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見知らぬ空へ  作者: たじま
16/35

12、サマー・バケーション

「どこもかしこも、死体だらけだね……」


瓦礫の山を見渡しながら、赤毛ツインテに赤黒のツートンメガネを掛けた女性が呟いた。その身には黒くカラーリングしたF型のASを纏っている。

『パッタイ』所属、AS第二中隊隊長のリーディアだ。

視線の先にあるのは廃墟と化した街……朝江。

先の作戦から一ヶ月余り。

クラックガーデン基地から最も近いワービーストの街である朝江に、『パッタイ』は再び攻撃を仕掛けていた。

生活を支えるインフラ設備を破壊したにも拘わらず、頑として移住しようとしない住民が多数残っていたからだった。

だから今回の目的は殲滅。


別に三百人程度、なにが出来る訳でもないんだから放って置けばいいのに。


リーディアはそう思うが、軍の上層部の考えは違うらしい。


「ねぇ、ギルちゃん」


さっきから無言で横に立つカルデンバラックに声を掛けると、「作戦中にギルちゃん言うな」と返事が返ってきた。


「二人なんだからいいじゃない」

「……まったく。で、なんだ?」

「なんか……こんな事言うのも変なんだけどさ……」

「うん?」

「ワービーストって言っても、普通の人間みたいだなって思わない?」

「……気が引けるか?」

「まあね」


リーディアが怒ったように返事をした。

なんせ、死体の中には小さな子供を抱えた母子もいるのだ。いくら相手が人類の敵とはいえ気分の良いものではなかった。


「……お前は正直だな」


呆れるというより、はっきりものが言えて羨ましいな。といった顔でカルデンバラックが苦笑いを浮かべた。


「ギルちゃん?」


だがその顔が急に思いつめたものに変わったのを見て、リーディアが怪訝な表情を浮かべた。


「……リーディア」

「なに?」

「お前……ワービーストの感染症って知ってるか?」

「感染症?なにそれ」

「ヘンケルリンクがヴィンランドに帰る前にこっそり教えてくれた。ワービースト特有の病気で、それに感染すると性格が凶暴になるらしい。感覚的には狂犬病みたいなものだって言ってたな」

「知らない。初耳だね。でも、それがなに?」

「因みに、それにかかってないワービーストは理由もなく人に襲い掛かることはないそうだ」

「え……?」


リーディアの表情が固まった。あまりに突然の事に判断が追い付かないのだ。

ワービーストは凶暴で出会ったら殺される。

これはリーディアだけでなく、いわば世の中の常識だったからだ。

だから殺される前に殺せ。

そう小さい頃から教わってきた。

だがカルデンバラックは、感染症にさえ掛かっていなければ人に襲い掛かることはない。そう言っているのだ。驚かない方がおかしい。


「この話……信じられるか?」

「……信じられない。……と、言いたいとこだけど……」


そこでリーディアの言葉が途切れる。

カルデンバラックがリーディアの視線を追うと、先程の母子の遺骸をじっと見つめていた。

その向こうには廃墟と化した朝江の街が広がっている。

確かにこの街には、猿族のように血眼になって向かってくるワービーストは一人もいなかった。それが単に種族の違いではないとしたら……。


「……ギルちゃん」

「なんだ?」

「それが本当だとして……ギルちゃんはどうするの?」

「どうもしないさ」

「バカラ司令に報告しないの?」

「しない」

「なら……私が言ってもいい?」

「やめとけ」

「どうして?」

「バカラ司令はどうだか知らんが、ヘンケルリンクの口振りじゃ、軍の上層部はとっくの昔からこの事実を知ってるようだったな。恐らく知ってて隠してるんだ」

「それって……」

「そうだ。軍の実権を握ってるのは強硬派って事だ。だから余計な事は言うな。どんな難癖を付けてくるか分からんぞ」

「…………」


その時、一発の銃声が遠くで響き渡った。考えるまでもない。また一人殺されたのだ。

リーディアが無言で廃墟の上の空を見上げる。

黒い煙の切れ間から見えるそれは、今にも降り出しそうな雲に覆われていた。


「……なんか、死ぬのがバカらしくなってきたね」

リーディアがポツリと呟いた。

「……ギルちゃんは……逝っちゃわないでよね……」







リンデンパーク。

ローエンドルフ城の北に位置するこの街は、スフィンクスの先代まではキングバルト家の拠点だった。

キングバルト家が感染者の蔓延する大陸西岸を逃れ、北よりこの地に流れ着いて数百年。

ツインズマール、そしてローエンドルフ周辺をスフィンクスの祖父が支配するようになってからもこのリンデンパークを拠点にしていたのだが、スフィンクスはそれを南のリカレスに移した。

猿族に対抗するにはリンデンパークは遠過ぎたのだ。

戦争は外でやれ。決して自分の治める土地で戦うな。

これはスフィンクスの祖父の教えだった。

例え戦争に勝っても、土地や街が荒れては自国の力を削ぐ結果になるからだ。

だが猿族は強かった。

スフィンクスはリカレスに拠点を置き、感染してない種族と同盟を結んで猿族に対抗したが、味方は次々と滅ぼされ、気付けばキングバルト家だけが残っていた。

旧人類と戦火を交えながら片手間にスフィンクス達とも戦い、勝利を納め続ける猿族。

元々この土地に根差した民だっただけに、その人口が多いのが勝因だった。

そんな押される一方だったキングバルト軍に転機が訪れた。

旧人類の先進兵器、ランドシップを手に入れたのだ。

ランドシップのデータベースに納められていた旧人類の科学力は、この数百年進化していないワービーストにとっては驚異的だった。

その先進的な技術を元に改修したローエンドルフ城は、猿族の猛攻を見事に跳ね返して見せた。

これで数で劣るキングバルト軍も猿族に対抗することが出来るようになった。

そんなキングバルト軍に勝利をもたらしたランドシップが今、リンデンパークの郊外に二隻も停泊していた。

濃い青色の船体をした『アイリッシュ』。

そして、カーキ色の船体をした『インジェラ』。

もっとも、『インジェラ』は主砲を始め、武装類を含めて修理中の為、今は使えない状態であったが……。



その『アイリッシュ』の食堂。

時刻は昼過ぎ。

シャングが食事の手を止め、珍しい物を見るような目で前に座るシンを見ていた。

シャングが、


「この暑さは堪らんな。どっか泳ぎにでも行くか」


と冗談のつもりで言ったら、


「ちょうどいい。バカンスに行こう」


と真顔で返されたのだ。

しかもバカンスというくらいだ。ちょっと泳ぎに行くのと違って、泊まり掛けでどこかに行こうというのだろう。


「バカンスって、お前……どこに行く気だ?」

「そら……ランドシップの演習地に、周囲三キロ程の湖があったろ。あそこに行こう」


ランドシップの演習地とはその名の通り、スフィンクスが『アイリッシュ』の為に設定した立ち入り禁止区域の事だった。

場所はツインズマールの北側で、その範囲は広く30キロ四方に及ぶ。

シンの言う通り、あそこには綺麗な湖があった。

周りを森に囲まれており、風光明媚で旅行として行くには最高だろう。だが、そこに向かう為の道はない。


「気軽に言うが、ここから100キロはあるぞ。まさか『アイリッシュ』で行く気か?」

「まさか。『インジェラ』にお遊び用のキャラバンがあったろ。あれで行こう」

「ああ、あれか」


敵地潜行用独立偵察車、通称キャラバン。

そのキャラバンに、シャワールームやベッドルーム、キッチンを備えたキャンピングカーが連結されていた。

恐らくパンナボールかブルックハルトの趣味だろう。

確かに、あれなら単独潜行を前提に作られている為、電源車なしでも行動出来て悪路も問題ない。

造りも堅牢で武装も付いてる。

八人分のベッドもあって、倉庫は広く、簡単なASの整備まで出来るようになっているのだ。キャンピングカーとしては申し分なかった。


「しかし、仕事はどうする? 皆に働かせて自分等だけ遊んでくるのもなぁ」

「なに言ってんだ。他の奴等はこっちに来て直ぐに休暇を取ってる。気にするな。それと、もう族長には許可を取ってある。俺達は湖で三日間のバカンス後、そのままキャラバンでツインズマールに移動だ」

