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見知らぬ空へ  作者: たじま
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序章2、ワービーストの街



シンと二人の少女が保護された地点より約100キロ程北東に移動した所にリカレスと言う名の街があった。

周囲を山々に囲まれ、街の中心を一本の河が流れており、その河から山に向かっての緩やかな斜面に薄いオレンジ色の屋根で統一されたレンガ造りの建物が整然と立ち並んでいる。

そこは一見して風光明媚な観光地のような街だが、その実スフィンクス達が猿族の侵攻を防ぐ為の防衛拠点でもあった。


そんな街に灯りが灯りだした頃、街を見下ろす北側の斜面の上に建つスフィンクスの館の一室に四人の男達の姿があった。

その内の二人はスフィンクスとラルゴだが、残りの二人もスフィンクスに似て一癖も二癖もありそうな面構えの男達だった。

その内の一人、長くくすんだ銀髪を、後ろで一つに束ねた初老の男が苦々しく口を開いた。


「北淋の街は完全に猿族の手に落ちたようじゃの。うちの若いのを偵察に出したが、既に結界を張られて近付けんかったわい」

「勘十狼殿、それでも多数の住民を救えたのじゃ。今はそれで良しとしよう」

「ですな。時にラルゴ殿、助けた者達の集計は済んでおるかの?」

「はい。北淋の生き残りが3032人。それと、北淋から追撃して来た猿族に襲われ、ここに至る道筋の集落から621人。その内、獣化は13人です」

「それだけ救えたのは行幸でしたな、スフィンクス殿」

「うむ。途中、旧人類が現れたお陰で猿族が混乱した。それがなければもっと少なかったと言う事じゃな」

「ほほっ、敵である筈の奴等が手助けしてくれるとはの。皮肉なもんですな」


勘十狼がおかしそうにくくっと笑った。スフィンクスとラルゴの二人も苦笑いを浮かべている。

その時、スフィンクスに劣らない体躯をした金髪に黒い房の混じった壮年の男が目を見開いた。

厚い胸板の前で組んでいた腕を解き、意を決したようにスフィンクスを見る。


「ひとつよろしいですかな、スフィンクス殿」

「なんじゃな、虎鉄殿?」


改まった物言いに、苦笑いを収めたスフィンクスが向き直る。


「この虎鉄、スフィンクス殿の一武将として言わせて頂きます。ご容赦を」

「構わん。なんじゃな?」

「儂の街に続いて北淋も落ちました。今後も益々雑多な一族がスフィンクス殿の元に集まりましょう。そんな寄り合い所帯な状況で、少々お戯れが過ぎるのではありませんか?あれでは皆の結束に影響が出ると思われますが?」

「あの少年の事かの?」

「そうです。何故かような小僧をお救いになった上、屋敷に匿っておられるのです?」

「分からん」

「……は?」

「儂にも分からん」

「なら……」


真顔で返事を返すスフィンクスに呆気に取られた虎鉄が思わず聞き返す。


「だがあの少年が救った娘達……その娘達が言うのだ。旧人類も、儂等ワービーストも、なにも変わらん同じ人間じゃとな」

「そんな小娘の戯言……」

「そうあの少年が言っていたと言うのじゃよ……」


「……小僧が?」


「はっきり言おう。儂は旧人類など、同じ人間だと思っておらんかった。五百年も宇宙で過ごし、再び大地に戻って正統な人類もあるまい。最早、地上は我等ワービーストの世界じゃ。それを娘は真っ向から否定してみせた。まるで横っ面を叩かれたようじゃったの」


そう言ってスフィンクスがおかしそうに笑った。

とは言え、相手は我々とは相容れない存在だ。

虎鉄は救いを求めるようにラルゴに視線を送った。

するとどうだろう。ラルゴは虎鉄の視線を受け止めると、溜め息を一つ付いてからこう語った。


「実はその時、助けた娘の母親もその場に居ました。と言っても既に殺されておりましたが。……その母親の遺骸と少年、どちらか一人だけ連れ帰るとスフィンクス様が娘に仰ったのです。……正直、娘は母親を選ぶと思いました。まだ年端も行かない子供が、死んでいるとはいえ、実の母親より見も知らぬ旧人類の少年を選ぶとは思えなかったのです。……ですが立ち上がった娘は母親の所に行くとこう言ったのです。「ごめんなさい、お母さん」……と。それも大粒の涙をボロボロと流しながら。……それを見て私もスフィンクス様もなにも言えなくなりました……」


語り終えたラルゴが沈黙する。

虎鉄もなにも言えずに黙ったままだった。

するとその沈黙を破るように再び勘十狼がおかしそうに笑った。


「ほっほっほっ、敵であるワービーストの娘を手懐けるとは、面白そうな少年ですの」

「うむ。それで儂も話がしてみたくなっての。もっともまだ目覚めておらんが」

「ですがスフィンクス殿……」

「勿論、話をしてみて心に悪しき物を感じたら即座に始末する。だからこの件は儂に任せてくれんかの、虎鉄殿」


そう言って虎鉄を真っ直ぐ見つめるスフィンクス。

そこまで考えているのならしかたない。

暫くして虎鉄は深い溜め息を一つ付いた。折れたのだ。


「分かりました。スフィンクス殿がそう仰るなら、もうなにも言いますまい」

「すまんの、虎鉄殿」







シンが目を覚ました時、目の前は真っ暗闇だった。


「…………?」


なぜ?

なんで目が光を感じていない?

だが直ぐに気付く。

それが目のせいではなく、今が夜だからなのだということに。

そう思って良く見てみると周りは真っ暗闇と言う訳ではなく、月明かりが射し込んでいるのか仄かに明るい。


その時、柔らかな風が頬をくすぐった。少しづつ身体の五感が甦ってくる。


ここ……どこだ?


