13、たった三人のゲリラ戦
三日間のバカンスを終えた一行は、そのままキャラバンに乗ってツインズマールへと移動した。
再び部隊を出して来た猿族と『パッタイ』が度々戦闘を行い始めたとの事で、虎鉄から人手が欲しいと要請があったからだ。
『アイリッシュ』の移動後、ツインズマールでの指揮所となっている屋敷に到着した一行を、虎鉄、獣兵衛、パンチ、次狼の四人が揃って出迎えた。
たった一ヶ月会わなかっただけなのだが、久しぶりの対面に皆笑顔が溢れている。
「お久しぶりです、虎鉄殿」
「うむ。傷はもういいのか、シン殿?」
「はい。お陰さまで」
そう言って、ぐっ!と握手を交わすシンと虎鉄。
「なんじゃ、握力戻ってないの?」
「まだリハビリ中です。勘弁してください」
「おお、そうか。それはすまんかった」
シンが苦笑しながら言うと、虎鉄は笑って手を放してくれた。
「獣兵衛、パンチ、次狼、居残りご苦労だったな。なにかあったか?」
「なにも」
「それよりシンの兄貴、なんか明るくなったねぇ」
「そうか?」
「ああ、確かに変わった」
「なんかシャングにも言われたよ。いい加減で大雑把になったって」
「ああ、そんな感じだの」
「ちょっと待って下さい。虎鉄殿まで言うのですか!?」
「うははははは……」
「「あははははは……」」
久しぶりに顔を合わせた面々が楽しく談笑する中、皆に気付かれないよう、そーっ……とフェードアウトして行く影が一つ。キャラバンの中に最後まで残っていた大牙だ。
大牙は虎鉄の気が逸れた瞬間を見逃さず、そそくさと屋敷に逃げ……、
「おお、大牙!」
込もうとしたところで、空かさず虎鉄に呼び止められた。思わずギクリ!と肩が震える。
「シン殿から聞いたぞ。腕の不自由なシン殿の片腕となって、ずっと側に使えておったそうじゃの」
だが思いもよらず、虎鉄は上機嫌で大牙に近づいてくるではないか。
「儂はてっきり、仕事が嫌で逃げ出したとばっかり思っておったが、どうやら思い違いだったようじゃな」
「あ、ああ……」
「そうか。一ヶ月もの間、よく誠心誠意シン殿に仕えてくれたの。ご苦労じゃった」
「い、いやぁ……」
「見直したぞ。さすがは我が息子じゃ」
「せ、先生には世話になってるからな。は、ははは……」
てっきり怒鳴られるとばかり思っていただけに、逆に笑顔の虎鉄に褒めちぎられて調子に乗る大牙。その時、
「などと……」
「は……?」
「言うと思ったかぁ!このバカ息子がっ!!!」
「ぐはっ!」
笑顔から一転、突然鬼の形相になった虎鉄の拳骨が大牙の頭に落ちた。
「いってぇ!くそ親父!不意打ちなんて卑怯なんだよ!」
「黙れ!油断する方がわるばぁ!」
人差し指を突きつけて怒鳴り付ける虎鉄の頬に、獣化した大牙のパンチが炸裂し、虎鉄の身体がガクッと傾ぐ。
「へっ!なんか言ったか?くそおぶっ!」
が、殴られる寸前に獣化して堪えた虎鉄が、身体を起こし様大牙の頬に右拳を叩き込んだ。
「ふん。油断するなと言ったんじゃ、こわっばあっ!」
が、殴られた衝撃を逃がすように、その場でぐるんと回った大牙が、振り向き様に右の裏拳を叩き込む。
「てめぇ、人が話してる時に殴るんじゃねぇよ!」
「こっちの台詞じゃ!クソガキ!!」
互いに殴られた頬を押さえながら怒鳴りあう二人。
が、直後にはその場で取っ組み合いを始めてしまった。
そのとばっちりを恐れ、皆が数歩下がって遠巻きに見守る中、ひめ子が心配そうな顔で見つめている。
獣化しての親子喧嘩なのだ。それも当然だろう。
「あの……先生?止めなくていいんですか?」
「父子のスキンシップだ。放っておこう。それよりみんなの荷物を降ろそう」
そう言って平然とした顔でキャラバンへと歩いて行くシン。
ひめ子はいつまでも殴りあう大牙と虎鉄に後ろ髪を引かれたが、結局はシンに着いていくことにした。
ひめ子が見ていてもどうしようもないと分かっているからだ。
それに皆が皆平然としているのだ。きっと大事になることはないのだろう。
「ところで先生、キャラバンはどうするんです?」
「暫くここに置いておく。その方が色々と便利だろう。ああ、テントはそのままでいいぞ。明日にでも洗って干す。鍋や網は全部降ろして洗っておこう。それが終わったら、各自の荷物を持って解散だ」
「了解です。じゃあ要冷蔵の食料品は家で貰っちゃいましょう。今日の夕飯にしちゃいますね」
「先生、こっちの余ったお菓子はどうするです?」
「好きに持ち帰っていいぞ」
「やったー!です。早い者勝ちです!」
言うが早いか、チカがさっそくお菓子の詰まったダンボールに飛び付いた。その時、
「へ……?」
蓋を開いた瞬間、突然ブゥーン!と腹に響く羽音と共に黄色と黒の毒々しいコントラストが宙に舞った。
「きゃぁあああーーーーーーっ!スス、スズメバチです!?」
驚いたチカがその場にストンと尻餅を付く。
そのチカの頭目掛け、スズメバチが羽音を響かせて襲い掛かった。
「いやぁあああーーーーーーっ…………って、あれ……?」
だが、チカがスズメバチに刺される事はなかった。
チンッ!
と鍔鳴りがした瞬間、スズメバチの胴体にスーッと線が入り、そのまま真っ二つになってチカの目の前にポトリと落下したのだ。
「「おお!?」」
その場の全員が感嘆の声を上げ獣兵衛を見つめる。
「また、つまらんモノを斬ってしまった……」
だが獣兵衛は自嘲気味に呟くと、何事もなかったようにチカに背を向けて荷物の積み降ろしを手伝い始めた。
「…………」
だが、妙な視線が獣兵衛の背中に突き刺さる。
……こんなことが前にもあったな。
そう思いながらチラリと伺うと、やはりサナがこちらを見ていた。
しかも、ニヤニヤと笑いながら。
「獣兵衛さん?」
「……うるさい」
「さすが、銘刀『蟲切り』。蟲を斬らせたら一級品ですね」
「『蜻蛉切り』だ!」
獣兵衛の怒声が木霊した。
※
山に囲まれた北淋の街から東へと連なる山々。
その山々が終わり平地と交わる地点。
先の戦いで『パッタイ』に大打撃を被った地点から程近い山林に、猿族は再び部隊を展開していた。
敗戦から一ヶ月の早い時期から猿族が部隊を展開し続ける理由は二つある。
一つは、ここから北を回り込むように、いま暫く平地が続いていた。
そして、先の『アイリッシュ』の砲撃でも分かる通り、ここから奥にランドシップが入り込むと、位置さえ選べばギリギリで北淋に艦砲射撃が可能なのだ。
だから、ここが猿族側の最終防衛ライン。
もっとも、ヴィンランド側は北淋の位置を特定している訳ではない。
あれは、この辺りの地理を熟知しているキングバルト軍だからこそ可能であったのであって、マップデータのないヴィンランド軍には不可能な事だった。
だから猿族の心配は杞憂なのだが、猿族側がそれを知る由しはない。
そして、もう一つ。
猿族を率いる夏袁にとってはこちらの方が重要だった。
それは未だ行方の知れない妹……春麗の捜索だった。
このまま猿族が後退したままでいると、例の頭の狂った連中(キングバルト軍のこと。感染症に掛かった猿族からしたら、他族と仲良くするなど頭が狂っているとしか思えないのだった)が南下して再びこの地を勢力圏に治めるかも知れない。
そして成り損ない。
この地を三者の三つ巴の戦場にする訳にはいかなかった。
せめて春麗を見つけ出し無事に保護するまで、夏袁は部隊を駐屯させてこの地を勢力圏に治め続けなければならないのだった。
その猿族の本陣に、一人の兵士が大慌てで駆け込んだ。
「夏袁様!東の斥候より連絡です!例の四つ足(『パッタイ』のこと)が接近して来ます!」
「ちっ……今日も来やがったか……」
テーブルに広げた地図から顔を上げて、夏袁が忌々しそうに呟いた。
「夏袁様、とりあえず急いで部隊を隠れさせませんと」
「分かってる。通達!各部隊毎に纏まって穴籠りだ!それが出来なきゃ急いで山の裏側に後退だ!急げ!」
「はっ!」
命を受けた部下の一人が駆け出すのを見て夏袁がうんざりした顔で孔蓮を振り返る。
「ったく、卑怯な奴等だ」
「愚痴を言っても始まりません。さぁ、夏袁様も坑道に」
「……もっと近づいてくれりゃ、殺りようもあるのによ……」
「それが奴等の手です。痺れを切らせてのこのこ平地に出て行ったら良い的です」
「だから忌々しいんだ。くそったれ!東に行かせた連中はなにやってんだ!出所さえ分かりゃ、こっちから寝床を襲って殺るのによ」
「夏袁様、最優先は春麗様です。それをお忘れなきよう」
「そんなの言われねぇでも分かってる!」
そう言って怒鳴り返しながら、本陣の脇に掘られた深い坑道に夏袁達は身を隠すのだった。
夏袁が不機嫌なのには理由がある。
それは、この地に陣取ったのに気付いた『パッタイ』が、毎日毎日攻撃を仕掛けて来ていたのだ。
それはいい。問題はその戦術だった。
『パッタイ』は決まって昼頃現れ、10キロ以上離れた地点に腰を据えると約30分砲撃し、そのままとっとと後退してしまうのだ。
これでは猿族側は反撃のしようがない。
孔蓮の言うように昼間の、それも平地に腰を据えたランドシップに攻撃を仕掛けても、圧倒的な火力で反撃されるだけだ。
それを掻い潜って物量で押すのも手ではあるが、取り付く前に逃げ出すのが落ちだった。
だから猿族は相手にせず、坑道に籠ってひたすら嵐の通り過ぎるのを待つしかなかった。
手も足も出ず、ただ一方的にやられる状況。
既に猿族側の被害もバカにならない数に及んでいた。
それが夏袁が不機嫌になる理由だった。
※
「シン、ちと頼みがあるのじゃが……」
ツインズマールにある虎鉄の屋敷。
臨時の指揮所でもあるそこに一室を与えられ、ここ数日の猿族と『パッタイ』の戦闘記録に目を通していたシンの元を春麗が訪れたのは、ツインズマールに着いた三日後のことだった。
春麗の後ろには神妙な顔のアクミと大牙の姿もある。
シンはそれだけで春麗の頼みとやらを大方察した。
だから、なかなか用件を言い出せずにいる春麗に「心配か?」と水を向けてやったのだ。
「うむ……」
と静かに頷く春麗。
「兄上は、妾を捜しておるのじゃ」
「だろうな。でなければ、あそこに軍を駐屯し続ける理由がない。……戻るか?」
シンの質問に今度は無言で首を左右に振る春麗。
家族に会って、ちょっと元気な顔を見せてくるのとは訳が違うのだ。
おそらく一度戻れば再びここに帰ることは出来ないだろう。
族長の娘である春麗の周りには、常に人の眼が付き纏うからだ。
だから帰るということはシャングとの永遠の別れを意味する。
家族や仲間も心配だが、それだけはしたくない春麗だった。
