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見知らぬ空へ  作者: たじま
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序章3、和解

シンがリカレスの街でアクミとひめ子との共同生活を始めて、早四ヶ月余りが経過していた。

時は十月。

日増しに山の木々は紅く、黄色く色付き始め、リカレスの街にも秋が訪れようとしていた。

そんなリカレスから南西に100キロ余りの山間の道を二百人程の兵士達が粛々と行軍していた。

その後方2キロには五百人余りの本隊が続く。


猿族の強行偵察軍。


猿族にとっては春に北淋を勢力圏に治めてから三回目の遠征だった。

北淋占領戦の際、北淋の住民を避難させる為にかなり大掛かりな部隊、それも一種族ではなく雑多な部族による混成部隊が出張って来た。

数の多い猿族相手に一歩も引かず互角以上の戦いを演じた謎の部隊。

他の種族を見ると血が騒ぎ、殺意が沸き、殺せずにおれないワービースト特有の感染症に部族ごと掛かっている猿族にしてみたら頭が狂ってるとしか思えない連中。

それがどこから来たのか?

奴等の拠点は何処なのか?

それを突き止め根絶やしにしない限りは北淋の安全は確保出来ない。

猿族側はそう考えていた。


とは言え北淋から先は未踏の地。

故に地理情報は全くない。

よって、この大掛かりな強行偵察軍となる訳だった。要は地図を作成しながら進軍しているのだ。


その猿族の兵士達が突然ざわめき立った。

左手の山が陰になっていて前が見えないが、前軍で何かあったのだろう。部隊を預かる隊長の煉鳴が右手を上げて行軍を停めた。


「煉鳴様、前軍から連絡です! 突然敵の奇襲を受け現在交戦中!その数、三百!!」

「来たか。前軍に連絡。慌てず、防戦しながら右手の山まで後退。そのまま踏み留まり、本隊が攻撃を仕掛けたら反撃に転じよ。以上だ」

「はっ!」

「行くぞ!全軍、駆けろ!」

「「おう!」」




侵攻する猿族に攻撃を仕掛けたのは虎鉄の率いる部隊だった。

だが所詮は三百人程度の小部隊。

始めこそ猿族に打撃を与えて押し込んだものの押し切れず、守勢に回られた所に増援が現れると結局は多勢に無勢。支え切れずに総崩れしてしまった。

それを追って猿族の部隊が追い討ちを掛ける。

最早、隊として固まって反撃する事も出来ず、虎鉄の部隊はバラバラになって遮二無二逃げるが、猿族の追撃も執拗だった。

追い付かれた味方が一人、また一人と討たれていく。

そんな状態で1キロも追撃した頃だろうか?

煉鳴が追撃終了の命令を出そうとしたまさにその時、左右の草むらや木々の間から突然喚声が上がった。

思わず足を止めた猿族の兵士達が周りを見回してギクリとする。

まるで周りの草木が全て敵になったのかと錯覚する程の敵の軍勢に囲まれていたのだ。

誘い込まれた。

そう気付いた時には、もう手遅れだった。


「撃てい!!」


スフィンクスの号令が木霊した。

銃の一斉射撃が起き、銃弾を受けた猿族の兵士達がバタバタと倒れる。


「斬り込め!!」


更に右往左往する兵士達の集団に、ラルゴ達獣化隊が先頭に立って斬り込んだものだから猿族は完全にパニックに陥った。

分隊長らしき者がなにか怒鳴っているがその声は届かない。

それどころか突撃して来たラルゴに真っ先に斬り伏せられた。

それを見て更にパニックが増大していく。

実はスフィンクスの部隊とて少数なのだ。しかし一度恐怖に駆られると正常な判断等出来るものではなかった。

仲間を見捨て、周りを見渡し、攻撃の隙間を縫って何とか包囲を脱出しようと試みる兵士達。

実際、数の上で完全包囲等できない関係でちらほらと包囲を脱する兵士達もいた。そして何とか一塊になって反撃しようと踏み留まる。

だがその時、再び喚声が上がった。

いつの間に回り込んでいたのか、先ほど壊走した虎鉄の部隊が行く手を阻むように横合いから斬り込んで来たのだ。

これが決定打になった。

恐怖に駆られた猿族は後ろも振り返らずに雪崩を打って壊走して行った。



この戦いにはシンも参加していた。

もっとも今回も、その前も、その前の時も直接戦闘には参加してない。

虎鉄を始めとしたワービースト達の反感もあり、シンは常にスフィンクスの側に侍っているだけだった。

虎鉄にとってはそれすらも気に入らないようだったが……。


「スフィンクス様、虎鉄殿より伝令。敵を一気に殲滅させる為、獣化隊を含んだ本隊にも追撃願うとの事です。いかがしましょう?」

「ふむ、良かろう。ラルゴ、獣化を三名残して虎鉄殿の応援をせい。一般兵は百も居ればいい」

「スフィンクス様、それでは本陣が手薄に……」

「ここから見ても分かる。確かに今が攻め時じゃ。儂はあの丘に本陣を移して待つ。心配せずに早く行けい」

「はっ!」


スフィンクスに諭されたラルゴが本隊を率いて立ち去る。

それを見届けてからスフィンクスは残った兵士を率いて本陣に決めた丘を目指して移動を始めた。

そこは300メートル程先にある切り立った山から延びた小高い丘だった。

確かに見張らしも良く、本陣を据えるには最適だろう。

だがそれは敵から見ても本陣の在りかが一目で分かるのだ。

シンはそこが妙に引っ掛かった。


「族長、獣化した人間ならこんな山でも短時間で駆け降りる事は可能ですか?」

「うん?」


シンに質問されスフィンクスが左手に聳える切り立った山を見上げた。

まるでここから山ですと主張するように、なだらかだった地面から突然急角度で天に向かって伸びる斜面。

その斜面には歴史を刻んだ大木が所狭しと根を張っていた。


「さすがに駆け降りるのは無理かもしれんが、木の根を伝うように跳ぶようにすれば……」


そこまで言ってシンの言わんとしている事を理解したスフィンクスがシンを振り返った。


「まさかここを?」

「分かりません。ですが警戒して損はないでしょう」


シンはそう言うと右手に小さなバズーカのような物を呼び出し、山の頂上目掛けてポンッ!と撃ち込んだ。


「それは?」

「ただの人感センサーです。あまり持ち合わせが無い上、使い捨てなのがネックですが……」


シンはそう答えながらも二つ、三つと山の頂きに向けて次々と撃ち込んだ。

そしてそれが終わると目の前にマップを呼び出し、センサーの設置状況を確認する。


「来ると思うか?」

「今回で三回目の侵攻。こちらの手の内もそろそろ分かってきた筈なのに、嫌にあっさり引いたような気がします。まるで族長から本隊を引き剥がすように」

「ふむ。しかしシンよ。実際に反撃を受け多数の死人を出したのだぞ?あれも演技だと?」

「俺の知ってる猿族は狡猾です。実際、南部戦線では一般兵を囮にしてAS隊を引き離され、危うく本隊が殲滅されかけたと言う事例も……」


と、そこまで言い掛けた時だ。

突然『ピーーーッ!』と警告音が鳴り響いて、シンの目の前の空中に赤いアラートメッセージが表示された。

同時に表示されたマップに赤い光点が次々と点灯する。


「敵が来ます。十二人。恐らく獣化かと」


それを聞いて本陣警護の部下達が一斉に色めき立った。


「ふん、ならこっちが本命かの?」

スフィンクスがにやりと自嘲気味に笑った。まんまと敵の策に乗った訳だ。


「だとしたら、油断は出来ませんね」

シンもそれに笑顔で返す。不思議と恐怖心はなかった。


「一般兵は下がっておれ。戦いの邪魔じゃ」

「しかし……」


スフィンクスの言に部隊長が躊躇する。

それでは何の為の護衛か分からない。

ここは無駄死にでも盾になり、少しでも時間を稼ごうと思っていたのだ。


「空に向かって銃の一斉射撃を。それで虎鉄殿とラルゴ殿には通じます」


シンの一言に部隊長がハッとするのと同時、空から屈強な男達が降ってきた。

それを見て固まる隊長を尻目に、シンはその手に呼び出した散弾銃の引き金を引いた。

だが距離が離れていたせいもあり、男達は何事もなかったように着地する。

そしてシンを一瞥してニヤリと笑った。

何かしたのか?

