11、アクミとアム
その日の夜更け。
シンは自室のソファーに浅く腰掛け、腕を抱えて天井を見上げていた。
別に夜更かししようとしている訳ではない。ついさっきまではベッドで横になって寝ていたのだ。
だがふいに傷が痛みだし、そのまま寝れなくなっただけだった。
起き出すと、どうしても昼間の出来事が思い出される。
不思議と相手を殺さなかった事に関しては後悔はなかった。
ただアムの言う通り、二人で出撃していればこんな怪我をせずとも無力化できたかも知れない。
そうすれば皆に心配させずに済んだだろう。
それとアムの涙……。
「慢心してたんだろうな……」
痛む右手を擦りながらシンが呟く。思えばバカな事をやったもんだ。
そんな時だった。
ピッという音とともに扉が開き、人影がそっと室内に入ってきた。
「……アム?」
「あ、ごめん。起こしちゃった?……って、なんでソファーに?」
「いや……横になってると腕が痛んでな。起きてる方が楽なんだ」
「それでソファーに?」
「ああ。それよりアムは?」
「ミレー先生が二~三日は腫れて痛むかもって言ってたから、ひょっとしたらと思って。痛み止め貰ってきたんだけど……」
「そうか。助かるよ」
シンが腰をずらすと、隣に座ったアムがピルケースから錠剤を取り出して掌に乗せた。
「はい、お薬。それとお水も」
「すまん」
アムから受け取った薬を口の中に放り込み、手渡されたボトルの水をゴクンと飲んでから「ふぅ……」と大きく息を吐くシン。
「そんなに痛むんだ……」
「ああ。……きっと心配させた罰だな」
「そんなこと言わないの。誰もシンのこと責めてないから」
「……そうだな。すまん」
自分でもつまらん事を言ったと思ったのだろう。シンが自嘲気味に笑った。
「ねぇ、シン。痛むかもしれないけど、やっぱり横になってた方が良いわよ?」
「ん?ああ……そうするか。薬も飲んだし、少しは痛みも引くだろう」
そう言ってヨロヨロと腰を上げるシン。
昼間より弱ってるのは、熱でも出てきたのかな?
身体を支えてやりながらアムがそんな事を考えていると、
「アム……膝枕してくれないか?」
と、シンが唐突に言い出した。
「え……?」
我が耳を疑い、思わず聞き返す。
「嫌か?」
「ううん、別に構わないけど。いったいどうしたの?」
「俺だって……人に甘えたくなる時があるんだよ。特に……どうしようもないバカをやった時とかな……」
「もう、それはいいから……はい、どうぞ」
そう言ってベッドに腰掛け、膝をポンポンと叩くアム。
「それじゃあ……不束者だけど、失礼して……」
「ふふ、なによそれ?」
「ふふ……だな」
声を殺して、おかしそうにくくっと笑う二人。
膝枕なんて初めてしたけど、意外と重いんだなぁ……。
そんな感想を抱きながらシンのおでこに手を当てる。やっぱり熱があるようだった。
「どう……?」
「ん?……ええと……すべすべで、弾力があって、少しひんやりしてて、気持ちいい?」
「もう、感想じゃないわよ。眠れそう?って聞いたの」
「あ、そうか。すまん」
「ふふ……で、どう?やっぱり痛む?」
「どうだろう。さっきは横になってるとズキズキ痛んだんだが……」
「今は?」
「正直……アムの太ももの感触の方が気になる」
「……バカ」
ギプスの先からチョコンと出た指に手を合わせてそっと握る。不思議と指先は血が通っていないかのように冷たかった。
「眠れそうなら、このまま眠っちゃっていいから」
「アムは?」
「シンが寝てから考えるわ。……シンが甘えたいなら添い寝してあげるけど?」
「バカ」
「うふふ……」
「まぁ、添い寝はともかく……よければ俺が寝るまでいてくれ。どうも一人になると、あれこれ考え込んでな……」
「うん。分かった」
「すまんな」
「なんだか今日のシン……謝ってばっかりね」
「そう言えばそうだな」
シンも自覚があるのだろう。笑って答えてから両目を閉じた。
その眉間に皺が寄っているのは痛みを堪えてるのだろう。
〈もう……強がっちゃって……〉
目元に優しく手を当てる。
「アムの手……ひんやりしてて気持ちいいな……」
「熱が出たのよ」
「ああ……そうか。……どうりでダルい訳だ」
「さっきの……解熱作用もあるから、もうすぐ効いてくるんじゃないかな?」
「そうか……」
そう返事をしたっきり、シンは黙り込んでしまった。
そんなシンを無言で見つめ続けるアム。
その時、ふとアクミの顔が浮かんだ。
〈アクちゃんは……こんなシンにキスしてたんだ……〉
アクミがシンを好きなのは分かってる。シンもそれは分かってる筈だ。
〈そりゃそうよね。あんなラブ丸出し……気付いてなかったら人間として失格だわ〉
じゃあ、シンは?
シンはアクミのことをどう思っているのだろう?やっぱり好きなんだろうか?
じゃあ、私のことは?
「……ねぇ、……シンはアクちゃんのこと……どう思ってるの?」
つい口に出してしまってから慌てて後悔した。
それはそうだろう。
三人の関係が……いや、今の日常が壊れるかもしれないのだ。
そもそも、シンの心情を知ってどうする?
アクミが好きだと言われたら、自分はシンを諦めるのか?
