21、動き出す時間
「……うぅ……うぅう…………あ……うぁ…………」
薄暗闇の中、少女の呻き声だけが響く。
馬の背に凭れるような格好で台座にうつ伏せに跨がされた少女。
両目をマスクで目隠しされ、口からはよだれを垂らし、だらりと下げた両手と両足、それと首もとをベルトで拘束されていた。
頭と左の乳房には電極が繋がれ、腕からは点滴の細い管が延びている。
それだけではない。なんと少女は全裸だった。
それはこの街では人権を剥奪されたことを意味している。
「……うぅ……うあぁ!…………あぁああ!」
余程苦しいのだろう。
やがて少女の呻き声は悲鳴へと変わり、手足を……いや、身体全体をバタつかせて暴れる気配に変わった。
見れば腕や首筋はおろか、身体中、顔の血管までが太く浮き上がっている。
その少女を別室でモニターし続ける者達がいた。全員が白衣を着た研究者だ。
「どうだ?」
男の一人がバイタルをチェックをしている女に問い掛けた。
「拒絶反応ありません。脳波の方もスパイクは出ますが一時的なものです」
「ふむ……これで五時間連続、十回目の投与か。どうやら耐性もできたようだな」
「はい。嘔吐も二回目と四回目だけでそれ以降はありませんし、失禁も一回だけです」
「後は精神を保ってるかどうか……だな」
脳波の波形を見ながら男が呟く。
正直、ここまで生きていたサンプルはこの少女が初めてだった。出来ればこのまま生き残って欲しいと願う。
何故ならこの希少なサンプルのデータは今後の研究に大いに役立つからだ。
「69号、状態安定しました。脈拍、血圧共に許容内」
「脳波の方も落ち着いたようです。身体の方は完全に適合したと見て問題ないかと……」
それを聞いた男がニヤリとほくそ笑んだ。
「ふふ……良いぞ。最高のサンプルだ」
※
そこは熱帯特有の鬱蒼と茂る密林がそのまま海に落ち込むような場所だった。
海岸に砂浜はなく、切り立った崖が数キロに渡って延々と続いている。
おまけに高台になっている関係で近くには川もなく湧き水もない。
要は人が住めるような環境ではないのだ。
だがそんな場所の地下にはとある施設があった。
人に……いや、ワービースト達に知られる事なく数百年の時を経たある施設が。
薄暗い室内でカタカタとコンソールを叩く技術者達。
部屋の広さは20メートル四方程で、正面には巨大なモニターが設置されている。
尤も今は電源を落としていて何も映っていないが。
そこは一見すると何かの管制室のようだった。
だが、片側の壁一面にはブレーカーと数々のスイッチが整然と並んでいる。それは管制室には不釣り合いなものだ。
電源室……いや、何かの制御室と言った方が正しいか?
そんな部屋の出口に立って技術者達の作業をじっと見守る軍服姿の男がいた。
『ホルトン中佐』
その男のインカムに通信が入る。
「なんだ?」
『容器の収容完了しました。間もなく最終便が発進します。ご移乗を』
「分かった。すぐ行く」
だがホルトンと呼ばれた男は通信を終えても微動だにしなかった。
相手にはすぐ行くと答えたものの技術者達を急かすような事もしない。ただ無言でじっと待つ。
そうして五分程経っただろうか?
最後までコンソールを叩いていた男がやっとその指を止めた。
「ヤン、終わったか?」
「お待たせしました。完了です」
「よし、ここは閉鎖する。行くぞ」
「「はっ!」」
全員がいそいそと席を立って部屋を出ていく。
ホルトンはそれを見届けてから最後に部屋を出た。そして通路を歩きながらインカムに手を添える。
「グレッグ、移動する。上の状況は?」
すると野太い男の声が返ってきた。
『敵影なし。オールグリーン』
「そうか。どうやら奴等には気付かれずに済んだようだな」
『そのようです』
「よし。以後の指揮はお前に任せる。輸送機の保護を最優先だ」
『了解』
「マック、今どこだ?」
『もう輸送機で中佐をお待ちしてますよ』
「ふっ……随分と手際がいいな」
『こんな所に長居は無用ですからね。中佐は後どれくらいで来られます?』
「もう着くよ」
そう答えたホルトンの目の前には、エンジンを始動して待機する輸送機の姿があった。
「中佐、搭乗されました」
「置き忘れた奴が居なきゃハッチ閉めろ!地上のAS隊に連絡、離陸するぞ!」
機長の怒声が響き渡る。
既に予定の時間を過ぎているのだろう。まるで逃げ出すように輸送機が浮き上がった。
傾く機内をホルトンは片手を天井に突きながら器用にコクピットへと移動して行く。
そのホルトンがスッと目を細めた。
コクピットに足を踏み入れた時、丁度輸送機が地上に出たところだったのだ。
地下のドックから離陸した輸送機は、そのまま森を抜けて海上へと移動して行く。
それを護衛するように数十機のASが続いた。
「お疲れ様です中佐。やっと帰れますね」
「はは、本当にな。出迎えの『シュニッチェル』までどれくらいだ?」
「小一時間ってとこですかね?」
「そうか。なら今夜は乾杯するとしよう。それよりマック、準備の方は?」
「ボタン一つで何時でも」
そう答えるマックの手には一辺が20センチ程の箱があった。
箱にはダイヤルレバーが一つと誤操作防止カバーの付いた赤いボタンがある。
「失敗したら、ここから叩き落とすからな?」
ホルトンが笑って脅す。
「大丈夫ですよ」
するとマックも笑いながら答えた。
「よし、起爆させろ」
「了解」
マックが手に持った箱のダイヤルを三回捻る。そうしてから赤いボタンのカバーを開けてグッと押し込んだ。
暫くすると今まで自分達がいた森がドンッ!と盛り上がり、直後には沈下したのがモニター越しにもはっきり見て取れた。
「成功です」
※
ニュー・ヴィンランドのほぼ中央に聳える一際高い建物。
そこはヴィンランドを外敵から守る軍の司令部と、ヴィンランドの内政を一手に担う評議会、そして軍と評議会からなる統合作戦本部の置かれたビルだ。