そう言っているようだった。

シンとて今ので致命傷を与えられるとは微塵も思っていない。

ただすぐさま乱戦に突入しないよう、出鼻を挫いてやっただけだった。

これから始まる格闘戦に備え、腰の後ろに挿した二本の短刀を引き抜くシン。


「背中は任せたぞ、シン」

「はい」


我に返った隊長の指示の元、一斉射撃の銃声が響き渡ったのはその時だった。

それを合図に、敵が一斉に飛び掛かってきた。





「ラルゴ様、あれを!」


虎鉄率いる部隊と一丸となって敵を追い落としていた最中に、突然辺りに轟音が響き渡った。

丁度、敵を斬り伏せ終えたラルゴが部下の指さす方を見て顔からサッ血の気を引かせる。


「しまった、本陣を!? 虎鉄殿、ここは頼みます! 私は直ぐに本陣に……」


「儂が行く!いや、行かせてくれい!スフィンクス殿になにかあったら、儂は死んでも死にきれん!!」


「しかし、攻撃の指揮は?」

ラルゴが躊躇するのには訳がある。

虎鉄が率いる兵達は昔からスフィンクスに仕えていた訳ではない。

街を猿族に追われ、一族ごとスフィンクスの元に身を寄せてはいるものの、元を正せば虎鉄の族長時代からの部下なのだ。

その気後れを一瞬で察した虎鉄は、すうっ……と大きく息を吸うと、辺りに響く大音声を上げた。


「聞けい!皆はラルゴ殿の指示に従い、猿共を追い落とせ!儂はスフィンクス殿の元に行く!良いな!!」

「「おうっ!」」


有無を言わさずさっさと指揮権移譲を済ませた虎鉄にラルゴが呆気に取られる。

その隙に「頼むぞ!」とだけ言い残すと、虎鉄は返事も待たずに部下を三人伴い走り去って行った。





スフィンクスとシンは互いに背を合わせて敵を見据えていた。

スフィンクスは無手。シンは左右の手に短刀を握り絞めていた。

対して、こちらを包囲する敵の獣化は七人。

護衛の三人は何も出来ずに真っ先に斬られ地面に倒れ伏していた。

あの出血量では早急に止血をせねば命を落としかねない。

それは分かっているのだが手当てしている余裕などある訳がなかった。


「死ね!」


槍を構えた敵の一人がシンに突き掛かって来た。

避ければ後ろのスフィンクスが串刺しになる。

それが分かっているからシンは自ら前に出た。

右手の短刀を振るって槍の上から打ち叩くと、敵が槍を引くのに合わせて懐に入り込む。

驚いた敵が咄嗟に槍を手放して爪を一閃させるが、その下を潜るように身を沈め、右手に持った短刀を斬り上げた。


「ぎゃ!?」


深々と胸を切り裂かれた敵が短い悲鳴とともに崩れ落ちる。

その頃にはシンは再びスフィンクスと背中を合わせていた。

スフィンクスはスフィンクスで、正面から斬り掛かって来た相手に真っ向から殴り掛かり、相手を吹き飛ばしたところだった。


「ふっ……腕を上げたのう、シン」

「ラルゴ殿にしごかれてますので」


お互いに笑みが溢れる。

相手は獣化とは言え、ラルゴに比べると数段格が劣った。

これに比べたらラルゴの攻撃の方が格段に速く、重い。


「全員、命を棄てよ。一斉に掛かる」

「「おう!」」


残り五人にまで減った猿族の戦士達が死を覚悟した瞬間だった。

ここまで追い込まれたなら、もう敵も味方もない。

例え味方を傷付けようと必ず相手の息の根を止める。

そう決意した目だった。

何故なら、このままおめおめと逃げ帰っても待っているのは味方による制裁だからだ。

どうせ死ぬなら仲間に蔑まれて惨めに死ぬよりも、一人の戦士として誇り高く死にたかった。


「ふむ。その決意……もう少し早ければこちらが危なかったかも知れんの」


スフィンクスが相手のリーダー格らしき男に賛辞を込めて呟いた。

だがもう遅い。

言外にそう言っているようでもあった。

とは言え、スフィンクスとて味方を斬り殺すのも厭わない相手に左右から、しかも同時に斬り掛かられれば必ず隙が出来る。そうなれば無事では済まないだろう。


〈まぁ、その時はその時か。俺が盾になればいい……〉


五人の男達が思い思いの得物を構える。

それを見て、いつでも飛び出せるようシンも腰を落として身構えた。

すると何故か、スフィンクスがその行く手を遮るようにスッと左手を広げた。


「貴様等ぁあああーーーーーーッ! 生かして帰さんぞぉおおおーーーーーーッ!!!」


直後だった。

怒り狂った虎鉄が戦場に飛び込んできたのは。

おそらくスフィンクスは気付いていたのだろう。シンを振り返ってニヤリと笑った。

瞬く間に敵のリーダー格の男を串刺しにした虎鉄は、すぐさま隣の男に突き掛かかる。

残った三人もそれぞれ虎鉄の率いてきた部下達と死闘を始めていた。

もう形勢は決した。

最早敵はスフィンクスに近付く事すら出来ないだろう。

そう判断したシンは倒れ伏した味方の応急措置に取り掛かるのだった。




「申し訳ない、スフィンクス殿! この虎鉄の判断ミスで危険な目に逢わせ申した!」


敵を全て斬り伏せた虎鉄は、スフィンクスの前に来ると開口一番、そう言って頭を垂れた。


「構わん。最終的にラルゴを向かわせたのは儂じゃ」

「はっ。……しかし、まぁ……」

「なんじゃな?」

「獣化の敵を七人も倒すとは、流石はスフィンクス殿ですな」


辺りの死体を見回しながら、虎鉄が感慨深気に呟いた。

自分も二人斬り殺したとは言え、その時には既に互角の人数。

更に相手は余程追い詰められていたのだろう。

新たに現れた虎鉄達に絶望したような顔を見せ、満足に反撃することも出来ずに斬り倒されたのだ。

とても奇襲を掛けた側とは思えない気組みと呆気なさだった。


「ふっ……儂は四人。残りの三人はシンじゃよ」

「なんですと!?」


虎鉄の驚きが余程おかしかったのか、スフィンクスが愉快そうに続けた。


「それだけではない。敵の奇襲を警戒してセンサーを設置したのもシン。お陰で敵の接近を逸早く察知し、迎撃態勢に入れた。更に言えば、本陣の危急を銃の一斉射撃と言う形で知らせるよう指示したのもシンじゃ」


「……あの小僧が?」


ワービーストと一緒になって、ワービーストの怪我人の手当てをしている旧人類の少年。

その後ろ姿を虎鉄は無言で見つめ続けるのだった。







「はっ!?」


リカレスにあるスフィンクスの屋敷で、突然アクミの身体に電気のようなモノが駆け抜けた。


〈今のは……お兄さん?〉


そして無言で壁を……いや、シンのいる西の方角をじっと見つめる。


「どうしたの?アクちゃん」


と、不審に思ったあかりが尋ねる。


「いえ……ナニか今、お兄さんがフラグを立てたような気がしまして……」

「フラグ……?」

「あぁ、いえいえ。こっちの話しです。はい。で? ナニを買ってくれば良いんですか?あかりさん」


誤魔化すように笑ったアクミが再びあかりと向き合い手元を覗き込む。

そこには料理のレシピ本があった。

どうやらチーズケーキを作るのに不足している材料を調べている最中だったらしい。


「グラニュー糖とか薄力粉とかはあるから、クリームチーズと生クリームかな」

「了解です!じゃあ、ちょっくら買い出しに行ってきます。ひめちゃん、レオくん。一緒に行きましょう!」

「うん」

「じゃあ、あかりさん。行ってきますね」

「はぁい。気をつけてね」


レシピ本をパタンと閉じたあかりが笑顔で三人を見送った。





「ねぇ、アクちゃん。どうして急にチーズケーキ作る気になったの?」

「そりゃあ、明日にもお兄さんが帰って来るんですもん。無事をお祝いしてケーキの一つも焼いておかないと。ナンてったってケーキはお祝い事の主役ですからね!」

「そうなんですか?」

「そりゃあ、そうですよ。乾杯するのにケーキ付け一杯って言うでしょ?」

「ああ。なるほ……うん?」

「違うと思うけど……」


等と他愛のない話をしながら三人仲良く坂道を下り、河に突き当たったところで左に折れる。

するとそこには例のアクセサリーを売る屋台が今日も店を出していた。

その店主のおじさんをアクミが忌々し気に睨みつける。

そのただならぬ雰囲気に気付いたレオがひめ子に小声で尋ねた。


「あの……ひめちゃん?アクちゃんどうしたんです?怒ってるみたいですが……」

「ああ。……実はね、前にお兄ちゃんがリボンを買ってくれようとしたんだけど、あのおじさんが意地悪して売ってくれなかったの。たぶんお兄ちゃんがワービーストじゃないから……」