今更そんな事は不可能だった。
「あの……シン?……今のは……その……なんでもないから……だから……」
しどろもどろになりながら、さっきの発言を取り消そうとシンの顔を覗き込む。
だが、いつまで経ってもシンの返事はなかった。
「あの……シン?」
おそらく痛み止めが効いたのだろう。
いつの間にか、シンは静かに寝息を立てていた。
「……なんだ……眠れるじゃない」
思わずホッと安堵するアム。
そして、シンの頬に手を当てて愛しそうに眺めた。
「……おやすみ、シン」
ゆっくりと顔を近づけたアムの唇がシンのおでこにチョンと触れる。
それはまるで、愛しい子供にキスをする母親のようだった。
翌朝。
軽い振動を身体に感じて意識が目覚めていく。
きっと『アイリッシュ』が移動を始めたのだろう。
そんな事を考えながらシンが瞼を開いた。
「ふふ……おはよ、シン」
「……アム?」
目を開けた瞬間、アムの笑顔が視界一杯に飛び込んできた。そのあまりの近さに驚く。何故なら……、
「お前……ずっと膝枕してくれてたのか?」
「そうよ」
なんでもない事のように答えながらアムがシンのおでこに手を当てた。
「良かった。熱は下がったみたいね」
「一晩は辛かっただろう?降ろしてくれて良かったのに」
「私もそうしようとしたんだけどね。でも、降ろそうとしたらシンが唸って」
「唸った? 俺が?」
「そうよ。うーん!って唸って。それで、そのまま枕に抱きつくみたいに私の腰に手を回して……」
「俺が?」
「そ。で、身動きできなくなっちゃったから、もういいかなって。覚えてない?」
「いや……まったく」
「まぁ……すぐ寝息が聞こえてきたから、寝惚けてたんだろうなぁ?とは思ったけどね。あはは……」
「そいつはその……悪いことしたな。きっと寝心地が良過ぎたんだろう」
自分でも苦しい言い訳だと思っているのだろう。シンが苦笑いを浮かべながら起き上がると、アムが凝り固まった足を気持ち良さそうに伸ばした。
「いやぁ、固まった固まった。あはは……」
「アムのおかげで良く眠れたよ。サンキューな」
「ふふ……どういたしまして」
アムの頭を優しく撫でながらシンが礼を言うと、アムは嬉しそうに微笑んだ。
「さて、腹が減った。飯に行こう。アムは一回部屋に帰って着替えるよな?」
「ううん、ここに来るとき着替えたから平気。シンは?」
「この格好だぞ。着替えるに決まってるだろ」
そう言ってシンが笑う。
きっと腕が袖を通らなかったのだろう。シンは部屋着代わりにバスローブを着込んでいた。
それを見てアムが悪戯っぽく笑う。
「ふふん。着替えさせてあげよっか?」
「一人で平気だ。すぐ済むから、ちょっと向こう向いてろ」
「はーい」
アムは素直に返事をすると、そのままベッドにうつ伏せに寝転んで胸一杯に空気を吸い込んだ。
〈ふふ……シンの匂いがする……〉
シンの柑橘系のような香りに包まれ、ちょっと幸せな気分になるアム。
そのまま枕に顔を埋めて両目を閉じると、熟睡出来なかった事もあって睡魔が襲ってきた。
〈……このまま寝ちゃおっかな?〉
思わず布団の誘惑に負けそうになる。
だが、程なくして「お待たせ」とシンに声を掛けられた。
布団の誘惑を振り払うようにベッドから飛び降り、「うーん!」と大きく伸びをする。
「やっぱり、あんな格好で一晩じゃ寝不足になるよな?」
「ん?平気よ。軍で長時間作戦の訓練だって受けてたもの」
そう言ってシンを心配させないようにっこりと笑うアム。そしてそのまま、じっとシンを見つめた。
「なんだ?」
「ふふ……弱ってるシンも良かったけど、やっぱりいつものシンの方が良いなって」
「カッコ悪いとこ見せちまったな」
「あれはあれで良かったけどね。今日も膝枕してあげよっか?」
「男をからかうな」
お互いクスッと笑ってから二人は食堂に向かってゆっくりと歩き出すのだった。
※
ツインズマールにある自宅のキッチン。
まな板の上でピチピチと跳ねる数匹の新鮮な魚を眺めながら、アクミがにっこりと微笑んだ。
「ふふん、活きの良いお魚ですね。あなた達が今晩の主役ですよ」
菩薩のように慈愛に満ちた眼差しで優しく魚に語りかけるアクミ。
それを横目に見ながら、さっきから疑問に思っていた事をひめ子がそっと尋ねた。
「ねぇ、アクちゃん。先生の怪我って右手でしょ?お箸使えないから、お魚じゃ食べられないんじゃないの?」
「……さぁ、私のせめてもの情けです。痛みを知る事なく逝きなさい……」
「…………」
聞こえなかったフリして華麗にスルーするアクミ。
要は知ってて敢えて魚を選んだのだろう。
そう解釈したひめ子はアクミの行動を黙って見守る事にした。
そのアクミはと言うと、両目を瞑り、両手の拳を握って腰溜めに構え、スゥーーー……っと大きく息を吸い込んでいた。どうやら意識を集中しているらしい。
やがて、その目がカッと開かれた。
「ほあぁたたたたたたたたたたたたたたたたたたたたた…………」
両手の人差し指が輝く魚体に、
ドスドスドスドスッ!