そうなると、春麗達が神妙な顔つきをしている理由は一つしかない。
家族の……いや、仲間の為になにかしようと言うのだろう。
「絆……か」
シンがポツリと呟いた。
妹の為に軍を犠牲にしてでもその場に留まり続ける兄。
その思いに応えて、ランドシップからの攻撃をひたすら耐え続ける兵士達。
そして、それ等の者達を心配する王族の娘。
俺達となにも変わらないじゃないか。
シンはこの時、初めて猿族に親しみのようなものを感じた。
「それで、あの……先生にお願いって言うのがですね……」
この時、話にじっと耳を傾けていたアクミが初めて口を開いた。
※
猿族の陣地から遥か遠く、東に150キロ以上離れた平原。
時刻は深夜の一時。
湖を背後に背負うような位置取りで、『パッタイ』は静かに佇んでいた。
月明かりに照らされた平原を見渡せば、『パッタイ』の周辺を赤い光がチラチラと動いているのが見える。
ドローンが『パッタイ』を幾重にも取り囲むように警戒しているのだ。
その警戒網の外側。
小高い丘の上からこっそりと『パッタイ』を伺う三つの影があった。
その身にはグレーのASスーツを着こんでいる。
「シャングの言った通りじゃの」
「こんナニ離れた所から来られたんじゃ、あっちも寝床を襲うって訳にはいきませんね」
「ここで朝までぐっすり眠って、陽が昇って朝飯食ったら出発。昼に猿族の陣地に砲撃加えて、夕方にはここに戻って夜営の繰り返しか。やらしい戦術だな」
「だが効果的じゃの」
「でも、それも今日までですよ」
「だな。さぁ、『こっそり嫌がらせ作戦』開始だ。行くぞ!」
意気揚々と腰を浮かせた大牙が皆を先導する形で移動を始めた。
それに従ってアクミと春麗も静かに移動を開始する。
「しかし、『こっそり嫌がらせ作戦』って……もっと他に言い様は無かったのか?」
「ホント、センスの欠片もありませんよね」
「ネーミングが安易過ぎじゃ」
「でもきっと、本人は作戦の内容を上手く表したイケてるネーミングだと思ってるんですよ?」
「質が悪いの」
「こういう父親が、将来生まれた子供に虎太郎、虎次郎、虎三郎って安易な名前付けたがるんですよね」
「娘なら虎子に虎美に虎江かの。センスの無い父親持つと、子供が哀れでかわいそうじゃの」
「そのくせ、それを指摘されると逆ギレして怒鳴り散らすんですよ?最悪ですよね」
「手に負えんの」
「なんでそこまで言われなきゃいけねぇんだ!」
フルフルと震えながら聞いていた大牙が後ろを振り返って小声でツッコんだ。
『こっそり嫌がらせ作戦』
それはその名の通り、『パッタイ』に気付かれないようこっそり嫌がらせをして、猿族側への攻撃回数を減らしてやるのを目的とした作戦であった。(作戦立案:アクミ、大牙)
因みにこれは、猿族とヴィンランド側の戦力バランスを重視するスフィンクスの政策とも一致しており、アクミ達の話を聞いたシンが虎鉄を通じてスフィンクスに伺いをたてたところ、あっさりと許可がでたものだった。
但し、シン達AS隊はバックアップに専念すること。
作戦の実行はアクミ達、ワービーストが担う。
それが条件だった。
これなら、万一発見されても猿族側の仕業に見せ掛ける事が出来るからだ。
そして今、アクミ達はその実行の為ここにいる。
「お、はぐれドローン発見」
「お誂え向きに、こっちに近づいて来るの」
先程、丘の上からドローンの配置を確認した三人が当たりを付けて待ち伏せしていると、予想通り一機のドローンが近づいて来るのが見えた。
「おい、アクミ。例のアレだ。よこせ」
「すぐ準備しますんで、ちょろっと待ってください」
アクミがそう言って右手を翳すと掌に光の粒子が集まり、タブレット端末とバーコードリーダーを一回り大きくしてグリップを付けたような銃が現れた。
ドローンを直接ハッキングする為のレーザー通信装置だ。
「しかし、こんなんで本当に大丈夫なのかの?」
「猫々ちゃんが言うんだから大丈夫じゃないですか?失敗したらトンズラするだけですよ。ほい、いいですよ大牙くん」
「おう!」
アクミからレーザー通信装置を手渡された大牙が、銃口にあたる部分をドローンのセンサーがある頭部に向けた。
その瞬間、ドローンの肩がピクッ!と動き、次いで首をグリッ!と回して大牙をじっと睨み付けてきた。
大牙の方もじっと銃口を構えたまま、固唾を飲んで動けないでいる。
「……なぁ、アクミ?……なんか、ドローンがずっとこっち睨んでて気が気じゃないんだが……」
「睨んでるんじゃなくてデータ受信中ナンですよ。そのまま動くんじゃありませんよ?……っと、はい完了。もういいですよ、大牙くん」
アクミの許可で大牙が銃口を下ろすと、通信を終えたドローンはその場で回れ右をし、ヨタヨタとしながらゆっくりと遠ざかって行った。それを心配そうに見守る春麗。
「のう? あやつはアレで大丈夫なのか?」
「マップデータを書き換えたんで、頭の中と実際の地形が違って混乱してるんですよ」
「なんか、内股でガクガク震えて……まるで生まれたての子鹿みたいだな。動画に撮っとくか?」
「それより、足元の覚束ない酔っぱらいみたいに、頭にネクタイ巻いて折り詰め持たましょう。先生とアムちゃんに見せたら、きっと大ウケですよ」
「いいな、それ」
悪戯心が湧いたのか、アクミと大牙がニヤリと笑っている。放っておくと今にもドローンに飛びかかって行きそうだった。
「アクミ、大牙、そんな事しとる場合か?あと二、三機捕まえるんじゃろ?」
「おっと、そうだった」
「危ない危ない。当初の目的忘れてネタ動画に走るとこでした」
30分後。
突然、『パッタイ』のブリッジに「ビーーーーーーッ!!」と警報音が鳴り響き、椅子に座って仮眠していた当直の士官がガバッ!と跳ね起きた。
「なんだ!?」
「ド、ドローン24号機のシグナルロスト!」
「なに!?破壊されたのか!?」
「不明。現在、手近にいるドローン二機を確認に向かわせて……あっ!?に、二機のシグナルもロスト!」
「敵だ!! 警報を鳴らせ!『パッタイ』エンジン始動! 全迎撃システムも起動させろ!!」
「了解!」
直後、『パッタイ』艦内に第一種戦闘配置の警報音が高々と鳴り響き、艦内は上を下への大騒ぎになった。
「あん? 沼に沈んでる?」
既に夜は明け、窓から射し込む焼けるような太陽がじりじりと室内の気温を……というより、ピリピリとした空気を更に上昇させ始めている『パッタイ』のブリッジ。
作戦司令専用の椅子に腰掛け、眠気覚ましのコーヒーを啜りながら当直の士官の報告を受けていたバカラが、不機嫌丸出しで聞き返した。
「に、201からの報告です。ドローンの反応が消えた付近を捜索したところ、沼の中から片足だけ出してもがいているドローンを発見したとのことです。おそらく、沼に足を取られて転倒し、足掻いてるうちに上半身が沈んで通信が途絶えたものと……」
「……で?」
「は……?」
「他の二機はどうしたんだ?って、聞いてんだよ」
「は、発見出来てませんが、破壊された痕跡のないことから、他の二機も同じような状態かと……」
「…………」
「……その……司令?どういたしますか?」
「……やめだ」
「は……?」
「今日はやめだ!俺は寝る!昼まで起こすんじゃねぇぞ!お前等は朝飯食ったらこの辺のマップデータ作成しとけ!いいか、水溜まり一つ、突き出た石の一つまで見逃すんじゃねぇぞ!分かったか!!」
「「はっ!」」
バカラの怒鳴り声が『パッタイ』中を駆け巡った。
※
翌日の深夜。
ベースキャンプであるキャラバンで夕方までぐっすり眠ったアクミ、大牙、春麗の三人は、再び『パッタイ』に『嫌がらせ作戦』を実行すべく行動を開始した。
因みに、キャラバンではシンとアムの二人が日中の警護に当たり、シャングはツインズマールで猿族の動向を監視、アレンとカレンは連絡役と、それぞれ役割分担が決まっていた。
「いたいた」
「え? どこです?」
「あそこだよ。……ほら、右手の岸からちょっと沖に行ったとこに、たくさん休んでやがる」
「ホントだ……先生の報告通りですね」
「どうやら四、五百はおるようじゃの。お誂え向きじゃ」
三人は『パッタイ』を右手に見ながらぐるっと回り込んで、後方の湖に来ていた。
夕方、見張りに出ていたシンが水鳥の大群を見かけたと言っていたからだった。
「さてと……じゃあ、ちょっくら行ってくるわ。この位置からなら、上手い具合に向こうに飛んでくだろ。お前等はここで殺気でも放っといてくれ」
「野生の獣ならともかく、鳥が殺気を感じますかね?」
「さぁな。気休め程度には役立つだろ?」
自分で言ってはみたものの、あまり充てにはしていない口振りで言い捨てると、大牙は音を立てないようそっと湖に足を踏み入れた。
そして10メートル程進んで立ち止まると、獣化して右手をゆっくりと後ろに引き、水面に向かって静かに構えた。
アクミと春麗が見守る中、大牙の両目が闇夜に妖しく光る。
「パァアアンッ!!!!」
「なんだ!?」
突然『パッタイ』のブリッジに「ビーーーーーーッ!!」と警報音が響き、椅子に座って仮眠していた当直の士官が飛び起きた。
「ドローンの発砲を確認! 後方四時、距離1500!!」
「発砲だと!? 第一種戦闘配置だ!!『パッタイ』エンジン始動!全迎撃システムを起動させろ!!」
「了解!」
直後、『パッタイ』艦内に警報音が鳴り響き、スポットライトが周囲を照らしだす。
「迎撃システム起動完了!ドローン部隊、銃撃戦を開始!!」
「照明弾を上げろ!真昼のように照らして、奴等を丸裸にしてやれ!!」
「了解、照明弾発射!」
「いったいどうした!?」
「戦況を報告しろ!!」
照明弾発射で艦が小刻みに揺れる中、艦長のベンソンが、直後に司令のバカラが大慌てでブリッジに駆け込んで来た。
「右舷後方を警戒中のドローン部隊が戦闘を開始しました!」
「敵の規模は?」
「現在、確認中」
「とっとと調べろ!!」
「はっ!」
「艦長、迎撃プログラムに従い、他のドローンが支援の為に移動を開始しました」
「いかん。左舷が手薄になる。待機中のASを警戒に出せ!」
「了解!待機中のAS第七、第八中隊は緊急発進!ドローンの抜けた左舷の警戒に当たれ。繰り返す……」
「おい、全方位に照明弾を上げろ!銃撃戦用意だ!急げ!!」
「はっ!」
『101より本部、全ASの発進準備完了。指示を』
「待機させとけ。おい!敵の規模はまだ分かんねぇのか!とっととしろ!!」
「そ、それが……ドローンが何に対して反応し、攻撃してるのか不明でして……」