「なんと!あのおじさん、そんな事したんですか!?許せません。なら私から父に話して、お店のおじさんに注意してもらいましょう」

「気持ちは嬉しいですがレオくん、これは私達が売られたケンカです。族長さんの力で解決しちゃったら意味がないんですよ」

「でも……」


右手の拳を強く握り締めたアクミが、決意した眼差しで遠くを見つめた。


「ここは正々堂々……真っ向から……」

「おお、正々堂々!」


人一倍正義感の強い、曲がった事が大嫌いなレオがアクミの一言に瞳を輝かせた。


「……真っ向からおじさんの弱味を握り、這いつくばらせて「買って下さい」と頭を下げさせなければ私の気が済まないんです!」


「……弱味ですか?」


ばばーん!と胸を張るアクミを見てレオが困ったような顔をしていた。


「でも弱味を握るって、どうするの?」

「ふふん。そこはですね、ひめちゃん。先ずはお店の商品を引っ付かんで路地裏に逃げ込むでしょ?」

「もう、そこでアウトじゃない?」

「良いんです。これは作戦ナンですから。で、おじさんが追いかけてきたらシメたもの。後は私がちょろっとスカートの裾を持ち上げて「もう……ゆるして……おじさん……」って涙目で言えば……ほら、犯罪者の出来上がりです。後はその一部始終を動画で録って、こちらに都合の悪い所だけカットしてやれば犯罪現場の証拠映像の出来上がりです。コレをネタに脅しをかければあのおじさん、どんな要求だって飲まざるをえんでしょう。ああっはっはっはっは……」

「それって正々堂々なの?」

「アクちゃん、すんごい悪い顔してますよ?」


呆れた顔のひめ子とレオがじと目でアクミを見ていた。





その後、無事に買い物を済ませた一行は屋敷への帰路に着いていた。

初めは来た道を戻るつもりだったのだが、途中レオの先導で路地裏に道を変えた。なんでも屋敷への近道らしい。

まるで表通りの喧騒が別世界の出来事のように感じる程、路地裏は静かなものだった。

通りの左右には高々と壁が立ち並んでいる。

いや、壁ではなく建物なのだろう。所々に裏口と思われる飾り気のない扉があった。

そんな如何にもと言った感じの路地裏を暫く進むと、如何にもと言った感じの子供達が数人、地面に座り込んで屯していた。

それに気付いたひめ子の足が止まりかけるが、アクミがひめ子の手をぎゅっと握った。

レオはレオで全く臆する事なく歩を緩めない。

向こうもこちらに気付いたのだろう。

全員が全員、ニヤニヤしながらまるで値踏みでもするようにジロジロとこちらを見ている。

何やら「……あいつら」とか「……ああ、あの」と言った話が途切れ途切れ聞こえるがはっきりとは聞き取れない。

触らぬ神に祟りなし。

だからそれを無視して通り過ぎようとしたのが、やはりと言うかお約束と言うか、リーダーらしい黒い房の混じった金髪の少年がひょいと立ち上がりアクミの行く手を妨げるように立ち塞がった。


「おいおい、待てよ。俺達の縄張りに土足で踏み込んでおいて挨拶も無しか?」

「土足もナニも、ここ屋外ですよ。あんたバカですか?」


ソッコーでアクミに切り返され、少年の顔が真っ赤になった。


「うるせぇな。言葉のあやだ!って言うか、俺様にそんな生意気な口利くなんていい度胸してんなお前。ひょっとして俺様が誰だか知らねえのか?」

「知りませんよ。誰です?」


本当は自己紹介がしたかったのだろう。少年がどこか嬉しそうに胸を張った。


「ふっ……知らないなら教えてやろう。俺は……」


その目と鼻の先を、ひめ子の手を引いたアクミがスタスタと無言で通り過ぎて行く。


「うおい!人に名前を尋ねておいてどこ行くつもりだ!」

「いや、急にどうでも良くなりまして……」

「自由過ぎんだろ!」

「はあ?ナニ言ってんです。私は別に、私のしたいようにしてるだけですよ?」

「それが自由過ぎるつってんだ。用もねぇのにわざわざ声を掛ける訳ねぇだろ。ちったぁ俺の話を聞け!」

「まったく、めんどくさいですね……」

「お前、最低だな。もっと周りの人に気を使えって言われんだろ?」

「ナニ言ってんです。私は良く気配りも出来て可愛いいと街でも評判の女ですよ」

「そんな評判、一度も聞いた事ねぇよ」

「そうですか?まぁ、いいです。で?ナニ用です?」

「ふっ、まずは自己紹介からだ。俺の名は……って、おい!どこ行くんだ!」

「いえ、用件話す気無さそうなんで……」

「まずは自己紹介だつってんだろ!」

「別に要りませんよ。微塵も覚える気ありませんから」

「ストレート過ぎんだろ!そこはマナーとして聞いとけ!」

「うっさいですね。もう……」

「お前、そんな我が儘で今までよく……って分かった。言うから。ちゃんと言うから、無言で立ち去ろうとすんな」


再び踵を反したアクミを少年が慌てて止めた。


「では……こほん。俺の名は大牙。最近、この辺りでちっとは有名になった大牙一派の大将だ!」


ばばーん!とドヤ顔で胸を張る少年大牙を見てアクミが固まった。

ひめ子も視線を逸らせて俯いている。心なしか二人ともその頬が赤い。


「ふん、どうやら驚いて口も利けんようだな?」

「えぇ……チャック全開でここまで堂々と自己紹介されると、さすがに哀れで言葉もありませんね」

「なに!?」


アクミに指摘され慌てて股間を覗き込む大牙。確かに全開だった。


「うおい!ちょっと待て、今のは無しだ!お前等も一緒になって笑ってんな!っておい、立ち去るんじゃねえ!」

「一発芸のお披露目の他に、まだナニか用があるんですか?」

「芸じゃねえし、自己紹介しただけでまだ用件言ってねぇだろ!」


このままなし崩し的に立ち去ろうとしたのだが、相手の少年はどうあっても帰さぬ気らしい。

アクミは「はぁ……」と溜め息をつくと、三度大牙の前に立った。


「本来、こんな人前でやるのはルール違反ナンですが仕方ないですね。特別サービスですよ?こっちは忙しい身の上なんです。さっさと悔い改めたらとっとと自殺して速やかに病院で検死を受けて下さいね?」