と次々に突き刺さる。
その度にまな板の魚達が仰け反るように暴れ回った。そして、
「ほあったぁあ!」
と、一際大きな声と共にアクミの動きがピタリと止まった。
右手の人差し指は、最後に突いた魚をビタッ!と押さえ込んだままだ。
端から見ているひめ子には、アクミが暴れ回る魚を人差し指で軽く押さえつけているようにしか見えない。
「……美食神拳奥義……魚壊爆散指!」
物騒な技名と共に、その指がスッと離される。
あれだけ激しく突いたにも拘わらず、不思議と魚体に潰れたような指跡は見られなかった。
身体中を突っつかれた魚の方も、何事も無かったようにピチピチと跳ねだし…………いや……違う。
さっきは水を求めて身体中でピチピチッ!と跳ね回ると言った感じだったのだが、今は尾びれでまな板をペチペチ叩き、口をパクパクさせながら身体を捩って、まるで悶え苦しみながら暴れ回っているように見える。……やがて、
モコモコ…………パンッ!
と、魚達の腹が内側から膨らみ、紙風船を手で叩いたような音と共に一斉に裂けて腸が飛び散った。
一見するとグロテスクだが、裂けた腹の中は水で洗い流す必要のないほど血溜まりもなく綺麗に捌かれ、飛び散った腸の方も狙ったように三角コーナーのゴミ入れに収まっていた。
まさに神業。
それはそれで凄い事なのだろうが、ひめ子にはどうしても引っ掛かかる事が一つあった。
「ねぇ、アクちゃん? あのお魚……本当に痛みを知る事なく逝ったの?」
「もちろんですよ、ひめちゃん。美食神拳は情けの拳!散り逝く食材に痛みは一切与えません!むしろ気持ちいいくらいだって聞いてます(注:未確認情報)。さっきだって、あまりの快感に身悶えてたじゃありませんか」
「私には、あまりの痛みに悶え苦しむように見えたけど?」
「気のせいです!特に奥義・魚壊爆散指は、腸が飛び散る瞬間、短かった人生を省みて罪を数え、神に懺悔をする間を与えるという、まさに神の拳を体現したような技です。だから痛みは一瞬です!」
「やっぱり、痛がってたんじゃないの……」
話を聞き終えたひめ子が苦笑いを浮かべた時、アクミの耳がピクリと動いた。
「あっ!帰ってきました!」
叫ぶと同時にエプロンを脱ぎ捨て玄関に駆け出すアクミ。
扉を開けると、ちょうどアムの運転するエアバイクが玄関前に横付けされたところだった。後ろのシートにはシンの姿もある。
「先生!もう、アムちゃんから聞いた時はびっくりし過ぎて、飛び出た心臓がサンバのリズム刻んでましたよ!」
「なんだか楽しそうね……」
エアバイクに跨がったままアムが苦笑いを浮かべる。
「それで傷はどうナンです?……って、あれ?先生、どうしたんです?」
なぜかヨロヨロとバイクから降り立ったシンに、駆け寄ったアクミが不審に思って尋ねた。すると、
「……怖かった」
「は……?」
「いや……このバイク、シングルだったのに強引に後部シート付けたもんだから、掴まるとこがなくてな……」
「だから私に掴まってって言ったのに……」
「いや、男が女に抱きつくって……絵面的にどうかと……」
呆れた顔で呟くアムと疲れきった顔で答えるシン。
そんないつも通りの二人を眺めて安堵したのだろう。アクミがにこりと微笑んだ。
「まぁ、そんなこと言ってる余裕があるなら大丈夫そうですね」
「とりあえず先生、アムちゃん、おかえりなさい。お腹減ってるでしょう?さぁ、ご飯にしましょう」
遅れて顔を出したひめ子が笑って二人を出迎えた。
食卓には焼き魚があった。
他にも鶏肉と野菜の黒酢炒めに、きんぴらごぼう、青菜のお浸しに、大根おろしとお新香。
もちろん茶碗に白米、お椀には味噌汁がよそってある。
とにかく、物の見事に和食だった。
〈アムを通じて、怪我の状況は知らせておいた筈なんだが……〉
しかたない。誰かに魚を解してもらって……後はまぁ、左手でなんとか……とシンが考えながらテーブルを見ると、箸がなかった。
当たり前だが、スプーンやフォークがある訳でもない。
そうこうしてると、アクミが左隣にチョコンと座った。
わざわざ椅子を持参して。
にっこにこの笑顔で。
「先生、ごはん食べられないでしょう?私が食べさせてあげますね」
「お前、わざとか……」
「ナンのことです?ささ、先生。怪我人が遠慮しててもご飯にありつけませんよ?はい、あーんしてください。あーん!」
「……う」
アクミが摘まんだご飯を見つめて躊躇するシン。
だがアクミの言う事ももっともだった。
今さら怪我人が恥ずかしがっててもしょうがない。
おまけに痛み止めの薬が切れてきたのだろう。腕がじんじんと痛みだしていた。
早く薬を飲む為にも、ここはとっとと食事を終わらせるに限る。
そう決意したシンは、遠慮がちに「あーん……」と小さく口をあけると、アクミの差し出すご飯をパクンと食べた。
それを見て、「ふふん」とご満悦の表情を浮かべるアクミ。
ちょっと照れてるのか、シンは両目を瞑って、いつもよりゆっくりとご飯を咀嚼している。
「ほらほら、アムちゃんも見てないで、先生にお魚を食べさせてください」