そのビルの一角。
軍関係者の執務室が連なるこのエリアでも一際目につく重厚な扉。
その扉を開いて初老の老人が入室してきた。軍の最高司令官であるグリーンウッド大将だ。
それを副官を務めている若い士官が敬礼でもって出迎えた。
「おはようございます、将軍」
「早いな、ルーファス」
「ご報告する事が二つございまして」
敬礼を返しながら通りすぎたグリーンウッドが執務用の椅子に静かに腰掛ける。
だがルーファスと呼ばれた士官は黙って立ったままだった。
何故ならグリーンウッドに続いてコーヒーを持った付き人が入室してきたからだ。
その付き人が退室するのを待ってからルーファスと呼ばれた士官がグリーンウッドの前に歩み寄る。
「先ずホルトンの方から聞こうか」
報告の内容は察しが付いていたのだろう。グリーンウッドがコーヒーを手に取りながらルーファスを促した。
「はい。先程『シュニッチェル』から連絡がありました。無事ヴィンランドの勢力圏に入ったそうです。到着予定は12時30分です」
「そうか。これで矢尻も揃ったな。だが見つかると評議会が……と言うより世論がうるさい。感付かれるなよ」
「承知しております」
「そうなると、後は奴等の街を特定するのみだな」
「はい。それについてですが、一度南部で部隊を動かす必要があるかと……」
「尤もだな。評議会に申請しておこう。ところで、ホルトンは元気にしてたか?」
グリーンウッドがルーファスに尋ねると、今まで生真面目な顔をしていたルーファスの表情がふっと崩れた。
「艦内の食事が美味い美味いと舌鼓を打たれてました」
「ふふっ、だいぶ苦労を掛けたようだな」
それを聞いてグリーンウッドの表情にも笑みが溢れる。
艦内食が美味いと感じるのだ。余程の食事が続いていた事だろう。
「今夜は久しぶりに飲みたい。労いもある。店を予約しておいてくれ」
「承知しました」
「では、もう一つの方だ」
そこで笑いを納めたグリーンウッドがルーファスに次を促した。
「昨夜遅く、サカマチ中佐が自殺されました。遺書はありません」
それを聞いたグリーンウッドがスッと目を細める。
「自殺……なのだな?」
「はい、自殺です」
念を押すグリーンウッドにルーファスが強く頷いた。
「ふむ……まぁ、有罪が確定したのだ。恥を忍んで自殺する。有りそうな事だな」
「はい。これで少しはあの老人のでしゃばりも牽制できるでしょう。本当は味方殺しの証拠を突き付けて、親子共々罪人にしたかったのですが……」
ルーファスが悔しそうに口ごもる。
それを見てグリーンウッドが愉快そうに笑った。
「ははは、バカラ中佐に上手くかわされたな」
「まったくです。奴等を泳がせた意味がありませんでした。たまたま通りかかった体を装って録画の準備までさせてましたのに……」
ルーファスが苦笑いを浮かべる。
それはバカラを査問会で召喚した時の事だ。
一連のやり取りでも分かるように、グリーンウッドはサカマチ一派の企てを事前に察知していた。
察知していて敢えて黙認したのだ。
それはサカマチ親子を罪人にして、この街から排除する為だった。
現在の軍の最高司令官は勿論グリーンウッドだ。
だが将軍職を経て評議会議長になったサカマチの父親の権勢は大きく、隠居した今でも軍への発言権は絶大なものがあった。
その横槍は今だに激しく、先のバカラの一件でも分かるように自分の派閥の部隊を自在に操る力を持つ。
だが、これでは外敵に当たるべき軍が一枚岩にはなれない。命令系統が二つになってしまうからだ。
だからサカマチ親子の暗躍をこれ幸いと黙認し、それを以て二人を排除しようとしたのだ。
だがその目論見はバカラの機転によって未然に防がれてしまった。
本来ならそれを邪魔したバカラを憎みそうなものなのだがグリーンウッドにそんな素振りは見えない。
それどころか愉快そうに笑ってさえいる。
それはサカマチとは違い、グリーンウッドには権力に対する固執がないからだった。自分より優れた指導者が現れれば席を譲っても良いとさえ思っている。要は私心がないのだ。
あるのはヴィンランドの……いや、人類の平和のみ。
だから優秀な軍人は好きだった。
特にバカラのような切れる軍人は。
「時にバカラ中佐はどうしてる?」
「今まで通り『パッタイ』司令官として西の抑えを命じてあります。それと猿共の首都を探れ……と」
「ふむ……既に指示済みか。ならいい」
「恐れ入ります」
「ルーファス、奴は今後も軍には必要な男だ。あの老人が腹いせで狙うかも知れん。次は守ってやれ」
「承知しております」
ルーファスがコクりと頷いた。
二人同時に排除は出来なかったが、取り合えず息子の方は排除出来たのだ。
これで軍との大きなパイプを失ったサカマチ一派はいずれ立ち枯れていくだろう。
その功労者は間違いなくバカラだった。
「それより、問題は『グリッツ』の生き残りです。箝口令を出しましたが人の口に戸は立てられません。ちらほらと感染症の件が漏れ始めているようです。評議員の耳に入るのも時間の問題かと」
「仕方あるまい。が、証拠はないのだ。知らんで通せ。成るようになるし、それに関しては老人も黙って手を貸すだろう。それより今夜は何もかも忘れて飲もうではないか。ホルトンの土産話しも楽しみだ」
そう言ってグリーンウッドは上機嫌に笑うのだった。
※
そのヴィンランドから遠く離れたワービーストの街、リンデンパーク。
もう何百年も前にスフィンクスの先祖が拓いた古い街で、その歴史に比例して街の規模は大きい。
しかし、ここにはローエンドルフやスクヤークのように支配者の威容を示すような城郭は存在しなかった。あるのは大きな屋敷だけだ。
これはキングバルト軍が常に外征を心掛け、決して敵に領地を踏ませなかった事を意味する。
そのリンデンパークの郊外にはついにランドシップ三隻を係留する為の港と物資保管用の倉庫、それに兵舎が整備され、そこに隣接する形でプラントを中心とした工場も稼働を始めていた。