そう言って天使のように優しく微笑むと、十字を切り、両手を胸の前でそっと握って両目を瞑った。


「懺悔じゃねえ!そもそも悔い改めて自殺するような悪事を働いた覚えはねぇよ!」

「その顔で?」

「顔は関係ねぇだろ!頼むから話を脱線させんな」

「いえ、人の第一印象は大事ですよ?私ナンて、このキュートな顔でナン度得した事か……」

「お前、ホント最低だな。自覚してんのかよ。……だがまぁ、確かに可愛くはあるが……って、そうじゃねぇ!いいから聞け!」

「一人でツッコんでて疲れませんか?」

「うるせえ!とにかく、お前のその態度が気に入らねぇんだよ!」

「はぁ?初対面の私のナニが気に入らないんです?」

「ワービーストのくせに、絶滅危惧種のひ弱な旧人類なんかに飼われやがって。お前にはワービーストの誇りはねぇのか!」


その一言で血相を変えたレオが何か言い掛けるが、それをアクミが無言で制した。

手出しするな。

そう言っていた。

アクミはアクミでシンの事をバカにされて腸が煮えくりかえっていたのだ。

そうとも知らずに大牙と名乗った少年が続ける。


「アイツと縁を切って俺様の手下になれ。お前見所ありそうだ。今なら仲間にしてやる」

「あんた頭腐ってんですか?寝言は寝てから言うもんですよ?」

「その減らず口、益々気に入った。じゃあワービーストらしく勝負で決めようぜ。どっちか勝った方が一つだけ相手を思い通りに出来る。それでどうだ?」

「ふふん、私と勝負ですか?面白いですね。いいでしょう」

「アクちゃん……」

「心配しなくても大丈夫ですよ」


不安気な顔のひめ子がアクミの袖を引っ張るが、アクミは意に介さずに大牙を睨みつけた。


「で?ナンで勝負するんです?」

「お前が決めて良いぜ。俺はこう見えて女には優しいんだ」

「ほほう。じゃあ私が一発殴る。それでも余裕で笑っていられたらそっちの勝ち。その時はナンでも一つだけ言うことを聞きましょう」

「本当だな?」

「男に二言はありません」

「お前女だろうが!」

「ただし、悶絶したら私の勝ちです。お兄さんをバカにしてすみませんでしたと大声で叫びながら、パンツ一丁で街中一周ですよ?」

「ふっ、良いだろう。それで行こうぜ」

「随分と余裕ぶっこいてますが、私のボディブローをその腹に受けても余裕でいられますかね?」

「当然だろ。おいカバジン!」


「……うす」


大牙が声を掛けると、後ろに控えていたガタイの良い少年が進み出た。

とても少年とは思えない大きな身体。それはまるで……、


「カバ人!? ま、まさか……カバのワービースト? 初めて見ました(驚)」

「んな訳あるか!」

「でも、その顔……」

「顔の事は良いんだよ。おい、お前も男のくせに顔の事言われた位でメソメソすんな!とにかく、お前のパンチはこいつが受ける。こいつは俺達の中でも一番のタフガイだ!」


「そんなの卑怯です!」

即座にレオが吠えた。だが、


「あん?俺が受けるなんて一言も言ってねぇだろ。俺は例え遊びでも女に殴られる趣味はねぇんだよ」

と、大牙は歯牙にもかけなかった。


「アクちゃん……」

ひめ子が心配そうに見つめるが、アクミの顔から余裕の表情は消えない。むしろ獰猛に舌嘗めずりすらしている。


「私は別に構いませんよ」


そう言って自信満々にカバジンの前に立つアクミだが、相手の方が頭二つ分程高く、目の前に立つとまさに見上げるようだった。


「本気でイキますよ?心の準備は良いですか?良いですね?」

「……うす」


みんなの見守る中、アクミを睨み付けたままカバジンが両足を開き腰を落とした。

そのカバジンのお腹に左手を当てアクミがスッと右手を引く。

そして捻りを加えて拳を強く握り締めた。


「油断すんな!そいつ獣化するぞ!」

「うす!」


大牙に言われるまでもない。カバジンに油断などなかった。

アクミの細腕をへし折ってやるつもりで、「ふん!」と腹に力を込める。

途端にカバジンの腹筋が膨れ上がった。


「爆ぜろ!リアルに!!」


アクミが叫ぶ。

その瞬間、ニョキ!と猫耳が生えた。


「その身に刻め!轟雷撃チン、大和魂46センチ……砲ッ!!」

ごもゅ!!


「「…………?」」


首を傾げる一同。

もっとこう……筋肉と筋肉のぶつかる、ド派手な音を想像していたのだが、聞こえてきたのは予想に反して低くくぐもったような音だった。

と言うか、今ナニか……あきらかに聞こえてはいけない音がしたような?