「えッ!? 私も!?」
「そりゃあ、そうですよ。私じゃ、そっちまで手が届きませんからね。そっち半分はアムちゃんにお願いします」
まさか自分に出番が回って来るとは思ってもいなかったアム。
驚きの声を上げてからシンの顔をチラリと見て表情を伺う。
「ささ、先生がお待ちかねですよ?」
「う、うん。……じゃあ、シン。……あ、あーん」
「……ん」
アムが魚の解し身を箸の先に摘まみ、左手を添えてそっと口先に持っていくとシンがパクッと食いついた。
そのままさっきと同じようにして両目を瞑って咀嚼するシン。
一方、アムの視線はシンの口元からフルフルと震える自分の箸先へ……。
〈……こ、これって〉
隣では、シンが再びアクミにご飯を食べさせてもらっていた。
今度は、そのアクミの箸に視線を移すアム。
当たり前だがシンがご飯を咀嚼してる間、アクミは自分の食事にも同じ箸を使用している。つまり……。
〈……まぁ、アクちゃんはキスまでしてるんだもんね。今更か……〉
自分も昨夜、膝枕で眠ってしまったシンにこっそりとキスをした。
しかし、それはあくまでおでこにだ。口づけまではしていない。という事は……。
〈……シ、シンと……初めてのキス?(注:間接)〉
ドキドキしながらも、シンのくわえた箸の先をそっとくわえるアム。
途端に頬がほんのり紅く染まった。
それを見て更にご機嫌になるアクミ。
目の前ではひめ子がニマニマとこちらを見ていた。
その視線がちょっと気になるが、怪我人だからと割り切ることにするシンだった。
食後。
いつの間にか姿の見えなくなったシンを心配してアムが屋内を探すと、脱衣所で上着を脱ぎ、右手をビニール袋で必死に覆っているシンの姿があった。
「アム、ちょうどいい。すまんが肩の所をテープで留めてくれ」
「呆れた。その怪我でお風呂に入る気なの?」
「昨日の戦いで汗だくなんだ」
「もう……血行良くなると痛むわよ?」
などと言いながらも、シンの後ろに回ってテープを留めてやるアム。
「さっき痛み止め飲んだし、しばらくは大丈夫だろ。それより俺は自分の汗の方が気になる。男の汗はな、女と違って臭いんだ」
「そう?そんな事ないと思うけど?」
シンの柑橘系のような匂いがいつもより多少強いかな?程度には感じるが、別に不快とは思わないアムだった。
「はい、終わったわよ」
「すまんな」
防水処置?の終わったシンをまじまじと眺めるアム。
肩口をテープで留めているとはいえ、所詮はテープだ。シャワーを頭から被ったらお湯が入り込むのは必然だった。
だがお湯が掛からないようシャワーを左手で持ったら、今度は泡を上手く濯げない。
「ねぇ、シン。その腕じゃ身体はともかく、頭は洗えないでしょう?」
「うん……まぁ、なんとかするさ。ちょっとくらいならギプスの中にお湯が入っても平気だろ」
「ダメに決まってるでしょ」
骨折だけではない。ギプスの中には手術跡や小さい切り傷もあり、そちらの傷口はまだ乾いていないのだ。雑菌が入るリスクは避けるべきだった。
その時、アムはふとある考えが過りニヤリと笑った。
「ふふん……じゃあ、濡れないように私が洗ってあげよっか?」
昨日の一件以来、シンとの距離が縮まったと(勝手に)感じているアムが、冗談混じりにシンをからかった。すると、
「ん……?ああ……それもそうだな。じゃあ頼むか」
「えっ……?」
まさか同意するとは思わなかったアムがキョトンとした顔で固まる。
「ん?」
「あ……ああ、……オ、オッケー。じゃあ、洗ったげる」
「頼むよ。じゃあ先に風呂入っちまうな」
「う、うん。……じゃあ、後で」
「ああ」
パタパタと両手を振って後去り、そのままパタンと扉を閉めてから虚空を見つめるアム。
扉の向こうからは、衣服を脱ぎ終わったシンが風呂場に入る音が聞こえた。
〈……どうしよ、冗談だったのに。でも自分から言い出しといて、今更断る訳にも……〉
「ふぅ……いい湯だ……」
湯船に胸まで浸かりながらシンが呟いた。
左手でお湯を掬って首筋に掛ける。
本当は首まで浸かっていたいところだが、さすがに傷がズキズキと痛んだので諦めた。
代わりに両足を一杯まで伸ばして、「うーん……」と唸る。
あまりの気持ち良さに、身体中の疲れがお湯に溶けていくようだった。
洋風のこの家にあって、なぜかこの風呂だけは純和風の檜風呂だった。
しかも広い。
洗い場はもちろん、湯船も大きく、大人五人がゆったり入れる程の広さがあった。
これはこの家をスフィンクスがあてがってくれた際、あまりに風呂場が小さく使い勝手が悪いということで、わざわざ勘十狼が改修してくれたからだった。
「ちと、家と風呂のバランスが悪くなったかの?」
と勘十狼は笑っていたが、性格的に機能重視のシンは気にしなかった。というより、この風呂が気に入っていた。
「さて、あまりアムを待たせても悪いな。とっとと出るか」
そう一人呟いてから湯船を出たシンは、椅子に腰掛けて身体を洗い始めた。
音を立てずに、そっと扉を開けて脱衣所に入るアム。
その胸にはタオルと替えの下着類を抱き締めていた。
