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見知らぬ空へ  作者: たじま
26/35

22、零番隊のアム

西寧府。

嘗て揚子江と呼ばれた大河の遥か上流に位置する街で、その歴史は古く大戦直後に遡る。

それ故規模もリンデンパークやスクヤークとは比較にならない程大きい。

大戦直後に建設された事から分かるように、街を興したのは元々この国の獣人兵であった。

彼等は地球に置き捨てられたと知るや戦いを放棄し、いくつかの部隊が纏まって比較的被害の少なかった内陸部へと移動していった。

その道すがら同じく置き捨てられた一般人に手を差し伸ばし、マスク無しでは満足に動く事も出来ない彼等の面倒をよく見たとされている。

その後、周りに外敵が居なかった事が幸いしてその人口は着実に増え続け、やがて人が溢れ出す形で河の下流へと向かって再びその手を広げていったのは自然な成行だった。

猿族八家はその時の指導者的立場(部隊長)の者達の末裔と言われており、それ等を統べるのが夏袁や春麗のいる孫家だった。


その猿族。

今でこそ八家がそれぞれ領土を持っていて王制のような政治体型ではあるものの、猿族全体のことについては今も変わらず八家による合議制で決めていた。

その八家の会議で成り損ない(旧人類)の本拠地に侵攻する事が決まったのが昨年の秋。

そしてサンアローズ奪取から二週間目の今日、その取り決めに従い西寧府の宮殿前広場には五万の軍勢が集結し、間もなく東に向けて発とうとしていた。




『では、冬袁兄上は出陣されないのですね?』


集まった軍勢の喧騒が遠く別世界の出来事のように聞こえる後宮。

その一角の更に奥まった部屋の壁に設置された大型モニターに、今春麗の姿が映し出されていた。画面の隅にはセッティングに訪れていた猫々の姿もある。


「ああ。ここからは父上と焔秋、それと劉大元殿が部隊を引き連れて出陣する事になった。戦いが長引けば物資が不足するからな。それを手配したり、輸送の指示を出すと言った裏方の仕事は焔秋は苦手だ。だから私が残った」

『ふふ、焔秋兄上は相変わらずですね』

「戦場に立てば私より強い。要は適材適所だな」


そう言って笑うのは孫家の長兄、冬袁。

そしてその横には穏やかな表情の女性が椅子に座って春麗を見つめていた。

その女性が悪戯っぽく笑う。


「それより春麗、あなたの想い人にはお会いできませんの?」


それを聞いた春麗が申し訳なさそうな顔をして問い掛けた女性に視線を移した。


『残念ながらシャングはリンデンパークです、母上』

「そうなの?」

『こちらもASの製産が始まった関係で新兵が増え、その訓練で寝る間もない程なのです』

「まぁ、それは残念ね……夏袁から春麗が帰って来ると聞いて楽しみにしてましたのに……」

『北淋と西寧府がこうして繋がったのです。いずれ近いうちに紹介します。その時を楽しみにしていてくだされ』

「ふふ、そうしますわ」

「春麗、あまり大っぴらに他族の人間をカメラに出すな。北淋だって兵士全員にワクチンは行き渡ってないし、こっちに至っては私と母上、それに母上の身の回りの世話をするごく一部の人間しか接種してないのだ。万一見られると面倒だぞ?」

『分かっております。だからこうして割り込みの出来ないレーザー通信にしたのではありませんか?』

「そう言う意味では無いんだが……」


冬袁が苦笑いを浮かべる。

どうも春麗は久々に家族の顔が見れて浮かれているようだった。


「冬袁様、そろそろ皇袁様がご出立されるお時間です」

「分かった。では春麗、くれぐれも私の居ない時に通信は開くなよ?」


『あっ!?兄上、その前に……』


通信を終えようとした冬袁を春麗が慌てて呼び止めた。

久々の再会で世間話に花を咲かせ、肝心な事をまだ言ってなかったのだ。

だから春麗の表情はさっきまでと売って変わって真剣なものになっていた。


『兄上はこの戦い……どうなると考えておられます?』

「どうとは?」

『勝てるとお思いですか?』


そう質問された冬袁の表情が沈鬱なものに変わった。

それはこの戦いが決して楽観できないものである事を物語っている。


「こちらに対抗する形でヴィンランドはその全ての戦力を引き出してきた。一方のこちらも出し惜しみなしだ。ここで雌雄が決するのはまず間違いないだろうが、どちらが勝つかは正直私にも分からん。ただ……」

『ただ……?』

「どちらが勝つにしろ……勝利者側の被害も尋常では済まんだろうな」

『それが分かっていて戦われるのですか?』

「これは私の意見だ。他家の人間……いや、父上や焔秋ですら負ける事など考えておらんよ。ランドシップなど、接近すれば只の城攻めと変わらんと徇儀殿は豪語してるくらいだ」

『それはそうかも知れませんが、ランドシップ六隻の連携は驚異です。それにいざとなれば向こうも陣地を捨てて移動しますぞ?そうなったら取り付くのも困難になります』

「一応手は考えているようだが、こればっかりは当たって見なければ分からんな」

『兄上……』

「なんだ?」

『これはシンからの伝言です。無理に侵攻せずとも、睨みあっているだけでヴィンランドは五年で干上がると。ですから……』

「春麗……それを皆にどうやって納得させる?本来、私があっちの実状等知る術は無いのだ」

『しかし……』

「だが良いことを聞いた。だから暫し時を待て」

『時を?』

「他家の連中も多少痛い目見れば目が覚めるだろう。そうしたら後退、睨み合いの形に持っていこう。後は北淋と西寧府でワクチンを大量に生産して他家にも接種させればいい。口実は何とでもなる。全員に行き渡る頃にはヴィンランドも資源が枯渇して和平に応じるだろう。そこに落ち着くよう持っていこう」


それを聞いて春麗の表情に思わず笑顔が溢れた。冬袁に任せておけば大丈夫だと確信したのだ。


『それを聞いて安心しました。では兄上、お呼び止めして申し訳ありませんでした。母上も、いずれまた』

「うむ。猫々殿、色々とご足労をかけたな。礼を言う」

『とんでもありません~。それでは失礼しますぅ』


通信が切れて二人の笑顔がモニターから消えると、すぐさまカーテンが曳かれて壁一面を覆い隠してしまった。

それを見届けた冬袁は母親の前に移動してスッと片膝を突く。


「それでは母上、私はこれで……。何か伝言があれば承ります」

「ご武運を……。そして妻として……母としては無茶をしないでくださいね……と」

「承知しました」


笑顔で立ち上がった冬袁が部屋を後にする。

そして奥に仕える女官の案内で後宮の門を潜り抜けた時、それを待っていた部下の一人がスッと近付いて冬袁に何事か耳打ちした。

それを聞いた冬袁の表情が驚きに変わる。


「小陽が襲撃された?」







サンアローズから遥か西に800キロ。

南部戦線とは全く関係のない内陸部のこの街に、ヴィンランド側の切り札とも言えるアインス、ツヴァイ、ノインの三人が投入されていた。

その三人が顔を見合わせ、次いで少し離れた所に視線を移した。

そこには腕はおろか顔の血管までをも浮き上がらせ、鬼気迫る表情で青いAS、碧瑠璃を纏ったアムの姿があった。

その足元には無力化した猿族の兵士達が横たわっている。


「あの女……意外と使えるな」

ツヴァイがニヤリと笑った。


「前とは大違いだね。薬物強化試験体って聞いたけど?」

その呟きにノインが返す。


「俺達みたいに一から兵士を造ると時間が掛かる。だから薬を使って手っ取り早く反応速度だけ上げてやろうってんだろ?」

「でも、良くあれで生きてたよね。てっきり死んだと思ってた」

「ふっ……俺もだ。だがお陰でフィーアの抜けた穴が埋まる。格闘戦は兎も角、スナイパーの腕は確かだ」

「さっきなんて、獣化の動きを見切って足を撃ち抜いてたしね」


まるで品定めするように感想を漏らすツヴァイとノイン。

しかし、その横でアインスだけは会話に加わる事なくじっとアムの事を見つめ続けていた。

それをいぶかしんだツヴァイが「どうした?」と尋ねる。すると、


「いや、何でもない。使えるなら使う。そう思っただけだ」


そう答えてツイっと視線を外した。そしてインカムに手を添える。


「Xー01より本部、状況終了」


するとすぐさま司令であるバカラ本人から返事があった。


『おい!ちゃんと生きたまま捕まえたんだろうな?』

「はい。部隊長と思われる者三名及び、その護衛五名の計八名を確保。全員獣化です。一部重傷の者も居ますが一応生きてます」

『よぉし、上出来だ!だが獣化は暴れると面倒だ。両肘と両膝撃ち抜いとけ。そしたらお前等は隊長の首根っ子掴んで連れて来い!他の奴等はその辺に転がしとけ。後で回収させる』

「Xー01、了解」


通信を終えたアインスが頷くと、それに応えてツヴァイ、ノイン、そしてアムの三人が黙って銃を構えた。そして……、


パンッ!パンッ!パンッ!パンッ!


