20、今日…私達は大人の階段を一気に駆け上がって大人になります
11話の後に入れようと思ってボツったのです。
なので、流れ的には11.5話になります。
「ごめん!」
右手の甲の再手術を終え、自宅で休養を始めたシンの元を来客が訪れたのは、茹だるような夏の昼下りの事だった。
「これは勘十狼殿、どうされました?」
応対に出たアクミとアムに呼ばれてシンが顔を出せば、そこには勘十狼がにこやかな顔で立っていた。手には何やら風呂敷を持っている。
「いや、何……シン殿にこれをやろうと思っての」
「これは……?」
差し出された風呂敷を受け取ったシンが左手で器用に開いて見ると、中には数枚の着物と帯が入っていた。
「浴衣じゃよ。ほれ、ギプスが袖を通らんと言ってたじゃろう?」
「うわぁ、浴衣ですか!?」
浴衣と聞いたアクミがシンから風呂敷を受け取って早速広げて見せた。
それをアムが、そして遅れて顔を出したひめ子が物珍しそうに眺める。
「すいません、態々。助かります」
「いや何、散歩のついでじゃ。気にせんでいい」
恐縮するシンに勘十狼が笑いながら答えた。
「へぇ……色んな色と柄があるのね」
「浴衣は外歩きも出来ますからね。いっそ私達の浴衣も作って、先生とお揃いで街を練り歩きましょう」
「作ってって……アクちゃん浴衣作る気なの?」
「任せて下さい!」
「ほっほっほ……そんな事せんでも、欲しいならやるぞい?今から屋敷に来るかの?」
「マジっすか、お爺ちゃん!? 行きます行きます!!」
パァと笑顔になったアクミがはいはいと右手を上げる横でアムとひめ子が顔を見合わせた。躊躇しているのだ。
「あの、勘十狼様……本当によろしいのですか?」
「ほっほ……構わんよ。浴衣も可愛いおなごに着られた方が本望じゃろうしの」
「まぁ……」
「あはは……じゃあ、お言葉に甘えて……」
勘十狼の笑顔を受けて、アムとひめ子が嬉しそうに微笑んだ。
※
勘十狼に案内されたのは広い屋敷の奥まった一室だった。
「屋敷の若い者が着れるように沢山ある。好きなの持って行っていいぞ」
「うわっ!? 凄い量!?」
ズラッと揃った女物の浴衣。
その種類の多さにアムが驚きの声を上げた。
流石に一族を纏める長だけに勘十狼は物持ちだった。
「あっ!? 私これがいい!」
物色を始めて直ぐ、アムが一着の浴衣を掲げて見せた。
それは青地に白と黄色が入った如何にもアムらしい浴衣だった。
「私はこれかしら?」
続けてひめ子が赤い浴衣を手に取る。
余程気に入ったのだろう。ひめ子の顔に笑顔が溢れていた。
だが、どうしたものか?
