23、南部戦線(前編)
白いカーテンのような朝霧が辺り一帯を覆っていた。
サンアローズから15キロ程北にある丘陵。
その丘の上に立って遠くサンアローズの方角を高倍率の双眼鏡で見つめる男がいた。
傍らには腰に手を当てた男が一人と銃を構えた男が二人。
また霧で見え辛いが、その周囲を警戒する者達も数人いた。
全員がASを纏っている。
それはヴィンランド軍の強行偵察隊だった。
「どうだ?」
「流石にこの霧じゃ……」
隊長らしき男の問いに大型の双眼鏡を覗いていた男が口籠る。
当たりを付けて覗いてはいるものの、霧が邪魔してサンアローズを視界に納める事が出来ないのだ。
「もう少しすれば霧も晴れるだろう。その時がチャンスだな。せめてサンアローズに集結した敵の一端でもいい。見て帰ろう」
「ですね。普段ならこんなに近づけませんからね」
二人が笑う。
いつもならもっと手前で、しかも森や林に隠れて偵察するのが常なのだ。猿族の勢力圏だから当たり前だ。
だがこの日はお誂え向きに朝霧が発生した。
これならもう少し接近しても大丈夫だろう。
そう判断した隊長の指示でここまで部隊を前進させたのだった。
尤も霧が晴れる前に逃げ出さないと敵に捕捉されてしまうのだが……。
その時、再び双眼鏡を覗いた男がビクッ!と肩を震わせた。
遠くでタタタッ!と銃の発砲音がしたのだ。
隊長が目を凝らして霧の彼方を見据える。銃を構えた部下達二人も同様だ。
「……他の部隊……だろうな」
銃の連射音からして味方のものだった。
と言う事は敵に見つかったのだろう。それも恐らくは数人の獣化に。
でなければ銃声が一回きりという事はない。要は既に無力化されたのだ。
「……隊長」
部下達が心配そうに隊長を見つめる。
「……潮時だな。マーク、敵に見つかる前に引き上げるぞ」
「了解」
部下がそそくさと右手を翳し双眼鏡を光の粒子に換えた。代わりに呼び出したのは小銃だ。
それを構えて隊長に頷く。
「全員引き上げるぞ。ショーン、先導しろ。クリスはこっちに合流だ。ビューローとランダルは殿を頼む」
だが周囲に散らばっている筈の味方から返事はなかった。しーんと静まり返ったままだ。
「……ショーン? クリス?」
隊長がインカムに向かって部下の名前を囁くが依然として返事はない。
それと察した部下達が小銃を構えながらカタカタと小刻みに震えた。
「……た、隊長」
「……全員固まれ。……いるぞ」
隊長がゴクリと唾を飲み込んだ。その時、
ゴツン!
と、何か固いものが降ってきて隊長の足元に転がった。
それを見た隊長がハッと息を飲む。人の頭だったのだ。
「ビューロー!?」
仲間の成れ果てた姿を目の当たりにして隊長の魂が一瞬抜け落ちる。
その隊長の顔面にズガッ!と槍が突き立った。
「うわぁあああーーーーーーっ!!」
恐怖に駆られた部下達が霧に向かって銃口を向けるより早く、唸りを上げた槍が四方から殺到して全員を串刺しにした。
※
ヴィンランド軍の防衛ライン後方に鎮座するブルーグレーの船体。
それは人類の力の象徴とも言えるファラフェル級戦艦の一番艦、『ファラフェル』だった。
その『ファラフェル』の執務室。
「斥候隊からの連絡が途絶えた?」
グリーンウッドが食後のコーヒーをカップに戻しながらルーファスに尋ねた。
それは猿族の進攻間近と見て取ったグリーンウッドが『ファラフェル』に移乗して三日目の朝だった。
「先程、『トルティーヤ』のグリマルディー司令から連絡がありました。『シュニッチェル』のランドン司令、『シュラスコ』のサーレンバー司令からも同様の報告が上がっています」
「あそこには何部隊か送っていた筈だな?連絡が途絶えたのはいくつだ?」
「四中隊全部です」
「……全滅か。同時に全部……となると敵の進軍に飲まれたか」
「恐らくは……」
「観測気球は?」
「それぞれ上げているようですが、まだ捕捉は出来ていないようです。歩兵が主体だとすれば早くて午後でしょう」
「ふむ、それでは開戦は明日……と言う事か……」
グリーンウッドが呟く。
それに対してルーファスは何も答えなかった。答えを求められていないと判断したのだ。
その証拠にグリーンウッドは両手を組み合わせて両目を閉じている。だがそれも直ぐに終わった。
「何をするにも先ずは敵を捕捉してからか。取り合えず僚艦の『グヤーシュ』と『フェイジョアーダ』に注意喚起だけしておけ。油断は無いだろうが、先行した獣化がちょっかい出して来るやも知れん」
「了解しました」
敬礼したルーファスが踵を返して執務室を後にする。
それを見届けたグリーンウッドが珍しく椅子に凭れ掛かって天井を見上げた。
「……いよいよか」
そう呟いて瞳を閉じる。
長かった。
人類がワービーストと初めて遭遇してから早八十年になろうとしている。
その間様々な事があった。
人類とて殺し合いの無益さを悟り、融和路線に切り替えてワービーストと共生を図ろうと試みた時代もあった。
だがそれは徒労に終わった。
男達は難癖を付けられては暴力を奮われ、持ち物を奪われ、それに抗えば殴り殺される。
そして女と見れば路地裏に連れ込み、不埒な行為をした挙げ句に子種を与えてやったんだから喜べと嘲笑する。
勿論、それはごく一部の者達だけなのかも知れない。
だがその行いに対して、街の者達は見て見ぬ振りをする。
政府として街の統治者に犯人の逮捕と処罰を要求すれば、証拠がないと突っぱねる。
やはり駄目なのだ。
所詮、心の奥底で人類を劣等種と蔑む奴等とは相容れない。
更には感染症である猿族との会敵だ。
事ここに至って、ワービーストは根絶やしにしなければならない人類の敵と位置付けられた。
でなければか弱き我々は安心して日々を送る事さえ出来ないのだから。
だがそれももう少しの辛抱だ。
この長きに渡る戦いも間も無く終わる。
我々、人類の勝利で。
勿論、此方の被害も尋常では済まないだろう。
それを踏み越えて人類は進む。
未来へと。
「我々は負けん。見ておれ、ワービースト共」
※
「来たか」
前衛右翼を任されたワインレッドの船体『シュニッチェル』。
その『シュニッチェル』のブリッジにAS隊を取り纏めるリチャルド・カーライルが訪れたのは午後二時過ぎの事だった。
「お呼びでしょうか?ランドン司令」
「君にも敵の全容を見せておこうと思ってな」
「捕捉したのですか!?」
カーライルがランドンの横に立ってモニターを見上げる。そして息を飲んだ。
「こ、これは!?」
同時刻。
「サーレンバー司令……これは……」
それは左翼を守る淡い紫色の船体『シュラスコ』も同様だった。
「総本部へ報告!我、敵を捕捉せり!!」
「はっ!」
「それとハートランド大尉を呼べ!今すぐだ!」
「り、了解!」
「し、司令……」
グリマルディー他、『トルティーヤ』のクルー達が茫然とモニターを見上げる。
そこには大地を埋め尽くす程の人波が映し出されていた。
「バカな……これが全部……人だと?」
