着け」

「うるさい、放せ!私はお前を殺す!殺すんだ!そして未来を手に入れる!!」

「未来?……何の事だ?」

「お前を殺せば私の犯した罪が消える!失った記憶と、私の大事な人を返して貰える!そう約束したんだ!!」



噛みつきそうな勢いでアムが睨む。

それを見てシンの胸がズキンと締め付けられた。

捕まってから何をされたのかは分からないが、こんなになってしまったアムが憐れで、そして無性に悲しかったのだ。



「……アム、お前は……」

「うるさい!!」



アムが叫びながら背中のスラスターを強引に吹かした。

土煙が舞いアムの身体が浮き上がる。シンの拘束が緩む。



「アムッ!?」

ドンッ!!



シンの下から抜け出したアムが左手に持った散弾銃の引き金を引いた。

それを地を蹴り、後方に跳んでかわす。


〈……ダメか〉


アムは騙されてる。

いや、完全にそうだと思い込まされている。

だがアムの記憶が無い以上、それを証明する手段がなかった。

ならば仕方がない。

シンの両手が光り二本のサーベルが現れた。

それを見てアムが速射性の高い小銃を両手に呼び出す。



「悪いが、気絶させても連れ帰る」

言葉と共にシンが腰を沈める。



「やれるもんなら、やってみろ!」

先手必勝とばかりアムが二丁の小銃の引き金を引いた。だが、


「速いッ!?」


銃弾が殺到するより早くシンが地を蹴った。

スラスターにブーストを効かせて一気に左前方に跳ぶ。

それを追い掛けるようにアムが銃弾を叩き込むが、直ぐさま地を蹴り反対側に跳んだ。


「くッ!?」


狙いが追い付かない。

銃口を向ける度に地を蹴り銃弾をかわす。

それならと先読みして着地の瞬間を狙おうとすれば、くるりと宙返りして器用に弾丸をやり過ごし、再び地を蹴り一気に前に跳ぶ。



〈すれ違い様にサーベルか……なら振り抜く瞬間に叩き込む!!〉



覚悟を決めたアムが腰を落として身構えた。

そのアムの目の前で、真っ直ぐ突っ込んで来た月白が突然視界から消えた。



「こっち!!」

「なに!?」



アムの死角に回り込んだ筈のシンに、アムがピタリと銃口を向けた。

直後、


タタタッ!!


シンの胸元を弾丸が掠める。

慌てて右足を引き、寸でのところでターンしてかわしたのだ。

そのまま裏拳を叩き込む要領で右手を振り抜こうとしたシンが再び驚愕の表情を浮かべた。

即座に反応したアムも、同じようにターンして避けながら銃口を向けたのだ。


タタタッ!!