そのリンデンパークにあるキングバルト家の屋敷。
スフィンクスがラルゴを相手に食後のチェスを楽しんでいると、扉を開けて金髪の少女が顔を出した。
「お父様、それじゃあ出掛けてきますね」
そう言って無邪気に微笑むのはスフィンクスにその身を救われた少女、フィーアだった。
これが彼女の本来の性格なのだろう。その明るい笑顔には嘗ての思い詰めたような影は全くない。
「フィーアよ、レオは一緒ではないのか?」
「勿論一緒です。レオ!早く早く!」
「もう、そんなに急がなくても時間はたっぷりありますよ。フィーア」
フィーアが後ろを振り返って声を掛けるとマイペースなレオが顔を出した。
そのレオの腕にフィーアが両腕を絡める。
「あのね、この前あかりさんと美味しいクレープ屋さん見つけたの。レオと一緒に食べたくて。早く行こ!」
「クレープですか?さっきご飯食べたばっかですよ?」
と苦笑いを浮かべるレオ。
「二人で半分個すれば大丈夫」
と笑顔で返すフィーア。
それは兄妹と言うより、まるで恋人同士のような仲の良さだった。
「では父上、行ってきます。そのまま午後の集まりに顔を出しますので」
「うむ」
「ラルゴ殿、父上のお相手お願いします」
「ああ、ゆっくりして来るといい」
「はい。では失礼します」
「行ってきます」
そう言って楽しそうに遠ざかる二人の笑い声。
それを聞きながらラルゴがふっと笑みを溢した。
「明るくなりましたね、彼女。ここに来た頃とは大違いだ」
「それだけヴィンランドでは抑圧されておったのじゃろう。よい事じゃ」
「そうですね」
「出来ればあの元気をシンにも分けてやりたいところじゃの」
スフィンクスの呟くような一言を聞いてラルゴの表情が引き締まる。
「……シンはまだ?」
「うむ。笑顔一つ見せんの。それに時々思い出したように呆けとる」
ここ最近のシンを思い浮かべながら再びチェスを再開するスフィンクス。
ラルゴも沈痛な面持ちのまま駒を手にした。
「シンがこんなに落ち込むとは思いませんでした」
「大事な家族を失った。そして失って初めて特別な存在だったと気付かされたのじゃ。仕方あるまい」
「しかし、これから忙しくなります。軍備を整えると言っても獣化の数が増やせない以上、ヴィンランド式の近代兵器に頼らざるを得ないのが実状です。それを考えるとそろそろ立ち直って欲しいところですね」
「別にいつも呆けとる訳じゃない。それにそんな事はシンも分かっていよう。現に仕事はしっかりこなしとるのじゃ。だが不意に思い出してしまうのじゃよ。儂も妻を失った時はそうじゃった」
「スフィンクス様も?」
「大事な者を失うとはそう言うものじゃ。後は時が解決する。それまで黙って見とるしかないの」
スフィンクスが手を止めて窓の外に視線を移した。
そこには今日も澄み渡る青空が広がっていた。
時は七月。
アムがその消息を断ってから二ヶ月が経過していた。
※
「先生!そろそろ時間ですよ!」
港に隣接する兵舎の一室。
時刻は昼過ぎ。
アクミが返事も待たずにノックと同時に扉を開けると、シンが椅子に座りながら天井を見上げるようにして……昼寝をしていた。
「ん?……ああ……もう、そんな時間か?」
アクミの声で目を覚ましたのだろう。シンがゆっくりと振り向く。
「珍しいですね。先生が昼から熟睡するナンて……」
「……何か、昼飯食ったら我慢出来なくなってな」
「最近お疲れナンですよ。昨日も泊まったって事は、遅くまで仕事してたんでしょう?」
椅子の上で大きく伸びをするシン。
それを見てアクミは小さく嘆息すると、ツカツカ歩いて部屋の隅に行き、小さな冷蔵庫から冷えたボトルを一本取り出した。
「そんナンだから元気が出ないんですよ。はい、どうぞ」
「すまんな」
礼を言ってボトルを受け取ったシンが封を開けてゴクリと一口飲む。
そうしてから「ふぅ……」と小さな溜め息をついた。
「……アクミ」
「ナンです?」
「久々に……アムの夢を見たよ」
「へぇ、アムちゃん元気にしてました?」
自らも取り出したボトルの蓋をパキッと空けながらアクミが笑顔で尋ねる。すると、
「……いや……泣いてたよ……」
「は……?」
シンが壁を見つめながらポツリと呟いた。
「一人で……暗闇で踞って……泣いてた……」
「ちょっとちょっと先生、ナニ不吉な夢見てんですか!?アムちゃんが聞いたら怒りますよ?」
アクミがボトルをベッドに放って詰め寄る。
そしてシンの膝の上に跨がると、じっとその目を見つめてきた。
それはまるで心の内を覗き込むような目だった。
それに耐えきれなくなったシンが「……そうだな」と呟いて顔を背ける。すると、
「先生!」
突然大声を出したアクミがシンの頬を両手で掴み、クイッ!と正面を向かせた。そして再びシンを見つめる。
それはさっきとは違う。明らかに批難する目だった。
「ひょっとして先生……アムちゃんの事、諦めちゃってます?」
「ーーーッ!?」
アクミに指摘されたシンがハッとして息を詰まらせた。
自覚は無かったが、心の奥底ではきっとそう思い始めていたのだろう。
だからアクミに見つめられて居たたまれなくなった。そう覚ったのだ。
また、それが分かったからアクミも怒っているのだ。
「アムちゃんは生きてます!私には分かります。これは絶対です!だから先生も信じて下さい!って言うか、誰よりも先生が信じなきゃいけないんですよ!それをナンですか!私、怒りますよ!」
そう言って強い眼差しでシンを睨み付けるアクミ。
そうだ。
遺体が見つかっていない以上、アムはヴィンランドの捕虜になった公算が大きい。
そこでどういう扱いを受けているかは考えたくないが、処刑されたとは限らないのだ。
ひょっとしたら、まだ生きてるかも知れない。……いや、きっと生きてる。
そして命さえあれば助け出す機会もいずれ訪れるだろう。
今はそれを信じないでどうする?