「集計出ました!」
「どれ程だ!?」
「じゅ、十五万……」
「なに!?」
「推定十五万の……大軍です……」
※
猿族による敵本拠地への進攻作戦。
猿族は成り損ないである旧人類との開戦以来、その進んだ科学力を目の当たりにしてきた。
それは脅威以外の何物でもなく、結果、成り損ない共は何にも増して根絶やしにしなければならない敵との認識に至ったのは無理からぬ事だろう。
そして二年前、敵の要塞に攻撃を仕掛け、無様にも大敗して以来猿族は着々と軍備を整えてきた。
成り損ない共の兵器は確かに脅威だ。
だがそれを扱う人の数は少ない。
なら対処出来ない程の数で一気に押し切ればいい。
そう言う結論に至ったのだ。
それは一族を上げての大決戦だった。
猿族は進攻するに当たり、主に三つの拠点に集結した。その一つは陥落させたサンアローズだ。
ここには実際の攻略に当たった呉家の呉徇儀、黄家の黄飛麟の他に李家の李如分が加わった。
何れも若く血気盛んな当主達だ。
そして猿族領土の最果て。
海に面した塩州を進発したのは猿族八家の内、楊家、王家、田家の三家で、それを裁量するのは家格が上位である楊家。
尤も家格がどうのと言うより楊家の先代、楊玄柳の手腕に期待するところが大きいのは言うまでもない。
最後にサンアローズの南西に位置する街、慶陽。
ここからは大族長の孫皇袁自らが兵を率いて進攻する。
従うのは息子の孫焔秋と劉家の劉大元。
その慶陽を出立した部隊。
隊列を組まず無秩序に散らばった部隊のほぼ中央に、馬の背に揺られながら悠々と駒を進める孫皇袁、焔秋、それに劉大元の姿があった。
「しっかし、まぁ……敵さんに本陣の在りかを把握させない為とは言え……これじゃ物見遊山だな」
「玄柳殿の意見です。とは言え、些か慎重過ぎるとは思いますがな」
敢えて隊列を組まずに進撃する味方の部隊。
それを眺めながらぼやく焔秋に大元が苦笑いを浮かべながら同調した。
「これだけの晴れ舞台だ。隊列を組んで俺等の偉容を見せつけてぇとこなんだがなぁ」
「戦は既に始まっておる。慎重に過ぎる事はない。我慢せい」
「へいへい」
皇袁に釘を刺されて常に派手な事を好む焔秋が口を嗣ぐんだ。それを横目に皇袁が大元に視線を移す。
「時に大元殿、例の薬は何人分揃ったのだ?」
「慶陽で新たに八千。これで突撃する兵士のほぼ全員に行き渡ります」
それを聞いた焔秋の表情が今度は嫌悪するものに変わった。
「何だかなぁ……兵を使い捨てるみたいで嫌なんだよなぁ、あれ」
「これは一族の悲願。くだらぬ情を抱き采配を誤るでないぞ、焔秋」
「分かってるって、親父殿」
尚も不機嫌さを隠さない焔秋を見て皇袁がふんっと嘆息した。
何を甘い事を……、そんな顔だった。
「とは言え焔秋殿、成り損ない共を根絶やしにして必ずやこの手に平和を掴む。その志は下々の者達とて同じです。その者達に勇気を与えるのです。そんな顔などせず送り出してやるのが指揮官ですぞ?」
「俺等が先陣切ればいい。そしたら雑兵も釣られる。勇気なんて勝手に付いてくるもんだ」
「獣化が先陣を切って全滅したらこちらは敗けですぞ。それの分からない焔秋殿ではありますまい?」
「そりゃそうなんだが……」
「大元殿、無駄じゃ。こやつは人一倍強い身体を持って生まれた故に、皆同じように強いと勘違いしておるのだ。だから世迷い言を申す。が、こやつはこうでも部下達はしっかりしておる。だから安心されい」
「世迷い言はねぇだろ、親父殿。俺だって分かっちゃいるんだよ」
「ははは……申し訳ない焔秋殿。つい小言めいた事を申した。さて……それでは私はそろそろお暇しますぞ。皇袁殿、焔秋殿。次は戦の終わった後、酒でも酌み交わしながら」
「うむ。存分に暴れられい」
「大元殿、また会おう!」
「おう!」
再会を約して去っていく大元。
それを皇袁と焔秋が穏やかに笑いながら見送った。
明日にはいよいよ決戦の火蓋が切って落とされる。
いや、ひょっとしたら今夜にも前哨戦が始まるかも知れない。
何せ彼我の距離は30キロしかないのだから。
※
「おはようございます、司令」
前衛中央の陣地を任された『トルティーヤ』。
その『トルティーヤ』のブリッジの扉が開いて司令官のグリマルディーが静かに現れた。
それを艦長のエリオットが敬礼でもって迎える。
「敵の動きは?」
「明け方に移動を始めた敵は凡そ20キロ手前で停止。左翼の『シュラスコ』から右翼の『シュニッチェル』に至るまで半包囲されました。それとは別に『グヤーシュ』と『フェイジョアーダ』の牽制でしょう。左右に纏まった部隊が凡そ二万づつ移動中です」
「ふむ……足並みを揃えた上で一斉に掛かる気か」
「恐らくは……」
エリオットが沈痛な表情でグリマルディーを見た。そして躊躇しながらも口を開く。
「司令……この距離なら攻撃は可能です。いっそこちらから先制攻撃を仕掛けるよう、総本部に具申してはどうでしょう?」
「観測気球も満足に接近出来ないこの状況で、いったいどこに撃ち込むのかね?」
「地上は敵だらけです。どこに撃っても当たります」
「ふん、放っておけ。闇雲に撃つだけ弾の無駄だ。戦争は効率良くいかんとな。それより兵達の士気は?」
「敵の規模が噂で広まり、些か……今、ダダノマ連隊長が兵を心配して各トーチカを鼓舞しております」
「ほう……そんな気の回る男ではなかった筈だがな。大方、奴も不安でじっとしていられんのだろう」
「そうなのですか?」
「あんな友人もおらんような奴が他人の心情等分かるものか。況してや兵を鼓舞する為にトーチカを回る訳があるまい。怒鳴り散らしてイライラを発散してるに過ぎんよ」
グリマルディーが鼻で笑いながらダダノマをそう評した。
「司令、旗艦『ファラフェル』から通信です。どうやらグリーンウッド将軍が演説されるようです」
「そうか。モニターに映せ。それと音声だけでいい、外の兵士達にも聞かせよ」
「了解」
通信仕が復唱するのと同時にモニターにはグリーンウッドの姿が移し出された。
『手の空いている者は聞いて欲しい。私はブライアン・グリーンウッドである』
グリマルディー以下、全員が立ち上がって姿勢を正し耳を傾ける。
グリーンウッドはそんな『トルティーヤ』のブリッジが見えているかのようにうむ……と一つ頷くと、一拍おいてから厳かに口を開いた。
諸君等は今、敵の軍勢の規模を知って些か動揺している事だろう。いや、恐怖すら感じている筈だ。
……隠さなくてもよい……実は私もそうだ……。
だが、それを恥じる事はない。
何故なら我々人類は、奴等ワービースト共に比べて遥かに弱き存在であるからだ。
その凶暴で残忍なワービーストがあれだけ集まったのだ。恐怖しない方がおかしい。
……認めようではないか。
我らが宇宙で過ごした五百年。
その歳月を費やして繁殖を続けた奴等の規模は、此方の予想を遥かに大きく越えていた。
だが……ここで私は諸君等に問おう。
だからどうした?と。
敵は巨大だ。だから逃げるかね?