再び銃声が響き渡る。

だが、シンの胸元に銃弾が吸い込まれる事はなかった。

シンがアムの握った小銃を、サーベルの柄で咄嗟に叩いたのだ。


完璧なタイミングを外されたからだろうか?アムが呆気に取られている。


その隙にシンは地を蹴り、距離を取って身構えた。

アムも追撃しては来ない。



『癖があるのよ』



あの日……雪原での模擬戦の後、楽しそうに「ふふん」と笑ったアムの言葉が思い出される。


〈カレンの言うように、まったく記憶を失ってる訳ではなさそうだな……〉


そのアムの顔をじっと見る。

顔中の血管が浮き出たアムの顔を。


今の攻防ではっきりした。

アムは反応速度を上げる薬を飲んでいる。あの顔はその影響だろう。

でなければ、慣れてるとは言えシンの動きにあそこまで対応出来ないだろう。


〈一筋縄ではいかないか……〉


だからといってアムを連れ帰るのを諦める訳にはいかない。

覚悟を決めたシンが再び腰を落とした。




一方、アムは、


〈なんで……右に行くって分かったんだ……?〉


心中首を傾げていた。







「被害状況を報告しろ!」


『パッタイ』のブリッジにベンソンの慌ただしい声が響く。

正確無比な敵の砲撃を右に左にと避けながら何とか森の影に逃げ込んだ瞬間、ブリッジ後方を一発の砲弾が掠めたのだ。

先日の戦いでも感じていたが、正面を向き合うと分かる。『アイリッシュ』の砲手はバケモノだった。

何せ森の影に入って気を抜き、回避行動を取らなくなった途端にこれなのだ。


「左舷第一パネル破損!発電効率40%減!」


その報告を聞いてバカラが「ちっ……」と舌打ちを漏らす。


「長引くとまじぃな……」


ブリッジに当たらなかったのはラッキーだが、パネルを撃ち抜かれたのはまずかった。

このままでは夜の警戒に支障を来す。

敵の勢力圏でそれは致命的だった。

とは言え、退きたくても退けないのが現状だ。

『アイリッシュ』に後ろを見せた途端に撃沈されるのがオチだろう。その時、



『『ラフティー』より『パッタイ』へ、援護する。そのまま後退せよ』



突然、味方からと思われる通信がブリッジに飛び込んできた。



〈『ラフティー』……?『ラフティー』って言やぁ、確か……〉



バカラが目を細める。

するとブリッジ上部のモニターに見慣れた男が映し出された。

その顔を見てバカラがからかうようにふんと笑う。



「援護とは、まぁ……ずいぶんと上から目線じゃねぇか、パンナボール司令殿?」

『強がりはよせ。苦戦してるのだろう?ここは素直に退いたらどうだ?』

「いや、それがよ……退きてぇのは山々なんだが、ヴィンランドから情報を収集しろとの、ありがたーいお達しがあんだよ」



それを聞いてパンナボールが眉をひそめた。

この期に及んで情報収集……?