「こっちはどうするんだ?」

「どうするもなにも、『アイリッシュ』は暫く使わん。俺達がいてもしょうがないだろう。それならツインズマールで虎鉄殿の補佐でもしてた方が建設的だ。違うか?」

「まぁ、それはそうだが……」

「決まりだな。出発は三日後。こっちはラッセン艦長とバッカスに任せよう」

「分かった。バッカスには訓練計画を立てさせよう」

「ぶん投げりゃいいじゃないか。子供じゃないんだ、放っとけ」

「怠け過ぎて勘が鈍ったり、余計な贅肉が付いても困るからな」

「ふ……心配性だな、お前は」

「性分だ。仕方ない。それじゃあ俺は通達してくる。またな」

「ああ」







翌日の『アイリッシュ』艦内。

シンに頼み事をしようと思った大牙が急ぎ足で執務室に向かっていた時、廊下の角からフッと現れた女性と危うくぶつかりそうになった。


「おっと、すまん!」


慌てて相手の両肩を支えてやってからギクリとする。

なぜなら、その相手というのがひめ子だったのだ。


「あら……」


大牙に気付いたひめ子が頬に手を当ててにっこりと満面の笑みを浮かべた。


「昨日は随分とお楽しみだったわね?」

「なにがだよ!誤解を招くような変な挨拶すんな!」


大声でツッコんでからしまったと思う。


「あら、だって昨日アレンくんと倉庫で……してたでしょ?」


そう言って首を傾げるひめ子。

案の定、あの流れに持って行かれた。


「なにもしてねぇよ!てか、倉庫すら行ってねぇよ。いい加減、頭の中で変な妄想すんな!」

「もう、照れなくてもいいのに。ちゃんと私達だけの秘密にしておいて上げるわよ」

「なに理解あるキャラ演じてんだ。妄想を事実みたいに語るんじゃねぇ」

「はいはい、分かってるわよ。あなたの中ではそうなんでしょ?」

「なんでオレが妄想してる側になってんだ。やめろ、何で哀れそうな目で見んだ。だから抱き締めて来んな」


などと言いながらも、ひめ子に抱き付かれて頬が赤くなる大牙。

そんな大牙の態度に満足したのか、


「ふふ、大牙くんは直ぐ顔に出るから好きよ」


と言って身体を離すひめ子だった。


「まぁ、冗談はさておき……丁度良かったわ。実は大牙くんに先生から伝言預かってて」

「前置き長いんだよ。で……?」

「あ、その前に……私もお願いがあるんだけど……」

「ひめがお願い?なんだよ」

「今度、モデルをしてくれないかしら?」

「モデル?……なんの?」

「なんのって……勿論、料理のよ?」

「なんで『そんな当たり前の事聞くの?』って顔してんだ。料理とモデルなんて全く関連ねえだろ!」

「あら、そんな事ないわよ?モデルがその場に居てくれるだけで料理って捗るものよ?」

「なんでだよ!モデル邪魔なだけだろ。だいたいひめの事だ、裸でとか言うんだろ?そんなのお断りだ!」

「まさか。その場に居てくれるだけでいいわよ。勿論、ただとは言わないわ。みんなで作ったスィーツ食べ放題よ?どうかしら」

「どうかしらって言われても……みんなって事はサナとチカも一緒だろ?絶対、ろくでもない事になるよな……」

「ずいぶんと失礼ね」

「いや……それは、まぁ……。つか、それ以前に男の俺なんかがモデルしたって誰も喜ばねぇだろ?」

「そんな事ないわ。喜ぶわよ?」

「そうか?」

「私がね」

「みんなじゃねえのかよ!」

「勿論、みんなも喜ぶわよ。だってお気に入りですもの、大牙くんは」

「……お気に入りって、どうせ妄想のだろ?」

「妄想をバカにしないでちょうだい。妄想はあくまでも切っ掛け。そこから新たな料理が色々と閃くのよ」

「閃く……?どんな?」

「例えばそうね……裸の大牙くんが、下ろし金で股間を隠しながら擂り粉木握って爽やかに笑ってるところを想像するでしょ?」

「どんな想像してんだ!だいたい、裸ってところが既におかしい……って、おい!なにこんな所で勝手に妄想に浸ってんだ。おい、帰って来いって!おい……」


ひめ子の両肩を掴んでガックンガックンと激しく前後に揺さぶる大牙。

だがひめ子は焦点の合わない虚ろな瞳で空中を見つめたまま、弛緩した表情で、


「うふふ。ダメよ……生クリーム好きなんでしょ?」


と呟いている。

はっきり言って完全に逝っていた。

このまま放り出してやろうか。

本気で大牙がそう思った時、


「はぅ!!」


と悲鳴を上げて、ひめ子がその場に座り込んだ。


「お、おい……大丈夫か?」


大牙が心配して恐る恐ると声を掛ける。

すると、


「閃いたわ!」


と言って突然立ち上がり、大牙の右手を両手でがっちり握りしめた。

なにを閃いたのかは知らないが、とにかく満面の笑顔だった。


「こうしちゃいられないわ。またね、大牙くん!」


ひめ子はそう言ってにこやかに片手を上げると、踵を反して立ち去って、


「ちょっと待て!先生の話がまだだろうが!」


しまう前に、大牙が慌ててその手を掴んだ。

するとどうだろう。

ひめ子はおかしそうにクスッと笑ってから、ゆっくりと振り向いた。

その顔はいたずらが成功したからか、満面の笑顔だった。その表情に一瞬ドキッとする。


「ふふふ……もう、冗談に決まってるじゃない。本気にしないで」

「お前の場合、どこまで冗談か分からねぇんだよ……」


そう言って仏丁顔をする大牙を見ると、ひめ子は笑い顔を納めてやっと本題とやらを話し出した。


「ふふ……実はね、明後日からみんなでキャンプに行くんだけど、大牙くんもどうかと思って」

「みんなでキャンプ?」

「ランドシップの演習場に綺麗な湖があるのよ。先生がそこで二泊三日のキャンプをしようって」

「へぇ、因みにメンバーは?」

「こっちにいる、いつものメンバーよ」


〈って事は、先生、アクミ、アム、それとサナとチカとカレンに春ってとこか。男だとシャング隊長にレオとアレンか……〉


「でも俺……とっととツインズマールに来いって親父に急かされてんだよなぁ」


そう言ってポリポリと頬を掻く大牙。

実は『アイリッシュ』をリンデンパークに移動させる際、本来なら獣化のできる大牙は戦力として獣兵衛やパンチ、次狼と一緒にツインズマールに残ることになっていた。

しかし大牙は、


「親父と一緒に居残りなんて、絶対ろくな事ねえ!」


と言って、なに食わぬ顔で『アイリッシュ』に乗り込みリンデンパークに逃げたのだった。

後からそれを知った虎鉄は当然怒った。

そして今朝、三日以内に来ないならこっちから行くぞ!とまで言われ、仕方なくシンに取り成してもらおうと思って大牙は『アイリッシュ』に来たのだった。

だから行きたいのは山々だが、親父の一件が片付かない事には返事のしようがなかったのだ。


「面白そうだから俺も行きてぇんだけど……」

「あら……それじゃあ、しょうがないわね……」


残念そうな顔をしてひめ子が頬に手を当てる。


「せっかく昨日、みんなで新しい水着を買いに行ったのに……」


ピク!


「そうそう……アクちゃんったら、すっごい大胆なビキニ買ってたのよ」


ピクン!


「色は白とピンクで、布地が少ないのはもちろんなんだけど、上も下もリボンで結ぶだけなのよね。あれって、泳いでてほどけたりしないのかしら?」


ビクンッ!


「そして夜は焚き火を囲んでキャンプファイア。みんなで夜遅くまで楽しくお喋り。一気に親睦が深まりそうね。カップルが誕生しちゃったりしてね」


ビクピク!


「カップルかぁ……きっと、みんなが寝静まってからこっそり抜け出して湖に行くんでしょうね。二人で湖畔に腰掛けて夜空を見上げる。そこには眩いばかりのお月様と綺麗な星空。いいなぁ……さぞかしロマンチックな夜でしょうね」


もんもん。


「吹き渡る夜風が頬を撫でる。寒くないか?そう言って抱き寄せると、彼女は「……ありがと」そう言って遠慮勝ちに肩にもたれ掛かってきた。途端に香る彼女の髪の匂い。つい抱き締める腕に力が入ると彼女は抵抗することなくその身を委ねてきた。触れ合う肌と肌。高鳴る胸の鼓動。無言で見つめあう瞳と瞳。……やがてお月様だけが見守る中、二人の距離は徐々に縮まっていって…………っと、いけないいけない。妄想してる場合じゃないわね。ふふ……それじゃあ大牙くん、ごきげんよう!」