「あん?分かんねぇじゃねえだろ、この役立たずが!前言撤回だ!カルデンバラック!右舷四時、1.5キロだ。二個中隊率いて敵を迎撃!敵の数が分からんから注意しろ!」
『101、了解』
『パッタイ』は蜂の巣をつついたような大騒ぎだった。
夜空には照明弾が次々と上がり、周囲を真昼のように照らしだしている。
辺りには警報音とドローンの銃撃音が途切れる事なく響き渡り、左右のデッキから発進したAS隊が『パッタイ』周辺を右往左往しながら警戒している。
そんな騒ぎを横目に、アクミ達三人はそそくさと騒ぎの中心から遠ざかって行く。
「いやぁ、思ったよりド派手になりましたね」
「おいアクミ、立ち止まんな。見つかったら意味ねぇだろ」
「分かってますよ」
草原からひょこっと顔を出したところで大牙に咎められ、ぶつくさ言いながらもすぐさま顔を引っ込めるアクミ。
そのまま500メートル程進み、森の中に逃げ込んだところで三人は漸く一息付いた。
「これなら今晩も眠れねぇだろ」
「今日も作戦成功じゃな」
大牙と春麗が笑って顔を見合わせた。
先程、獣化した大牙が水面に掌底を叩き込むと、その衝撃に驚いた数百羽の水鳥達が一斉に『パッタイ』に向けて飛び立った。
そして、それに反応したドローンが即座に発砲。
後はこの祭りのような騒ぎだった。
「さて、今日はもういいだろ。明日に備えて寝とこうぜ」
「そうじゃの」
「寝るのは賛成ですけど、次はどうするんです?同じような手ばっかじゃ、さすがにバレますよ?」
「ふふん、その辺は抜かりねぇよ。もう手は打ってある。大船に乗った気で俺に任せとけ」
アクミの心配を他所に大牙が自信満々に笑った。
〈大牙くんにねぇ……そこがいまいち不安ナンですよね……〉
その大牙の笑顔を見ながら、だがここまで上手く事が運んでる事もあって、アクミは口に出せずに言葉を胸に飲み込むのだった。
「あぁん? 鳥だと?」
『パッタイ』のブリッジ。
二日連続で夜中に叩き起こされたバカラが、不機嫌そのものと言った顔で当直の士官をギロリと睨んだ。
当たり前だが既に夜は明け、今日も空気の読めない太陽が燦然と輝いて大地を照らしている。
「み、湖に数十羽の鳥の死骸がありまして……。状況からして、何かに驚いた鳥が一斉に飛び立ち、それに反応したドローンが銃撃を加えたものと思われます……」
バカラの顔色を伺いながら、おそるおそると解析官が答える。
報告している間、バカラがずっと士官を睨んでいたのだ。しかも無言で。
誰も言葉を発する事が出来ず、暫し『パッタイ』のブリッジを静寂が包み込んだ。やがて、
「……やめだ」
「は……?」
「やめだやめ。 昼まで半舷休息。ベンソン、後は適当にやっとけ」
「はっ!」
眉間に皺を寄せながら立ち上がったバカラは、面倒臭そうに片手をヒラヒラと振ると、そのままブリッジを後にするのだった。
※
その日の夕刻。
平原の北側に連なる山の中腹。
草木に隠れながら、地面に腹這いになったシンが平原を見据えていた。
視線の先には遠く『パッタイ』が見える。
警戒体制の変更やAS隊の出撃状況等、少しでも変わった動きがあればそれを見逃さないようにする為だった。
それは別に今始まった事ではなく、アクミ達が今回の作戦を実行するようになってからのシンとアムの日課だった。
なにしろ、あの『パッタイ』には例の獣人兵がいるのだ。油断は禁物だった。
そのシンの指がピクリと動き、傍らに置いてあった短刀の柄をそっと握った。
「私よ」
その声を聞いてシンがふっと表情を緩める。
『パッタイ』から視線を外して振り向けば、アムが笑いながら近づいて来るところだった。
手にはレーションを二つ持っている。これが二人の夕飯だった。
何しろ今は作戦行動中なのだ。キャンプと違って火を炊いて夕飯を作る訳にはいかない。
「どう?」
「動きはないな。この分なら、このままここで夜営だろ」
レーションをかじりながらシンが答えた。
「ふふ……なら、今晩も寝れそうにないわね」
「ふ……そうだな」
同じくレーションをかじりながらアムが笑うと、シンも苦笑いを浮かべた。
昨晩の大騒ぎを思い出したのだ。
そのまま暫く二人でくくっと笑った後、
「ところでアクミ達は?まだ寝てるのか?」
と、シンが思い出したように尋ねた。
「もう起きてるわ。みんなやる気満々よ。アクちゃんは一時間ちょっと前に、荷物の受け取りに行くって言って出掛けたけどね」
「荷物?」
「大牙くんがアレンくん達に頼んでたみたい。なんか鮮度がどうとかって言ってたけど……」
「鮮度……?なんの?」
「さあ……?」
二人で顔を見合わせる。
作戦の内容はアムも聞かされていない。
と言うか、お楽しみと言って教えてくれなかったのだ。
「貰って来たか?」
「来ましたよ!てか、私は大牙くんを一生恨みますからね!乙女の私にナンてモノ持たせんですか!鬼!悪魔!……うう、私の灰桜がぁ……」
「いやならデバイス貸せよ。俺が持っててやるから」
「そう言う問題じゃありませんよ!!」
余程嫌なのだろう。
珍しく涙目になったアクミが大牙に吠えた。
その日の深夜。
ASスーツに身を包んだ大牙、アクミ、春麗の三人は、再びドローンにハッキングを仕掛ける為、草原の真ん中で仲良くヤンキー座りをしながらボーっとタブレットの画面を覗き込んでいた。
「しかし、暇だな……」
「……暇ですね」
「妾はこう言うのに疎いのじゃが……これで本当にイケてるのかのう?」
「まぁ……猫々ちゃんが言うんだし……大丈夫じゃないですか?」
タブレットの画面には、さっきからずっと変わらず『データ転送中です~!』の表示がされたままだった。
実は今回のハッキングは少々大掛かりで、まずドローンを一体捕まえる。
そして、そのドローンのネットワークを介して他のドローンに次々と侵入。そのプログラムを順次書き換えていくと言うものだった。
なので、たいへん時間が掛かった。
「……ねぇ、大牙くん」
「なんだ?」
「あんた、ナンかおもしろい話でもしなさい。それも「ああ、満足した。今日はもう帰って寝ようぜ」って笑って思えるくらいのレジェンド級の話を」
「なに様だお前。そもそも、俺はそんなハードル高いネタなんか持ち合わせてねぇよ」
「またまた。大牙くんならナンかあるでしょ?空を舞う術があると本気で信じて崖から飛び降りて怪我したとか、心の波動を拳に乗せて打ち出す技を習得する為に毎日毎日重りを背負って無意味に山道を駆け続けたとか、昇龍のように誰よりも高く舞い上がる必殺技が欲しくて滝の下でピョンピョンピョンピョン蛙のように跳ねてたら上から丸太が落ちてきたとか、そんな不様で滑稽でユーモラス溢れる夢見る少年時代の話でいいんですよ」
「そんな少年時代送ってねぇよ!」
「マジですか!?……道理で……つまんない男ですね(ボソッ)」
「夢がないの……(小声)」
「なんだと!」
そうこうしてると、タブレットの画面に『転送が終了しました~!』と表示された。ようやく終わったようだ。
「よし。これで『パッタイ』までのルート確保だ」
「ドローンが見て見ぬフリしてくれるのは三時間です」
「あまりゆっくり出来んの。行くぞ」
獣化した三人は顔を見合わせて頷くと、大牙を先頭に『パッタイ』に向かって駆け出した。
頭を低くして風のように疾走する三人。
途中、何度かドローンとすれ違うが、ドローンはピクリとも反応を示さず、ただ大牙達三人を黙って見送った。猫々のハッキングが成功している証拠だった。
やがて三人は何事もなく、十分程で『パッタイ』へと辿り着いた。
〈アレですね〉
アクミが無言で頭上を見上げる。
現在、三人がいるのは『パッタイ』の右舷。
ASデッキのある前部と後部デッキのちょうど中間で、『パッタイ』を四つ足の獣に例えるなら右脇腹の辺りだった。
そこから見上げた舷側の壁に目的のそれはある。
直径50センチ程の通気孔。
ランドシップの厨房へと続くダクトだった。
〈猫々の話じゃ、センサーの付いて無いあそこなら敵に見つかることなく艦内に侵入できるそうだ〉
両手で猫耳のジェスチャーをしてから頭上を指差し、にっこり笑ってサムズアップする大牙。
〈気持ち悪いんですよ!それより、ナニやら通気孔は二つあるようですが?〉
その笑顔の真ん中にサミングを咬ましてから、ピンッ!と二本の指を立てるアクミ。
〈み、右だ。左は排気用だから間違えるなよ……〉
それを寸でのところで避けた大牙が、右手を開いて左手で指差した。そして今度は左手を開いてから、なにかを払うよう振って、右手を顔の前で左右に振る。
〈うわ……きっと調理の油で、ベトベトの、ギトギトの、ヌメヌメなんですよ……〉
心底嫌そうな顔をしたアクミが、両手でバタ足するような身振りをしてから顔の脇で両手の指をヌルヌルと動かし、最後に掌を下にして左右のチョップを軽く繰り出した。
〈そんで、蟲がいっぱい張り付いてんだぜ〉
すると大牙がニヤニヤ笑いながら両手の掌をアクミに向け、指先をワキワキと動かす。
〈ちょ……想像させんじゃないですよ!サブイボ出るでしょうが……〉
それを見たアクミが、自分の両腕を抱き絞めて気持ち悪そうに身を捩らせた。
「お主等……よくそれで意思疎通が出来るの……」
その一部始終を見ていた春麗が、敵地であることも忘れて思わず小声でツッコんだ。
〈さてと……〉
ショートコントを終えた大牙が改めて頭上を見上げる。
ランドシップの艦底まで地上から3メートルあまり。目的のダクトは、更にそこから10メートルは登らなければならなかった。だが、
〈ほれ、春!〉
〈うむ!〉
大牙が親指で自分の肩を指差すと、頷いた春麗がその肩に飛び乗った。更に、
〈アクミ!〉
〈はいです!〉
春麗の差し出した手を掴み、ひょいっとジャンプして春麗の肩に飛び乗ったアクミは、背中のリュックから直径20センチ程の強力マグネットを取り出して舷側に押し当て、取っ手を下に180度回して固定した。
そしてその取っ手を片手で掴んで身体を持ち上げると、手の届く所に次のマグネットを張り付け、器用に取っ手を回して再び固定する。
普通の人間には到底不可能な、獣化したワービーストならではの力業だった。
後はその繰り返しだ。
二つ目の取っ手を掴んで再び身体を持上げたアクミは、最初の取手に爪先を引っ掻けると再びマグネットを張り付け、手際よくほいほいと登って行く。
それを見届けた春麗は、アクミに続いて最初の取っ手に飛びつくと下の大牙に親指を立てて見せた。
〈大牙、先に行け〉
〈おう!〉
頷いた大牙が、助走も付けずにその場でジャンプする。