おそらくルーファス辺りの命令だろうが……今さら意味のない事を……。

呆れるように小さく溜め息をついたパンナボールがモニター越しにバカラを見た。そして、


『お前らしくもないな。そんなの無視すればいいだろう』


と、真面目な顔で命令無視とも取れる発言をした。

バカラが驚いた顔でパンナボールを見上げる。

が、それも一瞬。直ぐ様いつものふてぶてしい表情に戻った。


「へっ……どうしたんだ? 船乗りに戻って血が荒ぶったか?」

『……そうかも知れんな』


にやりと笑うバカラに、パンナボールも笑って答えた。

確かに以前の自分からは考えられない言動だったのだ。

だが、その返答がバカラには受けたようだった。

ははは……と楽しそうに笑ったのだ。



「よし、そんじゃお言葉に甘えて逃げるとすんか。ベンソン!」



バカラが笑いながら後退の指示を出す。

『パッタイ』が進路を変える。

新手の接近を知って、これ以上は危険だと判断したのだろう。

『アイリッシュ』も特に追撃する事なく、『パッタイ』から離れるように進路を変えるのだった。







その頃、シンとアムの戦いは森の中から空の上へと移っていた。


「なんでよ……」


アムがポツンと呟く。

頭部を狙った弾丸を、シンが事も無げにブレードストッパーで弾いた。

そのままスラスターを吹かして一気に距離を詰めて来る。


〈……なんで〉


後退しながら二発、三発と撃つが、右に左にブーストを掛けながら華麗に避けられた。


〈なんで……〉


アムが狙撃銃を放り捨てて小剣を呼び出す。

それを握り締め、シンに向かって鋭く斬り付けた。

が、サッと身を引きかわされる。


〈……裏拳〉


シンがくるっとターンした。

サーベルを握ったままの拳が迫る。

かわせないから抱き付くようにタックルした。

レモンのような香りが一瞬鼻につく。

それを振り払うように引き離し、離れ際に刀を一閃させた。


〈逸らされる……〉


案の定、下から跳ね上げられた。

そのまま突いてくる。

それを相手と同じように身を引きながら避けて……振り向き様に突き返す。

端から見れば、それは息の合った二人が激しいダンスを踊っているかのようだった。


〈なんで……〉


アムが再び問い掛ける。

斬っては避け、避けては斬り付ける。

何度も何度も。

その度に胸が疼く。

まるでいけない事をしてるような感覚。

なのに妙に懐かしく、どこか楽し気な感覚。


〈なんでこんなに心地良いのよ……あいつは敵なのに……殺さなきゃいけない敵なのに……〉


鍔迫り合いになった時、相手の男と目が合った。

まるで哀しむような瞳。

それを見た瞬間、アムの胸がズキンと痛んだ。



「なんなのよ!!」



アムが叫びながらぐっと腕に力を込めた。

その反動を利用して後退する。

距離を取ったアムが剣を振りかぶった。

そして心のモヤモヤを叩き斬るかのように一気に距離を詰め、真っ向から降り下ろす。



ガツッ!!

「ーーーッ!?」



右手が動かない。

シンが左手のサーベルをひょいと放り捨て、刀身を無造作に受け止めたのだ。


「あ……」


シンの腕からツーッと血が滴る。

それを見た瞬間、アムの眼から涙が溢れ、瞬く間に頬を零れ落ちた。



「もう止めよう……」

「うるさい、うるさい、うるさい!!なんなんだお前は!!」

「アム、お前は騙されてる。後悔する前に帰ってこい」

「後悔なんかあるか!私はこうするしかないんだ!!」

「じゃあ、なんで泣いてるんだ?」



「知るか!勝手に出るんだからしょうがないだろう!これ以上私を苦しめないで!私の大事な人を返して!もう一人ぼっちはやなの!!」



ボロボロと涙を流しながらアムが刀を手放し再び距離を取る。

そして、新たに剣を呼び出した。


〈俺は何やってんだ……〉


泣きじゃくるアムを見てシンの胸が締め付けられるように痛んだ。


〈あんなに泣いてるのに……あんなに苦しんでるのに……気絶させても連れ帰る?……バカか、俺は……〉



アムが剣を刺突に構え、スラスターを吹かして一直線に向かって来る。

シンが右手に持ったサーベルをもひょいと放り捨てた。

そして両手を広げる。


「あ……!?」


直後、アムの剣がシンの腹に深々と突き刺さった。


「な……なんで……?」


ポタポタとアムの手を伝って暖かい血が滴り落ちる。


「あ、あんた……どういうつもきゃあ!?」


アムが突然悲鳴を上げた。

シンがアムの身体を思いきり抱き締めたのだ。


「何をする!? 離せ!!」

「離さん……」

「ふざけるな!いいから離せ!」

「断る。もう二度と……お前は離さん」


アムが身を捩る。

その度に剣がこじられ激痛が走り抜けたが、シンはアムを抱く腕を緩めなかった。それどころか益々強く抱き締めた。



「本当は分かってたんだ。……あの時、アムを引き留めなかったあの時から……」

「な、何を言って……」



その時、二人を包み込むように風が舞った。

アムの頬を……そして髪を優しく風が撫でていく。

そして、この感覚には覚えがあった。


あの夢。


私を置いて行っちゃう……一人暗闇に取り残されちゃう……あの夢。

そうだ。あの夢もこんな感じで……。


ありがと、もう大丈夫……。

私が笑いながらスッと身を離す。


嘘だ!本当は離れたくなかったんだ!

ずっと抱いてて欲しかったんだ!

止めて欲しかったんだ!!