「行く……」


「はい?」

「分かったよ!行くって。いや、行かせて下さい!」


大牙が降参してお願いすると、ひめ子は嬉しそうな目で頷いた。


「うんうん。素直な大牙くんって大好きよ」







「うわぁ!綺麗な所ですね!」


キャラバンを降り立ったアクミが景色に惹かれるようにして湖畔に駆け出した。

目の前には太陽を反射してキラキラと光り輝く水面と蒼く澄んだ湖が広がっている。

岸辺には緑の木々が立ち並び、時おり吹く風が地面に落とした影を心地良さ気にゆらゆらと揺らしていた。

そして見上げれば抜けるような青空に白くて大きな雲がプカリと浮いている。


「アムちゃん達は、いつもこんナニ素敵な所で訓練してたんですか?ナンとも羨ましい」


遅れて付いてきたアムを振り返ってアクミが呟いた。


「あはは……でも訓練で水面を通過したことはあるけど、降り立ったのは私も初めてよ。みんなそうじゃないかな」

「そうナンですか?」

「そりゃそうよ。訓練中にこんな所で油を売ってたらシンの雷落ちてるわよ。けっこう怖いんだから」


そう言って笑うアム。


「へぇ……先生の雷なんて想像できませんけど……怒る事もあるんですね」

「まぁね。普段は絶対怒んないけどね」


二人で顔を見合わせた後、後ろを振り向いてシンの姿を追えば、大牙達を指図しながら十人位は入れそうな大きなテントを張り始めていた。

白い十字が入っているところを見ると医療用テントなのだろう。大きい訳だった。


「おや、いつの間に……私達も手伝いましょう」

「そうね」


苦笑いを浮かべて頷きあってからシンの元へと駆け出す二人。

アクミとアムに向かってシンが手招きをしていたのだ。


「すみません先生、ちょろっと景色に見とれちゃいました。ささ、後は私に任せて、先生は指示だけしててくださいな」

「そんな気を使うなアクミ。これはこれでリハビリにちょうどいい。それよりアム、それとカレンも。すまんがAS使って、湖周辺とベースキャンプを中心にセンサーの設置を頼む。大丈夫だとは思うが、一応ツーマンセルでな」

「オッケー」

「了解」


笑顔でサムズアップしたアムと、こくんと頷いたカレンの二人がその場でASを展開する。

そして無言で頷き合うとキャラバンの向こうへと飛び去って行った。ベースキャンプ周辺から設置するつもりなのだろう。

それを見届けてからシンはアクミと二人でピンッと張ったロープをペグで地面に固定し始めた。



「さて……」


出来上がったテントを満足気に眺めてからシンが側にいたアクミ達を振り返る。


「男はテントでいいとして、お前達はどうする?」

「はい?どうするとは……?」

「キャラバンの中は安全だ。夜はそっちのベッドで寝るか?」

「先生……ナニが悲しくて大自然の真っ只中、窮屈な四段ベッドで、ハムスターみたいに折り重なってビクビク怯えて寝なきゃいけないんです。当然、私達もテントです。ね、みなさん?」

「そうじゃな」

「アクちゃんや春ちゃんがいれば安心です」


振り返ったアクミに春麗とチカが即座に同意した。

まぁ確かに、アクミと春麗が獣化出来る上にアムとカレンも即座にASを展開出来るのだ。仮に何者かに襲撃されても返り討ちだろう。


「分かった。大牙、レオ、アレン。すまんがもう一戸テントだ」

「「了解」」

「私も手伝いましょう!」


アクミ達四人が新たなテントを取りにキャラバンの倉庫に入ると、それと入れ違いにシャングが中から出て来た。小脇に折り畳まれたタープを抱えている。


「シン、これの設営手伝ってくれ」

「分かった。ひめ子達はテーブルと椅子でも運んどいてくれ」

「はい」

「了解~(です)」

「春。すまんが、このポールを真っ直ぐ立てといてくれ」

「そんなのお安いご用じゃ」

「大牙、女用のテントはキャラバンに寄り添ように設置してくれ。その方がなにかと便利だろう」

「了解」


それはシンのちょっとした気遣いだった。

なんせここは大自然。トイレはキャラバンにしかないのだから。

こうして三日間過ごすベースキャンプがあっという間に完成していくのであった。



「よぉし!じゃあ、とっとと着替えて遊ぼうぜ!」

「ナニ言ってんです。アムちゃんとカレンちゃんがまだ帰って来てませんよ」


ベースキャンプの設営が終わるや否や、ウズウズしながら一同を振り返った大牙にアクミが釘を刺す。


「あ!そっか、悪りい悪りい。つい浮かれちまった」

「まったく……」

「いや、構わんぞ。もう終わってこっちに向かってるそうだ。……そら来た」


インカムで連絡を取り合っていたのだろう。

シンが答えた直後、木々の間から滑るようにして碧瑠璃とシュバルツ・ローゼの二機が姿を現した。


「お待たせ~!」

「お疲れさん」

「お疲れ様ですアムちゃん、カレンちゃん」


みんなに出迎えられながらASを解除したアムとカレンは、シンの前に立つと芝居掛かった仕草でビシッと敬礼した。


「報告、ベースキャンプを中心に半径50メートルと300メートルの半円上に警戒ラインを設定。センサー設置は内側は50メートル、外側は90メートル置きです。湖周辺は岸から50メートル離して100メートル置き。……充分でしょ?」


報告後、敬礼したままアムがニコリと笑ってウインクすると、シンも笑って敬礼した。


「充分だ。じゃあ、遊ぶか!」

「「いえ~い!!」」


シンが一同を振り返って宣言すると大きな歓声が上がった。


「みんな……テントが広いし、あそこで水着に着替えちゃいましょ」

「行きましょう、行きましょう!」


ひめ子に続いてサナ、チカ、春麗と次々テントに消えて行く中、最後に残ったアクミが入口で後ろを振り返って大牙を睨んだ。


「大牙くん。分かってると思いますが、もし覗いたりしたら人体に206本ある骨という骨を全部へし折りますからね?」

「しねぇよ!てか、怖ぇこと言うな!」





水着に着替えたアクミとアムがテントを出ると、一足先に着替え終わっていた春麗が、なぜか湖に腰まで浸かって大牙と対峙していた。しかもシリアス顔で……。


「アクちゃん、あれ……なにやってると思う?」

「さぁ? 大方、クラゲの観察でもしてるんじゃないですか?」

「湖にクラゲはいないでしょ」


アムの真面目な質問に首を傾げながら適当な事を答えるアクミ。




およそ10メートルの距離を置いて対峙する春麗と大牙。

しかも、その身は既に獣化している。


「ふ、大牙よ。虎族の体術の真髄はその華麗な足捌きにある。それを封じられては、もはや汝に勝ち目はあるまい」


春麗はそう言ってニヤリと笑うと右手を軽く一閃させた。

だが、たったそれだけで衝撃波が水面を走り、大牙の頬を浅く切り裂いた。


「くっ!」

「ふん、手も足も出まい?」


勝ち誇った顔の春麗が一歩近づき、今度は左手を一閃させる。

すると先程と同のように水面を走った衝撃波が、今度はさっきよりも深く大牙の肌を切り裂いた。


「ぐっ!」


勝利を確信した春麗が一歩、また一歩と、ゆっくりと大牙に近づいていく。


「妾が一歩踏み込む度に、汝を深く、醜く切り裂く!」

「ぐあっ!」


大牙も左右の腕を顔の前でクロスさせてなんとか耐えるが、春麗の攻撃は執拗だった。

成す術もなく防戦一方の大牙。

だが、大牙はその時を静かに待っていた。

油断した春麗が、己の間合いに入る瞬間を。


〈今だ!〉


その瞬間、大牙は「ふんっ!」と水面を両手で強く叩いた。

そして一瞬の浮力を得ると、それを利用して逆立ちをするようにして両足を水中から引き抜き、前方宙返りをしながら空中高くに舞い上がる。

それはあたかも、翼を広げて水面から飛び立つ水鳥のようだった。


「……美しい」


水飛沫をキラキラと反射させながらゆっくりと両手を広げていく大牙。

その光り輝く華麗な光景に、春麗は一瞬我を忘れて見とれてしまう。

だが、それが命取りとなった。

大牙の目がギラリと光る。


「アウトォオオオーーーーーーーーーッ!」

「うぽはっ!?」


両手を広げて空中に舞った(要は無防備な)大牙の脇腹に、アクミのドロップキックが炸裂して『ドパンッ!』と衝撃波が拡散した。

吹き飛ばされた大牙は舌でも噛んだのか、血飛沫を撒き散らせながら、三回、四回、五回と水面を跳ね、そのまま盛大な水飛沫を上げて着水すると、最後はプカリと浮いてきた。


「あんた!ナニ綺麗な湖に汚い血液垂れ流してんです。見なさい!あんたの汚く汚染された血液に当たったお魚が、プカプカプカプカ浮いて来ちゃったじゃありませんか。どうしてくれんです!!」