ヴィンランドに隠って大人しく滅び逝くのかね?
そういう運命であったと諦めるのかね?
……否であろう?
……そう、断じて否である!!
我々人類は、このまま大人しく絶滅したりはせん!
我々人類は、我々人類から派生した亜種如きに、この地球を明け渡したりはせん!
この地球の大地は我等正統なる人類の物である!
そうであろう、諸君ッ!!
そう思う者は武器を取れ!!
そして戦え!!
殺し尽くせ!!
容赦はするな!!
情けも無用だ!!
綺麗事を言うつもりは毛頭ない。
正義を語るつもりもない。
……強い者が生き残る。
これは自然の摂理であり、種の生存権を掛けた戦いである!
我々は勝つ! 奮い起て、人類よッ!!
「「おぉおおおおおおおおおおおおーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!」」
グリマルディーは演説が終わると無意識に敬礼していた。
他の者達も同様だ。皆、心の引き締まった表情で敬礼している。
外では大きな歓声がいつまでも上がっていた。
やがてグリーンウッドの姿がモニターから消えると、グリマルディーは敬礼を解いて静かに腰掛けた。
「戦闘直前としてはまぁ、良い演説だったな」
グリマルディーが笑みを溢す。
そうだ。殺らねば殺られる。
人類は絶滅する。
これが現実なのだ。
なら殺られる前に殺る。それだけのことだ。
「司令!敵軍に動きがあります!!」
「ほう……演説が終わるまで待つとは、敵も気が利くではないか」
「そうですね」
エリオットが笑顔で返す。
だがそれも一瞬、直ぐにキッと表情を改めた。
「では、此方も始めようか」
「はっ!総員、第一種戦闘配置!!」
「総員、第一種戦闘配置!!」
直後、『トルティーヤ』とその周辺にけたたましい警報音が鳴り響いた。
歓声を上げていた兵士達がビクン!と身体を震わせ慌てて持ち場に着いていく。
その時、観測気球で俯瞰していた敵の一部が動いた。
それに釣られるように敵の前衛が一気に動き出す。
「敵軍、一斉に進撃を開始!!」
解析官が悲鳴を上げる。
それはまるで堰を切った水のようだった。
「足の速いバイクを先頭に、トラックと騎馬が続きます! 隊列を組まず広がって進軍、砲撃対策と思われます。最後尾に歩兵!」
「足を無くせば只の歩兵だ。主砲、ミサイル、照準! 扇状に撃って敵の出鼻を挫いてやれ!!」
「主砲、敵先頭集団に照準よし!」
「ミサイル、発射準備よし!」
「あっ!? 敵の先頭集団、煙幕弾を発射!視界が奪われていきます!」
「構わん、撃てぇ!!」
艦長の号令と共に左右の主砲が火を噴き、『トルティーヤ』がドンッ!と大きく揺れた。
一拍置いてブリッジ後部から発射されたミサイルが前方に向かって飛んで行く。
直後、遥か彼方に高々と爆煙が上がるのがブリッジからでも望見できた。
そこに白い尾を引いたミサイルが次々と降り注ぐ。だが、
「損害を与えているのか不明です。煙幕、尚も接近!」
「構わん、続けろ。歩兵を積んだトラックを近づけさせなければよい」
「はっ!攻撃続行します」
「敵の集団は大きく分けて二つか……」
遠く、猿族の大軍を見据えながらグリマルディーが呟いた。
「後続にも車両や騎馬は居たようですが、歩兵主体では5キロで駆けたとしても四時間です。それまでに敵の第一陣を殲滅出来れば……」
「いや、一時間といったところだろうな」
「一時間……? ワービーストが我々以上の体力とは言え、そこまで早くは無いのでは?」
「私が司令官ならトラックである程度接近、兵を降ろしたら引き返してを繰り返すな。その為の煙幕であろう」
「では……」
「一時間が勝負と言う事だ」
「敵の先頭集団、15キロ地点通過!」
「いかん!攻撃を切らすな!撃ち続けろ!弾を惜しむな!!」
グリマルディーの推察で猶予は無いと悟ったのだろう。艦長が血相を変えて立ち上がった。
それを横目にグリマルディーが通信士に向かって右手を上げる。
「そろそろ彼方も届くだろう。護衛艦群に通達、攻撃を開始させろ」
「は!」
通信士がグリマルディーの指示を伝えると、『トルティーヤ』を守るように配置された護衛艦群からも即座に砲撃が始まった。
敵の接近を前に今か今かと待っていたのだろう。
だが敵の勢いは衰えない。
砲弾やミサイルが着弾して一瞬だけ敵の流れが途切れるが、直ぐに後続の車両が通過して行く。
それはまるで川の流れに大石を投げ込むようなものだった。
「ふむ……散発的な攻撃では怯まんか」
「敵の先頭、10キロまで接近!!」
「あれだけの敵を一度に相手にするのは愚策だな。艦長、正面の敵に攻撃を集中させよ。空白地帯を設けて、その隙に左右を叩く」
「はっ!護衛艦群に通達、攻撃を集中させる。発射タイミングは『トルティーヤ』に同調」
「了解!護衛艦に通達します」
「主砲、正面先頭集団に照準だ!ミサイルはその後方、後続を絶て!!」
「照準よし」
「撃てぇ!!」
直後、腹に響く轟音と共に艦隊の一斉射撃が起こった。
陣地全体を震わせて発射された多数の砲弾が正面の敵を大地毎粉砕する。
更にその後続を絶つ形でミサイルが降り注いだのだ。流石に直ぐにはこの穴は埋まりそうにない。
「これで多少は時間が稼げるだろう。護衛艦群は左右に突出した敵を攻撃させよ。此方はその後方を攻撃。敵を纏まらせるな。孤立させろ」
「了解」
左右の主砲が旋回し、再び火を噴いて大地を吹き飛ばす。
雨のようにミサイルが降り注ぐ。
だが全体の流れは未だに止められなかった。
幾ら正面の流れを止めたとは言え精々五百メートルだ。トルティーヤ』の受け持ちは前方7キロにも及ぶ。
尤も、今は散らばっているが相手の目的地はここだ。近付くにつれて敵も密集せざるを得なくなる。
そうなれば弾幕に遮られて少しは脚も鈍るだろう。
グリマルディーはそう考えていた。
「司令、正面から敵が再び……」