と続けざまに銃声が響き渡った。

バカラの指示通り、動きが取れないように肘と膝を撃ち抜いたのだ。そこに一切の躊躇はなかった。


「ふん、害獣め……」


呻き声を上げる兵士を見下ろしながらアムが吐き捨てるように呟いた。

そして興味もなさそうに踵を返す。


「行くぞ、ランダース」

「分かってる」


アムはぶっきらぼうに答えてから何気なく空を見上げた。

何度も見た筈の青空。

だが……そこにはアムの見知らぬ空が広がっていた。





「零番隊、帰投しました」

「捕まえた奴は隔離して別々の独房にぶち込め!直ぐにも尋問始めんから零番隊にはそのまま付き添わせろ」

「はっ!」

「101より報告。敵部隊、街から完全に撤退した模様です」

「よし。AS隊は周囲を警戒しつつ家捜しだ!地図を見つけ出せ!但しここは敵地だってこと忘れんな!」

「はっ!」

「ベンソン、観測気球上げろ!逃げた奴等の足取り追え!近くに別動隊がいると面倒だ。マッピングも忘れんなよ!」

「了解」

「司令、医療班から連絡です。何を聞き出せば良いかと聞いてますが?」

「あん?決まってんだろ。街の在りかを吐かせんだよ。奴等の首都……西寧府の在りかをな」







何も見えない真っ暗闇の中にアムは立っていた。

音も聞こえない。

匂いもない。

ただキーンと耳鳴りがする程の静寂と無だけが広がっていた。

だがそんな場所であるにも関わらず不思議とアムに恐怖心はない。

何故なら誰かにぎゅっと抱き締められているのだ。

その誰かが微笑んでいる。

でも顔は思い出せない。

でも分かる。とても暖かいのは。

その誰かがアムをスッと引き離した。いや、離れたのは自分の方からか?


もう大丈夫……。


何が?

寂しそうに笑う自分に自ら問い掛ける。


ありがと……。


嘘つき!何が大丈夫よ!ホントは一緒に居たいくせに!ホントは止めて欲しいくせに!!

心が叫ぶ。

だがその声も空しく、誰かが暗闇の中にスーッと消えていく。

アム一人をその場に残して……。


いや!置いてかないで!一緒に居たいの!お願い!一人にしないで!お願いよ!!◯△ッ!!!




「いっつ……」


翌朝。

目覚めたアムが身を起こそうとすると、途端に痛みが駆け巡った。身体中の筋肉が悲鳴を上げているのだ。

それを堪えて何とか身を起こす。


「……はぁ」


ゆっくりと、静かに深呼吸をする。

たったこれだけの動作で心臓がバクバクと高鳴っていた。

身体もだるい。

両手を後ろに突き、天井を見上げながらもう一度深呼吸する。

今度は長く……大きく……暴れる心臓を落ち着かせるように。

そうして一息付いてから自分の指先を見つめた。

ふるふると小刻みに震える指先……ピリピリと痺れる指先を。

あの薬を使って身体を動かした後はいつもこうだった。

人間の反応速度を強引に引き上げる強化薬。

この薬とASのアシストにより、アムはアインス達に迫る程の力を得た。

だがそれは反応速度だけだ。

アインス達と違って身体が強化されている訳ではない。その代償がこれだった。

要は反応速度に身体がついていけないのだ。

薬には興奮作用と痛みを抑える成分も含まれているので、効果が持続している間はどうと言う事はないのだが、薬が切れると途端に身体中が悲鳴をあげた。

まるで乱暴な扱いに抗議するかのように。

これが身体に良い訳が無いのはアムとて重々承知している。

だがこれを使わないと獣化を圧倒出来ない。そして恐らく奴も……。




目覚めた時は椅子に拘束されていた。

記憶があるのはそこからだった。

何も思い出せない。

自分が何者なのかと言う事も。


「チャームライト・ランダース。お前は咎人だ。罪を犯した罰として記憶を奪った」


ルーファスと名乗った男はそう言った。


「本来ならお前は強化薬の検体として死ぬ運命だったが、運良く生き残った。薬との相性も良い。だからチャンスをやることにした」


そう言って男は一枚の写真を見せた。

戦闘中の記録から写真に起こしたものだろう。少し荒いが白いASを纏った黒髪の男が写っていた。


「名前はシングレア・ロンド。人間のくせに北のワービースト共に与する裏切り者で、AS隊を統べる男だ」

「シングレア……ロンド……」

「期限は半年。それまでにこの男を殺せ。そうしたら記憶を返してやる。元居た暖かい世界に戻してやる。出来なければ死ぬだけだ」


半年という期限が単に死刑執行までの時間なのか、或いは薬に蝕まれて死ぬまでのリミットなのかは知らない。

どうでも良い事だ。どうせ選択の余地はないのだから。



夢の続きを思い出す。

あの人は家族?それとも……。


何だか知らないが罪を犯した。

それを精算出来て記憶も手に入れられる。

いや罪はどうでもいい。あの記憶……あれを取り戻す為なら何だってやる。

そう改めて決意するアムだった。







「失礼します」

「来たか」


昼過ぎの『パッタイ』医務室。

やたら姿勢良く入室してきたアムを見て、女医のエリザベートが笑いながら迎えた。何故なら、


「ふっ……背中か首でも痛めたか?そんな厳めしい顔してても見え見えだぞ?」

「すいません、実は背中を。終わったらで結構なんで痛み止めを頂けませんか?」

「別に今飲んでも構わんよ。そら」


そう言ってエリザベートが薬を手渡してくれた。それを口に含んでから水の入ったボトルを受け取る。


「何人相手にした?」

アムが薬を飲み込むのを待ってからエリザベートが尋ねた。


「二人。……撃ち漏らしたら接近されちゃって……」


ボトルを返しながらアムが答える。

それをテーブルに置いたエリザベートは今度は聴診器を手に取った。

アムも慣れたもので既にシャツのボタンを外しに掛かっている。

バイタルチェック。

これがアムの日課だった。

指示したのは研究所で、薬を摂取し続けた際の身体への影響を観察する為のものだった。

尤もアムの体調を慮ってではなく、今後の検体に生かす為の追跡調査の意味合いだが。


「食事は?」


胸に聴診器を宛てながらエリザベートが尋ねる。


「今日はお茶だけ……気持ち悪くて……」

「頭痛は?」

「先生の指示通り、戦闘時以外服用しなくなったらなくなりました」

「そうか」

「でも良いんですか? 軍からは常時服用しろと命令されてますが?」

「構わん。お前は初めて強化薬に耐えた貴重なサンプルだ。常用して早死にされては困る。不服か?」

「いえ。出来れば私も死にたくないし」


アムが真顔で答える。

エリザベートは聴診器に集中していたのもあるが、それに対して何も返さなかった。いや返せなかった。

とても冗談に聞こえなかったからだ。

だから無言で診察を続けた。

アムも黙って聴診器を当てられている。

そんな二人の間を時間だけが静かに流れていった。


「他に変わった事は?」


今度は血圧計の用意をしながらエリザベートが尋ねた。


「変わった事と言うか……最近、夢を見ます」

「夢……?どんな夢だ?」

「誰かに抱き締められてる夢です。その人といると、とても安心します……」

「そうか……」


本人は気付いてないかも知れないがこの時、いつも緊張して厳めしい顔をしているアムが穏やかに微笑んでいた。


こんな顔も出来るんだな……いや、これがこの子本来の顔か?