「アクミよ……恐らく大牙には聞こえとらんぞ? それとこの魚……さっきの衝撃波が原因じゃないかの?」


遥か沖合いをプカプカ漂う大牙に怒鳴りつけるアクミ。

そのアクミに春麗が冷静にツッコむと、今度はくるっと春麗を振り向いて右手の人指し指をピンッと立てた。


「だいたい、春ちゃんも春ちゃんもです。ナニ勝手に古の書物、北斗の〃ピー〃ごっこしてるんです。無許可ですよ!」

「はは……すまんの。つい興が乗ってしまっての」


春麗はアクミの剣幕に思わず苦笑いを浮かべると素直に謝罪するのだった。





突然駆け出したと思ったら大牙にドロップキックをぶち噛まし、その場でなにやら説教を始めたアクミ。

そして苦笑いを浮かべながらもアクミの説教に耳を傾ける春麗。

そんな二人をアムが羨ましそうな瞳でじっと見つめていた。


「……ワービーストって……なんであんなにスタイルいいんだろ……」

「別にそんなことはない」


アムの呟きに、遅れて着替えの終わったカレンが真顔で答えた。

そのカレンの水着姿(黒のワンピ)をチラリと見てからアムがにっこり笑う。


「そうよね。カレン見てたらなんか安心したわ」

「失礼な。私はまだ発展途上なだけ」

「発展途上ねぇ……」

「なに?」

「いや……私もそうなら良いのになぁ……ってね」


口を尖らせるカレンを無視して、アムが両手をそっと胸に当てる。

アクミも春麗も巨乳という訳ではないが、スタイルが良く、引き締まっていることもあって、サイズはCでも見た目は大きく見えた。

ひめ子に至っては言わずもがなだ。

自分もここ一年で育ったとはいえ、それでもサイズはB止まり。

BとCのワンサイズの差は、見た目で言えば小さいみかんと大きいりんご程の開きがあった。

まぁ、昔の食べ終わったみかんの皮(Aカップ)よりは全然マシになったのだが。


「アムは気にし過ぎ。女の価値は胸で決まるものじゃない。……と、思う……」

「そりゃ、そうなんだろうけどさ。……でもやっぱ、ある方が水着映えもするし、あって損はないと思うのよね。……きっと、シンもその方が……」


「俺がなんだって?」

「うわぁあ!?」


突然シンに声を掛けられ、アムが驚きのあまり飛び上がる。


「シ、シン!?いつからそこに……?」

「たった今だ。それより俺がなんだって?」

「な、なんでもない、なんでも。あは、あはははは……」

「二人でちょっと、胸の無さを嘆いていただけ……」


「きゃぁあああーーーーーーっ!? ちょ、ちょっとカレン!」


両手をパタパタ振って誤魔化してたアムが慌ててカレンに飛び付いた。

それを見て、「はぁ……」と呆れたように嘆息するシン。


「なんだ、そんな事気にしてるのか?」

「そんな事ではない。女にとっては死活問題」

「死活問題って……たかが胸で大袈裟だな」

「シングレア隊長……女はその〃たかが〃で一喜一憂する。だから参考までに聞かせて欲しい。シングレア隊長の好みのサイズを」

「好みのサイズ?」

「そう。やっぱりシングレア隊長も、胸はCとかDとかないとダメな口か?」


カレンが真顔でシンを見つめる。

いつの間にか、じっと聞き耳を立てていたアムも同様だった。

そんな二人の視線を受けてシンが再び溜め息を漏らす。


「あのな、お前等……男は別に女の胸に惚れる訳じゃないぞ?極論すれば、胸のサイズなんかどうだっていいんだ」

「そ、そうなの?」

「当たり前だろう。好きになった女の胸が小さいからって嫌いになる訳ないだろう。そんなの引っ括めて好きになってんだ。お前等だってそうだろう?」

「女は別に男の胸などどうでも……ハッ!? も、もしや下のサイズ!?」


カレンが真っ赤な顔して後去る。


「バカ、どこ見てんだ。女の場合は身長とかだろ」

「身長……?」

「そうだ。例えば好きになった男がいたとして、その後自分の身長が伸びて男に追い付いたからって嫌いになるか?」

「言われてみれば……」

「だろ? 男も一緒だ。好きになっちまえば胸なんかどうでもいい。惚れた女の胸ならどんなサイズだって受け入れる。それが男だ」

「なるほど。ちょっと納得。でもそれは先ほどの答えになってない」


「うっ!?」


「さぁ、すばり答えてほしい。シングレア隊長の好みのサイズを」

「お、俺はその……」

「俺はその?」


「お、大きすぎるよりは……手のひらに……収まるくらいが……」

「おお!」

「て言うか、こんな事言わすな!!」


言い終わってから急に恥ずかしくなったのだろう、シンが照れ隠しに怒鳴ると、そこに着替えの終わったアレンが近づいてきた。



「隊長、倉庫に水上バイクが二台ありますが、あれは使っても?」

「水上バイク!? 兄様、それは本当か?」


カレンが両目を輝かせて再びシンを見つめる。もう胸の事などどうでもいいらしい。



「ああ、構わんぞ。好きに使え」

「了解。行くぞ、妹よ!」

「承知!」



シンの許可が出るや、カレンはアレンと一緒になって全速力でキャラバンに駆けて行った。それを無言で見送る二人。

話題が胸の話だっただけに、アムはシンと二人になるとちょっと照れて気まずかった。


「その……アム?」

「な、なに?」

「水着……似合ってるぞ」

「あ、ありがと……」


顔を赤くして俯き、右手で髪の毛をくるくると弄ぶ。

胸に自信がないので前の布地は広くて大きいが、碧瑠璃をイメージさせる鮮やかな青と黄色の花柄のビキニは正直気に入っていた。

だから誉められて嬉しい筈なのだが、ちょっと大胆かな?