そう改めて思い知らされたのだ。
「すまん。……どうも弱気になってたようだ」
シンが素直に謝罪するとアクミの表情から怒りの色が消え、いつもの穏やかなものに変わった。
「まったく……疲れて元気が無いからヘンな夢見るんですよ」
「そうだな」
シンが苦笑いを浮かべた。アクミの言う事も最もだと思ったのだ。
「アクミ」
「ナンです?」
「俺の頬を思いっきりひっぱたいてくれ」
「ひっぱたく?」
「元気が出るようにカツを入れて欲しいんだ」
「ナンだ。それならもっと良い方法がありますよ?」
「もっと良い方ほんんっ!?」
アクミに唇を奪われた。
「んんっ!」
アクミに舌を入れられた。
「んんんんんっ!」
アクミにレロレロと口中を嘗め回された。
やがてキューと口を吸ったまま、んはぁ!と言ってアクミが離れる。
その清々しい笑顔は一仕事終えた男の顔だった。
「お前な……舌を入れるな、舌を……」
等と文句を言いながらも照れるシン。
昔、小さかったアクミに何度かキスされていたそうだが(注、シンは寝ていた為に記憶なし)、大人になったアクミと、それも面と向かってキスするのはこれが初めてだったのだ。
「だって元気が欲しいって言うから」
「カツを入れてくれって言ったんだ。舌じゃない」
「ナニ言ってんです先生。大人のキス(ディープキス)はどんな栄養ドリンクにも勝る特効薬ですよ。諺でも言うでしょうが?『虎穴に入らずんば虎児を得ず』です!」
「いや、それは違うだろう」
グッと右手の拳を握り締めるアクミにシンが呆れながらもツッコんだ。
「あれ……?違いましたっけ?」
「違うな」
「…………」
「…………」
「……あの……アレって、元気を得たかったら舌を入れろ!的な意味でしたよね?」
「全然違うな」
おそるおそると尋ねるアクミを一言の元に斬って捨てるシン。
「…………」
「…………」
「えーと……そうそう、そうですよ。間違えました。ホントはこっち、『病はキスから』です!」
「気からだ!何でお前はいつもいつも微妙に間違えるんだ!」
呆れながらも笑ってツッコむシン。
だがその顔を見た瞬間、アクミがしてやったりと微笑んだ。
「でも、元気は出たみたいですね?」
「ん?」
シンはアクミに言われて初めて気付いた。今、自分が笑っていた事実に。
それはアムを失って以来、初めての笑顔だった。
アムが居ないんだぞ?それなのに笑うなど以ての他だ。
そう意識していた訳ではないが、無意識の内に閉ざしていた心。
それを今、アクミが強引にこじ開けたのだ。
「そんな顔で笑えればもう大丈夫ですね。さぁ、皆さんがお待ちしてますよ先生。行きましょう!」
そう言って手を引くアクミの笑顔にドキリとするシンだった。
※
この日、キングバルト軍は一つの大きな節目を迎えた。
工場プラントで製造されたサイクロン五機と、キングバルト軍仕様のASがついにロールアウトしたのだ。
サイクロンは大牙、レオ、獣兵衛、春麗、次狼の五人に与えられる事となり、先のアクミのサイクロンと合わせて合計六機が配備された事となる。
そして新たに製造されたASだが、型番はK型。
色は紺地に白と黒で装備はF型に近い万能型だ。
但し、両足と背中のスラスターが大型化され、明らかに空中戦を想定した仕様となっている。
これは北淋と同盟関係になり、森林での獣化戦を考慮する必要が無くなった結果だった。
要は全て対AS戦仕様なのだ。
それに合わせて旧来のASも全てF型に換装されスラスターも強化、色も一部の隊長を除いて全て白地に紺と黒のカラーリングに統一された。要はK型と逆の配色だ。
これでキングバルト軍の所有するASはF型とK型の二つとなり、スラスター強化した機体は便宜上FⅡ型、KⅡ型と呼称されることとなった。
そしてもう一つ。
AS隊の編成も大きく変わった。
『アイリッシュ』配備のAS隊はシンを頭に第二中隊にリーディア、第三中隊にカレン、第四中隊にはアレンが隊長として任命された。
もっとも「アムは絶対帰ってくる。私はそれまでの代理」と言ってカレンが頑なに隊長職を辞退している関係で、第三中隊のみ隊長代理ではあるが……。
そして『インジェラ』配備のASはシャングとバッカスの二人、そこにプラントと一緒に連れて来られたヘンケルリンクとオールの二人が加わることとなった。
最後に『グリッツ』隊だが、こちらはカルデンバラックと一緒に投降した全員がそのまま配置された構図となった。
内訳は第二中隊がケニー、第三中隊がクラーラ、そして第四中隊が元第二中隊副隊長のイイノとなる。
これでキングバルト軍のAS隊は全部で12中隊144機となった。
因みにフィーアはどこにも所属していない。
これは暫く戦いたくないと言う本人の希望によるもので、それをシンを始め周りの人達が快く受け入れた結果だった。
※
ブォン!