そんな事を考えながらエリザベートがアムを眺める。


「でも……」

「うん……?」


アムは突然くしゃっと顔を歪ませると、俯いて黙り込んでしまった。

肩が震えているのは声を殺して泣いているのだろう。

そのアムが湿った声でポツリと呟く。


「……最後は……何も言わずに消えてっちゃうんです。……それが悲しくて……切なくて……」


ぎゅっと握った手の甲に涙がポトリと溢れ落ちる。

無理もあるまい。

強がっていてもまだ少女の域を出ていないのだ。

たった一人で迫り来る死の恐怖に抗うには、今の境遇は過酷過ぎる。

そして、そんな境遇に追いやった責任は間違いなく自分にあった……。

エリザベートがあの時の事を思い出す。

アムが捕虜になった、あの時の事を……。





あの時、部屋を追い出されたエリザベートは躊躇する事なく別室に飛び込んだ。そして、


「ベンソン!」


直ぐ様、艦長のベンソンに連絡を取った。部屋のロックを解除するにはベンソンの力が必要だったからだ。

いつもと違うエリザベートの慌てた様子に只事ではないと感じたベンソンがアインス達との会話を中断する。


「どうされました、先生?」

「医務室だ!ダダノマとか言う奴が来て勝手に捕虜の尋問始めやがった!獣化用の自白剤使ってだ!直ぐ来てくれ!」

「分かりました」


ぐだぐだ聞いている暇はない。

緊急事態だと悟ったベンソンがスッと席を立つ。

そしてアインス達を促すと、急ぎ足で艦橋を後にするのだった。


受話器を置いたエリザベートが忌々しそうな顔でドカン!と壁を叩いた。


「ったくアルの奴、何だってこんな肝心な時に居ないんだ!」





「そろそろ効いてきたか?」


アムの表情から意識が白濁してきたのを見て取ったダダノマがニヤリと笑った。

そしてアムを見下ろしながらその額にポンッと手を置く。


「そんじゃあ答えて貰おうか。『グリッツ』を奪ったのはお前等だな?」


だが、それに対してアムは何の反応も示さなかった。ただ虚ろな瞳で天井を見上げ、「はぁ……はぁ……」と荒い息を吐いている。

それに怒ったダダノマがアムの前髪をわしっと掴んだ。


「おい!聞いてんのか!」


両目を剥き出したダダノマが顔を近付ける。そこで初めてアムの反応があった。


「……なぁに?」

「『グリッツ』を奪ったのはお前等かって聞いてんだよ!答えろ!」

「……『グリッツ』?……はぁ、はぁ……『グリッツ』……」

「緑のランドシップだ!知ってんだろ!」

「あぁ……はい……はぁ……『グリッツ』……所属の……ランダース、です……」

「『グリッツ』所属?あぁ……要は持ってったって事だな?よし、じゃあ次だ。お前の仲間の事を話せ」

「……仲……間?」

「そうだ。仲間だ。沢山居るだろうが?」

「……シンと……はぁ、アクちゃん?……」

「シン? 本名は?名前を言え!」

「はぁ……シングレア……ロンド……」

「もう一人は?」

「……もう一人?……もう一人って、……シン?……うっ……」

「アク何とかだろうが……ちっ、まぁいい。他には?他の奴を言え」

「他……に?……はぁ、はぁ、シン……」

「あぁ、じゃあそのシンだ!そいつは誰だ?隊長か?」

「……シン……はぁ、隊長、……はぁ……シン……シン……」

「隊長だな。じゃあ、次はその規模だ!ASは何機ある?何中隊いるんだ?」

「シン……シン……はぁ、はぁ、……シン……」

「おい!シンもういいんだよ!答えろ!」

「……はぁ、はぁ、……いや……シン……シン!」

「あん?」

「……やだよ……やっぱり……一緒に、居たいよ……止めてよ……シン……シン……」

「おい!何泣いてんだ!シンはいいんだよ!いい加減にしろ!ぶっ叩くぞ!!」

「……はぁ……はぁ……シン、シン……ふふ……ふふ、もう……シンたら……さっきから、ああしか、言っえなえお?……ふふ、いん……いん……いっいあ……はぁ……えあい…………」


そこでアムの表情が変わった。顔が強ばっているのだ。

涎を垂らしている上に呂律も回っていない。

頭の血管が破裂して脳を圧迫しているのは明らかだった。

そうと見て取ったダダノマが「ちっ!」と舌打ちしてアムの髪を放した。これ以上は無駄だと悟ったのだ。


「くそったれ……もう逝っちまいやがった。おい!尋問は終わりだ!ひん剥け!」

「は、はい」


部下の一人がアムの拘束を解いてASスーツを脱がしに掛かる。

ジッパーを下ろされ、肩から腰までずり下げられて露になったアムの胸が小さくプルンと揺れた。

それを見たダダノマがペロリと舌舐め擦りする。

もう待ちきれなくなったのだろう。自らスーツに手を掛けたダダノマがアムの両足を持ち上げ一気に足から抜き取った。


これで残すは一枚。


その時だった。

ピッと音がして医務室の扉が強制的に開かれたのは。

艦長のベンソンの権限でロックを解除したのだ。


「そこまでにして貰いましょうか、ダダノマ隊長」


アムの下着に手を掛けていたダダノマが、


「あぁ?」


とドスを効かせて振り返る。

そこには例の女医を始め、艦長のベンソンと零番隊の面々がダダノマ達を睨みつけていた。


「これは一体どう言う事ですかな?事と次第によっては正式に抗議しますぞ?」

「ああ!?抗議?ふざけんな!お前等の隊長が裏切ったから俺が代わりに尋問してやってんじゃねぇか!邪魔すんじゃねぇ!」

「あなたにそんな権限はありませんな」

「なんだと!?総隊長権限だろうが!作戦中の『パッタイ』は『トルティーヤ』の指揮下に入ってんだ。なら俺のが上官だろうが!つべこべ言ってっと営倉にぶち込むぞ、デブ!」