そして取っ手の一つに掴まると、アクミとは別経路を築きながらどんどんと舷側を登って行った。
高さ10メートルのダクトまで二分と掛からない早業だった。
〈アクミ、ダクトのフィン押さえとけ。後で戻すんだ。下に落とすなよ〉
〈分かってますよ。大牙くんこそビス落とすんじゃないですよ〉
〈任せとけって〉
ニヤリと笑った大牙がドライバーの先をビスに充てて弛めていく。
マグネットの取っ手に片足を引っ掻けただけの不安定な状態で、二人は手際よく作業を進めていった。
〈そら、いいぞ。外せ〉
〈ほいっと〉
だがその時、意図せぬハプニングが発生した。
フィンをアクミが外した瞬間、一匹のゴキブリがチョロと出てきたのだ。
「ひっ!?」
「バカッ!?」
なんとか悲鳴は堪えたものの、ダクトを掴んだまま仰け反った為、そのままバランスを崩すアクミ。
そのアクミの腕を咄嗟に掴んだものの、結局支えきれずにバランスを崩す大牙。
「「ーーーッ!?」」
二人の身体が舷側から離れる。
あの胃が競り上がるような、独特の浮遊感を二人が感じた瞬間、身体が重力に引かれて落下を始めた。
驚いて眼を見開いた春麗と一瞬だけ目が合う。
直後……二人の身体がガクン!と止まった。
落下していく大牙の足首を、春麗が片手を延ばして咄嗟に掴んだのだった。
「……勘弁せいよ、お主等……」
「……すまん」
「……ごめんなさいです」
二人ともワービーストだ。獣化している事もあって怪我をする事はないだろう。
だがこの高さだ。落下した気配は消しきれない。
敵に見つかれば最期、警戒体制の『パッタイ』から全ASとドローンを相手に逃げ切る事は不可能だろう。
とりあえず最悪の事態にはならず、ホッと胸を撫で下ろす三人だった。
その『パッタイ』艦内の一室。
ベッドで寝ていたアインスが、突然スッと眼を覚ました。何かの気配を感じ取ったのだ。
〈……なんだ?〉
天井をじっと見つめるアインスの両目が闇夜に光る。意識を集中して気配を探っているのだ。だが、
〈……気のせいか?〉
確かに気配を感じた気がしたのだが、今は全く感じない。
身を潜めたか……或いは離れて行ったのか……。
周りで寝ているツヴァイ達に起き出す気配はなかった。
獣人兵とはいえ、アインス達は通常のワービースト達と大差ない。ちょっと五感が優れている程度だ。
それはASを装着して始めて、獣化したワービースト達と互角以上の能力になるよう調整されている為だった。
一瞬、ASを展開しようか悩む。
だが戦闘配備中でもないのに艦内でASを展開すれば、信号を受信したブリッジは大騒ぎになるだろう。
ただでさえ二日連続でゴタゴタがあって皆ピリピリしているのだ。
緊急装着までして気のせいでしたじゃ冗談では済まされないだろう。
枕元の時計を見る。
時刻は夜中の二時を少し回ったところだった。
アインスはベッドからそっと身を起こすと、他の仲間を起こさないよう、音を立てずに部屋を抜け出すのだった。
「大丈夫だ。誰もいない」
嵌め込み式のフィルターを中から器用に外して、音も立てずに大牙が飛び降りた。
続いてアクミ、春麗と次々と厨房に降り立つ。
春麗のお陰で事なきを得た三人は、無事『パッタイ』の厨房へと侵入することに成功していた。
「さぁ、とっとと済ませようぜ。アクミ、出せ!」
「とほほ……こんなの格納する羽目になるとは……」
泣きそうな顔をしたアクミの掌に光の粒子が集まり、大きな段ボール箱が一つ現れた。
「しかし、いつも思うんじゃが……それはどういう仕組みなんじゃ?知っとるか?」
「さぁ?私はヒーローの変身ベルトにナンの疑問も持たない人間ですんで……」
首を傾げながらもまた一つ。更にもう一つと、続け様に四つの段ボール箱を出して床に置いていくアクミ。
「おい、アクミ。お前……こんなに厳重に梱包して。ちゃんと生きてんだろうな?」
「ガサガサガサガサ動いてるでしょうが!」
「活きが良すぎて鳥肌が立ってきたの……」
アクミと春麗が段ボール箱を見つめながら怯えたように身を震わせた。
百戦錬磨の戦士である二人がここまで怯える理由……それは、
「ゴキブリはともかく、鼠は元気ねぇな……」
「ちょ!ナニいきなり開けてんですか!」
「開けなきゃ持ってきた意味ねぇだろ。あぁあ、かわいそうに。苦しかったよな?……それ行け!」
大牙が鼠の入った箱の梱包を解いてひっくり返すと、中にいた十数匹ほどの鼠が一目散に散って行った。続けてもう一箱の鼠も放ってやる。
「こんだけ鼠とゴキブリばら蒔けば、今日は戦争どころじゃねぇだろ。あっはっは……」
そう、それが今回の『こっそり嫌がらせ作戦』だった。
確かにこれだけの害獣と害虫が厨房にいると知ったら、今日は駆除にてんてこ舞いだろう。
「鼠はまだしも……こんナニ大量のゴキブリばら蒔いたら、駆除どころか、引っ越ししなきゃいけないレベルですよ。……悪魔」
「これはもう、立派なテロじゃな。……鬼畜めが」
「なんで俺が味方にけなされてんだ。って、おいおい……いくらなんでもゴキブリは詰めすぎだろ……何匹か死んでんじゃねぇか?」
ゴキブリ入りの箱をちょっと持ち上げて大牙が眉をひそめた。それだけ重量があったのだ。
「そんなの、絶滅した方が世のためですよ……」
「死んでちゃ意味ねぇだろ。まったく……」
「ちょ!?」
「待て、大牙!!」
「あん?」
「あんた!ナニいきなり悪魔を解き放とうとしてんです!!」
「そうじゃ。妾達が避難してからにせい!!」
「なんでそんな目くじら立ててんだよ。ゴキブリなんて家にもいんだろ?」
「いるわけないでしょ!」
「おらんわ!」
アクミと春麗が間髪入れずにツッコんだ。
「まったく。さっきもゴキブリ見て危うく転落しそうになってるし……なんで女はこんなのが嫌いなのかね?」
「世の中にゴキブリ好きの乙女ナンて一人もいませんよ!」
「そうじゃ。いたとしたら、そいつは女の皮を被った別のなにかじゃな」
「分かった分かった。ほら、早くダクトに上がれ。40秒で開けるぞ!」
「ノォ!」
「早く上がれアクミ!」
「まったく。こんなのクワガタと大差ねぇだろうに……」
「大違いですよ!」
「いいからはよせい!」
〈……!?〉
アインスの眉がピクリと動く。
厨房の方から気配を感じたのだ。
すぐさま右手に短刀を、左手に小銃を呼び出すと、相手に気付かれないようそっと厨房に近づいて行った。
そして入り口の所で立ち止まると、壁に耳を押し当て中の気配を探る。
〈……いるな。……しかも複数……〉
アインスは気配を発しないよう、長く、静かに深呼吸すると、ゴクリと唾を飲み込んだ。
そうしてから左手に握った小銃のグリップの感触を確かめる。
獣人兵とはいえアインスも人間、緊張しているのだ。
そして右手で取っ手を掴むと、音を立てないよう、扉をそっと開いていった。
ーーーいる。
ワービーストの獣化程ではないが、通常の人間よりも遥かに強化されたアインスの眼が暗闇に蠢く人影のようなものを認めた。
〈なんだ……?〉
壁に蠢く黒い影。だが人ではない。
それに、なにやらテカテカと光を放っているような?
「ーーーッ!?」
血相を変えたアインスが、慌ててバンッ!と扉を閉めた。
そのままストンと尻餅を付いて座り込み、焦点の合わない瞳で虚空を見つめる。
心臓がバクバクとうるさい程高鳴る。呼吸も荒い。
そして、その顔色は真っ青だった。
翌朝。
久しぶりにぐっすりと眠り、気分良く起きられたバカラが朝食を採る為に食堂に赴くと、入り口の所に大勢の人だかりができていた。
しかも事もあろうに入り口は封鎖され、厨房の職員がなにやら説明しながら手に持った小さな包みを船員達に配っているではないか。
「おい!朝っぱらからなにやってんだ!!」
忽ち不機嫌になったバカラが怒声を上げると、それに気付いた船員達が即座に通路の左右に分かれて道を空けた。
まるでモーゼの十戒のように割れた人波。
その中央を悠々と歩いて、バカラが厨房の職員に詰め寄った。
「も、申し訳ありません司令。今朝はまだ、食事の用意が出来ておりません……」
「ああん?飯がねぇ?なんでだよ?」
「それが……ゴキブリが大量に発生しまして……」
「ゴキブリ?」
「おまけに、その……鼠まで出たらしく、貯蔵してた食材が軒並みかじられまして……本日はこれでご容赦を……」
頭を下げた職員が、おそるおそると包みを差し出した。
「おいおい、マジかよ……レーションが朝飯ってか……」
※
大牙達三人が『パッタイ』の艦内に侵入しようとしていた頃、猿族の本陣にそっと忍び込もうとする男の姿があった。
中肉中背でマントを羽織り、頭には目深にフードを被って目元を隠している。
その男が本陣内をざっと見回し、警備状況を確認する。
要所要所には篝火が焚かれ、槍を持った見張りの兵士が常に巡回して警戒にあたっていた。
欠伸一つしていないのは、さすが夏袁の本陣といったところか。
そしてそれとは別に、暗闇に紛れて数人の獣化の兵士が結界を張っている。
先程からピリピリと刺す視線を感じるのだ。
恐らく男の風体から敵か味方の判断に悩み、殺気を放って警告しているのだろう。
その証拠に、男がついっとフードをずらして顔を曝した瞬間、まるで潮が引くようにスウッと殺気が消えていった。
それを肌で感じた男は再びフードを目深に被り、警戒にあたる兵士に見つからないよう音も立てずに走り抜けて行く。
そして孔蓮の眠るテントに近づくと、警護していた顔見知りの兵士と無言の挨拶を交わし、周囲をチラッと見てからテントの中に消えていった。
「燕迅か?」
中に入ると同時に小さく声を掛けられた。
小声なのは深夜で周囲を慮ってというより、極力人目に触れないよう忍び込んだ燕迅に気を使ってのことだった。
テントに近づく燕迅の気配を事前に察知していたり、相手の意向を汲み取るところは、さすが孔蓮といったところか。
一方、孔蓮に声を掛けられた燕迅は「ああ」と返事をすると、片膝を付いて背中の鎖鎌を外し、地面に置いてから孔蓮に近づいて再び片膝をついた。
「なにがあった?」
「……実は……ちと相談したい事があって……」
「相談したい事?」
「春麗様の事なんだが……」
「見つかったのか!?」
「ああ、見つけた。つい夕方の事だ。遠くから見た感じじゃ、怪我もすっかり治っておられたし、楽しそうに笑っておられた」
「おお、良い知らせではないか。俺の所になど寄らず、夏袁様に直接ご報告すれば良いものを」
「いや、それが……事もあろうに、例の白い動甲冑達と一緒におられたんだ」
「なにっ!?それは……」
孔蓮が言葉を詰まらせた。