声に出そうとしたが声は出ない。

まるで喉が声の出し方を忘れてしまったかのようだった。

いや、実際は声を出したつもりでいただけで、口は動いていなかったのかも知れない。

ここがどこなのか?

なんでこんなところで寝ているのか?

回らぬ頭で記憶を呼び起こそうとするのだが、頭の方はまだ寝たままなのか一向に思い出せなかった。

ただ時折吹く風がカーテンを揺らし、窓から射し込む月が床に描かれた淡い紋様を揺らす。

なにも分からないまま身体を動かそうとしたのだが、こちらも喉と同様まるで動かし方を忘れてしまったかのようにピクリとも動かなかった。

それでもなんとか動かそうと試みると、途端に痛みが全身を駆け抜けた。

思わず「うっ……」と呻き声が漏れる。


「気が付いたようじゃな」


はっとして声のした方に首を向けると、椅子に腰掛けたままシンを見据える壮年の男がいた。スフィンクスだ。

それを見てシンが驚きの声をあげる。


「……ワービースト?」

「そうじゃな」

「……ワービーストが……なぜ?」

「なぜとは?」


シンの真意が分からずスフィンクスが尋ね返すと、シンは相手に聞こえないよう、そっと唾を飲み込んだ。

まるで腹を空かせた猛獣と同じ檻に入れられ、たった一切れの肉と一緒に並べて立たされたような感覚だった。

少しでも相手の機嫌を損なえばそれだけで命がないような状況で、シンは言葉を選びながら絞り出すような声で尋ねた。


「……野生の獣のように、……人を襲うのがワービーストだろう?」

「ふっ……お主、儂等をなんじゃと思っとる」


呆れたようにスフィンクスが笑った。


「過去に枝分かれしたとは言え、儂等とて知性を持った人間じゃぞ。理由もなく相手を殺さんよ」

「……だが、俺の知ってるワービーストは狂暴で、残酷で、理由もなく人を殺める」

「それは感染症に掛かったワービーストじゃな」

「感染症?」


スフィンクスは笑いを納めると、シンの予想だにしなかった事実を口にした。


「ワービースト特有の病気じゃな。これに感染すると同族意識が極端に強くなる。それこそワービースト同士だろうがなんだろうが、他族を見ると殺さずにおれんようにな」

「……そんなのが?」


シンは驚いた。

もしそれが本当だとしたら、感染症に掛かっていないワービーストは理由もなく人間を襲う事は無いと言う事になる。驚愕の真実だった。


「知らなかったと見えるな」

「はい」

「もっとも儂は感染しとらんが、助けるつもりもなかった」


スフィンクスのストレートな物言いにシンが首を傾げる。


「じゃあ、なぜ?」

「そこの娘達に礼を言うのじゃな」


スフィンクスは苦笑すると、顎を使ってくいっと指し示した。

そこにはシンの腰の辺りに寄り添うようにして二人の少女達が眠っていた。


「無事だったんだな。良かった……」


「銀髪の娘は儂に臆する事なくお主を連れ帰れとせがみ、黒髪の娘は母親の遺骸を連れ帰る事よりお主を選んだ」


「え……?」


シンが驚いたようにスフィンクスを見た。

その目をじっと見返しながらスフィンクスがずけりと言った。


「だから、お主を連れ帰らぬ訳にいかなかったのじゃ」

「……そうですか」


事の経緯を知ったシンが包帯だらけの腕をなんとか動かし、そっと二人を撫でるのをスフィンクスは不思議そうに眺めていた。


「……お主、名は?」

「あ、申し遅れました。シングレア・ロンドと言います。助けていただいて感謝します」

「シングレア?てっきり東洋系かと思ったが……」

「東洋系が混じってる……と言うのが正しいですね。あそこ(ニュー・ヴィンランド)では色んな血が混ざって西も東もありません。それと呼び名はシンで結構です。仲間内ではそう呼ばれてました」