「作戦は二十分も前に終了してますな。今のこの艦の責任者は艦長である私です。その上で聞きましょう。これは一体どう言う事ですかな?ダダノマ隊長」


「……ちっ」


ダダノマが舌打ちしてそっぽを向いた。

こっちに出向いてて作戦が終了していた事を知らなかったのだ。これではダダノマの言い分は通らない。


「それに……これはどう見ても尋問には見えませんな。それとも『トルティーヤ』では尋問で女性の服を脱がすのが流儀なので?」

「なんだと!?ケンカ売ってんのか、てめぇ!」


痛い所を付かれたダダノマが目を剥き出してベンソンに詰め寄った。脅して誤魔化そうとしたのだ。

だが、その前にアインスがスッと立ち塞がる。

両目を大きく見開き瞬きもせずに睨み付けるダダノマを、目を細めたアインスが鋭い目付きで睨み返した。

まさに一触即発。

ツヴァイとノインの二人もダダノマが気に入らないのだろ。威嚇するように睨みつけている。

それに水を差したのはベンソンだった。


「吠えるのも結構ですが、一部始終を録画してます。それでもやりますかな?ダダノマ隊長?」


ベンソンに言われてダダノマがチラリと上を見た。

そしてギクリとする。

確かにカメラが設置してあったのだ。

不利を悟ったダダノマが小さく「……ちっ」と舌打ちを漏らした。

正直、アムを犯す事だけ考えていてこんな所にカメラが設置してあるとは思ってもいなかったのだ。

これでは例えグリマルディーに都合の良い報告をしても証拠を見せられてお終いだろう。

ここは素直に引くしかない。

そう悟ったダダノマが腹いせにペッ!と唾を吐き棄てた。


「……行くぞ!」


そう言って出口に向かって歩き出す。

慌てて部下達も続いた。

だが、そのまま部屋を出ていくと思われたダダノマがベンソンの横でスッと立ち止まった。そして、


「てめぇは、いつか殺す……覚えとけよ?デブ……」


そう捨て台詞を残して部屋を後にした。

それを黙って見送るベンソン。

別に萎縮している訳ではない。

年齢も階級もない。

自分以外はカスだとでも言いたげなその傍若無人な態度に不愉快になっていただけだった。

そのベンソンの脇をすり抜けてエリザベートがアムに駆け寄る。


「いかん!?」


そしてアムの症状を一目見るや、慌てて内線電話に飛びついた。


「おい!スキャンの準備だ!急げ!それと患者も搬送する!医務室に人を寄越せ!大至急だ!」


スタッフに指示を出し終えたエリザベートが再びアムに歩み寄りながら上衣を脱いだ。

そして露になったアムの身体にそっと被せてやる。

それを横目にベンソンが尋ねた。


「どうです?」

「頭の血管が破裂してる……間に合えばいいが……」

するとどうだろう。


「なら……このまま死なせてやるのが彼女の為かも知れませんな」


と、ベンソンが呟いた。

それを聞いたエリザベートが血相を変える。


「ベンソン!貴様、本気で言ってるのか!?」


その批難するエリザベートの目をベンソンが真っ直ぐ見つめ返した。


「今のヴィンランドでは罪人に対する扱いは酷いものです。このまま死んだ方が幸せな程に……」


それを聞いたエリザベートは言葉を失った。

確かにベンソンの言にも一理あるのだ。だが……。

エリザベートがアムを見下ろす。

あんな薬を無理矢理射たれ、意識を無くしたまま涙を流すアムの姿を……。

その涙をそっと右手で拭ってやりながらおでこに手を当てる。


「でも……この子はまだ生きてるんだ。……医者として……見殺しには出来んよ……」




あの時、一人の少女が壊れていく様を見ている事しか出来なかった自分。

ニュー・ヴィンランドに着いてからも、軍の指示通り研究所に身柄を引き渡す事しか出来なかった自分。

結局、何も出来なかった。

ベンソンの言う通り、あのまま死なせてやれば良かったのかと自問自答する日々が続いたものだ。

それがどうだ?

後悔に暮れるエリザベートの前に再び彼女が現れたのだ。

記憶を無くし、強化薬の検体と言う肩書きを持って。

幸いにして『パッタイ』は直ぐに作戦行動に入った。暫くヴィンランドに帰る事はない。

そして検体であるアムの管理は医師である自分の手に委ねられた。

なら、今度こそ自分が守ってやる。

常用しろと指示されていた薬の服用を止めさせたのもそう言う事だった。

記憶は恐らく後遺症だろう。切っ掛けさえあれば戻る。問題は首輪か……。

エリザベートが思いを巡らす。その時だった。


「先生……?」


呼ばれてハッとする。

いつの間にか泣き止んでいたアムが、首を傾げてエリザベートを見ていたのだ。


「あぁ、すまん。ちょっと考え事してた」

「いえ……こっちこそすいません、変なとこ見せちゃって……」


アムが照れくさそうに笑った。

そのおでこにデコピンを一つ咬ましてからポンッと頭に手を置く。


「子供が遠慮するな。泣きたきゃいつでも来い。慰めたりはせんが、見て見ぬ振りくらいならいくらでもしてやる」

「先生、いくらなんでも子供は酷いですよ」

「何言ってる。まだまだ子供だよ。私からしたらな。あぁ、服は着なくていい。今日は心電図と脳波も取る。術着に着替えてベットに横になれ」


ジャケットに手を伸ばしていたアムが動きを止めてエリザベートを見た。躊躇しているのだ。


「でも……出撃命令が出るかも知れません」

「今日はいい。私からアルに言っとく」


それを聞いてアムがクスッと笑った。


「そう言えば、先生ってバカラ司令のお姉さんなんですよね?」

「そうだ。どんなに偉くなっても姉に逆らえる弟はいない。だから安心して横になれ」

「ふふ……分かりました」


素直に従ったアムがベッドに移動する。

そして着ていた服を脱ぎ、駕籠にあった術着を着込んでからベッドに横になった。


「少し時間が掛かる。寝ててもいいぞ。その方が正確なデータも取れるしな」

「はい。ではお言葉に甘えて……」


返事をしたアムが静かに両目を瞑った。

やはり疲れが残っていたのだろう。エリザベートが電極を貼り付け終わった頃には小さな寝息が聞こえてきた。

それを慈しみを込めた瞳で見つめる。


「……おやすみ」


やがてエリザベートは小さく呟くと、アムに毛布を被せ、明かりを落としてやるのだった。







ニュー・ヴィンランドの南方、僅か150キロ余りの地点。

猿族の手に落ちたサンアローズとのほぼ中間地点にヴィンランド軍は長大な防御陣を築いていた。

砲台を設置したトーチカを浮き島のように据えて歩兵と工兵を籠らせ、それをいくつも構築して魚鱗の陣とし、その後方に護衛艦を城壁の様に並べて配置。

そしてそれ等を統率する形でファラフェル級戦艦である『トルティーヤ』を中央に据える。

それは最早一つの城だった。

『トルティーヤ』を本丸に例えたら、これ等の護衛艦やトーチカは出丸や城壁の役割を担うのだ。


それが三つ。


『トルティーヤ』の東に『シュラスコ』を、西に『シュニッチェル』を配置して同じような陣地を構築していた。

だから猿族からしたら三つの城を同時攻略するような感覚だろう。

いや、それ以上か?

何故ならこの三つの陣地は互いに連携出来る距離を保っているのだから。

因みに一つのトーチカに籠るのは精々50人だ。当然、敵は一気に踏み潰そうとするだろう。

それに対し此方は猿族に勝る圧倒的な火力でもって応戦する。

だが猿族は強大だ。

勇猛で被害も省みず突撃して来る可能性もある。

しかし、それが狙いでもあった。

もし敵が迫って支えきれなくなった場合はトーチカを放棄して速やかに後退し背後の陣地に合流する。

一方、敵の進撃路はトーチカを迂回する為に限定されるだろう。

そして進撃路が限定されていれば例え相手が獣化でも通常兵士とドローンでも充分対応が可能だ。銃撃を集中出来るからだ。

要はトーチカが敵を誘導する通路の役目を果たすのだ。

勿論ASも護衛艦に隠れる形で多数配置する。

こちらは機動力を生かし、機を見て敵に打撃を与える。

それだけではない。

更にその後方10キロに少し間隔を広げて『グヤーシュ』『ファラフェル』『フェイジョアーダ』の三隻を配置。

こちらは砲撃支援を目的としている為、護衛艦を従えたのみで野戦陣は組んでいない。敵の動きに臨機応変に対処する為だ。

まさに鉄壁の守り。

残る問題は……。


「しかし司令、これだけの備えに敵が態々来るのでしょうか?」


前衛中央を任された『トルティーヤ』のブリッジ。

ほぼ完成した野戦陣を紅茶片手に眺めるグリマルディーに艦長のエリオットが尋ねた。

だがグリマルディーはそれには答えない。悠々と紅茶を飲んでいる。

まるで一時の紅茶の時間を邪魔するな。そう言っているようだった。

やがて最後の一口を飲み終わったグリマルディーが空になったカップを従者に渡す。

そうして自分の椅子に向かいながらやっと、まるで他人事のように答えた。


「来ざるを得んだろうな」


と。

椅子に腰掛けたグリマルディーが足を組む。


「もしここを迂回すれば、突出した敵は退路を断たれて孤立する。トーチカの魚鱗の構えは南は勿論、北側に対しても有効なのだからな。我々はトーチカを残して全艦で出撃。敵に取り付かれないよう距離を取ってひたすら砲撃してトーチカに追い込めば良い」

「ですが司令……それ以前に出撃して来ない事も考えられますが……」

「それならそれで構わんよ。我等はここを拠点に艦隊を前進させてサンアローズを砲撃するのみだ。こちらの目的は奴等を撤退させてその棲み家を探る事にある」

「では……」

「あそこを落としていい気になっているが、奴等は自ら死地に飛び込んだのだよ。君はそれを踏まえた上で艦の行動を心掛けていればよい。それより逆茂木の設置は終ったのだろう?何故未だに工兵が穴堀などしているのだね?」

「ダダノマ連隊長の指示で、逆茂木の周囲に落とし穴を掘っております」

「落とし穴?……ふん、程ほどにさせておけ。敵に塹壕代わりに使われると厄介だ」

「了解しました。おい!」

「はっ!」


通信士がダダノマに連絡するのを横目にグリマルディーが東から西へと連なる陣地を見回す。

確かに良く考えられた陣だ。

現在、両軍の緩衝地帯は互いが牽制しあって偵察隊が近付けない状況にあった。

サンアローズの防衛システムが敵の手に落ちた関係で観測気球も接近出来ない。

だがこちらが接近出来ない以上、それは敵も同様だった。

敵の強行偵察隊が接近出来たとしても精々10キロだろう。

そんな所から伺ってもトーチカが見えるだけで、此方の陣地の奥深さまでは分かるまい。奴等は必ず誘い出されるだろう。


だがこれで本当に勝てるのかね?負ければ人類はお終いだぞ?