春麗が敵方と一緒にいただけでなく楽しそうに笑っていた。
それがどういう意味かを孔蓮は知っているのだ。
「それで夏袁様に知らせるべきか悩んでな……」
「……ふむ」
孔蓮が腕を組んで考え込む。
夏袁の性格では、いや……猿族の常識では、春麗が自ら敵方に留まっているとは思うまい。
間違いなく、春麗は敵方に自由を奪われて拘束、良くて軟禁されていると思うだろう。
だが違う。
状況から判断するに、恐らく怪我をした春麗を敵方である獅子族が保護したのだろう。
もちろん感染症のワクチンを接種した上で。
でなければ、春麗の行動に説明が付かなかったのだ。
一連のやり取りでも分かる通り、孔蓮と燕迅……それと、ここには居ないが恫鼓の三人は感染症の件を知っていた。
と言うより、三人は既にワクチンを接種していた。
実は数年前、恫鼓の弟の恫播が戦場で行方不明になった。
見ていた者の証言から、恫播は敵の反撃を受けた際に深傷を負い、そのまま追撃する敵の波に飲まれたとのことだった。
最早、生きてはいまい。誰もがそう思った。
恫鼓、恫播の兄弟と親しい孔蓮達もまた、悲しみに暮れたものだった。
だが数ヶ月後、恫播がひょっこり帰って来た。
息子の無事な姿を見た両親は当然歓喜した。
あれだけの敵兵に囲まれておきながら、よくぞ生き残っていたものだ。流石、我が息子だ。
大粒の涙を流して恫播を抱き締める母親と、その母親ごと恫播を抱き締める父親。
話を聞き付けた仲間達も駆け付け、その日は再会を喜びあって盛大な宴が開かれた。
その宴の終わった後だ。
恫播は人払いをし、両親すら遠ざけて兄の恫鼓と、兄のように慕う孔蓮と燕迅に真実を語った。
恫播の話は、およそ信じられないような内容だった。
瀕死の恫播は敵方である獅子族に助けられ、傷が癒えるまで面倒を見て貰ったと言うのだ。
しかも傷が癒えた後、仲間の元に帰りたいと恫播が願うと、その希望通りに解き放ってくれたと言う。
なんの見返りも求めずに。
猿族とて人間だ。愛もあれば情もある。
だがそれは同じ猿族に対してのみだ。
他族は別だった。猿族の人間は皆、他族は同じ人間ではないとまで思っていた。
だが恫播はそれが異常だと言う。
猿族は部族まるごと全員、ある感染症に掛かっているのだと。
これを射てば分かる。
そう言って、恫播は隠し持っていた三本のワクチンを三人に見せた。
弟の言う事だ。まず俺が射とう。
躊躇する孔蓮と燕迅を他所に、まず恫鼓がワクチンを手に取った。
接種後、特に異常が無いのを見て取った孔蓮、燕迅が続けてワクチンを接種する。
見た目の結果は直ぐに出た。
恫播の言うように、まず両目の充血が無くなったのだ。
だがそれだけだった。
半信半疑のまま数日が流れる。
驚いたのは、二週間後に起こった他族との戦闘だった。
恫鼓、孔蓮、燕迅の三人は、他族の兵士を目の当たりにしても然して敵意が湧いて来なかったのだ。
だが他の仲間達は違う。
目を血走らせ、涎まで垂らして敵陣に駈けて行く兵士達。
隊長が何を言っても聞く耳を持たないどころか、その隊長すら敵兵を見ると狂ったように駆け出して行く始末。全員、血が昂っているのだ。
事ここに至って、三人は恫播の言う事を認めざるを得なくなった。
確かに猿族は……他の仲間達は異常だ。……と。
だが、だからといってどうする事も出来なかった。
異常者の集団に正常な者がたったの四人。
周りから見たら、冷静でいるこちらの方が異端者なのだから。
実際、声を張り上げて仲間を非難してしまった恫播は次第に孤立していき、最後には異常者の烙印を押され仲間に命を狙われるまでになってしまった。
最早、猿族の中に居場所の無くなった恫播。
別れは寂しいものだった。
真夜中の山中。
見送るのは恫鼓、孔蓮、燕迅のたった三人。
達者でな。
ぐっと口元を引き結び、悲しみを堪える兄。
兄貴……親父と……お袋を……、
嗚咽を漏らし、後の継げない弟。
……バカ者……男が泣くんじゃない。
そう言う恫鼓の目も、涙で一杯だった。
あの別れを孔蓮は忘れない。いや、忘れられなかった。
そして、あんな思いを主君である夏袁と春麗にさせてはならない。
孔蓮はそう思った。
「……燕迅。とりあえず、この件は夏袁様には知らせるな。そして、お前は春麗様と密かに接触を試みてくれ」
「一人で?」
「そうだ」
「無理だ。向こうは例の動甲冑の他に、やり手の獣化が二人はいた。そいつ等の目を盗んで、たった一人で春麗様と接触するなど不可能だ」
「だが事情を知っているのは我等三人だけだ。恫鼓は怪我で動けず、俺も夏袁様の側を離れる訳にいかん。仮に飛影を連れて行っても却って足手まといだぞ?」
「それは……そうだが……」
孔蓮に諭され考え込む燕迅。
確かに感染症に掛かった飛影を連れて行っても結果は見えていた。
精神力の強い獣化とはいえ、敵を間近に見れば抑えが利かなくなるだろう。
そして、争いが起これば春麗の立場が悪くなるのは必然だった。向こうの誰かが死ねば尚更だ。
だから孔蓮は密かに接触しろと言っているのだ。
「因みに……春麗様に会ってどうするのだ?」
「春麗様がどうしたいかだ。我等の元に帰りたいなら、猿族で孤立しないよう、その心得を説いた上で手引きする」
「ふむ。で、帰らないと言えば?」
「……それが春麗様の望みなら……そっとしておくしかあるまい。夏袁様には悪いが、それで双方が悲しまないで済むなら、我等の胸の内だけにそっとしまっておこう。それが家臣である我らの務めだ」
沈痛な面持ちで孔蓮がそう締め括った。
それを見て燕迅が溜め息をつく。
家臣の務め。
確かにそうだ。
駄々を捏ねても仕方ない。
これは俺にしか出来ない事だ。ならやってみよう。そう思ったのだ。
「……上手くいくかは保障せんぞ」
「苦労を掛けるな」
「しかたあるまい。恫鼓があれではな。……では行く」
「俺が言うのもなんだが、気をつけてな」
「まったくだ」
燕迅はふっと笑いを漏らすと、鎖鎌を拾って音もなくテントを後にするのだった。
猿族の陣地をそっと抜け出した燕迅は、一気に北側の平原を駈け抜け、再び山中に入ったところで初めて歩を緩めた。
大きな木の幹に寄り掛かり、腰から水の入った筒を取り出すと、それをゴクリと一口飲んで空を見上げる。
まだ夜は空けず、真っ暗な空に星達が燦然と輝いていた。
〈密かに接触か……さて、どうするかな……〉
口で言うのは簡単だが、相手は動甲冑と獣化が数人。
しかも、相手はこちらを敵認定してるのだ。迂闊に近づくことは出来ない。
一応、偶然見掛けた猫耳の女を尾行することができたので、警戒網に引っ掛からずにベースキャンプに近づけるルートは把握したが、それでも100メートルまでだ。
恐らくそれ以上は監視が厳しくなって近づけまい。そう燕迅の勘が告げていた。
〈やはり、春麗様が一人で警戒網の外に出られるのを待って……〉
いや、そんなに都合よく事が運ぶとは思えなかった。
そうなると他の手段を考えるしかない。
例えばそう、他の者には分からず、春麗だけが分かるような暗号で呼び出せば……。
鋭い目付きで夜空を見上げ考えを巡らす燕迅。
だが、いくら考えてもそんな上手い作戦は思い浮かばないのが現実だった。
「面倒だな。いっそ皆殺しにするか……って、一人では返り討ちか」
「安心しろ。俺もいる」
「ーーーッ!?」
水筒を放り投げ様その場をパッと飛び退き、背中の鎖鎌を引き抜いて身構える。
その燕迅の表情が、相手を認めた瞬間に驚愕に変わった。
「夏袁様!?」
「はん、気付くのが遅せぇよ。なってねぇな、燕迅」
夏袁がからかうように笑った。
夏袁は別に木々の間に隠れていた訳ではない。
ただ気配を完全に消してそこに立っていただけだ。単に燕迅がそれに気付かなかったのだ。
夏袁がその気なら、燕迅は十の昔に命を奪われていただろう。それも相手を認識すら出来ずに。
「も、申し訳ありません夏袁様。ちと、考え事をしていたもので……。そ、それで夏袁様はなぜここに?」
鎖鎌を仕舞いながら燕迅が問うと、夏袁は「あん?」と呆れた顔をして燕迅を見た。
「決まってんだろ。お前と一緒に春麗を助けに行くんだよ」
「は……?」
「だいたい、お前は気配を消し切れてねぇんだよ。だから俺に気付かれる。孔蓮も孔蓮だな。俺がテントの外で聞き耳立ててんのに気付きもしねぇ」
と、何でもない事のように答える夏袁。
だが燕迅は心臓が飛び出るかと思った。
孔蓮との会話を夏袁が聞いていたと言うのだから当然だろう。
「まぁ、孔蓮の奴が心配する理由は分かる。俺の性格じゃ、春麗を取り戻す為に部隊を率いて行くとでも思ったんだろ。俺だってガキじゃねぇんだ。んな事すりゃ、春麗の身が危険になるってことくらい分かってるっての」
「は?……はぁ」
だが小声で話していたこともあり、肝心の感染症や、春麗の思いについては聞き取れなかったようだった。
思わずホッと安堵して曖昧に言葉を濁す燕迅。
しかし、続く一言に再び慌てた。
「だから、こうして一人で来たんだ。ほれ、とっとと春麗が捕まってる所に案内しろ。俺が全員始末してやる」
「ちょ……ま、待って下さい、夏袁様!それではまずい事に……(主に春麗様の立場が)」
「安心しろ。奴らに気付かれないよう一人ずつ殺す。暗殺は得意だ」
〈そっちの心配じゃない!〉
腰に手を当てて爽やかに笑う夏袁に、思わず心でツッコむ燕迅。
そうこうしてると、
「ほら、ぐだぐだ言ってんじゃねぇ。行くぞ燕迅!」
そう言って、夏袁はスタスタと歩いて行ってしまった。
〈おいおい、勘弁してくれ……飛影のがまだマシだ……〉
今さら案内しない訳にも行かず、諦めきった顔の燕迅がトボトボと夏袁に続く。
今後の展開を予想して、その顔は今にも泣きそうだった。
※
昼過ぎ。
「あれか?」
夏袁と燕迅の二人は、遠く木々の間にキャラバンを見通せる森の中にいた。
結局、夏袁を振り切る訳にも行かず、かと言って良い案も浮かばないままここまで来てしまったのだ。
こうなっては仕方ない。燕迅は腹を括った。
春麗様との接触は二の次。まずは夏袁様を暴走させない。
そして、何があっても夏袁様だけは無事に帰す。
そう考えを転換していた。
そのキャラバン。
夜に備えて昼寝していた大牙がピクッ!と目を覚ました。殺気のようなものを感じたのだ。
「…………」
目を瞑ったまま、無言でそっと辺りの気配を伺う。
〈……気のせい……か?〉
横になったまま、通路の向こうで眠るシンを見る。
ASを装着していない事もあって、シンが今の殺気に気付くことはないだろう。
ベッドの上段で眠るアクミと春麗はどうか?