「ふむ。シンよ、一つ聞きたい。なぜそこの少女達を助けたのじゃな?」

「なぜ?」

「子供とは言え、敵である筈のワービースト。しかも相手は獣化が三人じゃ。何か理由があったのじゃろう?」

「理由ですか?さて……」


そう言って本気で考え込むシン。

そして暫く考えてから「分かりません」と恥ずかしそうに答えた。


「気紛れか?」

「気紛れ?どうなんでしょう。ただ捨てては置けない。そう思いました」

「ふむ。……娘達に、人が人を助けるのに理由なんか無いとも言ったそうじゃな?」

「あぁ、あれですか。ふふ、おかしいですよね。俺はついさっきまでワービーストは人間じゃないと思ってました。そう小さい時から教わっていたので……」


シンはそこで一旦言葉を切ると、傍らで眠る少女達の寝顔をじっと見つめた。そして、


「……でも、この娘達を見て思ったんです。俺達となにも変わらないじゃないかって。同じ人間じゃないかって……」


そう言って締めくくった。

心の澄んだ、ひどく惹かれる笑顔だった。

それを見て警戒を解いたスフィンクスが、思わず「惚れたか?」とからかった程だ。


「止めて下さい。まだ小さな子供ですよ」


シンが困ったように笑った。

いつの間にかワービーストを前にした緊張感はどこかへと飛んでいた。


「ふっ……まぁ、とりあえずは傷を癒せ。助けた以上、儂が責任を持って保護してやる」

「ありがとうございます」

「但し、仲間の所に帰れる保証はないぞ。覚悟しておけよ」

「……はい」

「それともう一つ。皆の風当たりは強い。この街には、お主等旧人類に土地を追われた者達も大勢おるのだからの」


それは当然だろう。

シンは直接関わった事はないが、長い歴史の中でシン達旧人類が彼等にしてきた事は侵略以外の何物でもないのだ。それは旧人類側のシンが良く知っている。

だからと言って、ここでシン一人が謝ってもどうこうなる問題ではなかった。

だからシンはスフィンクスを真っ直ぐ見つめ返すと、


「心得てます」


とだけ答えた。

するとどうだろう。

スフィンクスはなにが嬉しいのかニヤリと笑って頷いた。


「……さて、いつまでも怪我人と話しとるのは無粋じゃの。儂は退散するとしようか。因みに、今はお主が倒れて四日目の夜じゃ」


そう言って立ち上がり、シンに背を向けて歩き出したところで思い出したように振り返った。


「そう言えば、まだ名乗っていなかったの。儂の名はスフィンクスじゃ。スフィンクス・ロード・キングバルト。ここの族長をしておる。まぁ、ゆっくりしていくといい、客人」


スフィンクスはそれだけ言うと、再びシンに背を向け扉の向こうへと静かに去っていった。

スフィンクスが去ると部屋の中には静寂だけが残された。


「帰れない……か」


少女達の静かな寝息を聞きながらシンがポツリと呟いた。







翌朝。

シンが目覚めると目の前に二人の少女の顔があった。

まるで目覚める瞬間が分かっていたかのように。


「ええと……心配掛けた……かな?」


シンが言葉を発した途端、覗き込んでいた少女達の眼から忽ち涙が溢れ出す。


「……良かった」

「なんで疑問系なんですかぁ!うわぁあああーーーーーーーん!!」

「うわっつ……」


ほぼダイビングに近い勢いで銀髪の少女に抱き付かれ飛び上がる程に傷が痛んだが、少女達の涙を見るとなにも言えず、ただぐっと堪えた。


「ありがとう。おかげで命拾いしたよ」


そう礼を言うと、少女達は顔を伏せたまま涙を擦り付けるようにして左右に頭を振った。

シンは手触りの良いサラサラとした髪を撫でてやりながら、ふと部屋の中に食事の良い匂いが漂ってる事に気付いた。

それを自覚した瞬間、


グゥーーーッ!


少女達が無言で顔を上げる。


「……その……すまん」


心配してくれていた少女達に申し訳なく、視線から逃れるようにしてシンはそっぽを向くのだった。





「そう言えば名前……聞いてなかったな」


ベッドの上で何とか上体を起こし、膝の上に置いてもらったトレーからスープの入ったカップを掴み痛む左手でそっと口に運ぶ。

そうして一口啜ってから、シンが思い出したように呟いた。

少女達も顔を見合わせている。

そう言えばそうですね。

そんな顔だった。


「俺はシングレアだ」

「私はアクミリスです!」

「私は……ひめ子」


シンが自己紹介すると銀髪の少女が勢い良く答え、続けて黒髪の少女が恐る恐るといった感じで名乗った。


「ひめ子にアクミだな。二人共よろしくな」

「アクミ?」

「いや、呼びやすかったんで。嫌か?」

「……アクミ。アクミですか。うん、良い愛称ですね。えへへ……、ひょっとして、お兄さんの中で、私は既に特別な存在になっちゃってるんですかね? うふふ……」


なにが嬉しいのか、アクミは小声で呟きながら頬に両手を当ててニヤニヤ笑っている。

シンはそれをそっと放っておいて元気のないひめ子に視線を移した。


「その……ひめ子?」

「はい?」

「その、なんだ……上手く言えんが……俺もその……同じなんだ」

「同じ?」


顔を背けて口籠るシンにひめ子が首を傾げる。

いったいを言おうとしているのか要領を得ないのだ。すると、


「俺も……両親が居ないんだ」

「……あ!?」


賢いひめ子はそれだけで理解した。

要は母親を亡くしたひめ子を慰めてくれようとしているのだ。

その気持ち自体は嬉しいのだが、正直今はそっとしておいて欲しいと思った。

だからひめ子は何も言わず、ただ下を向いて沈黙でもって答えた。

すると突然、目の前のアクミが勢い良く右手を上げた。


「私もです!」


驚いたひめ子が顔を上げる。

シンも同じだったようでアクミに問い質した。


「ひょっとして、アクミも両親がいないのか?」

「はいです!」


考えてみればそうだ。

もし両親が健在なら、例え命を救ったとは言え、こんな見も知らない旧人類の所にずっと居させやしないだろう。

二人に見つめられるのが恥ずかしいのか、アクミがポリポリと頬を掻く。


「私はその……世に言う捨て猫ならぬ捨て子だったみたいでして。物心ついた時には、おっきな屋敷で召し使いやらされてました」


そう言ってあはは……と笑うアクミ。

自分の不幸な身の上を話している筈なのに、アクミはあっけらかんとしたものだった。


「それが、どうしてひめ子と一緒に?」

「いえ、ナンだか急に屋敷が騒がしくなりましてね。そしたら大人達が大慌てで荷物をまとめ出したんです。ナンでも猿達が攻めて来るってね。それで逃げ出したんですが……」

「途中で、みんなとはぐれたと言う訳か……」

「いえいえ、チャンスとばかり、私一人でさっさと逃げ出しました」


「「は……?」」


予想外の告白に二人の声が重なる。


「だってそうでしょう?召し使いって言えば聞えは良いですが、ただの奴隷ですよ。奴隷。同じ召し使いのお姉ちゃんなんて、ナニされてるのか知りませんが夜になると必ず呼び出されて、朝になって泣きながら帰って来るんですよ?そんな所にいたってろくな人生じゃないですよ。あんなとこ、とっとと逃げ出すに限ります!」