見れば固く握ったアクミの拳が、斜め下40度の角度から捻上げるようにしてカバジンにめり込んでいた。

……無防備に開いたその股間に。


「……カ、カバジン?」


大牙が震える手を伸ばしてよろりと一歩踏み出した。

手下達はガチガチと歯の根も合わずにその場で震えている。

やがて勝利を確信したアクミがその腕をスッと引き抜くと、支えを失ったカバジンはガクンと膝を折り、そのままアクミの前に倒れ込んだ。

それはまるで、アクミに土下座して許しを乞っているかのようだった。


「ふん、他愛もない!」

「カバジーーーーーーンッ!」


慌てて駆け寄る大牙と仲間たち。

そっと抱き起こすがカバジンは泡を吹いてピクリとも動かなかった。


「お前、男の股間になにしてくれてんだ!」

「ナニって、……ただのボディブローでしょうが?」

「ボディブローって言ったら普通腹だろ!」

「はぁ?身体のどこを殴ってもボディはボディでしょ?」

「ふざけんな!だいたいお前、さっき「私のボディブローをその腹に受けても……」って言ってたじゃねぇか!」

「は?私が?そんな事言いましたっけ?」

「言ったよ!」

「全く身に覚えがありません。それはいつ?ナン時ナン分ナン十秒?地球がナン周回った時に言いました?」

「知るか!おい、お前等も聞いてたよな?」

「聞いた聞いた!」

「確かに腹を殴るって言ってたぞ!」

「ふーん……ナニかの聞き間違いじゃないですか?ねぇ、ひめちゃん。レオくん?」


「「……え?」」

「え……?」


「……ええと……その……ど、どうだったかな?」

「……わ、私はちょっと……き、聞いてなかったような?……その……すみません……」


アクミの視線に耐えきれず、ひめ子とレオが顔を背けた。

仲間の同意を貰えず、立つ瀬もなく震えるアクミの背中に大牙が憐れむような視線を送る。


「お前と違って、仲間は正直だな……」

「うっさいですね!分かりましたよ。半歩譲って私が言ったとして……」

「一歩も譲ってねぇじゃねえか!」


「油断する方が悪いんですよ!!」


ビシッ!と大牙の鼻先に人指し指を突き付けるアクミに大牙が呆れた表情を浮かべる。


「お前……悪人根性丸出しだな……」

「パンツ丸出しに言われたくありませんよ!」

「うっせえ!」

「こうなったら二人でガチ勝負です!泣いた方が負け!」

「はっ、分かり易くていいや。来い!」


「ハイヤァアアアーーーーーーッ!!」


大牙が同意するや否や、先手必勝とばかりアクミが即座に殴り掛かかる。だが、


「……な!?」


獣化したまま殴り掛かったアクミの右手を大牙は難なく掴んだ。その頭には……。


「なんだ?俺は獣化出来ないとでも思ったのか?」

大牙がニヤリと笑う。


「くっ!放しなさいよ、この!」

「同じ獣化でも女は非力だな。こんなのも振りほどけねぇのかよ?」

「獣耳生やして意気がってんじゃねえですよ。形態制御も満足に出来ない未熟者が!」

「お前もだろうが」

「女は可愛さアップして需要もあるから良いんです……よぉ!?」


反撃に股間を蹴り上げてやろうとしたアクミだったが、逆に軸足を刈られて地面に転ばされてしまった。

すぐさま立ち上がろうとするが、大牙はそうはさせじとアクミの腕を掴んだまま振り回し、後ろの壁に思いきり放り投げる。


「がはっ!」


ドカンッ!と凄い音と共に建物が揺れた。

壁の一部が破壊されレンガがバラバラと崩れ落ちる。

子供とは言え獣化は獣化。

ただの子供のケンカとは次元が違うのだった。


「ほら、早く起きろよ。紳士な俺は待っててやるからよ」

「それはどう……も!」


衝撃で呼吸が止まり、けほけほと咳き込むアクミに余裕の表情を見せる大牙。

その顔面目掛け、拳大のレンガの破片を掴んで投げ付けるが、大牙はひょいと避けてしまった。

避けられたレンガの破片は弾丸並みのスピードで後ろの窓を突き破り、室内を暴れ回った挙げ句に花瓶を砕いて床に転がった。

「はは、惜しかっ……」


「誰だぁ!!」


大牙が嘲笑を浮かべた瞬間、割れた窓から怒声が響き渡った。


「やべ……」


大牙が反射的に後ろを振り返ると、ちょうど怒り狂った家主が顔を出したところだった。


「またお前か、大牙!!」

「違う! 今のは俺じゃ……ってアイツいねぇし!」


後ろを振り向くと、アクミどころか、ひめ子もレオも既にその場に居なかった。

あまりの逃げ足の早さに呆気に取られた手下達が無言で逃げ去った方を指差している。


「このくそガキ、今日と言う今日は許さんぞ!」

「まずい、逃げろ!」


大牙は気絶したままのカバジンを抱え込むと、アクミが逃げたのと反対に向かって走り出した。慌てて手下達も続く。


「待たんかコラ!!」


日頃の行いなのだろう。大牙達が犯人だと決め付けた家主が、扉を開けて大牙達を追い掛けて行った。







「なぁ、ひめ子……。アクミのやつ、いったいどうしたんだ?」


テーブルの向かい側に座ったアクミをチラリと見ながら、シンは隣で食事をしているひめ子に小声で尋ねた。

猿族を撃退し、無事に帰って来たシンとスフィンクスを交えて楽しい食卓を囲んでいる筈なのに、何故かアクミは不機嫌だったのだ。

今も自分で作ったと言うチーズケーキを味わう事なく(ごはんそっちのけで)かっ込んでいる。

こんなに感情を露にするアクミを見るのは初めてだった。


「その……昨日アクちゃんが気に入らないって、街の男の子達が絡んで来て……」

「それでやられたのか?」

「うーん……相手の子に力負けしてたのは確かだけど、特にやられたって感じはなかった筈。途中で家からおじさんが出てきて決着はついてないし……」


と、ひめ子は否定する。

実際、アクミはどこか怪我をした訳でもなく、ただ単に不機嫌なだけなのだ。

だがシンにはアクミの気持ちがどことなく分かる気がした。

アクミはおそらく、そのまま戦っていたら自分が負けていたと分かっているのだろう。

男と女の絶対的な壁。

どうする事も出来ない肉体的な差を痛感したからこそ不機嫌なのだ。

それは旧人類がワービーストに対して抱く感情と同じコンプレックスだった。


「……あのドラ猫、萎んだ梅干しみたいなタマのくせして威張りくさってからに。バールでくり抜いて、ニンニクと一緒に玄関に吊るして道行く人に晒してやりましょうか……」


などとアクミが不穏な事を小声で呟く。


「くり抜くって、お前……物騒な事を言うなよ……」

「タマは男の勲章です。獲ったタマの数だけ男が上がるって言うじゃないですか?」

「タマ違いだし、お前は女だろう?」

「男も女もありません。これはワービーストの戦士としての誇りです!」


どうしても引けない事なのだろう。アクミはじっとシンを見つめた。

スフィンクスもレオも、あかりさえも何も言わずに見守っている。


「誇りか……」

「誇りです」

「それじゃあ、アクミ。俺が格闘術を教えてやろうか?」

「え!? 本当ですか!?」

「ああ。力で劣る俺がラルゴ殿に挑むのと似てる。少しは役に立つだろう。もっとも俺のスタイルは邪道だぞ?」

「構いません!お願いします!」


余程嬉しかったのだろう。

アクミはテーブルに乗り出すとシンの両手をガッチリ掴んで上下に振った。


「えへへ……今日から先生って呼びますね。お兄さん」







「うん?あの子誰だ?」


翌日、アクミとレオの二人を連れ屋敷の庭先に出ると(レオの要望でレオもアクミと一緒に指導を受ける事になった)、広げたシートの上にひめ子と一緒に見知らぬ女の子が座っていた。


「こんにちはぁ、アクちゃ~ん!レオく~ん!」


向こうもこちらに気付いたのか、女の子がにこやかに手を振って挨拶をしている。


「おや、猫々(ねね)ちゃんじゃありませんか」

「猫々ちゃん?」

「おとうさんがIT関連のお仕事してまして。ナンでも通信設備の充実だか新設だかで、時々おとうさんと一緒に族長さんを訪ねて来てるんです」

「ふうん。そう言えば街の南と西に早期警戒の為のシステムを構築するって言ってたな……」


と族長達が話し合っていたのを今更のように思い出すシン。

そうこうしてると猫々がひめ子と一緒になってシンの前に立ち、ペコンと頭を下げた。


「はじめまして~。猫々ですぅ。よろしくお願いします~」

「因みに猫々ちゃん、街でも評判の天才少女です」

「天才だなんて~、ちょっと機械に詳しいだけですよぉ」

「おに……じゃなかった、先生。猫々ちゃんはああ言ってますが鵜呑みにしないで下さいね。ホントの天才ですから……」


と頬に手を当てて照れる猫々を、親指でクイッと指差しながらアクミが小声で囁く。


「はは……機械に詳しいってだけでも俺は尊敬するがな。ああ、聞いてるかもしれないがシングレアだ。よろしく。えっと……猫々って呼んじゃって良いのかな?」

「はい~、構いません~」

「そっか。で?今日はどうしたんだ?」

「おとうさんの打ち合わせがぁ、一日掛かりそうなんですぅ。だからひめちゃんと二人でぇ、見学してようと思いまして~」

「見学って……俺は別に構わんが、見てるだけじゃ暇だろう?何か有ればいいんだが、生憎と暇潰しになるのなんてスフィンクス殿に借りた軍学書とAS整備用のタブレット端末位しかないが……」