ひめ子は直ぐに笑顔を収めると、ついっと首を傾げてアムを見た。
アムが不思議そうな顔してひめ子を見ていたのだ。
「どうしたの、アムちゃん」
「ううん、ちょっと意外だなって思って……」
「これ? そうかしら……?」
ひめ子が手に持った浴衣を掲げて見せる。
赤地に牡丹をあしらった柄は派手過ぎず落ち着いていて、ひめ子的には……、
「てっきり、ひめちゃんは黒い浴衣かと思った」
「それじゃ喪服よ」
ひめ子が苦笑いを浮かべながらツッコんだ。
私ってそういうイメージだったのね……。
口には出さないがそんな顔だった。
一方、
「どれもこれも……今一ピンと来ませんね……」
何事も即決するタイプのアクミが珍しく思い悩んでいた。
「アクちゃんなら何でも似合いそうだけどね」
「うーん、そうナンですけどね……」
悩みながらも、そこは否定しないアクミ。
「因みに、どんなの探してるの?」
「もっとこう……先生がヴィーストに早変わりするような、そんな攻撃的な浴衣はないものかと……」
「攻撃的?」
「ミニスカでノースリーブ、背中は腰まで丸見えで、胸の谷間を強烈にアピールしてるような、そんな浴衣無いですかね?」
「そんなの無いよ」
「私的には横乳までならOKナンですが」
いや、それはもう浴衣じゃないから。
そう心でツッコんだアムとひめ子が苦笑いを浮かべた。
「まぁ、無い物ねだりしてても始まりませんね。では私はこれで……」
そう言ってアクミが選んだのは白地にピンクの入った、これまた如何にもアクミらしい色の浴衣だった。
「お爺ちゃん、これ着て見ちゃダメですか?」
「ほっほっほ、別に構わんぞ」
元々そうさせる気だったのだろう。部屋の入り口に控えていた家の者達がスッと立ち上がった。
「では早速、えへへ……」
何だかんだと言いながらも嬉しそうに笑いながらアクミが着ていた服に手を掛けた。
が、直ぐにその顔が無表情に変わる。
そして勘十狼を、じーーーーーーーーーッ!と見つめた。
勘十狼がにこやかに笑いながらアクミの着替えをじーーーーーーーーーッ!と眺めていたのだ。
「あの……お爺ちゃん?」
「何じゃな?」
「はっ倒しますよ?」
「わ、分かっとる分かっとる。冗談じゃよ、冗談」
殺気立ったアクミの笑顔に睨まれた勘十狼が慌てて回れ右をする。
「まったく……お爺ちゃんったら……」
「あはは……」
「そんな怒らんでも、干からびた爺いの一人位居ても構わんじゃろうに……」
「ダメに決まってるでしょう。干からびてても男は男ですからね。私達の裸を見て良いのはこの世でただ一人、先生だけです!」
そう言ってアクミがピシャリ!と障子を閉めた。
「まったく、釣れないのう……」
と言いながらも、人差し指をペロッと嘗めて障子に穴を開ける勘十狼。
そのまま顔を寄せて覗き込むと……穴の向こうからアクミの瞳が、じーーーーーーーーーッ!!と覗いていた。
「分かってると思いますが、私は例え相手が次狼くんのお爺ちゃんでも容赦はしませんからね? もし覗いたりしたら、その目に練りワサビを塗り込んでボンドで接着しますよ? 良いですか? 良いですね?」
「わ、分かっとる分かっとる。寂しい老人のお茶目なジョークじゃよ」
「まったく……」
勘十狼が障子から離れたのを見て取ったアクミがようやく着替えを再開する。
「しかし、シン殿はこーんな可愛いおなごに好かれて羨ましいのう」
「お世辞言ってもナニも出ませんよ」
「そんなんじゃないわい。どうじゃアクちゃん、儂の嫁にならんか?」
「この歳で次狼くんのお祖母ちゃんナンて、真っ平ごめんですよ」
「はぁ……こんなピチピチのギャルが手付かずなんて、勿体ないのう」
「まぁ、そこは否定しませんよ。私らだって、本心は先生に抱かれたいんですから」
「不思議じゃのう。何でシン殿はこんな一途なおなご共をいつまでも放っておくのじゃ? 儂には理解出来んの」
「きっと先生は人一倍責任感が強いんですよ」
「何が責任感じゃ。男は頭でなく下半身で考え行動するもんじゃ」
「五人も六人も奥さん作ってるお爺ちゃんと一緒にしないで下さい」
「一皮剥けば男なんて皆一緒じゃよ。どれ、試しに儂が愛用しちょる餓狼伝説をくれてやろう」
「餓狼伝説?」
「我が家に伝わる超強力な強壮薬じゃよ。これは凄いぞ?どんな男も理性なんて吹っ飛んで野獣になる事請け合いじゃ」
「マジっすかぁーーーーーーッ!?」
「ちょっとアクちゃん!?」
突然、スパーン!!と障子を開けられアムが悲鳴を上げた。素っ裸だったのだ。
「まだ着替え中!」
「下着ナンて些細なモノですよ!」
「私、裸!」
アムの抗議もナンのその、それを完全に聞き流してアクミが勘十狼に詰め寄る。
「それよりお爺ちゃん、今の本当ですか!?」
「勿論じゃ。後で持たせてやろう」
「感謝します!これで先生は……うえっへっへっへっへ……」
「アクちゃん、顔顔!」
浴衣で身体を隠しながらアムとひめ子が苦笑いを浮かべた。
※
キッチンには香辛料独特の強い香りが漂っていた。
どうやら今晩はカレーらしい。
アクミが鍋の中が焦げ付かないようおたまで優しくかき混ぜている横で、アムがレタスを千切って三人分のサラダを作っていた。
ひめ子の分はない。
実はひめ子、家に帰ると早々に用事を思い出したと言って『アイリッシュ』に行ってしまったのだ。どうやら今日は帰らないつもりらしい。
なので今晩は三人だけでの夕食だった。
「さ、て、と……」
ご機嫌な顔でクッキングヒーターのスイッチを切ったアクミが流し台の下から擂り鉢を取り出した。
「……?」
カレーで擂り鉢?