扉一枚隔てた向こうでは今、裸のシンがシャワーを使っている。
それに気付かれないよう、そっと衣服を棚に置いた。
〈大丈夫。……まだ気付いてない〉
アムはTシャツを脱いで脱衣籠に放り込むと、今度はベルトに手を掛けてスッと抜き取った。
次いでボタンを外すと七分丈のパンツがストンと床に落ちる。
やがて下着も脱ぎ終わり、一糸纏わぬ姿になったアムがタオルを身体に巻き付けて鏡の前に立った。
〈うーん、どうしよ。タオルで隠してるとはいえ、裸は……さすがに恥ずかしいな……でもなぁ……〉
そうして鏡の前で躊躇すること一分。
ふと、昨日のシンの寝顔が浮かんだ。
夜中に一人傷の痛みに堪え、アムが膝枕をしてあげると安心したように直ぐに眠ってしまったシン。
あの寝顔を思い出すと胸がきゅんと疼き、居ても立ってもいられなくなってきた。
〈よし、相手はシン!行っちゃえ!!〉
その時、扉の向こうで裸のアムが葛藤しているとは露程も思わないシンは、シャワーで身体中の泡を流している最中だった。
そもそもシンは風呂を出た後、洗面台で頭を洗ってもらうつもりでいたのだから当然だ。
やがて身体中の泡を流し終えたシンがシャワーの蛇口をキュッ捻った時……、風呂場の扉がスーっと開いた。
「……ん?」
「お、おじゃまします……」
「うおい!」
低い椅子に腰掛けていた事もあり、チラリと見えたアムの〃ピー〃にパニックになるシン。あたふたしながら慌てて視線を逸らす。
「おま、ちょ……なにしてんだ!?」
「なにって……シンが頭を洗ってって言うから……」
「今じゃない!風呂を出た後でって意味に決まってるだろう! 洗面所だ、洗面所!!」
「え……?……あッ!?……そ、そっか。……お、おかしいと思ったんだよね。あははは……」
キョトンとした顔で聞き返し、シンに言われて初めて合点がいったのか、自分の早とちりを笑って誤魔化すアム。
「分かってくれたか。なら……」
「まぁ、いいわ。どうせだから洗ったげる」
「おい!」
「ふふ、平気よ。ちゃんとタオル巻いてるんだもん」
〈平気じゃなかったんだよ!〉
と言う心の声は届かない。
「いや、もう今日はいいから……」
シンが照れながら言うと、それをシンの遠慮と受け取ったのだろう。
アムは「まぁまぁ、怪我人が遠慮しないの」と、笑いながらシンの後ろに回り込み、シャワーを手に取って優しく頭を流し始めた。
〈なんで男の俺のが恥ずかしがってんだか。普通、逆だろうに……〉
と言う心の声もアムには届かない。
「なぁ……アム」
「なに?」
「……お前、恥ずかしくないのか?」
「うーん……入る前は、すっごく恥ずかしかったんだけど……なんだかシンの慌てる姿を見たら、どっかに飛んでっちゃったわ」
「そりゃ慌てるに決まってるだろう」
呆れたように嘆息してからシンが何気なく鏡を見る。
そこには両膝を着き、両手を上げてシンの頭を泡立てているアムの姿があった。
そのほんのりと紅く染まった肌と細い首筋……。
頭の地肌をマッサージするようにテンポよくリズミカルに洗う両腕と連動して、胸のタオルが微かに上下する。
その胸元。
決して大きくはないのだが、それでもある胸とその谷間に思わずドキリとする。
〈待て!なにも考えるな!今はヤバイ。無心だ。無心になれ俺……〉
と、心と身体を必死に押さえるシン。
そうこうしてると、頭を泡立て終わったアムが再びシャワーに手を伸ばす。
その時、チラリとアムの太ももが目に入った。
〈無心、無心、無心、無心、無心、無心、無心、無心、無心、無心、無心……〉
だが心の声とは裏腹に、頭の中には先程のアムの〃ピー〃が蘇る……。
〈無心だ!!〉
両目をきつく瞑って煩悩と必死に戦い続けるシン。
そのまま暫く堪えていると、やっとアムがシャワーを止めた。
「はい、おしまい」
「す、すまん」
アムが頭を洗い終えると同時に急いで湯船に逃げ込む。危なく限界を越えるところだった。
「助かった(色んな意味で)。でも、もう大丈夫だから(色んな意味で)……」
そう言ってホッと一息ついて後ろを振り向けば、アムが胸のタオルに手を掛けていた。
「なにしてる!」
「いや……どうせだから、私も洗っちゃおうかと思って……。あはは……ちょっと恥ずかしいから、向こう向いててね」
「なら出てけ!」
「あ、もう外しちゃった」
「うおい!」
慌てて後ろを振り向き、じっと動かずにただ壁を見つめるシン。
そんなシンなどお構いなしに、背中からはシャワーの音が聞こえてきた。
〈なんなんだアム。お前、ちょっと大胆過ぎるだろ。いくらなんでも素っ裸って……って、まずい。想像しちまう……〉
それが昨日、シンが甘えた事が原因でアムの感情に変化が起きた為とは思いの及ばないシンだった。
そうして壁を見つめること数分。
キュッと蛇口を捻る音が聞こえた。やっと洗い終わったのだろう。
「おい、アム。終わったら早く出てくれ……」
「えぇ? でも私……湯船にはゆっくり浸かりたいし……」
「なら俺が出る!」
「待って!い、今振り向くと丸見えなんで、私が湯船に入るまで待って!」
「お、おう……」