と思いながら買った事もあり、面と向かって誉められると、それはそれで照れるアムだった。

シンの好みのサイズを知ったあとだと尚更だ。



「先生!アムちゃん!!」

「うお!」

「きゃあ!」


そんな二人の背中に、突然アクミが飛びついた。


「おや? アムちゃん、ナニやら頬が赤いような?」

「えっ?……き、気のせい気のせい。あはははは……」

「そうですか?まぁいいです。それよりどうです、先生?」


そう言って腰に手を当てて胸を反らすアクミ。

白いビキニにピンクのアクセントが入っているところが、いかにもアクミって感じでバッチリ決まっていた。


「ああ、似合ってるぞ」

「ふふん。ありがとうございます、先生」


シンに誉められてにっこり笑うアクミ。

普段からスタイルに自信があると公言しているだけに、こちらはちっとも照れはなかった。


「アクちゃん!アムちゃん!」

「おや、みんな来たようですね」


サナの呼ぶ声にアクミが振り向くと、ひめ子にサナにチカ、それとレオの四人が近づいて来るところだった。

だがなぜか、ひめ子がなにかを探すようにキョロキョロと辺りを見回している。


「アクちゃん、大牙くんが見えないようだけど?」

「あぁ……ナンか一人で遠泳行くって言ってましたよ?」


と、シレっと答えるアクミ。

ひめ子に言われて大牙がいない事に初めて気付いたのだろう。レオが湖を見回した。

そしてある一点で視線を止めると、「あれですかね」と言って遥かな沖合いを指差す。

みんなが一斉に指差す先を見つめる中、アクミが小さな声で「ちっ」っと舌打ちした。


「なんかプカプカ浮いてますね。一体なにしてるんでしょう?」

「さぁ……? 夕飯で食べるロブスターでも捕まえてるんじゃないんですか?」


レオの疑問に対して、飽くまで惚けて答えるアクミ。


「そ、そんな事より泳ぎましょうよ、みなさん!」

「そうですそうです。早く行きましょう!」


これ以上大牙に触れられたくないアクミは両手をパチンと叩いて話を強引に打ち切ると、凄く良い笑顔で提案した。

それに乗っかるサナも浮き輪を持って準備万端だった。


「まぁ、確かにそうねですね。行きましょうか」

「「おぉーーーっ!!」」


レオが同意するや、右手を突き上げてバシャバシャと湖を突き進んで行くサナ。アクミとレオもそれに続く。

シンとアムは顔を見合せて微笑むと、ひめ子とチカを促して後に続くのだった。




「うわぁ……け、結構冷たい」

「あぁ、でも直ぐに慣れるぞ」


胸まで水に浸かりながら、爪先でチョンチョン水底を蹴って浮かび上がり波間に漂うアム。


「ちょ、ちょっと深くない?」

「そうか?」

「シンは身長あるからよ」

「泳げば一緒だろ?」

「お、泳ぐのは……もうちょっと慣れてから?」

「でも、アムちゃん……プカプカプカプカ浮いてるだけじゃつまらないですよね?」


ちょっと沖まで泳いで戻って来たアクミがアムに尋ねる。

確かにアクミの言う通り、風があって波が立ってるとはいえ、遊ぶにはちょっと穏やかだった。


「そうだ!カレンちゃーーーーーーん!!」


「……?」

と、水上バイクで沖合いを疾走していたカレンが首を傾げる。


「ビッグウェーブ!カモーーーーーーン!!」


「承知」

頷くと同時に急旋回したカレンの水上バイクが見る見るアクミ達に急接近する。

そしてほんの10メートル先を猛スピードで通過して行った。


「ちょ!?」

「ほらほら、波が来たぞ。跳べ、アム!」

「うわぁ!ちょ……おっきいよーーーぷぁ!」


盛り上がった波に合わせて二人同時にジャンプしたが、シンより身長の低いアムは顔半分が波に沈んだ。


「うぅ……シン、もうちょっと浅い方に……」

「ほらほら、次来たぞ!」

「え?」


アムが後ろを振り向くのと同時、今度はアレンの水上バイクが猛スピードで通過して行く。


「ひゃあ!」


アムは悲鳴を上げながら急いでシンの背中に回り込むと、その肩に両手を置き、腕の力も利用してさっきより勢い良くジャンプした。


「おまっ、ちょっ……っぷ!」

「あはははは……きゃあ!」


アムのせいでジャンプが出来ないどころか、身動きも出来ずにモロに波を被ったシンは、意趣返しとばかりそのまま水中に屈み込んだ。

そして、びっくりして手を離したアムの足の裏を両手で掴むと、屈んだ状態から勢い良く立ち上がる。


「そ、りゃーーーーーー!!」

「うわぁーーーーーー!?」


ロケットのように空中に投げ出されたアムは尻餅をつくような格好のまま落下し、盛大な水飛沫を上げて水中に沈んでいった。

そのまま暫く水面を見ていると、アムがシンの目の前にプカリと浮いて来た。……口を尖らせたまま。


「ははは……」

「酷いよね……」


だが、それを見ていたアクミの目は爛々と輝いていた。


「先生先生、私もそれ、お願いします!」


シンは笑いながらアムの頭を撫でると、アクミに振り向き「よし、行くぞ!」と言って水中に潜った。直後、アクミが水中から飛び出す。


「ひゃっ、ほーーーーーー!!」


アムよりも身軽なアクミはシンの腕が伸びきる瞬間、自らもジャンプして空中高くに舞い上がると、クルッと一回転して頭から水中に飛び込んだ。

今度はそれを見ていたサナが期待に満ちた目でレオを振り返る。


「レオくん、あれあれっ!私もお願い!」

「オッケーです。任せて下さい」


そう言ってにっこり笑ったレオが水中に潜った。

そして一拍遅れてサナが水中から飛び出す。

だがシンと違ってレオはサナの足の裏を掴んで離さなかった。


「こ、れ、で、ど、う、で、すーーーーーーーーーっ!」

「ちょっとレオくん、違う違う……足は離してーーーーーーっ!!」


足場の悪いレオの手の上で両手をバタバタさせて必死にバランスを取っていたサナだが、その健闘も虚しく「うばぁっ!」と短い悲鳴を上げて頭から倒れこむ様にして湖に突っ込んだ。

その時のサナの悲鳴が余りにおかしくて、みんなはいつまでもいつまでも笑い続けるのだった。







「なんだお前等、年寄りくさいな。泳ぐんじゃなかったのか?」


木陰にサマーベッドを持ち出して早くも休憩モードに入っていたシャングと春麗にシンが声を掛けると、


「あの波でか?」


と苦笑いが返ってきた。

湖では復活した大牙を始め、アクミ、レオ、アレン、カレンの五人が水上バイクでレースを始めていたのだ。

因みにひめ子とサナとチカの三人は木陰でバドミントンをしている。


「ところでアム、それはなんじゃ?」


シンとアムが小脇に抱えたボードを指差して春麗が興味深気に尋ねた。


「ウェイクボードよ。春ちゃんもどうかと思って」

「ウェイクボード?」

「そうだ。その反応じゃ知らないようだな」

「うむ、知らん。が、妾は器用じゃ。見本を見せてくれれば出来るじゃろ」


凄い自信だった。


「なら見せてやる。アム」

「オッケー」


シンは手に持ったボードとロープを春麗に手渡すと、アムを促して水辺へと移動した。

そしてASを展開して月白をその身に纏うと、ボードを履いたアムからロープの先を受け取り、それを握って湖の沖合いへとホバリングで移動する。


「行くぞ、アム」

「いいよ!」


アムが返事をするや、シンの月白がゆっくりと加速した。

それに引っ張られてボードに乗ったアムが水面を滑り出す。

そして、およそ30キロのスピードを保ったまま湖の沖合まで移動すると、シンがレース中の水上バイクの位置をチラリと見てからアムを伺った。

それにアムがコクリと頷く。


「春ちゃーーーーーーん!行っくよーーーーーーっ!!」


直後、シンの月白がクンッと進路を変えて水上バイクの作った曳き波の上を通過した。

遅れてアムのボードが曳き波に突っ込む。


「それっ!」


その曳き波を利用して、アムが華麗にロールジャンプを決めた。

そして見事着水すると、そのままスラロームしながら曳き波を利用して小さなジャンプを次々と決めていく。

それを見てシンとアムの意図を理解したのだろう。アクミが楽しそうに笑いながら水上バイクをシンの月白に並走させた。

アムの目の前をさっきよりも大きな曳き波がうねる。

その曳き波を利用して、先程よりも大きなジャンプを次々と決めていくアム。それはもう楽しそうに。


「おもしろい!行くぞ、シャング!」

「あ、ああ」


目を爛々と輝かせた春麗に手を引っ張られ、シャングがベッドから立ち上がった。







「さぁ、今日は野菜を食べろナンて野暮は言いませんよ!心行くまでガッツリ肉を召し上がれ!!」


「「おおーーーーーーっ!!」」


アクミの掛け声と共に網焼きのステーキ肉が解禁になり、みんなが一斉に群がった。


「はいはい、こっちはオーソドックスに塩コショウです。お好みでガーリックパウダーをどうぞ!あ、サナちゃん。そっちはタレ焼きですんで、まだ味付けしてませんよ!」

「アクミよ。妾の釣ったトラウトじゃ。端っこで焼いてくれ」

「春ちゃん、網の上だと焦げちゃうんで下にぶっ刺しときましょう。この火力なら、そう時間も掛からずに焼けるでしょ」

「こうか?」

「そうそう。後は適当にお肉でも食べてれば焼けますよ」

「アクちゃんはどれ食べる?」

「私はその辺のを適当にへずってますんでお構いなく。それよりアムちゃん、先生とシャングさんに一本づつ持ってってください!」

「うん、これがそう。じゃあ持ってっちゃうね」

「お願いしまっす!あ、ひめちゃん。そっちのベーコンブロックも焼いちゃいましょう。え? 切らないのかって? そんなのいりませんよ!ワイルドに行きましょう。ワイルドに!」

「アクミ、そっちのタレ焼きもくれ!」

「むむ、早いですね大牙くん。それ、持ってきなさい!」

「サンキュー」

「大牙、俺にも分けてくれ」

「じゃあアレン。ナイフで切っちまおうぜ」

「そうするか」

「美味」

「アクちゃん、このとうもろこしも焼きませんか?」

「いいですねレオくん。ナイスです。お醤油漬けて焼きましょう。そっちの方使ってください!」

「了解です」

「アクちゃん、こっちのフランク貰っちゃいますです」

「どうぞ~。さぁて、ジャンボ焼き鳥はっと、モグ……あっつ!……ハフハフ……モグ……モグ……うん。……モグモグ……でも……いい塩加減……ゴックン。……ふぅ……。さぁ、焼き鳥も焼けましたよ!こっちは塩です。おいしそうだからってガブっていくと、中から熱い汁がピュピュッ!と出て火傷しますからね。注意してください!……まるで、デートの邪魔する空気の読めない大牙くんみたいですね(ボソッ)」