と疑問に思いながらもアムが黙って見ていると、今度は胸の谷間に右手を突っ込むアクミ。
そして何やらごそごそ漁った挙げ句に手を引き抜くと、そこには小さな包み紙が握られていた。
その包みを開き、中から二粒の丸薬を摘まんで擂り鉢にポンと放ると、ニヤリと笑ってゴリゴリ擂り潰し始めた。
それはもう、悪人丸出しの企んだ顔で。
それを見てアムの表情が固まる。
「アクちゃん、それって……」
「そうです。お爺ちゃんに頂いた餓狼伝説です」
「まさか……」
「アムちゃん……今日、私達は大人の階段を一気に駆け上がって昇天します。心の準備は良いですか? 良いですね?」
「いや……昇天って……」
アムが小声でツッコみながらもコクりと唾を飲み込んだ。
ぱく。
ちらり。
もぐもぐ。
ちらり、ちらり。
「なんだ?」
二人の視線に気付いたシンが食事の手を止めて問い掛けた。
「えっ!? い、いえいえ……カレーなら一人でも食べられそうですね。と思いまして」
「そ、そうそう!あ、あはははは……」
慌てて誤魔化す二人に妙な違和感を覚えつつも、腹が減ってる事も手伝ってさして深く考ずに食事を再開するシン。
トクン……トクン……。
それをチラリと盗み見て二人の心臓が高鳴る。
シンがカレーを一口、二口と口に運ぶ度、二人の心臓がトクン……トクン……と期待と不安で高鳴っていく。やがて、
「ごちそうさま」
そう言ってシンがスプーンを置いた。
だが完食した訳ではない。
アクミとアムがシンの皿を見れば、まだ半分近く残っていた。
その視線に気付いたシンが申し訳なさそうに笑う。
「すまんが残す。どうも今日は調子が悪いみたいだ」
「あ、うん。お粗末さま」
席を立ったシンは、そそくさと逃げるようにしてリビングを後にするのだった。
「何か痛がってたみたいだけど……」
「違います。あれは自分の内なる野獣が暴れだそうとするのを必死に抑え込んでた顔です」
「そうかな?」
「そうです。私には分かります。ささアムちゃん、私達もとっとこハムッとご飯を食べてシャワッとお風呂に入っちゃいましょう。そしたら先生の部屋に突撃です。今夜が勝負ですからね?」
「う、うん……」
「ふふ……きっと今頃、昂った野獣の血が先生のあそこでズッキンバッキン暴れ回っている筈ですよ。そこにお風呂上がりの美女が二人、ノーブラでノコノコ現れれば、如何に先生の理性が抗おうと……ふふ、ふふふ……完璧です」
「あの……アクちゃん?ノーブラは確定なの?」
「勿論ですよ。念には念を入れませんとね」
「あの……まさか下も?」
「いえいえ、それはそれで良いんでしょうけど、流石にあからさま過ぎますからね。ちゃんと穿いていきましょう」
「だ、だよね?」
「ですが、まぁ……」
そこで何を思ったのかアクミが顎に手を当てて「ふむ……」と考え込んだ。そして、
「そうですね……アムちゃん、いっそパンツの上にもナニか穿いて行きませんか?そうだ!ホットパンツにしましょう!」
と、凄く良い笑顔で提案してきた。
「アクちゃん、パンツ一枚で行くつもりだったんだ?」
至極当たり前の事を然も名案のように語るアクミにアムがツッコむ。
どうやら最初はTシャツパンツ一丁で突撃しようとしていたらしい。
それでパンツも穿いてなかったら、そりゃあからさまだわ。
アムが苦笑いを浮かべる。
そんなアムの顔を見て何を思ったのかアクミがにっこり微笑んだ。