そう問いかけたご老公(サカマチ老人)の顔が過る。統合作戦本部で開かれた会議の結果を報告に行った時の事だ。

確かにこれは背水の陣でもあった。

何故ならヴィンランド軍はここに、現在動員し得る全戦力を投入していたからだ。


ならそんな賭けには出ずにニュー・ヴィンランドに籠城すればいい。奴等はそのうち撤収する。その時、全軍を持って追い討ちを掛ければよい。


確かにそれも一利ある。

だがそれでは意味がないのだ。奴等の棲み家を特定出来ないからだ。

軍の切り札をこっそり知らされたグリマルディーはそう考えていた。

いや、それ以前に敵が掛かって来なかったら?

こちらがサンアローズ奪還の意思を見せないのを良い事にひたすら守備を固めたら?

結局はランドシップを進めての砲撃戦になるだろう。

だがニュー・ヴィンランドから出撃したのでは兵站線が極端に伸びる事になる。

そうなれば当然、補給を考慮しなければならないだろう。それが問題だった。

所々に点在した森や林に隠れて接近され、武器弾薬や食料を積んだ輸送艦隊が全滅させられる危険性も出てくるのだ。

やはり今しかないのだ。

サンアローズを落とした直後の今だからこそ、我軍はここまで進出して主導権を握れたのだ。


「勝てば勢力図が一気に塗り変わるな……」

「は……?」


グリマルディーの呟きを聞いたエリオットが何の事かと聞き咎めてきた。


「いや……なんでもない。独り言だ」


それに誤魔化すように答えて再び思考に耽るグリマルディー。エリオットも特に追求はしてこなかった。


〈風を見誤ったかも知れんな……〉


この戦いに勝てば作戦を主導したグリーンウッド将軍の地盤は揺るがぬ物となるだろう。

そうなればサカマチ一派の自分は肩身が狭くなる。それを言っているのだ。


「一雨来そうだな……」


遠く南の空を見ながらグリマルディーがポツリと呟いた。







山の稜線に沈む紅い夕陽。

その夕陽を受けて静かに佇む黒い船体、『パッタイ』。


今夜はここで野営するつもりなのだろう。既にその周囲を赤い光をチラチラさせてドローンが警戒にあたっていた。

その『パッタイ』のブリッジ。


「どうだ?」


観測気球で人の流れを監視していた解析官にバカラが尋ねた。

小陽を破壊した『パッタイ』が30キロ程後退してここに腰を据えてから、既に三日が経過していた。


「退却先は二ヶ所です。一つは纏まった部隊が南東に移動しました。これは恐らくサンアローズに合流するものと思われます」

「ふん、そんで?もう一個は?」

「南南西です。一般人が多数混じっていましたので、自白した捕虜の証言から馬傭関とか言う街に向かっていると思われます」


それを聞いてバカラがちっと舌打ちして腕を組んだ。


「……西寧府があるとしたらその向こうか」


ブリッジ上部のモニターには観測気球でマッピングした小陽付近の地図が表示されていた。

だがそれは小陽の周囲30キロまでだ。馬傭関のはっきりとした位置までは分からない。西寧府等尚更だ。


「ですが司令……そこまで気球を飛ばしても通信は出来ません。やはりこの広大な地域から単艦で西寧府を探し出すには無理があるのでは?」

「当たりはついてんだ。なら行くっきゃねぇだろ……馬傭関までよ」

「危険です!?北と違ってこの先は入り汲んだ山間です。そこに単艦で入り込むなど……」

「瞬殉しても始まんねぇ。覚悟決めろ、ベンソン」

「ですが……」

「安心しろ。俺だって死ぬつもりは毛頭ねぇよ。だが今がチャンスなんだよ。サンアローズに部隊を集結させて手薄になってる今がな。だが後三日もすればそれも出来なくなっちまう」

「何故です?」

「防御体勢敷いちまうからだよ。ってな訳だ、明日は早朝に此処を発つぞ。馬傭関とやらをAS隊で攻撃させたらどさくさに紛れて観測気球飛ばして中継機設置しろ。作戦時間は一時間。侵入経路は小陽の一本東の盆地だ。今晩のうちに観測気球進めとけ!それと迷子になんねぇようにビーコン置いてく。準備させとけ!」

「はっ!」


指示を出し終えたバカラがふんぞり反ってモニターを見上げる。

馬傭関の位置は分からないが、あっても精々小陽から50キロだろう。

但し、ここは敵の勢力圏。

おまけに見通しの悪い山間を進むときた。普段ならバカラでも絶対にしない芸当だろう。木々に紛れて獣化の接近を許すからだ。

だがやるしかない。こんなチャンスは二度とないのだから。


「おい!誰かコーヒー持ってこい!」

「はっ!」


慌てて駆け出す部下を眺めながらバカラがフッと笑った。


「これで見つかんなきゃアウトだな……」







降りしきる雨の中、猿族の街であるここ慶陽に陸路と水上を埋め尽くす程の軍勢が次々と到着していた。

その数五万。

いずれも西寧府を出立した部隊だった。

それを率いるのは大族長、孫皇袁と小族長の劉大元。

どちらも五十に届こうかと言う歳で、その人生の大半を戦いに費やしてきた歴戦の猛者だ。

その二人を乗せた車両が宿所である屋敷の玄関先にと到着したのは薄闇迫った夕方の事だった。


「皇袁殿、遠路遥々と痛み入りますの。大元殿もご苦労じゃ」


車から降り立った皇袁が怪訝な表情を浮かる。

楊家の先代、楊玄柳が笑顔で出迎えていたのだ。


「玄柳、てっきり塩州で兵の指揮をとっているものと思っていたが?」

「ほほ……儂ゃ、楽隠居の身でしてのぅ。気儘なもんですわい」

「ふふ、竜令殿に邪魔者扱いされましたかな?」


皇袁に続けて降りた大元が笑いながらからかうと、玄柳も、


「ふぉっほっほ……まぁ、そんなもんじゃ」


と言って屈託なく笑った。


「時に皇袁殿、焔秋殿の姿が見えんようですが?」

「じじい達の相手なんかしてられるかと言って船着き場で別れた。大方、滔林か呼成と飲むのであろう」

「ふぉっほっほ……お互い息子には邪険にされますの」

「ふん、そのようだな」


笑いながら玄柳が先に立って歩き出す。皇袁と大元も笑いながらそれに続いた。


「それでは今日は憐れなじじい達でよろしくやりますかな。のう?大元殿」

「程ほどにさせてもらいますぞ。明日には此処を発ちます故」

「心配せんでもこの雨は二、三日は続くわい。明日は一日兵馬の休養に当てるのが良いじゃろうの。進発は二日後の早朝じゃ」

「玄柳、それを打ち合わせる為に態々来たのか?」

「まぁ、そんなとこですじゃ。足並みが揃いませんと意味がありませんからな」

「では決戦は早くて五日後……と言う事ですな。しかし態々来られると言う事は成り損ないの通信妨害でも?」

「いんや、それはないが万一にも此方の情報が漏れる危険は避けとかんとな。……向こうも切れ者がおるようだしの」


そう言って玄柳が目を細めた。

『パッタイ』と『グリッツ』に手玉に取られた不甲斐ない戦いを言っているのだ。


「先の戦いでは玄柳殿でも互角の戦いに持ち込めなかったそうですな」

「ふふ……互角どころか、舞台に上げても貰えんかったわい」

「情報戦で負けたと言う事だな」

「……そうですの」


あれは常に先手を取られた。

兵を集めれば奇襲され、進撃すれば罠があり、全包囲の動きをみせた瞬間に各個撃破の憂き目にあった。

あの時の指揮官の……まるでこちらの考えを読んでいたかのような的確な動き。

だが……次はない。


「あそこを呉家と黄家が落としたお陰で色々と知り申した。あんな光学迷彩した気球で上から見られておったとは気付けんかったわい」

「光学迷彩した気球?それは目視では見えませんので?」

「いんや、有ると分かってて目を凝らせば見えるそうじゃ。尤も儂には無理じゃがの。しかしまぁ、今回は力押しじゃ。どんな小細工も通じんじゃろう。さぁ、続きは飯を食いながらじゃ」