立ち上がったところで再び湯船に浸かるシン。
そのシンの背中に寄り添うように、アムがゆっくりと湯船に肩を沈めた。
さすがに裸を見せる勇気はまだ持てなかった。
「あはは……今更だけど、面と向かって入るのは恥ずかしいね」
「ホントに今更だよ。じゃ、じゃあ出るぞ」
「うん」
そそくさと湯船を出るシンの背中をアムがチラリと見送る。
その顔は、どこか満足気で嬉しそうだった。
そしてシンが扉に手を掛け……ようとしたところで突然、
「アクミ、参上ぉ!!」
「うおっ!?」
「きゃあ!?」
スパーン!と扉が開き、シンとアムの悲鳴が風呂場に響き渡った。
素っ裸のアクミの登場に驚いたシンが回れ右をして再び湯船に駆け込み、そのシンの裸に驚いたアムが悲鳴を上げながら両手で顔を覆ったのだ。
湯船に仲良く背中合わせで浸かりながら、二人の心臓がバクバクと高鳴る。
顔を真っ赤にして俯くアム。
衝撃の映像を目の当たりにしたのだ。当然だろう。
だがそれはシンも同様だった。
驚いて腰を浮かせたアムが両手で顔を覆った為、胸から臍下まで丸見えだったのだ。
そんな二人にお構いなくアクミが首を傾げる。
「あれ?ひょっとして、もう出ちゃうんですか先生?」
「お前、なんでここに来た!?」
「ナンでって、先生とアムちゃんが楽しそうにお風呂に入ってるんですもん。せっかくだから私も交ざろうかと」
「こっちに来るな。って言うか、とにかく前を隠せ、前を!」
「隠すような恥ずかしい身体してませんよ?」
「こっちが恥ずかしいんだよ!なんでタオルを手に持ってんだ。タオルは身体に巻け!」
「いえ……このプロポーションを先生の目に焼き付けようかと思いまして……」
そう言って、何事もないようにシャワーを浴び始めた。
結果、またしても裸の女に出口を塞がれる。
「お前等、知ってるか?男女が一緒の風呂に入るのは、相手を異性として意識しなくなった時だって言うぞ?」
「そんなの一緒に入る相手のいない負け犬か、枯れちゃったカップルの戯言ですよ。好き合ってるカップルは一緒に入りたがるもんです。これは絶対です!」
「カップルじゃないだろう……」
既にカップル扱いのアクミにシンが小声でツッコむ。
「ふふん、それにしても先生と一緒のお風呂ナンて、何年ぶりでしょうね?」
「え……?」
アクミの一言にピクリと反応したアムが俯いていた顔をあげる。
シンの裸で恥ずかしがってる場合ではなかった。
「……そうなの?」
「……昔の話だ」
まさかキスだけでなく、そんなことまでしていたとは思わなかったアムの胸が締め付けられるようにキュンと痛んだ。
平静を装いながらアクミをチラリと伺う。
シンに裸を見られても、恥ずかしがるどころか平然としているアクミ。
そのアクミの態度がアムを大胆にさせた。
「ふぅん、そうなんだ?一緒にねぇ?」
そう言って、後ろからシンの首筋に両手を回して抱きつく。
「お、おいやめろ!抱きつくな!」
「うーん……いや?」
「おい!」
「詳しく話してくれたら、離れてあげる」
「詳しくもなにも……昔、俺が両手を怪我したから仕方なく洗って貰ってただけだ」
アムはそれだけで理解した。
それはきっと、シンがアクミとひめ子を助けた時の事を言っているのだろう。
また、自分の知らない頃の話……。
そんな事を思っていたらつい抱きしめる腕に力が入った。
結果、アムの胸がむにっとシンの背中に押し付けられる。
「ア、アム……」
「なに?」
「離れろ。ホントにヤバい……」
「ヤバい?」
なにがヤバイのか分からずに首を傾げるアム。
そして真っ赤になったシンの顔を無意識に覗き込んだ時……視界の端にチラリと見えた。
シンの〃ピー〃た〃ピー〃が、〃ピー〃しく〃ピー〃する様を……。
「ーーーッ!?」
即座にバッと離れ、クルッと回れ右をしてストンとしゃがんで湯船に浸かる。
そのまま無言で俯く二人。
そんな二人の静寂を破るように口を尖らせたアクミがブー垂れた。
「昔は毎日毎日一緒にお風呂でしたのに、急にダメとか言い出して……ホント冷たいんですから……」
「当たり前だろう!胸の出てきた女といつまでも一緒に入れるか!」
と、照れ隠しに怒鳴りながら顔を上げると、目の前にアクミの裸体があった。
シャワーの終わったアクミが湯船に浸かろうとしていたのだ。
「だから前を隠せ!」
そう言って慌てて顔を背けて壁を向く。
「ふふん、焼き付きました?」
「ついたよ!」
それを聞いて満足そうな顔を浮かべたアクミが湯船にスッと足を伸ばす。
そこで初めて気付いた。
アムが真っ赤になって俯いている事に。
「どうしました、アムちゃん?湯中りですか?」
湯船に片足を入れたところでアクミが尋ねた。
すると、そっと顔を上げたアムが肩越しに後ろを指差した。
そこにはアムと同じく、耳まで真っ赤にしたシンの顔が……。
「……?」
はて、先生の顔がナニか?
と、再び無言でアムに尋ねる。
するとアムは恥ずかしそうに俯き、クイッと指を曲げてちょいちょいと上下に動かした。
その指は言っていた。
もっと下!と。
下……?