「もう、アムちゃんたら……そんナニ心配しなくても大丈夫ですよ。パンツはね、足の付け根からチラリと覗くくらいが調度良いんですよ。その方が想像力を掻き立てますからね」
「いや、そんな心配してないから」
アムが誤解のないようにソッコーで否定する。
が、そんなのお構い無しにアクミの想像はどんどん先へと突き進んでいた。
「きっと私達の胸と美脚に触発された先生は、薬の効果と相まって野獣のように飛び掛かってきますよ!私には分かります。これは絶対です!」
「そうかな?」
そんなシン等想像したくないアムだった。
と言うか、初めては優しくして欲しいと思う。
「うにゃあ! もうダメです! 私のハートがポッポポッポと高鳴ります!まるで餌を蒔かれて躍り狂うハトのようです!」
「いや、その例え分からないから……」
「アムちゃん!」
「は、はい!?」
突然ガシッ!と両肩を掴まれ、アムの肩がビクッ!と震えた。
そんなアムに顔を近付けたアクミが小声で囁く。
「先生に胸を触られるのって……どんな感じだと思います?」
「え……?」
真顔で詰め寄るアクミ。
その目を見つめ返しながら、アムが脳内で想像を膨らませる。
シンがアムを優しく抱き締め、そっとキスをしながら胸の膨らみを愛撫する様を……。
ポッ……。
アムの頬がほんのり紅く染まった。
「……そ、そりゃあ……き、気持ちいいんじゃ……ないかな?」
目を逸らせながらアムが答える。
「じゃ、じゃあですよ?そ、そのまま先っちょを甘咬みされて、キューーーーーーーーーッ!て、吸われちゃったりしたら?」
「え……!?」
シンが?……わ、私の……乳首を?
ボッ!!
耳まで真っ赤にしたアムが内股になりながら身を捩って俯く。
こんなはしたない想像をした自分が恥ずかしく、とてもじゃないが顔を上げる事が出来なかったのだ。
そんなアムを見て、アクミが我が意を得たりと頷いた。
「うんうん。ですよね?やっぱりそうですよね?あぁ……想像するだけでゾクゾクしてきます!さぁ、アムちゃん!早く片付けて禊に行きましょう!」
「う、うん……」
顔を真っ赤に染めたまま、アクミと一緒に食器を運び始めるアムだった。
※
「先生……? 大丈夫ですか?」
「シン? その……入るよ……?」
シャワーを済ませた二人が部屋の外から声を掛けると「ああ」と返事が返ってきた。
意を決した二人が頷きあって部屋の扉を開ける。
するとシンは何をするでもなく、ただソファーに座ってボーッとしていた。
薬が効いてもっと興奮してるのかと思っていたが、予想に反して元気がない。
「どうしたの? 何か顔が赤いけど?」
「ナニやら汗も掻いてますね」
「いや……何か唐辛子でも食ったみたいに身体が火照ってきて……」
にまり。
アクミがほくそ笑む。
やはり薬は効いているようだった。
「それはいけませんね。夏風邪かも知れません。ささ、ベッドに横になりましょう」
そう言ってアクミがシンに詰め寄った。
そのアクミの胸……どう見てもいつもより揺れている。
その理由に思い至ったシンが慌ててアムに視線を移すと……アムの胸にもナニかが透けて見えた。
〈うぉい!〉
見てはいけないと思って反射的に俯く。
するとそこにはアクミの健康的な太ももが……。
〈何でこんな格好してるんだ!?……って、寝る前だからか〉
はっきり言って目のやり場に困った。
と言うか、今日はどうもおかしい。