「タブレットですか~?それがいいですぅ」

「私もそれでいい」


そう言ってシンからタブレットと軍学書を受け取った二人は特訓の邪魔にならないよう壁際に敷いたシートに移動してちょこんと座った。


「まぁ、本人達が良いって言うから良いか……」


大人しくタブレット操作と読書に耽り出した二人を見てからシンは改めてアクミとレオに向き直る。


「さて、じゃあ始めるか。先ずはアクミ、お前のスタイルでいい。俺に掛かって来い」

「はいです!アクミ、行きまっす!」


言うが早いか、アクミがシンに飛び掛かった。

レオは邪魔にならないよう、慌てて数歩下がる。

一気に間合いに飛び込んだアクミは左右の手でもって交互に殴り掛かった。

それを片手一本で往なすシン。

この辺は獣化しているとは言え所詮は子供。

普段ラルゴと組手をしているシンには威力もなく、動きも単調でまるで止まっているように見えた。

これではダメだと悟ったのだろう。

アクミはその場でくるんと回ると右回し蹴りを放ってきた。

確かに足技は威力もあり多少の身長差も埋めてくれる。

だがターンのキレもなく隙だらけだった。

だからシンは右半身を引いて簡単に蹴りをかわすと、左手を伸ばし、人指し指でアクミのおでこをちょんっと突いた。

それだけでバランスを崩し、こてんっと尻餅を着くアクミ。

それはまるでシンがラルゴと初めて組手をした時のようだった。




「はっきり言えば、お前達はリーチと力の差を埋めようと足に頼り過ぎる。その気持ちは分からんでもないが、それじゃダメなんだ」


一通り組手を終えた後、シンが二人を前に感想を述べた。


「二人とも体重が軽い分、もっと相手の懐深くに踏み込んで、小回りとスピードで勝負するんだ。懐に入れなければ身近な物を使って意表を衝いたりするのも手だな」

「足は使っちゃいけないんですか?」

「そう言う訳じゃない。ただ足技は隙が大きくなる。だから先ずは近接戦闘の基本を身体に叩き込んでからだ。それが出来れば、足なんて相手の隙を見つけた時に勝手に出るよ」

「なるほど。まずは接近戦に馴れろと言う事ですね?」

「良い解答だ。スフィンクス殿も言ってただろ?習うより馴れろって」


そう言ってシンは、つい数ヵ月前の出来事を思い出して笑った。




シンはアクミとレオに、軍で習った型稽古を一通り教えてやると、一人離れてスラスターを使ったターンの練習を始めた。

実は先日、獣化した猿族の兵士と格闘戦を演じた際、スラスターでの姿勢制御に失敗してあわやと言うシーンがあったのだ。


シンはその時の戦いをイメージしながら両手に短刀を握り、スラスターを小刻みに吹かして細かいターンを何度も繰り返した。

だが納得がいかないのだろう。暫くすると立ち止まった。


「どうもターンが安定しないな。なんだ?腕を大きく振り回し過ぎか?」


「あのぉ……スラスターの出力を~上げすぎなんじゃないでしょうかぁ?」


「え……?」


シンが一人悩んでいると思わぬ所から助け舟が出た。

いつの間に近づいたのか、猫々がシンの腰をちょんちょんとつつきながら声を掛けたのだ。


「たぶん瞬発力を上げようとしてるんだと思いますがぁ、出力が高すぎてぇ、上半身が付いて来れずに振り回されてるんだと思います~」

「えっと……そうなのか?」

「はい~。ちょっと下げて見ますね~」


猫々はそう言うとシンが渡したタブレットをススッと操作した。すると、


「ーーーえ?」


なんと、シンの目の前に月白の整備用のウィンドゥが表示されるではないか。

シンが呆気にとられている間に猫々は次々とページを開き、足のスラスター調整画面を呼び出した。そして出力調整バーを変更していく。


「これ位で充分だと思います~。ちょっと試してみて下さい~」

「……あ、ああ」


半信半疑ながらも物は試し。

シンは腰を落として両手の刀を静かに構えた。

そして大きく深呼吸をしてからスラスターを吹かして飛び出す。

右手の刀を振り下ろすと同時にスラスターを使って左足を引き、その場でくるんっと回りながら左手の剣を斬り上げ、更に右手の短刀を突き出した。

シンの動きはそこで終わらず、今度は右足のスラスターを吹かして強引に右半身を引くと、再び右手の剣を突き出し止まる事なくバックする。

そんな目にも止まらぬ動きを何度も繰返すが、そのどれもがキレのある小刻みなターンで姿勢もバッチリ安定していた。


やがて納得がいったのか、感動した顔のシンが猫々の元に戻って来た。


「すごい取り回し易い上に、安定した……」

「えへへ、それは良かったです~」

猫々が嬉しそうに笑った。







数日後。

シン、アクミ、ひめ子の三人は、リカレスの街へとやって来た。

シンにとっては数ヵ月前にアクミのリボンの件で住民に販売を拒否されて以来だった。

リカレスでは旧人類に土地を追われた難民を積極的に受け入れている関係で旧人類に恨みを抱く者も多い。

シンもそれは分かっているので、あまり住民とは積極的に関わらないようにしてきた。

だがこれから冬を向かえるに当たって厚手の衣料が無かった。

今までは暖かい事もあって、多少サイズが合わなくてもラルゴから譲ってもらった衣服で貰げたのだが、冬服になるとそうはいかない。

自分に合ったサイズの下着やズボン、防寒着が必要になる。

それを揃えるのが今回の目的だった。


以前に来た時と同様に屋敷からの坂道を下り河沿いの道を折れ曲がると、そこにはあの時のアクセサリーを売る屋台が今日も店を広げていた。

どうしようか一瞬躊躇する。

するとアクミがシンの手を握り、「行きましょう、先生」と言って、有無を言わさずにシンを引っ張って行った。

店の店主の方も此方に気付いたようで、シン達一行が近付いて来るのを無言で睨みつけている。

アクミはその目に臆する事なく店主の前に立つと、下から見上げるように睨み反した。


「おじさん。リボンを売って下さい!」

「……すまんな嬢ちゃん。今日も店じまいだ……」


店主も後ろめたいとは思っているのだろう。アクミの視線から逃れるようにして答えた。


「おじさん!」

「な、なんだ?」

「おじさんのしている事は、ただの意地悪です!ナンでそんな意地悪するんです!」

「なんでって……」

「この街には色んな種族の人がいます。それなのに、ナンで先生だけに意地悪するんですか、おじさん!」

「……そ、それは」

「それは?」

「……俺の知り合いが、……旧人類に殺されたからだ。……旧人類は全員敵だ……」

「ナンで旧人類ってだけで一括りにするんです。先生はこっちの方に来たのは初めてだって言ってました。だからおじさんの知り合いとは関係ありません。これは絶対です!」

「……いや……それでも……」

「先生は、「同じ人間だから……」そう言って私とひめちゃんを命がけで守ってくれたんですよ?ワービーストである私達をです。それでも先生は敵なんですか?ねぇ、おじさん!」


アクミは段々と感情が昂ってきたのか、その目にはうっすらと涙を浮かべていた。


「お願いですから……」


だがついに堪えきれなくなったのだろう。アクミの頬を一筋の涙が伝う。


「……お願いですから……先生だけ仲間外れにしないで下さい……」

「アクミ、もういい……」


シンがアクミの頭にポンと手を置くと、アクミはくるりと振り返ってシンのお腹に抱き付いた。

その肩が震えているのは声を殺して泣いているのだろう。釣られてひめ子も抱き付く。

シンはアクミとひめ子の頭を優しく撫でながら店主に軽く頭を下げた。


「ご迷惑をお掛けしました。これで失礼します」

「…………」


そう言って泣き続ける二人を伴って踵を反した時、


「待ってくれ!」

突然一人の男が群集から歩み出た。


「あなたは……」

男がシンを見て軽く会釈する。

シンはその男に見覚えがあった。

それはスフィンクスの本陣を警護していた部隊の隊長だったのだ。


「俺は先週の戦いの時、スフィンクス様の本陣警護をしていた。聞いているかもしれないが、その時本陣は猿族の獣化隊に奇襲を受けたんだ。もちろん味方の獣化隊も居た。でもそれは真っ先にやられちまった。正直、俺はもうダメだと思った。見れば分かるだろうが、俺は獣化なんか出来ない。だからスフィンクス様のピンチに見てる事しか出来なかったんだ。でも彼はその時一歩も引かず、スフィンクス様を守り続けた。それだけじゃない。虎鉄様が駆け付けると真っ先に怪我人の所に駆け寄って応急措置をしてくれた。獣化隊の面々が命を拾ったのは彼のお陰だ。その彼に報いたい。お願いだ!せめて……せめてリボンの一つくらい売ってあげてはくれないか?頼む!」


そう言って隊長が店主に向かって頭を下げた。

だがそれでも尚、店主はじっと隊長を見ながら良いとも悪いとも言わず無言を貫いている。

そんな店主に焦れたのだろう。

突然恰幅の良い女性がツカツカと歩み寄り、店主の頭を思い切り叩いた。


「あんた!引っ込み付かなくなってんのは分かるけど、いつまで意地張ってんだい!」

「お、女将さん……」

「いいかい。この子はスフィンクス様の客人。しかもこの娘等だけじゃない。他の人の命も助けたって言うじゃないかい。ならもう立派な仲間だよ。旧人類だって良いのと悪いのがいるんだ。それをなんだい大の大人が!みっともないんだよ。恥を知りな、恥を!」

「分かった。分かったよ女将さん。そう捲し立てるな。俺が悪かったよ」

「分かったんなら、あたしじゃなくて坊や達に謝んな。それが筋ってもんだよ!」

「分かったから、もう叩かないでくれ……」


女性には頭が上がらないのだろう。

頭を抱えた店主がシン達の前へと歩み寄る。


「その……悪かったな。確かに引っ込み付かなくてよ……」

「いえ、気にしてません」

「許してやってくれね。あんた個人に当たってもしょうがないのは分かってんだけど、私等の中には旧人類に仲間を殺されたり土地を追われた者もいてね」

「いえ、それよりありがとうございます。お陰でリボンを買ってやれます」

「はは、気にしなくて良いよ。あたしはこの辺の露店を取り仕切ってる、まぁ……顔役みたいなもんだ。皆からは女将さん女将さんって言われてる。何かあったらあたしんとこおいで」