解析官の報告を聞いたグリマルディーがモニターを見上げれば、正面が煙で満たされつつあった。
だが数が少ないのだろう。他に比べて密度は低い。
「抜けた敵はトーチカに任せればよい。此方は五キロの半円状に攻撃を続行せよ。後続を近付けさせるな。あの大軍が一度に殺到すると厄介だ」
「はっ!」
※
「おいおい、煙幕が近づいてくるぞ……」
敵を……と言うより近付く煙を見てトーチカの兵士達がブルッと武者震いした。
直後にトーチカに設置された砲塔が攻撃を開始する。
砲弾が煙の中に吸い込まれて行く。
だが敵に当たっているのかどうか怪しいものだった。
「総員、戦闘準備!!」
「つっても……あれじゃ敵が見えんぞ」
怒鳴る隊長に文句を言いながらも兵士達が携帯ミサイルや狙撃銃を構えた。
同時にトーチカの前面に配置されたドローン部隊と自動銃座が一斉に起動する。
その時、兵士達の緊張を破るように前方一帯に閃光が迸って爆発が起きた。
「はっはぁ!地雷原に飛び込んだぞ!!」
トーチカから「わぁ!」と歓声が上がった。
二人乗りのバイクが吹き飛び、ワービーストが前方に投げ出された。
それが更に別の地雷を起爆させて爆発が起こる。
それが瞬く間三つ、五つ、十と次々と起こり、その度に猿族の兵士達が吹き飛んでいく。
地雷原に飛び込みながらも煙幕は撃ち続けているのだろう。煙は濃くなっていく一方だが、至る所で絶え間なく地雷が起爆していく。
「感知式だ!絶対に抜けられるもんか!」
兵士の一人が吠えた。更に、
「はは!トラックが引っ掛かったぞ!!」
砲撃を掻い潜ってここまで到着したトラック部隊が地雷原に飛び込んだ。
それは瞬く間に数を増やし次々と地雷原に横転していく。
だがそこでトーチカの兵士達は我が目を疑った。
横転したトラックから這い出した猿族の兵士達はその場に隠れて応戦する事なく、全員が全員、此方に向かって駆け出したのだ。そこに一切の躊躇はなかった。
地雷に引っかかり兵士達の身体が次々と吹き飛ぶ。
それに一切関知せず遮二無二地雷原をひた走る猿族の兵士達。
「おい……嘘だろ?」
「奴等……怖くないのか?」
その時、前方に配置されたドローン部隊が銃撃を開始した。
その銃声を聞いて呆気に取られていた隊長がハッと我に返る。
「攻撃開始だ!近づけさせるな!!」
「うぉおおおーーーーーーッ!!」
「くたばれワービースト!」
「死ね!死ねぇ!!」
全トーチカから一斉に攻撃が開始された。
銃弾を食らった敵が倒れこむ。
携帯ミサイルが降り注ぐ。
次々と地雷が爆発していく。
それは一方的な殺戮だった。
だが、それでも敵は怯まない。
「狂ってる……」
兵士の一人がポツリと呟いた。
人海戦術。
敵は兵士の身を犠牲にして地雷原を丸裸にする気なのだ。
その時、トーチカ全体がドンッ!と揺れた。
砲塔付近に敵の撃ったロケット砲が着弾したのだ。
それは敵が反撃出来る距離まで近付いた事を意味していた。
※
『トルティーヤ』の陣地に攻撃を仕掛けたのはサンアローズを進発した部隊だった。
そして先陣を担うのは黄家。
「飛麟様!この先1キロで地雷原です!」
「降車!後は駆けさせろ!!」
飛麟が命を下すとトラックは即座に停止した。
それに釣られて周りを並走する車両も次々と停止していく。
「飛麟様、お先に!!」
「おう!先に逝っていろ!!」
真っ先に飛び降りた兵士が笑いながら駆けて行く。
それはまるで、ちょっと出掛けてくるような気軽な挨拶だった。
そこに死に逝く者の悲痛さは一切ない。
他の者達も同様だ。
皆、言葉少なに別れを告げながら笑顔で立ち去って行く。
それに対し、飛麟は右拳を高々と上げて笑って応えた。
……心では泣きながら。
当然だろう。
自分の部下を死地に追いやって平然としていられる者などいない。
況してやそれが自分の小さな時から従ってきた者達なら尚更だ。
それが分かっているから部下達は飛麟を悲しませないよう、皆笑顔で死んで逝くのだ。
また、その心情の分からない飛麟でもない。
だから飛麟は笑って送り出しているのだ。
それが今まで黄家に従ってきた部下達への礼儀と信じて。
やがて突撃した部下達が煙の向こうに消えると飛麟は後ろを振り返った。
「残った者は急いで油を撒け!薪をくべろ!煙を絶やすな!!」
命じられた部下達が薪や油壺を背負って思い思いの方角に駆け出す。
後続の部隊が狙い撃たれないよう煙の壁を作る為だ。
そして薪や油を撒いた後は敵陣に向かって速やかに突撃する。
起こした煙が仇になって此方も敵を伺う事は出来ないが別に構わなかった。
何せ向こうの陣地は動かないのだ。
遮二無二走って煙を抜ければそこは敵陣だ。迷う事はない。
これが黄家他、先陣を任された部隊の役目だった。
要は全戦線でこれが展開されているのだ。
そして作戦の第一段階は無事成功しつつあった。
飛麟は最後まで残っていた数十人の部下達を見据えた。バッテリーやら何やらの機材を背負い三人一組になった者達を。
実は黄家にはもう一つ、他家にはない使命があった。それを担うのがこの者達だった。
「行け!砲弾等避けれん。来ないと信じて解析に専念しろ」
「「はっ!」」
機材を持った兵士達が散らばるように駆け出すのを飛麟はじっと見詰めるのだった。
※
「……壁を作られたか」
戦場に高々と上がる煙を見てグリマルディーが忌々しそうに呟いた。
どうやらトラックの荷台に薪や油を大量に積んでいたのだろう。次々と爆発炎上するトラックのせいで、地雷原の境から向こうが全く見えなくなっていた。
しかも、今もって敵の進軍は止まらないのだ。
それはこの煙の壁が徐々に近付く事を意味していた。
これを以ても分かる。
敵がかなり早い時期から此方の戦術を予想し、準備を進めていた事を。
でなければ、これだけ広範囲に渡って煙の壁等作ることは出来ないだろう。
そうなるとこの先も何か策がある筈だった。だがそれは何か?