パンをかじりながらアクミが悪態をついていたが、アクミより大人なシンはそれで大体の予想がついた。

確かにワービースト社会に奴隷制度のようなものがあるのなら逃げ出して正解だったのだろう。


「それでですね、最初は他の大人の人達に混じって逃げてたんですが、途中でその人達ともはぐれちゃいましてね。そしたら、ひめちゃんのお母さんに「一人でどうしたの?危ないから一緒に逃げましょう?」って、……それでひめちゃん達に拾われて……その……」


そこまで元気に喋っていたアクミが急に黙り混んで下を向いた。

ひめ子も黙って涙を堪えている。

その先は聞くまでもなかった。

要は、そこにたまたま居合わせたのがシンだったのだ。


元々、家族のいなかったアクミ。

母親を……いや、ひょっとしたら父親もなのかも知れない。とにかく親を猿族に殺されたひめ子。

そして詳しく語っていないが、小さい頃から施設に入っていて親の記憶のないシン。

良くもまぁ、似たような境遇の三人が集まったものだった。

シンは目の前の二人をみつめた。

この広い世界に身を寄せる相手もおらず、文字通り一人っきりの子供達。

自分はもう大人だ。今さら親が欲しいなんてこれっぽっちも思ちゃいない。

だがこの二人はどうだ?まだまだ子供じゃないか?