こちらも今のところ起き出す気配はない。連日の徹夜で疲れているのかも知れない。
そう思った大牙は静かに身体を起こすと、枕元の槍を掴み、皆が起きないようそっと部屋を抜け出すのだった。
「お疲れさん」
「あれ? 大牙くん、どうしたの?」
「ちょっと、目が覚めちまってな」
部屋を出た大牙は、キッチンに寄って冷蔵庫から冷えたドリンクを二本取り出すと、キャラバンの運転席で警戒に当たっていたアムの元を訪れた。
ここなら周囲に設置したセンサーの情報が一目で分かるからだった。
「しかし、誰も話し相手がいないと見張りは暇だろ。ほれ、差し入れ」
そう言って持ってきたドリンクを一本手渡す。
「まぁ、徹夜に比べたら楽なもんよ。ありがと」
アムが笑いながらドリンクを受け取ると、大牙は後部座席に腰掛けてゴクン、ゴクンと音を立てて一気に喉に流し込んだ。
寝起きで喉がカラカラだったのだ。
そうして一息ついてから、まるで世間話でもするようにアムに尋ねる。
「ところで、なんか変わった事は?」
「うん?なにもないわよ?」
「そうか……」
ドリンクを手に持ったまま窓の外をじっと見つめる大牙。
〈じゃあやっぱり、さっきのは気のせいか?〉
それを不審に思ったアムが、
「どうしたの?」
と尋ねると、
「いや、別に……」
と大牙は曖昧に答え、立て掛けてあった槍を掴んで立ち上がった。
「あれ?どっか行くの?」
「ちょっと外の空気吸ってくるわ。そんじゃあ」
「うん……」
そのまま振り返らずに運転席を後にする大牙。
その背中を見つめたまま、アムが怪訝な顔をして首を傾げる。
〈槍を持ってたけど……軽く運動でもするのかな?〉
アムと別れ、一人外に出た大牙が改めて辺りの気配を伺う。
車外に出ると途端に分かった。
刺すような視線と殺気を肌が感じるのだ。
〈ふん……やっぱいやがるな。うまくセンサーを抜けてきたもんだ。……ひょっとして付けられたのか?〉
そんな事を考えながら両手で持った槍を持ち上げ、うーん!と上体を反らしてストレッチを始める。
そうして充分身体を伸ばしたところで身体を左に傾けて右側の筋を伸ばし、更に左と左右交互に筋を伸ばしたあと、前屈してから再び上体を反らす。
それを何度か繰り返した後、今後は上体を左右に捻って入念に身体をほぐしていく。
そんな事を一分程も繰り返していると身体も温まり、軽く汗をかき始めた。
これで準備万端。
一通り身体をほぐし終わった大牙が、突然キッと鋭い目付きで森の奥を睨んだ。
「さて、行くか……」
大牙は誰にともなくそう呟くと、肩をぐるぐると回しながら森の中に向かってゆっくりと歩き出すのだった。
「あの野郎……前に砦からガンくれてた奴じゃねぇか。一丁前に気付いてやがるな」
こちらに向かって一直線に歩いてくる大牙を睨みながら夏袁が憎々し気に呟いた。
その目は真っ赤に充血し、口許からは牙が覗いている。
他族を……しかも、過去にメンチを切った忌々しい相手との再会に血が昂っているのだ。
「夏袁様、落ち着いて下さい。そんなに殺気をばら撒いては他の奴にも感付かれ……あっ!?」
燕迅が夏袁の袖を掴んで必死に引き止めるが、その甲斐もなく夏袁がスッと立ち上がってしまった。
もう大牙の事しか見えていない。
「ダメです!トレーラーの中には例の白い動甲冑もいます。他にも何人いるか知れません!ここで戦闘は……」
「うるせぇ!嫌ならそこで見てろ!!」
夏袁は燕迅の腕を振り払うと、怒鳴り付けてスタスタと大牙に向かって歩いて行ってしまった。
「夏袁様!くそ……」
今さら身を隠しても手遅れだろう。
もうどうにでもなれ。
半ば投げ槍になった燕迅が夏袁に続く。
身を隠そうともせず、仁王立ちで大牙の前に立ちはだかった紅髪の男を見て、大牙が小さな驚きを見せた。
〈……春の兄貴か〉
外見から察するに、北淋を任されている三男の夏袁。
そんな大物が出張って来た理由は一つしかあるまい。おそらく春麗を取り戻しに来たのだろう。
「その紅い髪。猿族の……確か夏袁って言ったか?」
「頭の狂ったお前等に名乗った事もねぇのに、よく知ってんな?」
「ふっ……まぁ、有名人だからな」
大牙が笑って誤魔化す。
まさか妹の春麗に紹介されましたとは言えなかった。
「で? そんな大物がなんの用だ?」
「単刀直入に言う。俺と同じ髪の女がいるだろう?出せ!素直に出せば半殺しで済ませてやる」
「ああ? 知らねぇな」
凄む夏袁に対して、あくまでシラを切る大牙。
感染症に掛かった猿族からしたら、春麗が他の種族と一緒にいるなどあり得ない事だった。
だから仮にいると答えた場合、春麗もパンチのように頭が狂ったと取られ兼ねない。
何故なら、捕虜として軟禁されているならともかく、春麗は拘束すらされていないのだ。
それはつまり、自らの意思で他族の元に留まっていることを意味する。
春麗が狂った女と判断され、仲間に追いかけ回されるのは哀れだった。それが実の兄なら尚更だ。
それが惚けた理由だった。
要は春麗を庇っての事だ。
だが夏袁にそんな事が通じる訳がない。
ただ単に大牙がケンカを売ったと受け取った。
「生意気な野郎だ。その変な頭は金髪に染め損なったのか?」
「ああ?」
「ん……?あぁ……そっかそっか、虎をアピールしてんのか。ははっ、かっけー!すげぇイカすぜ!似合ってる似合ってる!成りから入る小者らしくて、すっげー似合ってるぜ!近づく奴は怪我すんぜって、頭で威嚇してんだろ?あっはっはっは……」
カチン!
「か、夏袁様……」
燕迅は気が気でなかった。
もちろん、夏袁がいる以上は穏便に話し合いで済むとは思っていない。
だからと言って、わざわざ相手を挑発して怒らせる意味もなかった。
これでは戦いになった場合、いきなり全力全開。
他の奴らに気付かれるのは必至だった。
だから夏袁を嗜めようとしたのだが、生憎と大牙の方にそんな気遣いは無い。
「おい赤猿。お前、穴ポケットパンパンにして何入れてんだ?」
「あん……?」
「って、あぁ……そっか。お前らは猿みてぇに穴に赤い座布団くっ付いてんだっけ?」
「んだと、コラ!」
「いやぁ、しかしさすが猿族を統べる一族の坊っちゃん。ズボンの上からでも分かる立派な穴。お見逸れしたね。きっと大きさだけじゃなく、色も真っ赤で女にモテモテなんだろうな。羨ましい限りだぜ」
カッチーン!!
「か、夏袁様……落ち着いて……」
夏袁をなんとか宥めようとする燕迅だが、もう袖を引くのはおろか、近づく事すら出来なかった。
もし迂闊に近づけば殴り倒されるだろう。
夏袁はグッと拳を握り絞め、静かに呼吸を繰り返している。
一見すると落ち着きを取り戻したように見えるが、実はその逆だった。完全にキレている。
何故なら夏袁が笑っているのだ。
しかも、仮面を貼り付けたような笑顔で……。
燕迅は知っていた。
この顔をするときの夏袁は、既に手の付けられない状態にあることを。
「燕迅、お前は手を出すなよ……」
「か、勘弁して下さい。他の奴らに気付かれます……」
「なにごちゃごちゃ言ってんだよ、赤猿!」
「てめぇごとき、素手で充分だって言ったんだよ」
「んだとぉ……」
笑いながら静かに答える夏袁。
その余裕の態度が、益々大牙をイライラさせた。
「おい、俺は寝起きで気が立ってんだ。今すぐ謝って、三つ数える内に尻尾巻いてとっとと俺の視界から消えろ!でねぇと、ぶっ殺すぞ!」
「ふん、にゃーにゃーと騒がしい猫だな?少し俺が血抜きして静かにさせてやる」
「あぁ?やれるもんならやってみろ?コラ!」
顔に青筋たてたままメンチを切る大牙に、夏袁は斜に構えて右手を上げた。
そして挑発するように、その手をクイクイと動かして手招きする。
「吠えてないで、とっとと掛かってこい!」
「上等だっ!」
槍を放り捨てた大牙が飛びかかった。
「「ぶっ殺す!」」
※
ドンッ!!