「獣化はどうだ?確認されたか?」
グリマルディーが解析官に尋ねる。
「いえ、今のところ報告は有りません」
それを聞いたグリマルディーが「……ふむ」と呟いて思案を巡らせた。
「待機中のAS隊に連絡せよ。突撃準備」
「あの中に!?」
驚いた艦長が隣に座るグリマルディーを見た。
それに対してグリマルディーは冷めたものだった。
「今使わんでどうする」
「無茶です。敵の全容も、配置すらも分からないのでは自殺行為です」
「敵は地雷原を壊滅させるのに獣化は投入しておらん。そして煙に紛れて終結しようとしている。そこを叩くと同時に接近中の敵を捕捉する。その為の強行偵察だ」
「ですが……」
尚も心配する艦長のエリオット。
敵の獣化が切り札なら、こっちのASもまた切り札だ。少しでも数を温存しておきたいのだ。
だからエリオットを安心させるようにグリマルディーがふっと表情を緩めた。
「私とてむざむざと部下を死なせたりせんよ。護衛艦とトーチカに通達せよ。AS隊が正面敵陣に強行偵察に出る。護衛艦とトーチカはその左右に攻撃を集中、AS隊を援護せよ」
「はっ!」
※
「焔秋様、ご無事で……」
護衛の唐逍と范秦を従えた焔秋を見て、先陣を任された滔林はホッと胸を撫で下ろした。
「獣化があんなの食らうか。それより滔林、戦況は?」
「やはり地雷が設置されてました。今、死組が突撃を敢行しながら煙幕を焚いております」
「そうか。とは言え、こんな所に何時までも足を止めてらんねぇな。飛麟から連絡は?」
「いえ……まだありません」
「よし、十分待って連絡が無ければ突撃だ。それまで全員、歯食い縛って堪えろ!」
「「はっ!」」
※
「飛麟!」
「徇儀!良かった、無事だったか」
「それはこっちの台詞だ」
顔を見た瞬間に安堵する飛麟のお門違いの心配に徇儀が笑って応えた。
だが、直ぐにその表情がキッと引き締まる。
「何人殺られた?」
「この状況だ。はっきりとは分からんが、三分の一ってところか?」
「約四千か……」
徇儀が前方で高々と立ち上る煙を睨み付けた。
味方の命を生け贄にして得た高い壁を……。
「地雷原はあの向こうか?」
「ああ。距離は500メートルってところか?」
「そうか。で……? 例のは上手く行きそうか?」
「すまん。まだ連絡は無い……」
飛麟が申し訳なさそうに俯いた。その肩を徇儀がポンッと叩く。
「元々予定に無かった作戦だ。気にするな。それよりお前は煙幕を頼む。ここから先は呉家が引き受けた」
「分かった。如分は?」
「残ったトラックを全部回した。後20分もすれば到着しよう。そうしたら第二段階だ。お前も来い。共に駆けよう」
「ああ」
徇儀と飛麟がニヤリと笑う。
その時、前方で兵達の騒ぐ声が聞こえた。
銃声も聞こえる。しかも近い。
「ほう……敵の動甲冑が斬り込んで来たと見える」
徇儀が感心したように呟いた。
喚声に混じって敵の使う銃の発砲音が聞こえたのだ。
「動甲冑が!?まずい、此方の配置を見られる」
「その前に対処する。者共、続け!!」
「「おう!!」」
※
「死ねぇ!!」
「ぎゃ!」
猿族の兵士が胴体を真っ二つにされ短い悲鳴と共に絶命した。
更に手近にいたもう一人を斬り殺す。
瞬く間に敵を葬ったのは『トルティーヤ』部隊総隊長のダダノマだった。
『トルティーヤ』配下のASは全部で三連隊、288機。
ダダノマはその中で新たに配属された四中隊のみを率いて突撃を敢行した。
敵からも此方が見えないのを良いことに一気に地雷原を飛び越えて斬り込んだAS隊。
殺戮は一方的だった。この場に獣化がいなかったのだ。
だが足を止めれば囲まれる。
獣化も集まって来るだろう。
その前に任務を終えてとっとと帰還するのが得策だった。
「おい!倒したら前進だ!一気に突き抜けるぞ!」
ダダノマが叫びながら周りを見渡す。
良く見れば至る所で篝火が焚かれ、黒い煙がもうもうと立ち上がっていた。
「ちっ!こんな所で火遊びしやがって……各中隊に通達。返事はいいから焚き火に爆弾放り込め!」
指示を出しながらダダノマが掌を翳す。するとそこに二個の手榴弾が現れた。
そのピンを抜いて燃え盛る篝火にポンッと放ると、直後に起こった爆発と共に薪が飛び散って火勢が衰えた。
幾ら油を使っていても薪が無くなれば直ぐに消えるだろう。その時だった。
「ダダノマ隊長ッ!!」
部下の叫び声を聞いた瞬間、ダダノマは力任せに大剣を振るった。
ガキンッ!!
直後、刃の交わる凄まじい音が戦場に響き渡る。
ダダノマの渾身の一撃を易々と受け止めたワービースト……それは呉家の小族長、徇儀だった。
その徇儀がちょっと驚いた顔でニヤリと笑った。
「俺に刃を受けさせるとは大した物ではないか、成り損ない」
「言ってろ……怪物!!」
叫ぶと同時にダダノマが背中のスラスターを一瞬だけ吹かせた。
その煽りを食らった徇儀の押し込む力も一瞬弛む。
ダダノマはその刹那の時間に刀を引くと、腰を捻りながら横一文字に刀を薙ぎ払った。
唸りを上げてダダノマの刃が迫る。
だが徇儀も即座に反応した。
迫り来る刃を掬い上げるように弾いたのだ。
それを合図に周囲ではAS隊と獣化隊による戦闘が始まった。だが、
〈ちっ……歩が悪いな……〉
二合、三合と刃を重ねながらダダノマが心で舌打ちする。
こう視界が悪い所で戦っては相手に優位だったからだ。
現に周囲では味方の悲鳴が聞こえ始めている。
ダダノマは突入するに当たってこういう展開も想定し、スリーマンセルで行動させていた。それでもこの有様だった。
〈バカか、あいつ等……命令覚えてねぇのか?〉
互いに距離を取って睨み合いながらダダノマが部下達に悪態をつく。
実は獣化隊の反撃を受けた際は任務を放棄し、速やかに後退する旨を伝えてあったのだ。
なのにこの場を離脱する者は一人もいない。いや、離脱する余裕が無いのか?