行くなって……言って欲しかったのに……。



「行くな!!」

「あ……!?」



息ができないほど胸が締め付けられる。

ドキドキと心臓が高鳴る。

言って欲しかった言葉……ずっと夢見た言葉……。

それを今……敵である男が口にしたのだ。



「あの時……このたった一言が言えなかったばっかりに、死ぬほど後悔した。あんなのはもう沢山だ。だから二度と離さん。どこにも行くな……アム」



シンがアムの頭を抱き寄せ、優しく撫でた。

敵なのに……殺さなきゃいけない敵のに……。

心とは裏腹にアムが寄り掛かるようにシンの胸に顔を埋める。

途端に柑橘系のような良い香りに包まれた。


「あ……!?」


その香りを胸いっぱい吸い込んだ時、突然アムの記憶が繋がった。

みんなの顔が浮かび上がる。

暖かかった頃の記憶が次々と湧き出してくる。


アクミがいた。

ひめ子がいた。

大牙にレオ、次狼に獣兵衛がいた。

春麗にシャング、サナにチカに李媛、族長や夏袁もいる。そして…、


〈バカだな……〉


アムがシンの背中に腕を回してぎゅっと力を込めた。


〈何で忘れてたんだろ……?〉


アムが震えながらシンを見上げる。

ボロボロと涙を流しながら。



「シン……」

「……はは……お帰り、アム」



シンが優しく微笑みながらアムの涙を拭う。

アムの頬をそっと撫でる。


「あっ……!?」


そのシンの手がするりと離れた。

ASが光の粒子となって消えていく。

意識を失ったシンが真っ逆さまになって落ちていく。



「いやぁああああーーーーーー!!!!!」



血相を変えたアムが慌ててシンに飛びついた。

そのまま大地に降り立ち、剣を抜き取ってそっと地面に横たえる。シンは目を覚まさない。


「なんで、なんで……」


アムが碧瑠璃の格納リストを必死に漁るが、本来あるべき筈の救急キットがない。

きっと自暴自棄になっていたからだろう。


「なんでないのよ!!」


ASを緊急解除したアムがシンの傷口を必死に押さえ付けるが出血は止まらない。

見る見る指の間から溢れ出していく。



「いや!止まって!止まってよ!! お願い、止まって!! シンが……シンが死んじゃうよぉ!! お願い、止まってぇ!!」



涙をボロボロ流しながら必死に傷口を押さえるアム。視界が涙で霞む。その時、



「アムッ!!」



自分を呼ぶ声に振り向けば、春麗がサイクロンから飛び降りたところだった。

そのままシンに駆け寄る。


「春ちゃん……」

「記憶が戻ったか。そのまま押さえておれ。今、手当てする」


救急キットを呼び出した春麗がシンのスーツを力任せに引き千切った。

シンの腹部が露になる。

指五本がそのまま入りそうな傷がぽっかりと口を開けていた。

そこにガーゼを押し込み圧迫するが、それは直ぐに真っ赤に染まった。


「いかんな。『アイリッシュ』!!聞こえとるか?妾じゃ!!」


春麗がインカムに怒鳴り付ける。

すると『こちら『アイリッシュ』』と、直ぐ様返事が返った。


「妾の位置は分かるな? シンが重症じゃ!直ぐにミレーを寄越せ!輸血の準備も忘れるな!!」

『りょ、了解!!』


慌ただしく通信を終えた春麗が再びシンの傷口を押さえる。

その時、突然アムがふらりと立ち上がった。

そのまま虚ろな瞳でよろよろと後退る。



「シンが……シンが死んじゃう……」

「シンは死なん!!」

「そうだ……私、カレンも……カレンも……殺しちゃったんだ……」

「落ち着け、アム!!」



「私……私……うあぁあああああああああーーーーーーッ!!!!」



アムが頭を抱えて泣き叫ぶ。

両目を見開き、涙を流しながら、指を頬にくい込ませて狂ったように泣き叫ぶ。

愛する人……そして大切な友人をも手に掛けた事実に、アムの心が悲鳴を上げていた。半狂乱と言ってもいい。

そのアムが不意に泣き止んだ。

見かねた春麗の拳がアムの鳩尾にめり込んだのだ。


「……春……ちゃん……」

「お主は悪い夢を見ていただけじゃ。少し眠っておれ」


春麗が優しく語りかけるとアムがガクンと崩れ落ちた。

それを支え、そっと地面に寝かせてやる。