玄柳が皇袁と大元を振り返った。

開け放たれた部屋のテーブルには豪華な料理が所狭しと並んでいる。


「ふん、では前祝いといくか」

「我らの勝利を祝って」

「ふぉっほっほ……」


負ける事など微塵も考えていないのだろう。

皇袁、大元、玄柳の三人がニヤリと不敵に笑った。







「ちっ……嫌な天気だぜ」


バカラが窓の外を見て忌々しそうに呟く。

とっくの昔に陽は登っている筈なのに外は薄暗い。小雨が降っているのだ。

これでは獣化に容易に接近される危険があった。

尤も奇襲を掛ける側としては好都合ではあるのだが。


「まぁ、やるっきゃねぇか。おい、ポイントアルファまでどれ位だ?」

「約5分」

「そんじゃあ始めっか。ベンソン!」

「は!総員、第一種戦闘配置!」

「総員第一種戦闘配置!」


直後、『パッタイ』艦内にけたたましい警報音が鳴り響く。


「おい!観測気球は何処まで飛ばしてある?」

「小陽の南、約20キロです」

「おめぇはアルファ通過したら気球を探す事に専念しろ。進む先が分かんねぇんじゃ話になんねぇ」

「は!」

「おい!敵を見つけても無闇に発砲すんじゃねぇぞ!」

「り、了解」


バカラは緊張する火器管制官に一言釘を刺すと肘掛けに設置された受話器を取り上げた。


「マッケンジー!手筈通り左右のデッキに二個中隊出して警戒に当たらせろ!」

『101、了解!』

「ASが表に出たらハッチは全部ロックして通路にドローン配置しとけ!」

「はっ!」


部下が復唱して程なくすると、ツーマンセル編成の小隊が各デッキに3チームづつ配置に付いた。獣化の接近を警戒、撃退する為だ。

それを見てバカラがふんと鼻息を漏らす。


「虎穴に入らずんば虎児を得ず……つってもなぁ、出来りゃあ入りたくねぇな」

「司令、今なら戻れますが?」


ベンソンがニヤリと笑ってバカラを見た。


「へっ……おめぇも冗談が言えるようになったか」


それに口の端を吊り上げてバカラが応える。

もう目の前には山が迫っていた。そこから先は猿族のテリトリーと言う訳だ。


「行くぞ!気合い入れてけ!!」


バカラが吠えた直後、『パッタイ』が山間に入り込んだ。


「アルファ通過!ベータまで2500!」

「速度を落とせ。以後の操舵は任せる。ルートを外すなよ」

「了解」

「おい!ビーコンの射出準備だ。ベータの手前500になったら射出しろ」

「了解!」

「マップだ!観測気球は?」

「そ、それが……風に流されてるようで……」

「んだと、さっさと見つけろ!マップデータは残り5000しかねぇぞ!」

「は!」

「観測班より連絡、11時の方角に監視所らしき建物を発見」

「そんなの放っとけ。まだ音は出したくねぇ」

「司令!気球を発見しました!」

「ならとっととアクセスしてデータを受信しろ!」

「了解!」

「間もなくポイントベータ通過します」

「取り舵20」


直後、『パッタイ』がググッと左に進路を変えた。盆地が二股に分かれていたからだ。

途端にブリッジの全員が強い圧迫感を感じた。さっきよりも山の斜面が近い。


「ちっ……思ったより遮蔽物が多いな。表の奴に油断すんなって伝えとけ!」

「了解」

「ポイントガンマまで1800!」

「マップだ!」

「今、出します」


バカラとベンソンがブリッジ上部のモニターを見上げる。

新たに受信したマッピングデータにより、ポイントガンマの先の地形図が一気に広がっていた。そして、


「あれが馬傭関でしょうか?」


ベンソンが呟く。

ポイントガンマの南西15キロ程の所に街が見て取れたのだ。


「間違いねぇだろ。おい!ガンマの先は右だ!1キロ進んだら停止させろ!」

「了解。ガンマ通過後、減速を開始します」

「厳戒体制!もう撃っても構わねぇから敵を近付けさせんな!」

「了解!」

「ベンソン!」

「は!AS隊、発進させろ。ミサイル発射準備!」

「了解!ハッチ開放します」




左舷第一デッキ。

小さな起伏が多いのだろう。時々突き上げるような振動の中、発進体制を整えたAS隊が中隊毎に纏まって待機していた。その中には碧瑠璃を纏ったアムの姿もある。


「ツヴァイ、ノイン、マップデータは更新されたな?」

「あぁ」

「オッケー」

「ランダースは?」

「問題ない」


ツヴァイとノインと違って目も合わせようとしないアムを見てアインスがフッと笑った。


「そう緊張するな、ランダース。俺達に付いて来ればいい。フォローくらいはしてやる」


するとアムがスッと横目でアインスを見た。何を言ってるんだ?そんな顔だった。


「別に緊張なんかしてない」

「ふん。気にするなアインス。こいつはこう言う顔と性格だ」

「そういう事だ。だから私に構うなツヴァイ」


互いにふんっとそっぽを向く二人。

どうもこの二人は反りが合わないようだった。

それを見てノインが「あはは……」と苦笑いを浮かべる。


「気に入らないのは分かるが、戦闘中は私情は捨てろ。いいな?」

「ああ、分かってる」

「言われるまでもない」


再びそっぽを向く二人を見てアインスも苦笑いを浮かべた。

まぁ、やる事はやるだろう。そう思ったのだ。

その時、ASデッキにアナウンスが流れた。


『これよりハッチを開放する。AS各中隊は発進位置へ!』


それを聞いたアムが腰のポーチに手を伸ばして中から一本のアンプルを取り出した。

そして飲み口をポキッと折り、一気に喉に流し込む。

途端にアムの顔中の血管がボコッと浮き上がった。


「行くぞ」


一声掛けたアインスに続いてツヴァイがカタパルトに跨がる。ノインとアムはその後方だ。


『天候は雨、視界は500メートル、風速3メートルの横風あり。また、間もなく本艦は進路を右に取る。各機注意されたし』

「零番隊アインス、了解した。Xー01、発進する」

『進路クリアー、Xー01、発進よし』


「発進!!」


直後、アインスのASが押し出されて雨で霞む空に消えていった。ツヴァイも直ぐ様続く。


『続けてXー09、碧瑠璃発進!』


管制官のアナウンスとほぼ同時にノインが射出される。

それを横目にアムが腰を落としてカタパルトの取っ手を掴んだ。


「ランダースだ、碧瑠璃発進する」

『碧瑠璃、発進よし』


「発進!!」


アムが復唱した直後、足の裏全体を強い圧迫感が襲った。次いで視界が一気に開ける。


「アインスは……あれか」


アムがスッと目を細めると、降りしきる雨の向こうに微かに光る赤いマーカーが見えた。

そこに向かって碧瑠璃が加速した時、その上空を多数のミサイルが通過して行った。




『101だ。ブリーフィング通り、各中隊は零番隊の切り開いた突破口に踏み留まって敵を引き付ける。零番隊は自由に動いて敵を撹乱しろ』


「Xー01、了解」


アインスが通信を終えると、ツヴァイが呆れたようにふんっと鼻息を漏らした。


「……物は言い様だな」

「何時でも逃げられるように奥には行かないって事でしょ?」

「別に構わんさ。反って足手纏いにならなくて助かる」

「ふっ……違いない」


アインスの呟きにツヴァイが笑って返した。だがその表情が直ぐに引き締まる。馬傭関の街が見えてきたのだ。


「城塞都市か……」


アインスの言うように街道を塞ぐように城壁が立ちはだかっていた。街はあの中と言う訳だ。

その城壁の上から銃の一斉射撃が起こった。アインス達の側を弾丸が掠める。


「対応が早いな。北とは大違いだ」

「先ずは城壁の上を叩く。行くぞ!」

「おう!」


瞬く間に城壁の下に達したアインスが壁に沿って急上昇する。

そして城壁の上に達するや、急停止して銃を構えた兵士を蹴り飛ばした。

一拍遅れて現れたノインとアムが銃を乱射する。

その混乱を付いてツヴァイが指揮官らしき男を斬り伏せた。


「構うな!俺達は奥に向かうぞ!」


慌てる敵を尻目にアインス達は城壁を飛び降りて街の中へと消えていった。




「AS隊、攻撃を開始しました」

「よし、観測気球上げろ!回収は考えんな。方角は馬傭関の南と西、それと南西だ!」

「了解」

「ベンソン、中継機は?」

「今、出るとこです」


その時、後部のハッチから中継機とアンテナを抱えたAS隊が南西と北に向かって飛び立って行った。

これを介して遠く馬傭関の向こうまで飛ばした観測気球と通信しようというのだ。