その時、ダダノマの視界の端に悲鳴を上げる味方の姿が写った。
それを見たダダノマがギクリと肝を冷やす。
味方がワイヤー入りの投網を投げられ引きずり倒されたのだ。
そこに寄って集って銃弾を撃ち込まれている。
至近距離からあれだけ食らってはシールド等有って無いような物だった。
〈あんなの用意してやがったのか……〉
ダダノマの頬を冷や汗が伝う。
あれに絡め取られたらお終いだった。
空中に逃げられないどころか、自由を奪われてなぶり殺しにされるだろう。
〈このままじゃ全滅だな……〉
そう判断したダダノマの行動は早かった。
余裕の表情を見せる相手の顔目掛け、手に持った刀をブンッ!と放った。
それを首を捻って避ける徇儀。
直後、その表情が驚愕に変わった。
ダダノマがその両肩に小型のミサイルポットを呼び出したのだ。
それを徇儀だけでなく、味方の散らばる周囲に向けて次々と発射した。勿論、無警告で。
突然起こったミサイルの爆発によりワービースト達が明らかに怯んだ。その隙にダダノマが叫ぶ。
「おめぇ等はシールドあんだろうが!痛がってる暇があったらとっとと離脱しろ!」
その声を聞いた徇儀が血相を変えた。
「貴様! 逃げるのか!?」
「うるせぇ!悔しかったら今度はおめぇが来い、化け猿!」
捨て台詞と共にダダノマの姿が煙の向こうに消えてしまった。それを見た徇儀が、
「……ちっ!」
と舌打ちを漏らす。
もう追っても無駄だろう。
何せこの先は地雷原なのだ。
諦めた徇儀が周りを見渡す。
そこには十数人の動甲冑の死体が打ち捨てられていた。
※
「騎馬隊が到着したか……」
グリーンウッドがブリッジ上部のモニターをじっと見上げる。
そのモニターには横一線に並び、まるで押し寄せる波のように次々と接近を試みる敵の騎馬隊が映し出されていた。
今のところ地雷原に阻まれてトーチカまで接近は出来ていないようだが、如何せん数が多い。
「司令、『トルティーヤ』より支援要請です」
それを聞いた『ファラフェル』の司令官、マクレガンがついッと横に座るグリーンウッドを見た。
それに気付いたグリーンウッドが静かに頷く。
「『トルティーヤ』に返信、後続は此方にて攻撃する。そちらは目の前の敵に専念されよ」
「了解」
マクレガンの言を聞いたブリッジが俄に忙しくなった。
通信士が返信を行うのと同時に艦長が攻撃の指示を出していく。
「主砲第一、第二、照準よし!」
「ミサイル発射準備よし!」
「撃て!!」
艦長の号令一下、『ファラフェル』が砲撃支援を開始した。これで此方の予備戦力は無くなった訳だ。
グリーンウッドが再びモニターに視線を移す。
さっきまでは地雷原の中程まで接近出来ていた騎馬隊も、今は密度の増した攻撃によってそこまで接近出来なくなっていた。だが、
「そろそろ一時間か……」
グリーンウッドが呟く。
歩兵到着の目安とされた一時間……それが間も無く経過しようとしていた。
「敵の波状攻撃にも我が方の陣地は揺らぎもしておりません。地雷も半数近くは残っておりますので、例え歩兵が到着したとしても持ち堪えられるでしょう」
「問題は煙の向こうだな。敵の配置が分かれば狙い撃てるのだが」
「先程、『トルティーヤ』のAS隊が探りを入れようとしたようですが、敵に阻まれ撤退したそうです」
「獣化か?」
「はい。煙に紛れているようです。それとワイヤー入りの投網を射出してASを絡め取ると言う報告が入っています」
「ふむ……敵も色々と考えているようだな。各部隊に警告は?」
「しております」
「うむ。それとマクレガン司令、総攻撃が始まったら期を見てあれを使用する。いつでも行けるよう準備をさせておいてくれ」
「承知しました」
※
「全部隊、魚鱗の陣で展開完了!」
「皇袁様、後十分程で到着されます!」
それまで小高い丘の上にじっと立ち、部下達が死地に向かって次々と去って行くのをただ静かに見守っていた焔秋がスッと腕組を解いた。
「時間だな……」
これ以上自分が此処に止まっていては到着する本隊に陣形が乱されるだろう。
いや、そればかりか此方が邪魔して本隊は満足に陣も組めずに停滞する。
いつ敵の砲弾が降ってくるかも知れないこの状況で、此方の総大将を身動きも出来ない危険な状況に追い込む訳にはいかなかった。
ここは全軍速やかに進撃するのみ。
「呼成!」
「はっ!」
「先ずはお前だ!行け!」
「承知!!」
側に控えていた呼成が短い返事と共に自分の部隊に駆けて行く。
それを見届けてから今度は滔林に振り返った。
「滔林!俺も行くぞ!お前はここに残って全体の指揮と親父の繋ぎだ!」
焔秋はそう言い捨てると、滔林の返事も待たずに唐逍と范秦を従えてゆっくりと丘を下って行った。
「全員行くぞ!俺と共に死ね!!」
「「おお!!!」」
その一言ではち切れんばかりの大きな喚声が上がった。気合いと言ってもいい。
焔秋は言ったのだ。
俺と共に死ねと。
自分達を弾除けにするのではない。
大将が自ら前線に赴き、共に死ねと言ったのだ。
これで心に火の付かない者等いる筈がなかった。
死を覚悟した戦士達が喚声を上げながら焔秋と共に丘を下り始める。
「焔秋様!お待ちを!」
そんな兵士達の声を打ち消すように滔林が大声で呼び止めた。伝令の部下が駆けて来るのが見えたのだ。
「おい、まさか行くなって言うんじゃねぇだろうな?」
立ち止まった焔秋が有無を言わさぬ強い眼差しで滔林を睨み付ける。だが、
「黄飛麟様から連絡、成功したそうです!」
その一言を聞いた瞬間、鋭い目付きから一転、焔秋がニマリと獰猛に笑った。
「ほう、黄家の小倅め……やりおったか」
焔秋の陣から遠く東に離れた右翼部隊。
淡い紫色の四つ足、『シュラスコ』が護る陣地攻撃を指揮していた楊玄柳が驚いた顔で振り返った。側には伝令の者が膝間突いている。
「玄柳様、何が成功しましたので?」
いぶかしんだ副官が尋ねる。だが玄柳はそれには答えず、
「何でもよい。それより王連殿と田瞬珍殿に一度引くよう伝えよ。急げ」
とだけ告げた。
これが玄柳の性格なのだろう。副官はそれ以上追求せず黙って駆け出した。
それを眺めながら玄柳が愉快そうに笑う。
「ふおっほっほ……この戦、思ったよりも呆気なく終わりそうじゃの」
※
「嫌に静かだな……」
護衛艦の影に隠れる形で待機していたダダノマが鋭い目付きで空を見上た。
あれだけ騒がしかった戦場が、今は不気味な程しーんと静まり返っていたのだ。
「グリマルディー司令……」
「歩兵が到着したのだろうな」
「では……」
「総攻撃が来ると言う事だ。艦長、砲撃は一旦中止せよ」
「はっ!砲撃止め!そのまま何時でも撃てるよう待機!」
「隔壁は全部閉鎖せよ。艦内のドローンを通路に配置し、手の空いてる者は白兵戦の準備だ」
「はっ!」
艦長への指示を出したグリマルディーが、今度は火器管制官に向かって軽く右手を上げる。
「残った地雷を何時でも起爆出来るよう準備しておけ」
「了解」
「それと……」
グリマルディーが尚も指示を出し掛けたその時、突然前方一帯に爆発が起こって土砂が舞い上がった。
遅れてドドンッ!と轟音が響き渡る。
「……な!?」
グリマルディーは我が目を疑った。
それは地雷原の地雷が残らず爆発した事を意味したからだ。
「バカ者!!誰が今爆破しろと言ったッ!!」
立ち上がったグリマルディーが火器管制官を怒鳴りつける。
その火器管制官は血の気を引かせて首を振っていた。
「ち、違います!私ではありません!」
「お前がやらずに、誰がやるか!」
「ほ、本当なんです。べ、別の場所から起爆信号が……」
「別の場所から……?」
グリマルディーの頬を冷や汗が流れた。
「まさか……奴等が?」
確かに奴等はサンアローズで虜獲した此方の機材を使っている。
小癪にも通信妨害を仕掛けたり、それを無効化もしているようだ。
当然、此方の地雷がどういった性能を有しているかも知った事だろう。
だが、こんな事も可能なのか?