「「おおっ!?」」
それを見ていた全員から大きな歓声が上がった。
新しい武器のお披露目。その場での事だ。
歓声を上げたのは各中隊長とアクミ達シンの指揮下にある獣化隊の面々。
その全員が注視する物、それはシンが握っているバトンのような物だった。
シンがそのバトンにあるスイッチをスライドさせた瞬間、先端から光り輝く刀身が音と共に延びたのだ。
「思ったより軽いな」
そう感想を漏らすシンの横には開発者のモーリスとケイトが立っている。
「いやぁ……ついにキタね、ビームサーベル!私も近接のメインウェポン、あれに替えようかな」
目を爛々と輝かせて呟くリーディア。
それをチラリと見たカレンが「その必要はない」と言ってふふんと笑った。
「なんで?カレンちゃん」
「私に抜かりはない。ちゃんとケイトに言ってビームランスも作って貰っている。勿論、黒で」
「ホント!?ヤリぃ!?」
「これでシュヴァルツ・ランツェの攻撃力は一気に500%アップする筈(注、カレンの独断と偏見による調査結果)」
「どうしよ、私も必殺技とか考えようかな」
まだ見ぬビームランスに想いを馳せて楽しそうに話すリーディアとカレン。だが、
「残念ながら攻撃力は上がらんぞ。何しろこの武器、殺傷能力はないからな」
と、シンがまるで他人事のように告げた。
「「は?」」
思わずすっとんきょうな声を上げて二人がシンを見る。他の者達も同様だ。
それはそうだろう。
殺傷能力のない武器、それを世間では玩具と言うのだ。しかし、
「但し、食らえば気絶する。目覚めても二~三時間は身体が痺れて満足に動けんそうだ」
「要はスタンガンみたいなもんじゃの」
シンの説明にモーリスが笑って付け加えた。
「ああ、そういうことか」
「そういうことだ」
シャングの呟きにシンがニヤリと笑って応える。
つまりスフィンクスがモーリスに依頼した相手を殺さない武器。
それのお披露目だったのだ。
「まぁ、カッコいいからいっか……」
「問題ない。反って好都合」
「なんで?」
「シュヴァルツ・ランツェを食らって地面に這いつくばった敵はきっとこう思う筈……手加減されたと」
「まぁ、殺されないんだもんね」
リーディアがその情景を思い浮かべながら相槌を打つ。
「その這いつくばった敵を私が余裕の表情で見下ろす。因みに決め台詞はこう……止めは刺さないでおいてやる。暫くそこで寝ているがいい」
「おぉ!」
「何で勝つ事前提なんだ。そう言うのを獲らぬ狸の皮算用って言うんだ」
二人の会話を聞いていたシンが呆れた顔してツッコんだ。
「大丈夫だよシンちゃん。私等強いもん」
「うむ。黒いASに敗北の二文字はない」
と自信満々に答える二人。
「そうか。じゃあ、後で相手をしてやる。負けたらお前達のASは明日から白だ」
「なんだってー!?ちょっと待っタヌキ!」
「ごめんなさいシングレア隊長。ちょっと調子に乗っちゃった。だから白は勘弁してほしい」
「分かった分かった。冗談だから私語は慎め。次に進めん」
慌てて詰め寄る二人の頭をグイッと押し返しながらシンが面倒臭そうに前言を撤回した。それを見て他の者達がクスクスと笑う。
「話が逸れたな。で、こっちが銃だ」
こほんと咳払いを一つしてからシンが左手を前に翳す。
するとそこに大型の狙撃銃が現れた。
「「ビームライフル、キターーーーーーッ!?」」
リーディアとカレンが目を爛々と輝かせて再び大声を張り上た。だが、
「残念ながら銃は普通だ。違うのは弾」
「弾……?」
「この特殊バレットはASのシールドを食い破ってパイロットに直接ダメージを与える」
「さっきのスタンガンと一緒か」
「そうだ」
カルデンバラックの呟きにシンがコクリと頷いた。
「連射が出来ない上に反動が大きいが、当たり所が良ければ一発だ。今後はこれ等の武器が標準となる。勿論、訓練もこれ等を使用する。各員に通達して早めに慣れるようにさせてくれ。以上、特に質問が無ければプラントで武器の登録を済ませて解散だ」
「「了解!」」
「ケイトさん、すみませんが後はお願いします」
「分かりました。では皆さん、行きましょうか」
ケイトの先導の元、各中隊長がシンに敬礼しながらプラントへと向かって歩いて行く。
それを見送ったシンは今度は大牙達獣化隊を振り返った。
「お前達は室長と一緒にサイクロンの騎乗者登録だ。今日中に試運転も済ませておけ」
「へへ、了解!」
大牙が待ってましたとばかりニヤリと笑った。
「ほっほっほ、じゃあパッパと済ましちゃおうかの」
「それが終わったらドライブがてら私が武器管制のコツを教えて差し上げましょう!」
モーリスとアクミに続いて大牙達が意気揚々と歩き出す。
だがそこで、
「春、ちょっといいか」
とシンが春麗を呼び止めた。
「うん? なんじゃ?」
「実は北淋とのレーザー通信だが、先を見据えて西寧府にも伸ばす事になった。勿論、夏袁からの情報提供って形でな」
「ほう」
「それの最終調整の為に猫々が北淋に行く事になったんだが、それに同行してやってくれんか?その方があいつも安心するだろ」
「なんじゃ、そんなのお安い御用じゃ」
「すまんが頼む。ついでに向こうでゆっくりして来るといい」
それを聞いて春麗はピンときた。
北淋と西寧府のレーザー通信が開通する。
要は家族に元気な姿を見せてやれとシンは言っているのだ。
「ふふ、久しぶりに母上のお顔が見れるの。楽しみじゃ」
春麗が嬉しそうに笑った。
「サイクロンも持って行っていいぞ。ついでに慣らし運転も終わるだろう」
「本当か!?」
春麗の笑顔が益々上機嫌なものに変わった。
※
月のない夜。
時刻は夜の一時。