そう思うとシンは居ても立ってもいられなくなり、つい思い付いた事を口にした。


「よし!今日から俺達は家族になろう!」

「「家族……?」」


アクミとひめ子が驚いたように顔を上げた。

その二人を交互に見つめ、シンは精一杯にこやかに告げた。


「そうだ。家族だ!……どうだ?」

「「うん!!」」


即答だった。

二人は顔を見合せると、互いに両手を伸ばしてその手を繋ぎ喜びあった。


「えへへ、今日から家族です。よろしく、ひめちゃん!」

「うん。よろしくね、アクちゃん!」


シンはそれを見守りながら、

俺が落ち込んでる隙は無さそうだな。

と思うのだった。







「そう言えばアクミ……猫耳生えてないな?」


昼過ぎ。

三人仲良くベッドで寝っ転がりながら、シンがふと思い出したように尋ねると、アクミが呆れたような顔を上げた。


「そりゃあ、そうでしょうが。こっちがデフォですよ」

「そうなのか?」

「そうなんです。基本、獣化した時以外はみんなこうですよ」

「ふぅん。猫耳生やすあれも、獣化だったのか」


ずいぶん可愛らしい獣化だな。

と言う言葉はそっと飲み込む。


「ひめ子も出来るのか?」

「ううん、私はできない」

「そっか。まぁ、みんながみんな獣化出来る訳じゃないもんな」


みんながみんな獣化出来たら、旧人類なんてワービーストに手も足も出ず、とっくの昔に全滅していた事だろう。


「ところで、普段猫耳はどうしてるんだ?」

「こうですね……身体の中に眠る、気的なナニかをうーん!ってすると……」


アクミが唸ると、頭の上ににょき!と猫耳が生えてきた。普通の耳の方は髪の毛の中に消えている。


「別に耳が四つになる訳じゃないんだな」


真面目な顔のシンが今さらのように呟いた時、控え目に扉を叩く音が聞こえた。

シンが「どうぞ」と返事をすると、扉を開けて一人の若い女性が入ってきた。


「あかりさん!」


「あかりさん?知り合いなのか?」

シンがアクミに尋ねると、


「知り合いもナニも、お兄さんが寝てる間にあれこれしてくれたメイドさんですよ」

と、さも当然のように答えた。


一方、メイド呼ばわりされたあかりは苦笑いを浮かべている。


「あはは……メイドって訳じゃないんだけどね」

「それよりお兄さん、自己紹介がまだですよ。ちゃんとお礼も兼ねて挨拶して下さい!」

「あ、ああ。そうだな」


妙に大人ぶったアクミに促され、シンがベッドの上でペコリと頭を下げる。


「その……シングレア・ロンドです。色々とお手数をおかけしました」

「うふふ、ご丁寧にどうも。キングバルト家に仕えています、あかりです。お見知りおき下さいね」


あかりはそう言ってにっこり微笑むとシンに右手を差し出した。


「実はスフィンクス様がお昼を御一緒したいと仰いまして。ご案内に伺いました」

「スフィンクス殿が?」

「はい。勿論、アクちゃんとひめちゃんもね。行きましょう」

「はいです!」

「うん」


お昼と聞いてアクミとひめ子がベッドから飛び降りた。

そんな元気な子供達を眺めながら、あかりはベッドから起き上がろうとしているシンを手助けしている。


「ロンド様、車椅子をお持ちしましょうか?」

「いえ、傷は上半身なので大丈夫だと思います。それよりロンド様は止して下さい。シンで結構です」

「ふふ、では私の事もあかりとお呼び下さい」

「いえ、それはその……失礼ですが、私の方が年下のようですので、呼び捨ては……」

「うわぁ、ホントに失礼ですね!」


あかりが口に手を当てて、おかしそうにころころ笑った。

それはまるで、そこに花が咲いたような明るく楽しそうな笑顔だった。

その笑顔に釣られて笑いながら、シンが

「上下関係はしっかりとさせませんと」

と答えると、

「ふふ、ではしょうがないですね。それじゃあ、私はお姉さんなんでシン君と呼びますね」

と言って妥協してくれた。


「むぅ……お兄さん、なんだか楽しそうです?」

「そうか?」


何故か隣のアクミが、口を尖らせて拗ねていた。





男のプライドから車椅子を断ったものの、シンの歩みは危なっかしいものだった。

スフィンクスの言が正しければ丸四日以上ベッドで寝たきりだった事になる。

おまけに食事をしたとは言え、四日ぶりに軽くパンをかじっただけ。

いい加減体力が落ちていて当たり前だった。

だから今、シンはあかりに支えられるようにして廊下を歩いている。

これなら車椅子を使った方が良かったかな?と今さらながらに思うが後の祭だった。


覚束ない足取りで暫く進むと、廊下が右に折れ曲がった。

左手には窓が見える。

その窓に差し掛かった時、丁度昼を知らせる鐘の音が遠くから聴こえてきた。

その鐘の音に惹かれシンが何気なく外の景色に目をやる。

そしてそのまま外の景色に目を奪われ立ち止まってしまった。

この屋敷が斜面の上に建っているからなのだろう。

眼下に見下ろすようにオレンジ色に焼かれた瓦屋根の建物が、街の中心を流れる一筋の河に向かっていくつも建ち並んでいるのが見えた。

その河の向こう。

こちら側と同じような斜面に、同じ色に統一された建物が、今度は斜面を駆け上がるように整然と建ち並んでいる。

そしてその上には抜けるような青空がどこまでも広がっていた。

その青空をじっと見つめる。

別に珍しくも何ともない、ニュー・ヴィンランドでも何度も見上げた筈の青空。

だがそこには、シンの見知らぬ空が広がっていた。





あかりに案内された部屋にはスフィンクスの他にもう一人、子供の姿があった。

年はアクミやひめ子より下なのだろう。かなり幼く見える。


「儂の息子じゃ。レオ、自己紹介をせい」


スフィンクスが促すと、レオと呼ばれた子供は一歩前に出て軽く会釈をした。


「レオナルド・バトラー・キングバルトです。よろしくお願いします」


堂々と名乗ったその姿は、幼さからは想像も出来ない立派で礼儀正しいものだった。





「そう言えばアクミにひめ子よ。お主等、もう何日も風呂に入っておらんそうじゃの?」


ニュー・ヴィンランドでも食べた事のない家庭的な食事を堪能し、歓談しながら食後の紅茶を頂いていると、子供達に目を向けたスフィンクスが思い出したように尋ねた。


「そうなのか?」

「大丈夫です! ちゃんと毎日、タオルで身体は拭いてます」

「しかし、少々臭うぞ?」

「えッ!? マジっすか?」


アクミが胸を張って誇らしげに答えるも、スフィンクスに指摘されて慌てて身体の匂いをクンクン嗅ぎだした。

正直、シンには子供っぽい甘いような匂いしか感じないのだが、ワービーストの嗅覚は違うらしい。


「なんで入らないんだ?」


シンが疑問に思って尋ねると、アクミはなぜか


「いえ……その……」


と口ごもって視線を逸らしまった。

ひめ子も似たようなもので黙って下を向いている。


「最初は二人だけじゃ怖いのかなぁ?と思って、私が一緒に入ろうかって誘ったんですけど、それだけじゃないみたいで。ふふ……たぶん二人共、シン君を守ってるつもりなんじゃないかな?ね、そうでしょ?」


あかりがにこやかに尋ねると、アクミはばつが悪そうにコクンと頷いた。


「はは……なんじゃ、何かと思えばそんな理由か。ならもう安心したじゃろう。見ての通り、この屋敷にはシンに危害を加えるような輩はおらん。もしそれでも心配だと言うならシンと一緒に入って来るが良い」