「はい。あ、俺は……」

「シングレア・ロンドだろ?旧人類の坊やだ。皆気になってはいたんだよ。よろしくね、坊や」


そう言って女性はシンの背中をどんっと叩いた。

容赦のない挨拶に思わず咳き込むシンを住民達が笑顔で見守る。

それは旧人類であるシンが、ワービーストの社会に受け入れられた瞬間だった。


「うぅ……ひめちゃん、良かったですよぉ……」

「はいはい。もう泣かないの、アクちゃん」


感極まったのか、アクミがボロボロと涙を溢しながらひめ子に抱きついている。

そのアクミの頭を撫でるひめ子の両目も、嬉し涙で一杯だった。







北淋。

猿族の首都、西寧府の北に位置する街で、猿族が春にこの北淋を占領して早半年以上が経過していた。

資源目的で侵攻する旧人類が猿族と争いを始めて数十年。

未だ猿族を根絶やしに出来ない旧人類がその矛先を西部に向け始めた事から、その対抗措置として侵略、占領した猿族の重要拠点である。


その北淋統治を一手に担っているのは猿族を治める一族の長子、孫冬袁。

この半年余り内政に外征にと忙しく、休む事なく働き詰めだった冬袁が、執務室の扉を開けて現れた男を見てふっと表情を弛めた。


「子供を前線に連れて来る奴があるか、焔秋」

「子供はないだろう兄貴。夏袁ももう十六だ」

「後ろの春麗を言ってるんだ。なぁ、春麗」

「兄上、お久しぶりです!」


名前を呼ばれたのが嬉しかったのか、春麗と呼ばれた少女が冬袁に駆け寄って抱き付いた。


「焔秋兄上ったら、妾だけ置いてきぼりにしようとしたのです。妾だって兄上に会いたかったのに」


そう言って口を尖らせた春麗が冬袁に不平を漏らした。


「ってな感じで、こいつがどうしても連れてけってせがむんだ」

「まぁ、来てしまったものはしょうがない。但し、この北淋までだぞ、春麗」

「はい。兄上」

「で、どうしたんだ?まさか私の顔を見る為だけに来た訳じゃあるまい?」

「いや、兄貴が手こずってるって聞いた親父殿が、とっとと手伝って終わらせて来いと……」

「別に手こずってる訳じゃない。敵の戦力を分析していただけだ」

「ふうん。で?どうなんだ?」

「獅子族を主体とした混成軍。戦力の規模は然して大きくない。精々千五百ちょっとだな」

「なんだ。じゃあ、別に大したこと……」


「だが強い」


余裕の表情を見せる焔秋を嗜めるように冬袁が告げた。

その顔を見て焔秋が息を飲む。

冬袁のこんな顔を見るのは久しぶりだった。

旧人類相手でも常に余裕の表情を崩さない冬袁が酷く生真面目な顔をしている。

それだけで相手の力量が知れた。

焔秋が気を引き締めたのを見て冬袁がふっと表情を緩める。


「だがまぁ、お前が来たのなら問題ない。せっかくだ、手を貸して貰おうか。出来れば敵を殲滅したい」

「任せとけ。じゃあ明日にでも行くか?」

「そう逸るな。準備に三週間は掛かる」

「おいおい、そんなにかよ。身体が鈍っちまうよ兄貴」

「北淋には良い湯が湧く。ゆっくり浸って鈍った身体を解すんだな」

「益々鈍っちまうよ」


冬袁が笑いながら言うと、焔秋は呆れたように呟いた。







ひめ子はそれを見て固まってしまった。

昼過ぎの物干場。

いつも髪を留めていたリボンをちょっとした不注意で汚してしまい、軽く洗って干しておいたのだが、それが無くなっていたのだ。

風で飛んだのかと辺りをキョロキョロと見回すが見当たらない。

そこでひめ子はふと気付いた。

リボンを干していた場所にリボンと入れ替わるようにぶら下げられたメッセージに。

ひめ子はそれを見て唇を噛むと屋敷を飛び出して行った。




「こんなんで本当に来んのかね?」


野原の岩に座り込みながら、手に持ったリボンを繁々と眺めて大牙がぼやいていた。周りには大牙の手下達も勢揃いしている。


「来ますって。兄貴も見てたでしょ?あの女、あいつにリボン買って貰って超嬉しそうにしてたじゃないですか?」

「まぁ……そうなんだけどよハイエ。ただ俺様としては、物で女を釣るってのがいまいち……」

「だって、あの女と決着付けたいって言ってたの兄貴ですよ?だからおいらが屋敷にサクッと忍び込んで誘き出す段取りしてきたってのに。おいらとしては良くやったって兄貴に褒めてもらいたいくらいですよ?」