「春ッ!!」



再びシンの傷口を押さえようと春麗が立ち上がった時、上空からシャングが降りてきた。

それを見た春麗が喜色を浮かべる。


「シャング、いい所に来た!」

「シンが重症だって!? それにランダースも……?」

「説明はあとじゃ!アムを頼む!!」


言うなり春麗がシンを担ぎ上げた。

そのままサイクロンに跨がる。


「春、シンなら俺が!」

「サイクロンのが早い。先に行くぞ!!」


シャングの制止も聞かず春麗のサイクロンが一気に加速した。

ミレーの乗った輸送機と合流する為、まっしぐらに平原を突き進む。


「ミレーは出たか。約五分……ギリギリじゃの……」


輸送機の位置を確認した春麗がチラリとシンを伺った。

春麗の肩に項垂れるようにして眠るシンの顔色は血の気がなく、生気が全く感じられない。


「……シンよ、死ぬでないぞ。でないと……アムが憐れすぎるわい」


眠り続けるシンに春麗は静かに語りかけるのだった。







「AS隊の収容、完了しました」


戦闘区域を脱した『パッタイ』のブリッジ。

隣を並走する僚艦の『ラフティー』をバカラが物珍し気に眺めていると、管制官がそう報告してきた。


「損害は?」

「未帰還者11名です……」

『ラフティー』から視線を戻したバカラがベンソンに尋ねると、ベンソンが重苦しく告げた。

それを聞いたバカラが小さく溜め息を漏らす。

昨日と合わせて32人。

たった二日、合わせて一時間にも満たない戦闘で、実に三分の一のASを失った訳だ。それも恐らくは一方的に。

ヴィンランドに帰ったら、ASは全部F型に換装させんか。

バカラがそんな事を考えていると、ベンソンがまだ此方を見ていた。

それも何だか言い辛そうな顔で。


「あん? まだ何かあんのか?」

「その……実は零番隊のランダースが……帰還しないそうです……」

「あいつが……?おい、シグナルはどうなってる?」

「ちょ、ちょっと待って下さい……」


ひょいと首だけ曲げて尋ねるバカラの態度に不機嫌な空気を感じた解析官が慌ただしくコンソールを叩き始める。


「へ、碧瑠璃のシグナル、十分程前に途絶えてます。それと……途絶えるまでの数分間、殆どその場から動いていません。恐らくは……」


そこで解析官の言葉が途切れた。

その場を動かないと言う事は、動かない、或いは動けない理由がある筈だった。と、なると……。


「やられちまったか……」


バカラはそう呟くと、肘掛けに頬杖を突いて前方に視線を移してしまった。

ベンソンも特に答える事なく、同じように前方を見据える。

そのまま暫く無言の時が流れた。

その沈黙を破ったのはバカラの囁くような呟きだった。


「あと……」

「は……?」

「あと二、三年もすりゃ……良い女になったんだけどな……」

「そうですな……」


それっきり二人は黙り込んでしまった。

バカラとベンソンの沈黙により、ブリッジには暫し重苦しい空気が立ち込めるのだった。







『そうか、シンは重症か……』

「はい」


『アイリッシュ』の執務室。

シャングが沈痛な面持ちで頷いた。

モニターにはクラックガーデン郊外に野戦陣を敷いたスフィンクスが映し出されている。


「どうします、族長?シン一人を欠いてもヴィンランド攻撃に支障はありません。此方は何時でも……」


と、そこまでシャングが話した時、スフィンクスが不意に笑った。

それもシャングをからかうような顔で。


『……シャングよ、支障がないという顔ではないな。シンの代わりを勤める者が顔に出過ぎでは兵が不安になるぞ?』


指摘されたシャングが一瞬キョトンとする。

次いで思いつめたような顔から一転、ふっと苦笑いを浮かべた。


「……すいません、シンにも言われました。お前は顔に出過ぎだと。注意します」

『うむ、それが良い。それでヴィンランド攻略じゃが……とりあえず、一ヶ月の準備期間としよう』

「準備……?」

『実は冬袁殿と連絡が取れてな』

「無事だったんですか!?」


シャングが身を乗り出して尋ねる。

西寧府に核が落ちて以来、ずっと安否が分からなかったので春麗共々心配していたのだ。