「は……?」

「はいはい! お兄さんと一緒なら入ります!!」


シンの驚きなどお構い無しに、アクミが勢い良く手を上げた。


「ちょっと待て! 俺は一緒になんて入らんぞ!」


正直、一緒に入るなんて言われても困る。

相手は子供とは言え歴とした女の子なのだ。一緒に入るなどもっての他だった。だが、


「しかし、シン。お主も臭うぞ?」


とスフィンクスの容赦のない一言。

このままでは仲良く少女と混浴する羽目に。

助けを求めてあかりに視線を向けるが、あかりはあかりで無言でにっこり笑っているだけだった。実際、臭うのだろう。


「いや、しかし……」

「もう、傷口も塞がった頃じゃろう。シャワーを浴びる位なら問題あるまいが、その腕では頭が洗えんか。あかりよ、すまんが一緒に……」


「いいえ!アクミに洗って貰うんで結構です!!」


難易度が上がる前に妥協するシンだった。







一ヶ月後。

身体の傷もすっかり癒えたシンは、屋敷の庭先で久しぶりにASを起動していた。

傍らにはアクミとひめ子。それに、すっかり仲良くなったレオの姿もある。


ASを起動した理由は二つ。

一つは単純にASの損傷具合を確めたかった事だ。

こちらは目立った損傷もなく、起動して直ぐに終わった。

そしてもう一つ。こちらの方が重要だった。

それは、あの時……獣化三人と戦ったあの時の感触を思い出したかった為だ。


シンが纏うのは第三世代のAS、月白げっぱく

世代的には一世代前で、今は第四世代が主流と成りつつあるがシンはこちらが気に入っており乗り替える気はなかった。

第四世代と言えば聞こえは言いが、各種機能を機動力、攻撃力、防御力等に特化(限定)した仕様で、シンからしたら廉価版に思えてならなかったのだ。

勿論利点はある。

呼び出せる武器の数を減らした分だけ、呼び出す時間は第三世代よりも速い。

また状況に合わせてその場で装備を換装出来なくなった換わりに、整備の手間と費用が少なくて済む。要は量産向けなのだ。


アクミ達が見守る中、シンは腰の後ろに挿した二本の短刀を引き抜きそっと両目を瞑った。

長剣では素早いワービーストには掠りもしなかった。

ナイフでは間合いが近すぎる。

戦いの記憶を頼りに出した結論が両手に持った短刀だった。


あの時の記憶を呼び起こす。最初の男と斬り合った、あの記憶を。

頭の中で男が突っ込んでくるのを想像し、それに合わせて真っ向から斬り掛かった。

だが片身を引いて避けられる。

すぐさま反す刀で切り上げるが、下から掬い上げられ軌道が逸れる。

だが右手に連動するように、今度は左手に持った短刀が突き出された。

周りでは左手を突き出したまま微動だにしないシンを子供達がじっと見つめている。


〈……違う。こんなに遅い訳がない。今のも避けられるか、叩き落とされるか……或いは、顔面に一発貰ってるな〉


シンは両手をだらりと下げると、大きく溜め息をついた。

どうも頭の中で想像しただけでは、こちらに都合の良いようにしか敵は動いてくれない。


「はは、シンよ。今の突き程度では、容易く避けられるどころか、二、三発は食らっておるぞ」


声がした方を振り向けばスフィンクスとラルゴの二人が近付いて来るところだった。

シンは両手の剣を鞘に納めながら「俺もそう思います」と自嘲気味に笑った。


「もう起きて良いのか?シン」

「はい、ラルゴ殿。お陰さまで傷も癒えました。そしたら無性に身体が動かしたくなりまして」

「そんなものだ。どれ、私と一戦交えるか?」

「よろしいのですか?」

「勿論構わん。よろしいですね、スフィンクス様?」

「無論じゃ。獣化を倒した腕前、儂も見てみたい」

「と言う訳だ。やろうか、シン」

「はい。では、模擬戦用の武器を一通り使わせて頂きます。ラルゴ殿は?」


シンの両手に光の粒子が集まり刃曳きした短刀が現れると、スフィンクスはアクミ達の元に無言で下がった。

それを見届けてからラルゴが両足を軽く開く。


「無手でいい」


そう言って獣化し、両手をだらりと下げたままシンと向き合うラルゴ。

その姿にシンは固唾を飲んで固まった。

一見すると無防備なのだが、どう斬り掛かっても後の先を取られ、こちらがやられるイメージしか沸かなかったのだ。


「どうした?組手で旬順してても始まらんぞ?来い!」


その通りだ。何を迷う。

シンはスラスターにブーストを効かせて一気に飛び出すと、右手の剣を下から斬り上げた。

それを軽く顔を逸らしただけの最小限の動作でかわすラルゴ。完全に剣筋を見切られている。

だが避けられるのはシンにも分かっていた。

だから続けて左手の剣を突き出す。

が、それも難なく避けられる。

その後も左右の剣を振り回すように何度も何度も斬り掛かるが、ラルゴはその尽くを捌いて見せた。やがて、


「そら、足元が疎かになってるぞ」


大振りに斬り上げた際に軽く足払いをくらい、バランスを崩したところで、トンッ!と額を衝かれた。

すとんと尻餅を着いて座り込むシン。

手も足も出ない。

赤子の手を捻るとはこの事だった。

シンは余りの恥ずかしさに地面を見据えたまま顔も上げられないでいる。


〈……ふむ、少々買い被りじゃったか?だが獣化を三人……まぐれで倒せるもんではないんじゃがのう……〉


その時、アクミがポツリと呟いた。


「なんかお兄さん、格好付けてます?」


「ーーーッ!?」

思わずハッとしてアクミを見る。


「あの時はもっと必死だったと言いますか、こう……なりふり構まず、それでいて気付けば相手を追い詰めてるような、うーん……余裕?いやいや違いますね。ナンと言いますか、冷静な分析と判断と覚悟?そんなのがごっちゃになったような感じで、体当たりで向かって行ってたような。って、言ってて良く分かりませんが、そんなでしたよ?」


言い終えたアクミがじっとシンを見つめる。

その目はシンの実力はそんなものじゃないのに。

ラルゴ相手でも決して遅れは取らない筈なのになんでだろう?

そう疑問に思っている目だった。


〈……そうだ、その通りだ。俺は何をやっている。相手は獣化。それと正面からの斬り合って勝てる訳がないだろうが。あの時、俺はどうした?どう考えた?〉


必死に記憶を呼び起こす。


〈……そうだ……接近戦を基本に……フェイントを織り混ぜたスピードのある攻撃。……そして死角からの……意表を突いた攻撃……〉


「どうやらお主のお陰で何か思い出したようじゃな」


そう言って、スフィンクスがアクミの頭にぽんと手を置くと、アクミが「えへへ」と嬉しそうに笑った。


「ラルゴ殿、もう一回お願いします」

「……あぁ」


さっきと同じように特に構えるでもなく、両足を軽く開きだらりと両手を下げるラルゴ。

だがその顔にさっきのような余裕は感じられなかった。明らかにシンの雰囲気が変わっていたのだ。

まるで別人。

シンの一挙手一投足を見逃すまいと緊張した面持ちで待ち構えるラルゴにシンが一歩踏み出した。

そのまま常のような足取りで一歩一歩近付く。

そして剣の間合いに入った瞬間、シンが両手に持った剣を下からひょいっと放った。

ラルゴの視界の中、剣が光の粒子となって消える。

そしてその向こう……シンがぐるんと背中を見せ、振り向き様にラルゴの顔面目掛けて右手の甲を突き出した。

目眩ましからの裏拳。


〈甘いな、その程度で……〉


一切動ずる事なく、ラルゴはシンの拳を左手でがっちりと受け止めた。

直後、その表情が驚きに変わる。

シンがその右手に手榴弾を握っていたのだ。

しかも、既にピンは抜いてある。


「ーーーなっ!?」


ニヤリと笑ったシンが手榴弾をゆっくりと手放す。

慌てて右手で払おうとしたが、その手をシンの左手に掴まれた。

二人の目の前で手榴弾が破裂する瞬間をラルゴの目はしっかりと捉えていた。いや、捉えさせられていた。


「うぉおおおおおおーーーーーーーーーッ!!!」

パチンッ!!