無言でシンの下を見る。
「ーーーッ!?」
途端にアクミの顔がボッ!と火を吹いた。
思わず獣化して猫耳を生やすあたり、かなり動揺している。
「パクパク……パクパクパク、パクパクパクパクパクパクパク?(あ、あ、あの……あれはその、私等の裸のせいで?)」
「パクパクコクン(たぶんね)」
急に恥ずかしくなったアクミが、そっとタオルで前を隠した。
「私、やっぱり出ます!」
「ちょっと待ってアクちゃん!私も出る!」
慌てて湯船から立ち上がり出口に向かって駆け出す二人。
「お前等!後ろも隠せ!」
シンの怒声が風呂場に響き渡った。
「あらアクちゃん、アムちゃん、もう出ちゃうの?」
「う、うん……あはは、ごめんね。ひめちゃん」
「ひめちゃん、お先にです!」
ひめ子が脱衣所の扉を開けると、なにを慌てているのか、逃げ出すようにしてアクミとアムが出て行った。
「…………?」
と首を傾げるひめ子。
二人の顔が紅く染まって見えたのは気のせいか?
「まぁ、いいか」
そう言って、ひめ子はパタンと脱衣所の扉を閉めた。
「…………」
「…………」
「……ひめ子?」
「はい? なんです、先生?」
「そこで、なにしてる?」
「なにって……今、ブラジャーを外そうと……」
「お前まで悪乗りするな!」
再び、シンの怒声が風呂場に響き渡った。
風呂を出たシンがリビングの扉を開けると、神妙な顔付きのアクミとアムが待っていた。
そしてシンの顔を見るなり、ペコリと頭を下げて謝罪する。
「あの、先生……ごめんなさいです」
「その……調子に乗っちゃって……ホントごめんなさい」
「いや、分かればそれで……」
元々、自分の言葉が足りなかったのが原因でもあるのだ。
そこにきて素直に謝罪されると、シンもそれ以上はなにも言えなかった。
「じゃ、じゃあ……私達はもう寝ますね」
「おやすみなさい、シン」
「お、おう。おやすみ……」
二人の背中を見送りながら、つい今しがたの光景を思い出してしまうシン。
〈なに考えてんだ、俺は……〉
シンはそれを振り払うように、強く首を振って意識の外に追いやるのだった。
※
「いやぁ、びっくりしました。正直あそこまでとは……ですが、もう大丈夫。心の準備はできました。いつでもオッケーです!」
二階の自室。
ベッドに座って真面目な顔で天井を見つめ、アクミがナニやら決意を新たにしていた。
その一言でも分かる。
アクミはシンと結ばれる事を微塵も疑っていない。
〈そりゃ、そうよね。……アクちゃんは、私と出会うずっと前からシンを好きなんだもん……〉
アムにとって叶う筈のない恋。
いや、叶えてはいけない恋。
何故ならそれは、大好きなアクミから大切な人を奪うという事なのだから。
それは分かっている。
分かってはいるのだが……正直、この気持ちはもう、どうしようないところまできていた。
「アムちゃん?」
さっきから一言も発しないアムを心配して、アクミがアムの顔を覗き込む。
心優しいアクミは、こんな自分を本気で心配してくれている。
アクミの思い人に懸想してる私に……。
〈……私……嫌な女だ……〉
そんなアクミに申し訳なくて、アムは泣きたくなってきた。
「……アクちゃん」
「ちょ!いったい、どうしたんですか?」
「私ね……」
「はい」
「私ね……シンが好きなの……」
泣きそうな声でアムが囁いた。
まるで懺悔するかのように……。
「私だって……命の恩人の好きな人に懸想するなんて……いけないことだって分かってる。でも……」
「いいんじゃないですか?」
「もう、止められないの!!」
「…………」
「…………」
うん……?
今、なんて言った?
いいんじゃないですか?
確かにアクちゃんはそう言った。……筈。
「……アクちゃん?」
「ナンです?」
「……えっと……いいの?」
「いいんじゃないですか?」
「…………」
「…………」
無言で見つめ合う二人。
なにか、私の言い方が悪かったのかな?
そう思って再度確認する。
「あの……アクちゃん?」
「ナンでしょう?」
「……私も……シンを好きなんだよ?」
「知ってますが?」
即答だった。
まぁ……考えてみたら、今更言うまでもなくバレバレよね。
じゃなくて!
「だから、私もシンを好きって事は、……いずれどっちかがシンの事を諦めなきゃいけないって事で……」
「は……?」
「はい……?」
二人で首を傾げて見つめ合う。
ひょっとして、勘違いしてるのは……私?
「……あの、アクちゃん?」
「ナンです?」
「ちょっと確認するけど……アクちゃんの好きな人って……シンよね?」
「そうですが?」
やっぱり、そうだった。
とりあえず、好きなのはシンらしい。なら……、
「それは勿論、……ラブ的な意味でよね?」
「勿論! 伝説の星に負けないくらい、マジでラブってます!!」
意味は分からないが、とにかく勘違いしてはいなかったらしい。
「その……好きってことは、将来結婚したいって……思ってるのよね?」
「私的には将来と言わず、今すぐでもオッケーですけどね」
「私も……その、シンと結婚したいと思ってるんだけど……」
「いいんじゃないですか?二人で幸せな家庭を築きましょ?」
「は……?」
「はい……?」
「…………」
「…………」
どうも二人の会話がいまいち噛み合わない。
なぜ?