「うわっ!?」
突然、衝撃波と震動が広がりキャラバンが小さく揺れた。
驚いたアムが窓の外に視線を移せば、周囲の鳥達が逃げるように一斉に飛び立っていくのが見える。
「なに? 今の……」
原因を調べる為にカメラを操作する。
そして、モニターに写った映像を見てアムは我が目を疑った。
大牙が知らないワービーストと戦っていたのだ。
「敵襲ッ!!」
「どこだ!?」
アムが叫んだ時には既に飛び起きていたシンが、アムの肩に手を置いてモニターを覗き込んだ。
その身には既に月白を展開している。
「4時の方向150メートル!大牙くんが猿族の獣化と交戦中!!」
「あれか。行くぞ!」
「オッケー!」
一方、アクミは衝撃波を感じた瞬間に飛び起きると、天井を開いてキャラバンの屋根に飛び乗り、目を細めて周囲の気配を伺った。
遅れて屋根に上がった春麗が、アクミの背後を守るように背中合わせに身構える。
「春ちゃん、あっちです!!」
アクミは気配で戦場を察知すると、そのままキャラバンの天井を蹴って飛び降り一直線に駆け出した。
少し遅れて春麗も続く。
燕迅は気が気でなかった。
もはや他の連中が駆け付けるのは時間の問題だったからだ。
顔には出さないが、それは夏袁も一緒だった。
相手を瞬殺し、そのまま雲隠れするつもりでいたのだが、既に一分以上拳を交えている。予想外に相手の男が強いのだ。
「ちっ……来たか。夏袁様、俺が時間を稼ぎます。お早く!!」
声を掛けると同時に燕迅が駆け出す。
こちらに近づく人の気配を察したのだ。そして、
「あんたはいつぞやの!?」
「ちっ!またお前か!!」
アクミの姿を認めた瞬間、燕迅が舌打ちを漏らした。
夏袁と大牙の関係と同じく、こちらの二人も過去に因縁がある。
お互いに相手を睨みつけて走りながら、アクミは腰の短刀を引き抜き、燕迅は背中の鎖鎌を取り出して得物を握った。
まるで吸い寄せられるかのように二人の距離が縮まっていく。
「今日こそ殺す!!」
「こっちの台詞ですよ!!」
「待て!お主ら!!」
だが互いに飛び掛かろうと地を蹴る瞬間、遅れて駆けつけた春麗が待ったを掛けた。
「しゅ、春麗さ……」
「ほやぁあーーーーーーッ!!」
「ばあっ!?」
だが急停止して立ち止まった燕迅とは裏腹に、まったく聞く耳を持たないアクミのドロップキックが無防備な燕迅の顔面に華麗に炸裂した。
防御も受け身もとれず吹き飛び、勢い良く背中から大木に叩きつけられた燕迅にアクミが鼻息荒く人差し指を突きつける。
「ナニ余裕ぶっこいてよそ見してんです! 私達の戦いは、地獄の見えたあの日からずっと続いてるんですよ!!」
「くっ!」
怒り心頭の燕迅がノロノロとその身を起こす。
それを横目にアクミが後ろを振り返った。
「で……? ナンですか春ちゃん?」
「いや……妾が話をつける故、互いに手を出すな……と、言おうとしたんじゃが……」
「え……?」
アクミの頬を冷や汗が流れる。
そーっ……と後ろを振り向けば、顔を真っ赤にした燕迅がこちらを睨んでいた。
「……あの」
「…………」
「見ての通り、私に争う意思は微塵もありません。ここはフレンドリーに、お互い暴力抜きで冷静に話し合いましょう?」
「説得力ないわ!」
「燕迅!やめい!」
燕迅がアクミに飛び掛かるろうとするより早く、春麗が一喝してその動きを封じた。
「……し、しかし春麗様……」
先に手を出したのは向こうなのだ。それなのに……。
燕迅が懇願するように春麗を見るが、春麗は黙って首を振った。
我慢せい。これ以上話をややこしくするな。
春麗の目はそう言っていた。
「くっ……覚えておれよ……」
いまいち収まりがつかないようだが、春麗に逆らう訳にはいかないのだろう。
鎖鎌を背中に仕舞いながら燕迅が忌々し気に舌打ちを漏らした。
「兄上!」
夏袁が来ている事を知らされた春麗が燕迅の案内の元、アクミ、シン、アムを引き連れて戦いの場に赴けば、二人は互いに相手の出方を伺いながら睨みあっている最中だった。
一見すると、まだ然して怪我をしているように見えない。
今ならまだ止められる。
春麗はそう思ったのだが、
「春麗!よくぞ生きてた!今こいつらを皆殺しにして助けてやる。待ってろ!!」
夏袁は春麗を振り向きもせずにそう言い捨てると、拳を握り絞めて大牙に殴り掛かっていった。
それを迎え撃つ大牙。
夏袁のパンチはフェイントも駆け引きも何もない、只のパンチだ。
だが早い。
獣化かASの視覚補正が無ければ見極めるのはおろか、一体何をしているのかすら分からない程の拳のスピードだ。
しかも、明らかに急所を狙ってくるそれは、当たれば一撃で勝敗が決まる威力なのが一目で分かった。
大牙はそれを、左右の手で右に左にと受け流している。シンとの模擬戦の成果だった。
それに焦れた夏袁が段々と大振りになってきた。
そして思い切り振りかぶった所で、大牙がその懐に踏み込み、脇をすり抜け様右手を一閃させる。
場所を入れ替えて振り向き、再び静かに対峙する二人。
見れば夏袁の右の頬には赤い筋が入っており、血が頬を伝って流れ出していた。
一方、夏袁のパンチを避けた筈の大牙の右頬も、赤い血が滲み出ている。避けきれていなかったのだ。
それぞれ自分の頬の傷に気付いた二人は、その血を親指の腹で拭うとペロリと嘗めた。
そして鋭い目付きで相手を睨み、口元だけでニヤリと笑う。
「まずい。……兄上のあの目……完全に逝ってるの」
「……ねぇ、春ちゃん。二人ともニヤッて笑ってるけど、あれはお互いを認めて友情が芽生える的なヤツ……じゃ、ないわよね?」
「違うの。「てめぇ、只じゃ済まねぇぞ!」的なヤツじゃ……」
アムと春麗が不安を募らせるその横で、なぜかアクミが突然「ちっ」と舌打ちを漏らした。
「アクちゃん?」
「見て下さいよアムちゃん。大牙くんったら、久々の見せ場が嬉しくてニヤニヤ笑ってますよ。なんだかムカつきますね」
「えっ? そっち!?」
三人がそんな事を言ってる間に、今度は大牙の方から夏袁の懐に踏み込んだ。
そして左右の鋭い爪で右に左に切り付ける。
しかし、夏袁はその絶え間の無い鋭い攻撃を、一歩、二歩、三歩と後ろに下がりながら左右の手で往し続けた。
そして四歩目。
夏袁が後ろに下がろうとするタイミングで、大牙がその足の甲を踏み付けた。一瞬だが夏袁がバランスを崩す。
「シャッ!!」
「ちっ!?」
列泊の気合いと共に、大牙の手刀が夏袁の胸元目掛けて突き出された。
その鋭い一撃を、夏袁は身を捻ってなんとか避ける。
「おらぁ!!」
「がはっ!?」
そしてがら空きになった大牙の右脇腹に、夏袁の左拳が捩じ込まれた。
ミシミシと大牙の肋骨が悲鳴をあげる。
その余りの衝撃に両手で脇腹を押さえる大牙。
そして、そのままよろよろと二、三歩下がると、その場にガクンと片膝を着いてしまった。
どうやら肋が数本逝ったようだった。
「へっ!勝負ありだな、猫野郎!」
それを見下ろして、勝ち誇った夏袁がニヤリと笑う。
「……そうかい?」
だが直後、夏袁の胸からプシューーーッ!!と噴水のように血が吹き出した。
「くっ……」
夏袁の身体がグラリと揺れる。
あまりの鋭い一撃に、食らった事に気付かなかったのだ。
慌てて傷口を押さえる夏袁を見上げて、大牙もニヤリと笑う。
「兄上ッ! 大牙ッ! そこまでじゃ、傷の手当てをせい!!」
このままでは確実にどちらか一方が死ぬ。
そう思った春麗が慌てて仲裁に入ろうとした時、おもむろに両手の拳を握り締める夏袁の姿が目に入った。
「兄上、なにを!?」
次の瞬間、夏袁が両手を広げて「ふんっ!」と胸を反らし気合いを入れた。
するとどうだ。
胸の傷から吹き出していた血がピタリと止まったではないか。
「凄い!ワービーストってあんなこと出来るんだ!?」
「まさか。まったく無茶苦茶ですね」
素直に凄いと感心したアムだったが、当のワービーストであるアクミも呆れていた。
やっぱり無理らしい。
しかし、取り合えず止血は出来たのか、夏袁がドヤ顔を浮かべた。
それを見て大牙もゆっくり立ち上がる。
だが両足はガクガクと震え、上体もゆらゆらと揺れていた。
一方、夏袁の方も大量に血を失ったせいで足元をふらつかせている。
二人共これ以上戦えないのは明らかだった。
「おいアクミ、いい加減止めろ」
もう限界だろう。
そう思ったシンがアクミを促す。
「仕方ないですね。春ちゃん」
「うむ」
とっくに準備は出来ていたのだろう。
アクミが一本の注射器を春麗に手渡した。それを受け取った春麗が一足飛びに夏袁の背後に立つ。
「兄上……」
「春麗、下がってろ。今コイツを……」
「少し落ち着いて下さい」
ブスッ!
「いってぇええ!!」
夏袁の尻に問答無用で注射器を突き刺す春麗。
「あんたも、ちょっとこっちに来なさい!」
「いてててて……耳を引っ張んなアクミ!おい、千切れる。千切れるって!つか、肋に響く!分かった!分かったから放せって……」
こうして二人の男の壮絶な戦いは、二人の女の介入で呆気なく終わりを告げたのだった。
※
『パッタイ』に突然けたたましい警報音が鳴り響き、艦内をあげて鼠とゴキブリを駆除していた船員達がビクリと肩を震わせた。
『北西30キロを移動中の敵部隊を発見、総員第二種戦闘配置。繰り返す……』
「状況を説明しろ!」
ブリッジに駆け込むなりバカラが大声で怒鳴りつけた。
「西を警戒していた観測気球が、森の中を密かに移動する部隊を発見しました」
「数は?」
「凡そ百人。全て歩兵でした」
「でした?」
「それが……木々が邪魔をして、直ぐにロストしてしまいまして……」
解析官の報告を聞いてバカラが「ちっ!」と舌打ちを漏らした。
だがいつものように解析官に怒鳴り散らすような事はない。
普通なら森の中を移動中のワービーストを発見するなど出来る事ではないのだ。
むしろ発見した解析官を誉めてやるべきだった。
「司令、森の中を密かに移動……しかも数が少ないとなると……」
「ここに腰を据えて丸三日だ。普通に考えて捕捉されたと見るべきだろうな。おそらく奇襲部隊。少数って事は全部獣化かも知れねぇな」
「それは……」
艦長のベンソンが不安気な顔でバカラを見た。
今は良いだろう。だが後五時間もすれば辺りは真っ暗になる。
約百人の獣化が夜陰に紛れて接近した場合、余程の備えがない限り正直支えきれない。
「さて、どうすっか。先に発見出来たのは行幸だ。来るのが分かってんだ、罠を仕掛けて待ち伏せする手も……」
そんなベンソンの不安を他所に、肘掛けに頬杖付いて思案に耽るバカラ。
だがその時、突然『パッタイ』の電源がバツンッ!と落ちた。
直ぐに非常用電源に切り替わるが、何かあったのは確かだった。
「何事だ!」
「で、電源室で火災発生!」
「あんだと!?この忙しい時に……とっとと消せ!!」
「はっ!」
※
「まずは自己紹介からだな」
キャラバン内の談話室。
全て話す。だからまずは傷の手当てをしろ。
そうシンに諭された夏袁は意外にも大人しく付いてきた。
今もシンと向かい合って座る夏袁に警戒している様子はまったく見えない。
ワクチンの影響は勿論だが、春麗が側にいること、そして燕迅の口添えが大きいのだろう。
或いは、元々そういう性格なのかも知れない。
その燕迅はというと、さっきから緊張した面持ちで夏袁の後ろに控えている。
責任感が強いのだろう。こっちにその気はないが、一応こちらを警戒しているようだった。
その燕迅に対するようにアクミがシンの後ろに立ってはいるが、これは形式的なものだった。
その証拠にアクミの表情に緊張感はない。
春麗と大牙はそれぞれシンの左右に腰掛けている。
アム一人だけがこの場にはいない。
二人の傷の手当てを終えると、キャラバンの運転席で周囲の警戒に当たっているからだった。