「敵に破壊されなければ良いんですが……」


ベンソンが飛び去って行くAS隊を心配そうに見つめる。


「まぁ……二、三日持ちゃあ良いんだ。何とかなんだろ。考えてても仕方ねぇ」

「まぁ、そうなんですが……」

「そんな事よりミサイルの準備でもしとけ。支援要請があるかも知んねぇ」

「了解」




街中に侵入したアインス達は、逃げ惑う住民には一切目もくれず街の奥へ奥へと向かっていた。

行く手を遮る者はいない。

城壁にこそ警備の兵士は多数いたが、一度侵入してしまえば敵の姿は皆無だった。

恐らく南部戦線に人員を割かれた結果だろう。

やがて道が穏やかに登り始める。


「これからどうする?」

「指揮所を叩く。出来れば指揮官も倒したい」

「基地と違って只の街だぞ。司令部があるとは思えんが?」

「恐らくあれだろう」


アインスが高台の上を顎でしゃくった。

そこには壁に囲まれた如何にも権力者ですと言わんばかりの屋敷が見える。


「なるほど、分かりやすいな」

「二手に別れよう。お前達は右から回り込め」

「了解だ」


ツヴァイとノインが直ぐ様進路を右に変えて路地裏に消えて行く。

続けてアインスとアムも裏通りへと飛び込んだ。そこは……、


〈狭い……〉


道路は車二台がやっと通れる程の幅しかなく、おまけに通りの左右には二、三階建の家屋が建ち並んでいる。

いくら正面から乗り込む愚策は避けねばならないとは言え、これでは敵に遭遇した場合満足に間合いも取れない。

そう判断したアムが両手の小銃を散弾銃に持ち変えた。その時、視界端で何かが動いた。


「ーーーッ!?」


上空からの真っ向斬り降ろし。

寸でのところでそれに気付いたアムが、逆制動と同時に地を蹴って後退する。

そこに刃が振り下ろされた。

もう少し遅れていたら頭を真っ二つにされていただろう。


「獣化か……」


アムが散弾銃のグリップをギュッと握って感触を確かめる。

それと同時に腰を落とした敵が地を蹴り、弾かれたように突進してきた。

即座に反応したアムが右手に持った散弾銃の引き金を引く。


「ランダース!」


だが敵は地を蹴って右に跳ぶと、今度は壁を蹴って上空に飛び上がり、再び斬り下ろしてきた。


「くっ!?」


左手の銃では間合いが近い。

右手の銃はリロードが間に合わない。

瞬時に反撃を断念したアムが左肩を突き出してシールドを割り込ませる。

そのアムの目に敵がくるっと身を捩るのが見えた。

同時にタタタッ!っと銃声が起きる。

アインスが左手に持った小銃を発砲したのだ。

弾丸を器用にかわした敵はシールドを蹴ってアムを壁に叩き付けると、今度はアインスに向かって斬り掛かって行った。


「速い!?」


両者の刃が交錯してキンッ!と火花が散る。

そしてそのまま場所を入れ替えて二人は対峙した。


「よくぞ凌いだ」


敵の男がブンッと刀を払いながらアインスを誉めた。

左手の銃を前に、右手の剣を引いて油断なく構えるアインス。

そのアインスの頬に一筋の血が滲み出していた。


「我が名は大連。ここ馬傭関を預かる劉家が一族、大連だ」

「……丁度いい。お前を探していた。その首貰い受ける」

「ほう。言うな、成り損ないの戦士よ。だが……出来るかな!」


「ーーーッ!?」


一瞬で斬り込んで来た大連の刃を渾身の力でもって跳ね上げる。生半可な力では押し負けると判断したのだ。

刀を弾かれた大連はその勢いを利用して腕を引くと、今度は横薙ぎに払ってきた。

それを足を引いてかわす。

だが大連はその後も膂力に物を言わせて絶え間なく左右から斬り付けた。


「強い……」


起き上がったアムが周囲を警戒しながらも二人の戦いに注視する。

相手の男……街を治める一族と言うだけあってその強さは桁違いだった。

だが敵もさることながら、アインスの強さは更に異常だった。

嵐のように唸りを上げて斬り付ける大連。

それに対してアインスはその手に持った剣で往なし、時に足を引いてかわし、大振りになった瞬間を逃さず左手の銃で応戦する。

始めこそ強気だっ敵に段々と焦りが見え始めていた。

パワーは上だがアインスの動きに翻弄されて捉える事が出来ないのだ。

アインスの蹴りが大連の腹に炸裂した。

吹き飛ばされる大連。

いや、違う。自ら跳んだのだ。

その証拠に、大連は着地と同時に地を蹴って逃げ出した。


「逃がさん!」


アインスが慌てて後を追う。

その大連の姿が路地の角に消えて行った。


「待て!アインス!!」


大連を追ってアインスが交差点に差し掛かる。

すると大連が地を蹴って屋根の上に飛び上がるのが見えた。

それを追おうと腰を落とし掛けた時、……二人の獣化が大型銃を構えているのに気付いた。


〈狙撃!?〉

ガキン!!


だが咄嗟に割って入ったアムが両肩のシールドを使って弾丸を防いだ。


「ランダース!?」

「迂闊だぞ」

「すまん。助かった」


狙撃に失敗したと見るや大連が屋根の向こうに消えて行く。

少し熱くなっていたのだろう。まんまと大連に誘い込まれた訳だ。


「あっちは任せろ!」


アムがスラスターを全開にして狙撃した敵に向かって行った。再び身を隠す為に遁走したのだ。

逃げる敵を追って曲がり角に差し掛かる。

アムはそのまま速度も落とさず、スピードスケートのように身体を傾けて器用に角を曲がると、更に細くなった路地をひたすら突き進んだ。

走りながらチラリとこちらを伺う敵の背中が見える。

そして二つ目の角に差し掛かる。

アムは曲がると同時に急制動を掛けると両手の銃を発砲した。敵の一人が待ち伏せしていたのだ。

至近距離から散弾銃を食らった敵が巨人の手に叩かれたように吹き飛ぶ。直後、肩のシールドがガキン!と弾丸を弾いた。


「同じ手が通じるか!」


アムが吠える。

これで残る敵は一人だ。

だが再び加速を始めたアムが直ぐに減速した。

逃げようとした敵がガクンと膝を折ったのだ。


「……ふん、余計な事を」


アムが不機嫌そうに呟く。

倒れた敵の向こうにはツヴァイが立っていた。銃声を聞いて駆け付けたのだろう。


「文句があるなら、こんな奴に手間取る自分に言うんだな」

「別に手間取ってなんかいない。今追い掛けて殺そうとしていたところだ」

「それを手間取ってるって言ってんだ。俺なら……ん?………………何ッ!?」

「……ちっ……腰抜けが……」


アムとツヴァイが顔を見合わせる。

どうやら味方は後退するらしい。

その支援の為、連隊長が『パッタイ』にミサイル攻撃を要請したのだ。

それも今自分達が居る、この街の中心部に向かって。

こんな時に言い争ってる場合ではなかった。ツヴァイが直ぐ様インカムに手を添える。


「アインス!」

『聞いていた。ランダースは一緒か?』

「ああ。ノインはそっちに行ったか?」

『今、合流した。お前達はそのまま離脱しろ。此方は此方で離脱する』

「了解だ」


通信を終えたツヴァイにアムが頷く。

二人はそのまま無言で浮き上がると、街の外縁に向かって飛び立って行った。





「ちっ、マッケンジーの野郎……口だけだな。ベンソン!思ったより後退が早ぇ、中継器の方は終わったか?」

「後5分だそうです」

「ギリチョンか……よし、ミサイルぶっ放したらとんずらすんぞ!」

「了解。要請地点にミサイル照準。準備出来次第発射しろ。発射後、『パッタイ』を回頭させる。撤収準備」

「はっ。ミサイル発射後『パッタイ』回頭します」

「おい!もう直ぐハッチ開けんぞ。絶対に敵を近付けんなよ!表の奴にもそう伝えとけ!」

「了解!」


一通りの指示を終えたバカラが背凭れに身体を預けて足を組む。

そして遠く馬傭関の方角を……西寧府へと続くであろう雨空を見据えた。


「……さて、やるこたぁやった。後は祈るだけだな……」


そう呟くバカラの目の前をミサイルが飛んで行く。

直後、艦が揺れて回頭を始めた。







リンデンパークに建設されたランドシップの港。

そこに併設する工場プラントの一角に長距離通信用の設備が設置されていた。

勿論、ここを介せばスフィンクスの屋敷でも通信は可能だ。

更にはツインズマールやローエンドルフ城、スクヤークにも同様の設備が設けられ、ここに南は北淋から西寧府、東はスクヤークに至るまでの広大な範囲をカバーする一大通信網が整備された事になった。