『街を離れていたのが幸いしたようじゃ。尤も、例のウイルスにやられて寝込んでいたそうじゃがな』

「それでも無事なんですね?春も喜びます」

『後で伝えてやるが良い。後宮の奥にいた母上も無事だそうじゃ。城も街も大半が焼けたそうじゃがの』

「はい」

『それでその冬袁殿じゃが、休む間もなく東に向かった。他の街の被害状況を調べ、生活が立ち行くようにし、そして生き残った者達を結集する為にの』

「どれくらい残ったんです?」

『それはまだ分からん。が、二万は居るだろう。そこでじゃ、儂等は北淋軍と共にワクチンを持ってそちらに合流しようと思う』

「南へ?」

『北からはランドシップが攻める。となれば、儂等歩兵は邪魔になるだけじゃしの。此方にはレオとヒョーマ殿の部隊を残す』

「なるほど、それで一ヶ月ですか」

『そうじゃ。それだけあればシンも復活するじゃろう』

「そうですね」


スフィンクスとシャングが揃って笑う。

シンは居なくても……とシャングは言ったが、正直シンはキングバルト軍に……いや、シャング達ランドシップを主体とした機動部隊にとっては欠かせない人間だった。

冷静沈着で頭の回転が早く、勇敢で面倒見も良く人となりもいい。

そんな部隊のカリスマ的存在であるシンを欠いての進撃では、シャングも心中不安だったのだ。


『そう言う訳で儂は直ぐに発つ。シンの見舞いには行けんが、よろしく伝えておいてくれい』

「分かりました。では……」

『うむ』







灯りを落とした薄暗い通路。

後部デッキへと続く人気のないそこで、アムが掌に乗せた例の強化薬をじっと見つめていた。


「……シン……ごめんね」


ポツリと呟いたアムが強化薬をぐっと握り締める。

そして外へと向かう階段に向けて一歩目を踏み出した時、



「その薬はもう使うなって、ミレー先生に言われませんでしたか?」


突然、アクミに声を掛けられた。



「アクちゃん……」

「部屋に居ないから探しちゃいましたよ。それで?そんナニ思い詰めた顔でどこに行くんです?」

「決まってる。あいつ等を殺す。私の記憶を奪って……弄んで……おかげで私は……私は…………」


そこでアムの言葉が途切れた。

俯いてじっと足元を見ている。

まるでアクミの視線から逃れるように……。


「でも先生の意識が戻った時、アムちゃんがいないと先生悲しみますよ?」


その一言でアムの肩がピクンと小さく震えた。


……シン。

大好きなシン。

私だってシンの側にいたい。でも……。


アムは悲しそうな目で微笑むと、小さく首を横に振った。



「……私、もうあそこに居る資格がない……」

「ナニ言ってんですか、そんな事ありませんよ」

「だって私……シンだけじゃない……カレンまで……」

「大丈夫ですよ。私も一緒に謝りますから。……ね?」


「ダメ! 違うの! 許せないの! 私が!……私、自身が!!」


声を張り上げてアムが自分を責める。

そのアムの顔が突然くしゃっと歪んだ。

目から溢れだした涙がポロポロと床に零れ落ちる。



「どうしよう、アクちゃん……私、取り返しのつかない事しちゃった…………」



両手で顔を覆い、肩を震わせながら声を殺して泣き始める。


シンに会いたい。

会って思いっきり甘えたい。

でもそれは出来ない。出来る訳がない。

一命を取り留めたとはいえ、シンを殺そうとした女にそんな資格はなかった。

だからシンには会わず、このまま『アイリッシュ』を飛び出して『パッタイ』に戻り、気を見てヴィンランドで暴れてやろうと思ったのだ。


そんな思い詰めたアムにアクミがツカツカと歩み寄った。

そしてその肩をガシッ!と掴む。

驚いたアムの肩がビクンと震えた。


「私が許します!!」


「アクちゃん……?」

顔を上げたアムがすがるようにアクミを見た。


「私だけじゃありません!先生も、カレンちゃんも許します!これは絶対です!だってアムちゃん悪くないですもん!」

「でも……」

「ナニを迷うんです。アムちゃんの居場所はここです!ここ以外にありえません!それとも、やっと帰って来れたのに、また行っちゃうんですか? アムちゃんはそれで良いんですか?」