「まぁ、感謝はしてるけどよ……」


と、いまいち釈然としない思いで大牙がいると、手下の一人が


「来ましたぜ、兄貴!」


と街の方角を指差した。

だが近付いて来るのがアクミではなく、ひめ子なのに気付いた大牙が顔をしかめる。


「ひめって言ったか?用があるのはお前じゃねぇ。アクミのヤツだ。怪我する前にとっとと帰れ!」


大牙に怒鳴られたひめ子は一瞬ビクッと怖じ気付いたが、引く訳にはいかなかったのだろう。すぐに視線をキッと上げ大牙の手元を指差した。


「それ……私の……」

「あん?」


ひめ子に指差されたリボンを持ち上げて眺める。大牙はそこで初めて気付いた。


「なんだ、これお前のか……」


ハイエの早とちりに呆れた大牙がひめ子に視線を戻してハッとした。

大牙を睨み付けながらもギュッと引き結んだ唇。

そのひめ子の両目には、今にも溢れそうな程の涙が光っていたのだ。


「……返して……お母さんが買ってくれた……たった一つの形見なの……だから、返して……」


「うわぁ!待った待った!!間違えたんだ、返す返す!だから泣くな!!」


慌てて岩から飛び降りた大牙が、震える声で懇願するひめ子に駆け寄りその手にリボンを手渡す。


「すまん!お前のとは知らなかったんだ!」


そう言ってペコンと頭を下げる大牙をひめ子は呆然と見つめた。

正直、こんなにあっさり返して貰えるとは思っていなかったのだ。

予想外の展開にひめ子の方がキョトンとしてしまう程だった。


「俺がアクミと決着を付けたいなんてぼやいたもんだからハイエの奴が気を使って……だから俺が悪い。すまなかった。ただこれだけは信じてくれ。決して悪気があ……」


「チョイナァアアアアアアーーーーーーーーーーーーッ!!」

「ったわばっ!!」


誤解を解こうと必死に弁明していた大牙が、突然ひめ子の目の前から消えた。

それと入れ替わるように、青み掛かった銀髪がひらりと舞う。


「……アクちゃん?」


「天が呼ぶ!地が呼ぶ!人が呼ぶ!悪を倒せと轟き叫ぶ!!」


「いってぇな!いきなり何しやがる!」

「ピンクのリボンがチャーミング!愛と正義の戦士、ラブリーエンジェル・アクミ!只今、参上!!」

「やっぱりお前かアクミ!」


大地に転がり抗議の声を上げる大牙にアクミがビシッと人差し指を突き付けた。


「乙女に仇為す不敬の輩め!月に代わって、私がそのタマ貰い受けます!!」

「何が正義だ、このやろう!不意討ちなんて卑怯なんだよ!」

「ふっ……卑怯?私にとっては褒め言葉ですよ」

「お前、ちょっとそこ座れ!正義の戦士舐めんな!めっちゃ悪人面してんじゃねえか!」

「ナンとでも言いなさい。とにかくひめちゃんへの狼藉。神が許しても、この私が許しません!」

「いや……それはまぁ……こっちも悪かったと思ってるっつうか……。でもまぁ、結果オーライか……」

「ナンです?」

「何でもねぇよ。今日こそ決着付けてやるって言ったんだ。行くぞ!」


言うが早いか、飛び起きた大牙がアクミに殴り掛かった。

それを身を捻ってかわし、一気に大牙の懐に入り込むアクミ。


「ーーーッ!?」


鼻先が触れ合う程の近距離でアクミがニヤリと笑った。


「前の私と思ったら大間違いですよ!」


アクミは動揺する大牙の鼻に頭突きをかますと即座にしゃがんだ。その頭の上を大牙の拳が通過する。

更にそのまま大牙の脇にステップすると、がら空きの脇腹に肱を打ち込んだ。

アクミの一撃を受けて吹き飛ぶ大牙。

だがなんとか両足で着地すると、鼻と脇腹を押さえながらアクミを睨みつけた。


「泣いても手加減しませんからね!」

「そんなのいらねぇよ!」


痛みを圧してアクミに殴り掛かる大牙。

だがアクミは大牙の拳を左手で往なし、再び大牙の懐に入り込む。


「おら!」


だがそれは読まれていたようで、即座に左足を蹴り上げてきた。


「ーーーくっ!」


咄嗟に上体を反らし、そのままバク転で距離を取るが態勢を崩してしまった。

当然あるであろう大牙の追撃を警戒するアクミ。

だが大牙は何故かその場から動いていなかった。


「ーーー?」


実はその時アクミのスカートが翻り、スカートの中がチラリと見えたのだったがアクミは知るよしもない。

それどころか、追撃して来ないのを大牙の余裕と受け取ったアクミが歯噛みする。


〈打たれ強いし力もある。ナンと小生意気な!〉


地を蹴って仕掛けるアクミ。

右に左にステップしながら近付き、直前で回り込んで死角から殴り掛かる。

だがついっと頭を下げて避けられた。

その後も大牙の死角から足まで織り交ぜて攻撃するが、受けに回った大牙の懐には入る事ができなかった。

だからと言って大牙のペースなのかと言われると、そうでもない。

どうも大牙の攻撃に生彩さが欠けてると言うか、戦いに集中できていないような?

そこでアクミはふと気付いた。

アクミが攻撃を仕掛ける度に大牙の視線がチラチラと舞うスカートに向いている事に。


「…………」

「…………」


突然立ち止まり、じっと無言で大牙を見つめるアクミ。

そのアクミの視線から逃れるように、ついっと視線を逸らす大牙。

端から見ているひめ子と手下達には、両者が相手の隙を見出だせずに膠着状態になったとでも思った事だろう。

実際は大牙がアクミに軽蔑の目を向けられ、居たたまれなくなっているだけなのだが……。

だがアクミが大牙の懐に入れないのも事実。

そこで意を決したアクミは、キッと大牙を睨むとおもむろに近づいて行った。

何をする気なのかと警戒し身構える大牙。

その目の前で立ち止まったアクミが、突然愛嬌たっぷりに微笑んだ。

そしてそのまま、ゆっくりと両手を広げ始める。

その手にスカートの裾を摘まんだまま。

露になったパンツに大牙の視線が釘付けになる。


「貰ったあ!!」

「うおっ!?」


アクミの右足が唸りを上げる。

だが寸での所で我に返った大牙が慌てて両手で防御して事なきを得た。


「ちっ……!」

「お前、獣化してタマ蹴り上げるなんて何考えてんだ。危ねぇだろ!潰れたらどうしてくれんだ!」

「私のパンツをチラチラ見てた代償ですよ。気付かないとでも思ったんですか?」

「う、うるせぇ!男なら仕方ねぇだろ。嫌ならミニスカなんか穿くんじゃねぇ!」


誤魔化すように殴り掛かった大牙だが、スピードはアクミの方が完全に上であっさりと避けられた。

それどころか細かい一撃を入れられ、反撃する前に再び距離を取られる。


「ちょこまか逃げんな!」

悔し紛れに大牙は吠えるが、実はアクミはアクミで懐に取り付けないのが実状だった。


〈ち……認めたくありませんが、やっぱり向こうのが強いですね。やはりここはナンとか相手の意表を突いて……〉

「行くぞおら!」


だがゆっくり対策を練る時間は与えてくれなかった。

それどころか、殴り掛かる大牙を振り払うように咄嗟に左手を振るってしまった。

まずい!

そう思った時には既に遅く、アクミの左拳は大牙の右手にがっちり掴み取られていた。


「へへ、掴まえたぜ。どうしてくれようか?」


大牙がニヤリと笑う。

だがそれはアクミの望んでいた間合いでもあった。

後は隙を作るだけ……。

アクミはそこで、なんと大牙の右手に自らの右手をそっと重ねて優しく包み込んだ。

そして上目使いでじっと見つめる。

その頬が少し赤い。

思わずドキリとする大牙。さらに、


「好きです……」

「……は?」


アクミはそう言うと、大牙の掌をそっと胸に導いた。

小さな膨らみに触れた大牙の顔が、途端に真っ赤に染まる。


「……な、な……!?」

「あんたじゃなく、先生がねぇーーーーーーーーーーーーっ!!」


突然叫んだアクミが、狼狽する大牙の腕を捕ったまま飛び上がり両足を絡めた。

急な事でアクミの体重を支え切れずに倒れ込めば、腕ひしぎ十字固めが完全に決まっていた。


「いてててて……、離せこの!いってぇ!」

「完全に決まりました! もう逃げられません。私の勝ちです。負けを認めないと、この腕へし折りますよ?」

「誰が認めるか!」


痛みを堪えながらも虚勢を張る大牙にふっとアクミが溜め息を漏らす。


「なら仕方ありませんね。これも世の為、人の為。タマを狩って去勢できなかったのは心残りですが、腕を折っても大人しくなるでしょう。では、行きますよ?心の準備は良いですか?良いですね?」


「ちくしょおおおおおおーーーーーーーーーーーーっ!」

「死ねやぁああああああーーーーーーーーーー……あ!?」

「やり過ぎだアクミ」


アクミが体重を掛けて大牙の腕をへし折ってやろうとした、まさにその時……アクミの脇腹に上からひょいと指が伸びた。


「わひゃはははははは……ちょちょ……先生……待っ……ひゃひゃひゃひゃ……ひゃめ……ひゃめへ!」


何だか知らないがとにかくチャンス。

アクミが悶え苦しむその隙に大牙はアクミの腕を振りほどいて拘束から抜け出した。

それを見てシンもアクミをくすぐるのを止める。


「……もう……逃がしちゃったじゃないですか……」


息も絶え絶えにアクミがシンに抗議する。


「もう勝負は付いた。本当にへし折ったら遺恨しか残らんぞ?」

「別に構いませんよ。返り討ちにして殺るだけです!」


そう言ってポーズを取って大牙を睨みつけるアクミ。

それを宥めるようにシンはアクミの頭にポンッと手を置いてから大牙に向き直った。


「大牙と言ったか?レオから話は聞いた。アクミとひめ子に、俺に飼われてるって言ったそうだな?」

「それは……」


シンに詰問された大牙が下を向いて口籠る。


「これだけは言っておく。こいつらは俺が養ってるとか、そう言う関係じゃない。お互いがお互いを支えあって生きている家族だ」

「家族?」

「将来的に、先生の赤ちゃんをバンバン産むって事ですよ!」

「バカ。絆的な意味だ。誤解を招くから変な事言うな」

「あた!」


得意満面で言い返すアクミの頭をシンが軽く小突いた。


「もう……本気ですのに……」


然して痛くもない筈なのに、小突かれた頭を擦りながら口を尖らせるアクミ。

それを無視してシンは再び大牙に向き直った。


「大牙、今のアクミと互角以上に戦えるんだ。お前は強い。いや、強過ぎるって言った方がいいかな?実際、俺達の関係が気に入らないってのはただの口実で、本音は暴れたいだけだろう?」


シンにずけりと言われて大牙はドキッとした。図星だったのだ。

その大牙の表情を見てシンがニヤリと笑う。


「なら俺の所に来い。俺が相手になってやる」


シンに言われ大牙が目を見開いた。

大人も子供もない。

一人の男として相手になってやる。シンはそう言っているのだ。

子供相手に大人が本気を出すのか?

良識ある人間は決まってそう言うだろう。

だが違うのだ。

シンのそれは、裏を返せば大牙を一人前の男として扱ってくれていると言う事でもあるのだ。

力はあるのに自分の親どころか他の大人達にも子供扱いされ、溜まった鬱憤を晴らす形で暴力に走り、手下を増やし、暴れ続ける事で己の力を示そうとしていた大牙を、シンは一人前の男として扱ってくれているのだ。

そのシンの態度に大牙は痺れた。


「俺が言いたいのはそれだけだ。帰るぞアクミ、ひめ子」


言うだけ言って去って行くシンの後ろ姿を大牙達は呆然と見送るのだった。

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