山の斜面の拓けた場所にそれ等はいた。
全身闇色の服に身を包んだ男達。その数凡そ百人。全て猿族の獣化だった。
彼等は灯りも何もない暗闇の中で何やら作業をしていたが、やがてそれも終わったのか何かを担ぎ上げた。それも八つ。
何と、それは横幅10メートルに達する程の大きな翼だった。
黒塗りの細い金属の骨組みに黒い生地を張っただけの簡素な翼。
その翼の生えた胴体の上には闇色の服に身を包んだ男が寝そべり、その下には頼りないながらも小さなエンジンが取り付けられていた。
それはハングライダーと言うより長細い凧に近いものだった。
「飛麟よ、あんなので届くのか?」
斜面の一段高い所で腕組みしていた男が横に立つ男に尋ねた。
「バッテリーはせいぜい5キロ。そこでエンジンを切り離して残りは滑空する。その為の山の上だ」
「なるほど」
男が余り興味も無さそうに呟いた時、凧の回りで作業していた男が右手を上げた。
「準備が出来たようだな」
「ああ」
「では始めるか」
頷いた飛麟がスッと手を上げて合図を送る。
すると凧から伸びたロープを握って待機していた七、八人の男達が一斉に山の斜面を駆け降りて行った。遅れてロープがピンと張る。
その瞬間、凧を担いだ男達も歩調を合わせて一気に駆け出した。
凧を引っ張るのは全員が獣化だ。
その全力疾走は凄まじく、あっと言う間に翼が風を孕み浮力を得て大空高くへと舞い上がって行く。
「さて、俺達も行くか」
腕組みを解いた男がニヤリと笑った。
※
肌に張り付くような湿気と高い気温。
北から続いた平原が終わりを告げ、この先は人の……いや、ランドシップの侵入を拒む深い森と山々が続く地点にそれはあった。
南部戦線、サンアローズ基地。
ここは最前線。
ワービーストに対する防波堤の役目を担う事から、基地の周囲は10キロメートルに渡って高い城壁で囲まれ、更にその外側には柵を巡らせて各種センサーと迎撃用銃座で厳重に警戒されていた。
城壁の中にはファラフェル級戦艦を三隻は収容出来る広い港を備え、一般兵の他にAS五個大隊とそれに倍するドローンが常駐して守備にあたっている。
この鉄壁の守りで過去に何度も猿族を撃退したサンアローズ基地は今日も寝苦しい熱帯夜を迎えていた。
時刻は深夜一時半を少し回った頃だろうか?
そんな誰もが寝付いている時間に城壁の上で談笑する三機のASの姿があった。寝ずの番に当たる兵士達だ。
時刻が時刻なので眠気覚ましなのかも知れない。
その気持ちは分からないでもないが、ここは最前線だ。気が緩んでいると言わざるを得ないだろう。
だがそれには理由があった。
サンアローズは比較的なだらか地形の続く平野部にあり、見晴らしが良く、更には柵の内側に設置されたセンサーにより近づく者は例え獣化であっても直ぐに発見される。
そんな事から警戒に当たる兵士達も油断していたのだろう。
だが……それは地上を近づく者に対してだけであった。
突然上空からバサバサ!と音が聞こえ、ハッ!と空を見上げた兵士達が見たのは……固く握った右拳を降り下ろす男の姿だった。
直後、グボッ!と言う湿った音と共に頭を叩き潰された兵士が崩れ落ちる。
何が起こったのか理解するより早く、槍のように伸びた足を顔面に受けて二人目の兵士の頭が吹き飛んだ。
「て、敵襲!」
最後に残った兵士が叫ぶ。
いや、叫ぼうとした。
だがそれは声にはならなかった。
何故なら腹には既に深々と手刀が突き刺さっていたからだ。
「……あ……あぁ…………」
兵士が力なく震える。
それを見てニヤリと笑った男が突き刺した手でもって内蔵を掴んだ。そして躊躇することなく捻じ切った。
その瞬間、兵士の両目がグルンと上を向き、その場にガクンと膝を折って力なく崩れ落ちた。
瞬く間に兵士を葬った男が500メートル離れた所にある監視塔をチラリと伺う。だが今の騒ぎに気付いた様子はなかった。
平時扱いの為、バイタルチェックもしていないのだろう
その男の周囲にはいつの間に舞い降りたのか他の男達が全員集まっていた。
「行くぞ」
リーダー格の男が監視塔に向かって駆け出した。
一拍遅れて他の男達も続く。
月が出ていない事も手伝い、例え監視塔から城壁を見ていたとしても闇に同化した男達に気付く事はないだろう。
やがて塔の入り口に辿り着いた男がそっとノブに手を掛けた。鍵は掛かっていない。
「二人来い。他は周囲を警戒だ」
サンアローズから凡そ3キロ離れた地点。
平原にポツンと残った林の中に男達は静かに待機していた。
ここから先はサンアローズまで身を隠せる場所は殆どない。監視塔から丸見えなのだ。
だがそれは逆の事も言える。
向こうから見えると言う事は、こちらからも見えると言う事だった。
「徇儀様、合図です」
木に登って監視塔を見張っていた男が囁くように告げると、徇儀と呼ばれた男は腕組みを解いてふっと笑った。
「ほう……上手くいったか」
それは成功した喜びと言うより、良くもまぁ、あんなもので上手くいったものだな?と感心した顔だった。
「俺達が空を飛ぶなど考えてもいないんだろう。もっとも、二度は通じんだろうがな」
「だろうな。だが一回で充分だ。二度目は必要ない」
「余り時間はない。急ぐぞ」
「分かってる。一気に駆け抜けるぞ。遅れるな」
返事も待たずに駆け出した徇儀と飛麟を先頭に風のように走る集団。
その行く手を遮るように前方に柵が見えてきた。
それを飛び越える。
いつもならここでサイレンが遠く鳴り響きサーチライトが一斉に点灯するのだが、今回は何の反応も無かった。
草むらに設置された銃座が競り上がって銃撃を加えてくることもない。
侵入した者達が警備システムを無力化した証だった。