「良い訳ないよ!私だって……私だってみんなと一緒に居たい……」

「なら悩む事ないじゃないですか?……ね?」


そう言ってアクミがアムをそっと抱き締めた。



「これからはずっと一緒です。アムちゃん……」

「うわぁあああーーーーーーッ!!」



突然、堰を切ったようにアムが大声で泣き始めた。

アクミに抱き付きながらわんわんと泣きじゃくる。

そのアムの髪を優しく撫でながら、アクミの両目も涙で溢れていた。


「お帰りなさい……アムちゃん……」







「ここ……どこだ……?」


薄暗い室内。

シンが目覚めた時、そこには知らない天井が広がっていた。

その天井を遮り、アムがすっと顔を覗かせた。

両目に一杯の涙を浮かべながら……。


「良かった……」


アムの顔がくしゃっと歪み涙が零れ落ちる。

シンの顔にポタポタと零れ落ちる……。


「はは……アムだ……」


シンが嬉しそうに笑った。

夢じゃない。

目の前にアムがいる。

それが嬉しかったのだ。

そのシンの笑顔を見た瞬間、堪え切れなくなったアムがシンの頭をぎゅっと抱き締めた。


「ごめんね、シン……ごめんね…………」


嗚咽を漏らしながらアムがシンに謝罪する。

そのアムの髪をシンが優しく撫でた。


「気にするな。それよりカレンは?」

「さっき……謝ってきた……」

「そうか。ならもう、全部元通りだ。ほら……泣いてないでアムの顔を良く見せてくれ」


「……うん」


目を真っ赤にさせながらアムが微笑む。

シンが許してくれた。

やっと帰って来れたんだ。

その思いがアムを初めて笑顔にした。

シンが腕を伸ばしてアムの頬を撫でる。

その手に自らの掌を重ねてアムが愛しそうに頬擦りした。


「シン……」

「なんだ……?」

「会いたかった……」

「俺もだ。もうどこにも行くな、アム。お前がいないと俺は……」

「うん……もう絶対離れない……」


小さく返事をしたアムがシンにゆっくりと覆い被さってくる。

シンがアムの頭をそっと引き寄せた。

二人の影がひとつに重なる。


「……ん」


アムが小さく鳴いた。シンが舌を入れてきたのだ。

それを受け入れ、アムが舌を絡める。

くちゃくちゃと音を立てて二人の舌が絡み合う。

まるでキスを通じて互いの存在を確かめ合うかのように。


「ん……んんっ……」


暫くすると、アムがシンの胸にそっと手を添え、逃れるように身を捩った。

シンがいつまでも離してくれなかったので息が出来なかったのだ。


「はぁ……」


身体を起こしたアムが大きく深呼吸する。

そして自らの唇にチョンと人差し指を当てると、はにかみながら微笑んだ。


「因みにね……」

「うん……?」

「私の……ファーストキス……」

「俺もだ」

「うそ!」


アムが即座に否定した。

シンが昔、アクミに散々キスされたのを知ってたからだ。すると、


「少なくとも……自分からキスしたのはこれが初めてだ……」


と、シンが困ったように笑った。

その顔が可笑しくてアムもクスッと笑う。



「ふふ……じゃあ、そういうことにしといてあげる……」

「頼むよ……」



シンの胸にそっと手を置いたアムの顔がゆっくりと近づく。

二人の影が再び重なる。

今度は離れる事はなかった。

いつまでも……いつまでも……。

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