実は食事中も二人のうなじや胸元、細い肩や手の仕草から息遣いまで、全てに女性らしさを感じて意識せずにいられなかったのだ。
だから食事を残して逃げ出すようにリビングを出たのだ。
〈何で今日に限って!?〉
シンが心で叫ぶ。
それが勘十狼の寄越した餓狼伝説なる強壮薬のせいだとは思いも寄らないシンだった。
「先生……?」
「な、なんだ?」
「ナンだって……どうしたんです?さっきから黙り込んで?」
「いや、何でもない。だから俺の事は気にしないで寝てくれ」
「ナニ言ってんです。具合の悪い先生を一人にナンて出来ませんよ。今日は二人で添い寝します」
「それは困る!?」
添い寝と聞いてシンが本気で慌てた。
こんな精神状態で二人が側にいたら絶対に手出しする。
シンとて男だ。
女の身体に興味が無い訳ではない。
いや、はっきり言えば抱きたい。
だがこんな己の欲望のままに、勢いで、しかも二人同時に手を出すなんて無責任な事をしたくなかったのだ。しかし、
「先生? 怪我人の上に病人ナンですよ?立場分かってますか?」
アクミは引いてくれなかった。
「いや……でも……」
有無を言わさぬ強い眼差しでじっとシンを見つめるアクミ。(←獲物を逃がさない目)
その何やら決意した強い眼差し(←別の意味で)に気圧される。
それはきっと、シン身を本気で心配しているからなのだろう。(←感違い)
まずい。
このままでは、なし崩し的に二人に添い寝されてしまう。
アクミとアム……まだどちらが好きなのか決めかねていると言うのに……。
何か良い言い訳はないものかとシンが必死に考えを巡らす。
それはもう頭をフル回転させて。その時だった。
「うっ!?」
突然、ズキンッ!と傷口が痛んだ。
〈なんだ?急に……〉
ズキンッ!
「ぐっ!?」
堪えきれなくなったシンが腕を抱えて震える。
「あの……先生?」
初めはその場逃れの演技かと思ったアクミとアムだが、シンの額には汗の粒が浮いていた。
「シン!ねぇ、大丈夫!?」
本気で心配になってきたアムがシンの顔を覗き込んだ。前屈みで……。
「ーーーッ!?」
その時、Tシャツの胸元からチラリと見えたアムの〃ピー〃にシンの鼓動が一気に高鳴った。
その鼓動に合わせて傷口がズキズキと痛む。
「いや、大丈夫だから……」
「大丈夫って顔してないよ?」
「いや、本当に……つぅ!?」
「ちょっと、シン!?」
「先生!?どうしたんですか!?」
「う、腕が……」
「腕が?」
「急に、ズキズキ脈打って……」
〈あっ!?〉
その時、二人は気付いた。
例の野獣が……シンのあそこではなく、手術したばかりの傷口でズッキンバッキン猛威を奮っている事に。
「いっつ!?」
左手で傷口を抱えるようにして蹲るシン。
この痛がり方はただ事ではない。
そう悟った二人が慌ててシンを左右から支えて立たせた。
「取り合えずベッドに横になって!アクちゃん、シンをお願い!私、氷持って来る!」
シンをベッドに寝かせるや、アムはアクミにシンを任せて階段を駆け降りて行った。
後にはシンとアクミの二人だけが残される。
かなり痛むのだろう。シンが目を閉じたまま大きく、長く息をしている。
それを床に膝間突き、じっと無言で見つめるアクミ。
「ごめんなさい……私のせいです……」
暫くするとアクミがポツリと謝罪した。
シンが瞼を開けて見れば、アクミの両目に今にも溢れそうな涙がキラリと光っていた。
「別に、お前のせいじゃない」