ラルゴが咄嗟に左手で顔を庇った瞬間、妙に軽い音をさせて手榴弾が足元に転がった。


〈ダミー……?〉


ラルゴがそう気付いた時には胸元に剣が突きつけられていた。

目の前には申し訳なさそうなシンの顔がある。


「ワービーストの流儀からしたら、些か卑怯かも知れませんが……」


そう言って剣を引き左手を離すシン。

ラルゴは呆けたような顔で足元の手榴弾を見つめた。

それはまるでバネ仕掛けのおもちゃのような……と言うか、おもちゃそのものだった。

クラッカーのように小さい紙切れと紙テープが飛び出しているあたり、なんとも人を小バカにしている。

それを拾い上げ、マジマジと見つめ、そして感心したように呟いた。


「見た目は重厚なのに軽いな」

「本物そっくりのディテールで、見分けはつきません。製作者の拘りなんでしょう。凝った作りです」


シンが笑った。

釣られてラルゴも笑う。

洒落気のある製作者に乾杯したい気分だった。


「こんな感じで倒せたのは最初の一人だけ。後はそれこそ、肉を切らせて骨を断つ。その結果があれです。なんとか生き残れましたが、とても勝ったとは思ってません」


そう言ってシンはスフィンクスを見やった。


「ワービースト同士の戦いだって似たようなものだ。目潰しは勿論、斬り合いの最中に相手の足を平気で踏み抜く。なんでもありだ。そこに卑怯もくそもない」


ラルゴが嘆息しながらおもちゃの手榴弾を手渡した。


「その通りじゃな。今のは覚悟のなかったラルゴの負けじゃ。但し、二度と通じんぞ?」

「でしょうね。やはりASで獣化に勝つのは無理があるようです」

「それは違うぞ、シン。お主は気付いておらんようじゃが、ラルゴが右手で手榴弾を弾こうとした、あの一瞬。あれは紛れもなく本気じゃった。お主はその手を掴んだのじゃ。それはASが本気を出したワービーストに決して遅れを取っておらん証拠じゃ」

「まぐれです。現に先ほどは手も足も出ませんでした」

「違うな。まぐれで掴めるもんじゃない。お主はまだ獣化の動きに慣れておらんだけじゃ」

「そうなのでしょうか?」


スフィンクスに諭されシンが自分の両手をじっと見つめる。


「どうも旧人類のおもちゃと思って軽んじておったが、少々考えを改める必要がありそうじゃな、ラルゴよ」

「はい。スフィンクス様、毎日とは言いません。よろしければ暫くの間、シンと組手をやりたいと思います」

「うむ、習うより慣れろじゃな。よかろう。暫く相手をしてやれ。化けるような気がする」

「本当ですか!お願いします、ラルゴ殿!」


ラルゴの申し出が余程嬉しいのか、シンが目を輝かしていた。

スフィンクスの隣ではアクミとひめ子、それにレオまでが嬉しそうに笑っていた。







その日の昼過ぎ。

シンはアクミとひめ子にせがまれて、初めてリカレスの街中へと足を踏み入れた。

屋敷の門を出て白っぽい煉瓦と淡いオレンジ色の屋根で統一された建物が建ち並ぶ坂道を下る。

そして河に突き当たった所で道を折れ曲がれば山寄りには店舗が、河沿いにはいくつもの屋台が店を広げていた。


「うわぁ、こりゃまた賑わってますね」

「お店がたくさん……」


アクミ達が言う通り野菜や果物の食料品を売る屋台もあれば、食器や花瓶等の小物、花を売る店に飲食店まであり、昼間と言う事も手伝ってたくさんの人で賑わっていた。

そこに一歩踏み込む。

途端にいくつもの視線が突き刺さった。


思わず立ち止まりそうになるが、「ほらほらお兄さん。気にせず行きまょう!」とアクミに手を引かれそのまま歩き出す。


さすがにスフィンクスが治める街だけあって直接絡んでくるような輩はいないが、明らかに歓迎されていない。

それは旧人類に対する思いと、スフィンクスの客人としての立場に対する困惑とでも言おうか?

それらがごちゃ混ぜになって戸惑っているような表情だった。

そんな中を暫く進むと突然アクミが立ち止まった。見ればアクセサリー類を扱う屋台をじっと見つめている。


「どうした?」

「いえ、私もひめちゃんみたいにリボンが欲しいなぁ……と」

「なんだ、じゃあ買ってくか?」

「でも……」

「スフィンクス殿から衣類を買うお金を頂いた。それくらい大丈夫だろう」

「ホントですか?やったぁ!」

「ついでだ、ひめ子も何か買っていこうか」

「うん!」


シンに許可を貰ってアクミとひめ子が嬉々として駆け出した。だが、


「悪いな嬢ちゃん達。今日は店じまいだ」

「え……?」


驚いたアクミとひめ子が屋台の店主を見上げると、店主は無言でシンの事を睨み付けていた。

それはどう見てもお客を見る者の目ではなかい。おそらく旧人類に恨みを持っているのだろう。

事情を知っているからか、周りの住人達もどうなる事かと固唾を飲んで見守っている。

どれくらい睨み合っていただろう、やがて無駄だと悟ったシンが小さく溜め息をついた。


「そうですか。残念です。では、またの機会に……」

「えぇ!?」

「すまんなアクミ、ひめ子。また今度だ。行こう」

「……うん」


二人の頭にポンッと手を置いて促すとひめ子が泣きそうな顔でシンの左手にしがみついてきた。

アクミはアクミで右手に掴まりながら店の店主にあっかんべーをしている。

街の人々の見守る中、三人は無言で来た道を戻り交差点の角を曲がって消えて行った。


「ごめん。次はあかりさんにでも連れて行ってもらってくれ」


屋敷に続く坂道を歩きながら、シンがポツリと言った。

その顔はリボンの一つも買ってやれない自分を責めている顔だ。


「お兄さん!!」

「な、なんだ?」


アクミの突然の剣幕にシンがたじろぐ。

それには構わずアクミはシンのシャツの裾を両手で思いっきり引っ張って睨み付けた。


「お兄さんは全然悪くありません!悪いのは意地悪した、あのおじさんです! だから謝らないで下さい!!」

「いや、しかし……」

「鹿肉も熊肉もありません! 私もひめちゃんも、お兄さんに買って貰いたいんです。これは絶対です。だから次に行くときもお兄さんと一緒です。だからそんな事は言わないで下さい。良いですか?良いですね?」