そのリンデンパークの通信室。

時刻は夕方五時過ぎ。


『悪ぃな、シン。急に呼び出して』


モニターには申し訳なさそうな顔の夏袁が映し出されていた。

珍しく早目に帰宅しようとしていたシンを態々呼び止めたからだった。


「構わん。それより何かあったのか?」

『今度は馬傭関が襲われた。今朝方の事だ。どうも住民の避難を優先させて観測気球の警戒を怠ったみてぇだな』

「馬傭関が?」


シンが夏袁に提供された地図を頭に思い描く。

馬傭関と言えば西寧府の東、約50キロだ。そんな内陸部の、しかも山間にまでランドシップが入り込んだ?

今までの常識からするとあり得ない事だった。木々に隠れて敵の接近を許すからだ。

だからこの行動には何か目的があるのだろう。

危険を犯してまで侵入しなければならなかった訳が。だがそれは何だ?


『兄貴は塩州(南部戦線の事)の牽制だろうって言ってるぜ』


思案に耽るシンに夏袁が冬袁の意見を述べた。


「ふむ……些か腑に落ちんがな。それで被害は?」

『それは大した事ねぇ。戦闘は一時間も無かったらしいからな』

「なるほど。それで牽制と見た訳か……」


そう呟いたきりシンは再び黙り込んでしまった。


『どうした?』

「いや……どうも嫌な予感がしてな。襲って来たのはまた『パッタイ』なんだろう?」

『そうだ』

「あれが只の牽制……なんて事をするとは思えなくてな」

『おいシン、嫌な事言うなよ』


今度はシンの指摘に夏袁が黙り込んでしまった。

特に考えもせずに冬袁からの報告を鵜呑みにしていたがシンの言う通りだった。あれが只の牽制なんてする筈がない。そう思えてきたのだ。


「まぁ、俺の考えすぎかも知れんがな。悪いな、不安がらせて」

『いや……そう言う意見はありがてぇ。確かに気になるな。ちょっと手を打っとくか……』

「うん?」

『いや、こっちの話だ。それより本題に戻すぞ。つっても、そんな大層なもんじゃねぇんだが……実はさっき兄貴から援軍の要請があった。これ以上ちょっかい出されねぇよう小陽に陣取って敵さんに睨みを効かせてくれってよ』

「なるほど。馬傭関じゃ喉元に刃を突き付けられたようなもんだ。冬袁殿も気が気じゃないんだろう」

『そう言うこった。向こうは殆ど出払ってるしな。で、俺は出ねぇが煉鳴が千人程引き連れてく事になった。一応知らせとこうと思ってな』

「分かった。急ぎじゃなさそうだから族長には明日にでも伝えとく」

『頼むわ』


そこでお互い言葉が途切れた。

と言うより、シンが何か言いたそうにしているのだ。

夏袁はその雰囲気を察して黙っているに過ぎない。

やがて言い辛そうな表情をしたシンがポツリと口を開いた。


「その……私事で悪いんだが……実は頼みがある……」

夏袁はその一言で直ぐにピンときた。


『アムの事か?』

「ああ。……冬袁殿に一つ口添えして貰いたい事があってな」

『それならもう兄貴に言ってある。ヴィンランドに乗り込む時は俺も攻手に加えて貰う事になってるから安心しろ。勿論、お前達も俺の手勢に潜ませた上でだ。だから心配すんな』


それを聞いて安堵したのだろう。喜色を表したシンがスッと頭を下げた。


「すまん」

『別に礼を言われる事じゃねぇよ。アムは俺達の仲間なんだぜ?助けようって思ってるのはお前だけじゃねぇ。だから気にすんな』

「……そう……だな。……すまんな」

『おいシン、お前……最近謝り癖が付いてんぞ?もっとどっしり構えてろ』

「謝り癖?」


夏袁に指摘されたシンが自らの言動を省みる。


「言われてみればそうかもな。どうも最近弱気になってるようだ。アクミにも心配されたよ」

『お前にはアクミの元気も必要だが、アムも居なきゃダメだな。どうもいまいちシャンとしねぇ。そんなんじゃ上に立つ者として失格だぜ?』

「そう言うな。これでも一応、頭を切り替えたつもりなんだ……」

『足んねぇよ。最近事務整理ばっかで部屋に籠ってんだろ?そんなのシャングに任せてお前は身体を動かせ、身体を』


それを聞いてシンが苦笑いを浮かべた。

シャングはシャングで新兵の教練で忙しいのだ。

そこにこんな仕事を放り投げたら今度は向こうの元気が無くなりそうだった。


「だがまぁ、身体を動かすか……。そう言えば最近、大牙や獣兵衛とは全力でやってないな」

『それが原因だな。あいつ等を軽くあしらって自信を取り戻せ。そしたら元に戻る』

「ああ、そうするよ。悪かったな、夏袁。心配掛けて」

『それこそ気にすんな。あっちも後二、三日で始まるぜ。次の連絡入れるまでに少しは頭をスッキリさせといてくれよ』

「分かった」

『そんだけだ。それじゃあな、シン』

「ああ」


笑顔と共に夏袁が通信を切る。シンの表情からもう大丈夫だと見て取ったのだ。

その夏袁の顔が見えなくなった途端、シンがふっと自嘲気味に笑った。


「……落ち込んでたのは俺だけか」


夏袁はアムの事を気に掛けるだけでなく、アムは生きていると信じ、それを救出する為の手筈まで整えていた。

それに対して自分はどうだ?

アムが捕まった事実すら認めようとはしなかった。

いや、認めたくなかったのだ。

何故ならヴィンランドに捕まった以上、極刑に処された公算が大きかったからだ。


「俺が誰より信じないでどうする……か」


アクミの言った言葉を思い起こす。


「全く……時間を無駄に過ごしてたな……。すまん、アム。必ず助け出してやる。だから待ってろ」


改めてアムに救出を誓う。

そうだ。立ち止まっていても何も解決しない。

どんな不都合な現実でも受け入れなければその解決策は浮かばないのだ。


何だよシン。お前、そんな当たり前の事も分かってなかったのか?


そう言って呆れる夏袁の顔が浮かんだ。


「どうも……頭にカビでも生えたようだな」

シンが再び笑う。


「どれ……明日はぶっ倒れるまで身体を動かすとするか」


そう言って笑いながらシンは部屋を後にするのだった。







その頃、


「司令……これは……」


『パッタイ』のブリッジ。

モニターを見上げたままベンソンの言葉が途切れる。

他のクルー達も同様だ。皆一様に驚きを隠せない顔でいる。



「間違いねぇ……西寧府だな。……こんなにでっけぇとは……」



バカラが貼り付けたような笑顔でモニターを凝視していた。

そこには真っ赤に染まる夕陽の下、ニュー・ヴィンランドとは比較にならない程の巨大な都市が映し出されていた。

20キロ程の盆地にびっしりと建ち並んだ家屋。

高層建築こそ無いが、あれ全部に人が住んでいるとなると相当な人口だろう。

おまけに夕陽を背に立派な宮殿らしきものまである。


道理で殺しても殺しても後からどんどん湧いて来る訳だぜ。こんなのやってられっか。


口には出さないがバカラの顔はそんな事を物語っていた。


「……ベンソン」

「はい」

「陽が昇ったら……急いで通信可能エリアまで戻んぞ」

「はっ!」


モニターを見つめ続けるバカラにベンソンがスッと腕を上げて敬礼した。

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