「なんだと!」

「アクちゃん、そろそろご飯炊けたんじゃないかしら?」

「マジっすか?焼き鳥食べてる場合じゃないですね。じゃあ、ちょろっとおにぎり作ってきますんで、ひめちゃんここお願いします」

「はいはい」

「アクちゃん、私も握るの手伝うよ」

「じゃあ、お願いします」

「アクミ!アム!この肉を持っていけ!一口大に切っといた」

「ありがと、アレンくん」

「いただきます。じゃあ、ちょっくら握ってきますね。行きましょうアムちゃん」

「うん!」




「……あいつらタフだな」

「なに言ってんだ。こんなのASの訓練に比べたら、正にお遊びみたいなもんだろ」

「いや……そりゃ、そうだが……」


キッチンに元気に駆けて行く二人を眺めながらシャングが呟くと、串に刺したステーキ肉をかじりながらシンが指摘してきた。

確かにシンの言う通りではあるが、楽な訓練などないのだ。それでは訓練の意味がない。

だから訓練と比べるのがどうかしてる。

まぁ、そんな事をわざわざ言い返さずともシンだって分かって言っている筈だ。

要は爺臭い事を言うなって事なのだろう。

そんなことを考えながら今度はシンの顔を見る。

コイツはコイツで元気だった。


「しかし、今日は遊んだな。こんなに羽目を外したのは何年ぶりだか」

「お前もあいつらに負けず劣らず元気だな」

「いや、さすがにクタクタだ。右手がパンパンで痛いよ。悪化しなきゃいいがな」


なんせあの後、シンとシャングは昼を挟んでほぼ一日、アクミ達のウェイクボードを引き回していたのだ。

いくらASがあったとはいえ筋肉痛は免れないだろう。

ワービーストの体力には脱帽する思いだった。


「ふっ……でも痛い割りにずいぶんと嬉しそうな顔してるぞ?」

「まぁ、楽しかったからな」


そう言って縫い痕を擦りながら心底楽しそうに笑うシンをシャングがまじまじと眺める。


「なんか……この一ヶ月でずいぶん変わったな、シン」

「そうか?」

「ああ、変わった」

「どんな風に?」

「大雑把になったというか、いい加減になったというか……」

「バカにしてんのか?」

「いや誉めてるんだ。いい感じにおおらかになったというか……昔に戻った感じだな」

「まぁ……怪我していろいろ考えさせられたからな」


食べ終わった串を地面に突き刺しながらシンが苦笑いを浮かべた。

不自由だったこの一ヶ月でも振り返っているのだろう。


「はは……で、考えた結果があれか?」

「仲間がいるんだ。自分一人で気張って、なんでもかんでもやる必要はない。もっと気楽に行こう。それが結論だな」

「気楽にって……指揮官はある程度の緊張感は必要だと思うがな?」

「それだ。考えた結果、それは俺の役目じゃないって気付いたんだ。それはお前の役目だ」

「おいおい、俺に丸投げか?」

「別にそういう訳じゃないさ。ただ二人であれこれ考えて、いちいち備えてもしかたないだろ。俺はなってもいいように心構えだけしとく。後は……」

「後は?」

「お前がグダグダ悩んだ時に、一発ぶん殴って目を覚ましてやるのが仕事かな?」

「ひでぇ話だ」


シャングが呆れた顔でシンを見た。

こいつの場合、冗談に聞こえないのが恐ろしい。

と言うか、シャングを見てニヤリと笑ったとこなど、半分以上本気なのは明らかだった。


「だからまぁ……お前も一人で背負い込まず、みんなの手を借りればいいって事だ。そうすりゃ俺に殴られずに済む」

「おいシン、うまく纏めたつもりかも知れんが、結局苦労するのは俺だけって事じゃないのか?」

「ふ……分かるか?」

「当たり前だろう」

「ははは……ま、諦めろ」

「……まったく」


シャングは、はぁ……と溜め息をつくと、串に残った最後の一切れに食いついた。そして、

まぁ……これが俺の運命か……。

と、諦めとともに笑うのだった。


「なんじゃお主等、こんな所に男二人で。たくさん食わんと体力戻らんぞ?」


声を掛けられ振り向くと、春麗が歩み寄って来るところだった。両手には焼けたばかりの魚の塩焼きを握っている。


「そら、二人にこれをやろう。食うがよい」

「お、すまん」

「こりゃまた、うまそうだな」


表面がこんがりと焼けた魚は、裂いた腹の中まで火が通り、白身魚とは思えない程の油が滲み出ていた。

そして粗塩を振って白く化粧した背ビレと薄皮が嫌でも食欲をそそる。

なんだか雑誌に出てそうな、完璧な魚の串焼きだった。

二人はゴクリと唾を飲み込むと、大きな口を開けてかぶりついた。


「「うまい!!」」


「そうじゃろ?なんせ釣りたての焼きたてじゃ。うまいに決まっておる」


春麗が得意気に笑った。

適度に油の乗った旨味のある熱々の白身と焼けた皮の塩味が絶妙だった。


「この魚、さっき春が釣ったんだよな?」

「うむ。妾はこう見えて狩りは得意じゃ。明日は鹿でも捕まえてくるか?」

「そんなに肉があっても食えんよ」

「シン、なにを情けないこと言っとる。男ならガンガン食わんか。でないと明日一日持たんぞ?」

「そうですよ。たくさん食べて明日に備えてください、先生」


そこに両手にお盆を持ったアクミが近づいてきた。お盆の上には握りたてのおにぎりが山と積まれている。


「はい、先生。この一番上のをどうぞ」


差し出されたお盆からアクミの指定したおにぎりを受け取るシン。

それを見届けたアクミは、今度はシャングと春麗に向き直った。


「ささ……シャングさんと春ちゃんもどうぞ」

「おう」

「すまんの、アクミ」

「いえいえ」

「なんか、俺のだけずいぶんとデカくないか?」


シンが二人のおにぎりと見比べながら呟いた。

どう見ても、シンのおにぎりは他のおにぎりに比べて二回りは大きい。

おまけに、てっぺんからはいつの間に揚げたのか、鳥の唐揚げが顔を出している。


「ふふん、先生のは特別に山賊おにぎりです。唐揚げの他に昆布の佃煮とおかかとネギ味噌が入ってます。更にそこに私とアムちゃんの愛を詰め込んだらそんナニおっきくなっちゃいました。さぁ、愛が冷めないうちに召し上がれ!」


〈愛が冷めないうちって……〉


苦笑いしながらアクミを見る。

すると、その視線に気付いたアクミがにっこり笑った。

シンは結局なにも言わず、その笑顔に見守られながら大きな口を開けておにぎりにかぶりつく。


「うまい!」

「でしょう?」


パリパリの焼きのりとご飯の塩気、そこに唐揚げの旨味が混ざりあって、こちらも絶妙の味だった。

いや……一番の味付けは、アクミの言うように二人の愛情なのかもしれない。

その時、網焼きの方で大きな歓声があがった。

見れば、同じようなお盆を持ったアムに皆が群がっているのが見える。

そして直後には「あれ?もうないの?」と残念の声が……。どれだけ飢えてるんだか。


「おっとっと、これも持っていってあげないと。じゃあ先生、シャングさん、あっちみたいにたくさん食べて英気を養ってくださいね。でないと明日一日持ちませんよ?」

「アクミよ、半分持とう」

「サンキューです、春ちゃん」


連れ立って去って行くアクミと春麗。

その背中をシンとシャングは黙って見送った。


「明日も一日……アレをやる気なんだろうな」

「長い一日になりそうだな」


明日を想像したシンとシャングが顔を見合わせて苦笑いする。

だがそれは、決して不快なことではなかった。







「さぁ!ゲームを始めようぜ!」


食事の片付けもようやく終わり、これからテーブルを囲んで寛ごうかというところで大牙がみんなに提案してきた。


「……ゲーム?……因みに大牙くん……ナニをやる気ですか?」


アクミがテーブルに頬杖をつきながらじと目で大牙を見る。

すると、その視線を受けて大牙がにっこりと笑った。


「決まってんだろ?王様ゲームだよ」

「……やっぱり」


いつの間に用意したのか、大牙の手には十二本の割り箸が握られていた。

当然、一本の先には赤い印が、他の箸には小さく数字が振ってある。


「良いですか大牙くん。前にも言いましたが、そんな危険なゲーム誰もやりませんよ?」

「別にバトルする訳じゃねぇんだ。危険な事なんてねぇだろ?」

「大牙くんが王様になっちゃった時に出す命令が危険だって言ってるんです」

「前にも思ったが、お前は普段どんな目で俺を見てんだよ」

「くぅんな目ですよ!」


器用に口を三角に尖らせ、テーブルに身を乗り出して、まるで汚物を見るような目で大牙を嘗めつけるアクミ。


「死んだフナみてぇな顔しやがって。俺を見損なうんじゃねぇよ!」


同じくテーブルに身を乗り出し、ゴチンとおでこを合わせて「ぐぬぬ……」と押し合うアクミと大牙。

だがその時、大牙に思わぬところから助け船が出た。


「いいじゃない。せっかくだから、みんなでやりましょう」


と、ひめ子が言い出したのだ。

それを聞いて慌てるアクミ。


「ちょっとちょっと、ひめちゃん!自分がナニ言ってるか分かってるんですか?王様ゲームですよ?大牙くんが王様になっちゃった日には、私らみんなパンツ一丁で強制的に大牙くんのハーレムメンバー入りですよ!」

「いやぁ!」

「そんなの嫌です!」

「…………」

「お主……」

「ち、ちげぇよ!アクミの戯言だ!本気にすんな!」

「あはは……」


サナとチカが悲鳴をあげて後去り、カレンと春麗が軽蔑するような目で大牙を見た。それを頬を赤くした大牙が即座に否定する。

頬が赤いのは照れてるというより、思わず想像してしまったのだろう。

それを見透かしたようにひめ子は優しく微笑むと、改めてアクミに向き直った。


「だからね、アクちゃん。大牙くんに限らず、王様の命令が妥当かどうかをみんなで審議すればいいのよ」

「審議ですか?」

「そう、審議。今のご時世、王様だからって好き勝手出来る訳じゃないでしょ?変な施策を実行しようとすれば家臣が止めるわ。それと同じよ。要は王様が出した命令を、王様以外のみんなが審議するの。その命令が妥当なものなら命令実行。当然、平民に拒否権はないわ。でも目に余るような命令ならば却下。王様の命令は無かったことにされ、別の命令を新たに出す事も許されずターン終了。これなら健全に遊べるし、民主的でしょ?」