ハードだけでなく、ソフト面に関してもここまで知恵があるものなのか?
「あり得ん!奴等が……あんな下等生物が、この短時間でパスコードを解析する等……あり得ん!!」
「来ました!!」
解析官が悲鳴を上げる。
その悲鳴に我に帰ったグリマルディーが外に視線を移せば、獣化を先頭に敵の歩兵部隊が煙の中から次々と躍り出して来るのが見えた。
それはまるで地雷が消えて無くなるのを知っていたかのようなタイミングだった。
「いかん!攻撃開始だ!!絶対に近付けさせるなッ!!」
グリマルディーが叫ぶ。
それと同時に『トルティーヤ』が、護衛艦が、トーチカが、迫り来る敵に向かって一斉に攻撃を開始した。
銃が、バズーカが、ミサイルが、更には主砲が撃ち込まれ、バタバタと兵士が倒れ吹き飛ぶが敵は全く怯まない。狂ったように駆けて来る。
「ドローン部隊を前進させろ!少しでもあの流れを止めるんだ!」
※
「将軍……これは……」
全戦線の地雷原で一斉に爆発が起こった時、マクレガンは初め何が起きたのか理解出来なかった。
それが此方の地雷が全て爆破されたからだと理解した時、唖然とし、次いで恐怖に駆られた。
「呆けるのは後だ!マクレガン、連鎖船!数の少ない左右に突入させて『グヤーシュ』と『フェイジョアーダ』を自由にさせよ。此方は正面『トルティーヤ』の支援だ!」
「り、了解!待機中の連鎖船を起動させろ!コントロールは任せる!」
「了解!」
「艦長、攻撃再開だ!兎に角撃ち捲れ!」
「はっ!」
※
猿族の最左翼。
孫家の攻める陣地の後方に位置した山吹色の四つ足。
それを攻めるのが劉家に与えられた任務だった。
「丸裸になったぞ!者共、続けッ!!」
「「おぉおおおーーーーーーーーーッ!!」」
雄叫びを上げながら突撃する大元と劉家の部隊。
ここの陣地は満足に防御を固めていなかったとは言え、最初の一時間の戦闘は一方的なものだった。
その鬱憤を晴らすかのように、また数が減って萎縮した味方の兵を鼓舞する為に、大元自らが劉家の旗と共に先頭に立ったのは無理からぬ事だろう。
敵の攻撃を掻い潜り、点在する塹壕の一つに飛び込んでドローンを打ち倒している時、それは来た。
「大元様!短冊です!!」
部下が指差す先を見れば敵の短冊(護衛艦の事)の船団が陣地を迂回して左側面に回り込むのが見えた。
十字砲火を浴びせる気なのだろう。
「構うな!正面に取り付け!!」
ここで部隊を二つに分ける手もあったが大元がそうしなかった。
多少被害を被ってもいい。
この勢いのままで一気に正面の陣地に雪崩れ込むのを選んだのだ。
また、それは正しい判断だった。
何せ地雷原は既に消失したのだから。しかし、
「おい!? 突貫して来るぞ!!」
部下の一人が叫んだ。
何と回頭を終えて船首を此方に向けた短冊の船団が、そこで止まる事なく砲撃と銃撃を加えながら突撃して来たのだ。
「どうあっても相手をさせる気か……」
大元が呟く。
数でもって敵の本丸を一気に叩こうと思っていたがこうなっては致し方ない。
そっちがその気なら、あれから先に血祭りに挙げてやるだけだ。
そう判断した大元が部隊の一部を割こうとした時、初めて気付いた。
短冊と短冊の間に女の腰程もある太い鎖が何本も渡してある事に。
短冊五隻を横一線に並べて一組とし、地面を鎖で撫でるように突き進む船団。
それが三つ、自分のいる前軍には来ず密集して満足に身動き出来ない後軍に向かって全速力で突き進んで行った。
「まさか……」
大元達がただ茫然と見守る中、短冊の船団が味方の集団に突っ込んだ。
短冊の進路上にいた者は吹き上がる風を食らって木の葉のように舞い、それを逃れた者は地表近くを進む鎖の壁に叩き飛ばされ、或いは引き摺られて肉片と化し、そこに短冊からの直接攻撃が頭上から降り注ぐ。
短冊の進む先は阿鼻叫喚の地獄図、味方の悲鳴が自分のいる前軍にまではっきり聞こえてきた。
やがて此方の集団を突き抜けた船団はゆっくりと右に進路を変え、そして離れて行った。
おそらく距離を取ってもう一度突っ込んで来る気なのだろう。
短冊の通った後は味方の血と肉で真っ赤に地ならしされていた。
「己れ!!」
大元が歯軋りして悔しがる。怒りと言ってもいい。
「機動部隊!後ろに回り込んでエンジンを狙え!獣化隊!足が止まったら中の奴等を皆殺しにしろ!!」
「「はっ!」」
皆同じように怒りを覚えていたのだろう。
数十人の獣化が短い返事と共に駆け出した。
それを見送った大元が改めて四つ足に向かおうとした。その時、
「大元様! 動甲冑です!!」
「何ッ!?」
大元がギクリとして振り返った。
見れば敵の動甲冑の大部隊が自分に向かって真っ直ぐ突き進んで来るではないか。
味方を鼓舞する為に劉家の旗を掲げたのが仇になった。大将がここに居ると敵に知られたのだ。
それに気付いた味方が左右から突出して進路を阻もうとするが、敵の集中砲火を食らって出足が鈍る。
後続の部隊はまだ混乱していた。
いくら部隊長が生き残っていたとしても駆け付けるには今暫くの時が掛かるだろう。
そして獣化の半数は怒りに任せて短冊の船団に向かわせてしまった。
要は完全に分断、孤立させられたのだ。
「まんまと敵の策に乗ったか……」
大元が自嘲気味に笑った。
そしてゆっくりと大きく息を吸う。直後、大元の大音声が戦場に響き渡った。
「だから何だぁ!!行くぞぉ!!迎え撃てぇ!!」
「「おぉおおお!!」」
塹壕を飛び出した大元に続き、決死の覚悟をした兵士達が次々と駆け出した。
※
「何だ、あれは?」
敵の目を欺く為に騎馬隊と共に行動していた皇袁が遠く劉大元の陣地を望む。
薄れ始めた煙の向こうに、短冊の船団に群がる劉家の兵士達が見えたのだ。