無人の野を駆けるようにしてあっと言う間に城壁の下に到達した男達の前に、ロープが二本垂れ下がってきた。
徇儀がクイッと顎をしゃくる。
それに頷いた二人の男がロープ掴んでスルスルと登っていった。それぞれ二本のロープを肩に掛けている。
その男達が城壁の上に消えると、直ぐ様四本のロープが新に垂れ下がってきた。これで登り口は六本。
全員が城壁の上に立つのに五分と掛からなかった。
「これが壁の中か」
基地内を見渡しながら飛麟が感慨深気に呟いた。
ここを攻め始めて早五年。
ここまで侵入したのは自分達が初めてだったのだ。
「飛麟、感傷に浸るのは後だ。とっとと兵舎と電源設備に爆弾を仕掛けるぞ。爆発は二時間後だ。その後は打ち合わせ通り、呉家が暴れ回って注意を引く。黄家は南の大砲を頼む」
「分かった」
「夜明けと同時に総攻撃が始まる。二時間が勝負だ。行くぞ!」
「「おう!」」
城壁を飛び降りた男達が一斉に散っていく。
サンアローズはまだ寝静まったままだった。
※
「サンアローズが墜ちただと!?」
その日、ニュー・ヴィンランドには衝撃が走り抜けた。
鉄壁と思われたサンアローズが墜ちたと、補給に向かっていた輸送船団から一報が入ったのだ。
「どう言う事だ、ルーファス!?二万の大軍ですら近付く事も出来なかったんだぞ!あり得ん!!」
「で、ですがホルトン中佐……既にサンアローズとの通信は途絶しており……情況から察しますと……」
「あり得ん!!」
「落ち着けホルトン。お前が騒いでどうする」
それまで二人のやり取りを黙って聞いていたグリーンウッドがホルトンを嗜めた。
そのグリーンウッドはと言うと、ヴィンランドに一報が入ってからも一向に動じていない。
ただじっと新しい報告が上がってくるのを待っていた。
各部署を急かしても邪魔をするだけで逆効果だと分かっているのだ。
その微動だにしないグリーンウッドの態度がホルトンに落ち着きを取り戻させた。
「申し訳ありません、将軍」
「分かればよい。それよりルーファス、連絡を寄越した船団はどうしてる?」
「は、はい。パンナボール中佐の指示でその場に留まり、情報の収集に当たっています」
「ふむ……なら続報を待とうではないか。ここで我等があれこれ病んでも仕方あるまい」
「はい」
先の醜態を恥じたホルトンが頭を垂れる。
その時、机上の内線電話がビーーーッ!と鳴った。
『お話中失礼します、将軍』
「なんだ?」
『パンナボール中佐が面会を希望しておりますが、どういたしますか?』
「通せ」
『はっ!』
三人の視線が一斉に扉へと注がれる。少し間を置いてその扉が外から開かれた。
「申し訳ありません将軍、直接ご報告をと思いまして」
「構わん。先ず結論から聞こうか」
「はい。サンアローズは陥落したと見て間違いありません」
「確かか?」
「確認の為に護衛艦一隻を30キロまで接近させたところ、北門の砲台より攻撃を受けたとの事です。尤も、砲弾は遥か手前に落ちたようですが」
「……そうか」
これで誤報ではという淡い期待は消えた。
代わりに彼我の勢力図が大幅に書き換わり、情勢が一気に緊迫したものになった。
何しろサンアローズと言う足場を確保した猿族と、こちらの本丸であるニュー・ヴィンランドを隔てる物は何もないのだ。評議員の連中はさぞ慌てている事だろう。
「しかし、どうやってサンアローズを?彼処の守りは鉄壁だぞ?」
「脱出した将兵の話ですと、明け方に突然爆発が起こり、気が付いたら敵が……それも多数の獣化が侵入していたそうです」
「潜入工作か!?数は?」
「凡そ五百人との事でしたが……まぁ、実際は百人程ではないかと」
「それにしてもだ、あの警戒網をどうやって?」
「不可能でしょうね。……空でも飛ばない限りは……」
「空を……?……まさか!?」
「確たる証拠はありませんが、先ず間違いないでしょうな……」
「奴等が航空兵器を製造したと言うのか!?」
「そんな大層な物ではなく、ハングライダーのような物ではないかと。幾ら何でもエンジン音がすれば接近した時点で気付くでしょう」
「それにしてもだ!奴等が空を飛ぶとは……」
「戦争が科学を進化させるのは、今も昔も変わらないと言う事ですな」
「笑い事かパンナボール!これは由々しき事態だぞ!」
「何故です? 死んだ将兵には気の毒ですが、誘き出す手間が省けたではありませんか?」
その一言を聞いてホルトンの表情が緊迫したものに変わった。ある考えが頭を過ったのだ。
「あそこに……あれを?」
「まさか。あそこでは此処への影響が懸念されます」
そのホルトンの考えをパンナボールは一笑の元に否定した。
「パンナボール中佐」
「はい」
「ヴィンランド防衛長官としての君に聞くが、此処は支えられるかね?」
「それは大丈夫です。ここの防御はサンアローズの比ではありませんので。但し、ここに閉じ込められると我々は物資の供給を絶たれます。今はいいですが何れ武器弾薬が欠乏するでしょう」
「最低でも艦船の自由は確保しろと言う事だな」
「はい」
「今後奴等はどう動くと思う?」
「あそこを占拠した以上、奴等の目的はここでしょう」
「だろうな。で?こちらの対応策は?」
「敢えてサンアローズには手出しをせず、奴等が部隊を集結させるのを待ちます。期限は一ヶ月程と言ったところでしょうか」
「指をくわえて見ているのかね?」
「いいえ。我々はその間にヴィンランドの南方150キロ程の平原にランドシップを主体とした堅固な防衛線を築きます」
「そこで迎え撃つと?」
「バカな!乾坤一擲の勝負に出ると言うのか!? 危険過ぎる!それならサンアローズを放置せず、直ぐにでも奪還すべきだ!」