「まぁ……それでしたら」

「これでどうかしら?大牙くんが本当にピュアな命令を出すのなら、なんの問題もない筈だけど?」

「そうだなぁ……」


その時、大牙を挟んで反対側にいたアレンとひめ子の視線が一瞬だけ交錯した。

そして確かに見た。

ひめ子がついっとアレンから視線を逸らすのを。

それはまるでアレンの視線から逃れるかのように……。


〈……ん? 待て! 審議? 審議だと!? 仮に審議で意見が真っ二つに割れたらどうなる? 当然だが誰かの意見が優先される事はない。何故ならひめ子は言っていたではないか。これなら民主的だと。なら普通に考えて一人一票の投票制。そしてこの場に男は五人、女は七人。仮に女の誰かが王様になっても五対六……まずい!〉


「待て!大……」

「いいぜ。それでいこう」


だがアレンが止めるより一瞬早く、大牙がひめ子の意見に同意してしまった。

ひめ子が、春麗が、そしてサナとチカがニヤリと笑う。

アムとシンも気付いているのだろう。その証拠に苦笑いを浮かべていた。

アクミとシャング、レオ、カレンの四人は気付いていないようだった。


〈くそ……油断した……〉


一人下唇を噛むアレン。

だが発起人の大牙が同意した以上、もう覆る事はないだろう。完全にひめ子にしてやられた訳だ。

こうして男だけがリスキーな王様ゲームの幕が切って落とされた。




「「王様、だ~れだ!」」


初回。

全員が引いた割り箸の先を一斉に見る。


「……あら、私ね」


そして赤い印を引き当てたひめ子が、皆に見えるよう割り箸を掲げた。

それを見て大牙とアレンが頬を引きつらせる。

普段の言動から、絶対ろくな命令じゃないと思ったのだ。


「そうねぇ……どんな命令にしようかしら……」


そんな二人の心境を知ってか知らずか、引いた割り箸を魔法のスティックのようにクルクルと回しながら考えに耽る女王様ひめ子。

そして二人が固唾を飲んで見守る中、命令を思い付いた女王様がにっこり笑った。


「じゃあ、裸の大牙くんが裸のアレンくんをギュッと抱きしめるで」


「「却下だ!!」」

「「承認!!(です)!!」」


サナとチカが右手を上げて賛意を表し、大牙とアレンが大声で立ち上がって異議を唱えた。

特に男二人は必死の形相だ。だが、


「ひめ子、冗談はよせ。そいつら本気にしてるぞ」


とシンが笑いながら嗜めた。

シンの忠告を受けてひめ子がくすりと笑う。


「「冗談……?」」


一方、大牙達四人は首を傾げながら説明を求めるようにシンを見ていた。


「良く考えろ。王様が命令を出すに当たって、特定の個人を指名するのはルール違反だ」


「あ!……そう言やそうか……」

「確かに……」


大牙とアレンが顔を見合わせる。

言われてみればそうだった。

そんな当たり前の事も見落とすなんて、余程動揺していたのだろう。まぁ、当事者なら当然ではあるが。


「それでどうする、ひめ子?裸で……と言うなら俺も反対だが?」

「すみません、先生。悪戯が過ぎました。ただ誰かが誰かをギュッと抱きしめるで」


「「却下だ!!」」


それを聞いて大牙とアレンが再び異議を唱えた。


「お前!それ男同士で当たったらどうする気だ!」

「どうって……なにか問題ある?」

「ありまくりだ!」

「そうかしら?ねぇ、みんな?」

「まったく問題ないです」

「むしろ、そうなって欲しいくらいですね」


チカとサナがひめ子に賛意を表す。ここもさっきと同じ構図だった。


「貴様ら……」

「女子連中が良いなら別に構わんだろう」

「でも先生……」

「その女子連中が結託して……」

「別に結託しとる訳じゃないぞ、アレンよ。考えてみるがよい、リスクは妾達も同様じゃ。なんせ誰に抱かれるか分からんのじゃからな」


言われてハッとする。

確かにシャングに好意を寄せている春麗が、シンや大牙、アレンに抱き締められる可能性もあるのだ。

だがそれはそれ。

只の遊びなんだからいいだろう。そうシンと春麗は言っているのだ。


「そう言う訳だ。それに大牙がアクミを抱きしめることになるかも知れんぞ?」

「そんな事になったら、股間に膝蹴り噛まして背骨をへし折ってやりますけどね」


シンが「ふっ」と笑って冗談を言うと、

アクミも「うふふ……」と笑って宣言した。

だがその目はまったく笑っていない。

その事実に気付いた大牙とアレンが顔を見合わせる。そして、スッとシンに頭を下げた。


「申し訳ありません隊長。つい、自分らが嫌がらせされてると思い込んで……」

「その……すんません。自分から言い出した遊びに水差して……」

「気にするな。ひめ子の普段の行いが悪い」


そう大牙達に答えながらシンの視線はひめ子に向いていた。

だがそれは、決してひめ子を非難しているのではない。口とは裏腹に目元は笑っているのだ。

ひめ子にはその視線の意味が分かっていた。だからシンだけに分かるよう、苦笑いを浮かべながら小さく頷いてみせた。

それを見てシンがふっと笑う。


「さて……全員同意みたいだから番号を指定してくれ、ひめ子」

「はい。ではまず抱きしめるのは5番の人で」

「ん……? 確か5番は……俺だな」


「「えぇ!?」」


箸の先の番号を確認してシンが呟いた。

それを聞いてアクミとアムが驚きの声を上げる。

そしてすぐさまその光景を思い浮かべたのだろう。アクミの顔がにんまりと弛んできた。

意外かも知れないが、普段あれだけじゃれついたり自分から抱きつく事はあっても、シンに抱きしめられた経験のないアクミだった。


一方、アムの方は一度だけシンに抱きしめてもらった経験がある。ヴィンランドに帰ると言った時だ。

あの時、別れ際にアムが望むと、シンは「こうか?」と言ってアムを引き寄せ、そっと抱きしめてくれた。

その時のシンの腕から伝わった温もり。

包み込むような優しさと安心感。

鼻を擽る柑橘系のような良い香り。

そして、吹き抜けた風に撫でられた頬の感触。

今でもはっきりと覚えている。

あれをもう一度?