「どうやら短冊に横槍を入れられた模様です」
戦場で常に皇袁の側に侍る副官、劉來千が呟いた時、短冊の船団が一斉に爆発炎上した。
規模とタイミングから言って自爆したのだろう。
「無人か。足だけ奪って放っておけば良いものを……。大元殿らしくもない、まずい采配だな」
皇袁が嘆息する。
元々砲撃を警戒して隊列を組んでいなかったとは言え、短冊が一斉に自爆した事で部隊は大混乱に陥っていた。あれは幾ら何でも酷すぎる。
「部隊長がやられたのかも知れません」
「亮伴の部隊を後詰めに向かわせよ。見るに耐えん」
「はっ!」
※
一方の猿族右翼部隊。
この部隊を率いる楊玄柳が田家率いる最右翼を静かに観戦していた。
ヴィンランド軍の連鎖船。
それが田家の部隊にも突撃していたのだ。
だが此方は劉家程の混乱には陥っていない。
太い鎖を渡して繋げた短冊の船団。
それが遠く迂回するのを見て取った玄柳は逸早くその戦術を察し、落ち着いてエンジンを破壊するよう田家の小族長、田瞬珍に警告していたからだった。
見る間に一隻の短冊がエンジンを破壊された。
その影響で鎖で繋がった他の船も次々と足が鈍り瞬く間にエンジンを破壊されていく。
こうなれば最早驚異でも何でもなかった。
後は弱った蝉に蟻が群がる如く圧倒的な数で押せばいい。
その時、短冊の船団が一斉に爆発した。
「やつら自爆を!?」
副官が驚きの声を上げる。だが玄柳はふんと小さく笑っただけだった。
「大方、無人であろう。気にせんで良い。一般兵は兎も角、あんなのに獣化はやられはせんわい。それより王怜殿に連絡じゃ。そろそろ第三段階へ移行するぞ。とな……」
「了解しました。玄柳様」
※
地雷原が消失した事によりヴィンランド軍は猿族の全面攻勢を支えきれずに防衛線を維持するのが難しくなっていた。
中でも前衛中央の『トルティーヤ』の陣地は酷いものだった。
元々血気盛んな呉家と黄家を相手にしていた上に、この部隊はサンアローズで虜獲した大量の武器を保有していたからだ。
中でも砲台を積んだ装甲車が厄介だった。
「観測気球、破壊されました!?」
「またか!?急いで次を上げろ!」
「エリオットもう良い、上げるだけ無駄だ」
「はっ!」
「敵軍、トーチカ第一線に取り付きました!」
「守備隊は?」
「AS隊の援護でほぼ全員が後退、第二線のトーチカに合流して反撃を開始しました」
「よし!……司令!」
「許可する。トーチカ毎粉砕しろ」
「はっ!主砲照準!籠った敵毎トーチカを吹き飛ばしてやれ!」
直後、轟音と共に発射された砲弾がノータイムでトーチカに着弾する。そこまで敵が迫っていると言う事だ。
だがそれはつまり、敵も容易に反撃出来る距離に居ると言う事だった。
「ミサイル接近!?」
レーダー管制官が悲鳴を上げる。
が、態々言われるまでもなかった。白い尾を引いたミサイルが此方にも向かって飛来して来るのが視認出来たのだ。
「迎撃!撃ち落とせ!」
設置された銃座が即座に応戦する。
殆どは撃ち落としたようが、それでも数発が弾幕を潜り抜けて着弾し『トルティーヤ』がドドン!と揺れた。
「ブリッジ遮蔽しろ!被害状況!」
「さ、左舷主砲に直撃、砲身に歪み発生!」
「何だと!?」
「気にするな!どの道これ以上接近されたら使えん。それよりドローンの残存は?」
「残り30%を切りました」
「残ったドローンは第二線後退の際に踏み止ませろ。使い捨てて構わん」
「はっ!」
「司令……後退の準備は?」
「ここは守りの要だ。後退は許されん。死守する」
グリマルディーの覚悟を聞いたブリッジの全員が小さく息を飲んだ。
「煙幕薄れます!」
解析官の報告でグリマルディーとエリオットがモニターを見上げれば、戦場全体を吹き抜けた風で煙が流されて行くのが見えた。
「この機を逃すな!主砲第二及びミサイル!敵を視認したら即座にぶち込め!」
エリオットが今がチャンスとばかり砲手と火器管制官に怒鳴った。だが、
「思ったより少ないな……」
グリマルディーが眉間に皺を寄せながら呟いた。
「確かに……」
言われて艦長も考え込む。
まだ敵は半数以上残っていると思っていたが、モニターで見る限り敵の残存はそう多くないように見える。
「窪地か林にでも隠れたのでしょうか?」
「いや……そんな事をする意味はあるまい」
ひょっとしたら夢中で応戦する内に敵をここまで叩いていたのかも知れない。
兎に角、これなら今目の前にいる敵を叩けば何とかなる。
グリマルディー始めブリッジの全員がそう安堵し掛けた時、
「左翼『シュラスコ』より入電!……え……?」
通信仕が叫び、次いでヘッドホンに手を当てて息を飲んだ。
「どうした!?」
固まる通信仕に焦れたグリマルディーが怒鳴り付ける。
「け、煙に紛れて敵の一部が左翼に転進……数が多く支えきれないようです……」
「なに!?」
※
「まじぃな」
観測気球で戦場全体をざっと見回したところでバカラが呟いた。眉間には皺を寄せている。
戦場から遠く西北西に30キロ程離れた地点。
窪地に身を隠すようにして黒い船体の『パッタイ』が静かに佇んでいた。
「司令、我々は行かないので?」
「今さら一隻増えても戦況は変わんねぇよ。それより、とっとと観測気球進めろ。数も増やせ。全部で三つ。但し、近付け過ぎんじゃねぇぞ。もし発見されたら警戒されちまう」
「はっ!」
「おい、マッピングは済んでる筈だ。とっとと地形図出せ!」
「了解」
バカラの指示で観測気球からのライブ映像が切断され、ブリッジ上部には戦場全体の地形図と簡単な敵味方の配置図が写し出された。
それをじっと無言で睨みつけるバカラ。
「司令……どうするので?」
「決まってんだろ。獲るんだよ。……敵の親玉の首をな」