「わ、分かった」

「分かってくれましたか。うん。なら次は買えるようにナニか作戦でも考えましょう」

「作戦って……俺が頭を下げるしか……」

「うにゃあ!どうしてお兄さんはそんなにが低いんですか?そんなんじゃなくて……」


「腰だろ?」


「は……?」

「腰が低い。だろ?」

「……ナニがです?」

「いや、なにってさっきのだよ」

「さっきの?……はて?」


本当に分かってないのか、怒った顔のままアクミが首を傾げている。

「あのなアクミ。相手にへりくだった態度を取る事を『腰が低い』って言うんだ」

「え……?」

「…………」

「…………」

「…………」


無言で見つめ合う二人。

やがてアクミがポツリと呟いた。


「……お兄さん?」

「……なんだ?」

「……私の育った街では、相手にへりくだる事を『頭が低い』って言うんです(うそ)」

「そうなのか?(疑)」

「そうナンです(マジ顔)」

「ふーん(笑)」

「うにゃあ!お兄さん信じてませんね!!」


恥ずかしいのか、顔を真っ赤にしたアクミが誤魔化すようにシンのお腹にポンポンと拳を叩き付けた。それを笑って宥める。


「分かった分かった。信じた信じた」

「いいえ、その顔は絶対信じてない顔です! こうなったら私に問題を出して下さい。見事答えて、お兄さんのその顔を尊敬の眼差しに変えてご覧に入れます!」

「問題って、慣用句のか?」

「そうです。ふふん、これでもお屋敷では一を聞いたら十を知り、独自の解釈まで加えて百まで語れる神童と呼ばれてたんですよ、私は!」


「いや、慣用句に独自の解釈は要らないだろう」と呆れるシン。


「と、に、か、く!早く問題を出して下さい、お兄さん!」

「問題ねぇ……じゃあ、思い通りになって調子に乗る事をなんと言う?」


「はいはい!波にノるです!!」


「図に乗るだ」

「ぐっ!ぐぬぬ……つ、次です。次!」

「じゃあ……職業がその人に合っていて様になる事を、何につくと言う?」


「ふふん、そんなの簡単です。答えは天職につくです!」


板につくだ。

……思わずそう言いそうになったが、アクミの自信満々な顔を見てかわいそうになり何も言えなくなる。

ここは黙って聞き流し、次の問題へ行くしかない。それが大人の対応だな。

シンはそう判断した。


「よし、では次の問題。物事の進み具合が遅々として進まない事を何と言う?」

「物事が進まない事?」


思い付かないのか、アクミが首を捻って考え込む。


「じゃあヒントだ。動きの遅い、ある生き物に例えて、何とかの歩みと言う」


「分かった!亀の歩みです!」

牛だよ!!


と思わず声に出しそうになるのを必死に堪える大人のシン。


「……こほん。次だ。……他人を好意的に世話する事を、何を掛けると言う?」


「手を掛ける!」

目だよ!!


と心でツッコみながら、にこやかに見上げるアクミと視線を合わさず次の問題を考えるシン。


「よし。じゃ、じゃあ……怠けて時間を潰す事を?」


「暇を売る!」

油だよ!!なんでお前はそう、微妙に違う答えを言うんだ!わざとか?わざとだろう?


そう思ってアクミの顔をチラリと見るが、このドヤ顔はどう見ても違った。


ふふん、誉めてくれてもいいんですよ?


口には出さないがそう言っていた。

そのアクミの自信満々の顔を見た瞬間、笑いが込み上げてくるのをシンは歯を食い縛って必死に堪えた。

そのまま誤魔化すようにして次の問題へ。


「ほ……本気になって事にあたる事を、なな、何を入れると言う?」


かつ!!」

言うけど!!

活を入れるって言うけど!!

ここは腰だろ!!

ちょっと納得しそうになりながらも、問題は続く。


「お、思わず感動させられる事を、何を打つと言う?」


「手を打つです!!」

心だよ!!

いや、確かに手も打つけど……。


隣ではひめ子が笑いを噛み締めているのか、シンの左手をぎゅっと握ったままフルフルと震えていた。俺ももう限界……。


「じゃ、じゃあ……ラストな。次の言葉が出て来ない事を何が継げないと言うか?」


「下の句が継げない! です!!」


ばばーん!と言う感じで、アクミが両手を腰に充て小さな胸を張って答えた。

答えは二の句だけど……うん、もういいや。


「全部正解」

「やったぁ!!」

「お、お兄ちゃん!」


ついに笑いを堪えきれなくなったのか、ひめ子が笑いながらシンを咎めた。

シンも笑いながら弁明する。


「ははは……でも良い解答だ。俺が先生なら全問花丸をあげてるよ」

「でしょう?」

「全部違うがな」

「ナンですとぉおおおーーーーーーッ!?」

「でも言いたい事は何となく分かるし、物によっては合ってる気もするんだから不思議だな。アクミのはあれだ。一を聞いて十を知った気になり、百を語るだな」

「ちょ!? 酷いですよ!!」

「あはははは……」

「うふふ……」


拗ねるアクミがまた可笑しくて、シンとひめ子の二人は心から笑った。

いつの間にか沈鬱な気持ちはどこかへと消え去っていた。

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