「して、ひめちゃん……先生が抱きしめるお相手は?」


自分の番号をチラリと見てからアクミが尋ねる。

アムも息を止め、ゴクリと唾を飲み込んでひめ子に注目した。


「じゃあ……8番で」

「うにゃあ!」

「……はぁ……残念……」


頭を抱えて悔しがるアクミと、溜め息をつくアム。

残念ながら二人とも8番ではなかったのだ。


「じゃあ8番は?」

「……それは私」


アムが尋ねるとカレンがゆっくりと立ち上がった。


「うう……カレンちゃんとは……。なんたる(泣)…………」


涙まで流して羨ましがるアクミの横を、顔を俯けたカレンが静かに通り過ぎていく。


「カレン、あんた大丈夫?なんだか顔赤いわよ?」

「え!?……もも、問題ない……こ、これは別に照れてる訳じゃない。これはその……アレなだけ?」

「アレってなによ?」


アムに指摘されるとパッ!と顔を上げ、両手をわたわたさせながら弁明して最後に首を傾げるカレン。

そんなカレンにシンが歩み寄る。


「嫌かも知れんが王様の命令は絶対だ。一瞬の事だから目でも瞑ってろ」

「べ、別に嫌じゃない……むしろその……ごにょごにょごにょ…………」

「なに言ってるか聞こえんよ。いくぞ」

「まっ!?」


言うや否や、返事も待たずにシンがカレンを引き寄せた。

途端にカレンの顔がボッ!と真っ赤に染まる。


「先生、命令はギュッと抱きしめるです」

「こうか?」


ひめ子が笑いながら指摘すると、シンがカレンを抱きしめる腕に力を込めた。


「ひゃ!……ふにゃあ…………」


するとどうだ。

カレンは小さな悲鳴を上げると、シンの腕の中でくたくたっと力なく崩れ落ちてしまったではないか。


「お、おい!? どうしたカレン!?」


あわててカレンの腰を支えながら、シンが心配そうにカレンの顔を覗き込む。

そのカレンの顔はと言うと、焦点の合わない瞳がくるくると回り、弛んだ口元からは涎が垂れていた。どうやら気絶したようだ。


「ちょっと、きつく抱き過ぎたか?」

「これはきつくて気を失ったと言うより、あまりの気持ち良さに昇天したって感じですかね?」


同じく顔を覗き込んでアクミが感想を漏らした。


「とりあえずシン、カレンをテントに」

「ああ、そうするか」


アムに促され、シンがカレンをテントに運び込んだ。

こうしてリタイヤしたカレンを除き、ゲームは続行されるのであった。




「「王様、だ~れだ!」」


「しゃあ!俺が王様だ!」

先の赤い割り箸を天高く掲げ、まるで鬼の首を獲ったかのように大牙が吠えた。

それをじとっと見つめるアクミ。


「……ナニが王様ですか。三下の顔して……」


余程気に入らないのだろう。不満タラタラだった。

そして固唾を飲み込むのは平民達。

特にアクミの前宣伝もあって女子連中は緊張しているようだった。

そんな周りの視線を受けて大牙が意気揚々と立ち上がる。


「よぉし、命令だ! 咽が渇いたから、俺様に愛情込めたコーヒーを淹れて貰おうか!」

「「……は?」」


その命令を聞いて、思わず我耳を疑い、次いで顔を見合わせる一同。

予想外に普通の命令だったのだ。

当然、異議を唱える者は一人もいない。


「あの、大牙さん?……そんなのでいいんですか?」

「レオ……お前もか。ホントお前らは普段、俺をどういう目で見てんだ。言ったろ?俺の命令はピュアだって。さぁ、異議がないなら一番のヤツ!早速コーヒー淹れてくれ!」

「ナニがピュアですか。偉そうに……って、ナンですとぉお!?」


自分の引いた割り箸を握り締めフルフルと震えるアクミ。そこには無情にも1と書かれた数字が……。


「ほう?……一番はアクミか」

それを見て、大牙がニヤリと笑う。


「ぐぬぬ……ナニ勝ち誇ってんですか」

「俺は王様だからな。そら平民、王様がコーヒーをご所望だ。早く淹れてこい」

「ナ、ナンたる屈辱……」


だがアクミもルールはわきまえているのだろう。歯軋りしながらも立ち上がり、コーヒーを淹れる為にテーブルに移動していく。

そして曳いた豆と水をパーコレーターに入れると、シングルバーナーに火を着けてパーコレーターをその上にトンと置いた。

それをうんうんと満足そうに大牙が眺める。


「おいアクミ!」

「……ナンです?」

「愛情込もってねぇぞ!」

「くっ!」


右手をぐっと握り締め怒りを堪えるアクミ。

だがこのゲームにおいて王様の命令は絶対だった。

アクミは沸き上がる殺意を圧し殺して強引に笑顔を作ると、両手の指をワキワキさせてコーヒーにナニやら念を送り始めた。


「お、美味しく、美味しく、美味しくなぁれ!」


そんな従順なアクミを見て益々上機嫌になる大牙。

生きてて良かった。

そう思えるほど最高の瞬間だった。

そうこうしてると水が沸騰し、吹き上がった熱湯がコーヒー豆に染み込んでじわじわと旨味を抽出していく。

それに伴い、辺りには豆のコーヒー特有の芳醇な香りが漂い始めた。

頃合い。

アクミはシングルバーナーの火を止めると、出来上がったコーヒーをステンレス製のカップに注いで大牙に歩み寄った。


「アクミ?」

「ナンです?」

「『お待たせしました、大牙様。お砂糖はおいくつですか?』……は?」

「調子にのるんじゃねぇですよ!」





「いきますよ!」

「「王様、だ~れだ!」」


アクミの掛け声でみんなが一斉にくじを引く。

そして、自分が王様でないと知るとそっと周りを伺った。

しーんと静まり返った中、満を持して一人の女がスッと立ち上がる。

そしてみんなの視線を一身に受けると『ドヤァ』っと笑った。


「ふっふっふっ、サナが王様です!」


〈ちっ……またコイツらか〉

〈絶対ろくでもない命令だな〉


大牙とアレンが無言で言葉を交わす。

するとサナは一度席を離れ、自分のバックから書きかけの小説を手にして再びテーブルに戻って腰掛けた。

そして、ゆっくりと一同を見回す。


「では命令です。二番の人はサナの小説の音読をお願いします」


「えぇっ!? 私が!?」


「むむ、アムちゃんですか……うーん、ちょっと想定と違いますが仕方ないです。この際我慢しましょう」

「いや、我慢しなくて良いわよ。こんな命令、普通に却下でしょう?ね?ね?」


そう言って周りに、特に女性陣に同意を求めるアム。しかし、


「うーん、でも只の音読でしょ?」

「サナの小説か。妾もぜひ聞いてみたいの」

「私も聞いてみたいです」


無情にもアムの要求を柔らかく却下するひめ子。

春麗とレオにいたっては期待の眼差しでアムを見ていた。サナ達がどんなジャンルの小説を書いているのか知らない証拠だった。


「うぅ、只の音読って言えば音読なんだけど……」


今度はシンとアクミをすがる様な目で見つめる。


「別に反対しても構わんが……」

「所詮、8対3ですね」


事実を突き付けられたアムが肩を落とす。

そしてサナをじとっとした目で見つめると念を押した。


「サナちゃん。それ……エッチいのじゃないでしょうね?」

「安心して下さい。サナのはファンタジー系のストーリーで、音読してもらうのは選ばれし勇者アーレンがついに聖剣と邂逅する感動のシーンです」

「ちょっと待て。今、アレンって言ったのか?」


あまりに聞き慣れた固有名詞にアレンが即座に聞き咎めた。だが、


「いえいえ、アーレンです。たまたま同じ感じになっちゃっただけなんです。すんごい偶然もあったものですね。だからどうぞお気になさらず」


〈……ホントに偶然か?〉


そう言って態とらしく微笑むサナをアレンが尚も睨み付けていると、サナがツイッと顔を背けた。


〈こいつ……〉


「ささ、アムちゃん。(邪魔の入る前に)早くお願いします」

「まぁ……ファンタジーものなら……」


と、渋々ながらも了承するアム。


「では、このページのここから……」


アムはサナから原稿を受け取ると「こほん」と一つ咳払いをして読み出した。



「……草深い平原を掻き分けて進むアーレンの目の前に、突如として光が射し込んだ。

その光が指し示す先には岩に突き刺さった黒々とした一本の剣がある。


「ーーーッ!?」


生まれて初めて間近に見る聖剣に思わずゴクリと唾を飲み込むアーレン。

まるで聖剣その物が光輝いているような錯覚に畏怖を感じたアーレンは、手を出すのも忘れて暫し見取れてしまった。

だが何時までもこうしている訳にはいかない。いつ邪魔者が現れて横槍を入れるかも知れないのだ。

緊迫した状況に迫られ、アーレンは恐る恐ると聖剣に手を伸ばした。

そしてアーレンが岩に突き刺さった聖剣の柄をそっと握った瞬間、聖剣自体が一つの生き物の様に脈打ち、やがて熱く熱を帯びて行く。

それはまるで聖剣が意思を持ち、アーレンの事を快く受け入れて歓迎しているかの様だった。

その聖剣の熱い思いを受け止めたアーレンは意を決っし、聖剣の柄を両手で握り締めた。

そして両目を瞑り、ゆっくりと……口に含んだ?

……それからの聖剣の変化は劇的だった。

アーレンの愛を受けた大雅たいがの聖剣は?……ま、益々ビクンと、たた、猛り狂っ……て、てて……って言えるかっ!!」



恥ずかしさで顔を真っ赤にさせたアムが原稿をテーブルに叩き付けた。

そして皆の視線から逃れるようにアクミの胸に抱きつく。


「アクちゃ~ん!サナちゃんに騙された~!」

「よしよし……まんまと騙されちゃいましたね……」


〈……って言うか、サナの小説だぞ?聖剣の時点で普通気付くだろ……〉


アクミの胸の中で咽び泣くアムを見てシンが苦笑いを浮かべる。

シャングと春麗、レオも同様だった。

読ませた立場上なんと声を掛ければよいかも分からず、ただ黙ってアムを見つめている。


「えへへ……恥ずかしさで真っ赤になるアムちゃん萌えです」

「ふっふっふっ、これが確実な第一歩となって、いずれはアムちゃんも……」


とまぁ、一部の慣れてる女子は別の意味で生温かく見つめているようだが。

そんなアムの頭を優しく撫でるアクミ。


「大丈夫ですよアムちゃん。例え穢れちゃっても、アムちゃんはアムちゃんです!」

「えっ!?私、穢れちゃったの!?」


ガバッ!と顔を上げてアクミを見る。

そのアクミはと言うと、聖母のように優しく微笑んだまま、じっとアムを見つめていた。

無言のままで……。


「アクちゃん!私、穢れちゃったの?ねぇ、何で黙って笑ってるのよ!ちょっと、何か言ってよ!ねえったら! あっ!シン、何で顔を背けるの?ねぇ、何で?」


アクミの肩を掴んでガックンガックンと揺さぶった後、シンに視線を逸らされて本格的に落ち込むアム。ちょっと哀れだった……。


「あ……あはは……私……穢れちゃったんだね…………」


よろよろと立ち上がり、虚ろな瞳で虚空を見つめるアム。だが、


「……ふふっ、ふふふ……良いわよダーティ……結構じゃないのダーティ!!」


どうなる事かと見守っていた皆があれ?と首を傾げる。


「うがぁーーーーーーっ!! 負けるかーーーーーーっ!! 次行こ、次っ!次こそ、この私……ダーティ・アムが女王様になってやる!!」


何かさっきよりパワフルに復活したアムだった。



「ところで誰の聖剣だって?」

「嫌ですねぇ、大牙さん。大雅ひろまさです大雅。大きな雅と書くんですけど、アムちゃんったら読み方間違えちゃったんですね」


にっこり笑って誤魔化すサナだった。


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