「俺はシングレア・ロンドだ。覚えてるかも知れないが……」
「へっ……俺と互角に戦った相手だぜ?忘れる訳ねぇよ」
シンが苦笑いを浮かべると、夏袁がそう言ってニヤリと笑った。
その笑顔に敵意はまったく見えない。
むしろ久々の再会を喜んでいるようにも見える。
それは一流の男が持つ、他意のない爽やかな笑顔だった。
「あの時はお互い名乗る暇もなかったからな。シングレア・ロンドか」
「シンでいい。キングバルト軍でAS隊の指揮を執ってる。見ての通り、旧人類だ」
「孫夏袁だ。春麗から聞いてると思うが、猿族八家を統べる大族長、孫家の三男で北淋を預かってる。夏袁でいいぜ」
「分かった」
「ところでシン、ASってのは?」
「動甲冑の事じゃ、兄上」
「ああ、あれか。隊って事は一人や二人じゃねえって事か」
「そうだ。さっき治療してた彼女が中隊長の一人、チャームライト・ランダースだ。アムって呼んでやってくれ」
「ふぅん。……ま、ここで部隊の規模を聞くのは野暮なんだろうな」
「別に教えてやっても構わんが、まだそこまでの信頼関係を築いてないんだ。言われて「はい。そうですか」と信じられるか?」
「はは、それもそうだな」
シンに言われてもっともだと思ったのだろう。夏袁が屈託なく笑った。
「じゃあ続きだ。後ろのこいつはアクミ。本名はアクミリスだが……まぁ、アクミでいいだろ」
「構いませんよ。よろしくです、春ちゃんのお兄さん」
「おう、よろしくな!」
「で、さっき戦ってたこいつが大牙。腕前はもう分かったと思うが……」
「ああ。大牙、さっきはバカにして悪かったな」
そう言って夏袁がスッと右手を差し出した。
「いや……こっちもついカッとなっちまって。悪かった」
大牙がその手を握ると夏袁がニヤリと笑った。
その邪気のない笑顔に大牙も思わず笑顔になる。
それは先程とは全く違う、お互いに相手を認めあった時の笑顔だった。
それを見てシンやアクミ、春麗の顔にも思わず笑顔が溢れる。
だがこの場でただ一人、燕迅だけが浮かない顔をしていた。
「燕迅、まださっきの事を怒っておるのか?もういい加減その顔はよせ」
それに気付いた春麗が場を取り成すように嗜める。
「あん?なんかあったのか、燕迅?」
「いえ、なにも……」
「その……私が春ちゃんの止めるのも聞かずについ蹴りを入れちゃいまして……それで怒ってるのかと……」
アクミがすまなそうな顔をすると、それを聞いた夏袁が呆れた顔をした。
「お前……そんなの根に持ってんのか?」
「いえ、決してそういう訳では……」
燕迅が言い辛そうに口ごもる。
「お前を心配してるのさ、夏袁」
「心配?」
「警戒心が全くなく、俺達と平気で打ち解けてるからさ。違うか?」
「……まぁ」
それを聞いた夏袁が再び呆れた顔をして燕迅を見た。
「なんだ、バカらしい……」
「しかし、夏袁様……」
「お前は人を見る目がねぇな。こいつらが何か企んでるように見えんのか?」
「……いえ」
「なら余計な心配してんじゃねぇ。ここには春麗もいるんだ、お前が思ってるような事は起きねぇよ」
「……はぁ」
「まったく……悪りぃな。こいつは燕迅。真面目で腕は立つが、無愛想で心配性でユーモアセンスがねえのが難点だ」
「夏袁様!」
「あん?本当の事じゃねぇか」
夏袁にからかわれて慌てる燕迅。
アクミはそんな燕迅に歩み寄るとペコリと頭を下げた。
「燕迅さん、さっきはごめんなさいです」
それを見て、燕迅が再び慌てる。
「あ……いや……、本当に怒ってる訳じゃないんだ……」
「言ったろ?無愛想だって。もう気にすんなアクミ」
燕迅に替わって夏袁が口を差し挟むと、頭を上げたアクミがにっこり微笑んだ。
「ふふ、じゃあ仲直りですね燕迅さん。私の事は気安くアクちゃんって呼んで下さいね」
「アクちゃ……いや!それは勘弁してくれ!」
思わず言い掛けて急に恥ずかしくなったのだろう。燕迅が顔を真っ赤にして照れた。
そんな燕迅がおかしくて皆が笑う。
すると燕迅の顔が益々真っ赤になっていった。
そんなこんなで皆して一頻り笑いあった後、夏袁が「さて……」と言って急に真顔になった。
それを受けてシンの表情からもスッと笑顔が消える。
「そんじゃあシン、一通り自己紹介も済んだところで……詳しく聞かせて貰おうか。俺達の事を……」
「ああ」
※
「鼠がかじった?」
「は、はい。焼け跡から黒焦げになった鼠が発見されましたので、おそらくそれが原因かと……」
朝も昼もレーションでもはや怒る気力もないのか、
「……はぁ」
と溜め息を付いたバカラが力なく天井を見上げる。
「そんで? 被害は?」
「そ、それが……」
「もう怒鳴る元気もねぇよ。はっきり言え」
「はっ!へ、変電器と蓄電池の半数以上が焼けました」
「バカ野郎!それを先に言え!!」
「も、申し訳ありません!」
報告を聞いたバカラが血相変えて立ち上がる。
それはそうだろう。
これから夜を迎えるのに、電気が無くては火器管制が使えないどころか、警戒も満足に出来ないのだ。
「ベンソン!急いで撤収だ!電池もねぇ、充電も出来ねぇじゃ戦いになんねぇ。なぶり殺しにされんぞ!」
「はっ!」
※
「なるほど、感染症ねぇ」
一通りの説明を聞き終えた夏袁が、さっきまでの自分や周りの仲間達の行動を振り返りながら呟いた。
普段なら信じられない事だと一笑に付すところだが、今の夏袁にはそれができなかった。心当たりが多すぎたのだ。
それに春麗と燕迅の証言が大きい。
そしてそうなると、猿族が抱えていた他族に対する不安が杞憂だったことになる。
なにしろ、猿族側が勝手に敵意を燃やしていただけなのだから。
「で、どうする……?」
感染症を知った上でまだ敵対するのか?とシンは聞いているのだ。
そのシンの鋭い視線を受けた夏袁は両目を閉じ、腕組をして暫し考えを巡らした。
シンが、春麗が、アクミに大牙が、固唾を飲んで見守る中、やがて夏袁が静かに目を開ける。
「……やめだ」
その一言を聞いてシン達がほっと安堵の表情を浮かべた。
先程までの夏袁の態度から、この場でいきなり乱闘が始まるとは思わなかったが、夏袁の口からはっきりやめだと言われて安心したのだ。
「勝手な話だが、俺にはもう、そっちを攻める理由がなくなっちまった。だからやめだ」
「夏袁様、よろしいので?」
「構わねぇ。それより、そっちはどうなんだシン? 俺はもうやる気はねぇが、それが勝手な事だってのも分かってる。知らなかったとは言え、そっちの人間を殺し過ぎた。引っ込みつかねぇなら、このまま続けてもしょうがねぇと思ってる」
「すまんが速答出来ん。俺はキングバルト軍の一指揮官でしかない」
「まぁ、それもそうか」
「だがこれは俺の考えだが、族長はその申し入れを受けると思う。猿族との休戦のメリットは大きい。今後はヴィンランドに専念出来るんだからな」
「そうか。ただ、これはあくまで俺の一存だ。だから休戦は北淋だけだと思ってくれ」
「分かった」
「それで?結果はいつ分かる?」
「そう慌てるな。『パッタイ』が近くにいるんで通信は傍受される危険がある。まずは夏袁の部隊を下げてくれ。そうしたら『パッタイ』も後退する筈だ」
「『パッタイ』……?」
「そっちに砲撃を加えてる黒いランドシップだ。俺達は春の希望で、そっちに『パッタイ』が行かないよう、ここで密かにゲリラ戦を仕掛けていたんだ」
「なんだ、ここんとこ来ねぇと思ったらそういうことか」
「ああ。その『パッタイ』さえ居なくなれば俺達も……」
『シンッ!!』
突然シンを呼ぶ声と共に、壁に設置されたモニターにアムの顔が映し出された。
その表情から何かあったのは明らかだった。
「どうした?」
『『パッタイ』に動きがあるの。どうやら移動するみたい』
「今から……?」
『うん。今、カメラの映像回すわ』
アムが言い終わると同時にモニターの映像が外部カメラに切り替わった。
その映像を見てシンが怪訝な表情を浮かべる。
「ナニやら、移動と言うより撤収するみたいですね」
「しかしなんでまた、こんな時間に?」
「じゃが、撤収するならそれに越した事はないの。これで妾達の仕事もおしまいじゃ」
「それもそうですね」
アクミ達三人が喜色を浮かべる横で、シンはいまいち腑に落ちない表情をしていた。
アクミの言うように、『パッタイ』はどう見ても撤収しようとしている。それはいい。だがなぜ急に?
「はん、画面越しでも慌ててんのが分かんな。まるで尻尾を巻いて逃げ出す犬だ」
〈逃げ出す……?〉
その夏袁の一言でピンときた。
「そうか。猿族の部隊が接近してるんだ」
「猿族が!?」
『シン、どうしよう?偵察ドローンを飛ばして確認する?』
「いや、感染症の部隊だ。余計な戦闘はしたくない。こっちも直ぐに移動しよう。夏袁、とりあえず近い内に必ず回答する。今後のコンタクトの方法だけ決めておこう」
「んな、まどろっこしい事しねぇでも、俺がこのままそっちの街に行こう」
「夏袁様!!」
「なに目くじら立ててんだ」
「危険過ぎます!」
「まだ言ってんのか」
「それは助かるが……いいのか?」
ここにいるメンツとは打ち解けたが、こちらの街に来るとなると話は変わる。
なにしろ、まだ休戦している訳ではないのだ。回りは敵だらけと言っていい。
「構わねぇよ。お前を信じた。だから命を預ける。それだけの事だ」
「すまん。なら俺の命に代えても、夏袁の安全は保障する。絶対に」
「夏袁様……」
「安心せい燕迅、妾もおる」
「しかし……」
燕迅が心配するのも当然だった。
何せ夏袁は北淋の統治者であり、軍の最高司令官なのだ。何かあってからじゃ遅い。
だが夏袁は行く気満々だ。
それに春麗の手前もある。
なら手段は一つしかない。
「……分かりました。だが、そう言う事なら俺も行きます」
「勝手にしろ。シン、移動は不要だ。きっと俺が心配で孔蓮の奴が煉鳴でも寄越したんだろ。俺が一言言ってくるから、ちょっと待ってろ」
「分かった」
言うが早いか、さっさと席を立った夏袁に続いて燕迅が、そしてそれを見送る為にシン達が次々と席を立った。
「しかし、良いのか?シンよ」
そして外に出たところで、今度は春麗がシンに念を押した。
兄を信じない訳ではないが、ワクチンを接種していない兵士の動きは正直読めない。
夏袁の言う事を聞かずに兵士が暴走する危険性は充分あった。
そうなったら多勢に無勢だ。四人程度では一溜まりもあるまい。だが、
「夏袁がこっちを信じてるんだ。俺達も信じよう。それでなにかあったら仕方なかったと諦めるさ。なぁ大牙?」
「先生の言う通りだ。一度信じた相手が俺達を殺すなら、それはそれなりの理由がある筈だ。なら黙って死んでやるだけだ」
「はは……お前らはいい男だな、シン、大牙。益々気に入ったぜ。安心しろ、俺も一度信じた相手は絶対に裏切らねぇ。だから心配しねぇで待ってろ」
「ああ。お茶でも飲んで待ってるよ」
「はは、そうしてくれ。じゃあ、行ってくる」
「おい夏袁!!」
「あん?」
踵を返して駆け出そうとした夏袁をシンが呼び止めた。
そして怪訝な顔をして振り返る夏袁に、シンが右手を翳しながらニヤリと笑った。
「手ぶらじゃ格好つかないだろう」
直後、シンの掌に光の粒子が集まり、見慣れた鋼鉄製の棒が現れた。ローエンドルフ城での攻防の際、シンに取り上げられたものだ。
「おい、それって!?」
「お前の忘れ物だ。ほら」
シンから得意の得物を受け取った夏袁は、とても鋼鉄製とは思えない程軽々と、まるでバトンのようにクルクルと振り回してからビタリと構える。
「いいねぇ。やっぱこれだよ!」
夏袁が嬉しそうに笑った。
北淋軍が西寧府にも内密でキングバルト軍と正式に休戦協定を結んだのは、秋も深まった二ヶ月後の事であった。