ここにきてアムは、ふとある仮説に思い至った。
まさかとは思うが……、
「アクちゃん、一つ聞きたいんだけど……」
「ナンでしょう?」
「ひょっとして、ワービーストって……一夫多妻?」
「そうですが?」
やっぱり。
衝撃の真実だった。
そりゃ、会話が噛み合わない訳だ。
アムは身体中の力が抜けていくのを感じた。
「ふふ……あはははは……」
「…………?」
でも、それなら!
「じゃあ、私も!……私もシンを好きになっていいんだ?」
「勿論ですよ。と言うか……私の夢、前にアムちゃんに言いましたよね?」
「アクちゃんの夢?」
確かに聞いた。
あれはアムがヴィンランドに帰る決意をした時だ。
その時の記憶を呼び起こす。
確か……アクミはあの時、こう言っていた。
『今の私の夢は、先生と、ひめちゃんと、アムちゃんと、みんなでずっと一緒に、楽しく暮らす事です。ずっとずっと、一緒にです!』
「あはは!……あれ、そう言う事だったんだ?」
「と言うか、そっちは違うんですか?」
「うん。一夫一妻」
「ナンと!初めて知りました……」
今更ながらにアクミが驚いていた。
それどころか「より強い種を後世に残すのが自然の摂理ですのに……そんナンだから絶滅危惧種になるんですよ……」等とぶつくさ言っている。
そんなアクミにアムが飛びついた。
「アクちゃん!!」
「うわあっ!?」
勢いに押され、アムを抱きしめたままベッドに倒れ込むアクミ。
「ふふ……アクちゃん!」
「はいです」
「これからも、……ずっとずっと……よろしくね!」
「勿論ですよ」
アムの頭を優しく撫でながら、アクミがにっこり微笑んだ。
※
「アクミとアム……か」
シンが小さな声で呟いた。
二人と別れた後、シンは外のテラスに出て風に当たっていた。
小さくため息をつきながら夜空を見上げる。
そこは満天の星空だった。
ちょっと前までは女について特に考えた事はなかった。
きっと、アクミと一緒になるんだろうな……。そんな風に漠然と考えていたからだ。
だが今は違う。
アクミとアム。
二人の女性が自分に好意を寄せてくれてるのだ。
〈俺に……どっちか一人なんて選べるのか?〉
正直、どちらも泣かせたくなかった。
「……はぁ」
今度は深い溜め息をつく。
〈……これじゃあ、……シャングの事をとやかく言えんな〉
「ところでアクちゃん、シンはこの事知ってるの?」
「さぁ?」
※
翌日。
「おはようさん」
『アイリッシュ』艦内の執務室。
本来なら作戦司令が使う部屋なのだが、現在『アイリッシュ』には司令官不在の為、もっぱらただの事務室と化していた。
その執務室の扉を開けて、シンがいつものように入ってきた。
「なんだ、シン。怪我した時くらい家で休んでればいいだろうに」
「いや……家に居るより、なんか仕事してた方が落ち着くんだ」
そう言ってシンはシャングと背中合わせに椅子に座るとパソコンを立ち上げた。
先日の戦闘記録をレポートに纏めておこうと思ったのだ。
だが、それはただの言い訳だった。
家に居るとアクミやアムと一緒に過ごす時間が必然的に多くなる。
そうすると、どうしても二人を意識してしまうのだ。
その辺はシンも男だった。
「ふぅん。……まぁ、そんなもんかもな」
そんなシンの心情を知ってか知らずか、シャングが書類に目を通しながら相槌を打った。
「ところで、どうやってここまで来たんだ?」
「アムのエアバイクで送ってもらった」
「ふぅん。……で、ランダースは?」
「春の所に行くと言って別れた」
「ふぅん」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「……シャング」
「なんだ?」
「お前……どこまで知ってる?」
「どこまでとは?(ニヤニヤ)」
「その半笑いをやめろ。どうせ春から聞いてるんだろう?」
「まぁ、「はい、あーん!」して貰って、三人仲良く風呂に入った事はな」
「……そうか……全部か」
「まぁ、全部だな」
「……シャング」
「なんだ?」
「今までからかった俺が悪かった。今後、女の事でからかうのは、お互い止めにしないか?」
「いいな、それ」
互いに振り向き、固く握手を交わすシンとシャングだった。
(おまけあとがき)
「バカですか!容態が急変したのかと思って、慌てて来てみれば……バカですか!」
「いや……あの……」
「あんな怪我してんのにお風呂に入った?なに考えてんですか!」
「いや……つい……」
「つい?ついでお風呂に入ったんですか?大怪我してんのに?」
「いや……その……」
「それで?今になって腕が痛む?痛み止めの注射してくれ?当たり前でしょう!」
「いや……面目ないです」
「おまけに、汗だくで気持ち悪くなったからギプスを換えてくれ?ナメてんですか、ロンド隊長!今、何時だと思ってんです!」
「ホント、返す言葉もありません」
「チャームライトさん。あなたもあなたです。なんで止めないんですか!ロンド隊長、重傷だって言いましたよね?」
「は、はい。ごめんなさい。ミレー先生」
「あの……私もいけなかったんです。つい調子に乗っちゃって……。それで長湯しちゃって……」
「調子に乗って?いったい怪我人になにしたの?アクミリスさん」
「いや……ナニしたもナニも……。ナニしろ、ナニからナニまでつい……ゴニョゴニョ……」
まさか、三人一緒に風呂に入っていたとも言えず、正座してひたすら謝り続けるシンとアクミとアムだった。