「ホルトン中佐。遮蔽物のない平原なら幾ら数が居ようが陸に上がった河童も同然です。我軍の圧倒的な火力でもって撃退出来るでしょう。そうなれば後は当初の計画通り……」
「人の流れを辿って奴等の棲み家を見つけ出せば良いと言う事だな? だが動かなかった場合はどうするね?」
「ランドシップによる無言の圧力は相当なものです。奴等は必ず動きます。もしそれでもサンアローズに隠るようならランドシップを前進させて砲撃すれば良いのです。その時は集結させた人員が仇になるでしょう」
「サンアローズごと葬り、逃げ出した奴等の足取りを掴めば、それでチェックメイトか」
「はい」
「よし。ホルトンとパンナボール中佐は明日の会議までに今の防衛計画を煮詰めておきたまえ。我軍はこれを好機と捉え、反撃に転じて奴等を殲滅、永年の戦いに終止符を打つ!」
「「はっ!」」
※
「お帰りなさい、司令」
「おう」
『パッタイ』のブリッジ。
ベンソン達ブリッジ一同の敬礼で出迎えられたバカラが司令官用の席にドカッと腰掛けた。
二ヶ月前と何ら変わらぬバカラの態度。
傍若無人なそれを見て、ベンソン始めブリッジの一同は不思議と安堵のような物を感じるからおかしなものだった。
だが、直ぐに表情を改める。
バカラが「出航の準備は?」とベンソンを振り返ったからだ。
「全て滞りなく。明朝には出航出来ます」
「んだよ……相変わらず真面目君だねぇ。そこは一日くらい遅らせて、疲れた司令官様をゆっくり養生させる気使いが欲しかったとこだな?ベンソン」
「はは……申し訳ありません、司令」
そう言ってベンソンが苦笑いを浮かべた。
サンアローズ基地陥落の知らせが入ったのが昨日の午後。
そして今日の朝から統合作戦本部で会議が開かれ、今後の対応策が検討されていた。その矢先にこの出航命令だ。
バカラが何か重要な任務を帯びたと見たベンソンが、各部署に便宜を計って貰って何とか明朝に出航する目処をつけたと言うのに、バカラはそれを気が利かないと言ったのだから無理もあるまい。
「しかし、司令……この突然の出航命令、いったいどんな指示を受けたので?」
「西寧府を探しだせってよ」
「あの、猿族の首都と噂されてる街を?」
「そうだ」
「単艦で?」
「そうだ」
「それはまた……相変わらず統合本部も無茶を言いますな」
ベンソンが呆れたように呟いた。
捕虜になった獣化が自白したと言う猿族の首都、西寧府。
永年の戦争で南西の方角ではないかと予測されてはいるが、その位置はおろか規模すら未知に包まれた街だ。
そんな内陸部に『パッタイ』単艦で侵入しろとは無茶振りもいいところだった。
それとも平気な理由があるのだろうか?
例えば……内陸部のワービーストは襲ってこない……等の理由が。
「……司令」
「あん?」
「『グリッツ』の乗員の話し……聞きましたか?」
「関係ねぇよ」
「ですが……」
「ベンソン……じゃあ聞くがよ、お前は人の言葉を喋るってだけで、虎やライオンと一緒のテーブルで飯でも食おうって思うか?」
「それは……」
バカラの指摘にベンソンが口隠る。
「だろ?俺達ゃか弱い人間様だぜ?猛獣は鎖で繋ぐか檻で飼うのが一番だ。でなけりゃ駆除するに限る。くだらねぇ事考えてねぇで次の作戦の準備でもしてろ」
確かにバカラの言う通りだった。
いくら話が出来ても相手は感情のある生き物だ。
なら虫の居所が悪ければ暴力を振るうかも知れない。
いや、相手は軽く腕を振り回したつもりで暴力を振るったつもりはないかも知れない。
だがそれだけで、我々人間はいとも簡単に死ぬ。それほど弱い存在なのだ、我々は。
「それに……少なくとも南の猿共は感染症だから話は通じねぇよ」
バカラがポツリと呟いた。
※
「班長!自動銃座のコンテナ、到着しました!」
「何だと!?第三輸送船団は『トルティーヤ』の後だぞ!邪魔だ!倉庫の外に停めとけ!」
「は、はい」
「おい、早くドローンのコンテナを搬入しろ!二番だかんな!間違えんなよ!」
「了解!」
「班長!次の送達票です!」
「おう!」
翌朝。
陣地構築の為に出航する事となったファラフェル級戦艦三隻の準備で湊の中はごった返していた。
今もそうで、貨物列車のように搬入用コンテナを引き連れたフォークリフトが『トルティーヤ』の後部デッキに吸い込まれて行く。
それを眺めながら、黒いAS隊のジャケットに身を包んだ少女が「ちぇ」と舌打ちを漏らした。
「何よ、違うじゃないの……」
『トルティーヤ』から視線を外した少女が班長と呼ばれていた男にツカツカと歩み寄る。
「ねぇ……ちょっといい?」
「あぁ!?」
「『パッタイ』に行きたいんだけど、どこか分かる?」
「『パッタイ』? 『パッタイ』なら隣だ!そこの倉庫の間通って行けば黒いのが見える」
「そう。ありがと」
「おい!『パッタイ』なら後一時間もしないで出港だぞ!行くなら急げ!」
振り向きもせず、返事代わりにサッと片手を上げて立ち去る少女。
それを見送りながら男が吐き捨てるように呟いた。
「何だ、あいつ……無愛想だな」
五分程歩いた少女が倉庫の間を抜けると、そこには男の言うように黒い船体の『パッタイ』が静かに佇んでいた。
ここには他の埠頭と違って慌ただしく動く人影も喧騒もない。
それは既に出航の準備が終わっている事を意味していた。
少女が肩に掛けた荷物を担ぎ直す。
そして怒ったような顔で『パッタイ』の向こうに広がる晴れ渡った空を見上げた。
「不愉快な青空……」
そう呟く少女は、紛れもなくアム本人だった。
そして……その首元にはアインス達と同じあの首輪が取り付けられていた。