シンが痛みを堪えながらもふっと笑った。
その痛々しい笑顔を見た瞬間、堪えきれなくなった涙が頬を伝って流れ出す。
「違うんです!私の……私のご飯のせいで……私のせいで!」
尚も言い募ろうとするアクミ。
それを黙らせるようにシンがアクミの頭にぽんと手を置いた。
アクミの肩がビクッと震える。
「お前の飯は今日も美味かった。だから気にするな、アクミ」
シンに優しく声を掛けられてアクミの顔がクシャと歪む。
そのアクミの頭をそっと抱き寄せてやると、アクミは声を殺してシンの胸で咽び泣いた。
「まったく……泣く奴があるか」
「うぅ……先生ぇ……」
シンが優しく頭を撫でてやると、アクミは甘えるような声でシンの胸に頬擦りしてきた。
そんな二人を氷袋を持参したアムが慈しみを込めた瞳で見守っていた。
※
「ごめん!」
翌日。
食事の後片付けをしていた二人に代わってシンが応対に出ると、そこには勘十狼がにこやかに笑いながら立っていた。
手には何やら風呂敷包みをぶら下げている。
「これは勘十狼殿、今日はいったいどういう……」
「いや何、昨日アクちゃん達に巾着とかの小物を持たすの忘れておっての。家の者に適当に見繕わせて持って来た。ほれ」
「それは……度々すみません」
「昨日も言ったが散歩のついでじゃ。気にせんでいい」
シンが恐縮しながら風呂敷を受け取る。
すると勘十狼がスッと顔を寄せて来た。
「それより、昨日はどうじゃったな?」
「は……? 何の事です?」
「ほっほっほ、惚けんでも良い。あれを飲むと血が燃えたぎって、女の二人くらい余裕で相手出来たじゃろう?」
「いえ、本当に何の事だか……」
勘十狼が何の事を言っているのか分からないのだろう。本気で戸惑うシンの姿を見て勘十狼が首を傾げた。
「先生、お客さんって誰……あッ!?」
手の空いたアクミが玄関に顔を出して固まった。
何故なら勘十狼が立っていたからだ。
「アクミ……?」
「なな、ナンでしょう?」
氷のように冷めた声で名前を呼ばれてアクミの頬を冷や汗が伝う。
「お前のせいだったのか……」
「だだ、だから昨日ごめんなさいって謝ったじゃないですか?そしたら先生気にするなって……」
「うるさい!!」
「ノオォーーーーーーッ!?」
鬼の形相で振り向いたシンを見てアクミがパッと身を翻した。
そのまま家の奥へと駆け出す。
「待てアクミ!!」
それを逃がさんとばかりシンが追いかける。
そんな二人を見て勘十狼が呆れた顔を浮かべた。
「あの様子じゃ……どうやら、まだやっとらんようじゃの?」
遅れて顔を出したアムに勘十狼が尋ねる。
「あはは……実は昨日は大変だったんです」
「何がじゃ?」
「お薬のせいで血圧上がっちゃったみたいで、傷口がズキズキ痛みだしたんです」
「あぁ、そう言う事か……」
事の経緯を知った勘十狼がアムと一緒になって苦笑いを浮かべた。
正直、そこまで気が回らなかったのだ。
〈やれやれ……勢いで既成事実を作って強引に橋渡しをしてやろうと思ったのじゃが……これじゃ祝言を挙げるのはいつになる事やら……〉
二階に駆け上がった二人の足音を目で追いながら勘十狼が小さく溜め息をついた。
「ノォオオオーーーーーーーーーッ!!」
暫くするとアクミの悲鳴が玄関にまで木霊した。
「取り合えず……もう一回分渡しとこうかの」
「あはは……ありがとうございます」
勘十狼が懐から取り出した紙包みをしっかり受けとるアムだった。